« 2019年5月 | メイン | 2019年7月 »

2019年6月

2019年6月30日 (日)

癌の原因追及(2)日本経済の癌細胞

 癌細胞のように日本経済を襲っている少子高齢化での労働力不足も、経済の血液であるお金の流れを「グローバル経済主義症」が、阻害しているために起きている症状にすぎない。

 日本企業が海外に工場を作れば、日本の雇用が減り、安い製品がブラーメンのように日本に流れ込んでくる。お金は海外に流れて、日本国内に流れなくなってゆく。「グローバル経済主義症」で企業が内部留保の精を出して、労働者に金を回さなくなった。それで労働者でフリータと呼ばれる若者は90万人も発生した。

 それなのに100万人の外人労働者を入れるとは、政府は正気の沙汰ではない。それで利益を得ている闇の世界がある。だから引きこもり者が69万5000人にもなり、挙句に悲惨な無差別殺人事件が頻発する。労働力という経済の血が流れず、鬱積したためである。血が流れなければ、病気になる。自然の理である。こんな日本に誰がした。

 

日本の惨状

 労働者の給与はこの20年で50万円ほど激減している。正規採用者も減っている。拝金主義になった企業は教育訓練費を削減している。だからそれを労働人口が足りないと外人労働者を入れる対策は、降圧剤治療と同じで、対処療養である。言い方を変えれば、抗がん剤投与である。正常な組織までも殺している。

Photo_4

ブログ K's Strategy.「日本人サラリーマンの平均年収の推移と中央値について。」より

http://k-strategy.net/japanese-average-annual-income

 

 

EUの病気

 対処療法では、一時的に効果が出るが、10年後にその副作用が牙を剥き、正常な細胞の日本社会を破壊する。その現象が今、欧州で起きているドタバタである。だれでも自由に他国に移動できるなど、おかしい。元の真面目な税金を納めていた住民の権利はどうしてくれるのだ、である。それが英国のEU離脱騒動である。我々は欧州を他山の石にせねば、子孫に恨まれる。外人労働者を入れれば、それで日本の病気が治るわけではない。ますます日本は重病になっていく。

 

正しい治療

 正しい対策は、正規労働者の採用、非正規労働者の削減、賃金の向上と、政府の財政投資である。それと減税である。それを金融政策と増税で対処するのでは、日本経済は終わりである。

 人間の健康も薬に頼るのではなく、日頃の生活姿勢を正せばよいだけである。薬に頼るのは下の下である。

164k8a10951s

 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

 

 

財政政策と金融政策の違い

 財政政策とは、インフラへの投資である。くだけて例えると、疲れた人に、太っ腹の無法松が「しけた面だなぁ。ビフテキを食いねえ、寿司を食いねえ。元気になりねぇ」と啖呵を切って、弱った体に栄養素を入れるため、堅気にご馳走を食わせて元気になってもらうことだ。

 それに対して、金融政策とは、金利の変更である。疲れた相手に対して、ヤクザが見せ金を見せて「この金を借りて、もっと働け。みかじめ料を払え。そうすれば、老後の面倒をみてやる。金利も安くしてやるから。そすればビフテキが食える」というが如しである。

 

裏切り

 しかしそういうヤクザみたいな役人は、我々に約束した「年金安心100年プラン」を反故にした。麻生大臣が「実は、年金が不足して老後には2000万円が必要」と口を滑らし、大騒動となった。年金の10兆円の資金を、族議員と役人がこの80年間で懐に入れてしまったのだ。しかし誰もその責任を取らない。そんなヤクザみたいな役人の言うことが信用できるか、である。

 

経済学の理論

 金融政策では、経済は立て直せないのは、経済学の理論的に証明された常識である。それを敢えて実行しようとする財務省は、よほどの利権が絡んで、その政策に邁進しているようだ。

 今まで3回の消費税増税では、毎回、景気が落ち込んでいる。それも3回とも、税収が減っている。そのことが分かっていて、この10月の増税を計画している罪務省は、よほど美味しいものが後ろにぶら下がっているのだろうと勘ぐってしまう。まともな論理構成の頭ではできないことだ。

 

私に出来る事

 次回の選挙で、自民民主党にお灸をすえねばならぬ。と言って野党ではどうしようもない。今の野党に投票すれば、もっと状況は悪くなる。前の民主党の政権時代に、国民が痛い目にあったのは記憶に新しい。今の野党のいう事は支離滅裂である。「では、どうすればよいのだ!」が私の悩みである。

 私のできることは、皆さんに状況を分かりやすく説明することで、意識改革をしてもらうことである。

 

2019-06-30   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

癌の原因追及(1)私の癌

 私の癌の場合と日本経済、大垣経済、日本医療、人生道にできる癌の原因を推定する。これを5回の記事で検討する。

 

エンジニアとして推定

 私は医者ではないが、機械設計技術者として、自分が癌になった原因を推定した。その私が出した結論は、降圧剤での副作用、加齢による免疫力の低下、サラリーマン時代のストレスの後遺症、食事の偏り、添加物・油分の取り過ぎ、運動不足であった。癌は目に見える大きさになるのに10年はかかるという。だからその発症は10年以上も前である。

 それと同じ論法で、日本経済、大垣経済、医療問題、人生道の癌の原因を推定した。

 

人間を機械に置き直して考える

 私は元機械設計のエンジニアである。その立場で人間の体を機械に置き直して考えと、心臓は油圧ポンプ、血管は油を送る配管、筋肉とか脳細胞は、アクチュエータ(ピストン)に置き直すことが出来る。

 高血圧とは、その配管の内側に油の汚れのカスがたまり、詰まった状態になり、ポンプから送られた油がうまく末端のアクチュエータに送れないので、ポンプが油の送付圧力を上げて、必要な油がうまく流れるようにしていると同じである。人間の体も自律神経の作用で、血圧を上げている。必要だから血圧をあげているのだ。それを降圧剤で圧力を下げたら、肝心の器官に必要な血液が流れなくなってしまい、アクチュエータが作動不良を起こす。やるべきことは、配管内のカスを取り除くことであって、圧力を下げることではない。それを現代医学では、降圧剤しか処方しない。医師は患者が治ってもらっては困るようだ。儲かるのは製薬会社と医師である。

