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2018年10月29日 (月)

磨墨知128. 「今ここ人生ドック」に入院

 『方丈記』に曰く、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。波間に浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。」だからこそ、今に全力を投入しよう「そのうち」などは永遠に来ない。「今のうち」しか時間はない。

 

失明状態に陥り

 還暦を過ぎて、国家資格受験の取り組み中に、白内障と網膜はく離を患った。2週間ほど左目が失明状態に陥り、今まで見えて当たり前の世界から、見えない世界に追い込まれた。それで「今が大切、今のうちしか時間がない」を思い知らされた。勉強ができるのも目が見えるうち。生きているうちである。そのうちにやろうと思っても、やれるのは目の見える今のうちである。愚かな人間は、失って初めてその価値に気づくもの。

 

人生ドック

 何事も因果応報で、起きたことには原因がある。今まで体を痛めつける生活を長年続けてきた応報の現れである。これが起きた真因を探り、これを機に生活のスタイルを見直すご縁を頂いたと解釈した。それで健康管理に真剣に取り組んで、還暦後の生命の危機を乗り切った。

 周りを見ると、62歳前後で亡くなる知人が多くいた。これは知られざる男の厄年だと思う。全力疾走してきたサラリーマン生活の旅を終り、人生第2の世界への軟着陸に失敗したのだ。還暦後は「人生ドック」に入って、生活全般を見直す必要がある。

 

「トヨタ式生産方式教」に入信

 人は日々の生活で体調の不良に悩まされることが多々あるのが普通である。今ここの意識で、日頃の生活を見直さないと、失速墜落である。日々の体調不良や人間関係トラブル、些細な事故は、仏様からの、「生活を見直せ、考え方を見直せ、治療を見直せ」との啓示である。その治療が単なる対処療法である場合が多い。だから治らない。心してその声を聴こう。その真因を探るため、なぜ、何故と五回言おう。

 体調不良の諸悪の根源が、不適切な食生活にあったと気が付いたのは、この後である。病気になり、そのご縁で神仏の門を叩いて、久留米の真島消化器クリニックで検査を受けるご縁を頂いた。

 私の信ずる宗教は、「トヨタ式生産方式教」である。そのご経文は「なぜ、何故の五回唱え」。それのご利益はあらたかである。問題の真因を探るために、己の心に刃を向けよ。

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  馬場恵峰書

 

2018-10-29   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月28日 (日)

磨墨知127. 狂おう

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。狂っているときが一番正常で健全だ」とは、ギリシャの哲学者セネカの言葉。狂は純粋なのだ。純粋だから成果がでる。革命は狂から発する。

 私も青春の一時期、団塊の世代の受験戦争で、狂ったように受験勉強にまい進した。受験というレールに乗せられて走らされたが、今思うと純粋であった。狂っていた。当時はそれが正常で、健全な時期だった。

 それが年老いると、狂いたくても、狂う情熱も体力も気力もなくなる。周りの雑音(もっと誘惑的なもの)が多すぎて、覚めてしまった今の状態では、狂いたくても狂えない。それは逆に人間的に堕落ではないかと反省している。

 狂える時は狂うがよい。狂う対象を見つけて、若さの気を取り戻し、青春を謳歌しよう。青春とは心の状態を表す言葉で、肉体的な状態をいうのではない。狂えば、精神は若い状態を保つ。世に貢献するために狂おう。

 

青春                    サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

宇野収・作山宗久著 『青春』より一部抜粋,加筆    (産業能率大学出版部刊

 

2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知126. 自燃(=自然)

 人間は燃えているときに仏性を持つ。魂の燃える情熱が時間と障害の壁を打ち破る。仏性には無限の時間を有する。

 醒めた人間は、燃える人を冷ややかに眺めるだけで、何も行動に移さない。覚めているから、すぐ損得計算をして、「ワシには関係ない」と無視である。暇だから悪魔の囁きに耳を傾け、悪魔に魂を売る。悪魔は無為無策無志無動の極楽切符をくれる。その切符は認知症街道にまっしぐらである。

 感動とは心を動かすこと。覚めていると心は動かず、無動である。それでは何も成し遂げられない。

 

用を作って、用に燃える

 馬場恵峰師は、還暦の時、社会貢献として、家屋敷を担保に私財を投じて1億円の借金をして350坪の土地に日中文化資料館を建てた。その借金を24年間かけて、84歳で完済した。

 恵峰師は中国に私費で240回も渡航している。旅費だけで約7千万円が消えた。しかし智慧という財産が残った。人から見れば、「馬鹿かいな、アホかいな、中国にどげんか用があるばってん?」である。恵峰師曰く、「用があるから行くではない。用を作りに行くのだ」。恵峰師は92歳の現在(2018年)も、現役でバリバリである。馬鹿かいな、とあざけった人たちは、早くあの世に旅立って行った。

 馬場恵峰師に健康の秘訣を聞いたら、今は時間があるから、若い時よりも多く勉強している。毎日、朝晩の庭の草取りは欠かさない」。健康とは、体の健全さと心のやすらかさをいう。心身が健康でないと、時間を作れない。

 自分が燃えなければ、勉強はできまい。時間を持て余し、食っちゃ寝、食っちゃ寝では、確実にボケる。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では人生の末期が哀しい。老いるほど、人に負けないように自分で燃えよ。それが人生時間を創る。

Photo 日中文化資料館(敷地350坪) 平成元年 建設   

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三昧楼(付属図書館) 平成五年 建設

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2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月27日 (土)

磨僕知97. 春風秋雨 

 前倒しの取り組みをしよう。今やるべきことで、できる状況になったら即実行しよう。見切り発車する先見性を持とう。後からでは余分のエネルギーが必要だ。明日では遅い。敵は昨日済ませている。今日でも遅いのに明日なんて。まして来年なんて。やってみて判断ミスと思ったら、直ぐ修正すれば良い。決断を出さなければ、修正も出来ない。朝令暮改もリーダーのPDCAを回しての必要行為である。

 

◆明日があると思うな、もう一度チャンスがあると思うな

 ああ、いい梅が咲いたな、明日にでも花見に行くか,と思っていたら春風が吹いて一夜で全ての花が散ってしまった。ああ、美しい椿の花が咲いたな、明日にでも見にいこうかと思っていたら、夜に秋雨が降り,全て散ってしまった。「春風秋雨」とは「今、ここの精神でやらないと、時間は待ってくれない」との警句である。明日があると思うな。次ぎの時にやればいいと思うな。それは一期一会と同じ言葉でもある。

 

組織の別れ

 私の前職の会社の組織長は、普通3年で交代の不文律がある。それでも普通はその1,2か月前に事前の話があるもの。上司から前の組織変更の話を聞いたのが、2001年4月5日(木)午前11時、実際の組織変更は、4月9日(月)からという(書類上は4月1日付)。その日の午後、私はずっと会議で、実質1日しかない慌ただしい組織変更を通告された。グループのリーダーとして、次ぎにあれもやりたい、これも段取りしようと思っていたが、メンバーとの別れは1年余で突然にやって来た。

 

家族の写真

 この組織異動の話があって、何故か昔にNHKで「家族の写真」とかのドキュメンタリーを見た記憶が鮮明に甦った。思いついて週末に家族の写真を写真館で撮った。

 そのNHKドュメンタリーでは、毎年家族そろっての写真を撮り続け、その家族の歴史を綴っていた。家族の出生や病没による増減、家族の老いなど、楽しい記録や辛い記憶などが綴られていた。私の家族を振り返ると、各個人では写真を撮っているのだが、いざ家族揃っての写真というと無いのである。カメラは持っているのだから、たまに撮るのだが、親が年老いてから家族揃っての写真が無いことに気づいて愕然とした。父の入院の前日に、今しか撮る機会はないと思い、写真館に行った。今後は毎年か隔年くらいで家族揃っての写真を撮ろうと心に決めた。

 

 現実問題として、今できないことは、後からやろうとしても意外と出来ない。時間は人を待ってくれない。結局、この写真が最初で最後の晩年の家族写真となってしまった。この写真が父の霊前を飾ることになった。それでも、縁ある組織異動との出会いで、父の元気な姿の写真が間に合って良かった、とそのご縁に感謝している。

 

家族への贈り物

 現在、家族同然と思って接している馬場恵峰先生と三根子先生を、2018年10月20,21日で伊勢神宮と岩村への旅にご案内した。大垣フォーラムホテルでは、スイートルームにお泊めした。今日10月27日に三根子先生から礼状が届き、「とてもいい冥途の土産となりました。とても有意義な米寿の記念です」と喜んでいただけた。ありがたいこと。

 「冥土の土産」の言葉でドキッとして、春風秋雨の言葉を思い出した。思えば恵峰先生は92歳、三根子先生は米寿なのだ。その前に、よき贈り物ができたと喜びである。改めて恵峰先生ご夫妻の歳を感じた。何時までも元気で過ごしていただきたい。

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   馬場恵峰先生書

2018-10-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月26日 (金)

磨墨知590-3. 何を置いて逝くのか

老いて、追いて、負うて、

 人間は一生をかけて(80年×365日=29,200日)、何を現世に置いてあの世に旅たつのか。土でできた肉体は、いつかは土に帰る。土でできた肉体は大きな器である。その器に何を入れて昇華させるのか。それが人間の生き様であり、成果である。それが時間の創造である。かけた時間に相応して、人生が決まり、昇華する価値が決まる。人は何にお金を使い、何に時間を使い、誰に出会い、何を志したかで、人生が決まる。

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人生ホテルのチェックアウト

 人は人生ホテルに、裸でチェックインして、裸でチェックアウトする。どんな立派なホテルに泊まっても、いつかはチェックアウトしなければならぬ。それも自分の意思ではなく、ある日突然に追い出される。その時、身につけるのは経帷子のみ。その時、己は此の世に何を置いて逝くのか。それを意識して生きよう。

 

2018-10-26  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知590-2. 時間とは何か

 人生では言葉の定義で生き様が変わる。言葉をどのように解釈して行動に移すのか、それによって人生の歩き方が変わる。解釈の仕方は国や民族の人生観そのものである。人生をつまらないものと定義すれば、つまらない人生を送る。価値あるものと定義すれば、価値を作るための生き方をする。それ故、時間を「量」と捉えるか、「命」と捉えるかでは、生き様に大きな差が出るはずである。

 辞書での解説とは、辞書を作った各編集者の解釈にすぎない。解釈が同じでないことは下記を見れば一目瞭然である。辞書の定義は、あくまで編集者の個人的見解である。自分の人生を創る為に、自分で時間の定義をしよう。私の定義は下記、

「時間とは与えられた命である。私の辞書に「量」の意味はない。」

 

  1. A continuous measurable quantity forum the past, through the present, and into the furture (Longman)

   過去から現在を通して未来に向って連続的に数えられる量

   2. What is measured in minutes, hours, days, etc. (Oxford Adbanced Learner’s Dictionary)

   分、時、日等で測定できるもの

   3.  the quantity that you measure using a clock (Macmillan Egnilish Dictionary)

  時計を使って計測する量

  4. the part of existence which is measured in seconds, minutes, hours, weeks, months, years, etc. (Cambridge Adavanced Learner’s Dictionary)

  秒、分、時、週、月等で計測される存在の一部

 5.  a quality that goes on and on without end, separating things that happened before from those that will happen. (The Lincolm Writing Dictionary)

   起こってしまった事象を起こるであろう事象を分離する終りなき継続する品質

 6. the past, present, and future; every moment that has ever been or ever will be      (Webster’s New World Children’s Dictionary)    

    過去、現在、未来;  継続するか継続するであろう各瞬間  

 7.  The past, present, and future measured in seconds, minutes, hours, and so on.(Scholastic Children’s Dictionary)         

     秒、分、時、等で計測される過去、現在、未来

  8. Indefinite, unlimited duration in which things are considered as happening in the past, present, or future; every moment there has ever been or ever will be. (Webster’s New World Dictionary)           ]

 9. A nonspatial contimuum in which events occur in apparently errebersible succession form the past through the present to the future.(The American Heritage Dictionary)

   10. System of distinguishing events; a dimension the enables two identical events occurring at the same point in space tobi disitinguished, measured by the intervalbetween the events. (Encarta World English Dictionary)

