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2020年7月 8日 (水)

神様仏様ご先祖様、河村義子先生様

新型コロナウイルス騒動で自分の癌を振り返る

 

 もし私が河村義子先生の死に接しても、胸騒ぎも覚えず、癌の検診を受けずに過ごして、昨年の癌の発見が1年遅れていたら、今年の新型コロナウイルス騒動に巻き込まれて、手術もしてもらえなかったかもしれない。癌の治療で、体の免疫力が低下して、新型コロナウイルスに負けて死んだかもしれない。新型コロナウイルスで死んでいるのは、高齢者や病気持ちの人が過半である。入院しても、ガンセンターが面会禁止で、面会者も来てもらえない状況になったかもしれない。癌の発見が遅れ、それで転移もして、手遅れとなったかもしれない。

 勝手な想像だが、私は神様仏様、ご先祖様や河村義子先生の霊が私の命を守ってくれたと信じている。

 目に見えないものを信じることができるのは、素晴らしいことだと思う。それで心の平安が保てるなら安いものだ。見えないものを信じるか信じないかが、動物と人間を分ける境界である。

 

運の良し悪し

 自分は運がいいと信じている人とそうでない人との運の良しあしは変わらないとの統計的データがある(脳学者・中野信子氏の講演で)。それならば、運がいいと信じて、前向きに信念を持って仕事に邁進した人の成功率は、絶対に高いはずだ。私はそう信じて生きてきた。

 

根源様

 松下幸之助翁も、人が見たら当たり前のことを、自分は運がいいと確信して、仕事に邁進した。彼は超零細の松下商店を世界の松下電器に育てた。松下幸之助翁が信じたのは、宇宙根源様である。松下幸之助翁は、京都の迎賓館の庭に根源様の社を作り、そこの前で沈思黙考をして、経営の決断をした。

 それと同じ社を、京都のPHP研究所ビルの八階にも設置してある。松下幸之助翁はそこで同じくお参りをしていたそうだ。私も松下幸之助経営塾に参加したおり、それを真似てお参りをさせて頂いた。

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  PHP研究所ビルの「根源様の社」  参拝者は著者 2013‎年‎5‎月‎18‎日

 

2020-07-08 久志能幾研究所通信 1659 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

コンドーム症候群の末路

今度有無候群の末路

 過去に同窓会やОB会で、懐かしい仲間と再会した時、つい「今度、一緒に食事でもどう?」と誘うことが多かった。

 ところがかなりの確率で、「今、息子が大学受験で大変で2月になったら」とか「4月は仕事が立て込んでいてこれがすんだら」、「今度にしよう」と言って、たかが2時間の飲み会の割り込み設定ができない人が多かった。その2月になっても、4月になっても、そういう人からの連絡は絶対になかった。

 人生で「今度、何時か、その内、またの機会」は絶対に来ない。何時なのか、今しかないのだ。明日にも大地震が来て、全てが崩壊するかもしれない。今夜、交通事故に遭うやも知れぬ。いくら忙しかっても、たった2時間の時間が作れない人は、スケジュール管理ができない人だ。2時間の飲み会を設定できない人は、仕事ができない人だ。そんな人と付き合って、将来、得るべきものは少ない。その人とはご縁が薄いのだ。

 

私の決断

 私は、決めるべき日程は、即決はしないが、できるだけ早い時期にその機会を作るようにしている。私は、飲み会の誘いがあったら、その場で2か月先でもいいから、まず日程を決めてしまう。その日が近づいてきて、都合が悪ければ日程を変えればよいのだ。まず、今、決めてしまうことにしている。

 その決断ができない人は、優柔不断で人に迷惑をかける人である。だからそういう人とは、疎遠になるように、そーっと身を引いている。そんな人と付き合っていては、人生が暮れてしまう。

 人生とは、一瞬一瞬の決断の積み重ねである。その一瞬の点の集まりが線となり、線の集まりが面となる。面の組み立てが、人生という建物を立体的に創り上げる。

 一瞬の決断に自分の人生が表れる。それは自分の潜在意識の表れである。即決できない人は、50年間もそういう「即決しないという訓練」を繰り返してきただから「今度そのうち」が口癖になる。そのうちに、お迎えが来るときになる。もう今度はない。

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 馬場恵峰書 2017年   額のデザインがお洒落

 

2020-07-08 久志能幾研究所通信 1658 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月 7日 (火)

今後の日本経済を予測する

 デフレ時代は、人並みの努力をしていればジリ貧である。必死に努力をして、やっと水平飛行である。人と違う発想をして、競争相手のいないブルーオーシャンを見付けて戦って、やっと上向きに成長できる。

 サラリーマンとは、超個人的な零細企業の社長である。自分の人生を「経営」して、人生航路の舵を取り仕切らないと、デフレ経済の海で沈没(クビ)である。

 貴方は個人零細企業の社長として、どういう戦いをしているのか。

 

2   日本経済の将来 2005年

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旧の知識産業の衰退

 東大出が幅を利かした重工長大の産業は衰退である。東大出の過去の知識だけにしがみ付いた組織は衰退する。製鉄、造船、電力、繊維、電機、過去の製造業、大垣市のように。

 JAL、日本長期信用銀行、日産、三菱自動車、東電、東芝、タカタ、夕張市、等が倒産寸前か、倒産である。

  福岡市の高島市長は、従来の古い政治を打破し、福岡市を智慧ある経営をして、福岡市を日本一の経済成長にさせた。小川敏の大垣市政と大違いである。

 GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)は、ソフトの創造性で成長を遂げ、時価総額で日本企業のそれを圧倒している。従来の価値観では、この激変の世界経済戦争を乗り切れない。

