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2019年7月

2019年7月22日 (月)

大垣市の葬列(1/6)~市制100周年記念行事の痴濫

 大垣市制100周年記念行事は、低レベル、それでいて金遣いの荒い行事が氾濫した。小川敏市長は、金勘定もできない「宇宙人」かもしれない。この行事は大垣と大垣市長の終わりを象徴する「大垣市の葬列」であった。

 

葬列の意味

 どんなものにも意味がある。葬列とは、「生あるものは必ず死を迎える」を認識して、自分のこれからの生き方に自省を促す儀式である。親が子供に施す最期の教えが、親の死である。師が弟子に与える最期のレッスンが、死である「あんたも何時かは死ぬのだよ。悔いのない人生を送りなされ。私の死から学べ」と葬儀を通して、親や師は自分に語り掛ける。

 

大垣の死

 大垣市制100周年記念行事は、「OOGAKI WAY」の「基軸」で考えると、全て基軸に反している。小川敏市長の前の歴代は、基軸に沿った市政であったが、それが基軸に反した市政になれば、地獄に堕ちるしかない。小川敏市長は「大垣が終わってしまった」ことを葬列で祝ったのだ。小川敏市長が大垣の知性、品性、節約心、文化心、芸術心、歴史認識力、徳力、羞恥心、も同時に葬列で葬ったのだ。

 この行事は、税金の無駄遣いと、業者への金のバラマキと、小川敏市長の自己満足だけの行事であった。なにが付加価値として、大垣の100年の歴史に残ったのか。後世の大垣人から、笑われるだろう。それに対して、小川敏市長が、全く自覚がないので救われない。

 

市長の寿命

 常識的に、市長の任期は、4年2期である。それが小川敏市長の場合5期目で、現在18年目で、長すぎるのである。いわば通常の人の定年が60歳として、20歳から勤めて40年働くとすると、一期20年で計算して2期働くと同じである。

 小川敏市長の場合は、20年×5期も勤めると、120歳まで働くと同じである。現在18年目だから118歳と同じである。もう市長としての寿命は来ている。認知症が始まったのかもしれない。寿命(任期)が長すぎると老化して、腐臭が出て、内臓の癒着が心配される。それは生物学の常識である。

 

大垣市長のミッション

 市長のミッションを「OOGAKI WAY」で考えると、下記である。それが小川敏市政では全く機能していない。

 市民を幸せにする。 

 市民に安心・安全の生活を提供する。

 市民の命と財産を守る。

 市民の未来のために子供たちを育成する。

 大垣市の命を永らえさせる。

 大垣経済を活性化させて、日本経済に貢献する。

 大垣の文化を高めて、日本文化の向上に寄与する。

 大垣市の歴史・伝統を守る。

 大垣市の付加価値を高め、活性化して、地価を上げる。

 

負の成果:大垣の価値下落

 大垣市民は誰も、100周年記念行事をやってくれとは頼んでいないのに、議会承認もなしに、市民のお金3億4千万円を投じて、小川敏市長は行事を強行した。それで1年間だけで、大垣の価値(地価)が0.39%(499億円)も減少する無残な結果となった。この1年だけで、大垣市民一人当たり31万円の損害である。これで18年間連続の大垣市の地価の下落である。それで大垣市全体では、総額12.9兆円の価値が消えた。それなのに、小川敏市長は地価の下落を市民には隠して、経済効果があったと誇示している。

 東大法学部出の元秀才は、老いれば駄馬に劣る存在になることを、「生から老、死」への自然界の法則で教えてくれた。俊英の医学博士でも、60歳になれば、「今、医師の国家試験を受けても、頭が老化して、とても受からない」というのが世の常識である。それが自然界の常識である。小川敏市長は今年、69歳である。

 

マル秘の葬儀会計報告

 市民税を投入して、大垣の付加価値が上がらなければ、それは無駄な行事であった証明である。実際に地価は上がらなかった。それには小川敏市長決して言及しない。またその会計報告がマル秘扱いにされるのでは、その陰で汚職行為があったと疑われても致し方あるまい。

 こんな市長の横暴がまかり通るのは、大垣が未開のへき地に落ちぶれたからだ。江戸時代は先進的な地であったが、必要な設備投資を怠たれば、時間が過ぎれば、生物と同じように老いる。民主主義も衰退する土地になる。

 以下に2018年の市制100周年記念行事での葬列の記録を記載する。

 

2019-07-22   久志能幾研究所通信No.1268  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

累計閲覧総数100,000超え 

 昨夜(2019年7月21日,22:00ごろ)、本ブログの累計閲覧総数が100,000を超えました。皆様の閲覧にお礼を申し上げます。

 2017年5月26日より本ブログを立ち上げて、786日目での記録です。ここ2,3日は、一日に1,000に近い数まで連続で数が増え続け、驚いています。

 当初は、このブログは、馬場恵峰師書の出版の紹介とその広報を目的に書いていましたが、恵峰先生の人生の言葉や松本明慶先生の言葉を紹介していくうち、書くことで、自分の生き方や人生の見直しをしている自分を発見しました。

 皆さんがこのブログを読むとは、皆さんの貴重な時間を頂いているのだと意識して、それに見合った内容を書くことを心がけています。だからその取り組みも半端ではありません。その内容に責任感を持って書いています。その内容が社会に貢献できるように心がけています。ミーハー的な内容でなく、10年後に読んでも価値ある内容を心がけています。それを読まれて、皆様の人生の付加価値が少しでも向上すれば幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。

