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2018年11月 2日 (金)

「エノラ・ゲイ展」に人生ストーリーを見る

 (磨墨知50-1.) 

 自分の人生舞台のテーマは何か、目的は何か、何を観客に見せるのか、何を観客に持って帰えさせるのか、何を残して逝くのか。その人生台本のストーリー作りが問わる。己の生き様(演技)は、己のクライテリアによって決まる。台本の基本を構成する要である。舞台の演者は己である。舞台に上がり、舞って、舞台から下りるまでの一挙一動がすべて演技である。

 

展示会のストーリー

 この舞台は、たとえ100万ドルの費用をかけようと、また10年の歳月を展示準備にかけようが、明確なクライテリアが欠如してはゴミ同然に成り下がる。どれだけ恵まれた環境でも、人生哲学のない人生はゴミである。これは企業が開催する展示会等でのストーリー作りにも、言える。だからお話でも、発表をするにも、展示するにも、そして自分の人生を演じるにも“So What? (で、何なんだ?)” と言われない論理構成が必要である。

 本項はスミソニアン航空宇宙博物館「エノラ・ゲイ展(1997年)」を見ての学びである。

 

博物館はストーリーを語る

 博物館における展示とは、気まぐれに選んだ展示資料を寄せ集め、それぞれに名前のラベルを貼っただけのものではない。何を展示し、何を展示しないかの選択が、展示企画の方向を決める出発点になる。展示資料を並べる順序や配列によって、それらを見る角度が決まる。照明レべルの選択でムードが決定される。

(中略)

 博物館はストーリーを語らないわけにはいかない。学芸員と展示デザイナーはストーリーの語り手である。ストーリーといってもいろいろあるが、なかでも歴史こそは博物館が語るタイプのストーリーである。歴史とは、実際に起こった出来事についてのストーリーであり、博物館にはそうした歴史的な出来事を正確に、事実に則して描く責任がある。(中略)(p171)

 展示では「正確さ」、「バランス」、「受け取られ方」の3つの問題の検討が不可欠である。というのは、展示という伝達・発表の形態は他の系統は異なる特質を持っているからである。

 「正確さ」とは、事実についての情報に関わるものである。博物館は情報源として信頼に足るだけの正確さが求められており、この点で最高の教科書や百科事典と同程度の水準が保たれている。

 「バランス」とは、展示に盛り込むべき事実と展示物の選択に関わるものである。複雑なテーマをバランスよく展示するうえで、選択はきわめて重要である。

 これはまた極度に困難になる場合もある。エノラ・ゲイ展をめぐって争いが起こった大きな原因の一つは、この飛行機をまったく異なる目で見る二派が存在したことである。

 「受け取られ方」とは、正確さやバランスとは対照的に、学芸員が展示にはめ込むのではなく、むしろ来訪者たちが持って帰るものである。(中略)博物館スタッフはできるだけ多くの代表的フォーカス・グループを見つけ出して、その反応を探り、来訪者の受け取ること(中略)と、「教える」ようと意図されていることとを一致させるようにしなければならない。(マーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』みすず書房 1997年)

                                                   

B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の展示に関する騒動

 1995年、国立スミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」を中心とする米国初の原爆展を企画した。しかし、この企画は米国内に激しい論議を引き起こし、米国議会や在郷軍人会などの圧力で開幕直前の1995年1月、原爆展は中止に追い込まれた。当時アメリカでは、連日のようにメディアで報道がくり返され、日本でもテレビや新聞で大きく取り上げられた。この渦中にあって、原爆展を企画し、長年にわたり準備をすすめてきたスミソニアン航空宇宙博物館館長マーティン・ハーウィットは、その年の5月に同館を辞任した。後日、それまでの経過を詳述した『拒絶された原爆展』を出版した。

 その後、大幅に内容を「偏向」した装いで「エノラ・ゲイ」展が1997年に開催された。たまたま私はミシガン大学テクニカルライティングセミナーに参加のため渡米していため、同展示会を見学できて多くの学びを得た。