 

団塊世代の引退

 今後、日本では25年間、団塊の世代が定年を迎えて、毎年60万人の引退者が続く。正規で稼いでお金を使う人が減り、年金で細々と暮らす人が増える。その分、経済が縮小する。それでいて介護、医療費だけが増える。つまりデフレである。

 少子高齢化で、お金を使う人が減る。いくら政府が頑張っても、智慧を使わないからインフレにはならない。老人は将来が不安だから、お金を使わない。またお金を使うのには体力がいる。使いたくても使えない。お金を使わないから、頭を使わず、認知症になる。

 

少子高齢化

 企業はグローバル経済主義に染まり、賃金の安い派遣労働者、外国労働者を雇い、正規労働者を減らしている。若者は雇用に不安で、賃金も上がらず結婚もできない。結婚しても将来が不何で子供を作れない。だから日本の少子化が止らない。子供が増えるわけがない。ますますデフレ経済になる。

 

安い労働市場

 グローバル経済主義企業は、安い労働力を求めて新興国に製造工場を探して走り回っている。世界の企業は、その昔、中国の労働者の賃金が安かったので、大挙して中国に進出した。それで中国は経済発展した。ところが、中国の労働者の賃金が上り、採算が合わなくなったので、より賃金の安いアジア諸国に生産拠点を移動させた。アジア諸国の賃金が上がれば、次にインド、アフリカ、南米とその製造拠点を変える。世界の労働者の賃金が世界一緒になるまで、工場を流転させ続ける。だからそれまで、デフレは止まらない。

 今、デフレ経済のため、安価で高性能な製品が溢れている。誰の家も品物が溢れている。だから新しい製品を買おうとはしない。また買いたくても置き場所がないので買えない。消費が進まない。デフレ原因である。

 戦争があった時代は、安くて良いものが売れた。今の時代は、戦争がなく、戦争での大量破壊がないから、安くて良いものが氾濫である。

Photo   デフレの意味

 

海外株主の意向

 企業は労働者を経費とみなして、その費用を削減に血眼である。ソニーなどは半分以上の株主は外人である。外人株主の意向で、会社の利益確保が最優先のため、従業員の幸せは二の次で、賃金を低く抑え、利益が出る経営が求められる。グローバル経済主義企業は、会社だけが儲かる経営に邁進である。会社は儲かっても、社員には金が回らない。海外の株主に配当のお金が回って、国内は不況になってしまう。

 日産は、ルノーとゴーンに利益を株主配当として吸い取られて、成長できなかった。韓国企業も同じである。韓国企業がいくら儲かっても、その利益の大半は海外の投資家に行ってしまう。韓国労働者にはお金が回らない。そのストレスが反日運動として表れている。韓国政府はそのガス抜きを反日で使っている。同じパターンが日本でも見受けられる。だからデフレである。

 

不況の株高

 賃金が下がれば、その分、会社の利益は上がる。稼いだ金を企業は投資をせず、内部留保にして使わないから、ますますデフレである。稼いだお金を銀行に預けても金利がゼロだから、銀行に預けても利益を生まない。だから余った金は行き場所がなく、株式市場に向かう。

 政府がお札を擦って金をバラまいても、金利がゼロだからお金は銀行に行かず、消費にも回らず、企業投資にもいかず、土地投資にもいかず、結局、株式市場しか行く所がない。だから不況なのに株高である。今の株式市場は経済の実態を表していない。

 

コロナ後

 新型コロナウイルスの影響で、人々は出かけない、列車に乗らない、飛行機に乗らない、レストランに行かない、在宅勤務の拡大で消費が落ち込んでいる。コロナ後も消費者の意識が変わり、しばらくは元には戻らないだろう。ますますデフレ経済になっている。

 それでも成長している企業がある。モノではなく、智慧や創造性を売る商売である。これからの人生経営で、己は超零細企業の社長として、自分人生会社の経営方針が問われている。

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   価値観の変化 2005年

 

母の教え

 私が就職した時(1973年)、母から

「お前が定年退職する時は、退職金も年金もないものと思え。政府も銀行も保険会社も信用するな。男は外に出たら七人の敵がいる」と教えられた。母の父(私の祖父)が銀行に預けた退職金は、新円切り替え(1947年)で、銀行口座が封鎖になり、それが解除されたときは、紙くずになっていた。母は、その政府の暴挙をまじかで見ている。母はシベリア抑留から帰国した父と結婚して、裸一貫から日本の高度成長期を生きて私を育ててくれた。

 

私の経営

 私は母の教えに従って生きている。自分の身は自分で守らないと詐欺師に騙される。それが危機管理である。私が今までで出会った最悪の詐欺師が日本政府である。この時代、自分の付加価値を上げないと生き残れない。何時の時代も最大の投資先は、自分である。だから私は学びを続けている。

  文中の資料は、私が新人教育で、2005年に「IT時代のナレッジと自己研鑽」として講義をした一部である。当社の中国現地法人の新入社員にも、テレビ会議を通して英語で講義をした(2006年)。この予測は、現在でも通用する状況である。

524k8a11441s  馬場恵峰書 佐藤一斎著「言志四録」より 久志能幾研究所刊 

 

2020-07-07 久志能幾研究所通信 1657 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月 5日 (日)

ブルーエンジェルスは使命で飛ぶ。愚人は保身で地べたを這う

天使からのメッセージ

 終活として昔のフィルムを整理していて、1971年のブルーエンジェルスのカラースライドを見付けた。当時、まだカラーフィルムが高価であったので、白黒とカラーフィルムの使い分けをしていて、このカラーフィルムの存在をすっかり忘れていた。

