2018年3月 5日 (月)

天狗行政による大垣市の末路

 元気ハツラツ市の目的は、大垣駅前商店街の活性化である。それが真逆の結果となっている。元気ハツラツ市は、大垣駅前商店街の活性化を目的に2011年から7年間で総額1億2千万円を使って開催されている。実際は商店街を衰退させることに気付いた商店主たちが改善を申し出ても、怨嗟の声を上げても大垣市は、耳を貸さず、運営方式も変えず、会計報告もせず、これが大垣駅前商店街活性化だと、強引に運営を進めてきた。

 その結果が、商店街の衰退(61%が閉店)と大垣市外の露店商の跋扈である。下図は2018年3月4日の元気ハツラツ市で、商店街の中心の新大橋から南方向を見た東西側の商店街の衰退の惨状と道路中央で繰り広げられる露店商の繁盛ぶりである。道路中央の露天には散歩客が多いが、商店街はシャッターを降ろした店ばかりで、人通りもまばらである。

 露店商からモノを買うと、問題が起きても保証が不明確だし、地面に並べた不衛生な商品を買うとは、自分が不衛生になること。モノを買うとは自分を買うこと。モノを売るとは、大垣市を売ること。大垣市が大垣市の品性を落としている。

1dsc01395  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より東側を南方向に見る

2dsc01390  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より中央部を南方向に見る

3dsc01392  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より中央部を南方向に見る

4dsc01393  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より西側を南方向に見る

芸の達人とは

5dsc01369

6dsc01373 2018年3月4日10:22 元気ハツラツ市で

 上記集団は、元気ハツラツ市で市政百年の宴に酔い痴れて暢気に謡っている。この人たちは、生活の足場である大垣舞台が背面のようにシャッターを降ろして滅亡寸前なのに、大垣市民として何も感じないのか。問題意識を持たないのか。自分達が大垣市の衰退に手を貸していることに気が付かないのか。芸は人の心に訴えるモノでないと本物ではない。観客数と舞台がそのレベルを示している。芸の修行とはその心と感性を培うものだ。芸の達人なら、物事の兆が見えるものだ。年長者のこの人たちは、何を修行してきたのか。

 

経営の失敗事例

 以上が、愚政としか言えない『大垣中心市街地活性化計画』の目玉政策の結果である。7年間で1億2千万円もの市民税を使って、一度もPDCAを回さなかった大垣市経営の失敗事例である。大垣駅前商店街活性化計画書では、かくれ空き店舗数を無視して大垣市の惨状をデータで誤魔化して成功を謳っている。大垣市長は、この祭りをダシに豪華な大垣市庁舎の建設を進めている。

 大垣市長は、ほぼ毎回顔を出して鼻高々に演説をぶっているが、大垣駅前商店街の惨状は見ないようにしているようだ。大垣市という組織体の経営者として、現実から目をそらすのは経営者失格である。

「視る目を以てすれば即ち暗く 視るに心を以てすれば即ち明らかなり」佐藤一斎 『言志四録』 138(2018年3月4日 恵那市岩村で発見した言葉)

 

7dsc01377

8dsc013772 2018年3月4日10:32 元気ハツラツ市の雛壇で

 「つまらん行事だな」と思っている顔のように見える。顔は嘘を言わない。

9p10405461

 2018年3月4日16:14 恵那市岩村の商店の軒先で

うまい汁を吸う者たちの跋扈

 この愚かな行政が展開される中、天狗に隠れて誰がうまい汁を吸っているのだろうか。印刷業者、芸能プロダクション、タレント、露天商の斡旋業者、露天商、警備会社、大垣駅前商店街組合の店舗無し幹部達………かも。大垣駅前商店街の葬礼行進曲が流れる中、その者たちの高笑いが聞こえるようだ。

 

大垣市の末路

 声を上げるべき市会議員達も、何か利権でもあるのか何も言わない。御用新聞のような地元二紙も大垣市の批判記事は全く書かない。毎日の記事内容が、まるでお花畑の学校新聞の壁新聞である。商店街店主達は理事から意見を封殺されてモノが言えない。商店街店の青年達は、祭りに目が眩み、真実が見えず踊らされている。周辺の自治会の会長も市や組合から丸め込まれて、自治会員の声を封鎖している。子供たちが、元気ハツラツ市に日曜日に金儲けで駆り出されても、校長は予算と人事権を大垣市に握られているので、何も言わない。元気ハツラツ市の球技や水遊びで、子供たちの命が危険に晒されていても、大垣教育委員会は知らんふり。ヒラメの役人は市長の顔色を見るのに汲々としている。

 大垣駅前商店街がシャッター通り化して、駅前にマンション、予備校が林立している。駅前一等地に居酒屋の開店(昼間は閉店)が続き、もうじきピンクサロンが開店するだろう。大垣市政は稼ぎのネタを潰し、結果として金のかかる老人・介護の街になろうとしている。市税の収入が減り、地価が下がり、失業者が増え、出費が増える。大垣は終わりである。これが大垣市の末路である。市民が声を上げないと、大垣市は滅びる。

 

2018-03-05

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年3月 3日 (土)

痴鈴痴憐に日本人の劣化を見る

 最近の風潮で、猫も杓子も携帯や財布やカバンに鈴を付けてチリンチリン(痴鈴痴隣)と傍若無人に音を響き渡らせ、それに無頓着な老若男女が氾濫している。老人は耳が遠くなっているか痴呆化なのか、回りの迷惑には不感症で、その音が聞こえないようだ。「自分だけが幸せになりますように」と鈴を鳴らしまくって徘徊している。若者は耳にイヤホンで音楽を聴いているので、自分が出す迷惑音に気がつかない。中年ビジネスマンは、電車の中や禁止区域でも携帯電話で成果主義に追いまくられ話しまくっている。経営者は金儲けに目が眩み、己の愚行が他人の迷惑になっていることに気がつかない。これでは、日本経済が停滞し、日本人が劣化するのも故あること。

 

「道徳の会」の不道徳行為

 毎週の休日、ホテルで朝会をしている経営者団体がある。なんでも「道徳の会」のような名前であるが、この人たちが不道徳行為に走っているのは、大いなる皮肉である。2018年3月3日朝、その団体の朝食会場から拍手と歓声が流れ、静かなホテルの少し離れた朝食会場に、その騒音が響き渡ってきた。どうも、その団体への新入会員の紹介の場面と推察された。その経営者達が集団でホテル宿泊客に迷惑をかけている。やっている経営者と自称する者たちは、その自覚が全くないようだ。それで「道徳の会」の名前が呆れる。以前、その団体はホテル客と同じ会場で朝食をとっていたが、その団体の行動が目に余り宿泊客の迷惑とあるので、ホテル側は、その団体の朝食会場を別にした。しかし、その変更理由にその経営者の幹部は誰も気がつかない。経営者は、些細な変化を捉えて経営判断が求められる。それが出来ない経営者達である。それが「道徳の会」の朝会に出ているという自己満足で、過ごしている。

 私も以前に入会を誘われたが、その会員の実態を見ていたので、入会を辞退した。街の中小企業の経営者がその「道徳の会」へ入会する動機は、商売上で金儲けのツテを求めているだけのようだ。それ故、「その会員の新陳代謝は激しい」と毎回、その団体を観察してるホテルマンは言う。私は朝食会場で彼らの雑談を横で聞いていて、その内容の下劣さに呆れて、入会を辞退した。多くの部下を持ち、人を導く立場の中小企業経営者達が、このレベルでは、日本人の劣化も故あること。