 このマーティン・ハーウック著『拒絶された原爆展』はアメリカの国民性や思考方法、原爆の投下の真相がかなり肉薄して語られている。それと合わせてスミソニアンで実際に展示されているB29エノラ・ゲイ号を見る時、展示の表舞台には現れない様々なメッセージ、人・組織の葛藤(軍関係の干渉・脅迫はある種のスリラーサスペンスとして)を感じることが出来る。

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エノラ・ゲイ展     入り口のお詫び文    冒頭のお詫び文の掲示は異常 

    1997年8月12日      スミソニアン航空宇宙博物館

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B292    B29   エノラ・ゲイ号

Photo_2   原爆投下を報じる新聞  エノラ・ゲイ展で

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スミソニアン航空宇宙博物館のリトルボーイ(広島投下の原爆)

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FAT MAN (長崎投下の原爆)  エノラゲイ展で  1997年 撮影 小田

磨墨知50-1b. 大垣市で広島原爆の影を見る

 私は毎朝の散歩の帰路に、被爆地の慰霊碑にお参りする。毎朝、ここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じざるを得ず、心が引き締まる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。

 この被爆の慰霊碑は、大垣市水門川沿いの敬教堂跡に建つ孔子像の南側にひっそりと建てられている。昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。その慰霊碑の真横に、母校発祥地の碑が建っている。因縁である。

 模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”と呼ばれた。昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、国立国会図書館で機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。

 

原爆の後ろめたさ

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかった。白人の人種差別である。国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさ故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内では下手にこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。1997年、エノラ・ゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、辞任に追い込まれた。その経緯を米国スミソニアン博物館で目の当たりにした(1997年夏)。そのジェノサイドに駆り立てたのは、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義である。

1 水門川を挟んで敬教堂跡に孔子像が建つ 

2 母校発祥の地跡に建つ被爆地の跡の碑

磨墨知50-1c. ストーリーを知らず、悪魔に魂を売る

 原爆開発や原子力事業が、儲かるか商売であることは、福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれたのか? 誰が潤ったのか?

 原爆の開発に動員された科学者たちは、全体のストーリーは知らされず、競争馬の横方向の目隠しをされたように他の情報は知らされず、担当の分野だけの開発を強いられた。科学者は部分最適に全力を尽くした。科学者は、己が何を開発しているかを知らされていなかったのだ。全体像を知っていたのは、プロジェクトの責任者だけであった。トルーマン大統領さえも広島への原爆投下後に、事後報告をされた。暴走を始めた組織は誰も止められなかった。

 本来、戦争を早期に終了するために開発されていた原爆は、日本の敗戦が確実になっても、原爆の開発自体が目的になり、組織が暴走を始めた。

 

原爆開発の実態

 原爆の効果を検証するため、戦略爆撃から除外されていた広島と長崎の各都市に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。

 この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的なら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発の投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況はあまりに不自然である。そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、「形の上では」原爆投下のgoを出した。後年の検証では、トルーマン大統領が明確に原爆投下を命令した記録がない。

 

神をも恐れぬ人類の驕り

 スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANの説明パネルは、素っ気無い表現だ。「“My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」

 コンピュータの開発主目的は、原爆開発のためであった。コンピュータとは、砲弾の弾道計算ための道具ではなく、悪魔を生むための血糊がついた武器である。悪魔のストーリーでは地球40億年の時間がなくなってしまう。

 身の回りの悪魔のストーリーに巻き込まれないように、現実を直視しよう。便利とか儲かる話に目を奪われると、怖ろしい悪魔のストーリーに巻き込まれる恐れがある。

 

2018-11-02   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月 1日 (木)

磨墨知50-3. 人生の問題と課題

人生の問題

 人生の問題は、降りかかる問題を解決することではない。人生の問題とは生きる課題が何であるかを見つけることである。問題は衆智を集めて取り組めば、どんな問題でも時間が解決する。人が生み出した問題は、人が解決できる。解決できないのは智慧と努力と時間が足りないから。

 人生の一番大事なことは、自分にとって何が課題であるかを見つけることだ。他人の問題・課題ではない。問題と課題の違いは何か。問題とは、トラブルの現象で、原因が分かれば解決手段はいくらでもある。課題とは、あるべき姿に対して現在との乖離を意味する。そこに到達するための過程を「人生道」と言う。自分のあるべき姿とは何か? その実現が使命。

 

人生の課題

 人生とは、40億年間も連綿と続く自分のDNAが、何のために未来に繋がっているかを捜す旅である。それは、命の使命を探す旅である。連綿とした経糸が過去から未来につながる。時代毎に異なる横糸としての各種の問題が、経糸と織りなすのが人生模様である。その経糸は何処に向って流れているのか。自分の代の役割、目的、使命は何か。そのつど表れる横糸の問題は、そのつど解決していけばよい。経糸としてのDNAは、解決ではなく、何のために自分は存在するかを探る旅なのである。

 

 火事を事例に例えれば、火事が起きたのは「問題」で、火を消すのは対処療法である。火事の起きない状態を作るのが「課題」である。

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 上記の火事は、私が散歩中にたまたま遭遇した。

 人生のトラブル(火事)などは、いつかは消える。人生の課題とは、自分のあるべき姿との乖離である。その乖離を小さくする過程が「人生道」である。

2018-11-01   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知50-2.  人生は能舞台

 人生では、人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティと言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければならぬ。

 

日本の現代劇

その役割りに反する演技をすれば、人の期待を裏切る「裏切り者」である。現代は、聖職者、政治家、警察等で、その期待を裏切る事件が多すぎる。社会が仮面に相応した演技であらねば、日本の時代劇場のタイムスケジュールが正しく進まない。日本社会の時間を無駄にしてはならぬ。

 

人生の織物

 舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。己はどんな振る舞いで、舞い、そして舞台を降りるのか。それは去り際の美学でありたい。

 一局を舞い舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。日々の時間を大事にして、人生の織物を織ろう。

                  

2018-11-01   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知117. 225円の決断をしよう

私の時間節約

 私は、時間節約のため、会議通知、宴会等の案内をもらったら即、返事をする。まず返事をして、都合が悪くなったら変更する。それを後回しにからするから、後でその処理に時間がかかる。結果として幹事に迷惑をかける。幹事とは、己の後工程である。後工程とはお客様である。お客様を泣かせてはならない。

 

225円の決断

 2000年、私は社内セミナー事務局として、昼食(社員食堂で225円・会社補助あり)の案内をした。ところが、そのメールにすぐ返事をした人はたった5割であった。人の決断力を垣間見て、人生を考えた。たった225円の昼食の申込有無が即決できなくて、なんで人生の決断ができるか? 時間創出には決断力がいる。

 

即決できずが半数 

 私の所属事業部のビジネス文書能力向上のため、2000年6月24日(土)に、篠田義明早稲田大学教授によるテクニカルライティングセミナーを技術開発センターで開催した。参加者は50名である。当会場が陸の孤島であるため、セミナー参加者向けに、昼食申し込みの案内をメールで行った。この事務処理でなかなか返事が集まらなかったので、後日、データを解析した。 

  メールを開いて即返信     48%

  当日もしくは翌日に返信    10%

  3日~7日間で返信      20%

  回答なし           22%   (n=44)

 これに日頃の仕事ぶりやコミュニケーションのやり方が、全て出ている。人生は偶然ではない。一つの行動が全てを象徴している。225 円の昼食費の決断でも、日頃の決断のさまが出ている。今回の50人は休日に、テキスト代を払って自己啓発に参加する意欲ある人達でも、この有り様だ。そうでない人達だったらどうなのだ。