 

医療関係者への感謝と敬意の編隊飛行

 日本のブルーインパルスは、5月29日、新型コロナウイルス患者に治療をする医療関係者への感謝と敬意を表すため、東京都心の上空を展示飛行して話題となった。ただ残念ながら、この展示飛行はアメリカの真似である。真似でも皆さんが喜んでくれたので、良いことだ。

4k8a1284s  ブルーインパルスの飛行 2018年11月18日 岐阜航空祭にて

 日本のブルーインパルスの展示飛行の1か月前、4月28日~5月15日、米国の2大曲技飛行チームのサンダーバーズとブルーエンジェルスは、全米各地(21か所)で、新型コロナウイルス患者に治療をする医療関係者を表敬するため展示飛行をした。日本とは規模が桁違いである。

  日米の曲技チームは、命をかけてコロナと闘った医療関係者に、自分達の命をかけて敬意を表したのだ。

 

半世紀前のブルーエンジェルス来日

 1971年10月、国際航空宇宙ショー(会期1週間)に米海軍のブルーエンジェルスが曲技飛行を披露するため、名古屋空港(小牧)に来日した。ブルーエンジェルスは、国際航空宇宙ショーでの展示飛行を行うため、前日、その練習飛行をした。私は当時、大学生で、学校をさぼりカメラを担いで出かけ、撮影に没頭した。

 

汚名を着せられる

 しかしF-4はジェットエンジンが双発で、出力が大きく、それが4機で編隊を組み、超低空を舞い、エンジン出力を最大にしてアクロバット飛行すると、轟音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到した。そのため、翌日の曲技飛行は中止となり、大人しい展示飛行が1回のみとなった。

 「国際航空宇宙ショー」事務局の当初計画では、ブルーエンジェルスの展示飛行が最大の見せ場であった。それが肝心の曲技飛行が中止となり、単なる編隊飛行の披露だけになった。少し演技飛行をしたが、騒音防止で高度を取り、エンジン出力を上げない大人しい飛行であった。前日に迫力ある練習飛行を見た私には、拍子抜けする演技飛行であった。まるで仕事の鬼が、単なる作業をイヤイヤしているようなものであった。

 

抗議表示

 その飛行も着陸ギアを出しての飛行である。戦闘機が着陸ギアを出すとは、相手に対して降伏の意思表示を意味する。半世紀を経って初めてこのことに気がついた。ブルーエンジェルスは、この行動で自分達の抗議を表示していたのだと。

 

仕事と作業

 仕事とは事に仕えることだ。それに命を賭けることだ。それを使命感という。

 作業とは、活きるための生活費を稼ぐためのルーチンワークである。お役所の「おしごと」である。「仕事」と「おしごと」とは、似て非なるものだ。

 

青い天使の仕事、愚人の作業

 ブルーエンジェルスのクルーたちは、ファントムの狭いコクピット内で拘束されて(酒も飲めず、寝られず)、長時間かけて太平洋を横断して日本に来た。日本の観客のため、命を賭けて、持てる技量を最大に発揮して、事前演技練習をした。ところが、それが小牧の地では問題になった。ブルーエンジェルスには、全く落ち度がない。

 ブルーエンジェルスは、航空宇宙ショーの華々しい主役の座を拒絶された。世界最高の技術を持つと自負する彼らには、最大の屈辱である。日本事務局は彼らに恥をかかせた。日本事務局の役人は、仕事でなく作業をしていた。騒音が出ることは当たり前のことで、それを苦情が来たからと中止にするのは、己の保身に徹した行動である。なぜ命を賭けて、「ブルーエンジェルスを呼んだという仕事」に命を賭けられなかったのか。

 

作業しかしない会社は淘汰される

 まるで最近の会社の不祥事を見るようだ。単なる作業をして、自分の保身に窮境としているから、会社が問題を起こす。そして市場から淘汰されていく。

 ブルーエンジェルスのメンバーは「日本になんかもう二度と来ねぇよ!」と言い残して、日本を去った。その心情がよく理解できる。

 世界最高の技量を持つ彼らでも、そういう非合理を受けることが日本社会の現実である。この事件は49年前であるが、半世紀たっても、その状況は変わっていない。

 

愚人の「おしごと」

 会社での仕事とは、経営理念に沿って、会社の命を賭けて業務を全うする。それができず、金儲けややっている振りだけで邁進した会社や組織が世間を騒がせている。

 日産、東芝、東電、三菱自動車、JR西日本、パナソニック、ソニー、大垣市政等の会社・組織で、東大出の社長が使命感を忘れ、その座に居座って日本社会に跋扈している。ある日、不祥事が露見して栄光の座から消える。

 日米の曲技チームが、命をかけて新型コロナと闘った医療関係者に、自分達の命をかけて敬意を表している。それに対比して、小川敏は、新型コロナ騒動に便乗して、業者から寄付の贈呈式で岐阜新聞に頻繁に記事を掲載させて、6選へ向けた事前選挙活動をしていた。これでは大垣が没落して当然である。

 

天網恢恢疎にして漏らさず

天之機緘不測  (菜根譚)、

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知れない。

 

以下は、ブルーエンジェルスが正式の演技飛行を撮影した写真である。前日の練習飛行に比べて、編隊飛行が主体の大人しい飛行であった。

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04img0150s  脚を出して飛ぶブルーエンジェルス

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11img0141s  超低空をフライパス

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19img0174s  一番機が背面

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2020-07-05 久志能幾研究所通信 1655 小田泰仙

