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2020年11月

2020年11月24日 (火)

計画に10%の時間をあてる  磨墨知45

 

 理系の自分は、「現場(製造ライン)の改善には、実験・試験を行って実証する。その場合の計画は、実験の命を左右する」と考えている。無駄な実験をやらず、2度手間、追加のテストを避けよう。それが時間節約で、良き成果が生まれる。そのために計画に時間をかけよう。それは人生と同じだ。自分の人生をぶっつけ本番でやってはいけない。行事の計画を立て、その事前シミュレーションをしよう。

 そのテスト・行動で、何を得ようとするのか?

 どうすれば本番で一番効率よく実行可能なのか?

 

人生の出来事は全て実験

 日々の行動は、人生目的達成の為の事前実験である。その行動をする前に、計画を見直して行動しよう。事前に小さな選択間違いを発見して、その実験(生き方)を見直そう。そのやるべきことの優先順位を決め、効率を求めよう。日々の小さな行動の積み重ねが、人生だ。その小さな結果の差の積み重ねが、出鱈目の人生を送る輩と大きな差を生む。

 

人に会うのも実験

 人と会うとは、相手と己の時間(命)を使って行う大実験である。自分の生き方を実験しているのだ。その「実験」で、何の知見を得るのか、考えて訪問を受け入れよう。

 老いた師と話すにしても、何を師から教えられたいのか、計画を立てて教えてもらおう。老いた師とも、何時かは別れがくる。後から後悔しないように、面談内容を計画しよう。

 部下に話すにしても、部下がどういう風に成長すべきかを計画を立て、話す順序を考えるべきだ。

 友と話すにしても、何を伝えたいか、何を分かってもらいたいかを考えて、話す順序を計画しよう。

 子供と話すにしても、相手の成長レベルを考えて、話をしていく順序を考えよう。

 

面談時間は命の燃焼。二度と来ない時間。

 その時間をその人と会うことに使ってしまうと、此の世ではもう会えないもう一人が生まれる。その時間に存在する自分も、二度と会えない時間を過ごす自分なのだ。次に会う時は、何方かがもっと成長していて、もう会ってもらえないかもしれない。また新型コロナに罹り死ぬかもしれない。だから時間は命なのだ。祈りを込めて命を使うべきだ。そういう覚悟をして人と会うべきだ。

 人と会うとは、自分と相手の命を使っての闘いである。人生で使える時間は有限である。ましてや還暦を過ぎた人、古希を超えた人との会話なら、貴重な時間である。今日が最後の面談かもしれない。だから、人と会う時に、全力で相手と向き合わないと、相手に失礼である。だからこそ、どういう計画で、今回はどういう話をするか、会う前にその計画を立てないと、命の会話が死んでしまう。

 

命の燃え尽き

 還暦を過ぎれば、残された時間は少ない。何時お迎えが来ても不思議ではない。サムソンの総帥李健煕も実質72歳で逝った。突然の急性心筋梗塞である。何も準備できなかったようだ。大垣共立銀行の土屋嶢会長も新型コロナに罹り、突然に74歳で逝った。アップルのジョブズは56歳で逝った。

 おカネがあっても長生きできるわけではない。彼らは世界最高の医療を受けても、簡単に死んでいる。その事例を立て続けに見せつけられた。自分の歳を考えると人ごとではない。人生の大原則は、人はいつか、必ず死ぬのだ。

 私が前職で一緒に仕事をした仲間の多くが定年前に死んだ。還暦後2,3年で死んだ仲間も多い。その数は24人にも上る。ビジネス戦争の犠牲者である。今なら新型コロナ禍で、仕事を失い、路頭に迷い、自殺するかもしれない。人の命は、明日が分からない。

 だから、その貴重な時間を使った面談中に、「勝手に(かけてきた相手は状況が分からない)」かかってきた携帯電話に、無頓着で出るのは面談相手に無礼である。命に対して無礼である。面談中にスマホで株式欄を見るなど、言語道断である。相手は何も言わないが、相手に閻魔帳には、怖しいコメントが記載されている。今後の付き合いにも影響が出るだろう。私はそれで相手を評価している。

 命の大事さを考え、面談の計画さえあれば、そんなことにはなるまい。

 