 日本で癌患者が急増しているのは、日本血圧学会がその基準値を変えて、降圧剤がもっと売れるようにしたためではないかと、私は疑っている。

 現在、日本の高血圧患者は4,000万人である。3人に一人が患者である。降圧剤市場だけでも1兆円を超える。美味しい利権の場なのだ。多くの医師や薬品メーカの人の生活がかかっているのだ。簡単に治ってもらっては困るのだ。

 ちなみに医療薬剤の市場は10兆円で、抗がん剤治療薬の市場は1兆2000億円である。多くの関係者の生活が懸かっている。増えることは有っても、減ることはない。

 

Photo_3      日本の国民医療費の推移 日本経済新聞2017年2月12日

医師の遍歴

 かかりつけの医師の治療を続けて、治るのか、である。高血圧は症状であり、病気ではない。20年ほど前から、私は人間ドックで高血圧と診断され、会社の産業医にかかり、今まで3名の医師、定年後は、街の医師3名にかかったが、誰も根本治療をしてくれず、どの医師も降圧剤の処方だけである。ある大垣の病院の初診では、「チョっと血圧が高いようだから、もう一種のお薬を追加して出しましょう」であった。私は、血圧を下げるために減量に取り組んでいる最中で、薬の量を減らしたいとその病院に行ったのに、である。私は即、その病院を去った。その後、消化器内科と循環器系の専門医にかかったが、何方の病院も降圧剤の処方以外は何もしてくれない。

 日本の循環器系の医師は全員が結託して、降圧剤治療しかしないのか、とさえ思った。

 

週刊現代の記事

 今まで服用していた降圧剤アムロジンの副作用を週刊誌で読んで、自分で医師に申し出て、薬を変えてもらった。なぜ患者がそこまで考えなければならないのか、疑問には思った。その時点では、その降圧剤が癌の原因になることまで頭が回らなかったのが悔いである。当時は、高血圧で眼の病気、脳溢血、心筋梗塞が心配され、癌の原因となることまでは考えられなかった。

 週刊現代「健康診断&人間ドック 不都合な真実」(2014年5月24日号)の記事では「医師の言いなりになっていたら、死ぬ」とまで言っているが、同感である。医師は飲まなくてもいい薬まで、金儲けで飲ませるのだ。

Photo

 週刊現代「健康診断&人間ドック 不都合な真実」2014年5月24日号より

 

真島消化器クリニックの治療

 これに正解を与えてくれたのが、真島消化器クリニック(久留米)の真島康雄先生であった。真島先生は高血圧の原因を血管内に溜まったプラークだとして、そのプラークの厚みを測定し、治療として食事療法の指導をされた。2年半の食事療法の結果、そのプラークは半減し、高血圧は治った。脳梗塞、心筋梗塞の危険性は激減した。すこしこの治療を始めるのが遅く、癌を発病してしまったが、手遅れにはならず、神仏に感謝である。

 このクリニックは、私がネットで高血圧の真因を探していて、見つけた病院である。予約制で半年待ちの状態であった。国内の全国各地から、海外からも診察に訪れる人が多いそうだ。

 真島消化器クリニックHP http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

 

目の病気も完治

 私は網膜静脈閉塞症にもかかり治療を受けた。大学病院まで行って治療を受けたが、しかしそれは対処療養であた。その原因を血管内のプラークと推定して、真島康雄院長の処方の食事療法で血圧を正常値に戻すと、網膜静脈閉塞症も治ってきた。

 

発癌の推定

 私が長年服用していた降圧剤は、発癌の遠因ともなっていたと推定される。降圧剤で血圧が下がれば、制癌作用のある白血球が毛細血管の末端まで届かなくなる。そのため免疫力が低下して、発がんの恐れがある。血液が末端まで流れないと、白内障、網膜静脈閉塞症にも罹りやすくなる。加齢現象で、65歳を超えると、免疫力が急に低下して、発がんの確率が上がってくる。私はすっかり油断していた。こういう事実は、己の身を守るために知らなければならない。これが、私が癌になった原因の一因と推定した。

 また癌細胞は糖分が大好物である。私は辛党ではなく、甘いものに目が無かった。それも癌を患った原因の一つであろう。今は月に一度だけは和菓子を食べることを自分に許して、基本的に甘い物を我慢している。

 病気は、真因を突き止めて、元を断たねばダメなのだ。降圧剤は対処療法である。

Photo_2

     年齢ごとの癌発生率

 https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

 最新がん統計 更新・確認日:2019年01月21日

 © 2018 国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センターより

 

2019-06-30   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月28日 (金)

一燈を掲げて雨中を行く

 昨日、梅雨入りの雨の中、車を走らせて気が付いたことは、昼間で雨中の走行で、点灯している車は5%ほどしかないことであった。雨が降ったら、昼間でもライトをつけるのが、交通事故防止の対策である。ライトで自分の存在を認識してもらえば、事故の確率が減る。

 点灯して走ることで、自分の行動に付加価値を与えることができる。事故が少ない運転という付加価値である。事故は人生の付加価値を削いでしまう。

 

人生走行

 人生で雨が降ったら傘をさす。松下幸之助翁が何時も言っている自然の理である。人生航路の見通しが悪くなったら、灯を掲げる。人生航路で、志を持って走るなら、目標という一燈を掲げて走りたい。周りの人に、己の意図を認識してもらえば、多くの援助がある。援助がない場合でも、邪魔はしないはずだ。

 

相手に認識してもらうことが事故防止

 相手に自分の存在を認識させることは、事故になる確率を確実に減らす。スウェーデンでは、1985年時点でも昼間からヘッドライトの点灯が法律で義務づけられていた。私がスウェーデンに出張したとき、現地でそれを確認したが、確かに効果が高い。

