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2019年4月15日 (月)

死神の幽霊に襲撃される

死神幽霊の言いがかり

 2019年4月13日、死神の幽霊に自宅が襲撃された。近所の鬼婆が、19年前の父の葬儀の事で、自宅に言いがかりを付け来た。それは現世の死神幽霊であった。

 なんでも父の葬儀のあと、葬儀屋から頼まれて、お下がりの菓子類の配布を頼まれたが、それを独り占めしたと噂になったという。それを私が根に持っているだろう、という。その家の名誉にかかわるので、名誉回復にきた、という。

 19年前の話しである。私は父の葬儀の喪主であったが、そんなお下がりの処理の雑事は、葬儀委員長や町内の人に任せていたので、そのこと自体、全く記憶にない。そんなことがあっても、知ったことではない。近所の班長さんに聞いてもそんな話は聞いた事がないという。その老婆の妄想である。

 

世の中の地獄

 何時までも過去に囚われていると、幸せになれにない。それが分からない亡者が世にはうじゃうじゃいる。この老婆は、昨年に夫を亡くしている。気がふれているのかもしれない。近所でも問題児の家である。その昔、その夫が私に因縁をつけて、怒鳴り付けられたことがある。相手は文句を言うのが正しいと信じ切っている。言いがかりを付けられる方は、世の地獄である。

 こちらは病後の体調不良で、立って話すだけでも辛いのに、くだくだと訳の分からない話しを長々とするから、怒れてしまった。それも相手は私がガンの手術後のことで、体調不良を知っての愚行である。私には死神の行動であった。地獄はあの世ではない。この世に地獄があるのだ。その中で生きて行くのは大変だ。

 

磨墨知451. 幽霊にならない

 丸山応挙の描いた幽霊の絵は、人間の性を表現している。あなたは何の幽霊ですか、と丸山応挙の幽霊は己に問いかけている。

 

幽霊とは

 幽霊とは、大地に足の着いていない餓鬼道に落ちた人間の象徴である。また来ぬ未来を手さぐりにして、過去に捕らわれるさまは、後ろ髪を引かれている様に表現されている。髪を振り乱し、虚ろな目で、帰らぬ過去とまだこぬ未来を見つめる。

 その目は「今、ここ」を見ていない。恨めしや、と言いながら、他人のせいにして自分の責任は考えない。この世の全ては自分が生み出したもの。今のあなたは、自分が生み出した世界の中心にいる。それは金の亡者、名誉の亡者ではないのか。自己を見直したい。

 

ゴーンは西洋幽霊

 ゴーン被告も、金の亡者となって、日産のルネッサンスを金科玉条に、裏では己の金の亡者となって金儲けだけを追求していた。ゴーン被告は、西洋の幽霊である。ゴーンが行った不要なリストラで、首を吊った人もいるのに、である。西洋の幽霊は質が悪い。自己弁護ばかりで反省の陰さえない。

 

 あなたは何の迷い人? 鏡に写る自分の姿に幽霊の気配はないか? 現地現物として、しっかり自分の姿を、鏡に写してよく観よ。鏡は世間の目である。世間の目が、自分の幽霊を映し出してくれる。

 鏡よ、鏡よ、此の世で一番正しく美しいのは誰?

 己が鏡に映る姿に、幽霊の気配が観えなければ、己は幽霊である。

 

足を大地につけて

 時間を創るには、しっかりと大地に足をつけた生き方、真っ直ぐに前を見つめる目、過去を振り切って前進する力、手を上向きにして、しっかり現実を掴む力が必用だ。今を最大限に生きれば、幽霊にならない。幽霊の人生とは、死の時間の経過である。

 生きていても、幽霊になっては、時間だけは冷酷に過ぎていく。足るを知れば、亡者にはならない。過去のしがらみを捨てれば、生き返る。人生でやり直しはできない、しかし出直しはできる。過去の亡霊を捨てて、生き返れ。再生せよ。それが人生のルネッサンス。

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 馬場恵峰書 2006年 

2019-04-15  久志能幾研究所 小田泰仙

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