 結果として、約半数の方がその場で決断できなかった。わずか225 円の話である。メールを見てすぐ2行の返事を書くだけの事務処理に対して、後から処理するとなると、まずメール暗証番号を打ち込み、メールが開くのを待ち、目的のメールを探して返信する。これで最低2分はかかる。その分だけ自分の仕事が遅れるのだ。その分だけ部下の書類の決裁が遅れるのだ。

 

積小為大

 22%の方は「不食の場合も連絡を頂きたい」とお願いしたのにも関わらず返事のない方でした。文法には学校文法、生成文法,伝達文法がある。実社会ではこの「伝達文法」が理解が必要だ。この場合は、「学校文法」として返信要求のメール文ではないが、「伝達文法」として返信が要求される。返信をしなかった人は、そのビジネス常識がないといえる。

 返信のない人は食事なしと割り切って、事務的に処理をすれば良いが、今回は伝達文法の検証のため、文面に返信を要求した。つまり返信なき人は、組織としてのコミュニケーション意識がない。その弊害で、組織に余分の時間ロスを与える。大きな仕事とは、ホームランの集まりではない。小さい作業の確実な積み重ねや、当たり前のことの積み重ねが大きな仕事を成す(積小為大)。

 

決断

 責任者の仕事の大半は決断である。責任者が決断しないと組織は動かない。書類が机上に停滞している間、仕事は止まり、死の時間が流れる。企業の業績格差を生む要素はスピードと行動力の差だ。テクニカルコミュニケーションの目的は、文書での情報伝達と決裁のスピードアップである。だから225 円の決済に1週間もかかる人は、稟議100万円の決済はできない。たった225 円の決断を延ばす人は、決断を遅くする練習を毎回しているのだから。

 

仕事と作業

 人が日頃行っているのは「仕事」と「作業」である。責任者は、作業でなく仕事をしなくてはならない。作業とは時間コストである。それに対して、「仕事」とはその作業(=時間コスト)を無くすための頭脳労働である。責任者の仕事は、選択をして、成果の出る方向に実行の可否を決断する。その決断を延ばすのは業務怠慢だ。己は業務の責任者として仕事をしているのか? 作業をしているのか?

 

2018-11-01   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月31日 (水)

磨墨知590-3.  自分の物差しを持とう

 己を知り、敵を正しく知れば、判断に誤りはない。人生の時間を有効に使うには、人生の目的地に到達するための行動に、自分の物差しを作る必要がある。測定ミスが人生時間を無駄にする。物差しは三自元のものさしである。

 

時間軸というものさし(D

 自分の時間軸の単位は何か。どういう時間観点でモノをみるかである。1年単位、3年単位、10年単位、30年単位、100年単位か。自分何年先を見越して行動するかである。人の寿命はせいぜい100年。

デイトレ-ダーはその日の利益に目を走らせる。己は目先のことばかりに、気を取られてはいないか、自問したい。仏師は千年先にまで拝まれる仏像を目指して刃を入れる。千年の時間スケールで仕事をしても、その目標を達成するための日々の時間スケールは、秒である。秒が積み重なり、1分、1時間、1日とつながり、3万日の切磋練磨で、千年も拝み続けられる仏像が完成する。

 その物差しの単位で、行動する次元が異なる。己は何所のレベルを目指すのか?

 

価値観と言うスケール(C

 自分が重きを置く価値観は何か。此の世の価値はお金ではない。お金の多寡で人生を測ってはならない。その価値は名誉でもない。地位の高さで偉さを測ってはならぬ。己が価値を認めるものを探せ。

自分がこの世で、命(時間)をつぎ込んでも悔いのない対象は何か。それが自分の付加価値である。生まれてきて、仕事をしてよかったと思える仕事が天命である。天命に合ったスケールを持とう。

 

