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2018年10月 8日 (月)

磨墨知36.人生目標を明確にしよう

 (明智光秀は考えながら、考えている)「来る年も来る年もこのように歩き続けて、ついにおれはどうなるのか」と、ふと空しさをとおぼえぬこともない。人の一生というのは、ときに襲ってくるそういう虚無とのたたかいといってもいい。

   司馬遼太郎著『国盗り物語』後編 p145 (新潮社版)

 

 人生目標が明確であれば、その虚無感で無駄にする時間を無くせる。凡人の我々サラリーマンの日々は、変化のない日々の繰り返し。それにどれだけ耐えられるか、神様からの人生に対する問いである。誰がそういう道を選んだのか。自分自身である。全ての選択の責任は自分に帰着する。

 今日の就職難、減速時代、デフレの時代、混迷の時代には大会社への宮仕えが羨ましいかも知れない。しかし時代が高度成長期で、会社組織の部品として必死に動いていた時は、また感覚が違う。当たり前に、健康に働けた幸せは、退職後しか分からない。その幸せを理解する前に、多くの仲間が会社を去っていった。ある人は別会社へ、ある友は浄土へ。

 今、平穏な日々が送れる幸せを感じたい。そうでない人も多いのだ。その平穏な日々だからこそ、最期まで世に貢献できる人生目標を見つけて、前進したい。

 

2018-10-08 久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年10月 6日 (土)

磨墨知83. 餓死を選択しよう

 終末医療として、体中に多くの管を入れ、ベッドに固定されたままで死にたくはない。それは生きているのではなく、生き長らせられている状態である。人生は終わっている。

 管を鼻や口や血管に無理やり入れられるのは辛いもの。体が物を食べたくないといっているのに、無理やりに栄養分を管で流し込む。だから寝ているときに無意識の管を抜こうとする。それ故、病院側は両手をベッドに紐で括り付ける。自分の意思を表現できないのは、生きながらの地獄である。そこに人間の尊厳はない。それまでして生きたくはない。

 餓死は苦しくない。自然に眠るがごとく死ねる方法である。人は生まれ、老い、病気になり死を迎える。自然の摂理である。死ぬときは自分の意思であの世に行こう。それが残された時間の有効利用。家族の時間も大事にしよう。

 城山三郎著『落日燃ゆ』に書かれた広田弘毅元首相の母は、死ぬ前に一目息子の会いたいと願うが、オランダ公使として、赴任中でそれが叶わぬと分かると、自ら食を立って餓死したという。

 生きる自由があるのだから、死ぬ方法の選択があってしかるべき。そうしないと最期の時間が無駄になる。家族の時間を無駄にする。

 

 私が42歳の時、脳梗塞に倒れた母を半年間見守ったが、見舞いに行っても、意識のない母を見るほど辛いものはない。それを看病する父も辛かったと思う。

 

死期が迫っている時、延命医療を望むか (数値は%)

           自分に  家族に

延命医療を望む     11.0   24.6

何方かと言うと望まない 33.9   34.5

望まない        37.1   17.5

分からない       14.7   21.1

 (厚生労働省:終末医療に関する調査より(2008年)

 

2018-10-06 久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年10月 5日 (金)

磨墨知67. 退場のタイムカードを朝に押そう 

今日は何時に帰宅するつもり? 出社時の朝に、退社時間を決めよう。

 私の入社当時(1970年代)は紙のタイムカードであった。残業時間の管理のためである。それから40年が経過して、フレックスタイム制になり、タイムカードが無くなった。定年退職時(2010年代)は、管理職も電子カードで入退室時間を管理されていた。産業医からの過労死防止対策で、労働時間管理の為、残業時間相当を60時間に制限された。

 

 どんな仕事も終わる時間を決めて取り組むべき。どんな役職にも任期も命もある。自分はいつ退任するつもりか、心つもりをして、その職に就くべきだ。その覚悟がないから、惰性でその職に就き、職を汚すことになる。地方自治体の長の任期は4年、2期が常識である。それをだらだらと5期もやれば、大垣市の街も衰退する。歪も腐敗も起きる。それは世に害毒を垂れ流すこと。

 

 新しい職場に赴任したら、1年目は様子を見て種をまき、2年目で改革の活動をして、3年目でその改革の収穫と後継者を育てて、その職場を去る。新しい職場についたら、3年後にその職場の退場タイムカードを押す予定を組もう。

