八幡神様にトヨタ生産方式を教えられ
令和2年の正月、朝は体を労わって例年よりもゆっくりと午前中を過ごした。お昼を食べてから地元の八幡神宮に初詣に行くことを思いつき、初詣に出かけた。ところが現地に着くと、今だかって見たかことのない長蛇の行列である。推定すると拝殿まで約1時間を要する。それで私は参拝を諦め、境内外から手を合わせてから、その場を離れた。私の行動原則で、必要がないと行列には並ばない。
トヨタ生産方式
トヨタ生産方式では、効率化のため、生産の平準化を追求する。一時的に生産が集中するのは、効率が悪い生産管理である。
初詣で1時間の待ち時間とは、生産の渋滞である。時間コスト一分100円の計算で、お参りに6,000円の時間コストを生じている。初詣で長蛇の列に並ぶ行為は、利己願望で社会貢献ができない時間を使っている。行列や生産の滞留は、日本経済活性化を妨げる罪なのだ。自分の成長の妨げなのだ。行列が出来たら、何かおかしいと思うべきだ。
グルメの世界でも行列の出来るお店が評判になっているが、それは正常な姿ではない。一時間(6,000円)の労力をかけても食べたい美食追及は、快楽の追求で堕落への道ある。それは私の価値観に合わない。そんなグルメに走るから、罰として病気になるのだろう。
神様の身になって考えよう
私の過ちは、年中で一番、神様が忙しい時間帯に初詣に出向いたこと。神様だって正月の午後1時半は参拝者をさばくのに忙しいのだ。神様の身になって、その時間帯は避けるのが、神様思いである。
今までは、初詣は早朝であったが、今年は体調が不調で午後に変更した。それで分かった世相であった。
お礼
私は、前日の長蛇の行列に懲りて、翌日の9時に再度、初詣に出かけた。早朝の境内は参拝者も少なく、前日の長蛇の列が嘘のようであった。それで静かに、昨年の病気でのご加護のお礼を申し上げた。神前でのお願いはご法度である。神仏の前では、お礼を言うだけで、お願いはしない。
僅か100円のお賽銭で、全宇宙の物理法則を曲げることを望むのでは、罰が当たろう。祈りは、お賽銭を介した商売取引ではないのだ。そんな考えは他力本願で、夢が実現するはずがなかろう。神様がは自分の力で夢をかなえる人を見守っている。夢や願いは、自分の工夫と改善と努力で勝ち取るものだ。仕事上で、やるべきことを全てやり、万策尽きた時のみ、祈りが有効となる。
2020-01-02 久志能幾研究所通信 1442 小田泰仙
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