ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2020年2月20日 (木)

磨墨智103 レストランへは何を注文するか決めて入ろう

 料理を注文するまでの時間を短くしよう。私が外食する場合は、レストランで即決を旨としている。メニューは次回に頼む料理を選ぶために見る。料理が出てくるまでは、次回食べる料理を考えよう。

 たかが1,000円の料理で、その選択に3分間も迷うのは愚かである。時間レート100円/分として300円の人生時間ロスである。人生時間は有限なのだ。それが即断できないようでは、社長として1,000万円の稟議決裁はできない。

 

既知の予定

 その「人生レストラン」に行くことは、ずっと前に決まっている。決まっているのだから、事前に「何を食べるか、何をやるか」を決めておくべきだ。そのプロジェクトの終わりの日だって、定年退職の日だって、入社した時に決まっている。人生最期の日が来ることも、確定事項である。「人生一度限りのお食事時間」を大事にしよう。

 

人生レストラン

 此の世は人生レストランで、バイキングレストランである。何を食べようが、何をしようが、どれだか食べようが、全く食べまいが、どれだけやろうが、それはやりたい放題である。その「料理」は、自分の選択と決断だけで決まる。

 人生レストランのお代は、「お足」と「行動」で払う。自分の意思でその方面に足を向けないと、その「料理」は食べられない。足こそが己の意思を具現化する。人生レストランでは、行動して選択しないと何も食べさせてもらえない。

 

占い師にならない

 やりもしない前に、それは無理、それは不可能、それは不味そうだからと食べないのでは、トヨタ生産方式を作った大野耐一から「やりもしないうちから出来ないなんて、お前は何時から占い師になったのだ!」とカミナリを落とされる。一度しかない人生だから、何でも一度は食べてみることだ。試し食いなら無料である。気に食わなければ、やめればよい。

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 馬場恵峰書 82歳

 

己の体は預かりもの

 人生レストランが、普通のバイキングレストランと違うのは、その食べ方如何で、「天主」から突然の強制退場を命じられることがある事だ。あさましい飽食、狂食、狂遊、狂楽、狂った労働では、冥途行き救急車を呼ばれてしまう。健康管理をお大事に。前職では、一緒に仕事をした仲間が、24名も天に召されてしまった。今にして、よくぞ生き延びられたと、神仏に感謝している。

 

時間制限

 どんなバイキングレストランでも時間制限がある。だからこそ、何を食べるかを事前に決めておかないと、時間切れとなる。美味しいお店の時間管理は厳格である。好きなことに熱中すると時間を忘れ、あっという間に時間が経つ。終わりのないお食事タイムはない。人はいつまでも、今の状態が続くと思っている。死は突然なのだ。世は無常である。

 何時までもあると思うな、親とカネ。

 親が死ぬのだから、己も何時かは死ぬのだ。人ごとではない。

 

第二の人生レストラン

 普通のサラリーマンでは、その第一の人生レストランの滞在時間が60歳までである。第二の人生レストランで何を食べるか、そのレストランに行く5年前までに決めておくと、人生のロスが少ない。60歳になる日は、就職した時から、決まっている。

 私は前職で、定年直前に定年延長を止めた。急遽の予定変更であったので、定年後のやることが決まっておらず、少しの時間ロスをした。それが、悔いであったが、よき骨休めの時間でもあった。やはり次のレストランの料理は事前に決めて、その準備をしておくとよい。

 

来世のレストラン

 来世でも何をやるか決めておいたほうが良い。来世に向かって、書道を本格的に始めようと思う。きっと生まれ変わった時、役立つだろう。

 馬場恵峰先生の書道活動を見ていると、前世で相当の書道の練習をしたとしか思えない。ご先祖の才能がDNAとして受け継がれたようだ。

P1040528s 馬場恵峰書 小学校1年生の時の書

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馬場恵峰書  小学校2年、3年の時の書

 

2020-02-19 久志能幾研究所通信 1485 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月16日 (日)

磨墨智624 お坊さんと仲良くなろう

 いつかはお世話になるお坊さんである。後に残る人のために、お坊さんと仲良くなっておこう。後に残る人の時間が助かる。

 葬儀の時、お坊さんは故人の生前の生き様を親族から聞き出して、その人に見合った戒名を授ける。しかしそれは応急処置である。本来は生前に戒名を授かるのが正規である。事前にお坊さんとお話がしてあれば、事前に個人の性格が分かり最適の戒名を授けてもらえる。時間節約にもなる。あの世で後悔をしない。

 

戒名とは

 戒名とは、導師が故人に弟子として授けるあの世での名前である。あの世で、戒名(戒めの名)を背負い、その名に恥じないように仏道を修行する。生まれた時の本名は、両親がこの子はこうあって欲しいと名付ける名前である。往々にその名前に恥じる現世を送る人が多い。

 戒名はあの世で、こうありたいと願って住職が名づける。今度こそ、名前に恥じない佛道を歩みたいもの。

 