 現在では、商業車(現金輸送車等)でも「昼間、点灯しています」という表示をして走っている車が増えてきた。新幹線だって、昼間も点灯して走行している。

 昼間は目立ちすぎて少々恥ずかしいが、夕方なら早めにライトつけて走るべきだ。ただし、晴天夜間でのホォグランプの点灯は、人さまへのご迷惑でマナー違反である。まぶしいったらありゃしない。

 

「発見されやすさ」の確率

 「発見されやすさ」の確率を上げるためにも、暗くなりはじめた時や薄明かり時には、ヘッドライトを他車より早めに点灯すること。なぜなら、ヘッドライトは自分の為でなく、他車から自分の車を認識してもらうためにある。それが事故の確率を減らす。小雨や霧なら、ホォグランプ・ヘッドライトを点灯すること。

 ただし、スモールランプを点灯すのは不可である。スモールランプは停止している場合に、点灯するのが原則である。走っている時は、点灯しないのが国際ルールである。

 

暴走族の自己顕示欲

 暴走族に不思議と事故が少ない。これはあからさまな自己顕示をした派手な運転をするため。相手も恐ろしいので避けてしまう。その実態は、彼らが安全を確認してから、「信号無視」をしているからである。そのため事故が少ないと推定される。だから、「暴走族になって事故を減らそう?」はダメです。

 

「発見されにくさ」の確率

 夜間の「発見されにくさ」では、車の正面からの視認率を100とすると、後面のそれは10くらいに落ちる。車の側面からは車のヘッドライトは殆ど見えないため、その視認率は1くらいと推定される。だからこそ、右折で、脇道からメイン道路に進入する場合には、細心の注意が求められる。

 私が貰われ事故を起こしたのも、このケースです。また私が交通違反反則金を2回も払う羽目になったのも、「パトカー」を発見できなかった夜間であった。。。。。これからも夜間の運転自粛が望まれる。

 

無灯火運転

 暗くなったら、他車より早めにヘッドライトを点灯すること。気象庁発表の日没時刻後に、ヘッドライトを点灯せず事故を起こせば、法律的には無灯火違反と見なされる。事故負担割合判定でも不利となる。気象庁が定めた日没時刻以降は、いくら回りが明るくても、法律上は「夜」である。

 ゲーテも曰く「もっと光を!」

 

発見の確率

 事故防止には、事故を起こしに来る要因・物体を、いかに早く発見するかに尽きる。そのためには「発見する確率」と「発見される確率」を向上させること。事故原因の55%が「認知の遅れ」である(1967年自動車技術会の調査データ)。このことから、事故の要因(障害物等)の認知(発見)をいかに早くするかで、事故に合う確率は激減する。

 その認知の向上には、「発見しやすさ」と「発見されやすさ」を向上させればよい。「発見しやすさ」と「発見されやすさ」の確率を、1938年にローパーとハワードが、ドライバーの直前にダミー歩行者を飛び出させて実験してデータを得ている。

 

実験結果

 実験では、何が起こるかを全く予知していない被験者が運転する車の直前に、ダミー歩行者を飛び出させて、ドライバーがそれに気づいて、アクセルベダルから足を離す時点でのダミーから車までの距離を測定した。予知していれば当然視認した距離をLn 、実際にドライバーがダミー歩行者を視認した距離をNa として、〔Na /Ln 〕を横軸に、縦軸にダミー発見ドライバー数の累積頻度を図1に示す。これから下記のことが分かる。

 

・ダミー歩行者を予知せぬドライバーは、予知しているドライバーには見える視認距離の70%まで近づくまでは、一人もその存在に気づかない。

・50%の距離に近づくと、半分の人が気ずく。  

 予知しないドライバーが妨害物を発見する確率が50%になるのは、予知しているドライバーの視認距離の1/2になってから。

 つまり、意識して見れば人の2倍は見える

 だから音楽を聞きながらの運転はご法度である。 

・25%の距離まで近づいて、初めて全員が認識する。

 予知を意識した運転とそうでない場合では、事故を起こす確率が異なるのをこのデータは証明している。

Photo

図1 ドライバーの妨害物発見確率曲線 (V.J.ローバー “Trans,IES" 1938.05)

 

 事故の大半は「衝突する相手の車を発見しなったため」に起きている。

 事故件数を違反別に分類したデータ(図2)から、「安全不確認」、「脇見運転」、「一時不停止」、「動静不注視」、「漫然運転」のワースト5の合計は55.4%に達する。このワースト5こそが「不発見型」の事故である。

Photo_2

 運転者の内容別事故件数

4k8a1876s

                馬場恵峰書

2019-06-28   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月27日 (木)

学ぶと何になれるのか?

 人が學ぶ目的は、人間になること。人間とは、人と人の間で生きていける存在である。

 人間でなく、自分の欲望を制御できない存在は、餓鬼である。餓鬼は畜生にも劣る存在である。畜生であるライオンでも、満腹になれば、目の前のウサギを襲わない。ライオンでさえ、自然界の調和を乱さない。しかし餓鬼になると、使い切れないほどの金があっても、さらに欲しくなり、会社の金にも手を染める。日産ゴーン被告のように。

 だからせめて人間になってから死んでほしい。そのために「修身」の学びがある。

 

グローバル経済主義狂の教え

 個人主義が発達した欧米ではその利他の精神が無く、グローバル経済主義狂の洗脳教育で、利己主義が横行し、小欲、利他の精神はない。それで1%の富裕層と99%の貧困層が生まれる結果となった。戦前は、植民地強奪戦争が起きた。現代はそれが姿を変えて、グローバル経済主義狂として跋扈している。

 それに反旗を上げたのが、欧州のポピュリズムの動きである。今までの金持ち優先の政策が異常であったのだ。

 グローバル経済主義狂が跋扈すると、大企業だけが繁栄し、庶民が貧困に落ちていく。だから日本の少子高齢化が止らない。若者の給与が下がり続けているので、結婚もできない。だから子供が生まれない。真の原因を探さないと、少子高齢化の歯止めはできない。それを明確にすると、政府の利権に目がくらんだ役人が、己の天下り先への気兼ねで、都合が悪いので、口が裂けても言わないだけである。

 共産主義社会でも同じ状況が生まれている。共産主義社会は平等な世界を目指したはずであったが、権力を握った支配層が、富の独占をして、西洋の資本主義社会以上の格差社会が生まれている。そんな世界は幸せな社会ではない。

 

人間と動物の違い何か?

