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2019年7月17日 (水)

術後の死を覚悟。大垣市の消滅を予感する

 この2月12日に癌の摘出手術を受けて、約5ヶ月間が過ぎた。もう安心かと思いきや、今が生命にとって一番危険な時のようだ。現在、体力は最低、体重も最低、体脂肪率も最低を更新し続けている。まだ体重減少傾向が止らない。

 手術直後から2ヶ月間くらいは元気であった。それは体の栄養タンクがまだ十分にあったからだ。それが時間経過で、その体の栄養タンクの栄養素を使いきり、体脂肪率が8.5まで下がり(術前は19.7)、腹囲が82cmから69cmと13cmも減り、体重が17キロも激減した。だから体がだるくてまともには動けない。たぶん免疫力が最低レベルまで低下しているのだろう。たまに命の危険を感じる。

 2009年の第一次ダイエット前は、体脂肪率25.8、腹囲96cmもあり、体重も80キロ近くあり、今の体から見ると嘘のようである。でもその当時は「栄養タンク」が満杯だから元気なのだ。人間は、小太りが一番長生きのようだ。

 

ジレンマ

 体が元気になるには、食べればよいのだが、少し余分に食べれば、体が受け付けず、すぐ嘔吐してしまう。今でも1週間に一度くらいの頻度で嘔吐がある。だから食事の分量は三分の1から二分の一しか食べれない。リハビリで歩けばよいのは分かっているが、体が辛くて歩けない。ジレンマである。

 

死の予感

 たまに体がメチャメチャしんどい時がある。体が重くて動けないときである。人はこうやって死んでいくのだと、分かるような気がした。その昔、研修で臨死体験をさせられたが、それはお遊びで、今は現実問題として切実である。朝、目が覚めると息をしていることに感謝である。朝起きると、やらねばならぬことが山積である。味わって良く咀嚼して食べるので、食べられることに感謝である。

 

使命感

 このブログも、死ぬ前にこれだけは書いておかねば、大垣を良くするにはこれを書いておかねば、後進にこれを言わねば、と死ぬに死ねないという使命感で書いている。死ぬ気になれば、怖いものはない。言いたい放題である。

 別途、終活は準備が終わった。ヨイヨイになってからでは、その準備をしようにもできないかもしれない。その準備をできたのは、病気になったご縁である。何時かはせねばならぬこと。

 

抗がん剤治療を拒否

 もし愛知県がんセンター推奨の標準治療を受け入れて、抗がん剤治療をしていれば、さらに体力低下して、免疫力も低下して、少しの体調不調がきっかけとなり、肺炎等で死亡の恐れもある。癌患者は癌では死なない。免疫力が低下して、別の病気を併発して死ぬ場合が80%である。

 幸い、本を読み、抗がん剤治療の予備知識を得て、愛知県がんセンターの標準治療である抗がん剤治療を拒否した。主治医と喧嘩別れである。それで代替医療を選択したため、最悪の状態は避けられたと確信している。別のかかりつけの医師も、抗がん剤治療の効果が8%しかないなら、受けない方がよいと断定してくれた。抗がん剤治療は副作用が大きすぎる。特に私のように体力のない70近い(気だけ若い?)若人には向かないと結論を出した。

 

5年後生存率

 癌患者がその病院に行かなくなり、連絡不能になると、生存率のデータからその数が除外される。死亡してもそのデータは反映されないのだ。そんないい加減なデータで、製薬会社の都合の良いように、抗がん剤治療の効果データが作成されているようだ。

 私が愛知県がんセンターの薬物担当医師に、このデータを見せて欲しいと要求しても、彼は公示を拒否した。私はネットでこのデータを探しだした。すぐ見つかったので、呆れた。これで薬物医師が信用できなくなった。

 癌のステージ3の場合、5年後生存率は53%である。つまり医師の言う通りに治療を受ければ、5年後には半数が死ぬ。何もしなくても、5年後に半数が死ぬ。

 それが抗がん剤治療の効果で生存率が61%(プラス8%)に向上すると抗がん剤の効用で謳うが、私はデータ操作があると確信して、「信用できない」という結論をだした。

 これも会社時代に、SQCの実験計画法の社内講師を担当させられて、統計計算を猛勉強したための成果である。勉強は命を救う。

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 代謝拮抗剤 ティーエスワン配合カプセルT20 劇薬  ※処方箋医薬品

  大鵬薬品工業株式会社の取り扱い説明書より

 

健康とは体と心のすこやかさ

 健康とは、体だけ元気でもダメなのだ。精神的に元気でも、体力が付いてこなければ健康ではないのだ。

 健康こそが、人生で最大の財産である。だから死んでもいいから(?)、健康が第一である。金があっても健康でなければ意味がない。それは健康を失って、初めて分かる事。人間の愚かさを老人になって思い知る。

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  馬場恵峰書

 

大垣市の死の予感

 大垣のように地元の商店街が衰退するとは、大垣市の体力の元である油分のような特色ある商店が無くなることである。人に置き換えると、美味い部分の脂肪部が無くなり、体脂肪率が激減すると同じである。

 生存するための最低限の生活必需品を買うスーパーの小売店は大垣にあるが、心に余裕をもたらす高級買い物店が消滅した。大垣駅前の住民は、生活必需品を買おうにも、遠くまで車で行かないと買えない。だから車のない老人は困っている。大垣市が、商店街消滅の方策の都市計画を推進するのは、老人に「死ね」というようなものだ。

2019-07-17   久志能幾研究所通信No.1260  小田泰仙

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