私の戒名

 私は今回の癌の手術をして、覚悟を決めて終活準備の一環として戒名を授かった。導師より提案のあった戒名候補から選定した。その戒名を馬場恵峰先生に揮毫もしてもらった。お墓は2015年に建立スミで、墓誌も手配した。そして葬儀と50年間の法事の段取りもした。そのお金も払った。準備万端である(?)。我ながら、あきれている。

 本来、生前に戒名を授かるのが正規である。今回それを初めて知った。人生知らないことばかりである。まだ死んだ経験がないので(?)致し方なし。

 

人生最大のイベント

 死とは人生で、最大で最高のイベントである。それまでに何をこの世に遺せるか、人生の課題である。そのお祝いが死のセレモニーである。そのイベントを立派に成就するために精進をしたいと思う。

 癌死では(確率50%)、生前の食生活と生活習慣が「狂っていた」とみなされたのだ。人生道を暴走して、人生道の通行違反切符を切られたようなものだ。安心安全健康運転違反である。

 認知症(確率25%)で死ぬのでは、そのやってきたことが理解できなくなり、生きてきた甲斐がなくなる。それでは人生の作品の完成がままならぬ。仕事で気ばかり使って、頭を使わなかった校長先生や警察署長が認知症になりやすい。仕事一筋で、仕事以外の世界を知らず、定年後にやることがなくなると、認知症を発病しやすい

 老衰では(2%)、無為無策のようで未練が残る。

 不慮の死(1%)では、人生の危機管理ができていなかった証である。

 前向きに倒れるようにぽっくり死は(1%)である。それが理想だが、狭き門である。

 立派に死ぬためにも準備と努力が必要だ。その前提条件は健康管理である。

 

理想の死

 死の直前まで人生の作品の仕上げに命を捧げたいと思う。そうすれば納得できる死を迎えられる。あの世に悔いがなく逝ける。だから今を全力で時間を忘れて働きたいと思う。

  よく働いた一日が安らかな眠りを誘う様に

  よく働いた一生は安らかな死を迎える。

             レオナルド・ダ・ビンチ

 

エピソード

 その戒名を墓誌に刻むにあたり、馬場恵峰先生に私の戒名を揮毫してもらったが、行き違いがあり、墓誌に戒名を彫った後でミスが見つかった。相手が石なので修正がきかない。それで墓誌を再製作するという顛末になってしまった。それで100万円近くが消えてしまった。なにせ自分の戒名を彫るのは、初めての体験なので、ミスがあっても致し方なし(?)。

 墓誌、位牌の戒名の名には、意外と間違いが多いようだ。普通は誰も気が付かない。以前もご先祖の戒名の間違いに誰も気がつかなかった事例があった。

 今回の間違いは、仏様から「まだ浄土に来るには早い、死に急ぐな」と言われたと自分の都合の良いように解釈した。昨年、癌の手術後、医師からは余命2年と言われてから1年が経過した。だから後1年で死ぬ(?)予定が、急遽、死ぬことを諦めた(?)次第である。健康管理は己の責任だが、死は神仏の管轄範囲なので、私には管轄外である。だから自分の出来る健康管理に精進するしかない。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-16 久志能幾研究所通信 1482 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月15日 (土)

磨墨智33 タイマツ(心の霊光)を掲げよう

 早朝の薄暗い時には相手に認識してもらうため、ヘッドライトを点燈して走行しよう。夕刻で暗くなったら、早めに点灯しよう。雨が降り出して見通しが悪くなったら、点灯しよう。1985年当時でも、スウェーデンでは昼間でも車走行時はヘッドライトの点灯が義務付けられていた。

 それは自分の車の前方を見るためではない。相手に自車の認識率を高めるためで、それが事故防止になる。事故を起こさないのは重要な時間節約である。

 

周知徹底

 自分が何をやろうとしているかの志を掲げるのが、周りに知らせるのが効率アップである。そうすればみんなからの援助がある。一人では小さな力だが、皆が力を合わせれば、大きな力となる。リーダが組織のベクトルを合わせるため、スローガンを立てるのが、そのスローガンも松明の一種である。

 暗夜に一燈を灯そう。

 自由の女神は、自由のタイマツを灯して、アメリカへの移民を迎えた。欧州を追われたやっと米国にたどり着いた移民は、それでどれだけ勇気づけられたことか。私も1994年にニューヨークを旅行した時、その自由の女神像を見て、感銘を受けた。私も一旗揚げようという気になった。

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 フェリーから眺める自由の女神(左側)とウォール街のビル群(右側)

 一番高いビルが国際貿易センタービル(2001年9月11日、テロで崩壊)

   1994年5月3日 著者撮影

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 フェリーから望むウォール街

 一番高い2つのビルが国際貿易センタービル

   1994年5月3日 著者撮影

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 国際貿易センタービル106階からの眺め

 手前の移民局と自由の女神の位置関係がよく分かる。

   1994年5月3日 著者撮影

 