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2020年7月 4日 (土)

アフター「コロリ」の人生経営

 全世界で自然死以外での死亡者数は、新型コロナで50万人、煙草で800万人、癌で950万人(これは、死亡男性8人に1人、女性11人に1人の割合)、アルコール依存症で300 万人である。

 日本での新型コロナの死亡者数は、世界人口比で換算すれば7500人(世界人口77億人、日本の人口1.26億人)になっても不思議でないが、実際は976人である(7月3日現在)。その理由は不明だが、世界平均の7分の一以下のようだ。

 それに対して、2018年のインフルエンザの日本の死者は3325人である。だから日本のマスコミは新型コロナウイルスに対して過剰な報道ぶりである。死亡率で言えば、例年のインフルエンザの方が、死亡率が高いのだ。

 

タバコ・狂気の食材・アルコール

 それでいてタバコの人体への脅威に対しては、殆ど報道しない。またそれよりはるかに大きな脅威の癌での死亡者の増加は大騒ぎをして報道するが、その真の原因の犯人については、全く報道しない。

 癌の原因は、現代の狂った食生活が大きな割合を占めるのが間違いない。その販売元(食品メーカ、飲料水メーカ、菓子メーカ)が、マスコミの大スポンサーであるので、報道しないだけである。現代のマスコミが如何に偏向しているかを認識しないと、自分の命を縮めることになる。

 また新型コロナウイルスでの死亡者の6倍のアルコール依存症の危険性についても、完全にスルーである。それは酒製造会社が、マスコミの大スポンサーであるからだ。

 

自分の城

 自分の城は自分で守れ。(トヨタ語録 大野耐一)

 自分の体は、自分で守らないと、拝金主義の食品メーカの「食品の罠」に堕ちて、癌、糖尿病、認知症になってしまう。食品メーカは、製品が売れれば、消費者の健康などどうでもよいのだ。新型コロナウイルス禍は一過性の騒動である。それより怖しい「食品の罠」にハマらないように、生きていくのが「アフターコロリの人生設計」である。拝金主義教の罠でコロリと騙されて、コロリと逝っては、人生の敗北である。オダブツ教では、それを追及していきたい。そのノウハウを提供していきたい。

 医食同源、生きていればこそ、死んでもいいから健康第一である。

 

お見舞いで悟る

 今日(2020年7月4日)、名古屋の叔母を見舞いに行って、つくづくと健康の有難さを痛感した。健康で動けるとは何と有難いことか。朝起きて、息をしていれば、まだまだ世のためにやるべきことがある。健康な体を授けて頂いた両親・ご先祖に感謝である。病床にあっても、やれることはいくらでもある。そういう病気になった原因を、「5回の何故なぜ」で真因を追究して、そうならないように後世の伝えるのも社会奉仕である。同じ過ちを子孫がしなようにするのが、現世世代の責務である。

 

2020-07-04 久志能幾研究所通信 1654 小田泰仙

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2020年7月 3日 (金)

妾とレクサスは囲うものではない

骨董と妾は囲うものではない

骨董品と妾は成仏させよ

 なにせ骨董品は、その保守が大変である。特に書画は陰干しも必要だし、経年変化する膠の保全が大変でお金がかかる。妾とレクサス等の高級車は、乗らないときの維持費が大変である。

 

骨董品の叫びと祟り

 また骨董品には作者の魂が籠っている。それが恨みとして祟るかもしれない。名古屋ボストン美術館はその祟りで潰れたようだ。

 ボストン美術館に拉致された日本の国宝級の仏像や仏画、古美術品は、拉致されて150年が経つ。それらに使われた膠の寿命は100年である。その保守をボストン美術館が、正しくやっているかは保証の限りではない。なにせ拉致された美術品の実態さえ、正確に分からないのだ。北朝鮮の拉致問題と同じである。ボストン美術館の倉庫で膠の寿命がきた美術品が助けて欲しいとの叫び、その積もった怨念が、名古屋ボストン美術館の経営不振と閉館の原因ではないのか。

 日本政府も、海外に流失した美術品の回収事業を始めるべきだ。それでこそ文化国家である。

 

レクサスの祟り

 私も「レクサス欲しい症候群」にかかっていたが、偶然、2年ほど前にレクサスの最高グレードの車種を手にいれることになった。それでレクサスを2年程乗り回して極楽気分になっていた。ある日、祟りで目が覚めた。それは、お金の減り方が半端でないことで気が付いた。

 本妻としての愛車の駐車場代とは別に、二号さんとしてのレクサスの駐車場代が月に22,000円、本妻の税金の55,000円以外にレクサスの税金が年に88,000円、自動車保険が本妻で51000円、レクサスに年88,000円である。お手当としてのガソリン代も高い。他に色々と経費が掛かる。

 レクサスも置いておくだけというわけにもいかず、たまには乗って可愛がってあげねばならぬ。少し間をおくとバッテリーが弱り、バッテリー交換である。これが普通の車よりもはるかに高い。前回、癌の手術をして入院したので暫らく乗らなかったら、バッテリーが上がり、バッテリー交換である。

 やはり二号さんでも定期的に懇ろに乗ってあげねば、すねてしまう。妾の嫉妬は高くつく。本妻を諦めて二号さん一本にすればよいが、それも未練が残る。レクサスのバカでかい車体で、市内の狭い駐車場のお店に行くのが大変だ。それは本妻の足としての車の方が使い勝手がよい。だから結局、レクサスを買っても、しばらくは2台持ちになってしまった。未練があり、なかなか本妻とは別れられなかった。でもそれは分不相応であった。

