時間は命 人に車で送らせない
私は訪問先の好意で、帰路、車で送ってもらうことをなるべく辞退している。しかし相手の好意を断るのが大変である。その時は鬼になって断っている。公共交通機関のないへき地なら、タクシーを呼んでいる。お金の問題ではない。その時間分、相手先に稼いでもらった方が、日本経済のためには良いことだ。
その逆で、私もお客さんを送るのも止めて、タクシーを呼び、タクシーチケットを渡している。それが合理的である。私も相手もアッシー君ではないのだ。その間の時間、お互いに稼ぐべきだ。
車で送らせるとは
人に車で送らせるとは、相手の時間を奪う事。またその時間は、相手に支配される時間となり、自分の時間も奪われる。同乗中では勝手なことをできなくなってしまう。時間は命なのだ。
またその時間、電車で行くより車で行くのでは、混雑した道路状況のため、余分に時間がかかる。電車なら乗っている間にメモを書いたりPCを触ったりと仕事が出来る。車で送ってもらっては、それが出来ない。また相手に交通事故の危険性さえ高めさせてしまう。
時間コストは1分100円なのだ。相手に車で送らせて10分を無駄にすると1000円が無駄になる。それより1000円でタクシーを呼んだ方がよい。歩いた方が健康によい。
人に車で送らせると、人の運命まで変える
私が若いころ、私の同僚が部下に駅まで送らせて、それが原因で交通事故を起こし、老人を撥ねる事故を起こした事件があった。それが遠因となったのか、彼は会社を辞めてしまった。それから彼は当時、超優良企業の松下電器に転職した。しかしその後、松下電器はリストラの嵐が吹き荒れ、彼は心身の疲労からか進行性の癌になり、がん発見後半年の50代で亡くなった。人の運命は分からないものだ。
馬場恵峰先生の深情け
その昔、私が九州の馬場恵峰先生宅に行くと、帰りに先生が気を利かせて車で送ってくれると言う。90歳越えの恵峰先生に車で送らせて、事故でもあったら大騒ぎで、私も立つ瀬がない。それよりその時間に、価値ある書を書いていただいた方が、後世の為である。今までは、それを断るのに大騒ぎである。奥様の三根子先生も、暗い夜道の恵峰先生の運転を心配していた。
しばらくして、馬場恵峰先生が運転免許を返上したので、その断る言いわけの心配が無くなりほっとしている。馬場恵峰先生は91歳まで運転をしていた。実はその運転が怖しい。先生の車に同乗させていただくと、豪快な決断力ある運転で、私は肝を冷やすことが度々である。私のテストドライバー資格を持つ視点から見て、とんでもない運転である。それでも事故もなく、91歳の運転免許返上まで、無事であったので幸いである。今はほっとしている。
2019-12-06 久志能幾研究所通信 1417 小田泰仙
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