大垣の燈火

 大垣を良くするためにタイマツを掲げよう。現状の小川敏の独裁政治の問題点を照らし、大垣を良くするための皆の認識を共通化するのも、タイマツを掲げるのは、大垣を良くする手段である。

 だからこのブログは言葉の灯台である。灯台には妨害の嵐も吹けば雨も降る。だからこのブログを誹謗するコメントも襲来する。それは小川敏軍団にまつわりつく利権集団の手先である。

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 馬場恵峰書

 

2020-02-15 久志能幾研究所通信 1481 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 5日 (水)

磨墨智621 「神も仏も無いのか....」と嘆かない

 そう、貴方に強くなって欲しいがため、「神も仏もないのか」と嘆く状態を神様が与えている。それは神仏の深慮遠謀である。艱難辛苦が人を強くする。人は強くなければ時間を作れない、強くても男は優しくなければならない。それを仁義礼智信という。

 南方のラワンの木は、環境抜群の熱帯ですくすくと大きく育つが、大きくなると自分の体重を支え切れず倒れてしまう。そんなラワンの木のような人間になってはならない。

 それに対して寒冷地の木は、成長は遅いが緻密な年輪を重ねて強靭な材木に育つ。

 

自転車道とは転ぶこと

 今まで70年近く生きてきて分かったことは、人間が作り出したトラブルは人間が解決できるのだ。神仏は自分に見合った課題しか与えない。そうなった因果を己が作ったのだ。自分で解決できるのだ。だれも貴方に総理大臣をやって欲しいと頼まない。その昔、私も仕事の上で塗炭の苦しみを味わっても、今思うとなんと愚かなことで悩んでいたことかと思うことが多い。それの経験があるから、今の成長した自分がある。

 自転車の習得でも、転んで痛い目を会ってうまく乗れるようになるのだ。人生の車の運転も同じである。

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  馬場恵峰書 2006年

 

鬱病の蔓延

 そういう苦労のない人が、些細なトラブルで引き籠り、鬱病の仮面を被ってしまう。鬱病は病院に行っても治らない。薬で、益々鬱病が酷くなってしまう。薬物依存になる。その副作用が大きい。薬では、心は強くならない。現代の鬱病治療とは、まるで高血圧症に降圧剤を投与するような対処療法である。根本治療ではない。病院にとっては金儲けのネタなのだ。

 私も会社の陰鬱な仕打ちと仕事の葛藤で鬱寸前になったことがあるが、病院に行けば、間違いなく鬱病と診断されたはずだ。私は、病院の鬱病治療では、薬漬けになる事を本で知っていたので、病院に行かず、自分で治した。

 それも当時、私の担当である管理部署には、精神的にダウンした社員を異動でどんどん送り込んできて、その対応策で学んだ成果である。開発部隊は仕事がきついが、管理部署は楽だろうと、相手先の管理職がダウンした部下を私の部署に送り込んできたのだ。当時のある部署の役員は、過剰な成果を求めて部下の管理職を責めて、数多くダウンさせた。役員は倒した部下の数が多いほど、出世したのが現実であった。まるでブラック企業のようであった。若い人は、その部署に異動になるのを恐れていた。

 だから隣の部署にいた私も鬱病関係の本を10冊弱買い込んで研究をして、その発生原因と対策・治療法を自分で学んだ。

 

鬱病の現状

 今は鬱病になったもの勝ちである。上司が部下を育てようと叱ってもパワハラだとして病院に駆け込めば、全員、鬱病の診断書を頂ける。会社も腫れモノを触るように、一歩引いてしまう。医師も本人の申告病状を否定できないので、鬱病と診断するしかない。病院もその方が儲かるのだ。医師も患者保護で、会社には患者の情報を流さないし、担当上司は医師とも話も出来ない。何かおかしな社会となった。それだけ人間が精神的に虚弱になったようだ。その根本原因は、人間としての感謝を忘れ、仁義礼智信の教育を放棄して、拝金主義・成果主義の技術だけを教える教育体制にあると思う。

 

プラスマイナスゼロ

 宇宙根源の法則の理は単純である。人生のプラスマイナスはトータルはゼロである。逆境でのマイナスが大きければ、人生が好転した時のプラスが大きい。そうでないとバランスが取れない。だからその逆境の時、どれだけ自己充実をするかにかかっている。

 いい思いだけして借金踏み倒しで来世に旅立っても、子孫がそのツケを払わされる。長~い時間のスパンで観れば、人生は公平である。

 

先楽、後楽 

 人は絶好調の時は学ばない。世間の冷たい風に吹かれ、罵られ、嘲られ、叩かれた時こそ、大きな学びがある。人生の前半では、天分の才で能力の高い人は絶好調である。しかしそれを鼻にかけ学校を出てから学ばないと、老いてから痴呆的醜態を晒す人は多い。他山の石としたい。

 人生は、今日が始まりなのだ。何事も始めるのに、遅すぎることはない。

 