人生工場

 人生とは、人間学の壮大な実験工場なのだ。人生の愚行を頻度分析、回帰分析、分散分析、実験計画法で、最適解を求めよう。心理分析で、自分と他人の行動を予見しよう。そうすれば自分は、人よりも優れた人生占い師にもなれる。私はそうしている。私は人生工場の保守管理室長である。

 

天気予報

 行き当たりばったりの人生よりも、事前に、実行する時間の10%を計画に充てれば、正否の予想が出来て、失敗の率も減る。未来は自分で予想して、自分で創ればよいのだ。事前に予想される失敗の元を絶てば、愚かに時間を浪費しなくて済む。相手の心理を読んで行動すれば、良い結果が得られるはずだ。危機管理にもなる。

 偉人の自伝や伝記を読めば、その軌跡が分かる。偉人の失敗を他山の石としよう。

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  馬場恵峰書

 

2020-11-24 久志能幾研究所通信 1835  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月23日 (月)

「Go To トラブル」でグリーン車がレッドカーに(感染拡大危険)

 

 先日の金曜日、馬場恵峰師のもとに今度出版する書の打ち合わせに行ってきた。新型コロナ禍を避けるため、平日で空いているはずのグリーン車を利用したら、GO TO トラブルになってしまった。

 この原因は、Go To トラベルで大勢の人が動き出し、グリーン車がほぼ満席になる事態となったためだ。

 

グリーン車が満席状態

 米原から新幹線こだまに乗ったら、グリーン車がほぼ満席である。団体さんが乗っていて、その中の子供が騒ぎ、動き、おしゃべりがうるさい。まるで自由席車の混雑である。静かに思索をしたり、仕事をする邪魔になるのだ。高いグリーン料金を払っている意味がない。

 

飛沫感染の危険性

 子供だから、唾の飛沫防止に注意を払う気はないようだ。子供はマスクなどしていない。団体さん旅行の為か、お喋りする人が多い。その団体さんは京都で降りて行った。それから客席が空いたのでほっとした。

 ところが博多から在来線特急「かもめ」に乗ったら、グリーン車がほぼ満席である。いつもは数人しか乗っておらず、ガラすきなのに想定外である。幸い、「かもめ」では、子供もいなくて、お喋りをする大人もいなかったのでほっとした。

 

間違った政策

 GO TO トラベルでは特定の業者だけが潤っている。しかし世間全般は、新型コロナウイルスの影響で景気が落ち込み悲惨な経済状態である。

 その中で実施されているGo To トラベルは、まるで昔の民主党が実施した高速道路無料化のような愚劣な政策である。却って国民に迷惑をかける。それでは景気は回復しない。新型コロナウイルス対策で、ルールを守り、移動を自粛している人が損をして、「旅行しなければ損だ」と新型コロナ菌をばらまくような行動をしている人が恩恵を受けている。Go Toトラベルは、正直者がバカを見る政策である。

 

予約が困難、手続き煩雑、融通性無し

 私もこの恩恵を受けようと申し込んだら、ホテルが満室でGo Toトラベルの予約が取れない。ゴーツーは、ホテルとJRがセットでないと申し込めないのだ。

 後日、ホテルの空きを確認して、申し込んだが、手続きが面倒で、旅行会社への往復を含めて1時間ほど無駄な時間を使わされた。またそのチケットは、変更がきかず、乗り遅れれば、全てパーとなる。「絶対に乗り遅れないでください」と旅行会社に念を押された。何かおかしい。

 また経路も大垣から米原経由にはできず、一度逆方向に戻って、名古屋からの切符しか手配ができない。役人のやる政策は、抜けばかりだ。

 

サービス低下

 またサービスが売りものの超有名な旅館・加賀屋でも、ゴーツーで客が殺到して、仲居の手が回らず、サービスが低下しているという。先日、それを楽しみに北陸の加賀屋に宿泊した知人ががっかりしていた。

 私は手配時間がもったいないし、デメリットが大きすぎるので、今後、Go To トラベルは使わない予定である。これはGO TO トラブルである。

 