精神の到達度のスケール(Q

 自分の目指す精神レベルはどこか。どのレベルの魂の在り方を目指すのか。その測定単位は何か。

己は地獄界、畜生界、人間界、天上界、菩薩界の4つのどのレベルを目指して生きるのか? その日暮らしの生き方では、畜生と同じである。人間として生まれた以上、最低で一名の人間を幸せに人間として成仏させる義務がある。其の一人が自分である。

 

2018-10-31   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知632. 宝くじを買わない

一生の運の総量は一定である。宝くじごときで運を浪費しない。買いに行く時間、はかない夢を見る時間、当たり番号を新聞で探す時間、落胆して落ち込む時間等、全て無駄な時間である。もっと現実的な目標の実現のために時間を使おう。はかない夢を買う行為は、人生を他人任せにする練習である。運は自分の手で掴め。

 

くじに近寄らない

 書店くじ、開店5周年記念くじ等と、街を歩けば、身の回りは、無料のくじだらけである。ダイレクトメールでもくじの大氾濫。一等に当る期待に胸を躍らせ、無料のくじをもらえば、その当落の確認で時間を取られる。確認のため、その場所(お店)に行かねばならぬ(それがお店の魂胆)。そのお店に行けば、何か買ってしまう。それに関わる時間を換算すれば、決してペイしない。くじは主催者だけがペイして、ひく方は決して儲からない。お客が儲かっては開催者が赤字倒産である。

 

無料の大当たり

 この世にタダのモノはないと心得るのが、時間創造の基本である。己が親の遺産をもらったら、宝くじが当たったと思おう。それはご先祖様の汗水の賜物と思おう。自分もそれに負けない努力をして、それを増やして子孫にバトンタッチしよう。自然界でプラスばかりでは、自然界が成り立たない。

 

2018-10-31   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知690. 歯磨き3刀流の免疫皆伝を

私は、5年前に奥歯を一本抜いた。その後、インプラントの件でその歯科医院と縁を切った。インプラン手術を2時間前にキャンセルして正解であった。その後、良い歯医者が見つからず、今まで定期的にしていた歯垢の掃除が疎かになってしまった。その結果、最近、虫歯に侵されたことを発見した。

 

3種類の歯ブラシを使う

 その反省で歯ブラシを見直すことにした。今までフィリップス製の高速振動タイプの歯ブラシを使っていた。手で歯ブラシを使って磨くのは、1本あたり3秒しか磨かないことである。それが電動だとその数10倍も磨くことと同じになるのだ。それの性能を過信したのが、今回の虫歯の発生である。

 地元のまぶち歯科医院の先生と相談したら、フィリップスは細かい部分を磨くのには良いが、全体を磨くのは劣り、ブラウン製の回転式歯ブラシは全体を良く落とすのには効果があり、細かい部分を落とすのは劣るという。それで思い切って二つを併用することにした。一か月後の検診で、それでもまだ磨き残しがあったので、それに歯茎用の手磨き歯ブラシを追加した。つまり3刀流である。

 

ライト付き手元ミラー

 更に、20181029日、まぶち歯科医院でLEDライト付き手元ミラー(3倍拡大)を入手した。価格約9千円である。この鏡は、この歯科医で治療中に使う鏡である。これで歯を見ると、歯茎部の磨き残しがよく見える。経営の基本は、よく対象事象を観察すること。使ってみて、快適で、入手してよかったと思う。

 

母の御恩

 歯の良し悪しは、寿命に影響する。つまり自分の人生の持ち時間に影響する。歯を大事にすることは、命、時間を大事にすること。

 歯医者が言うには、私の歯は硬くて削るのに手間がかかり、良い歯だという。これは親が良い歯に生んでくれたためだ。母は、私を妊娠した時、食事を注意したといっていた。嫁入り先の姑が、妊娠しても食事に気を使ってくれなかったので、実家に戻り、食事に気を配って、実家で私を生んだという。知人に聞いても、歯の悪い人は、親が妊娠中にそこまで気を使っていなかったようだ。良い歯を生んでくれた母に感謝である。