来世で生まれ変わった時のために

 人生レ―スの第4コーナを回って、老齢期に学ぶ勉強は、どんな道(書道、絵画、外国語等)でも、輪廻転生で生まれ変わってからこの世で使える技である。現世の生まれながらの天才は、前世でそのご先祖が努力をしたのだ。だからそのために生前に練習するのだ。

 だから人生、死ぬまでが勉強である。己のDNAを受け継ぐ子孫のために勉強をしよう。きっと3世代後にそれが花開く。人は学びながら歳を頂くのだ。学ばないと年甲斐もなく老いる。醜態である。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-05 久志能幾研究所通信 1472  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智622 死ぬな、殺すな、生きて時間を創れ

目標を持たないから早く死ぬ。

生きる信念・理念を持たないから、早く死ぬ。

到達点を見極めないから路半ばで死ぬ。

生きたいという願望がないから死ぬ。

強い願望があれば神様が生かしておいてくれる。

生かされていることを感謝して働いて時間をつくろう。

 

生あるもの必ず死あり

 世は無常である。どんな生き物にも死があり、どんなモノにも寿命がある。それを意識せず、命を永らえたいという意思がないから、早く死ぬ。早くモノを死なす。早く死ぬ人は、人生を丁寧に生きないし、モノを丁寧に扱わない。一番大事な自分の体を大事にしないからだ。だから天からしっぺ返しを受ける。

 死を意識しないから安易な生き方になる。倒産を考えないから、会社を私物化して、杜撰な経営となる。

 

会社の寿命

 会社だって命がある。昔は会社の寿命は60年と言っていたが、今は30年と言われる。大企業でも知識だけの頭でっかちの経営者が、大船に乗った気で安易に経営するから、破綻する。

 中小企業では、会社創立1年後の生存率は40%、5年後は15%、10年後は6%、20年後は0.3%、30年後は0.02%である。

 それは社長が、創業当初の志を忘れ、会社の利益を交際費や妾や高級車、別荘に身を入れ込むから、会社を維持できなくなるからだ。要は天罰である。会社を私物化した咎である。

 

大垣市の寿命

 20年間弱も、小川敏が大垣市を無能政治で支配したから、大垣市は没落して、滅亡寸前である。大垣駅前は、昭和20年7月にB29の空襲で焼け野原になった。今、大垣駅前が、大垣市が衰退したのでビルが無くなり焼け野原のような閑散とした風景になった。小川敏が無能政治爆弾を大垣市に投下したのだ。大垣市の敗戦である。

 大垣市の顔である大垣駅前商店街は80%が店を閉めた。近隣都市間では、大垣市だけが公示地価が、小川敏が市長になって連続19年間、下落の一途である。

 それでいて小川敏は、市の職員の給与だけは県下一の高給にした。しかし、大垣の未来を作る子供を教える教員の給与は県下最低レベルに落とした。大垣市の児童生徒の教育環境は県下最低である。

 小川敏は、己の自慢話として大垣市制100周年記念行事で3億5千万円を浪費しても、後世に何も残せなかった。その使用用途の会計報告もマル秘にして公開しない。結果は翌年も地価の下落である。

 小川敏は大垣市経営を私物化しているとしか思えない。今は6選に向けて事前選挙運動に熱を上げているとしか思えない。

 

私の勤めた会社の寿命

 私が命を捧げた前職の会社は創立後65年で市場から消えた。その間に一緒に仕事をした仲間が24名も亡くなった。経営層が学閥に支配され、決断ができず、先見の明のない経営者がのさばったから、市場から淘汰された。あのJALでも、あのGМでも、潰れる時代である。JALの株を持っていれば、大金が紙くずになった。   

 

プロジェクトの寿命

 どんなプロジェクトだって命がある。いい加減な気持ちや、杜撰な計画や決意のない実行をするから、途中で死亡(挫折)である。どんな夢を抱いても、プロジェクトを育てようという意思がないと、育たない。「偉大な仕事は夢で始まり、情熱で維持され、責任感で成就される(堺屋太一の言葉)」。その一つでも欠けるプロジェクトは頓死である。

 自分も今まで、毎年の年初に目標を立てて頑張るが、情熱か責任感かが足りなくて、多くの夢が頓挫した。忸怩たる思いである。

 今は、「死ぬまでにやりたい108の夢」が死なないように、大事に育てている。

039a34401s  馬場恵峰書

 

仏像の寿命

 仏師の命は精々100年、しかし仏師は1,000年間も人々の祈りの受け皿となる仏像造りに命を掛ける。1000年間も拝まれる仏像を創れれば、仕事冥利に尽きる。

 松本明慶大仏師が高野山中門に納めた四天王像は、今後、1000年間は皆さんに拝まれる仏像である。

 

私の余命は1年?

