自分は歴史の駅伝走者
お金(体、時間、命、ご縁)は、神仏・ご先祖様よりの一時的な預かりもの。それを有効に使うのも、無為に使うのも全て己の人格レベルがなせること。
己の後姿を神仏のお目付けとして、子供・部下・世間が見つめる。それでその家・組織の興亡が決まる。
三田圭子、「みのもんた」の息子の不祥事がその良い例である。
小川敏の後姿を見て、部下は動く。だから大垣市は没落した。
今の己の姿がご先祖の功徳の積分値である。だから人生の興亡は誰のせいでもない。自分の役割は、連綿と続くご先祖からの駅伝走者である。自分が走る走る区間が、現代史である。
ご縁ができたら、自分のため、家族のため、国のため、そのご縁を活かせ。それが御恩返しである。
2014年1月26日 初稿
2020-05-20 久志能幾研究所通信 1599 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント