磨墨知83. 餓死を選択しよう
終末医療として、体中に多くの管を入れ、ベッドに固定されたままで死にたくはない。それは生きているのではなく、生き長らせられている状態である。人生は終わっている。
管を鼻や口や血管に無理やり入れられるのは辛いもの。体が物を食べたくないといっているのに、無理やりに栄養分を管で流し込む。だから寝ているときに無意識の管を抜こうとする。それ故、病院側は両手をベッドに紐で括り付ける。自分の意思を表現できないのは、生きながらの地獄である。そこに人間の尊厳はない。それまでして生きたくはない。
餓死は苦しくない。自然に眠るがごとく死ねる方法である。人は生まれ、老い、病気になり死を迎える。自然の摂理である。死ぬときは自分の意思であの世に行こう。それが残された時間の有効利用。家族の時間も大事にしよう。
城山三郎著『落日燃ゆ』に書かれた広田弘毅元首相の母は、死ぬ前に一目息子の会いたいと願うが、オランダ公使として、赴任中でそれが叶わぬと分かると、自ら食を立って餓死したという。
生きる自由があるのだから、死ぬ方法の選択があってしかるべき。そうしないと最期の時間が無駄になる。家族の時間を無駄にする。
私が42歳の時、脳梗塞に倒れた母を半年間見守ったが、見舞いに行っても、意識のない母を見るほど辛いものはない。それを看病する父も辛かったと思う。
死期が迫っている時、延命医療を望むか (数値は%)
自分に 家族に
延命医療を望む 11.0 24.6
何方かと言うと望まない 33.9 34.5
望まない 37.1 17.5
分からない 14.7 21.1
(厚生労働省:終末医療に関する調査より(2008年)
2018-10-06 久志能幾研究所 小田泰仙
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