 しかしこのレクサスがあったから、大垣を訪問された馬場恵峰先生三根子先生ご夫妻をこの車で送迎できて、三根子先生にも喜んでもらえてよかったと思う。それでレクサスが成仏である。

 

格物致知

 名古屋ボストン美術館は、古美術品の祟りに20年間耐えて、没した。私は2年間、祟りに耐えて、耐えきれずレクサスを手放した。

 欲しいというモノは、一度手に入ると、こんなものかと達観になる。だから再度欲しいという気にはなれない。それはどんな品物やイベントでも同じであるとやっと達観できた。だから後悔してもいいから、欲しいと思ったものは、入手して、やりたいことを体験するのが人生だ。それをやらないから未練が残り、死の間際でやらなかったことを後悔する。何事も、実際にやってみないと、その旨さも不味さも分からない。だから、なんでもやってみる事だ。ダメなら引き返せがすむ話である。そういう意味で、レクサスを買ったことは後悔していない。よい経験であった。

 愚かなことは、愚かだとやって見て初めて実感するのだ。実際に体験して、それが知に致るという。「格物致知」である。それは本を読むだけでは体得できない。

P10500021s   馬場恵峰書   2008年

2020-07-03 久志能幾研究所通信 1653 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月 2日 (木)

私を踏みつけていったエリートの末路

エリートのコンプライアンス値は低い

 

 自分のサラリーマン生活38年間を俯瞰して分かったことが、エリートと呼ばれる輩の虚弱さ、免疫力の小ささである。そういうエリートを選抜する役員が跋扈すると、会社は左前になる。それで私の前職の会社は消滅した。

 私はエリートでなかったので、雑巾がけから接待営業まで会社の業務のほぼ全てを経験させられた。要は、お魚を頭から尻尾まで食べたと同じである。それに対してエリートは、トロの美味しい部分だけを食べるようなものだ。その差は、私の経験と比較して逆境で表れたようだ。その分、私のコンプライアンス値は上がった。

 

私の経験

 私は、設計、実験、原価計算、見積もり、営業、接待、現場指導、棚卸、現場監督、汚れた廃液タンク掃除、教育、出向経験、土木工事(これが現場実習となった)、道路建設工事(親会社の天皇様が視察にくるというので、急遽工場内に道を造った)、自動車部品生産工場でライン業務、海外への機械設置、機械サービスマン、焼き入れ工場・鍛造工場・鋳物工場の担当課長、ISO内部監査員、バスツアーの引率、総会の段取り・司会、特設消防隊消防隊長、テストドライバー、等現場で真っ黒になって働いた。

 現場の課長(焼き入れ、鍛造、鋳造)となっても、現場のオジサンたちと仲良くなって、後から感謝をされた。「(私の)後の課長は現場に来ても、偉そうに振舞い、我々に挨拶もしない」とかで、後日懐かしく話してくた。私は現場で、現場のオジサンたちに声掛けや挨拶は欠かさなかった。後日、そういう風な評価されて感謝である。

 

エリートの処遇の差

 ある有名大学出の若者は、会社が不況になり、現場応援(自動車部品工場でのライン業務)が通達されると、出身の大学の教授に泣きついてそれを免除してもらった。会社もその大学の教室から学生が欲しいので、教授には逆らえない。その後のその若者の出世話は聞こえてこない。

 私と一緒に仕事をしたことのある主任は(アメリカ出張時にお世話になった)、現場応援に出されて、ある日の朝、単身赴任として泊まっていた寮の一室で、冷たくなっているのが発見された。残された妻と幼い子供が哀れであった。

 

エリートの栄光

 私の部署に配属された2名のエリート扱いの若者は、回りから鼻ツマミモノであった。将来の役員として処遇されていることがミエミエの扱いであった。

 まだ仕事の実績もないのに、私を追い抜いて海外見本市視察である。その順番は、事業部内で暗黙のうちに決まっていたが、私がその時期になって意図的に(そうとしか思えない)、別の部署に異動になり(飛ばされて)、その若いエリートが海外視察のメンバーに選ばれた。

 私は、当時たまたま会社創立60周年社内懸賞論文募集があり、それで最優秀賞を勝ち取り、副賞であったその海外見本市視察の切符をもぎ取った。

 その若いエリートは、当時めずらしかったAIを使った技術の研究論文である賞をもらった。内容を見ると実務上では、オモチャのようなものであった。その学会で、上司が役員の座にあり、大学の先生と懇意であったので、裏工作でその賞を獲得したのがミエミエであった。日本の学会の賞など、その程度のものであることが分かったのが、収穫である。ちゃっかりとその役員も表彰の一員となっていた。お手盛り受賞である。

 

エリートの末路

 二人は経歴に箔を付ける為、ある部品加工する機械の開発で、博士論文を書くため2年間、上司の出身のT大学に派遣された。しかし、二人が博士号を取って会社に戻った頃に、親会社で別の技術開発が進み、その機械の技術が不要となってしまった。もともとその機械の開発に、博士号の取得は不要である。あくまで彼らに博士号を取らせるのが目的である。

 二人は、それが面白くなかったのか、一人は大学に帰ってしまった。会社から2年間も博士号取得為の金を使ったのに、である。恩を仇で返すようなものだと我々は呆れた。それから20年、彼はその有名大学で教授にもなれず、政府の外部団体の研究所で並みの教授に就任している。

 もう一人のエリート扱いの若者は、室長までは出世はしたが、結局、引き立ててくれる役員がいなくなると、閑職に飛ばされ、精神を病んで休みがちになったという。今は定年間際である。鳴かず飛ばずである。