 私は昨年、癌が発見され手術をした。医師からは、「5年後生存率は53%」と説明された。五年後には私と同じ症状の人の半分が、死ぬ。統計データからの値は冷酷である。単純計算すると5年×0.53=2年である。今が術後1年目であるので、余命は1年ということになる。それは医師の言う通りに標準治療を受けた場合である。

 私はそんなことで死んでたまるかと、自分で病気を調べ、免疫力の文献を当たり、抗がん剤を調べ、代替治療を調べて、今までの生活習慣、食生活を変えた。主治医の勧める抗がん剤治療を拒否して、別病院で代替治療を選択して今を過ごしている。

 私は、2年で死んでたまるかという意思で生きている。まだまだやり残したことが山積みである。

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 高野山中門 増長天  松本明慶先生作 2015425日撮影

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 高野山中門 広目天  松本明慶先生作 2015年4月25日撮影

 

2020-02-04 久志能幾研究所通信 1471  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 4日 (火)

磨墨知455 臓器移植の拒否を

臓器移植用の心臓を輸送中のヘリが墜落

 2020年2月1日朝、福島・郡山市で、福島県警のヘリコプターが臓器移植手術のための心臓を運ぶ途中で墜落した。乗っていた7人がけがをした。心臓移植手術は断念された。日本臓器移植ネットワークによると、ヘリは、東大病院で臓器移植手術を待つ男性に、福島県内で脳死判定を受けた男性の心臓を運ぶ途中であった。

 一人の命を助けるため、まかり間違うと、7名の命が失われるところであった。この事故で、臓器移植の是非を再度考える機会を得た。

 

臓器移植 

 臓器移植は自然界の原理原則からみて正しいのだろうか?

 それによって多くの人の時間がロスしてないだろうか?

 人類の時間を、綜合的にはロスしていのだろうか?

 一つの臓器が悪くなるというのは、他の臓器も寿命が短くなっているはずである。それを無理に、その悪くなった臓器だけを臓器移植をしても、他の臓器とのバランスが崩れてしまう。また臓器拒否反応の抑制薬、感染予防の抗生物質を多量に投入される。それが体に良いわけがない。それの影響で亡くなる人も多い。だから、臓器移植は宇宙根源の自然の理に反していると思う。倫理的にも問題である。私は反対である。

 

運命を受け入れ

 臓器移植で、人の命を「殺めて」までして、私なら長生きしたいと思わない。私が臓器移植しか治療の手段のない病気になったら、私は臓器移植を拒否し、それを運命として受けれたい。私が死んだ場合、私は臓器提供拒否である。

 

運命とは

 運命とは、ご先祖の生活習慣の長年の蓄積、その土地の生活習慣の歴史、その社会の健康への取り組み等、それが己の体に影響して、健康な臓器かそうでないか、教育がよいか、生活が豊かか等を決める「その家の経営」だと思う。それを運命と私は思う。だから私はその改善のため、食生活の改善、考え方の変革等に取り組んでいる。その啓蒙活動に力を入れている。

 ご先祖やそのご縁者の考え、生活習慣の集大成版が己の体である。今の己の生活習慣が、子孫の健康に影響する。一番の影響者は両親である。卑近な例では、親がタバコを吸えば、子供も煙草を吸う確率が高い。悪い食生活を送れば、遺伝子に傷がつくだろう。37兆個の細胞がその影響を受けて、癌になる確率も他の人よりも高くなるだろう。それが運命である。それを意識して、己の生活習慣を正しくしているか、自問したい。

 

自然界からの逆襲

 自然界の理に反した金儲け至上主義の食品生産体制が、今回の新型コロナウイルス、先のSARS、牛海綿状脳症(BSE)の発生ではないかと思う。それが自然界からの逆襲だと感じる。狭い牛舎での飼育、砕骨肉での飼育、抗生物質を多量に投与された状態の飼育、それらが異常な病気の遠因と私は思う。

 

日本最初の心臓移植

 日本で最初に心臓移植手術をしたケースでも、患者は臓器拒否反応で死亡した。心臓移植手術をした和田医師は、後日殺人罪で起訴された。心臓を摘出された若者は、医師団の発表では、脳死と説明されたが、助かるべき治療を受けられず、心臓を摘出された可能性もあった。

 

中国での臓器移植

 現代では、カネがあれば中国に行って、強制収容所に入れられたウイグル族、チベット族の人間から臓器摘出をして、己だけの命を永らえることができる。しかし往々にして術後の併発症で亡くなる人が多いようだ。それは自然に理に反しているからではないか。 

 中国に行けば、数日でドナーが見つかるという。それは上記のカラクリである。それを薄々知って中国に行って臓器移植をする人は、人間として正しい道を歩んでいるのだろうか。金持ちは命が助かるが、貧乏人は助からない。無実で強制収容所に入れられ、臓器摘出をされる民族は悲惨である。

中国の臓器提供数と移植数 アジアで1位、世界2位に

CNS】中国・国家衛生健康委員会は1126日の記者会見で、中国は臓器の提供・移植に関する仕組みを基本的に完成させたことを発表した。現在、年間に提供・移植される臓器の数はアジアで1位、世界で2位となり、移植者の生存率指標は世界でも先進的レベルに達したとしている。