 

2019-07-22   久志能幾研究所通信No.1267  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年7月21日 (日)

此岸と彼岸の「WAY」

 グローバル経済化のため、日本の企業が海外に現地法人を作ることが増えた。その企業が、アメリカに現地法人を作れば、アメリカ人を雇ってアメリカの企業として活動する。会社として活動するから、当然、社是も作る。日本が作ったその社是を見るとアメリカに染まらず、日本の価値観を打ち出した社是(WAY)がそこにはある。嬉しくなった。

 

日米の社是比較

 アメリカを代表とする株式会社・フォードの社是は、株主への利益還元が最優先である。それに対して日本のトヨタの現地法人それは、社会への還元が優先される。米国と日本の社是を比較すると、その差が顕著であり、日本の価値観を誇らしく思う。

 同じ日本の自動車会社でも、一時的にせよ、外国資本に乗っ取られたマツダや日産は、株主優先の社是に変えられている。株主優先の拝金主義の浅ましさを、オブラートの「ミッション」という言葉で隠しているだけである。

 

トヨタ北米法人とフォードの比較

トヨタ北米自動車会社のミッション

 1.米国の企業として地域と合衆国の経済発展に貢献する。

 2.自立した企業として従業員の安定と福利に貢献する。

 3.トヨタのグループ企業として顧客に付加価値を提供することで、トヨタ全体の成長に寄与する。

 

フォードモータのミッション

 1.フォードは自動車並びに自動車関連製品、そして宇宙、通信、金融サービスのような新しい産業での世界的リーダである。

 2.顧客ニーズに応え、ビジネスを成長させるために継続的に製品を改良し、株主やオーナーへの適切な配当を確保するのが我々の使命だ。

 

 この2つの社是を要約すると、トヨタ北米自動車会社は、「社外の利害関係者への貢献、社内の利害関係者への貢献、トヨタ全体の成長の貢献」である。

それに対してフォードは、「株主とオーナだけへの貢献」である。

 日米の会社の社是を見ると、つくづくと文化、哲学、宗教観の差を垣間見る。日本の利他の概念のある世界に生まれてよかったと思う。

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あの世とこの世を結ぶ「WAY」

 我々は生まれる前は、彼岸に住んでいた。だから亡くなると「還浄」(忌中)という札を玄関先に掛ける。死んだら三途の川の向こう岸である「彼岸」の浄土に「WAY」を通って還るのだ。だから我々が現地(此の世)で生きるためには、「自分株式会社」が走る「WAY」の選択を明確にすべきである。

 この世で、生きていくためには、少々のお金と徳と智慧があればよい。それがあればご縁に出会える。あの世の通貨は、日本円でなく、佛縁である。何のために生きるか、何の為に金を稼ぐのかが明確でないから、強欲に際限なく集める輩が出てくる。お金の重量過多では、違法搭載のダンプが走ると道が傷むように、「WAY」が破損するのです。

 

 人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

 Life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it takes is courage, imagination… and a little dough.

     Charles Chaplin

 

餓鬼道

 貪欲に金を集める輩を仏道では、畜生にも劣る餓鬼という。畜生なら、腹が満腹になれば、目の前を餌が通っても食べない。餓鬼はそれができず手を出してしまう。人間であれば、人間道を歩きたい。餓鬼道を歩いては、還浄しても、ご先祖に顔向けができまい。縁あって人間界に生まれたなら、人間になって浄土に還ることが成仏である。修身を学ぶ目的は、人間になること。

 独り言:そんなに金があるなら、内緒で少し分けてよ、が貧乏な私のささやかな?願いです。ぜひ、おだ仏教へご寄進を。

 

2019-07-21   久志能幾研究所通信No.1266  小田泰仙

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2019年7月20日 (土)

トヨタのDNAと「TOYOTA WAY」(2/2)(改定)

欧米企業の会社理念

 欧米の企業の会社理念(社是)には、神仏への感謝、ご先祖、お国へのご恩返しの思想はないようだ。あくまで個人主義の延長で、会社として拝金主義の極まりが多い。それの行き着く先が成果主義、グローバル経済主義で、結果として富の偏在、格差の拡大であると思う。

 

日本の自動車メーカの言う「ミッション」とは

 日本の自動車メーカである日産とマツダの社是に「ミッション」という言葉があり、日本企業の社是としては違和感がある。共に一時的に欧米の企業に乗っ取られた会社である。それが故、欧米の価値観が社是に表れているようだ。

 ミッション(mission)とは、ラテン語のmittere(ミッテレ。送る、つかわす)から派生した語であり、人や人のグループに与えられた、特に遠方の地へ行き果たすべき役割、使命、任務である。イエス・キリストが弟子たちに与えた、遠方へ行き福音を広く人々に伝えるという使命には、強い目的意識、強い使命感等の意味がある(自分を超えた何かによって宣告されるように感じられる)。

 だから「ミッション」の言葉には殉教者的な犠牲を強いられるイメージがあり、日本の風土に合わないようだ。リストラ後の日産を辞めた社員の言動を見て、それを感じる。それで会社の成果が上がるとは思えない。結果して日産は創業90年後にルノーに乗っ取られた。その挙句、2017年に拝金主義に起因すると思われる検査員の不正事件を起こした。その記者会見の場に、ゴーン会長は姿を見せない。ゴーンがそんな拝金主義、成果主義オンリーの風土を作った。(この項、2017年12月30日記述)