正しい景気対策

 政府がやるべき正しい政策は、減税である。政府はリーマンショック級の事件が起きれば、増税をしないと言っていたのに、リーマンショック以上の新型コロナ禍でも、政府は増税を撤回しない。まるで強盗並みの詐欺である(GO TO 詐欺)今必要な政策は、ゴーツーではなく、減税である。減税なら、国民に全てに恩恵が行き渡る。

 アメリカが景気が良くなったのは、トランプ大統領が減税政策を推進したからだ。それに対して日本は増税である。だから日本の景気が回復しない。増税を公約のバイデンが大統領になったら、どうなることやら。

 先の特別給付金10万円でさえも、不景気に関係ない公務員にも、それが支給される。大垣市長でさえ、それを辞退もせず、その金を受け取っている。小川敏の政策で、大垣市民へのコロナ禍の援助は、海津市の10分の1である。

 こんなレベルの役人がのさばるから、景気が少しも回復しない。罪務省の役人が利権を守るために、増税しているようだ。こんな正しい経済政策をやれない財務省だから、日本の失われた30年が過ぎた。我々にできることは、選挙で正しい人に投票するしかない。

 大垣市民は、小川敏に大垣市長として信任投票もしてないのに、無投票当選に持ち込まれてもちこまれてしまい、19年間も市長の座に居座ることになり、結果として大垣市が没落した。

 

野党の低落

 今の野党に投票したら、もっと酷いことになるので、それが出来ず、悩みである。今日のニュースでも、蓮舫議員が、サクラの会の追及を飽きもせずしていたが、それなら自身の二重国籍問題はどうなったのだ。二重国籍状態で議員になったのは、重罪である。それが曖昧になっている野党である。

 また野党も野合のように分裂・合併を繰り返している。あろうことか共産党と連携する野党など、正気の沙汰ではない。共産党が認められているのは、先進国中で日本だけである。他の国では、共産党の設立が法律で禁止されている。天皇陛下の首を切るのが最終目的の政党に投票する人間がいるので、日本がおかしくなる。

 

2020-11-23 久志能幾研究所通信 1834  小田泰仙

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2020年11月22日 (日)

今日のやるべき事項を業務リストに記載  磨墨知44

(実行し終わったら消す喜びを)

 

最初に計画ありき。

朝一番に本日やる最重要3項目とその優先順位づけを計画する。

優先順位の高いものに80%の精力を集中する。

第2第3優先度の項目はやらない。

いつも「80対20の法則」を使用する。

 

・FMWDの順で計画を建てる。

 将来、1年後、1か月後、1週間後、明日の夢に対して、当日やるべき事はなに?

 死を前提として、10年後の今日の計画は曖昧かもしれないが、短期の目標に対して、1年後の計画は立てられる。その日の為に明日、やることは何なのか?

 

死の準備

 将来、自分の死の日は確実にやってくる。その前にやるべきことは何なのかを考えよう。死とは、人生で最大のプロジェクトである。自分がこの世に生まれた使命を考えよう。何のためなら死ねるのか。それを考えれば、定年後、起きたけど一日中やることがなく、日々徘徊することもなかろうと思う。定年後の人生は、やることがなければ、認知症へまっしぐら。

 

先約優先

 予定表は先に決めた人との約束や行事が最優先だ。先約優先、先入れ先出しである。だから私は先に「死亡」の予定を38年後?に設定した。仏さまが、後からこの日が臨終の日と言ってきても、「先約があるからダメ」と断るつもりである? 一生に一回くらい、仏様に我儘を言おう。これは一生に一回だけ。そのためには日頃の精進という積善の修行が必要。

 早く人生を諦めた人が早く逝く。

 

・毎日,人生目標のリストを見直す。

 目標達成を促進するために毎日実施すべき行動を文書化する。

 方策を具体的に明確にする。

・一ヵ月に一度、人生目標のリストを修正する。

・小さな仕事をしているときでも,頭の中に長期的な目標を入れておく。

 長期目的達成のために、一日2つ項目ができれば御の字ではないか。

 日々の小さな積み重ねが、10年後を作る。

・手帳で管理するのでなく、その日の計画表を作成する

 そのためには普通の手帳では不十分で、自分用の計画表を作る。

 他人が作った予定表フォーマットでは、その人に支配されてしまう。

 手帳では、手帳に書いた時点で過去の話となってしまう。

 今、今朝の状況で今日なにをするかの計画立案をする。

 既成の予定表では、自分の成長によりその器が合わなくなる。

 自分でフォーマットを作成して、どんどん改良していくこと。

 

2020-11-22 久志能幾研究所通信 1833  小田泰仙

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2020年11月21日 (土)

「鬼」の貴方が「神」になるとき

 男でも貴方は「鬼子母」?