 静かなホテルの会場で、団体が大きな拍手と歓声を上げるのは、痴鈴痴憐と鈴を鳴らす痴人と同じである。静かなホテルのロビーで、大声で話しまわる近隣諸国の団体客と同じレベルである。

 

 

玉田裕人さんのピアノコンサート

 その朝食を済ませた後、11時から名古屋のヤマハグランドピアノサロンで、玉田裕人さんのピアノコンサートに出かけた。玉田裕人さんはベーゼンドルファ弾きの達人である。今回の私のお目当ての一つが、ベーゼンドルファ214VCの音色確認である。

玉田裕人さんの演奏の写真撮影の許可もいただいた。会場がサロン形式なので、皆さんに邪魔にならないように撮影は最後列のその後ろから撮ったので人影が邪魔になり、またこのサロンは一般のホールよりも暗いのでピントが合いにくかった。20枚ほど撮ってから、よい写真を撮るのをあきらめて、玉田裕人さんの演奏を聴くことに集中した。私はその演奏を堪能した。

P1100056

    会場風景。手違いでフラッシュが光ってしまった。ごめんなさい。

 

異人闖入

 その演奏が始まってしばらくして、異様な姿の若者が入ってきた。クラッシクの演奏会なのに、大きなリュックサックを背負い、決して清潔とは言えない風体で入場してきて、ピアノの演奏が始まっているのに、声も落とさず受付に質問をしている。背負ったリュックサックにぶら下げた多くの鍵の相互に当たる金属音が、演奏中の会場に響いた。本人は無頓着である。私は我慢できなくて、敢えて注意をした。それでも本人はきょとんとしていた。その御仁は、その後、演奏中なのに、後ろの席でスマホをいじり出した。何しに来たの?

 あとで、受付の女性から、私が注意してくれたことに感謝をされたが、「下手に注意をすると最近は異常な人が多く、危害が及ぶ場合があるので黙認です」と言われて、現代の世相に危機感をいだいた。これも日本人の劣化の証しだろうか。

 

静寂文化に暴力音が殴り込み

 日本の家屋は木と紙でできている。それ故、隣りの部屋の音は丸聞こえであった。最近は多少改善されたが、純日本家屋では、昔と防音関係は変わらない。そのため、日本人の生活や話し方、音の出し方には、他人を慮り、周りに気を使う文化が生まれた。その文化をテレビと携帯と携帯音楽が破壊している。テレビを付けっぱなしにしないと寂しいという病気みたいな人間も多い。耳にイヤフォンで音楽が流れていないと勉強できないという学生も氾濫している。最近の日本人がチリンチリン(痴鈴痴隣)の音に不感症になるのも故あること。このままで日本の静寂、他人を慮る文化は劣化しないのか、危惧している。

 

ビエナトーン(ウィーンの音)の熟成

 それに対して、欧州、特にウィーンは石の文化である。道路も石畳、教会も建物も住居も石造りである。ウィーン市街を一人夜道を歩いていると、後ろからヒタヒタと後を付けてくる音が響いてくる。後ろを振り返っても誰もいない。恐ろしくなって慌てて自宅に逃げ帰ったとは、ウィーン在住歴20年余のベーゼンドルファ専属調律師井上雅士さんのお話である。後ろから聞こえた音は、石畳、石の建屋に跳ね返った自分の足音が聞こえてきたのだ。教会や美術館、宮廷の建屋に入ると、自分の話し声が反響として響いてくる。それ故、壁にかかった絵を見てその感想を述べるにも、小声で話すという上品な文化が生まれ、ウィーンの独特の音文化を作った。オーストリアはドイツ語圏であるが、正式のドイツ語で「ざじずぜぞ」の音階も、ウィーンのドイツ語では「さしすせそ」の音になって濁音が消えた言葉になっているという。「ベーゼンドルファ214VC」のVCの、Vはビエナ(ウィーン)、Cはコンサート、直訳すると「ウィーンのコンサートの音」、ビエナのトーン」である。それを意識して作られたベーゼンドルファの音色には、歴史と文化の香りがある。

 

現代の世相に危機感 -- 思考文化の破壊

 その両方の文化が、下劣なテレビ、スマホ、携帯音楽、身に付けた鈴で汚染されようとしている。ウォークマンを創造したソニーは素晴らしいが、無差別な音の氾濫させたアップルは、その運用では世界の文化の破壊者となったようだ。騒音よりも静寂に価値があると私は信じる。どんな超一流の音楽家が演奏した音でも、聴く人が興味を持たなければそれは騒音である。44年前の1974年8月28日朝、神奈川県平塚市でピアノの騒音を理由として、母子3人が殺害された「ピアノ騒音殺人事件」が起きた。その教訓を現代人は忘れている。音楽を耳に強制的に流しぱなしにすることは、音に不感症になり、思考を停止させる。最近の大学生の半数が、本を全く読まないという。これもその影響だろう。静寂の文化をもっと大切にしたい。日本の未来が心配だ。

2018-03-03

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年3月 2日 (金)

七眼の身に変身

 2018年2月26日、車歴18年の自車に、後付けの車両衝突防止装置であるイスラエルのモービルアイ社製「モービルアイ570」を搭載した。今までにナビのカメラ、ドライブレコーダー、後方カメラ、前方バンパーに側面カメラを装備しているので、自分の眼がねを含めて、今回で7番目の眼の追加である。

 2013年、夕刻に歩行者をはねてしまったことがある。幸い相手は打撲だけですみ、示談にしてもらった苦い経験がある。そのため車の安全装置として対歩行者用の後付けの人検知センサーを探していたが、後付けでは見つからなかった。あっても、車メーカーの標準装備品で、それを購入すると、おまけ(?)で新車が付いてきてしまう。それ故、新車一台分の価格(?)で高価である。どうも自動車メーカーが新車を売りたいために、部品メーカーに圧力をかけて、この種の製品を開発させないようにしているようだ。自動車メーカーは、車を大事に長く使うユーザーのことをもっと考えて欲しい。

 

安全方針

 私は安全には金を惜しまない方針である。人身事故を起こして、その後始末を考えれば、安全装置は安いものである。「死んでもよいが、健康管理が大事」と同じ考え方である。

 自車は車歴18年だが、走行距離はまだ11万キロでエンジンは絶好調である。私の方針として、車は大事に長く乗りたいと思う。しかし電子機器の進化は早いので、その更新は適宜行っている。2月21日に大村市で乗ったタクシーは77万キロの走行距離で、快調であった。タクシーで50万キロ、70万キロはざらであるとか。車は整備して乗れば長寿命である。

 ネットでモービルアイ社製「モービルアイ」を発見して、早急に装備した。価格は取り付け費を含めて21万円。これは特約店でしか購入できず、中部地区では、豊田市と名古屋市の2店のみである。ネッツトヨタの店長さんの推薦で豊田市の新明工業さんを選定した。そのため大垣から豊田まで出かけた。遠いのが難点であったが、安全には代えられない。

 