 

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2018-10-31   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月30日 (火)

磨墨知598-2. 組織のおみくじ

 日頃のリーダーに、組織のお御籤現象が問われる。1回、2回とある事象が起こり、「凶」との信号が出るのでが、それを「吉」の都合の良いデータが出るまで、その信号を無視するか、信じないで棚上げする行為がよくある。都合のいいデータが出て、安心して「凶」のデータを忘れるのである。リーダーとして悪い情報は信じたくないのだ。そして暫らくして組織が危機状態に陥るのだ。

危機管理の問題である。まず謙虚に悪いデータを検討し、過剰でもいいから対策を考える。そうすれば、雪印乳業食中毒事件、三菱リコール隠し、タカタの問題は起こらなかった。

 

裸の王様

 己は良いデータだけを待っている社長ではないだろか。それは裸の王様である。そういう社長の元には「吉」のデータだけを報告する部下が集まる。すべて社長の責任である。そういう風に、部下を日頃の自分の言動で教育したのだから。

そして、記者会見の場で、「凶」の報告が飛び出し、「その話は本当か?」と部下に聞く失態を見せるのだ。食中毒事件での雪印乳業社長のように。

 裸の王様を笑える人は幸せである。だって何も考えていないのだから。社長になれば、多かれ少なかれ、裸の王様になってしまう。そうならないことがいかに難しいか、それに気づくかどうかである。まるで小川敏大垣市長のように。

 

リーダーの感性

 リーダーは回りからいろんな情報を「おみくじ」として受け取っている。それをどう感じるか、だ。己に関する上司、部下、同僚のからの声なきお御籤である。また、部下の情報も受け取っている。自分の行動、部下の行動は正しいのか、間違っているのか、相手の些細な言葉尻、しぐさからそれを「凶」のおみくじ(情報)として、謙虚に受け取れる人がリーダーなのだ。それがリーダーの感性である。

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トヨタのおみくじ 「前工程は神様」  

 トヨタ生産方式の言葉として、「前工程は神様、後工程はお客様」がある。人のことより、まず自分ができることをお客様(後工程)のために全力を尽くそう。自分の気づかない点を見える人、指摘してくれる人が、自分を超越した神様なのだとの思想である。

 神様に対して、要求に文句をいうのは不遜である。自分のできることを精一杯する。それがお客様(後工程)に対する貢献となる。貢献に対するご褒美が、会社の利益、個人の給与なのである。どうせ神様には逆らえないのですから。そうやって、謙虚に自部署の課題をカイゼンにカイゼンを重ねて行って、トヨタは勝ち組みになったのだ。前工程(お客様)の要求が理不尽だ、横暴だ、無理だ、と言っていた会社が、負け組み企業になっている。そしてそんな会社は、環境が悪い、時期が悪い、従業員が悪い、いや社長が悪いと、己のことは棚上げして文句だけを言うのだ。そして市場から淘汰されていく。

 

自然界のお御籤

 ダーウイン曰く「環境変化に対して最も素早く対応できた種だけが生き延びる」。日本にはもっと美しい言葉がある。「落葉一枚天下の秋を知る」。これもおみくじと同じ意味である。そのように解釈できる人が感性のある人である。

 環境変化こそが、自然界と人間社会からの「おみくじ」なのだ。神様(前工程)からの一言が「おみくじ」なのだ。その一言にビジネスチャンスの宝が埋まっている。その囁きを聞き逃す人に神様は冷淡なのだ。運命の女神には前髪しかない。「おみくじ」を見て、運命の女神の前髪を一回目で掴まないと、通り過ぎた後では遅いのだ。女神の後頭部は禿ている。

 

2018-10-30   久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知598-1. おみくじは一回のみ

御神籤のはしごは、しないこと。人生の年度方針書(ご神託)は一通で十分。二回もおみくじを引くのは神様を信じないこと。ご神託を謙虚に受け止めよ。

 

◆ おみくじを何回引きますか?