 

社是の位置づけ(WAY)

 社是とは社員の目指すべき行動規範で、自分達に夢に実現のため会社としてやるべき規範である。「是」とは正しいこと、つまり会社として正しい道を示した行動規範である。神仏を敬いご先祖を祭り、自主的に仕事に仕えて社会に奉仕をする。結果として会社の業績が向上し自分達にも返ってくる行動と、神からの強制で社会に奉仕をする行動とを比較すると、その差がお墓つくりに重ね合わせて見ると興味深い。

 トヨタ以外の3つの会社の社是では感謝というメッセージが感じられない。「私達が偉いから車という最高の製造物を君たちに作ってやってあげるのだ」との上から視線が伝わってくる。

 

日産のDNAとトヨタのDNAの差

 日産は、1910年(明治43年)、明治の元勲・井上馨の支援を受けて鮎川義介氏が金儲けの為に作った国策会社(戸畑鋳物株式会社(現日立金属))が前身である。彼は井上馨の姪を母として生まれた。彼は金儲けの為、図面も設備も人もアメリカから買ってきて、日本で車の生産を始めた。

 トヨタは、お国ために全て国産でという思想で、車つくりを始めた。それとは日産は、根底が違うようだ。そのDNAが今でも尾を引いているようだ。

 トヨタはその発祥の地の名古屋市に「トヨタ産業技術記念館」を造って、その当時の繊維機械の歴史と自動車の製造過程を再現して公開している。ここは、世界最大の動態博物館である。展示してある機械は全て動く。私は前職の時、新入社員達を連れてきて、新人研修としてここで現地現物を学ばせた。

 日産は日産(日立金属)の発祥の地に鮎川義介氏の歴史や彼が技術開発した製品等を展示した資料館を作っているが、非公開である。そこでも、トヨタと日産の違いが伺える。

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      トヨタ産業技術記念館内に展示されている豊田綱領

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    豊田佐吉翁が発明した自動織機の実演 トヨタ産業技術記念館内

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 トヨタ産業技術記念館の正面ロビーに展示された「環状織機」(1906年発明)

 

日産の今

 日産のビジョン&ミッションは、提供、寄与、プログラム開発とか何か他人事である。過去の遺産を食い潰して、結果としてトヨタより儲かっていない日産のゴーン社長が10億円という報酬を得ているのは日本人として違和感がある。強欲の極みで格差社会の象徴のように感じる。(この項、ゴーン被告の逮捕前の2017年12月30日の記述)

 

WAYが全てを決める

 日本国憲法が、日本国民、日本政府の行動を縛るように、会社社是は、会社の行動を決める。社是を見れば、その会社が分かる。

 大垣市民憲章を見れば、大垣の状態が分かる。「大垣の歌」を聞けば、大垣市長が何を考えているかが分かる。こんなレベルの「大垣WAY」では大垣の発展はあり得ない。どないかせねば、いかんばってん。

 

日産のビジョン&ミッション

ミッション

「未来への投資」

 未来を志向する人々が、“どのような社会に生きたいか”を実験し、体験し、思索する機会を提供する

目標

 ミッションを実行することにより、社会的価値の創造に寄与する

活動方針

 ・多様性を促進するプログラムを開発する

 ・社員の社会参加を促進するプログラムを開発する

 

 日産の社是は何か、「上から視線」の雰囲気である。オレ達は車の技術を提供してやっているのだ、黙って使え、という驕りの姿勢が垣間見える。それはユーザーの求めるモノとは遊離したモノになりがちである。その陰にゴーンの強欲さの匂いがする。

 

マツダの社是

Vision(企業目標)

 新しい価値を創造し、最高のクルマとサービスにより、お客様に喜びと感動を与え続けます。

Mission(役割と責任)

 私たちは情熱と誇りとスピードを持ち、積極的にお客様の声を聞き、期待を上回る創意に富んだ商品とサービスを提供します。

Value(マツダが生み出す価値)

 私たちは誠実さ、顧客志向、創造力、効率的で迅速な行動を大切にし、意欲的な社員とチームワークを尊重します。環境と安全と社会に対して積極的に取り組みます。そして、マツダにつながる人々に大きな喜びを提供します。

 

ホンダの社是

基本理念

人間尊重   自立、平等、信頼

三つの喜び   買う喜び、売る喜び、創る喜び

社是

 わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす。

運営方針

・常に夢と若さを保つこと。

・理論とアイディアと時間を尊重すること。

・仕事を愛しコミュニケーションを大切にすること。

・調和のとれた仕事の流れを つくり上げること。

・不断の研究と努力を忘れないこと。

 

2017-1230 初稿、2019-0719 改定

久志能幾研究所通信 №1265 小田泰仙  

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累積閲覧総数 99,026   2019年7月20日、13:00現在

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トヨタのDNAと「TOYOTA WAY」(1/2)(改定)

聖光寺で交通安全法要

 蓼科山聖光寺(長野県茅野市)は、トヨタ自動車が交通安全祈願と事故で亡くなられた人の供養、負傷者の早期回復祈願のために、建立したお寺である。その建立は、交通事故死者数が最高値を記録した1970年である。毎年恒例の七月の夏季大祭が執り行われる。2019年は、7月17日に交通事故者慰霊萬燈供養、18日に交通安全夏季大法要が、第49回目として執り行われた。来年で50年の節目を迎える。

