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2020年2月 2日 (日)

磨墨智620 神仏を尊べどこれを頼まず

 表記は武芸の達人である宮本武蔵著『五輪書』の言葉である。苦しいときの神頼みでは物事は達成できない。神仏に頼んでいると、気が緩み無駄な時間が流れる。

 神様にいくら祈っても、見守ってくれるだけで、助けてはくれない。心に安心感を与えてくれるだけだ。自分を助けるのは、自分である。

 

 神に頼るとは、なんたることか。自分で自分を助けよ。

    ベートーベン

 

鍛錬

 千日の稽古が鍛で、それを万日繰り返すのを錬という。千日とは約3年、万日とは約30年になる。それがあって初めて物事が習得できる。そうすれば神仏に頼ることもない。

 『五輪書』に「千日の稽古(けいこ)を鍛とし、万日の稽古を練とす」とある。「鍛練」は「鍛錬」とも書き、もともと金属を打ってきたえる意味で、そこから転じて「厳しい訓練や修行を積んで、技芸や心身を強くきたえる」の意味である。「鍛」という字は「金」+「段(音符)」からなり、音符の「段」には、徹底して加工を重ねるの意味がある。

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 馬場恵峰書

 

水先案内人

 当時、ある人を「人生の師・経営の神様」と私は信じていた。会社で困難に直面して、その人に相談に行ったら、「今忙しい」と相談に乗ってもらえなかった。話も聞いてもらえなかった。

 それ以来、私は神様や「経営の神様」と言われる人に頼むことを止めた。それ以来、自分で考えて決断をすることにしている。

 その「経営の神様」には、研修を通して人生の師を信じて、5年間程で、数百万円のカネを使った。要はその人は金儲けのため、講師として経営・人生の話をしていただけであった。その時わかったことは、彼は間違ったことを言っていたのでなく、単なる経営の話しを「水先案内人」として解説していただけであった。口では何とでもいえるのだ。それ以来、私はその人と距離を置いた。

 己が危急存亡の時、助けてくれなかったなら、それは味方ではない。「国との戦争の時、助けてくれなかったら、その国は敵である」と渡部昇一師が語っていた。

 

格物致知

 人生で降りかかる試練や苦難は、人生経営での「一つの」訓練なのだ。後から今振り返ってみれば、大したことはない問題であることが殆どである。それを「己を鍛える訓練」として、自分で取り組めばよいのだ。それが「神仏を尊べどこれを頼まず」である。実際に体験して、初めて身に付き智慧となる。それを格物致知という。

 

2020-02-02 久志能幾研究所通信 1468  小田泰仙

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