 己は煩悩にまみれた108人の子供の親である。欲望、煩悩という我儘な子供達である。己はそれを溺愛している。

 その中に、酒の好きな子がいる。自分の分身である酒好子である。タバコが好きな子がいる。喫煙菌子である。妻以外の女に夢中になる自分と瓜二つである。妾好子である。徘徊放浪が好きな徘徊孤子が、自分を誘惑している。だから家でゆっくりと思索・瞑想などしていられない。

 最悪の鬼とは、子供を溺愛する鬼親である。子供を厳しく育てないと、大人に成長しない。その典型事件が三田佳子や「みのもんた」の子供が犯罪を犯し、更生せず再犯を繰り返したことで証明される。

 己は、その煩悩の子達の一人でもいなくなると気が狂う。禁断症状で半狂乱になる。たかがタバコではないか、酒ではないか。それが我慢できないなのだ。その己を人は「鬼子母」という。

 

「鬼子母神」伝説

 鬼子母は、500人の子を持つ鬼母である。鬼子母は、500人の子を養うため、栄養を付けねばならぬ。鬼子母は、人の子をさらい、その肉を食うのが哀しい性となっていた。人々は鬼子母を鬼女として恐れていた。街角や村から子の遊ぶ姿が消えた。まるで新型コロナ禍と同じである。

 お釈迦様は、鬼子母を救いたいと考え、鬼子母が一番可愛がっている末っ子を密かに連れ去った。鬼子母は、半狂乱になり世界中を7日間駆け抜け回って探したが発見できず、悲しみのあまりやつれはてた。思い余って、釈尊の前に身を投じて救いを求めた。

 釈尊は、冷たく言い放った。「あなたには、500人もの子がいるではないか。一人ぐらいどうでもいいではないか」と。

 鬼子母は、「何人いようと、最愛の子を失った悲しみは何物にも代えがたい」と泣き叫んだ。

 釈尊は静かに諭された。「沢山の子供の中の一人を失っても、それほど悲しいのに、人の親からたった一人しかいない子供を、あんたは奪い、その肉を食ったのだ。あんたのせいで、多くの人が悲しみのどん底に突き落とされた。子供を失った親の悲しみが分かるか?」

 我が悲しみを通して、人の悲しみが分かり、その悲しみの原因を作った自分の罪の深さを思い知った鬼子母は、泣き伏した。

 懺悔の涙に洗われた鬼子母に、釈尊は愛児を返し、人肉と同じ香りや味がするという石榴の実を与えて、子を守る母なる神として生きる道を諭された。

 もし鬼子母に、人の子を喰うという悲しい性がなければ、仏に出会えなかったであろう。もし鬼子母に、我が子を失うという苦しみに導かれなければ、佛に出会うこともなかったであろう。仏に出会えなければ、子供喰いの鬼母で終わるところを、釈尊の慈悲の方便で、鬼子母は悲しみと苦しさを通して佛性に目覚めて、子供の守り神へと変身した。

 法華経において鬼子母神は、法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。

 この項、青山俊董著「もう一人の自分への旅」、wikipedia「鬼子母神」より編集、加筆。

 

鬼の悟り

 私も飽食、甘党、ワークホリックという悪癖がなければ、癌になることもなく、健康に目覚めることもなかった。私もオダ仏教経典「健康読本」?を書くこともなかった。病気になったのは、仏様のお導きである。

 世の中には、酒やタバコを断つのが死ぬほど辛く思う人もいる。「禁煙など簡単だ」と、何度も何度も禁煙、禁酒を誓うだけする人が多くいる。釈尊から見れば、他に多くの楽しみがあるので、一つくらい断っても、問題ないではないかと。それは、自分が病気になり、余命宣告されないと、分からないのだ。その時になって「金はいくらでも出すから助けてくれ」と言っても遅いのだ。