 

人に三不幸あり。

第一に、少年にして高科に登る。一不幸なり。

第二に、父兄の勢により美官を得る、二不幸なり。

第三に、高才(多才)ありて文章よ能くす、三不幸なり。

『小学』

 

 人間には三つの不幸がある。第一は年若くして出世すること。第二は父母のおかげによって、高位な官職につくこと。第三は才能に恵まれ、文章が達者過ぎて過剰に自分を美化すること。

 これらは常人が喜ぶべき事だが、現実は、学問の未熟、他人のヒガミ、そしり、徳の不足によって、身を持ち崩し、道を誤まるもととなる。

 

 私には天分の才能がなかったので、血みどろな努力で自分の能力を磨いた。一歩一歩積み重ねてきた能力であるので、それに自信がある。その努力の過程で多くの学びがあった。今にして悟ったことは、人は無理して偉くならなろうとしなくてもよいということだ。真っ黒になって黙々と働けば、仏様が相応の対応をしてくれる。自分の能力相応の偉さがあれば、それでよい。市場の評価、世間の評価は、神仏の如くである。

 

2019-07-02   久志能幾研究所通信 1652 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月 1日 (水)

ホテルはビジネス戦士の航空母艦

ホテルのこだわり。

 生涯現役で戦うビジネス戦士にとって、ホテルは寝るだけの場所ではない。そこで仕事もせねばならぬ。永眠に近い状態の睡眠もせねばならぬ。遠地で戦うための航空母艦と同じである。だから私はホテルにこだわりを持っていて、仕事が出来ないカプセルホテルには泊まらない。仕事ができても、それの効率悪いビジネスホテルにも泊まらない。

 

仙台リッチモンドホテルのお粗末さに怒り

 2019年5月に仙台国際ピアノコンクールに行った折、仙台リッチモンドホテルを利用した。しかしそのホテルとしての低レベルに懲りて、もう二度と利用しないつもりである。

 部屋代は16,000円であって、部屋の造作は値段相応に満足であったが、その他の条件がホテルとして、私の基準に達していなかった。あまりに省人化、コストダウンを図り過ぎており、宿泊者として不愉快であった。16,000円を払うホテルは7,000円のビジネスホテルとは違うのだ。たまに泊まるホテルである。また今回は病身を押して泊まったホテルである。今後は、一定水準以上のサービスのあるホテルに泊まりたいと思う。サービス商品も値段相応の付加価値(価値=内容÷価格)を提供しないと、市場から淘汰される。

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 ホテル内掲示のポスター  

 何をもって「お客さま満足度№1」なのか?

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体力の限界

 部屋代が16,000円のホテルを選んだのは、2019年2月に癌の手術をしてまだ3ヶ月しか経っていないので、体を労わっての事情もあってのことである。次回の仙台国際ピアノコンクールは3年後であるので、病後であるが、無理して仙台に走った。今思うと、当時手術後3ヶ月であったので、体力はまだまだあったようだ。その後、1年かけてじわじわと体重と体力が無くなっていった。良い時期に行く決断をしてよかったと思う。手術後、1年半経った今では、とても体力的に行けない。

 

食事

 朝食で、日本食のご飯がない。すべてパン食である。高級ホテルで、それはないだろうと思う。それでは健康に悪い。なおかつ、パンも冷凍パンを目の前で焼いて、自家製と謳っている。まるで客に見せてはいけない台所の秘所を見せているようだ。「自慢の焼き立てのふっくらしたホテルブレッド」と自慢するのでは詐欺のようなものである。

 出てきた食材は、すべて外で作った工業製品の食材である。これでは遠路旅行をしても、地元の食材を楽しむことができない。遠地に泊まるのは、地方の食事の楽しみが大きい。それが裏切られた。

P1120723s  朝食 

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  副食品

P1120724s  パン焼き機

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部屋

 部屋の窓の遮光が不十分で、朝、ゆっくり寝ていられない。嫌でも目が覚める。これこそ安ホテルの典型である。このホテルは、宿泊・睡眠する場というホテルの基本ができていない。

P1120717s 5‎月‎26‎日、‏‎5:08 太陽光で目が覚めて       

 ゆっくり寝ていられない。遮光が不完全。

P1120719s 一般常識の遮光カバーもない構造

お風呂

 お風呂も小さな並みのユニットバスである。高い部屋代にそぐわない。狭いから足を伸ばしてゆっくりと湯舟にも浸かれない。

 トイレットペーパーも一重である。一泊16000円も取るなら、高級ホテルのはずだから最低、二重のトイレットペーパーにすべきだ。

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清算

 フロントの横に精算機がある。清算くらい、人との対面でやって欲しい。フロントマンが遊んでいるではないか。宿泊客は、自動販売機でホテルを買っているわけではないのだ。自動化が行き過ぎである。

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新聞

 朝日新聞がないので好感は持てた。

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ロビーの備え付けPC

 Windows7の古いパソコンでプリントの操作がうまくできず、フロントを呼ぶ羽目になった。これでは仕事にならない。高級ホテルらしからぬ機器である。

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無料のスマホ

 部屋には無料のスマホが置いてあるが、机上を占有して邪魔である。

 必要ならフロントで借りれるシステムにすればよい。

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2019-07-01   久志能幾研究所通信 1651 小田泰仙

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コロリ対策 私の免疫力向上戦略・戦術(3/3)

組織のコンプライアンス値向上

 

