大垣市の死の予感
大垣のように地元の商店街が衰退するとは、大垣市の体力の元である油分に相当する特色ある商店が無くなることである。人に置き換えると、美味い脂肪部が無くなり、体脂肪率が激減すると同じである。
生存するための生活必需品を買うスーパーの小売店は大垣にあるが、心に余裕をもたらす高級買い物店が消滅した。駅前からスーパーが無くなったので、大垣駅前の住民は、生活必需品を買おうにも、線路を超えて遠くまで車で行かないと買えない。だから車のない老人は困っている。大垣市が、商店街消滅の方策の都市計画を推進するのは、老人に「死ね」というようなものだ。
大垣の変貌
みんな本当に欲しい良いものは、名古屋に買い出しに行くようになった。これでは、大垣市は発展しない。税収も伸びない。人も育たない。文化も育たない。大垣市には住宅地が広がるだけである。
それでは歴史ある大垣は、本来の大垣ではなくなり、西濃地方にある単なる下品な「一住宅地域」の存在に成り下がることになる。もうなってしまった?
そこに住むマンション住民は、大垣市の自治会組織にも入らず、勤めは名古屋で、買い物も名古屋に出かける。意識は完全に名古屋人である。それでいて、金のかかる学校や病院や介護や火葬場やゴミ取集だけが、大垣市の負担となる。それは「大垣」の消滅(死)を意味する。
住民人口さえ増えればよいとして、お金を生む駅前商店街を潰して、そういうマンション建設を小川敏市長は積極的に推進している。
大垣市自身が自治会組織を崩壊させる
2017年に大垣市の肝いりで大垣駅前活性化のために建設したマンションビルの住民は、大垣市の自治会組織に入っていない。この夏に完成するヤナゲンB館跡に建つマンションも、大垣市の自治会組織はないそうだ。駅前のマンションは高価なので、大垣市民は手が出せず、名古屋の住民が買うようだ。
ヤナゲンB館跡地に建設が進むマンション 2019年3月20日撮影
このマンションにも自治会組織はないそうだ。
地方都市に駅前商店街が必要なことが、それが無くなって、初めて分かることである。人間は愚かである。
大垣市の葬列
大垣の文化が衰退するとは、体力・経済力はあっても、知性が無くなって痴呆状態になる事である。だから100周年記念行事で、価値なきギネス記録として、水饅頭の共食いの浅ましい行事にうつつを抜かすことになる。その愚行を小川敏市長が先頭に立って推進した。それを東大出の輩が、ギネス記録だと自慢げに大威張りである。世も末である。東大を出て、知識偏重の考えで人生を送ってきた輩の末路である。彼には知識はあっても、知恵がない。
結果として、小川敏市長は18年間で、無為無策の政策で、大垣市民の財産である土地の財産額を半分にしてしまった。例えれば、証券会社にお宝の株券を預けて置いたら、株屋が勝手なことをして、株価が半分になった、である。政治は結果が総てである。彼はその大罪さえ意識がない。大垣の葬列の始まりである。
2019-07-17 久志能幾研究所通信No.1261 小田泰仙
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