 

 自分はご先祖の御恩でこの世に生まれた。その時期は自由にならないが、この世を退場する時期は、おおよその目途がつけられる。還暦を過ぎたら死期を見定めて、定年後の「残業時間」の終わりを自分で決めたい。その覚悟がないから粗大ごみ扱いされる。

2018-10-05 久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月13日 (木)

今の話し相手が運命の人

 今日は冷やかしで、ベンツ店と個人営業の小さな車販売店(全メーカ取扱い)に、行ってきた。ところが、営業マンと打ち合わせ中に、その営業マンに割り込みの携帯電話がかかり、それの対応の姿で、お店とその人物のレベルが分かり、人生の学びとなった。

 

ベンツ店で

 ベンツ店では、若い営業マンが接客したが、その場に携帯の電話が鳴り、「ちょっと失礼」と向こうに行って話し込み、さらに奥の部屋に行ってしまった。戻ってきたのは、8分後である。私は、内心怒り心頭であったが、表には出さず対応した。それで営業マンとお店のレベルが判明した。

 人生では、目の前にいる相手が、最優先なのだ。今が一番大事なのだ。その対応の様子で、私は人を判断する。今対面している人が、この世で、今の時間で、一番あなたの運命に沿った最適の人なのだ。仏様はそれでその人の今後の運命を振り分ける。私は閻魔大王様の代行として、その人に「不適」の人物評価の判決を下した。

 

小さな車販売店の対応

 その後、訪問した自動車販売店のお店でも同じことが起きた。若造ならともかく、人生経験豊富な70歳代のオーナー社長がその低落なので、この人との今後の付き合い方を見直すことにした。

 

私の電話対応マナー

 私は誰かと面談中にかかって来た電話には、面談中の相手には断って出るが、電話の相手には、「今接客中なので、後で電話をします」と電話を切るのを基本としている。電話に出ないのも、相手に失礼である。それも相手の時間を奪うこと。

 しかし割り込みの電話を続けると、面談中の相手の時間を奪うことになる。時間とは、その人が一生で使える命の期間である。割り込み電話に出て、長話をすれば、相手の命の一部を盗んだのだ。また「かかってきた電話の人の方が、(貧乏な)貴方より大事な人だ」と相手に宣告すること。そんな失礼なことはない。やはり、ベンツ店はお高くとまっているようだ。そういう接客の教育をその店ではしている。客にその侮辱をしたと思わない人と付き合っては、人生は終わりである。だから、さようなら、である。

 

ベンツ車を理解

 今回、ベンツ店に行って分かったことは、ベンツのクラスとお値段である。今まで全て同じに見えて区別がつかなかったが、Cクラスがトヨタマークχクラス、Eクラスが、トヨタクラウンクラス、Sクラスが、レクサスLSクラスであると理解できた。CとEクラスは、各々日本車より100~200万円高いだけで、べらぼうに高いわけではない。ところがSクラスは、日本車に比べて約800万円も高い。その値段差の付加価値に興味を抱いた。

 日頃、日本の道路上で見るベンツ車はCクラスが多く、そんなに驚くことはない。ドイツに行けば、トヨタマークχが走っていると同じである。そのほとんどが中古車である。これでベンツを見てもあまり驚かなくなった。冷かした甲斐いがあった。しかし冷かしでなく、正規に購入検討をする身分に早くなりたいもの。

 

2018-09-13  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年7月27日 (金)

磨墨智572. なぜ?なぜ?と5回言おう

トヨタ生産方式

 トヨタでは問題が起きれば、何故?なぜ?を5回繰り返して真因を探る。その場しのぎの対処療法からは真の解決はない。現状肯定からは創造はない。問題点の真因を見つけないと、時間は作れない。なぜ5回なの? 何回でも「なぜ?」と言おう。そこから時間創出のアイデアが出てくる。

 私の高血圧症、網膜静脈閉塞症も、「何故?なぜ?」で解決した。真島消化器クリニックの真島康雄院長は、バラの栽培を通して、人も自然の一部だと悟り、何故なぜを何回も繰り返して、高血圧の真因を突き止めた。

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 昔は話題にならなかった認知症がなぜ増えたのか。今日2018年7月27日の日経に「某薬品メーカで認知症薬に進展」との記事があった。現在65歳以上は15%が認知症である。後追いの対処療法の薬の宣伝ばかりで、なぜ認知症が増えたかの原因追求がないのか。なぜ、なぜ? 