 トヨタ自動車の豊田章男社長をはじめ関係役員とトヨタ自動車販売店協会などから450 名が出席された。以前から参加していたマツダの小飼雅道会長に加え、今回はスズキの鈴木俊宏社長、スバルの中村知美社長も参加された。

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    聖光寺  協豊会ホームページより  2014年7月18日 

 下記リンクは2017年法要の記録

http://www.kyohokai.gr.jp/whats_new/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%82%92%E7%A5%88%E9%A1%98-3/2017/

 

トヨタのDNA

 この大祭は、トヨタの神仏への敬いの心の現われである。これは他の自動車メーカでは聞いたことの無い。これは豊田佐吉翁が、トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎氏に、「俺は織機で御国に尽くした。お前は自動車で御国に尽くせ」との遺言を遺し、豊田綱領に「神仏に尊崇報恩感謝」と記したように、神仏への敬いの心の現われである。豊田佐吉翁の頭には金儲けではなく、報国の精神があり、結果として事業が成功したのであって、金儲けがうまかったから、成功したのではないと思う。

 トヨタ中興の祖と言われる石田退三氏は、交通事故死者が1万人を超えていた交通戦争と言われた時代、会社の執務室に観音様(お地蔵様かも)の像を置き、毎日、犠牲者を悼み交通安全を祈念していたという伝聞がある。

 

豊田綱領 (豊田の5つの精神)

1.上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし

1.研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし

1.華美を戒め質実剛健たるべし

1.温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし

1.神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし

 昭和10年10月30日、豊田佐吉の6周忌にあたって、全従業員が整列した佐吉翁の胸像まえで、佐吉翁の信任が厚かった取締役支配人・岡本藤次郎が朗読・発表(試作車を完成させ、国産自動車生産の目処がたった時)

 

 社是に「神仏を尊崇報恩感謝の生活を為すべし」とはなかなか書けない言葉である。その精神がトヨタのDNA中に流れているようだ。目には見えないご先祖や神仏を大事に精神が今のトヨタを創ったと思う。

 

豊田綱領からTOYOTA WAYへ

 現在、企業の不祥事が多発しているが、不思議とトヨタからは、そんな話が聞こえてこない。これもTOYOTA WAY(豊田綱領)を基にした経営理念があるためだと思う。今時、目に見えない神仏を敬えと社是で謳い、交通事故の犠牲者をグループ会社全体で法要の儀を執り行う会社は異様に映る。しかし、これがトヨタだと違和感なく受け入れられる。これが日産の社是や金儲け一本やりの会社から見ると、異様に感じられるだろう。

 

日産の社是を改悪

 その日産の社是もゴーンが改悪してしまったようだ。トヨタの社是と日産のそれを比較すると、別次元の会社のようである。だから日産で不祥事が多発するのであろう。ゴーンはその不始末を部下に押し付けてドローンである。今回、ゴーンの悪事が露見して天罰が下ったようだ。天網恢恢疎にして漏らさず。かように、社是や企業のWAYは、会社の運命を左右する。

 

安全への意識はトヨタのDNA

 その法要後に、豊田章男社長は、報道陣に「一社だけでは、安全な社会は作れない。皆が当時者意識を持って解決していかねばならない」と語った(中日新聞記事より)。

 大垣市のように、安全に対する不祥事が多発しているのは、小川敏市長を筆頭に市役所職員全員の安全に対する当事者意識が希薄であるからだと思う。大垣市の「WAY」は陥没して、水没して、穴だらけである。その「大垣市危機管理指針」は、危機の場合は将軍様の市長様を最優先で保護することを謳っており、お笑いの指針である。それが全てを象徴している。

 

「大垣市WAY」を小川敏市長が率先して破壊?

 大垣市の「市民の誓い」や「市民運動5つの目標」の文言が情けない。大垣の市民憲章で、人よりも水が大事なのだ、と宣言している。言葉とは裏腹に、天与の水をいい加減に扱う(治水をせず)から、水害のしっぺ返しを受けるのだ。

 大垣の「市民運動5つの目標」では、要は青少年より犬猫を大事にしましょう、がその結論である。だから大垣市は、ご先祖の生まれ変わりである園児を金儲けのため、炎天下で踊らせる非道をしても平気である。

 トドメは、小川敏市長が率先して大垣の英霊を祀る護国神社を封鎖して、神前に拝礼もせず、その神殿の前の広場でギネス記録の為、水饅頭の食い合いのばか騒ぎを演ずる始末である。

 大垣市長は大垣の開祖の戸田公を祀る常盤神社で儀式中に居眠りである。小川敏市長は、目に見えにないものを敬う心がないようだ。

 だからその天罰で、ドローン墜落人身事故が起きたのだ。不幸中の幸いで怪我だけで済んで幸いであった。折角の天の啓示を、大垣市は無視して、その罪を業者に押し付けてドローンである。大垣市の役人のコンプライアンス遵守はどこへ行ったのだ。

 もう一つに天罰で大垣市の地価が半減したのだ。大垣市は衰退したのだ。天網恢恢疎にして漏らさず、である。目に見える天罰の啓示なのだが、小川敏市長には見えないようだ。どこに目を付けているのか。往時の秀才も老いれば駄馬に劣る?