  1. A period during which something(as an action, process, or condition) exists or continues; an interval comprising a limited and continuous action, condition, or state of being; measured or measurable duration. (Webster Third International Dictionary)
  2. A rasional system in which events, following from one to another, can be measured; the passing of minutes, hours, days, or years (Randoum House Webster’s Intermediate English Dictionary)
  3. A certain point in the day or night, that you say in hours and minutes/ all the seconds, minutes, hours, days, weeks, months and yeaes. (Oxford Elementary Learner’s Dictionary)
  4. Time is what we measure in minute, hours, days, and years. You use time to ask or talk about a specific point in the day, which can be stated in hours and minutes and is shown on clocks. (Collins COBUILD New Student’s Dictionary)

   15. The passing of hours, days, years,etc. measured by clocks./ the passing of time/yeas,/ the process of time/ the years happnening and becoming past of the past. (Larousse English Dictionary(france))

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2018-10-26  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月25日 (木)

磨墨知633. おまけは拒否しよう

 おまけは無料である。しかし使いもしないグラスや皿、ポリ容器等は貰うのを拒否すること。結局使わずに、その処分の時間、収納場所等を無駄にする。今は不用品の処分にもお金が懸かる。

 「ものには精霊が宿っています。使われないと悲しみます。」とは私の師の奥様の言葉。自分が使うものは、お金を出して手に入れよう。使いもしないものは、貰わないこと。それの製作に時間をかけて(命を使って)作ってくれた人への礼儀である。有意義に使ってもらえる人に行くのが、精霊の籠ったモノへの心遣いである。モノには妖怪が宿っている。

 

命の消滅

 タダの情報、タダの本をもらえば、聞かなければならぬ、読まなければならぬ、情報が多くなりすぎて混乱の元である。聞いた時間、読んだ時間が無価値の内容なら、その時間分だけ、自分の人生の時間(命)が消滅したのだ。その分、寿命が短くなったと同じで、怖ろしい事態なのだ。

 

命を召す新興宗教から誘い

 タダの情報でも、提供する方には下心がある。相手も生きていかねばならぬ。この世でタダのものはない。タダの利用目的を確認してから、受け入れよう。新興宗教の最初の勧誘の多くは、ただで迷える羊を誘い込む。ときにはそれが絞首台の道につながるかもしれぬ。

 

命を削るタダの食いもの

 タダの食い物、おまけは貰わない、食べない。無料だからと大盛りを食べれば肥満になり、間接的に多くの時間が盗まれる。タダの食品には「毒」がある。食べ物は、自分の目で確認して、己の意思で選択して購入しよう。病気になれば、多大の時間が失われる。病気の原因の多くは、食事からである。

 

2018-10-25   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知47.  いい仕事は必ず重なる

 いい仕事、いい企画、いい行事は必ず重なってくるもの。それが集中してやってくる時は、こなすのに困ることが多い。それは神様が与えた運試し。その時は、人生の波が高揚しているときで喜ばしい。何もないよりはるかに良い。それをこなす知恵を出すことが人生の仕事である。それを安易な選択をするから、人生が下降する。その選択のために、己の価値観を明確にせよ。価値観が明確なら、選択に迷わない。

 

人生経営はいつも赤字

 いつもどんな場合も時間は十分にはない。自分が社長の時間株式会社は、いつも赤字経営なのだ。その赤字幅を少しでも少なくする取り組みをするのが人生経営。どうせ人生の先は、死という負け戦なのだ。負けるにしても、その負け方を最小限にせよ。負ける時を最大限に遅らせよ。それが人生ゲームで、負けないためのルールである。

 人生ゲームで勝つ必要はない。自分に負けずに、自己満足で終われば立派なもの。あれもこれもやりたかったのに、で終わるのも可である。認知になれば、それさえない。

 

人生ゲームの妨害者

この人生ゲームは、己の条件が悪くなるように仏様が意地悪をしている。人生、うまくいく方が稀なのだ。仏様は、難題を突き付けて、己の智慧と熱意を試しておられる。うまくいかなくても、戦い甲斐があったと喜べるように、せめて心を込めて戦いたい。

 

