ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2020年1月26日 (日)

磨墨智126 自燃(自然)する

 人間は燃える時に佛性を持つ。燃えている人間に邪心はない。燃えれば自然とエネルギーが発散される。エネルギーを発散するほど、エネルギーが集まってくる。その燃えるような熱き情熱が時間と障害の壁を打ち破る。燃える佛性は無限の時間を創造する。偉大な仕事をした人は、人生に燃えて、仕事に燃えて、己に燃えて、その熱き情熱を維持して、夢を実現した。夢の実現とは、時間の創造である。

 醒めた人間は、悪魔の囁きに耳を傾け、悪魔に魂を売る。醒めた人間はその冷たさで、自他に害毒をまき散らす。冷えこそが体への毒なのだ。冷酷な批判で、燃える人を批判する。人を批判する時間があれば、代案を考え、自分が学び、自分の仕事に一刻の時間を費やすべきだ。冷たい人間は、その大事な時間を無為に捨てている。時間は命である。非難誹謗からは熱き夢は生まれない。冷血は全ての夢を殺す毒である。

青春

 熱き燃えるような情熱は青年の心にあり、情熱の炎が消えた冷たき心は死の直前の老人にある。青春とは、心の若さであるとサミュエル・ウルマンは言う。青春とは、心の温度を表す言葉である。

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   馬場恵峰書

 2020-01-26 久志能幾研究所通信 1462  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月 2日 (木)

八幡神様にトヨタ生産方式を教えられ

 令和2年の正月、朝は体を労わって例年よりもゆっくりと午前中を過ごした。お昼を食べてから地元の八幡神宮に初詣に行くことを思いつき、初詣に出かけた。ところが現地に着くと、今だかって見たかことのない長蛇の行列である。推定すると拝殿まで約1時間を要する。それで私は参拝を諦め、境内外から手を合わせてから、その場を離れた。私の行動原則で、必要がないと行列には並ばない。

 

トヨタ生産方式

 トヨタ生産方式では、効率化のため、生産の平準化を追求する。一時的に生産が集中するのは、効率が悪い生産管理である。

 初詣で1時間の待ち時間とは、生産の渋滞である。時間コスト一分100円の計算で、お参りに6,000円の時間コストを生じている。初詣で長蛇の列に並ぶ行為は、利己願望で社会貢献ができない時間を使っている。行列や生産の滞留は、日本経済活性化を妨げる罪なのだ。自分の成長の妨げなのだ。行列が出来たら、何かおかしいと思うべきだ。

 グルメの世界でも行列の出来るお店が評判になっているが、それは正常な姿ではない。一時間(6,000円)の労力をかけても食べたい美食追及は、快楽の追求で堕落への道ある。それは私の価値観に合わない。そんなグルメに走るから、罰として病気になるのだろう。

 

神様の身になって考えよう

 私の過ちは、年中で一番、神様が忙しい時間帯に初詣に出向いたこと。神様だって正月の午後1時半は参拝者をさばくのに忙しいのだ。神様の身になって、その時間帯は避けるのが、神様思いである。

 今までは、初詣は早朝であったが、今年は体調が不調で午後に変更した。それで分かった世相であった。

 

お礼

 私は、前日の長蛇の行列に懲りて、翌日の9時に再度、初詣に出かけた。早朝の境内は参拝者も少なく、前日の長蛇の列が嘘のようであった。それで静かに、昨年の病気でのご加護のお礼を申し上げた。神前でのお願いはご法度である。神仏の前では、お礼を言うだけで、お願いはしない。

 僅か100円のお賽銭で、全宇宙の物理法則を曲げることを望むのでは、罰が当たろう。祈りは、お賽銭を介した商売取引ではないのだ。そんな考えは他力本願で、夢が実現するはずがなかろう。神様がは自分の力で夢をかなえる人を見守っている。夢や願いは、自分の工夫と改善と努力で勝ち取るものだ。仕事上で、やるべきことを全てやり、万策尽きた時のみ、祈りが有効となる。