 昔はガンでの死亡者数がそんなに多くなかったのに、何故、現在、男性の60%がガン死まで増加したのか。医療が発達して、ガン治療は進んでいるのに、何故ガンにならない研究が進まないのか。なぜ、なぜ? 1990年は401,941人、2010年は805,236人のガン罹患者数の推移である(国立がん研究センターがん情報サービスより)。なぜ20年でがん患者が2倍に増えるのか。なぜそれを誰も追求しないのか。なぜ、なぜ?

 なぜ、大垣市の小学校のエアコン設置が県下最低の2.1%で、何故その整備が6年後なのか。気象庁から「命の危険ある」と宣言された殺人的暑さが続く緊急事態なのに。

 なぜ大垣市制百年行事で使う3億円余の一部を小学校エアコン投資に回せないのか? 子供の命より、大垣市長の椅子が大事なのか。それでいて、なぜ大垣市は「子育て日本一を目指す」などとホザくのか。

 なぜ大垣市政100年記念行事の会計報告がマル秘なのか。なぜ市民税を使う公金なのに市民に公開できないのか? 公開すると使途不明金が露見するから? なぜ、何故?

 このオリンピックで建設資材が高騰している中、なぜ不急の新市庁舎は、遅延もなく驀進しているのか。なぜ、なぜ?

 

 真因を突き止めず、対処療養で済ませるから、無駄な金と無駄な時間が浪費される。素直な眼で物事を観れば、真因が浮かび上がる。

 

2018-07-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年4月20日 (金)

時間創出 緩慢なる死刑台への13段

 エスカレーターとは、あの世に早く到達するための動く階段である。別名「緩慢なる動く死刑台の13段」と私は呼んでいる。それを使えば歩く量が減り、足腰が弱くなり、認知症、各種の病気に原因の遠因となる。結果として安易な考え方になり、生活の全般にわたって楽をしようという生活姿勢になる。

 人は足から老化するのだ。楽をすれば、後年、どこかで落とし前を払わなければならぬ。その落とし前が病気である。

 私は病気をしたご縁を機に、エスカレーターは使わない方針に切り替えた。隣にエスカレーターがあると、階段を横のエスカレーターに乗った人よりも早く歩いて階上の到達するように心がけている。隣に競争相手がいるとよき励みとなる。

 

2018-04-20

久志能幾研究所 小田泰仙

2018年3月31日 (土)

磨墨智37. 使命感を持って生きよう

 命とは、この世で自分が使える「持ち時間」である。人生ゲームにおいて、命を考えて真剣に物事に取り組めば、たいていの事は成就する。中途半端に取り組むから、かけた時間が無駄になる。

 命を使って、命をかけて、命に報い、命を輝やかせよう。それが命を授けて頂いたご先祖様へのご恩返し。

 使命感もなく惰性で生きてくると、早く惚けて、人様に迷惑をかける。お役人の中途半端な偉いさんや、警察署長、校長先生にその類が多い。そんな人は、定年後、「起きたけど 寝るまで特に 用もなし」、「辞めたけど やること無くて 徘徊す」、「妻旅行 俺は徘徊 猫ホテル」の生活に落ちぶれる。

人は何のために生きているのかを考えず生きてきた咎である。その一方で、その命を下さいと泣いている業病の人がいる。もっと命を大事に使いたい。

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  馬場恵峰書 老いの川柳  2016年

 

燃える人生でありたい

 佛様が人の「命」の使い方を観音帳(閻魔帳ではない)に記述する。その使い方の真摯さが、人生ゲームの勝敗を分ける。天は自ら燃えない人を燻らせ、その燻った煙で回りに迷惑をかける。燃えない樹木ほど、煙(ぼやき)が多い。燃える人はその情熱で周りを暖める。功徳を積んで命を大事にしよう。

 人間の命は、たかだか百年である。佛師は千年後にも拝まれ続ける佛像造りに命をかける。松本明慶大佛師の言葉、「私は、みほとけを謹刻することによって生かされている」。 

 