 酒やタバコは、己の肝臓や肺の細胞を食い漁っている鬼子母である。それが己である。己は理性ある人間なのに、その行動は鬼子母となんら変わらない。

 アルコールは食物と違い、肝臓で薬物と同じ工程を踏まないと、分解されない。その分解の時、肝臓の細胞が傷つくが、細胞分裂で再生されて元に戻る。しかし酒量の限度を超えると、肝臓の細胞が細胞分裂の許容回数を超え、再生不能となり死ぬ。それが肝硬変である。

 肺の細胞は、他の組織と違い、再生不能である。煙草で死んだ肺細胞は、二度と再生しない。煙草は己の肺細胞を喰う鬼子母である。

 己は理性ある霊長類として、煩悩を適宜に抑えて生きたいもの。神にならなくてもいいから、人間として精神の成長を遂げたい。神になってしまっては、人ではないので、「人でなし」になってしまう。

 末期ガン宣告された土壇場になって「金はいくらでも出すから助けてくれ」では、鬼が笑う。一刻でも早く「鬼子母」の煩悩から目覚めれば、一刻早く、体の細胞への負荷が減り、一刻の延命となる。

 

「飽食鬼」から神に変身

 私は癌になり、仏様から余命宣告をされた。私は心を入れ替えて「飽食鬼」から「知足富神」(足るを知り、富める神となる)に変身した。鬼が云うと書いて「魂」である。魂が昇華して神になる。それがお陀仏教のご神体?である。人間様から出世した神様だから、酸いも甘いも知る人間味あふれる神様だ。

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 松本明慶大仏師作「鬼子母神」 一木造り  『慈』小学館より

 手に持つのは石榴(ざくろ)の実

 本図は、松本明慶仏像彫刻美術館より転載許可を得ています。

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         馬場恵峰書

2020-11-21 久志能幾研究所通信 1832  小田泰仙

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2020年11月20日 (金)

先例を考慮せず  磨墨知43

 

 自分の頭で事態を判断するから創造的な仕事(時間)を創れる。前例に縛られるから、無駄な時間を取られる。生きるとは世に残す仕事をすること。仕事とは、時を刻む命と競うから生まれる。良き競合相手(時間と前例)を超越して闘うから、良き仕事が生まれる。競合相手を神様にして闘おう。競合相手を意識しなくなったら、認知症である。競合相手に忖度したら、役人根性に成り下がる。

 創造に挑戦する人間として、誰もやったことのないことを創り出そう。誰もやったことのないことをやるのが、最大の時間創造である。

 小渕前首相は在任中、「前例はどうなっているか」と一度も秘書官に尋ねなかった。小渕前首相は、「ブッチフォン」という「軽態電話?」を開発した。小渕さんは、構えず、囚われず、拘りなく、電話をかけまくっていたという。

 

2020-11-20  久志能幾研究所通信 1831  小田泰仙

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電話セールスへの怒り

 

 先日、19時頃のくつろいでいた時間にセールス電話がかかってきた。電気料金を安くする契約という電話セールスである。今時、自宅への電話セールスなどは、時間泥棒の暴力である。

 曰く、「電力料金を安くするために、今の契約内容を教えてください」である。

 私は「バカヤロー」と思い切り電話口で怒鳴って電話を切った。

 馬鹿野郎!、何で俺が貴様の金儲けのために、俺の命の時間を削り、赤の他人のお前に電気の契約内容を教えなければならないのか。

 前回も同じような電話セールスがあり、色々と質問をされ、それに答えてから、自宅がオール電化であることを告げると、「それなら今のままが一番安いですね」である。人を馬鹿にするな、である。

 

日本の未来のために

 この種の電気セールスの電話が、月に一度か2か月に一度くらいの頻度で掛かってくる。電気販売の自由化で、電気販売会社が氾濫しているようだ。

 時代は激変している。今時、経営者が従業員に電話セールスを強いる会社など、さっさと辞めた方が将来のためだ。こんなレベルの低い経営者がいるから、日本の第三次産業の生産性が低いのだ。日本の成長が停滞しているのだ。自分や子息が下記の仕事についているなら、将来の為に転職が望ましい。それが日本の未来の為に望ましい。

 