 またこのWAYを故意に毀損した影響で、大垣市役人に汚職が蔓延しているようだ。なにせ市制100周年記念行事で3億4千万円を使ったが、そのどんちゃん騒ぎの行事用途費用が市の特別条例でマル秘として、市民に公開されないのだ。

 子供たちは親の言う通りにはいない。親がやる通りにする。親とは市長であり、子供とは市役所職員である。そんなことを心配させる大垣に、小川敏市長がしてしまった。

 

2017-1230 初稿、2019-0720 改定

久志能幾研究所通信 №1264 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2019年7月19日 (金)

「大垣市長WAY」を迷走

 大垣市長として、多選でも何時かはその任期の終わりが来る。その時から逆算して、やるべきことを正しく実行するのが「大垣市長WAY」である。それを場当たり的に人気稼ぎのようにこなすから、成果が出ない。結果として晩節を汚すことになる。

 

大垣消滅の危機

 市長道にも命がある。しかし大垣市は永遠であるべきだ。大垣の子供達に未来がある。大垣市は延々と続き歴史を刻む。その中で、市長としてやるべきことをやらないと、大垣市も死を迎える。夕張市も破産した。近い将来、日本の少子高齢化、東京一極集中で、896の市町村が消滅すると予想されている(増田寛也編著『地方消滅』中公新書)。そうならないように取り組くむのが、危機管理としての市長道である。小川敏市長はそれが分かっていない。

 

仕事と作業の違い

 仕事とは付加価値を生み出すこと。付加価値が生まなければ、それは仕事ではない。作業とは頭を使わず、機械的にするルーチンワークである。

 大垣市長の仕事は、大垣市の未来を見据えて、戦略を考え、その手を打つことである。戦略とは、「戦い」を「略する」と書く。無駄な演説や無駄な行事を省くことが勝利のために必要と「孫子の兵法」で戒めている。

 それに対して、小川敏氏は、大垣市長として、全ての行事に出て演説をするが、それは仕事ではない。それは作業である。代理の代読でも、録音を再生するロボットでもできる作業である。その機械的な無意味な演説では、何も付加価値を生まない。だから誰も感動しない。市制100周年記念行事も、何も付加価値を創れなかった。記念行事遂行は、だれでもこなせる機械的な作業であった。

 

醜態記事

 たまたま、昨日2019年7月18日、通院している病院のロビーで岐阜新聞の西濃欄を見ていたら、企業寄付の記事が目に飛び込んできた。この記事は、(多分やらせで?)企業から寄付を受け、当然のような面持ちの小川敏市長とのツーショットを掲載した代物であった。こういう記事が西濃の痴呆紙に頻繁に掲載される。

 これは記事ではない。市長の売名行為と企業の宣伝コピーである。岐阜新聞社の忖度記事である。だから、これは仕事としての記事ではない。僅か22万円で、岐阜県の西濃欄の紙面が企業宣伝として使えるのだ。それも大垣市長とツーショットの写真付きである。この記事は、大垣に何も付加価値を与えない作業である。また読者にも、情報として、何の付加価値を与えない。むしろ時間泥棒である。購読料泥棒である。これは「情けの報せ」の「情報」ではなく、「情けない報せ」である。

 大垣西濃金庫は、大垣の企業として、22万円(社員一人当たり僅か379円)を市の産業振興のために寄付をしたと大威張である徳ある謙虚な人は、寄付は陰徳で自慢などしませんぞ。それなら市制100周年記念行事の浪費分3億4千万円の使用用途に目を向けて、銀行マンとしてシビアな眼で、その会計報告の公開とその問題点を助言すれば、大垣の産業振興にもっと効果があるはずだ。22万円どころか、その100倍以上の効果が予想される。

信用金庫の信用放棄(WAY)

 大垣西濃信用金庫も、もっと本質に目を向けて経営をしないと、現在でも厳しい金融戦争で淘汰される恐れがある。

報道の放棄(新聞社のWAY)

 岐阜新聞もそういう大垣市の公金の使用用途の疑惑を追及して報道の「道」に沿った本来の報道しないと、その存続が危ぶまれることになる。ただでさえ、新聞購読数が減少傾向なのにである。岐阜新聞は2017年9月に夕刊の発行を止めたばかりである。こんなヨイショ記事ばかり書いていると、今度は朝刊の発刊中止に追い込まれますぞ。知らせるべきことを報道せず、脇道に逸れた報道もフェイクニュースである。

大垣市長として、進むべきWAYを放棄

 大垣市長は、そんなくだらない作業ばかりに日々追われて、やるべき大垣市の未来の大事な仕事をしないから、大垣が衰退し続けて、任期満了の時に、後悔することになる。多分、小川敏市長には20年後を見据える戦略はないのだろう。このテイラクが是なのだ。

Photo  岐阜新聞 2019年7月18日西濃欄

 

神の声

 だから大垣市は衰退の一途である。だからまた出馬して、その後始末をせねばならなくなる。こんなテイラクを18年間も続けても、大垣駅前商店街は消滅寸前になり、大垣市地価の下落は、18年連続となった。その間一度も地価は上がらなかった。地価は半額になった。他市はリニア景気で地価の上昇で湧いている。小川敏市政の失敗は明白である。小川敏市長は学習能力がないと言える。地価の下落は、市長として無能だから、辞めろとの神様の声である。市場の声は正しい。

恨みを買う小川敏市長

 小川敏市長のように、日の当たる市長道を歩く人には、大垣駅前商店街の店を畳んで、寂しく街を去っていく商店主の悲哀は分からないであろう。多くの商店が閉店することになった顛末は、小川敏市長の戦略ミスが原因である。

134k8a11201s   馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

 

2019-07-19   久志能幾研究所通信No.1263  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

累計閲覧総数 98,847  2019年7月19日,17:00現在

2019年7月18日 (木)

何のために「道(WAY)」を学ぶのか?