 組織のコンプライアンス値を上げないと組織が堕落する。不正に対して免疫力が低下する。その事例が東芝、東電、日産、三菱自動車、小川敏大垣市政である。

 コンプライアンス値が低下する原因は、狂った生活(経営・行政)、狂った食生活(稼ぎ方、使い方)である。

 

狂った経営

 長期政権、長期独裁者経営は狂った経営である。20年間もカルロス・ゴーンの独裁経営で、日産は食い物にされた。独裁だから、誰も手を出せなかった。

 大垣市も小川敏が19年間も独裁政治で君臨するから、役人がヒラメになり、無為無策の無能な政治に口を出せず、結果として大垣市は没落した。異常な政治でも、だれも口を出せない。市役所で正論を言えば、左遷される。だから誰も言わなくなった。仕事もしなくなった。

 どんな組織でも、組織長の任期は精々2期、8年間が限度である。歴史上の長期政権で、腐敗をしなかった例はない。だから米国大統領選挙では3選を禁止している。

 

身体検査

 定期的に日に当たり(監査)、身体検査をしないと(選挙)、腐敗がお天道様の下の明らかにならない。癌細胞が繁殖する。光のないところには、じめじめした悪の温床となりやすい。大垣の小川敏市政は、市制100周年記念行事での予算用途の不正が噂されている。小川敏は特例の条例を作って予算の使用用途をマル秘にした。

 なぜ特例のマル秘条令を作らねばならないのか。不正をやりたい側から見ると、その理由がよくわかる。モノを見る場合は、相手の立場になることだ。

 

狂った食生活(稼ぐ方法・使い方)

日産の例

 ゴーンは、先人が稼いだ財産を切り売りして、見た目は利益が出たように見せかけた。それを全マスコミは絶賛した。ゴーンに媚びを売っていたマスコミの国民に対する洗脳教育であった。

 将来の投資である研究開発費を削るから、当面は利益が出たように見えるが、将来はジリ貧である。金をケチり、人材育成をしないから、売れる車が作れない。日産社員は、部下に持てる技術を教えると自分の座が危なくなるから、部下に教えなくなったという。それで技術が低下して、魅力的な車を作れなくなった。それが20年経った今の日産の姿である。だから大赤字である。

 

大垣市の例

 利権の詰まった美味しい仕事をするから、腐敗が起きる。正しい経営をしないから、大垣市は左前になる。だから大垣市の地価は小川敏が市政を担当してから19年間で半値以下に暴落した。19年間も連続で公示地価が下落である。他市はリニア景気で公示地価が上がっているのだ。大垣市は投資に値しない都市として、市場が認めたのだ。市場の評価は神の如くである(松下幸之助翁)。

 小川敏が先人の貯めた金を、大垣市制100周年記念行事で散財するから、それの利 権に群がる輩が跋扈する。

 ギネス水饅頭共食いで、ギネス社に100万円もたかられ、僅か2週間しか記録が保持できなかった行事に1千万円も無駄遣いをした。その行事で業者の不具合があり、その尻ぬぐいをしたので、1千万円では収まらなかったという噂が駆け巡っている。その使用用途はマル秘である。水饅頭の共食いを公費でやる浅ましさを、全国から笑われた。知らぬは本人ばかりなり。下品の極みである。

 ガキのような小川敏のこだわりで、大垣市政100周年記念行事で、無理やり100個の行事をねん出した。税金の無駄遣いである。100周年記念行事は無理に捻出するものではない。品がない。

 小川敏は、自分が会長の北高の2019年の同窓会で「今年は市制100周年だから、参加者を何がなんでも100名以上集めろ」と担当幹事に檄を飛ばした。下品である。子供である。

 これが全てを象徴している。同窓会は、市制100年だから集まるわけではない。大垣市政100年だから祝うのではない。小川敏はそれにかこつけて、名を売りたいのだ。

 それでいて大垣市政100周年記念行事で3億5千万を散財しても、100年に一度といわれる新型コロナウイルス禍での支援で、海津市の10分の1以下しか出さないから、大垣市長として品格が疑われるのだ。海津市の市長や市議会は自主的な給与カットをしているが、小川敏にはそんな素振りもない。俗人である。

 

「経営者がなさねばならぬことは学ぶことができる。しかし経営者が学び得ないが、どうしても身につけていかなければならない資格が一つある。それは天才的な才能だけではなくて、実はその品性である」ドラッカー

 

「人生の大病は、ただこれ傲の一字なり」王陽明

 

 小川敏は、市政100年の計として人財に投資をしなければならぬのに、その教育費の財源を自分たちの給与に振り向けてしまった。だから大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となっている。児童生徒一人当たりの教育費で、大垣市は、刈谷市のそれの半分である。小川敏市政は、大垣の将来に禍根の種を植えている。子供たちが大垣の未来を支えてくれるのに、小川敏はその子供の未来を食いものにしている。

 

Dsc010421s  馬場恵峰書

2019-07-01   久志能幾研究所通信 1650 小田泰仙

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2020年6月30日 (火)

コロリ対策 私の免疫力向上戦略・戦術(2/3)

人生の復元力(コンプライアンス値)向上

 

コンプライアンス値

 コンプライアンス値とは 1÷〔剛性値〕 で表される。この剛性値とは、ばね乗数と呼ばれる数値で、ばね乗数とは1キロの加重を与えたら、ばねがどれだけ撓むかを示すばねの強さである。

 人生という乗り物のコンプライアンス値とは、悪の誘惑とか負の事故に対してどれだけ耐えられるかの強さの値である。自分の役職に対して贈賄側が金品を示して、見返りを要求した場合、自分がどれだけで堕ちるのか、その金額値でもある。100万円の賄賂で堕ちれば、自分の心のコンプライアンス値は100万円である。たった100万円で人生を悪魔に売ったことになる。心のコンプライアンス値を高めないと、人生航海で沈没する。

