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2019年7月16日 (火)

「市長道」の外側を歩く小川敏市長

 小川敏市長が「市長道」の外側を歩くのは、その要件を理解していないからである。「道」を歩く以上、大垣に付加価値を創造しないと意味がない。単に名誉欲だけで市長を勤めているから成果が出ない「市長道」を歩くには、使命感、経営能力、人間性が必須である。

 

志の有無

 市長になった動機が重要である。今までの政策を見ても、大垣を良くするために市長になったとは思えない。たまたま東大出であるので、東大出がいない田舎の遊びも同然の財界サロンのトップに推され、たまたま前市長が死去され、推されて市長選に出て市長になったに過ぎない。福岡市の高島宗一郎市長のように、福岡を変えたいと、熱い志をもって市長になった人とは対照的である。

 小川敏市長に、大垣を良くするという使命感があり、経営能力があり、人間性があって、市民に慕われれば、大垣はもっと発展しただろう。現在は、小川敏市長には、その3つの要素が全て欠けている。

 

財産の目減り

 だから、この18年間で大垣は衰退をし続けた。都市の通信簿は、その土地の地価である。大垣市の地価は、小川敏氏が市長に就任して以来18年間、毎年下がり続けて、結果として半分になった。小川敏市政は、18年間も無為無策であったのだ。市民の財産である不動産価格が半分になったのだ。私の財産も半分になった。両親が坪50万円で買った自宅の土地は、現在坪25万円である。大垣市民は、みんな同じ被害者である。

 

1)事の軽重の区別を知らず

 小川敏市長は、俺が俺がと行事には必ず出て挨拶をしないと気が収まらないようだ。市長として重要な任務は、大垣の将来を考えて手を打つことなのだ。それを代理に任せれば済む挨拶さえ、自分でしなければ気が済まないようだ。その挨拶は、中身のない話ばかりである。だから全ての行事に出て挨拶をして、それで時間に追われ、会合の時間に遅刻をして、参加者を待たせるのが常時である。私も待たされた。それでは待っている市の関係者の幹部はたまったものではない。大垣の業務の非効率の元凶である。それでは「道」の完歩はあり得ない。「もっと大事なことがあるだろう」と私は言いたい。小川敏市長には戦術はあっても戦略がない。だから大垣は衰退する。

 

ドイツの市長の例

 大垣の友好都市のシュツットガルト市では、4人の副市長がいて、業務を分担している。第一市長は選挙で選ばれるが、4人の副市長は行政が選ぶ。各種の文化事業や、市の行事には副市長が対応する。大垣市のように、市長が総てを対応していては、大事なことが疎かになる。

 

2)市長としての使命感欠如

 大垣を発展させようという使命感があれば、ギネス挑戦の水饅頭の食い合いで、無駄なギネス用の費用や実施の工数を使わないだろう。単なる通過点でしかない市制100周年記念行事で、小川敏市長は、無理に100個の行事をねん出して、無理やり市民のお金を使いまくる醜態を見せた。だから後世に何も残せなかった。それで大垣の恥を全国に知らしめた。本人がそれを恥と思っていないのが、大垣の恥である。

 

3)聞く耳を持たず 

 小川敏市長は人の話しを聞こうとはしない。だから誰も握手さえしに行こと思わない。揉み手をして、お世辞を言い、ペコペコして寄ってくる人しか眼中にないとの噂である。

 小川敏氏が市長になってから、市民との座談会は一度も開催されていない。形式的な座談会はあったが、それは事前に質問者と質問内容が制限されていた。サクラばかりの座談会で、言いたいことも言えない座談会であった。懇談会では、小川敏市長が一方的に喋って、時間が経てば、質問を受け付けず去っていくという。

 ある商店街の人が、先の市長選の時、市長との座談会を申し入れたが、「今はその時期ではない」と拒否された。2年がたったが、今だ座談会が開催される気配はない。

 

4)経営能力なし

 小川敏市長は経営能力がない。それは大垣の地価が18年間で半分になっても、何も手を打たなかったことで証明される。

 大垣駅前商店街の半数以上がシャッターを下ろしたのに、何も手を打たないことからもわかる。大垣駅前商店街の多くの人が泣きながら、街を去った。

 大垣ドローン墜落人身事故での、事前の危機管理、後処理の経過を見ても、危機管理能力、責任感、使命感がないことが推察される。今だ大垣市役所の再発防止策も公表されない。

 室村町アンダーパスが水没した事件でも、その後処理がお粗末すぎる。事前の非常用ポンプの点検の不備、己の危機管理のなさを、「広報おおがき」で「水害に対して、小川敏市長が直々に視察しました」と醜態事件を美談に捏造してしまう厚かましさである

 元気ハツラツ市が大垣駅前商店街に、何の経済効果を出せないことが明白なのに、人の話しも聞かず、ずるずると10年も継続することで、経営判断力がないことが証明される。

 これでは小川敏市長は「市長道」を最後まで歩けまい。大垣市長は、隘路に落ちて水没であろう。市民を見守る佛様が許さないだろう。

 

2019-07-15   久志能幾研究所通信No.1259  小田泰仙

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