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2019年7月22日 (月)

大垣市の葬列(1/6)~市制100周年記念行事の痴濫

 大垣市制100周年記念行事は、低レベル、それでいて金遣いの荒い行事が氾濫した。小川敏市長は、金勘定もできない「宇宙人」かもしれない。この行事は大垣と大垣市長の終わりを象徴する「大垣市の葬列」であった。

 

葬列の意味

 どんなものにも意味がある。葬列とは、「生あるものは必ず死を迎える」を認識して、自分のこれからの生き方に自省を促す儀式である。親が子供に施す最期の教えが、親の死である。師が弟子に与える最期のレッスンが、死である「あんたも何時かは死ぬのだよ。悔いのない人生を送りなされ。私の死から学べ」と葬儀を通して、親や師は自分に語り掛ける。

 

大垣の死

 大垣市制100周年記念行事は、「OOGAKI WAY」の「基軸」で考えると、全て基軸に反している。小川敏市長の前の歴代は、基軸に沿った市政であったが、それが基軸に反した市政になれば、地獄に堕ちるしかない。小川敏市長は「大垣が終わってしまった」ことを葬列で祝ったのだ。小川敏市長が大垣の知性、品性、節約心、文化心、芸術心、歴史認識力、徳力、羞恥心、も同時に葬列で葬ったのだ。

 この行事は、税金の無駄遣いと、業者への金のバラマキと、小川敏市長の自己満足だけの行事であった。なにが付加価値として、大垣の100年の歴史に残ったのか。後世の大垣人から、笑われるだろう。それに対して、小川敏市長が、全く自覚がないので救われない。

 

市長の寿命

 常識的に、市長の任期は、4年2期である。それが小川敏市長の場合5期目で、現在18年目で、長すぎるのである。いわば通常の人の定年が60歳として、20歳から勤めて40年働くとすると、一期20年で計算して2期働くと同じである。

 小川敏市長の場合は、20年×5期も勤めると、120歳まで働くと同じである。現在18年目だから118歳と同じである。もう市長としての寿命は来ている。認知症が始まったのかもしれない。寿命(任期)が長すぎると老化して、腐臭が出て、内臓の癒着が心配される。それは生物学の常識である。

 

大垣市長のミッション

 市長のミッションを「OOGAKI WAY」で考えると、下記である。それが小川敏市政では全く機能していない。

 市民を幸せにする。 

 市民に安心・安全の生活を提供する。

 市民の命と財産を守る。

 市民の未来のために子供たちを育成する。

 大垣市の命を永らえさせる。

 大垣経済を活性化させて、日本経済に貢献する。

 大垣の文化を高めて、日本文化の向上に寄与する。

 大垣市の歴史・伝統を守る。

 大垣市の付加価値を高め、活性化して、地価を上げる。

 

負の成果:大垣の価値下落

 大垣市民は誰も、100周年記念行事をやってくれとは頼んでいないのに、議会承認もなしに、市民のお金3億4千万円を投じて、小川敏市長は行事を強行した。それで1年間だけで、大垣の価値(地価)が0.39%(499億円)も減少する無残な結果となった。この1年だけで、大垣市民一人当たり31万円の損害である。これで18年間連続の大垣市の地価の下落である。それで大垣市全体では、総額12.9兆円の価値が消えた。それなのに、小川敏市長は地価の下落を市民には隠して、経済効果があったと誇示している。

 東大法学部出の元秀才は、老いれば駄馬に劣る存在になることを、「生から老、死」への自然界の法則で教えてくれた。俊英の医学博士でも、60歳になれば、「今、医師の国家試験を受けても、頭が老化して、とても受からない」というのが世の常識である。それが自然界の常識である。小川敏市長は今年、69歳である。

 

マル秘の葬儀会計報告

 市民税を投入して、大垣の付加価値が上がらなければ、それは無駄な行事であった証明である。実際に地価は上がらなかった。それには小川敏市長決して言及しない。またその会計報告がマル秘扱いにされるのでは、その陰で汚職行為があったと疑われても致し方あるまい。

 こんな市長の横暴がまかり通るのは、大垣が未開のへき地に落ちぶれたからだ。江戸時代は先進的な地であったが、必要な設備投資を怠たれば、時間が過ぎれば、生物と同じように老いる。民主主義も衰退する土地になる。

 以下に2018年の市制100周年記念行事での葬列の記録を記載する。

 

2019-07-22   久志能幾研究所通信No.1268  小田泰仙

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