 

人生の耐力

 人生道では様々な躓きや、ぬかるみに遭遇する。人間だもの、躓いてもよい。ぬかるみに足を取られても良い。それから抜け出せばよいのだ。それが経験となり智慧が付く。

 不運になっても、思いっきり底まで沈めばよい。不運をバネに、底から上に浮かび上がればよいのだ。

 不幸があれば思いっきり悲しめばよい。振れた感情を元の戻す精神力があればよい。それをいつまでも持ち越さないことが大事だ。冷血漢でその悲しみを感じない人間では人間失格である。

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 コンプライアンスとパワーステアリングの設計

 船の設計で一番大事なのは、障害や荒波に対して船が傾いても、復元する力である。いかに荒波の中を安定して航海するか。何があっても平常心で安定して航行できるか、それが船の設計に問われる。

 1625年に建造された世界最大の戦艦WASA号は、処女航海で湾を出るまでに、突風に会い沈没した。船としてのコンプライアンス値が低かったのが原因である。その設計の恥さらしは、2000年代の現在もWASA号博物館内でその恥を晒している。

 人生のコンプライアンス値不足で、政財界の汚職事件で名を汚した事件簿が、歴史に刻まれて新聞の縮小版となり国会図書館に保管されている。

 

PSの耐力

 車のパワーステアリング(PS)の設計で一番大事な要点は、真っ直ぐ走る能力である。PSで曲がるのは簡単である。しかし、道路の凹凸や小石にタイヤが取られても、それに影響されずに真っ直ぐにタイヤを保持する能力がPSに求められる。PSには、操舵における剛性とあそびのバランスが求められ、高コンプライアンスが安定走行に求められる。人生航海での必要な能力と同じである。

 

人生道の耐力

 人生でも、誘惑に負けて、人生が曲げるのは簡単である。人生を真っ直ぐに走るのが難しい。人生にはあまりに多くの誘惑が満ち溢れている。コンプライアンスとは遵法精神とも訳される。自分の人生で定めた「法(戒め)」に、いかに遵守するかで、人生(=命)を輝かせ、堕落もさせる。いくら頭が良く能力の高い人でも、堕落しては人生価値がゼロになる。ゼロならまだしも、奇跡で生まれ、親が手塩をかけて育てた命を地獄に落とすことになる。

 

見学記 WASA号博物館

 WASA号は、1628年に当時世界最大の木造戦艦として製造された。その約100 年前の1521年にスウェーデン貴族のグスタフ・ヴァーサがスウェーデンを建国し、1523年に王位に就いた。1630年に、ヴァーサ国王の孫グスタフ2世アドルフが、リボリアを征服し、ドイツの新教徒を保護するという名目で、ドイツに侵攻して、第3期30年戦争(スウェーデン戦争)を引き起こした。その後スウェーデンは領土を拡大して、大国時代を迎えることになる。当時スウェーデンは列強に伍し、その勢力拡大を計っていが、それは長くは続かなかった。ヴァーサ号はその時代の戦艦である。その時日本は、やっと関が原の戦いが終わって、徳川の時代になったばかりである。当時の世界で、軍事大国で科学技術の先進国であったのがスウェーデンである。スウェーデンは、なんとドイツに戦争を仕掛けた歴史ある国でもある。かつ国王の名が、「アドロフ」には歴史の因縁を感じる。

 しかしWASA号は設計ミスのため(頭でっかちの不安定構成)、1628年8月10日にストックホルム港から処女航海に出たところ、港湾を出る前に突風に遭い、転覆沈没した。大砲の積み過ぎが原因とも言われる。この点で、歴史的な名戦艦である。戦わずに平和的に?沈んだのだから、いかにも未来の平和国家スウェーデンを予見するようなエピソードと言える。とはいえ世界最大の戦艦を建造するとは、スウェーデンは当時の軍事大国であった。海外との戦いで、そんな兵器を作らねばならないとは、不幸な時代である。それが今でも続いている。

 この艦は1961年に334 年ぶりに、水深31mの海底から引き上げられて修復され、現在はWASA号博物館として展示されている。沈んだ場所は分かっていたが、技術的な問題でこの時まで、引き上げることが出来なかったとか。極寒のバルト海の底に沈んでいたため、木造艦といってもあまり腐食もせず、原型をほぼ止めており、当時のスウェーデン黄金時代としての艦船装飾、彫刻像、備品等がつぶさに見えて、歴史的な鑑賞には興味深い。だだし古い木造艦のため、湿っぽく暗い雰囲気はあまり楽しいものではない。(1985年記、2020年6月30日更新)

 

当時の日本

 時に日本は関ヶ原の戦いが終わり、江戸幕府が始まり鎖国をして、平和な時代が始まったころである。徳川家康は、戦いの無い社会を作るため、戦国時代を鎖国で封鎖した。一つの選択として正しかったと思う。だから当時の日本には、戦艦の開発は不要となった。

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  WASA号博物館パンフレットより

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 在日スウェーデン大使館公認 観光情報サイトより

  http://letsgo-sweden.com/vasa-museum/

 

 排水量  1300トン

 大砲   64門

 乗員   435名

 全長   61m

 全幅   4.7m 

 全高   51m

 

 船の大きさは400名が働く全幅60mのビルと同じ規模である。

 

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2020-06-30 久志能幾研究所通信 1649 小田泰仙

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