 

2020-01-02 久志能幾研究所通信 1442  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月28日 (土)

ご縁の裏切り者

 会社や学校の同窓会があると、欠席した昔の仲間付き合いのことが思い起こされ、会いたくなり電話をしたことがある。

 またその同窓会で数十年ぶりに再会して、別の場所でじっくりと話し合いたいと食事を誘うことがあった。しかしその3人とも、「今忙しくて、この仕事の山が越えれば会える。後で電話をするよ」と言って、そのままになってしまった。もう2年も経つが、3人から電話はない。

 

今ここ

 そういう人に限って、「今度」、「何時か」は永遠に来ない。我々には「今」しかない。私はその人とは縁がなかったと思い、こちらから督促の電話をすることはしない。ボールは相手にあるのだ。相手からの返事までの時間が、私が相手からどの程度思われているかのバロメータなのだ。男が約束したことを、忘れる人と付き合ってロクなことはない。

 

時間泥棒

 ある人を飲み会の約束をして、向こうの都合でそれがキャンセルになったことがある。相手は私の予定時間を無為にしたのだから、その巻き返しをしなければならないのに、相手はそのままにしてしまった。そういうレベルの人間であることが証明されたので、私は、彼とは表面的な付き合いは続けたが、飲み会をする縁を切った。そういうレベルの人と付き合うほど、私が時間を損する。付き合わないのが正解である。

 ここでの問題点は、「今度食事をしよう」と軽い気持ちで言った本人はコロッとそれを忘れてしまうが、言われた方はしっかりと覚えていることである。時間が経つほどに、その人の信用が減っていく。

 私が逆の立場の場合なら、万難を排してその飲み会の時間を作るのが私の主義である。ご縁は大事にしなければ、気が済まない。

 

時間は命

 人と約束するとは、相手の時間(命)を頂くのだ。時間は命である。その時の時間は、永遠に来ないのだ。一期一会とは、全力でその時間を全うする人生修行である。遅刻、延期、忘却は罪である。一刻、一刻、命が消えてゆく。今、出会うご縁は、次の機会のご縁とは全く別である。だからこそ、今のご縁を大事にしなければ、夕焼け小焼けで、日が暮れて♪」と人生の夕刻が迫るのだ。人との約束をたがえるとは、貴方の信用という人格の寿命が尽きようとしているのだ。

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  馬場恵峰書    2018年

 

2019-12-28 久志能幾研究所通信 1437  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年12月 6日 (金)

時間は命 人に車で送らせない

 私は訪問先の好意で、帰路、車で送ってもらうことをなるべく辞退している。しかし相手の好意を断るのが大変である。その時は鬼になって断っている。公共交通機関のないへき地なら、タクシーを呼んでいる。お金の問題ではない。その時間分、相手先に稼いでもらった方が、日本経済のためには良いことだ。

 その逆で、私もお客さんを送るのも止めて、タクシーを呼び、タクシーチケットを渡している。それが合理的である。私も相手もアッシー君ではないのだ。その間の時間、お互いに稼ぐべきだ。

 

車で送らせるとは

 人に車で送らせるとは、相手の時間を奪う事。またその時間は、相手に支配される時間となり、自分の時間も奪われる。同乗中では勝手なことをできなくなってしまう。時間は命なのだ。

 またその時間、電車で行くより車で行くのでは、混雑した道路状況のため、余分に時間がかかる。電車なら乗っている間にメモを書いたりPCを触ったりと仕事が出来る。車で送ってもらっては、それが出来ない。また相手に交通事故の危険性さえ高めさせてしまう。

 時間コストは1分100円なのだ。相手に車で送らせて10分を無駄にすると1000円が無駄になる。それより1000円でタクシーを呼んだ方がよい。歩いた方が健康によい。

 