人生三観を明確に

 使命感は、人生観・仕事感・人間観の明確化から生まれる。いくら小手先で時間を作っても、この3つの価値観が明確でないと使命感溢れる仕事はできない。仕事をするとは時間を作ること。

Photo  「修身」小田 2005年

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 馬場恵峰書 「恵峰書_恵峰ひと月教訓」2006年

 あるプロジェクトで一緒になった人たちが、この価値観を全く理解していない事が判明した。このままでは私と師の命が危ないので、私はそのプロジェクトから身を引き、その人達と縁を切った。

 

2018-03-31

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年2月19日 (月)

佛は寿司を回さない

 時間と命を惜しむなら「回転寿司屋」には行かないこと。回転寿司屋では、食べている間に次の皿が回ってくるのに気を取られ、思考が散漫になり、落ち着いて食事が出来かねる。待っている間が時間の無駄である。思考が飛んでしまう。回っていた皿の寿司は、一定時間食べられなければ、廃棄される。食べるという他の命を頂くという行為が、金儲けと遊びに堕落している。

それより、普通のすし屋で1半の寿司を食べたほうが合理的である。その方が安いし、時間節約である。自分が惨めにならなくて済む。

 

ブロイラーの鶏の如き

 回転寿司のテーブルに座っていると、餌が回ってくるのを窓越しに待っているブロイラーの鶏のようで惨めである。それを感じない人は幸せである。

 家族で回転すしに食事に来ても、子供は回ってくる皿に目が走り、家族団らんの会話など消え失せる。ブロイラーの鶏のように食べるのに必死である。情けない飽食の日本の姿である。

 

「猿の惑星」なら

 たまたま人間が霊長類の頂点として地球上に君臨するからよいが、映画「猿の惑星」のように猿が支配する惑星だと、大変だ。人間が回転すしのネタにされて、白人か黒人か黄色人種か、どの人種が美味しいかと舌なずりされるやも知れない。猿もクマもライオンもラクダもパンダ(熊科)でさえ、人間を襲って食べる習性がある。たまたま人間に佛様が知性を与えてくれたので、人間様の支配する世界があるだけである。人と猿のDNAは大して違わない。すべて仏様のさじ加減で今の世界が出来上がっている。

 

畜生に戻る訓練

 生物は他の命を頂かないと生きていけない。人間も同じである。徳性ある人間だからその命を食べる前に「いただきます」と手を合わす。その代わり知性のないライオンは、満腹になれば、目の前にウサギが通っても手を出さない。人間様だけが、満腹でも目の前のサラに手を出して飽食を繰り返す。満腹でも食い物に手を出すのは畜生に劣る。満腹でも食い物に手を出すのは、畜生に戻る訓練をしているようだ。

 それも回転寿司のように見世物のようにして食べるのは、命への冒涜ではないか。猿が地球を支配して、白人、黒人、黄色人種の肉がネタの回転すし屋で猿が舌なずりをしている様を想像するとぞっとする。猿が地球を支配すれば、そういう世界が実現する。

 

戦前の植民地は回転すし

 太平洋戦争前のアジア・アフリカは、欧米列強にとって、美味しい回転すし如き状況で、大半の国が欧米列強の餌食になり、美味しい国から手当たり次第に植民地にされた。列強諸国は、植民地の人間を人間扱いせず、その生き血を啜り、母国で優雅な飽食の生活を送った。アジアで唯一といっていい日本だけが、刀という護身の武器と武士道と教育レベルの高さで、その毒牙から逃れることができた。その欧米列強は、今、移民の洪水という洗礼を受けている。全て先祖が撒いた悪の種が、花咲いているだけである。それを因果応報という。今の欧米の繁栄は、植民地の人々の死屍累々たる土壌の栄養を吸って咲いたあだ花である。

 当時、護身の刀と武士道で身を守った日本なのに、今は、自堕落な飽食に明け暮れて、内部から衰退・崩壊しようとしている。飽食の果てが、肥満の増加と日本の総医療費40兆円超えであり、認知症の氾濫である。

 