モービルアイの機能

 カメラからの画像処理で人を検知すると、画面に人が緑で表示される。その人に近づきすぎると赤に変わり警報音が出る。

 前方の車との車間距離を、衝突までの秒数で表示される。車間距離が2.5秒以上の状態では警告は表示されない。

 道路の速度制限標識を、カメラが検知してその制限速度値が、次の画像更新まで画面に表示される。なかなかに賢い。

 ウインカーを出さずに車線を逸脱すると警告音が出る。

詳細はネットで「モービルアイ570」を検索ください。

 

モービルアイの限界

 残念なのは、人や車の検知がカメラでの画像処理なので、夜間は使えないこと。現在の新車に装備された人感検知が、ミリ波レーザー方式で夜間でも有効である。これは、致し方ない。最新式はセンサー連動で自動ブレーキであるが、そこまでは必要はないと判断した。

 一番怖いのは、右から来た車に気を取られ、左側の歩行者や自転車を見落として事故を起こすこと。最近の老人や自転車は、信号無視の人や横着な人が多く、私は頻繁にヒヤッとしている。自分の老化のせいで、車の周囲の検知能力が低下しているのも現実の姿である。その運動神経の劣化を機械で補えれば、十分に目的を達せる。これは十分に元が取れる装置である。

 

車の安全運転の原則

 車の安全運転の原則は、機械でできる安全は、お金で解決すること。事故を起こすことを思えば安い。人間は間違いを犯す動物である。特に老いるとミスが多くなる。その前提で安全な車に乗ること。安全な運転と安全装置を付けること。

 夜間は運転しないこと。運転のプロの白バイの警察官でも、「夜は暗闇に人や障害物が溶け込んで見えないので恐ろしい」という。運転の素人の我々はなおさらである。 

 事故が起きることを想定して、ドライブレコーダーを装備すること。以前に、トラブルが記録されていない事象があったので、保安としてドライブレコーダーを二重にした。

 トヨタ生産方式を作った大野耐一氏の言葉「金が出来たら、設備に金を回せ。人で効率を上げてはならぬ」である。私は「金がなくても、安全には金を使え。安全を人の注意だけに頼ってはならぬ」が信条です。

1p1100043  表示部の取り付け状態 

2p1100055_1  左側の黒い箱がモービルアイのカメラ部と本体

3p1100048  前方との車間距離1.6秒と速度制限標識を表示

4p1100052_1  人を検知して緑の人マークが表示

2018-03-02

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年3月 1日 (木)

般若心経を英訳と和訳で理解する

 般若心経とは、「般若の心髄についての経典」である。ここでいう般若とは簡単に言うと「悟り」である。唐の玄奘(三蔵法師)が国禁を冒してまでして西域(インド)に行き、持ち帰った多数の仏教経典を漢訳し、600巻余に編纂した「大般若波羅蜜多経(大般若経)」。そのうち、大般若経の心髄(空に関する経文)のみを要約したお経が般若心経である。

 三蔵法師は重罪の国禁を犯してまでしてインドに行き、多数の経を持ち帰った。しかし帰国時は玄宗皇帝が、三蔵法師を国賓として出迎えたと言われる。

 

般若心経の和訳

 漢文の般若心経は、サンスクリット語を漢文に翻訳しているため、日本人には難解であるし、数多くの翻訳が出ていて、混乱を招いている。サンスクリット語を漢文に翻訳して、それをまた日本語に翻訳しているので、一部には間違った解釈をしているのもある。私もおぼろげには理解していたが、その真意はつかみかねていた。

 竹村日出夫著『般若心経は英語で読むとよくわかる』(みやび出版 2013年)は、サンスクリット語から英語に訳しているので、却ってその源意が良くわかる。

 2018年新春に、馬場恵峰師が10本の軸に各宗派の和訳の写経をされた。私は、2018年2月22日の写真撮影の折、その美しい和文で揮毫された般若心経の写経軸を見て、私の心にストんと落ちてきた。漢文の般若心経は難しいが、和文の美しい書で読むとよく理解できる。その和訳を文末に記します。

 

僧侶の堕落

 般若という言葉は、能面の「般若の面」の形相とは関係ない。お寺で、お酒を「般若湯」というのは、お坊さんの言い訳(?)である。僧侶は原則、精進に務め禁酒・禁煙のはずである。それが最近の風潮で、飲酒、喫煙、飽食で、肥満体の僧侶が目に付くのは、堕落の象徴である。ある地方で松本明慶仏像彫刻展を開催して、その会場に訪れた僧侶の過半が肥満体であったのは、日本仏教の堕落の象徴かもしれない。京都には各宗派の総本山があるので、全国から僧侶が研修の名目で集まるが、祇園で羽目を外す僧侶も多いと聞く。地方の地元では目立つので、僧侶もおとなしくしているが、檀家の目の届かない京都で羽目を外すようだ。檀家の目は逃れても仏様の目は逃れられない。日本で仏教が衰退するのも故あること。上に立つものが範を示さないと、その組織を衰退させる。どの世界にもあてはまることだ。今の僧侶は、お経読みのお経知らずになっている。難解な漢文でなく、せめて和文での般若心経を味わって学んで欲しい。

 菩提寺の住職が、私の先祖の戒名を間違って伝え、位牌と墓誌を作り直す顛末になったが、それは現代の僧侶の生き様の乱れを象徴していたようだ。仏様はよくお見通しである。僧侶が絶対だと思っていた私の目を覚まさせてくれた。その因縁で、恵峰先生に墓誌の文字を揮毫して頂けるご縁となった。この4月に、馬場恵峰師が岐阜に講演に来られるので、その折に、完成した墓誌を見て頂く計画である。

 

馬場恵峰師の和訳の般若心経

 ずっとー昔、観音さまが深い智慧を完成するという「深般若波羅蜜多」を修行していた時、物質や精神は皆、実態が、空の状態だということを悟り、すべての苦しみから抜け出すことが出来ました。

 舎利弗よ、この世における物質は実体のないもの空であり、実体がないということは、また物質(色)を離れてはありません。即ち物質は実体のないものであり、実体のないものが物質なのです。又それは感受作用(受)、知覚作用(想)、意志作用(行)、判断作用(識)といった精神も同じことです。

 舎利弗よ、この世におけるすべての現象は実体のない状態(空)ですから、生じたり消滅したりすることはなく、汚いとか、きれいということもありません。また増したり減ったりすることもないのです。

 空という立場においては、物質という規定もなく、精神もなく感覚器官や、その対象となるものもありません。視覚(眼)、聴覚(耳)、嗅覚(鼻)、味覚(舌)、触覚(身)、意識(意)も存在しなければ、それぞれの対象となる形あるもの声、香り、味覚、触観念もありません。視覚の世界から意識の世界に至るまで感覚の世界はないのです。道理に暗いということはなく、道理に暗いことが尽きることもありません。

 また老と死もなく、老と死が尽きることもないのです。苦しみや苦しみの原因(集)苦を滅することも、苦を滅する道もありません。智慧のなければ、悟りに達することもないのです。

 このように悟りに達する事を否定される境地に住むからこそ、仏の道を極めようとする者は、智慧の完成をよりどころにし、心を曇らせることがありません。曇りがないから恐怖もない。迷い、妄想からも遠く離れ、究極の悟りの境地に到達出来るのです。過去現在未来にわたる諸仏もすべて智慧の完成により悟りを得たのです。だからこれを知るべきです。

 般若波羅蜜多は大いなる真実の言葉、この上ない真の言葉比較するものもない真の言葉。すべての苦悩を除くもの。真実で虚しくない。だから般若波羅蜜多の真の言葉を説きましょう。