人に車で送らせると、人の運命まで変える

 私が若いころ、私の同僚が部下に駅まで送らせて、それが原因で交通事故を起こし、老人を撥ねる事故を起こした事件があった。それが遠因となったのか、彼は会社を辞めてしまった。それから彼は当時、超優良企業の松下電器に転職した。しかしその後、松下電器はリストラの嵐が吹き荒れ、彼は心身の疲労からか進行性の癌になり、がん発見後半年の50代で亡くなった。人の運命は分からないものだ。

 

馬場恵峰先生の深情け

 その昔、私が九州の馬場恵峰先生宅に行くと、帰りに先生が気を利かせて車で送ってくれると言う。90歳越えの恵峰先生に車で送らせて、事故でもあったら大騒ぎで、私も立つ瀬がない。それよりその時間に、価値ある書を書いていただいた方が、後世の為である。今までは、それを断るのに大騒ぎである。奥様の三根子先生も、暗い夜道の恵峰先生の運転を心配していた。

 しばらくして、馬場恵峰先生が運転免許を返上したので、その断る言いわけの心配が無くなりほっとしている。馬場恵峰先生は91歳まで運転をしていた。実はその運転が怖しい。先生の車に同乗させていただくと、豪快な決断力ある運転で、私は肝を冷やすことが度々である。私のテストドライバー資格を持つ視点から見て、とんでもない運転である。それでも事故もなく、91歳の運転免許返上まで、無事であったので幸いである。今はほっとしている。

 

2019-12-06 久志能幾研究所通信 1417  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年11月18日 (月)

無駄な時間とは

 下記は無駄な時間である。己の人生で、全ての無駄な時間を無くすことはできないが、意識して少しでもその無駄な時間を少なくしたい。今、己が時間を使っている作業・仕事・行事を見直したい

「それで、己の人生の付加価値が向上するのか?」と。

 

組織で仕事をしている時

 利益を直接稼いでいない時間

     (組織の成果を出していない時間)

 意思決定のために不必要なことに費やしている時間

 知識、経験、智慧、ご縁の機会を増やしていない時間

 やればマイナスなのに、惰性でやっているルーチン行事

 

個人で生きている時

 自分の使命のために時間を使っていない時間

 使命達成のため、意思決定をしていない時間

 命を削ることに使っている時間

  体を傷つける食を貪っている時間(狂った食事)

  有酸素運動をせず、ガンに罹る準備をしている時間

  いくら使命に時間を使っても癌になっては総合でマイナスだ。

 

小川敏の場合

 大垣市長として、大垣市の付加価値を上げていない時間、大垣市民を幸せにしない行事にかける時間は、全て無駄時間である。下劣な行事、ルーチンワークの行事、表敬訪問の対応、事前選挙活動の新聞への登場、質問への言い逃れの議会答弁、等は全て無駄な時間である。

 大垣市長の小川敏は、新市庁舎でのAI化、ロボット化とぶち上げているが、無駄の多い基本的な業務を見直さず、市民に目くらましで派手なアドバルーンだけを上げている。それでは、成果は出まい。それは無駄な時間である。単なるIT化をAI化というのは、AIが何たるかを知らない素人である。現在のAI化というのは、ほとんどがIT化の変形版である。それは、単なる口先だけの魔術師の小川敏が使う言葉である。

 近いうちに小川敏のAI化・ロボット化バブルが弾けるはずだ。全国の市町村で、そんなバブルを膨らませているのは、大垣市だけである。他市はバカらしいからやらないだけだ。

 

経営とは

 何をやるにしても、まず費用対効果を、市民に公開すべきである。それが経済、経営の原則である。小川敏は、それは口が裂けても言わない。

 先年の死政100執念忌念行事で、市民税3億5千万円を投じて、派手な行事ばかりをして、市の活性化をしたと言うが、結果は大垣市の地価は下落であった。大垣市の付加価値が、それで逆に下落したのだ。大垣市の職員は、無駄な市制100周年記念行事に時間を費やしたのだ。