 人間の特性は、使命、時間、言葉、人間、恥、気付きがあることである。それが動物との違いである。

 狼に育てられた少女(インド)のように、人間として躾・教育がないと、人間にはなれない。

 大蔵省の堕落・汚職の原因は、人間としての素養がなく、学歴だけで官僚になったためである。接待でノーパンしゃぶしゃぶなんて、けしからん。(と表向きは言うものの、うらやましい?)

 一年後の皆さん(新入社員)の言動が、来年度の新入社員への活きた業務マニュアルとなる。だから心して、人間として成長して欲しい。

 

なぜ学ばないといけないか

 学ばないと、宿命的な存在にしかなれない。それでは、飲食、睡眠、交尾の原始的な欲望のまま生きることになる。それでいいのか?

 しかし、学ぶことで、運命的な存在、つまり人間的存在となるのだ。

Photo

5

2019-06-27   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月26日 (水)

「大漁」の陰に大量殺戮あり

大漁

朝焼け小焼だ、大漁だ

大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜は祭りのようだけど、

海のなかでは 何万の、

鰮(いわし)のとむらいするだろう。

            金子みすゞ

4k8a07662s

  馬場恵峰書「金子みすゞ 詩の世界 五十五恵峰選集」久志能幾研究所刊 より

 

 2019年6月24日、注文してあった中島潔画伯の「大漁」のリトグラフが自宅に納入された。これは先月のヤナゲンでの中島潔展示会で、最後の一枚だと言われて、つい買ってしまった絵である。まじかでこの絵を眺めていて、深刻な問題を連想し、それについて思索した。

 

大漁は大量殺戮

 表向きは、華やかな大戦果(大漁)と言われている歴史的事件に、裏から見ると悲惨な大量殺戮がある。それなのに意図的に歴史の闇の中に葬られている。それは欧州の大航海時代、アメリカの建国史、米軍の東京大空襲、中国の驚異的発展、オンデマンド臓器ドナー提供、現代の少子高齢化の問題である。

 

第三の眼は慈しみの眼

 この「大漁」の絵で、100匹以上も描かれている大羽鰮のその目は、全て白目である。大漁で捕獲された大量の鰮の死を表現している。この絵を見ていると、金子みすゞの優しい心が伝わってくる。その視点で歴史の事件を見ると、多くの裏の世界が見えてくる。慈悲の心が出れば、額の真ん中に付いている第三の眼を開く。

 何万もの死んだ鰮を見つめる女の子の眼は、慈悲に満ちている。観音様が慈しみで見つめている眼である。ミケランジェロのピエタのマリア様の眼と同じ眼差しである。過酷な運命に対してマリア様ができることは、ただ慈しみの眼で見るしかないのだ。ピエタとはイタリア語で慈悲という意味である。

P10701231s  

 中島潔画伯「大漁」

P1070127s   中島潔画伯「大漁」(部分)

Img_2401s

 ミケランジェロ「ピエタ」 著者撮影

 

輪廻転生

 何故、自分は人間に生まれたのか? 現代社会は人間謳歌であるが、少しDNAの配列が違っていれば、牛や豚に生まれて、人間に食べられる存在になっていたかもしれない。それを諫めた教えが、仏教の輪廻転生、因果応報、利他、小欲である。それはグローバル経済主義の対極の考えである。

 

血に染まったアメリカ建国史

 アメリカは、世界一の国と自慢しているが、そのアメリカ建国の陰で950万人のインディアン(現地人)が虐殺された。当時1000万人いたと言われるインディアンは、現在では50万人しか残っていない。インディアンが悪者の西部劇は、勝者の物語である。ヨーロッパから大西洋を渡ってきた落ちこぼれのヨーロッパ人(英国人)は、入植当時、インディアンにトウモロコシなどの栽培方法を教えてもらい、飢えをしのいだ。英国人はその恩人の土地を強奪して、恩人のインディアンを虐殺して、アメリカは建国された。アメリカにとって、新天地の開拓は、アメリカンドリームであった。それは「大漁だ、大漁だ」の宴であった。

 

ヨーロッパの大漁

 17~20世紀のヨーロッパの繁栄は、大航海時代と言われる。それはアフリカから現地人を奴隷として強奪し、アジアを植民地にしてその生き血を吸うことで実現できた。何万、何百万もの有色人種の財産を強奪すれば、大漁だ、大漁だと貴族生活を送ることが出来る。その陰で、多くのアフリカ人、アジア人の死があった。インドでは英国の植民地支配下で2000万人が餓死をした。キリスト教では、キリスト教徒以外は人間でないので、罪の意識もない。それは当時のローマ法王も黙認のことであった。

 

東京大空襲の大勝利

 米空軍カーチス・ルメイ大将の指揮で日本全土の空襲が行われた。米軍はそれで戦争を早期に終結できたと大自慢である。特に1945年3月10の東京大空襲では、単独の空襲では世界史上最大の犠牲者が出た。死者10万人以上、罹災者100万人以上である。ジェノサイドである。それなのに戦後、ルメイは日本の航空自衛隊の育成に貢献したとして勲一等旭日章が叙勲された。通常、勲一等旭日章の授与は天皇がされるが、昭和天皇はこれを拒否された。

 米軍は戦争を早期に終わらせれた大成果だ(大漁だ、大漁だ)と自慢しているが、その陰で、東京大空襲だけでも非戦闘員10万人以上の弔いがあった。ジェノサイドとして、中島潔画伯作「大漁」の鰮が、焼死した東京都民を思い出させてくれた。 