 行ける者よ、行ける者よ、彼岸に行ける者よ、彼岸に共に行ける者よ、悟りよ、幸いあれ、ここに完全なる智慧の心が完成する。

  平成30年初春10日午後5時 斎戒沐浴 三寶齋恵峰 馬場英男敬書

 

補足説明

 ここでいう「般若」とは「言葉にならない智慧」という意味である。だから我々も言葉では説明できない。維摩経には、維摩居士と釈迦の弟子の中で一番智慧があるとされる文殊菩薩が、知恵比べをする場面がある。その時、文殊菩薩が「般若は、言葉では語ることができない」と説明してしまう。維摩居士はひたすら沈黙である。文殊菩薩が言葉で説明してしまったので、文殊菩薩の負けである。

 

それでも敢えて説明すると、

 智慧とはPrajna(梵語)で、英語ではwisdom. The mental function which enable one to perceive without error and to distinguish what is true and what is false.( 誤りを犯さないように認知して、真実と虚偽を区別させる精神の働き)である。波羅蜜多とはParasite(梵語)の音訳で、「真理を知る力」である。現代訳では「完成」と訳し、「智慧の完成」となる。

 竹村日出夫著『般若心経は英語で読むとよくわかる』より

14k8a9318   馬場恵峰書 般若心経 和文(部分)

2018-03-01

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年2月28日 (水)

佛様の顔に泥を塗らない

自分の佛とは

 自分のとっての佛様とは誰か。その佛様の顔に己の我儘で泥を塗って、幸せになれるわけがない。今まで、佛様が段取りをしてくれたご縁の多くを、自分は蹴とばしてこなかったのかを、還暦を超えてから遅まきながら反省している。

 己にとって佛様とは、両親であり、恩師であり、上司、部下であった。意図せず、己に降りかかる種々のご縁が、佛様である。過去に若気の至りで、愚かなことをして、佛様の顔を汚していたことに、今になって気が付くのだ。その仏様は何も言わず黙って見守っていてくれた。気が付いた時には、両親も恩師も上司もこの世にいない。降りかかってきたご縁も今は、浦島太郎の玉手箱の煙のように消えた。いつか「親孝行したいとき親はなし」が訪れるのだ。

 巡り逢った仕事にも佛が宿る。その佛様の顔に泥を塗らないような仕事をせねばならぬ。その仕事に己の魂を宿すのだ。仕事に泥を塗るとは、己の魂に泥を塗ること。名誉欲と権力欲だけで、市長の座の長くいることは、その職と市民の顔に泥を塗ることだ。仕事の佛の顔が汚れたかどうかは、仕事の出来栄えを見れば良い。大垣市のように経済、人口が衰退していれば、大垣市長としてやるべきことを放棄して、仏様の市民の顔に泥を塗ったのだ。

 佛様が巡らすご縁は、その時は逆縁のように見える場合も多い。それが後年に、幸いの華として咲くのだが、その時は、自分の身を嘆き、神仏を恨むこともあろう。しかし、その逆境こそが自分を成長させてくれるご縁であった。それを恨むとは、佛様の顔に泥を塗る行為なのだ。冬の時は、自分に与えられた修行として行に励めばよいのだ。

 己の心には佛も住めば鬼も住む。鬼の心が悪事に手を染める。鬼の心が支配する心で、己の佛の手を黒く汚してはなるまい。佛の手を汚すのは餓鬼道である。

 

何故、佛の顔に泥を塗るか

 佛の顔に泥を塗るのは、心身が餓鬼道に落ちているからだ。自分の我儘、強欲、身勝手でモノと見るから、佛の心が分からないのだ。餓鬼は畜生にも劣る存在である。畜生は自然界に生きている。中立である。だから畜生は自然に合わせて生きている。だから畜生には飽食もなく、権力欲もなく名誉欲もない。それに対して餓鬼は、食べても食べても飽き足らず、集めても集めても飽き足らず、権力を持てば17年経ってもその座を離さず、それでいて名誉欲も限りない。自分で自分の欲を制御できないのだ。だから、己のために身を捧げてくれる仏様の顔に泥を塗るのだ。他山の石としたい。

 

和文の般若心経と佛法僧

 2018年2月22日、馬場恵峰先生宅を写真撮影のため訪問したとき、和文の般若心経の写経軸が目に留まった。和文の般若心経の写経は初めて見た。恵峰師の和訳の般若心経で、その上に、お釈迦様の顔が金色で印刷されていた。その周りに「佛法僧」の文字が揮毫されていた。その3文字は、お釈迦様の顔と手に墨が付かないように揮毫されていて、思わず見とれてしまった。馬場恵峰師の雅号「三寶齋恵峰」の三寶とは、「佛法僧」を意味する。

 2011年10月の明徳塾で恵峰師が、亡くなられたお弟子さんためにお棺に納めた書と同じ書(控えとして揮毫)を持参され、披露されたことがあった。お弟子さんはその書をまとって旅立たれた。その書には、お釈迦様のお顔が3面印刷されており、恵峰師が「南無阿弥陀仏」と、お釈迦様のお顔を汚さないように揮毫されていた。私はその書のことを思い出して、即、この軸の入手を決めた。

1img_6348  2011年10月8日撮影

24k8a93181

34k8a9318

 2018年2月22日撮影

 

2018-02-28

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年2月27日 (火)

閻魔様の前の待合室で

 2018年2月26日、前職の会社の同期会が、定年退職後に初めて開催されたので刈谷に出かけた。中には45年ぶりの再会の仲間もいた。昭和48年に入社した26名中、22名が出席で和気あいあいの同期会であった。

 

ビジネス戦争の戦死者

 その内1名が仕事上で欠席だが、残りの3名が音信不通である。同期のネットワークで、中途退職者の大半に連絡がつき、今回、1名以外は参加なので、多分、3名は死去していると推定される。この同期会の直前に面会した現在59歳の仕事仲間が、同期生50名中で既に3名が病死しているという。だから3名が音信不通は、死去していると確信した。先年に開催された中学の同窓会では、クラス仲間の2割が亡くなっていた。67歳で11%の死亡率は、妥当な数かもしれない。

 思えば、昭和48年はオイルショックの年で、今後どうなるのかと不安を抱いて始めた会社人生であった。バブル崩壊、911、湾岸戦争、社内リストラ、リーマンショック、会社合併で会社消滅、と波乱万丈の日本経済の状況の中で、会社の振り回されながらも会社人生を無事に生き延びてきたね、と今にして感慨を新たにした。

 

人生も生老病死

 どんな人生も生老病死である。会社の人生も生老病死。生が入社で、死が退職である。長い人生で言えば、退職後の期間にも、生老病死があり、そこでの生き様が、次の界の行き先が決まる。退職して今の界に位置した時が生で、そのまま本当の死を迎える人も、身近で数多かった。私は66歳から出版業を始めて、少し誇りに思う。儲からないのが辛いが…….。何事も始めるのに遅すぎることはない。始めるに必要なのは決断だけである。退職後に、もうやることがないと、ボケーとすごしていると、閻魔様との早期面談通知が舞い込むのも故あること。

 