 小川敏が、利己的な政策を推し進めたので、大垣市は無駄な時間を費やして没落した。小川敏の政策は無為無策の無能政治であった。地価の評価は冷酷な神のごとき評価である。松下幸之助翁が、市場は神のごとき評価をするといつも言っていた。小川敏は誤った確信をもって政策を推進してきた。小川敏は、行政の反省を18年間もしなかった。小川敏は、経営の基本のPDCAを回さなかった。結果として大垣市民を不幸にしたのだ。私の両親が草葉の陰で泣いている。天網恢恢疎にして漏らさず、で天は罰を与えるであろう。

大垣市地価平均     前年比変動率

2001年[平成13年]   12万4222円/m2  -7.98%  下落 小川敏市長就任

2002年[平成14年]   10万8425円/m2  -10.10%  下落

2003年[平成15年]   9万6470円/m2   -9.65%  下落

 2004年[平成16年]   8万3482円/m2   -8.56%  下落

2005年[平成17年]   7万3836円/m2    -7.04%  下落  小川敏市政2期目

2006年[平成18年]   7万2277円/m2    -4.20%  下落 

2007年[平成19年]   6万8535円/m2   -1.85%  下落

2008年[平成20年]   6万9942円/m2   -0.16%  下落

2009年[平成21年]   7万1687円/m2   -1.40%  下落 小川敏市政3期目

2010年[平成22年]   6万7237円/m2   -2.82%  下落

2011年[平成23年]   6万5702円/m2    -2.36%  下落

2012年[平成24年]   6万3941円/m2    -2.41%  下落

2013年[平成25年]   6万3216円/m2    -2.13%  下落 小川敏市政4期目

2014年[平成26年]   6万1898円/m2    -1.31%  下落

2015年[平成27年]   6万1495円/m2   -0.78%  下落

2016年[平成28年]   6万0585円/m2    -0.57%  下落

2017年[平成29年]   6万0692円/m2    -0.50%  下落 小川敏市政5期目

2018年[平成30年]   6万1540円/m2    -0.39%  下落

2019年[令和元年]   6万2036円/m2     -0.47%   下落

 大垣市の公示地価・基準地価マップ・坪単価 - 土地代データより 

 ※変動率は、各地点の変動率の平均となる。(平均地価の変動率ではない)

  https://tochidai.info/gifu/ogaki/

 

2019-11-18 久志能幾研究所通信 No.1402  小田泰仙

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2019年6月21日 (金)

九州新幹線「さくら」の魅力と不満

 2019年6月19日、久留米の真島消化器クリニックに行くため、新大阪から久留米まで九州新幹線「さくら」に乗った。その魅力と不満を記載する。

 結論は、「さくら」は遊び用の観光列車、「のぞみ」はビジネスマン向けの仕事列車である。車中で仕事をするなら「さくら」の利用はやめた方がよい。

 

シートの素晴らしさ

 「さくら」の指定席のシートが4列配列で、グリーン車並みである。前後の配置も広い。座席の機能はグリーン車のそれより少し落ちるが、東海道新幹線「のぞみ」の一般車両よりはるかに良い。

 以前に、「さくら」の指定席に座って、その豪華さと快適さに驚いたので、今回、2019年6月19日(水)の平日の朝、新大阪から指定席(新大阪9時17分発)を取ろうとしたら、満席だという。後で車掌に聞くと、平日でも、当日の予約は難しいという。その当日は、指定席が満席で、致し方なく、グリーン車で久留米に行った。自由席も立っている人が多かった。それほど人気の新幹線である。新大阪から九州に行くにはお勧めである。ただし混雑が激しいのが難である。

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 「さくら」指定席  Wikipediaより

 

ビジネスマン向けでない雰囲気

 しかし新幹線の中で仕事をしようとする人には、新大阪~博多間は山陽新幹線「のぞみ」がおすすめである。今回、新大阪から久留米までグリーン車を使用したが、ほぼ満席状態で、さらにその間、後席の老男女が喋りまくって、うるさかった。本来、グリーン車は空いていて静かである。グリーン車はビジネスマンが多く、PCで仕事をするか静かに寝ている。それが「さくら」では観光気分ではしゃいでいる客が多いのだ。またグリーン席の車両は半分しかないので、狭い感じがあり、圧迫感がある。