 

天安門事件の陰

 天安門事件で、約1万人(英国情報局の調査数字)の学生を戦車でひき殺し、銃で学生を殺害して、盛り上がった民主主義の声を押しつぶした。邪魔者は殺して、中国共産党は今の経済成長を達成した。多くの学生の犠牲の陰に今の繁栄がある。

 中国共産党にとって、今の繁栄は、世界第二位の経済大国として大漁だ、大漁だ、である。中国共産党は、先進国が膨大な金をかけて開発した技術を盗み、奴隷のような労働で製品を生産させ、政府の補助金を投入して製品を安くして輸出した。それではルールを守る先進国が勝てるはずがない。激安の中国製品の輸出攻勢をうけた先進国で、多くの「鰮」の弔いがあった。会社をたたんだ経営者や、失業した人も多くいた。「鰮の死」である。

 

オンデマンド臓器

 臓器移植が必要な患者が、中国に渡ると、臓器移植のドナーが48時間以内見つかったと喜ぶ。その陰で、オンデマンドで、強制収容所内で囚人が殺されている。売るために臓器を取り出されているウルグアイ、チベットの少数民族の人達が鰮のように殺される。たった一人の病気の回復(大漁)の為、多くの人が殺されている。

 だからトランプ大統領は人権問題として怒っているのだ。詳細は下記Newsweek社の記事「民衆法廷「中国は犯罪国家」と断罪」(「良心の囚人」からの強制臓器収奪は今も続いている)を参照ください。

https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2019/06/post-56.php

 

奴隷労働と100円ショップ

 100円ショップで、多くの品を買って、「大漁だ、大漁だ」とご満悦になっているその陰で、奴隷のような労働環境で働かされて100金の製品を作らされている海外の子供たちがいる。100円の製品を喜んで買う人が多いが、その商品が売れれば、正規で作られた日本製品が売れず、その分の雇用が日本からなくなる。そして日本全体の給与が下がっていく。失業者が出る。そこまで考えて、100円ショップでモノを買っている人は考えているだろうか。その購買は、自分で自分の首を絞めている行為なのだ。だから私は絶対に100円ショップに行かない。

 

少子高齢化の元凶

 今の日本の繁栄も、陰で多くの安い賃金の派遣社員、奴隷のような待遇の外国労働者の働きがあって、成り立っている。コンビニに行くとアジアの若者の店員ばかりである。大漁だ、大漁だと浮かれている場合ではない。

 小泉首相の構造改革以来、日本では大企業優先で、グローバル経済主義化が進んだ。企業は海外に工場を作り、日本の生産を減らし、正規社員を減らし、派遣社員を増やして、全体の給与を上げない。だから日本のサラリーマンの給与は、この20年で50万円近くも下がった。だから若者が結婚できず車も買えず、結果として少子化が止らない。景気も良くならない。全て政府がグローバル経済化を推進してきた結果である。その浮いた金は、国民には回らず、大企業の内部留保になっている。

 そして自殺者が構造改革以降、3万人超えが長く続いた。多くの「鰮」が死んだのだ。

Photo

日本のサラリーマンの平均年収の推移

 

ブログ K's Strategy.「日本人サラリーマンの平均年収の推移と中央値について。」より

http://k-strategy.net/japanese-average-annual-income

 

我々がすべき行動

 国会議員の中には大企業優先でグローバル経済主義の推進を図る輩も多い。中韓と癒着して己に利益誘導する輩も多い。そういう利権がらみの議員を選挙で選んだ我々にも責任がある。次回の選挙では、そういう議員は落選させねば、国が亡ぶ。我々は、大量の死(大漁)を漫然と見つめるのではなく、行動を起こさねば、ゆでガエルのように殺される。そのためには声をあげること、選挙で拒否の意志を示すことである。

 

2019-06-26   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月25日 (火)

記事一覧を更新(1235)

ブログ「久志能幾研究所通信」の記事一覧を更新します。

Google、Yahoo等から特定の記事を検索する場合は、添付の記事一覧ファイルから記事名を探して、「久志能幾 記事名で検索してください。

例えば久志能幾 死ぬまでにやりたい108の夢で検索すると、一発でヒットします。お試しあれ。

 

お陰様で、現在の累積閲覧総数は 92,475 です。

記事総数は 1,235通。

エディオンの人気ブログランキングで 7位です。

皆様の閲覧に感謝です。

 

添付ファイル  記事一覧_久志能幾研究所通信-2019-0625-ed

_20190625ed.pdfをダウンロード

 

2019-06-24   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

レクサスLC 試乗記 オーディオ編

 レクサスLCに試乗して、オーディオには全く触らなかった。触る気にもならなかった。試乗で助手席に同乗したレクサスの営業マンが首をかしげていた。彼はオプションで高いオーディオを売りたかったのかもしれない。オプションのマークレビンソンのオーディオがすごいらしいが、私は全く興味がない。

 とはいえ私はオーディオマニアでもあり、自宅ではこだわりの機器を設置している。しかし車の中では音楽を聴かないというだけである。テストドライバー資格を持つ身で、運転中の音楽鑑賞はご法度である。

 

運転中の音楽は禁止

 車は、一つ間違うと人を殺める凶器となる。だから車を運転する時は、気をそらすオーディオの音楽はご法度なのだ。これは、私がテストドライバー資格(試験車運転資格)の取得の為、運転訓練をしていたとき教官から言われたこと。

 だから今乗っている車にも、高価なオーディオが標準装備されているが、私は、全く電源を入れない。ニュースも聞かないという風に、徹底している。

 私は運転中、車と外部からの異常音に全神経を集中させて運転している。なにせ運転するとは、自他の命がかかっているのだ。運転とは、命へ責任が伴う仕事である。鼻歌まじりに運転するのは、不謹慎であると思う。それは極楽運転道ではなく、地獄への道である。無事故が最大の極楽である。

 

2019-06-25   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月24日 (月)

なぜ、学ぶのか?