2018-10-25   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

磨墨知43. 先例を考慮せず

 自分の頭で事態を判断するから創造的な仕事(時間)を創れる。前例に縛られるから、固定観念に囚われて無駄な時間を取られる。生きるとは、世に残す仕事をすること。仕事とは、事に仕えること。その事が社会に貢献する対象なら遠慮はいらぬ。思い切ってやれ。それを為すことは、時を刻む命そのものである。

 故小渕首相は在任中、「前例はどうなっているか」と一度も秘書官に尋ねなかった。

 

組織運営

 どんな組織も、自分の頭で考えないと、旧態依然たる前例に押し潰される。それは、波風を立てないように、問題が起こらないようにと、一切を変えることを自分で禁じた認知症如き運営となる。変えないことで、その陰で甘い汁を吸う輩が跋扈し続ける。問題を顕在化しないから、ますます問題の解決が難しくなる。

 新しい職位について、何も変えず、改革せず、従来のままでは、神輿の上の鏡餅である。それでは己が飾り物であったことを、任期終了時に悟るのだ。そんな愚を避けよ。それでは組織に死の時間が流れていく。組織だって、生きている。その生を謳歌させよ。

 

2018-10-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月24日 (水)

磨墨知166.ビジネスの占い師になろう

 書類一枚、FAX一枚でその人の事務能力、信用度がわかる。 不渡り手形を掴まされるとは時間を失うこと。

 

◆ 書類の微分値

 ナレッジワーカとしての出力は書類である。書類という情報商品の品質が問われる。私は書類の表題や図表、グラフの書き方等から、その報告書、稟議書、計画書等の出来不出来を推察する。スキのない書類は、作成した人の各面への考慮が滲み出ているから、その書類は充分の検討がしてあり、信頼に耐えうると判断できる。

 ところがこれが逆だと、内容はおろか,そのデータの信憑性まで疑ってしまう。この観点で書類を点検すると、誤った判断を避けられる。住居でゴキブリが一匹目についたら、その家には100匹のゴキブリが住むと言われる。同じように一つの書類で、一つの間違いが直ぐ目につくなら、他にも多くの間違いがあるはずだ。そんな書類をそのまま上司に出したら、承認した己の能力が疑われる。これはSQC手法での抜き取り検査の適用である。フェイクニュースが氾濫する社会では、その情報を信じる前に、情報の品質を確認しよう。

 

◆ 女将の危機管理

 旅館の女将や水商売の女は、客の靴を見て人物を判断する。女将は一見の客に日々の現金収入を依存しているので客の判別に真剣である。ビジネス文の判断でも同じ手法でものが言える。私はこの情報を書類レベルやかけたエネルギーの計測指標の一つにしている。経済や自然界の事象でも、僅かな変化でその将来を推しはかる能力が必要だ。書類の判定でも同じである。

 

◆ 雑用が仕事の評価指数

 書類の最重要項目は著者の名前である。名前に信用があれば、チェック不要である。それは日頃の仕事ぶりで評価されている。

 小さな依頼業務の出来ばえで、その人の仕事能力、神経、熱意が全てわかる。それが分からなければ、己の感性が鈍いのだ。己の危機管理能力が低いのだ。雑用の名人が仕事の名人である。雑用の処理の仕方に、その人の人格の全てが出る。かの豊臣秀吉は雑用の名人で、雑用を雑用とせず全力で取り組んだから、天下が取れたのだ。気配りの出来ない人やバカになれない人に、大きな仕事はできない。だから頭の良い人が良い仕事をするわけではないのだ。

 

◆ 危機察知能力

 僅かな変化やおかしいと感じる力が、危機管理能力である。それが自分や組織への危機を未然に防いでくれる。自分一人ではなにもできない。そのとき誰に何を頼むかでプロジェクトの成否が決まる。あなたはそういう風に見られているし、見なければならない。だからどんな仕事も決して手抜きをしてはならない。部下に手抜きをさせてはならない。それが危機管理の基本である。部署内で、最大かつ一番価値ある部下は自分自身である。自分自身を自己管理できなくては、部下が指導できない。その為に自己研鑽が必要だ。

 

2018-10-24   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。