 その昔、私は占い好きであった。以前は必ず年2回、お宮さんに初詣に出掛けて、それぞれでおみくじを引いていた。一回目は元旦に八幡宮大社で、もう一回は1月初旬の熱田神宮である。でも最近、気がついたのだ。おみくじを2回引くとは、最初のご神託に不信感を抱いたのだと。それは神様を信じていないことだと。

 最初に大吉なら、もう一回出れば間違いないはずと思い、2回目を引いてしまう。最初が凶なら、こんどこそは大吉をとの思いで引く。それでは何のためにおみくじを引くのか? まるでポーカ遊びだ。最近、起きる事象は全て必然だ、と感じるようになってきた。大吉が出るのも、大凶が出るのも必然だと。

 仏教用語に「過去果、現在果、未来果」という三世の言葉がある。今の結果は過去に幾多の連綿とした選択の結果、今の行動・決断・考えが未来の結果になるという意味。おみくじも正にその結果の象徴である。その現在の状況をどう判断するかが問われている。要は、その出た卦をどう解釈するか、だ。だから最近は、全くおみくじを引かない。日頃の身の回りで起きる事象がお御籤と考えている。

 

お御籤の対応

 今が好調でおみくじが「大吉」なら、謙虚にその有り難さを感謝して、反省はないか、確認して進めとのお告げ。

 今が好調でおみくじが「大凶」なら、謙虚に自身の行動を反省する。このままだと大凶になるぞとのお告げである。

 今が不調でおみくじが「大吉」なら、謙虚に自身の行動を反省して、自信を持って決断前進せよとのお告げである。

 今が不調でおみくじが「大凶」なら、正に神様はお見通しなので、ご指示に従って行動せよとのお告げである。

 どんな場合でも、自分自身にフィードバックしないと良い結果はでない。

 

神様の深慮遠謀

 神様も知恵者でいたずら好きだ。最初が「大凶」で、もう一回おみくじを引く不届き者には、「大吉」を提示して安心させるのだ。そして本人は油断して、危機に陥る。でもそれは失敗をさせて、次のステップに進ませる人生訓練の深慮遠謀ではないか。

 そもそも2回も、その年のご神託をおみくじとして引くのは、謙虚ではない。神様株式会社も各出先で、品質保証付きの商品「おみくじ」を配付しているから、2回もおみくじを引くのは、神様を信じないことで、不敬もはなはだしい。一回目で出たご神託を謙虚に受け止め、それに対して、どうするかが神様から問われている。神様は助けてはくれない。見守るだけだ。助けるのは自分自身である。

 

2018-10-30   久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年10月29日 (月)

磨墨知435-6. 神を目指さない、悟りを求めない

 人間が神を目指すのは非合理である。時間の無駄である。神仏は霊界の世界で最高位であって、人間界の最高位ではない。それ故、人間が神になってしまっては、「人ではない」ので「人でなし」となってしまう。人間は欠点があってこそ、人間である。その欠点はそのままで良い点を高めると、その欠点が人間味となり、角熟して人間の成長となる。欠点をなくして完全無欠の人間に円熟すると「神」になってしまい、「人でなし」となる。

 悟りすぎると、やることなすこと神の如し。やらなくても済んでしまう。それでは何も学べない。成長できない。人間界の楽しみも苦しみも味あわないなら、生きている楽しみがない。まだまだ未熟と思い精進するから成長もあり、その過程で人生の四季を楽しめるもの。人間は死ぬまでが成長である。

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 神を目指した宗教法人の社長(教祖)は、全て破産している。「この壷を買えば、この水晶玉を買えば、入信すれば」、あの世で救われると勧誘する宗教法人がまともでないことは、悟らなくても分かる。それが分からなくなったら、おしまいだ。「これを買えば、必ず儲かる」と何が違うか?

 

2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

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