 私は「修身」の講義で新入社員たちに問う。

「なぜ学ぶのか?」、「なぜ読書をするのか?」と。

 

現状分析

 現在(2006年)、日本の10歳以上の人の勉強時間はたった12分である。今もこの傾向は変わらないだろう。

 日本人の一日の余暇行動活動は6時間23分で、そのうちの学習・研究(学業以外)は12分である。(総務省統計局「社会生活基本調査」(2006年)

12

 『週刊ダイヤモンド』2008年11月29日号

 

将来の危機

 こんな状況で、グローバル化が進み、国際競争が激化する中、日本は生き延びていけるのかと思うと、心配で心配で夜も寝られない。私の年金はどうなるのだと。だから昼間、眠たくなり居眠り?

 現に40年前、日本の基幹産業であった家電、半導体産業が中韓の猛撃で滅亡した。今は自動車も電気自動車、自動運転等が海外で開発が進み、日本の優位性が揺らいでいる。日本は将来の為の投資をしなければならない。

 

人間に投資

 読書や勉強は、自分への投資である。その一人一人が集まって日本である。それは日本の将来への投資となる。投資しなければ、アジア諸国が追いつてきて、追い抜いていく。彼らはハングリー精神が旺盛である。豊かな日本でのんびりと育った君たち(新入社員)とは、格段の差がある。今のままでは、皆さんが学生時代に蓄えた知的財産は減価償却して、皆さんの価値は下がる一方である。

 スマホをいじり、ブログやネットサーフィンをしていても、それは学びではない。ネット上の情報の99.99%は、価値の薄い情報である。本や雑誌の活字に触れなければ、物事を考えて、俯瞰的に観て選択・決断するという能力が育成されない。その能力が身に付かないと、考えが軽薄になり、人間としての品格がなくなる。商品開発、営業、経営で、最後の勝負は、人間力の差できまる。人間力が出来ていなければ、人生航海で沈没である。だから現在、企業人、役人の世界での不祥事の多発している。それが現代人の病を物語っている。いくらAIが進んでも、人間力にはかなわない。

 

学びの意味

何故学ぶのか。何故読書をするのか。 

 体の栄養は食物である。心の栄養は、読書、学びである。 

 

 学びは、自分自身を深く考え、自分を変えていくための行動である。

 

 学びは、単なる知識を集約、記憶することではない。単なる知識の集積ならコンピューターがやってくれる。とても人間では勝てない。

 

 本当のものを知るということは、賢くなることではなく、むしろしみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて心からそれに頭を下げること。学問とは自分自身の癖とか性質までを考えて、直し得るところまでいかないと、本当の学びない。(元京大総長 平澤興)

 

 人は学ばないと人間ではなくなる  安岡正篤

 

 愚者は自分の失敗から学ぶが、賢者は他人の失敗からも学ぶ

 

 読書とはロケットを打ち上げること。狙いを定めて発射ボタンを押すこと。行動しないと成果はゼロ。計画して行動する(知行一致)。

 

自分の存在への問い

 ・なぜ皆さんは日本人なのか?

  なぜイラク、アフガニスタンでないのか?

     なぜ生まれた?

     なぜ今の時代に生まれたの?

     なぜ、今ここにいるのか?

 そこまで考えて、日本人に生まれたことを感謝して、社会へ恩返しとして貢献するために学ぶのが真の学びである。

 

2019-06-24   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

私がブログを書く目的

 私のブログは個人の日記ではない。ブログで皆さんに情報を提供する以上、なにか一つでも付加価値のある情報を伝えるために書いている。情報とは、「情け」の「報せ」である。

 私はブログを読む皆さんに、ある件の問題意識を持ってもらう為に書いている。日本を変えたい、大垣を変えたいと思い書いている。私の残り少ない人生で、やれることの一つとして、遺書としてブログを書いている。

 70近くまで生きてきたということは、その分、多くの人に借りを作って生きてきたのだ。その借りを返さねば、あの世に行けない。ご恩の踏み倒しでは、「恩知らず」と後ろ指をさされる。

 

人が死んだ後に残るのは、集めたものではない。与えたものである。

 

文章で人を動かす

 ブログが一つの文章である以上、記録として残すか、その情報で相手に対して動いてもらうために書いている。

 

付加価値

 せっかく、私のブログを訪問して文章を読んでくれたご縁である。読んだ人に、何かお土産を持って帰ってもらわないと申し訳ない。そう思って、一つでも価値ある情報を付加してブログを書いている。

 「ウェブサイトの情報は、99.99%は雑多なクズ情報です。情報をきちんと選択し整理したのが知識で、これを獲得するには新聞や雑誌を読まないと無理。」と数学者 藤原正彦氏は言う。(「プレジデント」(2019年7月5日号)の特集「『人間の器』の広げ方」より)

 私はそれを意識して、将来まとめて本にするつもりで書いている。10年後に読んでも風化しない内容を目指している。それで読んだ人の人生観が変わり、よき方向に人生が向く人が一人でも増えれば、日本が変わる。一灯を掲げる人が万人になれば、日本が変わる。そう思って真剣にブログを書いている。

 

テクニカルライティング

 また対象の問題を理解してもらうため、結論を最初に、表現は簡潔明瞭を心がけて書いている。これはテクニカルライティングの手法である。

 簡潔な表現であるから、英訳もできる。英訳もできないような難しい日本語はご法度である。そう心がけて、日本語を書いている。

 

危機管理

 何時かやらねばと思っていても、やれるようになった時は、体力的か財政的にやれなくなっていることが多い。思いついた時がやる時である。機が熟して、「今でしょう」が危機管理である。やらないのが一番よくない。

 

命の喪失

 人の日記や趣味等のブロブを覗くことは、自分と他人の時間をドブに捨てること。それは日本の損失である。それは命の喪失である。いくら他人のブログを読んでも自分の人生に、何の付加価値も生まない。そんな時間があれば、他人のブログを読むのではなく、読書や自分の生涯テーマの研究に時間を投入するべきだ。それが自己投資となる。投資なくして成長はない。今、日本人の勉強時間は、一日に12分だという。それでは日本の将来は暗い。