10~20年後になくなる仕事トップ15

1 電話販売員

2 不動産登記の審査・調査

3 手縫いの仕立て屋

4 コンピューターを使ったデータ収集・加工・分析

5 保険業者

6 時計修理工

7 貸物取扱人

8 税務申告代行者

9 フィルム写真の現像技術者

10 銀行の新規口座開設担当者

11 図書館司書の補助員

12 データ入力作業員

13 時計の組立・調整工

14 保険金請求・保険契約代行者

15 証券会社の一般事務員

  月刊誌『プレジデント』の記事より

 

AIと勝負

 自分が社会の為に生み出す付加価値は何かを考えよう。機械やAIに置き換えられない能力を付けよう。そうしないと失業する。

 自分が今の会社を首になったら、新たに雇ってくれる会社があるだろうか、自問しよう。それが危機管理である。今のコロナ禍でリストラが進んでいる。他人ごとではないのだ。

 

2020-11-20  久志能幾研究所通信 1830  小田泰仙

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2020年11月19日 (木)

アイデアとは人生の時間を稼ぐため  磨墨知42

 

 われわれが薬を飲むのも、ただ単に病気だから飲むというけれども、もっと深刻に考えてみると、坊さんの手に渡るまでの時間を長くしようと思って飲んでいるだけだ。その薬は何かというと、アイデアである。人間の考えたアイデアを飲んでいるということだ。そのアイデアによって、われわれは時間を稼げるという確たる証拠が、ここに一つ出てきているわけだ。アイデアによって我々の生命を延ばしているのだ。アイデアによって時間を稼ぐことで、(それだけ余計に)仕事ができるのである。

 本田宗一郎談郎・他著『本田宗一郎の「人の心を買う術」』(プレジデント社1991)

 

 我々が病院に行くのは、死ぬまでの時間を伸ばすためである。しかしその医師が単なる対処療法の治療しかしないのでは、逆の結果となる。病気になった陰因を探り、根本治療をしないと、人生時間は稼げない。

 今の医学界は細分化され過ぎていて、木を見て森を見ない傾向がある。病巣は摘出し、病気は治りましたが、患者は死にました、が現代医学である。病気になった真因を考えなくて、アイデアも時間も生まれない。真因を探るのは、アイデアを生む基本である。

 

生きる目的

 なぜ人生時間を伸ばしたいのか。自分の与えられた使命を全うするためだ。病気を治す目的が曖昧だから、何も考えず対処療法に身を任せるのだ。患者が病気を真剣に考えないから、病気が治らない。医師の責任ではないのだ。

 使命を完璧に全うするには、多くの時間が必要だ。だから凡人の我々は健康管理をして長生きすべきだ。単に長く生き永らえているだけでは、生きている意味がない。それは、出港しても湾内をさ迷って浮かんでいるだけのボートの人生だ。人と生まれた以上、エンジン付きの大船として、湾を出て大海に向けて航海すべきだ。仏様は、我々に霊長類として大きな頭脳を与えてくれたのだ。その目的は、考えることだ。人生の生きる目的を考えることだ。

 痴呆的なTV番組に流され、酒を飲み、飽食を求め、ギャンブルに溺れ、女を漁り、魚釣りで他の生命をいたぶり、快楽に身を任せて生きても、人生に何の付加価値も生まない。だから現代は、定年後に認知症に罹る人が激増している。世の中に付加価値を与える仕事をしないと、生き甲斐が無くなるのだ。

 人間として生まれた以上、世のためになる事を創造しないと、生きる意味がない。我々は、犬猫ではないのだ。

 

2020-11-19  久志能幾研究所通信 1829  小田泰仙

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2020年11月18日 (水)

一生涯を貫く仕事は無限の時間を与えてくれる  磨墨知41

 

 仕事のないほど辛いものはない。仕事は社会とのつながりであり、社会への貢献である。奪うよりも、与えるほうが喜びは大きい。仕事とは人生そのものである。

 馬場恵峰師は12代続く窯元を43歳で廃業し、それから書家として50年間、仕事を続けておられる。94歳の現在も現役である。

 

長生き

 長命の師を持つことは、時間の大事さを実感する。長生きこそ,天才でない凡人がやれる最大の時間創造である。そのために健康管理である。健康管理こそ、時間創造である。私はオダ仏教教経典「健康読本」の作成の為、データ集めに余念がない。