 

「のぞみ」に変更

 だから、帰りは方針を変え、久留米から博多まで快速電車(35分)で行き、博多から「のぞみ」に乗って帰宅した。「のぞみ」は、グリーン車が3両で、本数も多いせいか、車内はすいていて、快適に仕事をしながら、思索にふけりながら、気持ちよく帰宅の途につけた。九州新幹線「さくら」は、1時間に一本である。のぞみとは運行本数が格段に違う。

 「のぞみ」は1列車に3両のグリーン車だが、「さくら」のそれは1/2車両分しかない。だから、のぞみのグリーン車では、隣の席が90%の確率で空いている。ところがさくらは90%の確率で隣に人が座っている。隣の人がいないと、普通車の3倍の空間を占有できる。その分、仕事がはかどるため、私はグリーン車を利用している。だから車内で仕事をする人には、「さくら」は避けるべきだ。

 

2019-06-21   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年6月 1日 (土)

磨墨知〇〇  記念品抽選会に出ない

無料景品抽選会は時間泥棒。出てはいけない。

 2019年6月1日、「奥の細道紀行330年 記念シンポジウム in おおがき」に参加したら、イベントの最後に記念品の当る抽選会があった。推定で約15分から20分の時間が予定されていたので、メインのシンポジウムが終わったら、私はサッサと退席した。当たるかもしれないが、確率的に当たる確率が低く、得べかりし利益が薄い抽選会に時間をかけるのは、残された時間の短い私には耐えられない。

 もし景品に当っても、せいぜい2,3千円の景品である。時間アワーレート、一分100円、一時間1万円と計算している私には、時間価値がペイしないと判断した。

 2000円の景品の当選確率が50人に一人と仮定すると、その利得は、

  2,000円×1/50=40円

 つまり20分も時間をかけて40円の利益が想定される。1時間に換算して120円である。その間、退出して別で稼げば、10,000円の利益である。

 大垣市は、市民から貴重な時間を泥棒している。景品も税金から出ている。シンポジウムを開催して、景品を出すのは、税金の無駄遣いである。

 大垣市は約300名の市民の20分間の時間を強奪した。金額換算で百万円の損害である。

 金額換算 300人×20分÷60分×10000円=1,000,000円 

 

仏様からのご褒美

 メインの行事が終わって、私は会場を先に飛び出しエレベータに乗ったら、大垣市長と商工会議所会長、おつきの人が続いて乗り込んできたのには仰天した。エレベータの密室で4人きりとなった。今回のイベントの景品の大当たり(?)である。仏様も味なことをすると思った。もっとも5階から1階までの間、私は無言で過ごして、3人の会話を聞いて楽しんだ。ここで私が発言しても場違いである。私は無駄なことはしない。

 

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    開演中は撮影禁止のため、開演前の写真しか撮れなかった。

車販売店の抽選会

 今年の4月、地元の車販売店主催の感謝イベントでピアノコンサート(無料)があり、そのコンサートの後で豪華(?)景品(精々数千円?)が当たる抽選会があった。その抽選会はディーラの店員の紹介と景品の抽選会で、それが延々約30分間も続いた。イライラさせられた上で、その抽選に私は当たらなかった。わずか数千円の景品の当選に、発表を勿体ぶって時間をかけるのは、客を馬鹿にしている。これで30分間の人生時間を無駄にした。原価5,000円の損害である。無料のコンサートは、実質的に5,000円となった。この世で只のモノはないことを思い知らされた。

 しかし、無料ピアノコンサートだから、後の社員紹介と景品抽選会はディーラの宣伝なので、義理で出席してあげないと不義理をかくことになる。この資本主義の社会で無料のモノはないのです。こんど無料の招待券が来たら、辞退することにした。時間は命である。