 人生の品質向上のため。(自己の価値創造)

 現代版「人の道」を学ぶ(修身)ため。

 自分の人生は、思いを込めて創り上げた作品である。

 死に臨んで、その作品が虚しいと後悔しないために学ぶ。 

 人間として、人間らしく生きるために、身を修めて学ぶ。

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 WAY: 自分が能く死ぬため。(=良く生きるため)

 法令順守: 人として守るべき基準を維持するため。

 危機管理: 組織や自分に悲惨な死に方をさせないため。

 

 人間は、人のために生きてこそ、回りから生かされる。自分の歩いた道が、人の道標となる。人間としての生き方が明確でないから死に臨んでじたばたする。死とは生物の死だけでなく、定年、任期満了、人事異動、転職、プロジェクトの終結等、全ての事象には終結としての死がある。万物は始まれば、必ず終わり(死)がある。

 生きる道で、死を前提にしないから終わりに直面して狼狽える。どんな職務でも任期がある。いくら長期の現役を謳歌しても、現役のままの突然死もある。覚悟を決めれば、何も怖れることはない。どうせ何時かは死ぬんだ。「後は野となれ山となれ」と達観して、やるべきことを粛々と進めればよい。

 その覚悟がないから、決めることも決められず、目先の利権に囚われと、やることがいい加減になる。結果として成果がでない。途中挫折、定年離婚、鬱病、自殺、生ける屍となってしまう。

 良く働いた一日が安らかな眠りを誘うように、良く生きた人生は安らかな死を得る。(ゲーテ)

 次項は「大垣市長WAY」を考察する。

Dsc045961s  馬場恵峰書

 

2019-07-18   久志能幾研究所通信No.1262  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年7月17日 (水)

大垣市の死の予感

 大垣のように地元の商店街が衰退するとは、大垣市の体力の元である油分に相当する特色ある商店が無くなることである。人に置き換えると、美味い脂肪部が無くなり、体脂肪率が激減すると同じである。

 生存するための生活必需品を買うスーパーの小売店は大垣にあるが、心に余裕をもたらす高級買い物店が消滅した。駅前からスーパーが無くなったので、大垣駅前の住民は、生活必需品を買おうにも、線路を超えて遠くまで車で行かないと買えない。だから車のない老人は困っている。大垣市が、商店街消滅の方策の都市計画を推進するのは、老人に「死ね」というようなものだ。

大垣の変貌

 みんな本当に欲しい良いものは、名古屋に買い出しに行くようになった。これでは、大垣市は発展しない。税収も伸びない。人も育たない。文化も育たない。大垣市には住宅地が広がるだけである。

 それでは歴史ある大垣は、本来の大垣ではなくなり、西濃地方にある単なる下品な「一住宅地域」の存在に成り下がることになる。もうなってしまった?

 そこに住むマンション住民は、大垣市の自治会組織にも入らず、勤めは名古屋で、買い物も名古屋に出かける。意識は完全に名古屋人である。それでいて、金のかかる学校や病院や介護や火葬場やゴミ取集だけが、大垣市の負担となる。それは「大垣」の消滅(死)を意味する。

 住民人口さえ増えればよいとして、お金を生む駅前商店街を潰して、そういうマンション建設を小川敏市長は積極的に推進している。

大垣市自身が自治会組織を崩壊させる

 2017年に大垣市の肝いりで大垣駅前活性化のために建設したマンションビルの住民は、大垣市の自治会組織に入っていない。この夏に完成するヤナゲンB館跡に建つマンションも、大垣市の自治会組織はないそうだ。駅前のマンションは高価なので、大垣市民は手が出せず、名古屋の住民が買うようだ。

P1120569s  ヤナゲンB館跡地に建設が進むマンション  2019‎年‎3‎月‎20‎日撮影

 このマンションにも自治会組織はないそうだ。

 地方都市に駅前商店街が必要なことが、それが無くなって、初めて分かることである。人間は愚かである。

 

大垣市の葬列

 大垣の文化が衰退するとは、体力・経済力はあっても、知性が無くなって痴呆状態になる事である。だから100周年記念行事で、価値なきギネス記録として、水饅頭の共食いの浅ましい行事にうつつを抜かすことになる。その愚行を小川敏市長が先頭に立って推進した。それを東大出の輩が、ギネス記録だと自慢げに大威張りである。世も末である。東大を出て、知識偏重の考えで人生を送ってきた輩の末路である。彼には知識はあっても、知恵がない。

 結果として、小川敏市長は18年間で、無為無策の政策で、大垣市民の財産である土地の財産額を半分にしてしまった。例えれば、証券会社にお宝の株券を預けて置いたら、株屋が勝手なことをして、株価が半分になった、である。政治は結果が総てである。彼はその大罪さえ意識がない。大垣の葬列の始まりである。