 

人間の使命

 人の趣味を覗き、ギャンブルやゲームや自然の生命を殺める遊びに興ずるのは、天が人間に与えた使命に反する。天は生物の頂点に立つ人間にそんなことを期待していない。それで日本人の品性が無くなり、日本人が貧相になる。自分が卑しくなる。それは自分の人生をディスカウントすること。それでは日本がますます衰退する原因となる。日本の後ろから、中韓、アジア諸国がひたひたと迫ってきている。我々はアジア諸国の下僕になりたくない。

4k8a1876s

      馬場恵峰書 2019年

 

2019-06-24   久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年6月23日 (日)

レクサスLC 試乗記(改定)

 2019年6月18日、レクサスLC(LC500-S)の試乗を30分ほどした。高級スポーツカーとして構えて乗ったが、意外と乗りやすく拍子抜けである。レクサスLCの試乗はこれで2回目であるが、前回は緊張して何か違和感があったが、今回は2回目で慣れのせいか、それを感じずに楽しく運転できた。

 病み上がりの身には、若いころの精神に戻って、大排気量のスポーツカーに憧れるのも、回春の「お薬」として効果があると思う。まだまだ若いつもりと思うのも良いものだ。それで病気の回復が早まれば安いもの。70近い老人にも青春がある。青春とは、肉体的な状態ではなく、心の状態をいう。

  私は何時までも、尻の青い男の子でありたい。

P1070096s     レクサス薮田にて

エンジン

 車両重量2トンの車体を軽々と動かすのは477馬力の5000㏄のエンジンである。ターボ付きでなく、自然吸気で5000㏄8気筒のエンジンはミーハーには涎の出るエンジンである。エンジンの始動時の音がすごいというネット情報もあったが、改良されたようで、今回、エンジン音には全く意識が向かなかった。

 この車は省エネ、節約とは、関係ない世界である。どうせたまにしか乗らないのだ。技術者として、限界を極めたい。マークⅡの2倍、カローラスポーツの3倍の馬力差は、市街地走行では、よくわからない。

 

単位馬力当たりの負荷重量比較

 この値が小さいほど、軽快に走る。

                        LC  LS500  新クラウン マークⅡ カローラスポーツ

 エンジン cc  5000  3500   2000  2500  1200

   重量 kg            1960     2160     1700     1400    1310

   馬力      477    422     245      200    116

 馬力当たり重量 4.07  4.12   6.94    7.00    11.2

 

車体デザイン

 まず格好がいい。また色もデザインの一部である。展示車は黄の派手ハデで魅力的である。今回の試乗車は白である。白だと、市街地を走行していてもあまり目立たない。買うなら、見せびらかし(?)として黄である。持てる喜びがあるだろう。

P1070095s

P1070122s

ホンダNSX

 1993年頃、オールアルミ製ボディのホンダNSXを試乗したことがある。当時、このスポーツカーは、勤務先の部署でモニター車として置いてあった。私は車の部品開発をする担当責任者として、試乗をした。

  しかし、これが実に乗りにくかった。まず、シート高が低いので、乗るのに一苦労であった。シートの身を置くと視界も地面にへばりつくようで、視界が悪い。走行性も、市街地を走る分には、「重たい」のである。サーキットならいざ知らず、市街地などスポーツカーで走るモノではないと感じた。この車は金を積まれても欲しくないとまで思った。

Photo

    ホンダNSX Wikipedia より

 

 

座り心地

 今回のレクサスLCは、まず乗り込みやすい。座席に座っても、普通の目の高さで、視界も良好で、普通の車と同じようで違和感がない。

 また、このシートは本革ではないが、体を包み込んで、ホールドしてくれる感触が、今まで多くの車に乗ってきて、これが最高だと思った。さすが高級スポーツカーのシートである。私は本革のシートは嫌いである。座っているとつるつるして滑り過ぎるのだ。

P1070110s

 すこし気になったのは、バックミラーで見た視界に、ボディのヒップ部が4分の1程、入ってくること。それはデザイン的に、中央部が引っ込み、お尻部がはみ出しているデザインの為である。魅力的なヒップラインでよいのだが、初めての体験で少し違和感があった。

P1070107s

P1070102s

      試乗した白のレクサスLC

後部座席

 おまけのような後部シートであるが、長時間、後部座席に座ると辛いだろう。政治的な意味で4シート設計である。本来、2シートであるべきだが、車の認定の関係で、そうしたようだ。後部座席は手荷物置き場と割り切ろう。

 

P1070111s

トランクルーム

 ゴルフバッグが一つ入る大きさがある。この車は生活の足として使うわけでも、ゴルフに行くわけでもあるまいし、この大きさで十分であろう。

P1070112s

走行性能

 加速は、アクセルを踏めば、素直に応答してくれるが、いかんせん市街地なので、フルスロットルというわけにもいかず、せいぜい60キロの速度である。これは高速道路かサーキットで体験するしかないだろう。この車は市街地でも、羊の毛皮を被って走る狼であるが、本来は高速道路でしか性能を発揮しない。市街地では、上品なスポーツカーとして、優雅に走る車である。これは意外な発見であった。

 

走行安定性

 意外と操舵感がどっしりしていて、安定感がある。これは差動装置にトルセンデフを使っているためのようだ。通常の車より安定感があると感じた。通常の車は、ハンドルが軽すぎてフラフラする感じがする。レクサスLCはそれがない。

 

操舵性能

 レクサスLCのスポーツタイプは4輪操舵ということだが、その性能の良さは、サーキットでスピン運転でもしないと分からないだろう。既定の市街地を4回、左折するだけの試乗では、良いか悪いかはわからなかった。

 