 ディーラも顧客のことを考えるなら、時間のかかる抽選会は逆効果である。客に商品を進呈したいのなら、当選番号を会場に張り出せばよい。時間の節約となる。よほど客に喜ばれる方法である。 

 景品で客を釣るのは、場末の店のやり方である。二度と行きたくなくなる。

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人生のテーマ

 「奥の細道」のテーマは、旅と出会い(契り)である。限られた人生の旅の時間内で、何に出会い、何の出会いを避けるのかが問われる。主催者の意図に踊らされて、時間を無駄にしてはならない。全てのモノは同価値である。景品抽選会に出るのも、出ないのも同価値である。それを自分の価値観で判断しないと、主催者の奴隷となり、流されてしまう。それでは他人の人生となってしまう。人生は自然との融合である。(無価値の)景品につられた人生であってはならない。

2019-06-01   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年5月29日 (水)

東北新幹線グランクラスを利用

 仙台国際ピアノコンクールに行くため、名古屋から仙台まで、新幹線グリーン車を利用した。乗り換えを含めて4時間弱も椅子に座っているので、お尻が痛くなった。また名古屋から東京までは車内に余裕であったが、東京から仙台までは、グリーン車がほぼ満席に近い状態で窮屈であった。

 それで病み上がりの身をかばう為、帰りは少し楽をしようと思い、仙台から東京まで、グランクラスを利用した。たまには新し経験としてよい選択であった。もう仙台に行くこともあるまいと思い決断した。

 

グランクラス設備

 グランクラスは、席配列が横3席×5列で、1両に15席しかない。普通車が横5席、グリーン車で横4席に較べて、その広さは格別である。それも私を含めて、1両に2名しか乗車していなかった。メチャメチャ静かで快適である。車内でPCを使った仕事と原稿の下書きメモの作成がはかどった。いつも以上に車内の仕事が、快適であった。グランクラス料金がグリーン車に対してプラス5千円であるが、その元が取れた。

 またお弁当も付いて、お菓子もおつまりも飲み物もついてである。呼び鈴を鳴らすと、すぐ担当の女性が対応してくれる。飛行機のビジネスクラス、ファーストクラスと同じである。お酒や飲料物は飲み放題のようだが、私は禁酒なので、関係ない話ではある。すこし損をした気になった。

 

価値観

 たまには、自分へのご褒美で一つ上の贅沢も良いものである。モノではなく、空間・時間にお金を投資する。こういう価値あることにお金を使い、自分の活性化と日本経済活性化に貢献したい。

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2019-05-29   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年5月25日 (土)

磨墨智417. 人を育てる

 自分の代役を育てるほど、自分の時間が豊かになることはない。理想は自分を乗り越えて自分以上に成長してくれること。そういう想いで、私は自分教育と部下教育を重視して会社生活を送ってきた。私が技術管理部の課長となってからは、技術者教育体制も整備した。問題はそれに応えてくれる部下も「上司」も少なかったこと。だから私を育ててくれた会社は市場から消えた。

 勝負の世界でも、師匠を乗り越え、師匠を打ち負かすことが恩返しなのだ。

 私が70歳を前にして思うことは、持てる智慧、知識は来世に持って行けないという焦りである。それを後世に伝えたい。せめて文書で後世に残したいと、文筆活動をしている。

 

義子先生の後継者

 河村義子先生は、残された5年という時間を意識して、後を受け継ぐ後継者を育て来た。「世界で一流の音楽を聞く会」、カナデノワコンクール、子と音、等の音楽プロジェクトを立ち上げ、それを運営してくれる人を育てて、それを見届けてからこの世を去っていった。「人を育てる」とは、素晴らしい遺産である。

 

2019-05-25   久志能幾研究所通信 小田泰仙

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2019年4月15日 (月)