団塊世代のアンカー

 昔、仕事で張り合った口煩い喧嘩仲間もお人好しの爺になってしまい、構えて向かい合ったら「貴方は誰でしたか」と言われて、こちらがずっこけてしまった。同期の仲間では、突出して偉くなった人もおらず、皆さんも38年間の会社人生で、会社を支えてきた自負だけはある。会社を消滅させた責任ある役員には、誰も就任していないのが幸いであった。昭和48年組は、団塊の世代の最後の組で、過当競争でのし上がった強者どもの団塊世代には椅子取り合戦で負けて、その後にその座に座ろうとしたら、年齢的に賞味期限切れで、後の世代がその座に座った。それは能力の差ではない。この世は、全てめぐり合わせである、を実感した。人として、その時に最大の努力をすればよいのであって、成果は仏様の差配の世界である。

 

生涯現役の願い

 同期会で集まって、病気の話しや介護の話しが多いのは哀しい。今何をやっているかと聞いても、「別に何もやっていない」のと話では、話が進まない。後ろ向きの話ばかりでは、楽しくない。

 今回の同期会参加者22名中で、明確に仕事をしているのは、4名のみ。その中で、社長として仕事をしているのは3名のみであった。その仲間は外見も話し方にも精気がみなぎっている。これでは閻魔様も呼びつけるのに遠慮をするだろう。他の仲間を見ると、何時お呼びがくるのやらと心配になった。まるで閻魔様の審判の下る前に、その待合室のベンチに座って、前世の世間話しに盛り上がっているようである。そんな待合室には行くまいと心に誓った。私はまだこの世でやることがある。行くなら閻魔様の前に直行である。

 同期会で話を盛り上げるなら、未来の夢の話をして場に花を咲かせたいものだ。8年ぶりに再会して、病気や介護の話ばかりでは、哀しい。私は馬場恵峰師とご縁ができて、生涯現役という教えを師の後ろ姿で学んだ。馬場恵峰師は現在、92歳、現役である。感謝。

039a12111

2018-02-27

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年2月25日 (日)

「大垣市民のために、」だから衰退した

 大垣市は大垣市民のために、税金と人を使って行事を開催し、施設を造っている。だから大垣市は衰退した。それは上から視線で、市長と役人が思い込みで、間違った政策を執り続け、「見直し」をしないために起きた失敗である。行事の運営で経営の基本のPDCAも回せず、大垣市の経営が上手くいくはずがない。

 

市民の立場に立って

 お役人達が立案した「大垣市民のために」の己の計画に目が眩み、自分の実績を作るために、また予算を消化するために、「市民の立場でなく、自分達の都合で、業者の立場に立って、イベントや建設を業者に丸投げして、金をばらまき行事を開催するから、大垣市と大垣駅前商店街が衰退した。大垣市は行事の見直しもせず、PDCAも回さない。

 元気ハツラツ市を、7年間も見直しもせず下請け業者と大垣駅前商店街組合理事の利権確保のために開催を続けている。だから天罰で、2017年ロボフェス大垣のドローン墜落人身事故が起きた。業者に丸投げだから、ドローン墜落人身事故を起こしても、大垣市役所はその責任を業者に押し付けて逃げた。大垣市が主催する行事や市が作る施設は、大垣市民や大垣駅前商店街のためにはなっていない。その施設の維持管理費がやがて市民に肩に重くのしかかる。大垣市はハコモノの作り過ぎのワースト204位の都市なのだ。

 大垣市長は、誰のために大垣市を経営しているのか?

 

「企業経営というものに唯一絶対の答えはない。「見直し」が必要である。」ドラッカー著『企業とは何か』1946年

 本書はドラッカーの第3作目の著作である。第二次大戦の末期、GMの経営を内部から企業経営の観点で調査した。その分析をもとに、企業とは何か、組織とはどうあるべきか、という根源的な問題に焦点を当てた。当のGM関係者からは、反GM、反企業の「禁書」扱いとなったが、本書を契機として、「現代経営」は学問領域として認められていった。本書は現代経営論の金字塔である。

 そのGMは1950年代から1960年代には世界最大の自動車メーカーとして繁栄した。しかし1970年代以降は輸入車との競争に苦しみ経営が低迷した。GMはその原因を日本車の輸出のせいにしたが、GMの経営自体は改善はされず、GMの経営陣はドラッカーの諫言には馬耳東風であった。GM は2009年6月に倒産して、国有化された。自業自得である。その後、2013年にアメリカ合衆国財務省が保有するGMの株式全ての売却が完了し、国有化が解消された。

 大垣市もGMや2007年に倒産した夕張市のようにならないことを祈る。

 

デフレの時代の経営

 モノが売れないデフレの時代、経営の要点は「顧客の立場に立って」である。「顧客の立場になって」は、セブン&アイ・ホールディングス元会長の伊藤敏文氏の言葉である。それを「売ってやる」との上から視線で「お客様のために」と驕った考えで商売をするから売れない。自分の思考エリアで戦うから、売れない。自分の固定観念を捨て、顧客の立場で考えないから、勝てない。商売とは、経営とは、創造なのだ。大垣市民のために」と行事を開催するから大垣市が衰退する。顧客の立場に立って商品開発、商品の販売をしないから、よい製品が作れないし、売れない。使いもしない機能のテンコ盛りの電子機器を作るから、近隣アジア諸国が作った携帯、スマホ、パソコンで、日本メーカーが負ける。顧客は、そんな高機能の製品は求めていない。私の携帯はガラケーである。それでも機能が多く過ぎて使いこなせない。

 

自分の人生経営は誰のため?

 人生経営も、自分のために人生を歩くから、上手くいかない。自分が今あるのは、ご先祖があってのこと。自分に課せられた使命は何かを考えて、「己をこの世に生んでくれたご先祖の立場に立って、」自分の道を歩めば、ご先祖のご加護があるのだ。もうじきご先祖と対面する時がくる。その時、胸を張って、「只今帰りました」と言えるのかが問われる。その時は万人に訪れる。早いか遅いかの違いだけである。

14k8a99231

2018-02-25

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年2月24日 (土)

「仏心大器」の佛に出会う

 2018年2月23日、広島県廿日市市宮島町にある大願寺に納佛されている松本明慶師作の総白檀の不動明王坐像(八丈大仏・約5m)を拝顔した。その大仏を制作する過程を記録した『仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む』をビデオで7年ほど前に見て、感銘を受け、いつかは参拝したいと思っていた。今回、馬場恵峰先生宅を訪問した帰路、厳島神社に寄って、不動明王の尊顔を拝み、手を合わせて、なにかほっとした。長年の思いが叶った喜びである。

 不動明王はいかつい顔つきで拝む者を睨んでいるが、その顔は怒りと慈愛に満ちた厳父のような雰囲気である。右手に持って剣で、我々の煩悩を断ち切り、左手に持った羂索で、我々を迷いの世界から救い上げる。不動明王は救いの仏様である。

 大願寺の不動明王像は撮影禁止のため、映像はNHKオンデマンドで『仏心大器 平成の仏師・大仏に挑む』をご参照ください。ビデオの画像も著作権者が多く存在する理由で、NHKは画像のブログ等への掲載を一切禁止しています。

1p1040312

 大願寺は船着場から厳島神社内の回廊を通って、その出口の前に位置する。

 