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  馬場恵峰書

 

2020-11-18 久志能幾研究所通信 1828  小田泰仙

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2020年11月17日 (火)

老いの器

 

 老いとは、仏様ご先祖様から歳を頂くこと。還暦という歳を頂けずに、鬼門に入る人も数多い。老いとは、経験を積むことを意味する。その経験という智慧を己の器に入れるのである。痛い思いをして得た経験を智慧のレベルに昇華しないと、同じ過ちを死ぬまで繰り返す。それは歳の取りがいのない醜態である。

 

 老いとは、練れる道を歩くこと。流行に惑わされない思想を深めること。中国・ローマの歴史を紐解くと、2000年前の先人と現代人の行動に差などはない。人は人間的に少しも進歩していない現実に愕然とする。人は生まれれば、オールリセットされる。それ故、ゼロから学んで自己鍛錬をして成長するしかない。その学びを放棄して、年よりがいのない人が多い。TVや流行に流され、練れない日々を送り、認知症への道に迷い込む人が多い。

 

 老いの智慧とは、敏鈍の使い分けができること。我儘も言え、都合が悪くなったら惚けの振りをすること。息子が「グレてやる」とほざいたら、「それなら俺は惚けてやる」と逆に脅す智慧を身につけること。これは青二才では言えない台詞。

 

 正しい老いとは、考え方が充実していく過程である。自己の人生を振り返り、これでいいのかと自他に刃を向けて問う生き方である。それが「心」「刃」を向ける「忍」という文字である。そこから「認」という文字ができた。己の愚かさをしみじみと認められる歳になるのが老いである。

 現代社会は、人にばかり刃を向けて、己には刃を向けない人があまりに多すぎる。年よりがいがない。それを「年寄り害」という。今の野党がそれに値する。

 

 醜態な老いとは、自分に刃を向けず、非難ばかりの言動をすること。理想論で実際に政治を動かしたら、選挙公約が青二才の言動であったことが露呈したのは民主党政権であった。自民党を非難すると、すぐブラーメンで自分の身に降りかかるばかりである。

 反対ばかりで、日本を貶めることしかしなかった社会党は、行き詰まって、名前を社民党に変えたが、結局先の総会で、議員一人となって消滅した。おたかさんは北朝鮮の拉致問題を知っていても、知らんふりをした。その罰があったたのだ。

自衛隊反対と言っていた富市氏は、首相になったら、方針を豹変させた。

 

 けじめの老いとは、引き際を知ることである。人望もなく、行政手腕もなく、ただ市長の座に居座るだけの大垣市長では、大垣が没落して当然である。今だかって老いなかった人はいない。生老病死を悟り、後進に託して身を引いてこそ、美学である。大垣を没落させた小川敏は醜態である。

 

 老いとは、若き人を叱る人徳の力の獲得である。己が若造で同じ言葉で、若い人を叱っても反感を持たれるだけ。しかしそれ相応の歳を頂くと、若い人を叱っても反感を買われることが少なくなったことを実感する。若き人を叱るのは年長者の務めである。それは己の経験を若い人に伝えること。

 

 人は必ず老いる。老いて人生を振り返ったとき、素晴らしい人生ではなかったが、素晴らしく楽しむ活き方であったと思えるようにしたい。

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2020-11-17 久志能幾研究所通信 1827  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年11月16日 (月)

「浦島太郎物語」とは我が人生物語

 

 浦島太郎が龍宮城で、乙姫様から酒池肉林の接待を受け、楽しく時間を過ごすと、時間が無為に超特急で過ぎていった。童話では、「鯛や平目の楽しい舞い踊り」と書かれるのは子供の教育上で、ぼかした表現である。実際の大人な世界では、酒池肉林、キャバレー遊びの事で、人生の欲望に満ちた遊びの世界のことである。

 人によっては、家族団らんで過ごした何気ない日々の生活が、最期の時を迎える時、それが「鯛や平目の楽しい舞い踊り」の日々であったとなるのだ。平穏無事な生活とは贅沢極まりない幸せなのだ。ある時、親が倒れて、その団らんのひと時が、地獄の日々に暗転する。実際はその平穏無事な日々が極楽であったと後になってから回顧するのだ。毎日の贅沢三昧の食事に飽きて、お茶漬けが御馳走と感じる時が、贅沢な日々の暮らしが「鯛や平目の楽しい舞い踊り」であったと悟ると同じである。

