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2020年11月21日 (土)

「鬼」の貴方が「神」になるとき

 男でも貴方は「鬼子母」?

 己は煩悩にまみれた108人の子供の親である。欲望、煩悩という我儘な子供達である。己はそれを溺愛している。

 その中に、酒の好きな子がいる。自分の分身である酒好子である。タバコが好きな子がいる。喫煙菌子である。妻以外の女に夢中になる自分と瓜二つである。妾好子である。徘徊放浪が好きな徘徊孤子が、自分を誘惑している。だから家でゆっくりと思索・瞑想などしていられない。

 最悪の鬼とは、子供を溺愛する鬼親である。子供を厳しく育てないと、大人に成長しない。その典型事件が三田佳子や「みのもんた」の子供が犯罪を犯し、更生せず再犯を繰り返したことで証明される。

 己は、その煩悩の子達の一人でもいなくなると気が狂う。禁断症状で半狂乱になる。たかがタバコではないか、酒ではないか。それが我慢できないなのだ。その己を人は「鬼子母」という。

 

「鬼子母神」伝説

 鬼子母は、500人の子を持つ鬼母である。鬼子母は、500人の子を養うため、栄養を付けねばならぬ。鬼子母は、人の子をさらい、その肉を食うのが哀しい性となっていた。人々は鬼子母を鬼女として恐れていた。街角や村から子の遊ぶ姿が消えた。まるで新型コロナ禍と同じである。

 お釈迦様は、鬼子母を救いたいと考え、鬼子母が一番可愛がっている末っ子を密かに連れ去った。鬼子母は、半狂乱になり世界中を7日間駆け抜け回って探したが発見できず、悲しみのあまりやつれはてた。思い余って、釈尊の前に身を投じて救いを求めた。

 釈尊は、冷たく言い放った。「あなたには、500人もの子がいるではないか。一人ぐらいどうでもいいではないか」と。

 鬼子母は、「何人いようと、最愛の子を失った悲しみは何物にも代えがたい」と泣き叫んだ。

 釈尊は静かに諭された。「沢山の子供の中の一人を失っても、それほど悲しいのに、人の親からたった一人しかいない子供を、あんたは奪い、その肉を食ったのだ。あんたのせいで、多くの人が悲しみのどん底に突き落とされた。子供を失った親の悲しみが分かるか?」

 我が悲しみを通して、人の悲しみが分かり、その悲しみの原因を作った自分の罪の深さを思い知った鬼子母は、泣き伏した。

 懺悔の涙に洗われた鬼子母に、釈尊は愛児を返し、人肉と同じ香りや味がするという石榴の実を与えて、子を守る母なる神として生きる道を諭された。

 もし鬼子母に、人の子を喰うという悲しい性がなければ、仏に出会えなかったであろう。もし鬼子母に、我が子を失うという苦しみに導かれなければ、佛に出会うこともなかったであろう。仏に出会えなければ、子供喰いの鬼母で終わるところを、釈尊の慈悲の方便で、鬼子母は悲しみと苦しさを通して佛性に目覚めて、子供の守り神へと変身した。

 法華経において鬼子母神は、法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。

 この項、青山俊董著「もう一人の自分への旅」、wikipedia「鬼子母神」より編集、加筆。

 

鬼の悟り

 私も飽食、甘党、ワークホリックという悪癖がなければ、癌になることもなく、健康に目覚めることもなかった。私もオダ仏教経典「健康読本」?を書くこともなかった。病気になったのは、仏様のお導きである。

 世の中には、酒やタバコを断つのが死ぬほど辛く思う人もいる。「禁煙など簡単だ」と、何度も何度も禁煙、禁酒を誓うだけする人が多くいる。釈尊から見れば、他に多くの楽しみがあるので、一つくらい断っても、問題ないではないかと。それは、自分が病気になり、余命宣告されないと、分からないのだ。その時になって「金はいくらでも出すから助けてくれ」と言っても遅いのだ。

 酒やタバコは、己の肝臓や肺の細胞を食い漁っている鬼子母である。それが己である。己は理性ある人間なのに、その行動は鬼子母となんら変わらない。

 アルコールは食物と違い、肝臓で薬物と同じ工程を踏まないと、分解されない。その分解の時、肝臓の細胞が傷つくが、細胞分裂で再生されて元に戻る。しかし酒量の限度を超えると、肝臓の細胞が細胞分裂の許容回数を超え、再生不能となり死ぬ。それが肝硬変である。

 肺の細胞は、他の組織と違い、再生不能である。煙草で死んだ肺細胞は、二度と再生しない。煙草は己の肺細胞を喰う鬼子母である。

 己は理性ある霊長類として、煩悩を適宜に抑えて生きたいもの。神にならなくてもいいから、人間として精神の成長を遂げたい。神になってしまっては、人ではないので、「人でなし」になってしまう。

 末期ガン宣告された土壇場になって「金はいくらでも出すから助けてくれ」では、鬼が笑う。一刻でも早く「鬼子母」の煩悩から目覚めれば、一刻早く、体の細胞への負荷が減り、一刻の延命となる。

 

「飽食鬼」から神に変身

 私は癌になり、仏様から余命宣告をされた。私は心を入れ替えて「飽食鬼」から「知足富神」(足るを知り、富める神となる)に変身した。鬼が云うと書いて「魂」である。魂が昇華して神になる。それがお陀仏教のご神体?である。人間様から出世した神様だから、酸いも甘いも知る人間味あふれる神様だ。

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 松本明慶大仏師作「鬼子母神」 一木造り  『慈』小学館より

 手に持つのは石榴(ざくろ)の実

 本図は、松本明慶仏像彫刻美術館より転載許可を得ています。

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         馬場恵峰書

2020-11-21 久志能幾研究所通信 1832  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

人は神になってはいけない。
それは”人でなし”だ。
とどこかで聞いたのですが…

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