仏師の仕事・人生の仕事

 その松本明慶師の大仏製作の記録は、仕事とは何か、人生とは何か、を考えさせられた。明慶先生の手による目の彫りの工程で、図面も下書きもなしに、直接、眼をノミにて彫りにいく様は神業としか思えない。神業でも人間としての迷いを持ちながらの彫りの工程である。またそこにもドラマがあった。「今日の自分は最高の自分ではないかもしれない」と、自分を超える自分に遭うため、日を改め、時を待つ姿がそこにあった。

 彩色師の長谷川智彩師が、不動明王座像の目に瞳を描き入れる時、不動明王座像を見つめる彼女の眼には凄みがあった。

 今まで不動明王像には、なにか近寄りがたいものを感じていた。しかしその眼差しは、怒りで慈悲を表していることをこの記録が教えてくれた。その静かな怒りは上品なのである。その両方を表現するために、全神経を集中させている明慶先生と長谷川智彩師の姿に感動である。大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。

 松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。

 人生で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、命を賭けられる仕事に出逢えるのは、人生冥利に尽きる。それも生涯現役で働けられれば最高である。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。

 

佛像彫刻の基本

 「佛像彫刻をすると皆さんはすぐお顔を彫りたがる。たとえば佛像彫刻で佛様の鼻を彫ろうと思ったら、まず回りを彫らないといけない。直接鼻を彫って高くしようと思ってもうまくいかない。周りを彫ると自然と鼻が浮かび上がってくる。耳を彫る場合でも周りを彫れば耳ができてくる。彫りたい箇所を直接攻めるのではなく、周りから彫っていく。口元を掘る場合も同じだ。これは根回し、段取りの仕事である」(小久保館長)

 「松本工房の佛像は、概略のデザインを師匠が行い、細部はお弟子さんが彫っていく。基本のお顔は師匠がすべて仕上げる。木の材料には、節や傷が必ずあるのでそれを避けて、材料取りのデザインを師匠が行う。これが難しい」(小久保館長)

 

仕事の要点

 仕事でも避けなければならない難所、ポイントがある。それを見極めて、弟子に細部を任せていく。なるほどと思い、人生も仕事も同じだと納得した。佛様のお計らいで、いい話を聞かせていただけた。求めるモノを直接攻めても相手は逃げていく。周りから、そして自分の内面を充実してじっくり取り組むのが人生の正道である。これからの人生の旅の歩き方のヒントを得た。

 

仕事に必要な総合力――芸術も同じ

 「佛像を彫るには、彫刻の技量だけでは不十分で、仏教の知識、人体の知識等の総合知識力もないと、人に感動を与える本物は彫れない。なぜなら、佛様や布袋様などは架空の存在である。それを形にするには仏教の知識、人体の知識等の総合力が必要であるからだ。時には密教の経典の知識も必要となる。」(松本明慶大仏師)

 「高名な某彫刻家がいて、実在する(モデルのある)動物や人物では優れた作品を残している。しかし、架空の存在である大黒天や七福人の彫刻は形がなっていない。それは彼の彫刻の技術は卓越していても、基盤となる総合知識がないからだ。たとえば、彼の作った布袋さんの顔には品と知性がない。これではこの布袋さんに相談しに行く気が起こらない。また座っているこの像は、もし立ったらこの足の太さでは、体を支えきれない不自然な構成となっている」(松本明慶大佛師)

 2つの写真集で作品を見比べると、その高名な彫刻家の布袋さんのお顔と松本明慶大仏師の彫ったお顔には、表現できない大きな差があった。その昔、人相学をかじったことがありその知識からみれば、その違いはすぐ理解できる。

 その昔、私はCNC研削盤の開発でNCソフト開発に携わり、その経験から言うと、会計学のソフト開発でも、単にプログラミングの技量だけでは、使い物になるソフトはできない。会計学のソフト開発には会計学の知識と実務での総合知識が求められる。それと同じことが、佛像彫刻の世界や全ての仕事で、この基本は、当てはまる。

 

仏像彫刻の世界

 最近は安い労働力を武器に中国、東南アジア製の佛像が出回ってきていて、日本佛像彫刻界の脅威となっている。しかし、その大半は部品を別体で作っている。それに対して日本の本物は本尊一本彫りである。各部の継ぎ足し修正は、佛師の恥である。これは西洋の大理石の彫刻でも同じで、全て一体の大理石から彫られている。西洋でも修正のため部分の継ぎ足しは、軽蔑される。

 観音様の見えない後ろ側の御頭の髪も手抜きもなく、一本ずつ髪があるがごとく克明に彫刻する。松本明慶大佛師のお話では師の工房の技術は世界一の技術だと自負されていたが、実物をみると、技量と仏教の知識に裏づけられた彫像のありかたに納得させられる。心が洗われ、眼の保養になった。800年前の運慶・快慶の技術が、口伝により脈々と伝承されている日本の佛像彫刻伝統に誇りを感じた。ヨーロッパの彫刻文化とは一味もふた味も違う。

 私の前職の業務は工作機械事の開発業務で、5次元研削加工機を設計したこともある。それですぐに悟ったことは、5次元加工機でこの佛像をNC加工で製作することは不可能であることだ。仏像彫刻展に展示してある佛像には、手の細かい細工をしても加工が困難な部位が無数にあり、物理的に5次元加工機の刃具を干渉させずに加工はできない。しかし、人の神業にして初めて可能なのだ。

 

AIの限界

 英語と日本語を少しかじった経験から、自動翻訳がコンピュータでは無理(大雑把な訳はできる)なのと合い通じるものを感じた。人間には感情がある。仏様を彫るのにも、その人の心が現れる。翻訳するにも、原作者の心を読まないと翻訳はできない。ある意味、原作者以上の人間力がないと翻訳は無理なのだ。人間の技と頭脳は、いくらコンピュータや機械が進化しても、次元の違う神秘的な素晴らしさがある。

 

2018-02-24

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年2月23日 (金)

連絡 馬場恵峰師の岐阜講演会の演題

 この3日間、九州へ出張のため、ブログを休載しました。

 4月、岐阜開催の講演は「自分という家をどうリフォームするか」という演題でお話をされます。下記はその紹介です。

 

自分という家のリフォーム

 家族の家のリフォームは業者にお金を出せば簡単にリフォームが完成する。しかし自分という魂が住む家のリフォームは、自分が精進しないと完成しない。そのリフォームをしないから、新しい発想が生まれないのだ。だから進歩しない。それを日々、新しい挑戦をすることで、自ら学び、後世に残す仕事をするという行動が、自分という家が成長してリフォームされる。学びもせず、後世への貢献も意識がないと、衰退の一途である。だから早くボケる。

 

和文の写経軸は本邦初

 馬場恵峰師は後世に残すために、この2か月間で、15年前購入した10本の軸に、和文の写経をされた。和文の写経は日本初だという。売るためではなく、日中文化資料館の財産として、後世に残すために揮毫された。今回、この軸を写真撮影して驚嘆した。宗派に関係なく、各宗派の漢文の経典が、先生による和訳と美しい書体にて、生まれ変わった写経となっていた。

 この軸に何を書くか、それを考えていると、新しい発想がうまれて、本邦初の和文の写経軸となった。それを考えることが、自分の意識のリフォームとなるという。10本の軸を買うことで、表具屋も儲かるし、それが世にためになるし、この軸に何を書くかを考える事で自分の勉強にもなるし、後世に残れば、世のためになる。それが己のリフォームとなる。自分の事ばかり考えるから、幸せになれない。世間へに貢献が自分を磨き、やるべきことがあるので、長生きが出来るのだ。人はこの世でやることが無くなると、あの世に旅立つ。