食の安全と懐の安全

 一皿オール100円の回転すしでは、何を食わされているか不安で行けない。安いものにはワケがある。なおかつ普通の回転すし屋では、大抵2000円くらいは食べてしまう。我慢して安い皿だけを選んで食べていても、たまに高い皿が回ってくると、一つくらいいいかと食べると、それが2つになり3つにもなる。大抵それで2000円の大台が簡単のオーバーである。また、どうしても好きなネタばかりを選んで食べるので栄養バランスも悪い。「回転寿司屋」は過剰な食欲を起こさせる細工がテンコ盛りである。普通のすし屋では、バランスよく盛り付けられている。それでも1500円も出せば十分である。過食もない。

 

2018-02-19

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2017年12月18日 (月)

磨墨智 589-1.この世の地獄

 2013年、毎日、私は図書館の学習室で国家資格試験の受験勉強に励んでいた。いつも17時半ごろ、60過ぎの男性が、学習室の読書のため姿を現す。18時に一般閲覧室が閉館になるので、学習室に来るのである。その男性は学習室で、ただ雑誌や本を読むだけである。それを見て自分の幸せをつくづくと感じる。その人は「婦人画報」や「週刊ダイヤモンド」等の雑誌の活字を虚ろな目で追っているだけ。時々、学習室内を歩き回ったり、窓辺で物思いに耽っていた。周りで必死に勉強している学生達と対照的であり、周りに迷惑をかけているが、本人の自覚はない。「自分がそういう境遇でないことの幸せを感じなさい」との仏様の啓示だと悟っている。(2013年7月)

 

時間つぶしの地獄

 60過ぎになって、やることがなく図書館で雑誌を読んで時間潰しをしているほど惨めなことはない。こうなっては時間がいくらあっても無価値である。これでこの世の地獄を感じない人は終わっている。余命3ヶ月を宣告された末期ガン患者からすれば、その時間潰しの時間を少しでも分けてくださいと懇願すると思うのだが。本人にその自覚はない。受験地獄とはよく言われる言葉であるが、それで死ぬわけではない。自分の未来に向って挑戦をしているだけである。これを幸せと言わずして、何が幸せか。

 その昔、私も仕事で干されたことがあるが、周りが会社の収益のために忙しく働いているのに、自分は仕事がない。これほど辛いことはない。この辛さを経験したが故、仕事がある幸せが分かる。下記のような境遇になっては、人生は終わっている。そうならないように精進をすべきである。それが時間創造である。仕事は生活の糧ではない。仕事とは生きることそのもの。仕事のない時間は死の時間。

 

 起きたけど寝るまで特に用もなし

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2017-12-18

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2017年9月13日 (水)

磨墨智 589-1.この世の地獄

 2013年、毎日、私は図書館の学習室で国家資格試験の受験勉強に励んでいた。いつも17時半ごろ、60過ぎの男性が、学習室の読書のため姿を現す。18時に一般閲覧室が閉館になるので、学習室に来るのである。その男性は学習室で、ただ雑誌や本を読むだけである。それを見て自分の幸せをつくづくと感じる。その人は「婦人画報」や「週刊ダイヤモンド」等の雑誌の活字を虚ろな目で追っているだけ。時々、学習室内を歩き回ったり、窓辺で物思いに耽っている。周りで必死に勉強している学生達と対照的であり、周りに迷惑をかけているが、本人の自覚はない。自分がそういう境遇でないことの幸せを感じなさいとの仏様の啓示だと悟っている。(2013年7月)

 

時間つぶしの地獄

 60過ぎになって、やることがなく図書館で雑誌を読んで時間潰しをしているほど惨めなことはない。こうなっては時間がいくらあっても無価値である。これでこの世の地獄を感じない人は終わっている。余命3ヶ月を宣告された末期ガン患者からすれば、その時間潰しの時間を少しでも分けてくださいと懇願すると思うのだが。本人にその自覚はない。受験地獄とはよく言われる言葉であるが、それで死ぬわけではない。自分の未来に向って挑戦をしているだけである。これを幸せと言わずして、何が幸せか。

 その昔、私も仕事で干されたことがあるが、周りが会社の収益のために忙しく働いているのに、自分は仕事がない。これほど辛いことはない。この辛さを経験したが故、仕事がある幸せが分かる。下記のような境遇になっては、人生は終わっている。そうならないように精進をすべきである。それが時間創造である。

 

 起きたけど 寝るまで 特に用もなし

 

2017-08-13

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