 

2019-07-17   久志能幾研究所通信No.1261  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

術後の死を覚悟。大垣市の消滅を予感する

 この2月12日に癌の摘出手術を受けて、約5ヶ月間が過ぎた。もう安心かと思いきや、今が生命にとって一番危険な時のようだ。現在、体力は最低、体重も最低、体脂肪率も最低を更新し続けている。まだ体重減少傾向が止らない。

 手術直後から2ヶ月間くらいは元気であった。それは体の栄養タンクがまだ十分にあったからだ。それが時間経過で、その体の栄養タンクの栄養素を使いきり、体脂肪率が8.5まで下がり(術前は19.7)、腹囲が82cmから69cmと13cmも減り、体重が17キロも激減した。だから体がだるくてまともには動けない。たぶん免疫力が最低レベルまで低下しているのだろう。たまに命の危険を感じる。

 2009年の第一次ダイエット前は、体脂肪率25.8、腹囲96cmもあり、体重も80キロ近くあり、今の体から見ると嘘のようである。でもその当時は「栄養タンク」が満杯だから元気なのだ。人間は、小太りが一番長生きのようだ。

 

ジレンマ

 体が元気になるには、食べればよいのだが、少し余分に食べれば、体が受け付けず、すぐ嘔吐してしまう。今でも1週間に一度くらいの頻度で嘔吐がある。だから食事の分量は三分の1から二分の一しか食べれない。リハビリで歩けばよいのは分かっているが、体が辛くて歩けない。ジレンマである。

 

死の予感

 たまに体がメチャメチャしんどい時がある。体が重くて動けないときである。人はこうやって死んでいくのだと、分かるような気がした。その昔、研修で臨死体験をさせられたが、それはお遊びで、今は現実問題として切実である。朝、目が覚めると息をしていることに感謝である。朝起きると、やらねばならぬことが山積である。味わって良く咀嚼して食べるので、食べられることに感謝である。

 

使命感

 このブログも、死ぬ前にこれだけは書いておかねば、大垣を良くするにはこれを書いておかねば、後進にこれを言わねば、と死ぬに死ねないという使命感で書いている。死ぬ気になれば、怖いものはない。言いたい放題である。

 別途、終活は準備が終わった。ヨイヨイになってからでは、その準備をしようにもできないかもしれない。その準備をできたのは、病気になったご縁である。何時かはせねばならぬこと。

 

抗がん剤治療を拒否

 もし愛知県がんセンター推奨の標準治療を受け入れて、抗がん剤治療をしていれば、さらに体力低下して、免疫力も低下して、少しの体調不調がきっかけとなり、肺炎等で死亡の恐れもある。癌患者は癌では死なない。免疫力が低下して、別の病気を併発して死ぬ場合が80%である。

 幸い、本を読み、抗がん剤治療の予備知識を得て、愛知県がんセンターの標準治療である抗がん剤治療を拒否した。主治医と喧嘩別れである。それで代替医療を選択したため、最悪の状態は避けられたと確信している。別のかかりつけの医師も、抗がん剤治療の効果が8%しかないなら、受けない方がよいと断定してくれた。抗がん剤治療は副作用が大きすぎる。特に私のように体力のない70近い(気だけ若い?)若人には向かないと結論を出した。

 

5年後生存率

 癌患者がその病院に行かなくなり、連絡不能になると、生存率のデータからその数が除外される。死亡してもそのデータは反映されないのだ。そんないい加減なデータで、製薬会社の都合の良いように、抗がん剤治療の効果データが作成されているようだ。

 私が愛知県がんセンターの薬物担当医師に、このデータを見せて欲しいと要求しても、彼は公示を拒否した。私はネットでこのデータを探しだした。すぐ見つかったので、呆れた。これで薬物医師が信用できなくなった。

 癌のステージ3の場合、5年後生存率は53%である。つまり医師の言う通りに治療を受ければ、5年後には半数が死ぬ。何もしなくても、5年後に半数が死ぬ。

 それが抗がん剤治療の効果で生存率が61%(プラス8%)に向上すると抗がん剤の効用で謳うが、私はデータ操作があると確信して、「信用できない」という結論をだした。

 これも会社時代に、SQCの実験計画法の社内講師を担当させられて、統計計算を猛勉強したための成果である。勉強は命を救う。

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 代謝拮抗剤 ティーエスワン配合カプセルT20 劇薬  ※処方箋医薬品

  大鵬薬品工業株式会社の取り扱い説明書より

 

健康とは体と心のすこやかさ

 健康とは、体だけ元気でもダメなのだ。精神的に元気でも、体力が付いてこなければ健康ではないのだ。

 健康こそが、人生で最大の財産である。だから死んでもいいから(?)、健康が第一である。金があっても健康でなければ意味がない。それは健康を失って、初めて分かる事。人間の愚かさを老人になって思い知る。

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  馬場恵峰書

 

大垣市の死の予感

 大垣のように地元の商店街が衰退するとは、大垣市の体力の元である油分のような特色ある商店が無くなることである。人に置き換えると、美味い部分の脂肪部が無くなり、体脂肪率が激減すると同じである。