 師は現在、92歳。現役で毎日、夜遅くまで揮毫をされている。血圧正常、薬は飲まない。間食なし。

 

50mの巻物を揮毫中

 師は現在、50mの巻物に揮毫中である。なんでも、まだ白紙の50mの巻物が3本もあり、継続して揮毫する計画である。何を書くか、それを考えためには、自分が成長しないといけないという。

 今回、10本の軸とは別に6本の和訳の写経軸をお弟子さん用に揮毫された。それを見て、私は般若心経の一本の軸を入手した。それは後日紹介します。

1p1090989

P1100006_2 馬場恵峰師 50M巻物揮毫中 2018年2月22日撮影

 日中文化資料館(大村市)にて

 

お願い

 会議室の手配と配布資料準備の関係で、講演会の参加人数把握が必要です。聴講希望者は4月4日までに小田まで連絡をお願いします。準備の関係で、早めの連絡をお願いします。

 

日時  2018年4月14日(土) 13:00~17:00 

講師  馬場恵峰師

演題 「自分という家をどうリフォームするか」

場所  長良川温泉 十八楼

    〒500-8009 岐阜市湊町10番地 電話:0582-262-1551

費用  2,000円

 

2018-02-23

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年2月20日 (火)

大垣市のメタボ化にご熱心な大垣市長

 大垣市はハコモノ作りに貪欲で肥満体になった。それが街の時限爆弾となって大垣市を潰す危険性がある。現在でも公共施設の維持管理に手が回らない状況である。近い将来、破綻寸前に追い込まれるかも。

 大垣市はハコモノの作り過ぎで、全国の702都市中でワースト205位の上位にランクされるハコモノ作り過ぎの都市である。『週刊ダイヤモンド』2013年3月2日号の試算では、余剰ハコモノ削減目標値は43.8%の過剰ぶりである。5年後の今はもっと順位が上がっているはずだ。岐阜市は702都市中ワースト465位で、余剰ハコモノ削減目標34.2%の過剰であるが、全国平均に近く良い方でである。大垣市が異常である。

 それでいて更に、岐阜市よりも5割も豪華な(単位人口当たりの費用で)新市庁舎の建設に余念がない。大垣市長は、ハコモノには金をばらまくが、大垣市は寂れる一方である。このままでは乱造した公共施設の維持管理に金がかかり破綻寸前の追い込まれる恐れがあると、『週刊ダイヤモンド』誌は、全国の自治体の過剰ハコモノに警告をしている。その警告の予言通り、大垣市は既設のインフラの維持管理の保全整備が追い付かず、ちょっと雨が降るだけで大垣経済がマヒする事態が頻発である。大垣市の衰退が始まった象徴である。それでいて、「節約、節約」と言いながら、新しいハコモノの新設ラッシュである。大垣市は学習能力がない、危機管理能力がないとしか言いようがない。大垣市長は、ハコモノ作りという至福の境地を味わっている。その間に、大垣市はメタボ化して瀕死状態に陥っている。メタボは緩慢なる自殺である。

11

 『週刊ダイヤモンド』2013年3月2日号

   「ハコモノがあなたの街の時限爆弾。地方を潰す。」より

文化に金を出さない大垣市長

 おバカ芸人ギャラの1/5しか著名歴史学者に謝礼を払わない

 大垣市長は、肝心のソフトである文化事業には金をケチり大垣を文化的に退廃させた。「おバカタレント」の代表格としてバラエティ番組への出演が多い某タレント(wikipediaの表現)を大垣市のお祭りのトークショウに呼び、大垣市は50万円程の金を払った(伝聞)。

 それと同時期に、大垣文化事業団が文化ホールで主催した歴史講演会に静岡の著名な歴史学者を呼んでも、講演料は10万円しか出さなかった。正式に依頼すれば講演料50万円が必要だろう。テレビに高頻度に出演している日本一の知識人講師である。この先生は口には出さないが、心の中で大垣市を軽蔑しているだろう。私でも大垣市民のためになら、安い講演料でも講演は引き受けるが、文化が分からない大垣市だねと、何時かそのことを言いふらすだろう。その先生は高徳者なので、そんなことはされまいが、何かの折に口が滑るかもしれない。それは大垣が文化都市として恥さらしである。大垣市民として赤面の至りである。

 

大垣市長は芸術・文化に無理解

 世界的に著名なドイツの音楽家TIMMとドレスデントリオの演奏会を、有志が大垣で開催するプロジェクトを2017年末と2018年初頭に、2回も計画・実行しても、それには大垣市はビタ一文ださない。本来、大垣市政百年記念行事で行うべき演奏会である。私が文化事業の支援にお願いに行っても教育長は「大垣市は金がないんですよ。貴方もよくわかるでしょう。稟議書を書くのが大変なんですよ」の一点張りであった。ない金を作るのが長の仕事である。ある金でやるならバカでも出来る。そんなレベルのヒラメが教育長に居座っている。大垣が良くなるワケがない。

新市庁舎の建設時期の愚

 東京オリンピックで建設資材が高騰している折、大垣市は新市庁舎を建てるカネは岐阜市よりも多く出すという非常識さである。2年ほど、その建設時期をずらせば、かなりの節約となるはずだ。「この時期でも同じ費用だ」と大垣市長は議会で強弁するが、業者はどこかで手を抜くはずだ。私が建設会社の経営者ならそうする。なにせ購入資材が高騰しているのだ。原価が上がっていて、販売価格が同じでは経営がやっていけない。どこかで手を抜かないと、建設業者が赤字になり、従業員に給与が払えず、従業員が路頭に迷う。子供でも分かる話である。それで何故、文化都市、子育て日本一を豪語するのか。

 

都市の発展は、指導者の器次第

 「結局一つの団体、組織の運営がうまくいくかいかないかは、ある意味ではその指導者一人にかかっていると言えましょう。その責任は全て指導者一人にあるといってもいいと思うのです」(松下幸之助著『指導者の条件』)

 

 大垣市を発展させようと思ったら、指導者自身が成長し、ハードだけではなくソフト面にも注力しないと市の発展は無理である。図体ばかり大きくなっても、頭が空っぽの人間には、組織を大きく成長をさせることはできない。大垣市は過疎地の上石津町との合併で二倍の面積の都市となったが、人口密度は半減した。つまり過疎化したのだ。

 それでいて大垣市は、将来の人口減を見越してコンパクトシティ化を目指すという都市計画を立ている。それなら岐阜市よりも5割も金のかかる新市庁舎は不要である。行政の頭が支離滅裂である。訳が分からない大垣行政である。

 昔の優等生で昔の固定観念でカチンカチンの頭では、今の価値観の多様化した社会には通用しない。現に大垣市は衰退し続けている。まずその現実を直視しないと、いくら市庁舎が立派になっても、そのハコモノの維持管理費用が膨大となって、市民の税金負担を増やし、大垣の衰退の速度が速まるだけだ。「広報おおがき」で、「大垣市は発展している」と豪語するようでは、自分の無知と不見識を晒しているようなものだ。金勘定だけ分かって、文化に理解のないリーダーでは、組織はカルタゴのように自滅するしかない。リーダー交代が必要である。市民の目覚めが必要だ。

 

カルタゴ消滅の教訓

 カルタゴは紀元前250年頃、地中海貿易で栄え、地中海地方でローマと張り合い、覇を唱えていた大国である。しかし、金勘定ばかりが熱心で、市民の教育、文化の育成には全く目を向けなかった。その国の指導者のレベルと国民の意識が低かったので、結局、ローマに滅ぼされて消滅した。

 カルタゴはローマと戦争をして、たった3年で敗戦を迎えた。生き残ったカルタゴ市民は約5万人で、その全てが奴隷にされた。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれた。

 滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしなかった。逆に「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえ出た。最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれた。

 平和ぼけした市民は、ローマから過酷な要求を次々に突き付けられてから、やっとハンニバルの警告の意味を悟るが、時すでに遅く、徹底抗戦でもカルタゴの陥落を防げなかった。この間、たった3年の出来事であった。

 詳細は塩野七生著『ローマ人の物語』第二巻(全15巻)新潮社刊を参照。

 

大垣市が他山の石になる?

