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2018年10月29日 (月)

磨墨知435-6. 神を目指さない、悟りを求めない

 人間が神を目指すのは非合理である。時間の無駄である。神仏は霊界の世界で最高位であって、人間界の最高位ではない。それ故、人間が神になってしまっては、「人ではない」ので「人でなし」となってしまう。人間は欠点があってこそ、人間である。その欠点はそのままで良い点を高めると、その欠点が人間味となり、角熟して人間の成長となる。欠点をなくして完全無欠の人間に円熟すると「神」になってしまい、「人でなし」となる。

 悟りすぎると、やることなすこと神の如し。やらなくても済んでしまう。それでは何も学べない。成長できない。人間界の楽しみも苦しみも味あわないなら、生きている楽しみがない。まだまだ未熟と思い精進するから成長もあり、その過程で人生の四季を楽しめるもの。人間は死ぬまでが成長である。

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 神を目指した宗教法人の社長(教祖)は、全て破産している。「この壷を買えば、この水晶玉を買えば、入信すれば」、あの世で救われると勧誘する宗教法人がまともでないことは、悟らなくても分かる。それが分からなくなったら、おしまいだ。「これを買えば、必ず儲かる」と何が違うか?

 

2018-10-28   久志能幾研究所 小田泰仙

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