後部ウィング

 高速で走る場合に、後部のウィングが持ち上がり、作動するが、市街地走行では全く意味をなさない。高速で減速時に効果があるということだ。まあ、スポーツタイプの標準装備品で、ノーマルのLCはオプションである。こんなもの必要なのかと思うのだが、高級スポーツカーには欠かせないようだ。まあ、「これがウィングでございます」という派手なウイングで、全体デザインを台無しにしている車が多いが、LCのそれは品があって良い。

P1070115s

インパネ

 全体にすっきりした上品なデザインである。私は好きだ。しかし速度メータがデジタル表示で頂けない。オプションでもアナログメータはないとのこと。この種の車は、アナログでないとダメ、が私の意見である。その速度計のデザインが、凸上でハンドルの上に出っ張っていて、格好が悪いと感じた。少々残念である。ナビの画面は横長で見やすくて良い。

 シフトレバーは上品なデザインでまとめられている。慣れればシンプルでよいと思う。

 ハンドルの下に別のシフトレバーが付いており、これは操作がしやすく、気に入った。

P1070108s

P1070103s

P1070109s

P1070104s

トルセンデフ

 トルセンデフは、私のこだわりの製品である。1994年頃、この製品を自社開発しようと、他社の製品を分解して、当社(当時)で試作品作りを担当したことがある。生産技術部が部品の見積もりをして原価と販売価格を出し、ライン構成まで検討したが、政治的な事情で、商品化までは実現はできなかったが、思い出の製品である。その10年後ぐらいに、当社が、その製造会社自体を買収して、当社の製品の一部にしてしまった。ご縁である。

 トルセンデフは、先代のLSにはオプションで設定可能であったが、今のLSには、その設定が無くなってしまって、残念な思いをしていた。今回、レクサスLCに、トルセンデフの設定があり、嬉しくなって、今回の試乗となった。

 トルセンデフは、その機構上の性能で、直線安定性が良くなる。そのため将来の自動運転には最適のデフと思われる。

   例えば、車が右に曲がる傾向がある場合、右後輪より、左後輪の回転速度が高くなる。トルセンデフの機構上で、その場合、左後輪の制動動摩擦力が大きくなる。そのため、真っすぐに走るようにデフが自動調整する。だから直進安定性が良くなる。 

 問題は、そのトルセンデフの良さとその構成を多くのディーラの販売員があまり知らないので、顧客にオプションのトルセンデフを積極的には勧めない事だ。だから知識ある私が、その販売員にその内容を説明しなければならない。技術指導料を貰いたいくらいだ。

 もっともレクサスLCを購入する層は、そんな細かいことを気にしていまい。「一番高いものを持ってこい」である。だからトヨタはスポーツタイプには、トルセンデフが標準装備である。普通のタイプには、トルセンデフがオプション設定されている。わずか5万円程度の追加金でトルセンデフが付くなら、お薦めである。

エンジンルーム

 お洒落な人は下着にも気を使うというが、この車のエンジンルームを見て感心した。まず、色配置が素晴らしい。サスペンション部が黄で印象的で美しい。

また、ブレーキアクチュエータの配管の形状が機能的で美しい。普通の車ではここまでの美しいデザインはない。

P1070116s

P1070120s

フロントグリル

 このデザインを見て呆れた。なんでも女性CADのオペレータが半年かかってCADモデルを作成したとか。非常に凝ったデザインである。貧乏症の私が上司の課長なら、コストダウンの為、こんなデザインは即、廃止である。

 このグリルの一個一個の形状が微妙に変化しており、CADモデルを作るのが大変である。一個モデルを作って、それをコーピで展開というわけにいかない。またこれを金型に変換するのにも、膨大な工数がかかる。その金型の加工も大変である。お金がかかっているのが、よくわかる。

 前職でCADを管理する部署の管理職をしていたので、その大変さがよくわかる。三次元CADのCATIAが導入されなければ、こんな細工はできなかった。

P1070118s

P1070119s

天井パネル

 スポーツタイプは、天井のパネルがカーボン製である。軽量化の為という。なにせ先代の排気量4600㏄のLS460の重量が2000kgなのに、この小さなLCは1960kgである。そのため、天井をカーボン製にしたと言うが、もっと基本的なところで軽量化をすべきだろう。重すぎる。

P1070113s

法人車

 この車を購入する層の8割が法人だと聞いて、考えてしまった。つまりその費用を会社の経費で落としているのだ。その分、会社の利益からその費用を引けるので、利益が減り、法人税が安くなる。出すべき税金を安くしている。いわば脱税である。この車の費用分、会社の経費が増え、従業員の給与にしわ寄せが行く。これでは、ますます日本人の給与水準が下がる。この車を買う金があるなら、社長のポケットマネーで買うべきだ。この車を経費で買う社長の精神の貧困さを垣間見た。こんなレベルの社長が跋扈するから、日本の景気が回復しない。

 私が社長なら税金は多く払いたい。税金を多く払うとは、その分、儲かっているのだ。税金とは、企業が金儲けをするために使う社会インフラ(道路、橋、信号機等)の使用料金である。それを払わないのは犯罪である。税金を多く払えば、エッヘンとそれは自慢できることである。

 

お値段 

 1520万円である。高いモノにはワケがある。スポーツタイプでなく、標準のレクサスLCは1420万円である。レクサスLCを試乗すると、今話題のスープラは、かすんでしまう。スープラはガキの車に見えてしまう。レクサスLCは大人の夢物語として、話のタネにはなる。

   老人も若作りで夢を見ないと、日本は元気になれまい。しかし夢を見るのもお金がかかる。お金がないなら、そのお金は稼げばよい。それが、元気になり、生きる糧となる。お金は貯めなくとも、お金を稼ぐ能力を付ければよい。おカネを稼ぐためには、ボケーとして認知症になっている暇はない。頭を使わねばならぬ。日本も老人が死ぬまで元気に働けば、鬱病も認知症も労働問題も年金問題も老人問題も解決する。

(気だけ若い)老人よ、大資を抱け!

 

2019-06-23  久志能幾研究所通信 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。