死神の幽霊に襲撃される

死神幽霊の言いがかり

 2019年4月13日、死神の幽霊に自宅が襲撃された。近所の鬼婆が、19年前の父の葬儀の事で、自宅に言いがかりを付け来た。それは現世の死神幽霊であった。

 なんでも父の葬儀のあと、葬儀屋から頼まれて、お下がりの菓子類の配布を頼まれたが、それを独り占めしたと噂になったという。それを私が根に持っているだろう、という。その家の名誉にかかわるので、名誉回復にきた、という。

 19年前の話しである。私は父の葬儀の喪主であったが、そんなお下がりの処理の雑事は、葬儀委員長や町内の人に任せていたので、そのこと自体、全く記憶にない。そんなことがあっても、知ったことではない。近所の班長さんに聞いてもそんな話は聞いた事がないという。その老婆の妄想である。

 

世の中の地獄

 何時までも過去に囚われていると、幸せになれにない。それが分からない亡者が世にはうじゃうじゃいる。この老婆は、昨年に夫を亡くしている。気がふれているのかもしれない。近所でも問題児の家である。その昔、その夫が私に因縁をつけて、怒鳴り付けられたことがある。相手は文句を言うのが正しいと信じ切っている。言いがかりを付けられる方は、世の地獄である。

 こちらは病後の体調不良で、立って話すだけでも辛いのに、くだくだと訳の分からない話しを長々とするから、怒れてしまった。それも相手は私がガンの手術後のことで、体調不良を知っての愚行である。私には死神の行動であった。地獄はあの世ではない。この世に地獄があるのだ。その中で生きて行くのは大変だ。

 

磨墨知451. 幽霊にならない

 丸山応挙の描いた幽霊の絵は、人間の性を表現している。あなたは何の幽霊ですか、と丸山応挙の幽霊は己に問いかけている。

 

幽霊とは

 幽霊とは、大地に足の着いていない餓鬼道に落ちた人間の象徴である。また来ぬ未来を手さぐりにして、過去に捕らわれるさまは、後ろ髪を引かれている様に表現されている。髪を振り乱し、虚ろな目で、帰らぬ過去とまだこぬ未来を見つめる。

 その目は「今、ここ」を見ていない。恨めしや、と言いながら、他人のせいにして自分の責任は考えない。この世の全ては自分が生み出したもの。今のあなたは、自分が生み出した世界の中心にいる。それは金の亡者、名誉の亡者ではないのか。自己を見直したい。

 

ゴーンは西洋幽霊

 ゴーン被告も、金の亡者となって、日産のルネッサンスを金科玉条に、裏では己の金の亡者となって金儲けだけを追求していた。ゴーン被告は、西洋の幽霊である。ゴーンが行った不要なリストラで、首を吊った人もいるのに、である。西洋の幽霊は質が悪い。自己弁護ばかりで反省の陰さえない。

 

 あなたは何の迷い人? 鏡に写る自分の姿に幽霊の気配はないか? 現地現物として、しっかり自分の姿を、鏡に写してよく観よ。鏡は世間の目である。世間の目が、自分の幽霊を映し出してくれる。

 鏡よ、鏡よ、此の世で一番正しく美しいのは誰?

 己が鏡に映る姿に、幽霊の気配が観えなければ、己は幽霊である。

 

足を大地につけて

 時間を創るには、しっかりと大地に足をつけた生き方、真っ直ぐに前を見つめる目、過去を振り切って前進する力、手を上向きにして、しっかり現実を掴む力が必用だ。今を最大限に生きれば、幽霊にならない。幽霊の人生とは、死の時間の経過である。

 生きていても、幽霊になっては、時間だけは冷酷に過ぎていく。足るを知れば、亡者にはならない。過去のしがらみを捨てれば、生き返る。人生でやり直しはできない、しかし出直しはできる。過去の亡霊を捨てて、生き返れ。再生せよ。それが人生のルネッサンス。

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 馬場恵峰書 2006年 

2019-04-15  久志能幾研究所 小田泰仙

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