塞翁が馬
先に50年分のスクラップファイルを再整理した。今度は、今まで項目別に並べていた自分の歴史資料を、時系列(年代順)に並べ直し、見直しながら当時のことを思い出し、あれこれと振り返っている。
あの時、こうすればよかったとの後悔の念と、あの時に回りから反対されたけど強行してよかったという達成感がある。あの時の失敗があったら、後年の失敗が避けられたというめぐり合わせを感じる。その歴史跡から人生は塞翁が馬であることを古希を過ぎて初めて実感する。
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人生最大の決断
今思うと、私の最大の決断は母の反対を押し切って、地元を離れて三河地区の企業に就職したこと。それで私の人生が大きく広がった。狭い世界の大垣に居座っていれば、その後の人生は狭い範囲でしか広がらなかっただろう。母は一人息子の私を地元に置きたかったのだが、私はその束縛を嫌い、母の元から飛び出した。障子を開けて外に出てよかったと50年間の結果を見て思う。
障子を開けてみよ、世界は広いぞ 豊田佐吉翁
それは私の人生のボタンの正しい掛け方であったようだ。ボタン一つの掛け違いで、人生は暗転する。そのボタンを掛ける位置を巡り、大学の指導教官が母を説得してくれた。そのご縁に感謝である。
人生は努力だけでなく、最初の選択が最重要なのだ。
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浦島太郎物語
しかし前職で定年を迎え、大垣に帰郷した時、両親は既にこの世にいなかった。40年ぶりの故郷に住み始めると、回りは様変わりで浦島太郎の心境であった。
私は若い頃、桃太郎として鬼が島に鬼退治に出かけて、多くの闘いで戦果を挙げた。いつしか40年が経ち、私は浦島太郎になって故郷に帰ってきた。玉手箱を開けたら、自分が老人になっていることを教えられた。それが私の人生の表と裏の世界の旅物語である。
人生を生きていくための拠り所は、自分自身だけだ。それが長い旅から得た教訓である。それは私の両親からの教え(家の教え=宗教)である。
「全ての出来事は、自分に意味があり」、「人生は因果応報」、「人智を超えた冥資、冥助あり」が人生の結論である。
冥資:知らない間に受ける仏の加護
冥助:目に見えない助け
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自分の歴史資料とは、
学校卒業アルバム 卒業アルバムは全て保存している
表彰記録 小学校時の絵画の表彰状がある
セミナー参加の記録 業務だけでなく、自費で受けた研修も多い
趣味の記録 飛行機、美術品取集である。
雑誌への投稿記録 1960年代『かたえくぼ』に投稿を始めた
当時の写真アルバム 高校生の時からカメラを始めた
受験失敗の記録 受験の失敗があり、今の私がいる
大学の卒論 卒論の学友の一人は既に他界した
入院記録 1976年の入院記録から保存
両親の資料 両親の苦労が資料に残っている。
だから贅沢はできない。
失恋の記録、
相続関係資料、
親戚の資料 親戚の不祥事は、他山の石である。
家系図 1734年没のご先祖から約150名の歴史を記載。
お墓造りの記録 6つのお墓を3つに統合した記録である。
高額商品の購入記録 最初の高額商品は500万円のパソコン
師の記録 師と水先案内人を混同したことが懐かし
旅行の記録、
海外出張の記録 スウェーデンに5か月の出張滞在が初体験、
出版資料等である。
30年目の反省
今ままでは日々の失敗の反省はする。それまでである。しかし、30年前の反省はあまりしてこなかった。今、この資料を見ながら当時の行動を振り返っている。それも第三者の目(上司の眼、同僚の眼、部下の眼)で、自分の黒歴史を振り返っている。そういう観点でその事件を俯瞰すると新たな発見がある。さらに佛の目でならと、見方を追加している。佛の目は時間と社会的通念を超えた眼である。
久志能幾研究所通信 人生の大地を耕す
人生の部品・縁
文章や小説、論文は推敲した回数だけ、良い作品に成長する。自分の人生も同じである。自分事件の振り返りは、より良い人生を構築するための鍛錬工程である。人生はやっつけ仕事ではダメである。出会いのご縁を何度も振り返り、次の縁をより良くするためには、起縁の元を調べることが必要だ。この振り返りを経て、今後の人生が改善される。これは良き反省の機会である。それらの自分史資料を見直していると、自分の成長具合も分かる。
自分人生と言う建物は、小さな自分事件(部品、縁)の積み重ねである。その小さな事件を再度見直して、強固な部品に磨き上げ、強化すれば、自分人生という建物は強靭な構造物になる。そのためにはその事件を何度も見直して鍛える工程(分析、反省、振り返り、鍛錬)が必要だ。
どんな建物も土台がしっかりしていないと、砂上の楼閣となる。その土台は両親の働く後姿から学んだ。両親に感謝である。
その人生でのご縁は、自分の人格に見合った縁にしか出会えない。俳聖芭蕉は、門人につねづね次の言葉を語っていた。
「句になるとするとあり。内をつねに勤めて物に応ずれば、その心の色、句となる。内をつねに勤めざるものは、ならざるが故に、私意にかけてするなり」
毎日の生き方は、自分の人格の成長具合で、生まれる俳句(出会える縁、事件)が変わる。だから自分を成長させないと、よい人生は作れない。
物理的な分量
その資料の総重量は約1,800㎏である。別のスクラップファイルは84冊で約840㎏である。残りの図書の総重量は、推定2.4トンで、これら蔵書の総重量は約5トンである。この2年間で、書棚を12個買い入れた甲斐があった。
上図は書庫の左半分部。この裏側の右半分部には約2.5 トン分の蔵書。
天井の波板(音響上の対策)は、ここが元ピアノ室であったためである。
元いた「猫足のピアノ」は出世して、別のピアノ室に異動となった。
ピアノが異動したからこそ、この場所が空いて、書棚が6個も置けた。
部屋だって、生老病死である。
「自分史ライブラリ」の総重量は約1,800㎏
50年分の『航空情報』誌も並ぶ
久志能幾研究所通信 『航空情報』誌の歴史に人生を重ねる
スクラップファイル
これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。
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2023-12-09 久志能幾研究所通信 2785号 小田泰仙
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