 大垣市と同じような商業都市・商業国家で、カルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として、我々は大垣行政を見直す必要がある。これは大垣市だけでなく、他市も同じある。日本国の防衛自体も同じ問題である。米国に頼って、有事の際に本当に守ってくれるのか?

 

カルタゴ消滅の理由 = 大垣衰退の理由

1.カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だった。自国の防衛は全て傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくことはなかった。

 大垣市民が大垣市の衰退を防ぐことに無関心であることによく似ている。大垣市が、行事を業者に丸投げするのによく似ている。2017年の台風22号で室村町アンダーパスが水没して基幹道路が麻痺しても、現場での交通整理の仕事を槌谷組に丸投げで、市役所の職員が誰も現地にいない。現場の作業者に聞いても、「私は大垣市から依頼されて立っているだけで、私は何も分かりません」という情けない姿が実態であった。市民に状況説明もできない業者に交通整理をさせている。大垣市の担当者は、机の上でふんぞり返っていて汗をかかない。

 市民が市政の無関心だと、大垣行政はやりたい放題、大垣経済が麻痺する有事が発生しても、市の役人は業者に丸投げ放題、無責任の極みである。この事態は大垣市長が、金をケチり治水行政を放置した結果なのに「広報おおがき」で防災視察をしましたと大威張りである。笑止である。長期政権に胡坐をかくと、人はここまで劣化するのか。

2p1090453

3p1090453

 2017‎年‎10‎月‎23‎日、‏‎9:54 室村町アンダーパス水没現場

 大垣市の職員は誰もいない。槌谷組の作業員が交通整理(下写真は上の拡大図) 

 

大垣駅前歩行者用地下道の不祥事

 昨年の10月22日の台風21号での被害なのに、大垣駅前の歩行者用の地下道が、5か月経ったこの2018年2月20日現在でも、いまだ水没の影響で封鎖中である。最近になって3月20日修復予定と表示された。水没事故から半年である。年度末になったので、予算消化のため、しぶしぶ工事をするようだ。これが大垣駅前の大垣市の看板交差点で、大垣の恥を晒している。大垣市は、市民の生活を防衛する意識が全くない。ハコモノの維持管理という保全の意識がない。それでいて、すぐ横の不要不急の「亀の池」の新設工事と大垣新市庁舎の工事は、業者も儲かるから熱を上げてピッチを上げて進めている。順序が逆である。とても正気の沙汰とは思えない。大垣が衰退するのもワケがある。これはカルタゴより酷い。大垣市議会は、大垣 行政の怠慢を議会で追及しないのか。職務怠慢である。

4p1090932

5p1090984

 地下道がこの状態で、5か月間も放置である。向う側の「亀の池」と大垣新市庁舎は、急ピッチで建設が進む。「工事する 気配も見せず 半年間 (百舌鳥)」

 

2.カルタゴ市民が金儲けに熱心で、教育や文化の育成には無関心。市民の意識も指導者の意識も低いままで、都市としてのあるべき姿がなかった。

 大垣市民は文化的に高いレベルだが、その指導者のレベルが文化的に低い。大垣市民が、行政に声を上げないから、大垣市長はやりたい放題である。市民の代弁者は市議会議員である。市議会議員は何をしているのか。

 

3.国内の組織が分裂状態。挙国一致して対応せねば、有事を乗り切れない。しかしカルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は無関心であった。そして、ハンニバルをローマに売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達であった。自らの手で愛国者を切り捨てた。カルタゴは「滅ぶべくして」滅んだ。

 大垣駅前商店街組合がまとまっていないのに酷似している。大垣市議会がまとまっていないのにも似ている。目覚めた人が正論を述べても、利権にしがみ付いているボス達が、それを邪魔して排除する。ボス達と大垣市役所担当者が、大垣を衰退に導く元気ハツラツ市で、専横を極め利権を守り、お祭り騒ぎに興じているのによく似ている。そのボス達は、大垣駅前商店街にお店を持っていないのだ。店を持たない御仁が大垣駅前商店街組合の理事に就任し、1年交代の規約にも関わらず、その座を長年手離さない。よほど美味しいものがあるのだろう。

 大垣市役所の担当者が、大垣駅前商店街が寂れるように、保身に汲々としてその加勢をしている。大垣駅前が寂れたのは、寂れるべくして寂れたのだ。その引導者は大垣市長の顔色を窺っているヒラメ役人達である。なにせ17年間の長期政権である。腐敗も癒着もなれ合いもゴマすりも発生しないほうが稀である。

 大垣市議会も利己主義の団体で、市の不手際を追及しても自分達の利権の取引材料に使って、利権が得られれば追及がウヤムヤになるという伝聞がある。これでは市議会議員は、大垣市民の事を考えている市民の代表ではない。

 地元の新聞紙でその西濃版を見ると、お花畑の学校新聞のような、どうでもいい記事ばかりである。本来、広告欄に載せるべき特定店の菓子やラーメンの宣伝まで、大きく記事として扱っている。大垣市の抱える問題点は、西濃支局長が大垣市に遠慮して(結託?)、全く書かせないようにしているようだ。岐阜支局長は柳瀬の問題点を追及している。それに対して西濃支局長は、見ざる言わざる書かざるに徹している。大垣市と癒着があるとしか思えない。ドローン墜落事故でも、奥歯にモノが挟まったような記事であった。現在の日本のマスコミが、書くべき記事を書かずに、不要不急の記事ばかりで紙面を埋めている状況と全く同じである。マスコミがその責任を果たしていない。だから新聞の購読数は減少を続けている。2016年は2.2%、2015年は2.5%、2014年は3.5%の減少である。減少にはワケがある。読者はバカではない。新聞社は、自分達で自分の首を絞めているのだ。

 私は中日新聞の購読を中止した。それしか意思表示の方法がない。

 

カルタゴ大垣市の炎上

 その間に、大垣駅前商店街のお店の61%がシャターを下した。小川敏市政になって、人口も実質的に10%近くが減った。商業もこの5年で5%の衰退である。大垣市は投資価値がないと見切りをつけた商人たちが、大垣市から逃げ出したのだ。他の市は、アベノミッックスの恩恵で景気が良いのに。

 大垣市をカルタゴの二の舞にしてはなるまい。それを防ぐのには市民が声を上げることである。

 

2018-02-20

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

Blog: http://yukioodaii.blog.enjoy.jp

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。