 生存するための最低限の生活必需品を買うスーパーの小売店は大垣にあるが、心に余裕をもたらす高級買い物店が消滅した。大垣駅前の住民は、生活必需品を買おうにも、遠くまで車で行かないと買えない。だから車のない老人は困っている。大垣市が、商店街消滅の方策の都市計画を推進するのは、老人に「死ね」というようなものだ。

2019-07-17   久志能幾研究所通信No.1260  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年7月16日 (火)

「市長道」の外側を歩く小川敏市長

 小川敏市長が「市長道」の外側を歩くのは、その要件を理解していないからである。「道」を歩く以上、大垣に付加価値を創造しないと意味がない。単に名誉欲だけで市長を勤めているから成果が出ない「市長道」を歩くには、使命感、経営能力、人間性が必須である。

 

志の有無

 市長になった動機が重要である。今までの政策を見ても、大垣を良くするために市長になったとは思えない。たまたま東大出であるので、東大出がいない田舎の遊びも同然の財界サロンのトップに推され、たまたま前市長が死去され、推されて市長選に出て市長になったに過ぎない。福岡市の高島宗一郎市長のように、福岡を変えたいと、熱い志をもって市長になった人とは対照的である。

 小川敏市長に、大垣を良くするという使命感があり、経営能力があり、人間性があって、市民に慕われれば、大垣はもっと発展しただろう。現在は、小川敏市長には、その3つの要素が全て欠けている。

 

財産の目減り

 だから、この18年間で大垣は衰退をし続けた。都市の通信簿は、その土地の地価である。大垣市の地価は、小川敏氏が市長に就任して以来18年間、毎年下がり続けて、結果として半分になった。小川敏市政は、18年間も無為無策であったのだ。市民の財産である不動産価格が半分になったのだ。私の財産も半分になった。両親が坪50万円で買った自宅の土地は、現在坪25万円である。大垣市民は、みんな同じ被害者である。

 

1)事の軽重の区別を知らず

 小川敏市長は、俺が俺がと行事には必ず出て挨拶をしないと気が収まらないようだ。市長として重要な任務は、大垣の将来を考えて手を打つことなのだ。それを代理に任せれば済む挨拶さえ、自分でしなければ気が済まないようだ。その挨拶は、中身のない話ばかりである。だから全ての行事に出て挨拶をして、それで時間に追われ、会合の時間に遅刻をして、参加者を待たせるのが常時である。私も待たされた。それでは待っている市の関係者の幹部はたまったものではない。大垣の業務の非効率の元凶である。それでは「道」の完歩はあり得ない。「もっと大事なことがあるだろう」と私は言いたい。小川敏市長には戦術はあっても戦略がない。だから大垣は衰退する。

 

ドイツの市長の例

 大垣の友好都市のシュツットガルト市では、4人の副市長がいて、業務を分担している。第一市長は選挙で選ばれるが、4人の副市長は行政が選ぶ。各種の文化事業や、市の行事には副市長が対応する。大垣市のように、市長が総てを対応していては、大事なことが疎かになる。

 

2)市長としての使命感欠如

 大垣を発展させようという使命感があれば、ギネス挑戦の水饅頭の食い合いで、無駄なギネス用の費用や実施の工数を使わないだろう。単なる通過点でしかない市制100周年記念行事で、小川敏市長は、無理に100個の行事をねん出して、無理やり市民のお金を使いまくる醜態を見せた。だから後世に何も残せなかった。それで大垣の恥を全国に知らしめた。本人がそれを恥と思っていないのが、大垣の恥である。

 

3)聞く耳を持たず 

 小川敏市長は人の話しを聞こうとはしない。だから誰も握手さえしに行こと思わない。揉み手をして、お世辞を言い、ペコペコして寄ってくる人しか眼中にないとの噂である。

 小川敏氏が市長になってから、市民との座談会は一度も開催されていない。形式的な座談会はあったが、それは事前に質問者と質問内容が制限されていた。サクラばかりの座談会で、言いたいことも言えない座談会であった。懇談会では、小川敏市長が一方的に喋って、時間が経てば、質問を受け付けず去っていくという。

 ある商店街の人が、先の市長選の時、市長との座談会を申し入れたが、「今はその時期ではない」と拒否された。2年がたったが、今だ座談会が開催される気配はない。

 

4)経営能力なし

 小川敏市長は経営能力がない。それは大垣の地価が18年間で半分になっても、何も手を打たなかったことで証明される。

 大垣駅前商店街の半数以上がシャッターを下ろしたのに、何も手を打たないことからもわかる。大垣駅前商店街の多くの人が泣きながら、街を去った。

 大垣ドローン墜落人身事故での、事前の危機管理、後処理の経過を見ても、危機管理能力、責任感、使命感がないことが推察される。今だ大垣市役所の再発防止策も公表されない。

 室村町アンダーパスが水没した事件でも、その後処理がお粗末すぎる。事前の非常用ポンプの点検の不備、己の危機管理のなさを、「広報おおがき」で「水害に対して、小川敏市長が直々に視察しました」と醜態事件を美談に捏造してしまう厚かましさである

 元気ハツラツ市が大垣駅前商店街に、何の経済効果を出せないことが明白なのに、人の話しも聞かず、ずるずると10年も継続することで、経営判断力がないことが証明される。

 これでは小川敏市長は「市長道」を最後まで歩けまい。大垣市長は、隘路に落ちて水没であろう。市民を見守る佛様が許さないだろう。

 

2019-07-15   久志能幾研究所通信No.1259  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。