 

大垣市長の立場なら

 己が大垣市長の立場なら、部下や出入りの業者が自分の「市長という名の権力」に平伏し、おべっかいを使い、自尊心をコチョコチョとくすぐるので、己はルンルン気分で過ごす。それが、「鯛や平目の楽しい舞い踊り」の日々なのだ。自分が市長でなければ、人気もないし、人望もないので人が寄り付かない。だから乞食と市長は3日やれば辞められえない。

 その19年間に時間は無為に過ぎた。浦島太郎物語のように、20年目で目が覚めて玉手箱を開ければ、故郷の大垣には死に絶えた大垣駅前商店街が立ち並んでいる。大垣駅前の亀の池には、死んだカメがミイラのように並んでいる。そのカメ(華名)が、自分を龍宮城の大垣市長の座に運んでくれた。市民の多くは東大出というカメ(華名)に騙されて投票した。それは名ばかりの死んだカメであった。過去の知識の記憶力だけで生きてきたカメであった。知識だけでは現代経済には通用しない。現代の激変する社会で、都市の経営には知恵が必要だ。今の市長には経営能力がない。恨めしや夢の大垣物語である。

 母の教えの玄関に造花のように死んだもの(生なきもの)を飾ると、その家は衰退する」を私は信じている。造花には精気が感じられないのだ。造花から陰気を受ける。造花を見て家の主が元気になるわけがない。だから私は自宅玄関に造花を絶対に置かない。

 大垣市は、その生なき置物を大垣駅前のカメの池に陳列している。縁起でもない。恥さらし、不気味である。置物のカメを置いた理由は、「生きた亀は、その管理に金がかかる」という大垣市役所の言いぐさである。それは市の職員が吝嗇な市長の事を考えて忖度した結果である。だから大垣は没落した。

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  大垣駅前のカメの池の置物   2019年1月18日撮影

終着駅近くで

 ふと気が付いて玉手箱を開ければ(定年後や親が死んだ後、ふと人生を振り返ると)、老いた醜い自分が鏡に写る。目はかすみ、髪の毛は薄く、シミが増え、頭は回らず、呂律も回らない老いた自分を発見するのだ。己の歳を考えると、平均寿命まで、いくばくもない。親の死という最後の教えが「あんたも何時か死ぬのだよ。命と時間を大事にしなされ」であった。

 人生の最盛期を酒池肉林に埋没した人生で、何が残ったのか。親はとうの昔に死に、妻が去り、家はローンが破綻して競売にかけられ、子供が己を避け、仲間も多くが死に、竹馬の友も死んだ。回りの人たちは自分から遠ざかっていく。それが浦島太郎の物語の教えである。他人ごとの物語ではない。浦島太郎の物語は子供用ではなく、人生をさ迷う愚かな大人を諭す寓話なのだ。

 

桃太郎の鬼退治物語

 桃太郎の鬼が島の鬼退治物語は、人生の上り坂で活動する昼の物語である。鬼とは自分の劣等感、僻み、マイナス思考、煩悩である。己の内に潜むもう一人の己(鬼)を退治すれば、人生が開けるとの教えである。

 

昼と夜の物語、プラスマイナスゼロ

 浦島太郎物語は、人生の夜の物語である。自然界では、プラスがあればマイナスがある。人生でも、どこかで落とし前を付けないと、物理学上で、計算が成り立たない。宇宙根源の理である。だからこの二つの物語は、多くの教訓が示唆されている。俗世間を知らない子供には理解不能な寓話である。

 

玉手箱を開けて

 浦島太郎の役を演じて、玉手箱を開けてしまったら、人生の終焉である。私はその玉手箱をうっかり開けてしまって、あわてて閉めた。しかし玉手箱から出た煙の直撃を受けて(?)癌になってしまった。しかし冷静にその煙の成分を調べて(真因を調査して)、生活習慣、心を入れ替えて、なんとか今を生きさせてもらっている。神仏に感謝です。

 

2020-11-16 久志能幾研究所通信 1826  小田泰仙

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