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2019年6月24日 (月)

なぜ、学ぶのか?

 私は「修身」の講義で新入社員たちに問う。

「なぜ学ぶのか?」、「なぜ読書をするのか?」と。

 

現状分析

 現在(2006年)、日本の10歳以上の人の勉強時間はたった12分である。今もこの傾向は変わらないだろう。

 日本人の一日の余暇行動活動は6時間23分で、そのうちの学習・研究(学業以外)は12分である。(総務省統計局「社会生活基本調査」(2006年)

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 『週刊ダイヤモンド』2008年11月29日号

 

将来の危機

 こんな状況で、グローバル化が進み、国際競争が激化する中、日本は生き延びていけるのかと思うと、心配で心配で夜も寝られない。私の年金はどうなるのだと。だから昼間、眠たくなり居眠り?

 現に40年前、日本の基幹産業であった家電、半導体産業が中韓の猛撃で滅亡した。今は自動車も電気自動車、自動運転等が海外で開発が進み、日本の優位性が揺らいでいる。日本は将来の為の投資をしなければならない。

 

人間に投資

 読書や勉強は、自分への投資である。その一人一人が集まって日本である。それは日本の将来への投資となる。投資しなければ、アジア諸国が追いつてきて、追い抜いていく。彼らはハングリー精神が旺盛である。豊かな日本でのんびりと育った君たち(新入社員)とは、格段の差がある。今のままでは、皆さんが学生時代に蓄えた知的財産は減価償却して、皆さんの価値は下がる一方である。

 スマホをいじり、ブログやネットサーフィンをしていても、それは学びではない。ネット上の情報の99.99%は、価値の薄い情報である。本や雑誌の活字に触れなければ、物事を考えて、俯瞰的に観て選択・決断するという能力が育成されない。その能力が身に付かないと、考えが軽薄になり、人間としての品格がなくなる。商品開発、営業、経営で、最後の勝負は、人間力の差できまる。人間力が出来ていなければ、人生航海で沈没である。だから現在、企業人、役人の世界での不祥事の多発している。それが現代人の病を物語っている。いくらAIが進んでも、人間力にはかなわない。

 

学びの意味

何故学ぶのか。何故読書をするのか。 

 体の栄養は食物である。心の栄養は、読書、学びである。 

 

 学びは、自分自身を深く考え、自分を変えていくための行動である。

 

 学びは、単なる知識を集約、記憶することではない。単なる知識の集積ならコンピューターがやってくれる。とても人間では勝てない。

 

 本当のものを知るということは、賢くなることではなく、むしろしみじみと自らの愚かさを知り、世の不思議を感じて心からそれに頭を下げること。学問とは自分自身の癖とか性質までを考えて、直し得るところまでいかないと、本当の学びない。(元京大総長 平澤興)

 

 人は学ばないと人間ではなくなる  安岡正篤

 

 愚者は自分の失敗から学ぶが、賢者は他人の失敗からも学ぶ

 

 読書とはロケットを打ち上げること。狙いを定めて発射ボタンを押すこと。行動しないと成果はゼロ。計画して行動する(知行一致)。

 

自分の存在への問い

 ・なぜ皆さんは日本人なのか?

  なぜイラク、アフガニスタンでないのか?

     なぜ生まれた?

     なぜ今の時代に生まれたの?

     なぜ、今ここにいるのか?

 そこまで考えて、日本人に生まれたことを感謝して、社会へ恩返しとして貢献するために学ぶのが真の学びである。

 

2019-06-24   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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