ご縁に出会った時の心得
仏法ご聴聞の心得
一つ、この度のご縁は
今生初めてのご縁と思うべし
一つ、この度のご縁は
私一人のためのご縁と思うべし
一つ、この度のご縁は
今生最後のご縁と思うべし
青山俊董著『道元禅師・今を生きるとは』(大法輪閣 p186)
私はこれはと言うご縁に出会ったとき、その対処方法の決意である。これは私の叔母の師である青山俊董堂長の著書から学んだ言葉である。青山俊董堂長の講話を聴く機会が致知出版社の研修会であり、参加の段取りをした。しかし私が年初に手術入院のため、それが叶わなかった。それで青山俊董堂長の著書を読み直す機会のご縁を頂いた。
ご縁との遭遇
その縁が悪縁かも知れない。それを見極める能力(見識)を得るために学ぶべきだなのだ。単なる知識を得る目的で学ぶかから、悪縁に引っかかる。
その良縁だと思って心身ともに捧げたら、絞首台に登らされた若者達がいた。オウム真理教に入信した頭のいい人たちであった。人生の周りは悪縁だらけなのだ。その悪縁を避けて、真珠のようなご縁を見出すのは大変な注意力がいる。そのために知識よりも知恵を付けないと、人生航路で沈没する。
食とのご縁
食とのご縁も一期一会である。人は他の生命を殺めないと生きていけない。手を合わせて食と向き合うべきなのだ。それを手を合わせず食い散らすから罰が当たる。その相手も食べられまいと毒を盛って防御している。美味しいものには毒がある。
食の原則を教えてくれるが母親である。古風な母親が子供のために作る料理に間違いはない。しかし最近の若い母親は、食品企業・テレビ業界に洗脳教育をされてしまったようで、狂った食生活を子供に強いているようだ。だから若い女性に癌が増えている。この30年で3倍の増加である。
小欲少食が幸福、健康の基本である。その原則を忘れて、食の饗宴に興じるから、癌、糖尿病、認知症に罹る。
人とのご縁
人との出会いも一期一会である。利に迷って悪食の人とご縁を結ぶから、人生が堕落する。人生で得なければならないのは、人を観る目である。
私の長い人生で、これはと言う師、人物に出会えたのは数人である。師と思って接していたら、緊急事態の折、化けの皮が剥がれ、単なる水先案内人であったことが判明したことが多々ある。それも貴重な学びである。
モノとのご縁
私が「大人の玩具」を2019年11月2日、衝動買いしたのも、自分としてその目があったと確信できたためである。この時、「仏法ご聴聞の心得」が心に響いた。そのためには母の教え、経験、見識、買っても後悔しないという確信が持てた為である。来た縁は勇気をもって手に入れないと二度とやってこない。その掴むべき握り側の縁を逃がし、後からそれに手を出すとそれは反対側の刃物になっている。
2019-12-05 久志能幾研究所通信 1416 小田泰仙
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