 2019年上半期に中国全土で行われた臓器提供は2757例で、前年同期比で9.5%増、提供臓器は7186個、前年同期比で3.6%増となっている。

(以上、下記の記事を一部抜粋)

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/

日本の末路

 日本が中国に占領されて、中国領日本自治区になれば、日本人が臓器提供の対象となるだろう。新型コロナウイルスが猛威を振るっても、尖閣諸島への中国船の領海侵犯は連日である。

アメリカの怒り

 だからトランプ大統領を始め米国議会は中国と全面戦争をする気になった。米国では人権無視はご法度なのだ。なぜ日本のマスコミはそれを報道しないのかが、問題である。中国との商売優先が頭にあるマスコミは、それをタブー視して、スポンサーに気兼ねをして記事にはしない。それも神への冒涜ではないか。そんな体質だから新聞購読数の減少が止まらない。

 新聞のスポンサーの日本企業は、拝金主義に犯されて、金儲け一本道である。だから景気が回復しない。天罰である。お天道様に顔向けできない恥ずかしい行いである。

 

母のケース

 私の母は脳溢血で倒れ、一時的には奇跡的に回復したが、その後、脳梗塞になり、意識がなくなり、人口呼吸機と点滴だけで5か月間、植物人間として命を永らえた。年末の寒い日に眠るように息を引き取った。私は死に目にも会えなかった。

 私が見舞いに行っても、意識もなくベッドに横たわる母を見るのは辛い状況である。母は自分の力では呼吸も出来ない。今、意識が戻っても、筋肉が削げ落ちた肉体で、起き上がることもできまいと見える。それでも現代医学は、植物人間のような母を生かし続ける。なにか神への冒涜ではないかとも感じた。

 欧米では、植物人間の治療はごく少ないと聞く。自分がその立場なら、家族を苦しめてまでして、生き永らえたくはない。それでは社会に貢献できない。しかしは母、意識がないので、その意志表示をできなかった。地獄はあの世にはない。それが地獄であった。

 どんなものにも寿命がある。それを天が寿命だと言っているのに、無理に延命治療で命を引き延ばすのは、神仏への冒涜ではないか。それで家族が地獄の苦しみを味わう。死を素直に受け入れるのが、宇宙根源の理に従った生き方ではないのか。 

2020-02-03 久志能幾研究所通信 1470  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知452 調和=弱肉強食

 滅びゆくものを無理に「保護」しない。保護する時間が無駄である。弱者の滅びは自然界が調和している証拠で、自然界の原理原則である。弱いものを保護するとますます弱くなる。滅びるものが滅びず、全てが栄えるとはすべての種が絶滅する事になる。一種だけ繁栄しすぎるのは、生態系が崩れて全てが滅ぶのです。その場合の保護は見せ掛けの援助となる。宇宙全体の時間経過に棹さすもの。

 グローバル経済主義の跋扈で、世界が衰退寸前になってきた。自然の調和が取れなくなったためである。1%の種族が、99%を独り占めする社会は、弱肉強食が行き過ぎた現象である。

 無理に保護して、アメリカの自動車産業は、政府保護に頼って、市場での闘う厳しさを捨て、結果として、国際競争力をなくして衰退した。

 無理に補助金政策で保護しても、日本の繊維産業業は無くなった。人件費が高くなりすぎて、日本では採算がとれなくなったのだ。

 保護された産業は全て衰退している。世界の産業の生成衰退の自然の理に叶った現象である。保護政策は、宇宙根源の自然の理に反しているからだ。

 

自給自足が力

 国民が生きるための農業の保護は別である。それは国の自己防衛機能である。自給自足ができなくなったら、今の中国のようにアメリカから食料を武器に攻め立てられる。カネがあっても、相手が食糧を武器として使うと、我々が生きるための食い物が手に入らない。兵糧攻めである。食料は武器となる。だから安易に外国の食料に頼っては駄目である。国内食料生産は保護しなければならない。

 

2020-02-03 久志能幾研究所通信 1469  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 2日 (日)

磨墨智620 神仏を尊べどこれを頼まず

 表記は武芸の達人である宮本武蔵著『五輪書』の言葉である。苦しいときの神頼みでは物事は達成できない。神仏に頼んでいると、気が緩み無駄な時間が流れる。

 神様にいくら祈っても、見守ってくれるだけで、助けてはくれない。心に安心感を与えてくれるだけだ。自分を助けるのは、自分である。

 

 神に頼るとは、なんたることか。自分で自分を助けよ。

    ベートーベン

 

鍛錬

 千日の稽古が鍛で、それを万日繰り返すのを錬という。千日とは約3年、万日とは約30年になる。それがあって初めて物事が習得できる。そうすれば神仏に頼ることもない。

 『五輪書』に「千日の稽古(けいこ)を鍛とし、万日の稽古を練とす」とある。「鍛練」は「鍛錬」とも書き、もともと金属を打ってきたえる意味で、そこから転じて「厳しい訓練や修行を積んで、技芸や心身を強くきたえる」の意味である。「鍛」という字は「金」+「段(音符)」からなり、音符の「段」には、徹底して加工を重ねるの意味がある。

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 馬場恵峰書

 

水先案内人

 当時、ある人を「人生の師・経営の神様」と私は信じていた。会社で困難に直面して、その人に相談に行ったら、「今忙しい」と相談に乗ってもらえなかった。話も聞いてもらえなかった。

 それ以来、私は神様や「経営の神様」と言われる人に頼むことを止めた。それ以来、自分で考えて決断をすることにしている。

 その「経営の神様」には、研修を通して人生の師を信じて、5年間程で、数百万円のカネを使った。要はその人は金儲けのため、講師として経営・人生の話をしていただけであった。その時わかったことは、彼は間違ったことを言っていたのでなく、単なる経営の話しを「水先案内人」として解説していただけであった。口では何とでもいえるのだ。それ以来、私はその人と距離を置いた。

 己が危急存亡の時、助けてくれなかったなら、それは味方ではない。「国との戦争の時、助けてくれなかったら、その国は敵である」と渡部昇一師が語っていた。

 

格物致知

 人生で降りかかる試練や苦難は、人生経営での「一つの」訓練なのだ。後から今振り返ってみれば、大したことはない問題であることが殆どである。それを「己を鍛える訓練」として、自分で取り組めばよいのだ。それが「神仏を尊べどこれを頼まず」である。実際に体験して、初めて身に付き智慧となる。それを格物致知という。

 

2020-02-02 久志能幾研究所通信 1468  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 1日 (土)

磨墨智450 足るを知る

 際限ない欲望が時間を浪費する。タイムパーフォーマンスを追求しよう。社会では、一人勝ちは許されない。全ては調和の世界である。

 

足るを知らない癌細胞

 人間の体という宇宙で、一つの細胞の独り勝ちを許すと、癌が発生する。食べても食べても、満腹感を得られない餓鬼の状態になると、自己防衛機能の働きで、細胞の増殖が止まらなくなる。それが癌である。癌は自分の体を守ろうとして発生した細胞である。

 飲んでも飲んでも酒を止めないから、肝臓がんになる。

 吸っても吸っても禁煙しないから、肺がんになる。

 過剰なストレスが癌を誘発する。自己防衛機能が働き癌になる。

 食べても食べても満足しないから肥満になり、それが癌の遠因となる。

 食べ足りなくて死んだ人は、現代社会では稀有である。食べ過ぎで、多くの人が病気になる。

 

自然の理、病気の痴

 例えれば、機械の処理能力以上の負荷をかければ、機械は負荷オーバで止まる。しかし人の体は許容能力があるので、受け入れてしまう。しかしそれは一時的で、長期になれば、体が破綻する。それが病気であり、癌である。認知症も同じである。

 認知症は、使うべき機能を使わないという負荷を脳の長期間与えたのだ。それに脳が耐えきれず、認知症になった。認知症は、体の自己防衛本能の表れであるし、「使わない器官は退化する」という自然界の理である。

 近年中に、日本人は癌で死ぬ人が50%、認知症になる人が25%になるという。自分はどの死に方を選ぶだろうか。自問したい。

 認知症は、本人は極楽である。家族が地獄に突き落とされる。要は「知」が劣化して病気になったのだ。雁垂れの中に「知」を書いて「痴」である。

 

生活習慣病

 癌も糖尿病も認知症も高血圧症(これは病気ではないが)、肥満症は生活習慣病である。生活習慣病だから、薬では治らない。治すには、自分の生活習慣を変えないと治らない。それを医師は生活習慣の改善の指導より、薬物投与に血道を上げる。医療処置はするが、治療はしない。だから病気が治らない。

 だから、40年前は10兆円であった日本の総医療費が42兆円を超えるまでになった。日本の税収は60兆円である。

 今や日本人の2人の一人が癌になるのは、自然界からの警告である。癌や認知症が増えたのは、「足るを知る」を忘れて、極楽三昧の食生活に落ちぶれ、安易な生き方に堕ちた日本人への天罰である。

 

餓鬼修羅道

 カルロス・ゴーンのように、金を集めても集めても餓鬼修羅地獄のように、金に飢えた状態に堕ちてしまう。今のゴーンの歳で、使いきれないカネを集めても、彼はあの世には金を持って行けない。カネがあっても寿命を延ばし、病気を治せるわけではない。世界一の金持ちであったスチーブ・ジョブスでさえ、癌に勝てずに、56歳で亡くなった。お金の意味は何か。世界一の金持ちの意味とは何か。考えさせられる。

 

自然の理

 万物は流転している。食べ物でも、人の消化能力を超えて多量に食べるから、体内に滞留して、腸で腐敗する。だから病気になる。

 政治も長期政権で滞留するから、政治が腐敗する。自然界の理である。大垣市の政治の理性が無くなり、腐敗が進行すると、世界初のドローン墜落人身事故、久瀬川氾濫、室村町アンダーパス水没事故、大垣市小中学校エアコン設備率2.1%の露見、大垣市教職員給与が岐阜市より208万円も低い事実の露見、大垣市の公示地価暴落、大垣駅前商店街の消滅、大垣の衰退等で、天が怒りの事象を表す。

 

大垣の癌細胞

 4期も5期も大垣市長職をやると、その美味につられて、辞められなくなるようだ。それは大垣の癌細胞のようである。6選を目指すと言うのが如何に異常かも、その毒素のため認知できなくなる。その癌の毒素のため大垣市の衰退が激しい。

 5期も大垣市長職を勤めることになっても、まだまだ市長職にしがみ付くのも餓鬼地獄に堕ちた症状である。現職として、後進を育て、席を譲ることが出来ないのは餓鬼である。大人ではない。

 市長として後進を育てると、己の立場を脅かす脅威として、現職の強みを生かして出馬予定者の人材を蹴落とすまでの浅ましい行動を取ろうとしている。阿修羅地獄の極みである。

 人間の体でも、癌が大きくなると、その体自体が衰退して死ぬが、発生した癌も同時に死ぬ。大垣が駄目になる前に、神仏が支配する天地が、その癌を殺すだろう。それが天地、自然、歴史の営みである。栄枯盛衰は自然界の理である。

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  馬場恵峰書 

2020-02-01 久志能幾研究所通信 1467  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年1月27日 (月)

磨墨智127  正しく狂せり

 「人間は本質的に狂の部分を持っている。狂っているときが一番正常で健全だ」 ギリシャの哲学者セネカ

 狂は純粋なのだ。純粋から成果が出る。革命は狂から発する。狂でないから、妥協、浮気、醒めた目、無責任が己の魂を支配する。純粋に行動する人間に神仏は味方する。

 狂にも、正しい狂と誤った狂がある。

 

江戸城無血開城の狂

 慶応4年(1868年)、山岡鉄舟は幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会した。山岡鉄舟は狂して、明治維新の革命の動乱期に、押し寄せる怒涛のような大波を押し除け、江戸城無血開城を実現させ、徳川慶喜の命も助けた。

 西郷隆盛は山岡鉄舟の人間性を「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬと言う人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛した。山岡鉄舟は世のために正しく狂した。

 

カルロス・ゴーンの狂

 ゴーンは金の亡者になり、拝金主義に狂して、日産を支配した。彼は日産の資産を切り売りし、2万人の日産社員の首を切りまくり、前妻を切り、新車開発費を削り、人材育成を削り、ご縁の系列会社を切って、表面的には日産の業績は回復した。その裏で123億円を不正に貯め込んだ。表面的なことしか目に入らない狂ったマスコミは、見事に騙されてゴーンを名経営者として絶賛した。マスコミは拝金主義に染まって狂っている。ゴーンは狂ったのでなく、金に血迷ったのだ。

 聖書に「汝の行動は汝の予言者である。」という言葉がある。当時のゴーンの行動が今を予言していた。当時、多くの人がゴーンの業務改革に疑問を持っていた。それに目をつぶってゴーンを絶賛したマスコミの罪は重い。

 ゴーンは逮捕・保釈中に正常な判断が狂って、よりによって政情不安なレバノンに逃走劇を演じた。ゴーンの不正の捜査が進み、ゴーンのマネーロンダリングの闇が露見しそうになっていた矢先であった。レバノン政府が倒れれば、その身が危ないのに、狂したのでそれが見えなくなった。誤った狂を演じると、バチが当たる。お天道様に恥じない道で狂わないと、人生の正道を踏み外す。

 

ささやかに狂する

 私も人並み以上に「ささやかに狂して」、仕事に狂い、文書道に狂い、テクニカルライティングに狂い、人財育成教育に狂い、飛行機に狂い、写真に狂い、音楽に狂い、仏像彫刻に狂い、高級車に狂って、今の私がある。狂っている時は、純粋な心になるので、私心と妥協が無くなる。つい最高のモノを求めたくなる。だからお金がかかる。

 トヨタ自動車元副社長の大野耐一は「悪いことに使うのでなければ、お金は何とかなるものだ。」と言っている。彼はトヨタの工場への設備投資でそれを実行してトヨタの基礎を築いた。彼はトヨタの再建に狂して、トヨタ生産方式を創り出した。私はその言葉が励みとなった。何事もこだわりを持って事に当たらねば、人並み以上の成果は得られない。人並み以上成果とは、時間創出である。

 

不動心

 「この道より外に我を生かす道なし。此の道をあるく。ただひたすら一本道。」とは、一つの道に狂して、精進することである。

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  馬場恵峰書 2012年

 

2020-01-27 久志能幾研究所通信 1463  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。