o-大垣を良くする階 Feed

2020年12月 6日 (日)

病気は真剣に治す。薫習こそ人格育成の要

 

 病気は全て人格不都合の根源である。その病気の気配を感じたらすぐ手を打とう。因果応報でそれには原因がある。

 病気を治すには、人生目標がなければ治せない。病気は人生目標を妨げる最大の壁である。

 病気と真剣に対峙せず、小手先の対処療法でお茶を濁すから、人生で躓く。人は大石では躓かない。人は小さな小石、ちいさな段差、小さな病気で、躓き、大きな怪我をする。

 親からの薫習こそ、健康(体と精神)の要である。体が丈夫でも精神が健全でないと、病気である。健康とは雲や空気のようなもの。つかみどころがないが、人間の健康管理には大事な要素である。

 

病気の治し方

1 その病気の原因を考える。

2 病気の原因を取り除く。

3 再発防止をする。

4 病気を研究し、横展開をする。

  人生の生き方で同じような間違いをしているはず。

  同じ手法で、「仕事の病気」「人間関係の病気」「都市の病気」「政治の病気」を治そう。

5 人にその内容を伝えよう。それは世へのお布施である。

  お布施にお金は無用。おカネを出すことだけがお布施ではない。

 

都市の病気

 例えば都市も病気になる。繁華街が衰退し、人口が減り、公示地価が下がる。すべて都市の病気の症状である。それを小手先の対処療法で済ませるから、少しも改善しない。大垣市が悪い例の典型である。逆の良い例が福岡市である。大垣市は小川敏の無為無策無能政治が原因で没落し、福岡市は高島市長の才覚で日本一同然の発展を遂げた。

 大垣市没落の原因は小川敏であるが、なぜ小川敏がそうなったかの原因まで探るのが真因の追求である。

 

病気の真因

 その真因は小川敏の両親の吝嗇にある。両親の吝嗇は、その町内では有名であった。父は頭が高く、決して客に頭を下げなかった。その両親の薫習(洗脳教育)を受けて、彼の性格は吝嗇となった。成人になるまでその吝嗇の家風を受ければ、子供も吝嗇になる。三つ子の魂百までである。

 

薫習

 それを仏教では「薫習」という。良き香りの花を触れば、その香りが自然と衣に移るように、よき人と交われば、その良き思想人徳が自然とその人に移る。霧の中を行けば、自然と衣が濡れると同じである。その逆も真なりである。だからこそ、自分の子に一番多く影響を与える存在の親として、人徳を積まねばならない。それが子供に残してやれる最大の財産である。

 己の立場が市長なら、市長の行動思想が市の職員に薫習される。悪い影響を与えれば、市の職員は上ばかり見る保身主義のヒラメとなってしまう。小川敏は20年近く市長として君臨したので、市役所内がヒラメのオンパレードになってしまった。そうしないと飛ばされるから。市の職員も家族があり、生活がかかっている。

 現代の青少年の凄惨な事件は、親の人格的な質の低下がある。そんな親の薫習を受ければ、子供はおかしくなってしまう。

 

内弟子

 芸事で内弟子となるのも、薫習のためである。師匠は内弟子に何も教えない。弟子は薫習で師匠から学ぶのだ。だから内弟子経験者は強い。永世名人の米長邦雄氏も内弟子経験者である。

 だからこそ「3年かけて師は探せ」である。

 

大垣の未来への投資

 小川敏は、大垣市の未来に対して、投資をしない政策を20年近く施してきた。だから大垣市は没落した。端的な例が、小川敏は教職員の給与をケチり、その資金を自分達に振り向け、未来の子供たちの教育をないがしろした。市長として大罪である。

 大垣市の教職員の給与は、一般職のそれより年収で200万円も低い。それでいて一般職の給与は県下一の高さである。

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。一番の被害者は子供たちである。

 未来への投資が無くては、その街の発展はない。子供の教育こそ、最大の未来への投資である。その投資を小川敏は抹殺した。

 

 熏習とは、身口に現れる善悪の行法である。また意に現れる善悪の思想が、起こるに随って、その気分を真如(あるがまま)や阿頼耶識(潜在意識)に留めることを言う。俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。

 薫習が身口意に現れたのを「現行法」といい、真如あるいは阿頼耶識に気分が留まったものを「種子」(植物の種子のように、いろいろの現象を起こさせる可能性、可能力のこと)あるいは「習気」という。

 このように親の行動思考が、相手の潜在意識に影響を与えて、種子(我が子)に習気を留める作用を薫習という。

 「薫習の義とは、世間の衣服に実に香なし、もし人、香をもって熏習するに、すなわち香気あるが如し」大乗起信論

 「熏とは撃発の意味。習とは数々の意味。数々の熏発によってこの種(子)があるから。」唯識述記 一本

 この項、wikipediaを編集加筆

 

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2020-12-06 久志能幾研究所通信 1852  小田泰仙

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2020年12月 4日 (金)

散弾活用「~したいと思います」と言わない  磨墨知111

 

 思うだけでは時間は創れないし、実行も出来ない。「~する」と決意を述べよう。

 「したい」と「思う」と動詞が二つもあると、テクニカルライティング上では冗長な表現とされ禁止表現である。だから、そういう言葉を発する人は、発言内容を実行しない。

 

大垣市長の散弾

 不誠実な政治家の常套文句は、「前向きに、できるだけ早く善処したいと思います」である。「前向く」「したい」「思う」の散弾活用で、言うことが、聴衆を惑わすように発散している。こんな言葉を言う政治家は信用できない。だからこの発言を常用した市長の小川敏は、大垣市を没落せた。

 2017年の台風による大垣市内大浸水で、大垣市連合自治会から排水機場の整備を求められた小川敏は、「県にも要望するなど、できるだけ浸水が起きないように対処したい。」と応じた。

 なぜ「すぐ整備します」「全力で整備します」と言えないのか。「できるだけ」とはそこそこにお茶を濁すということだ。「できるだけ」とは「できないことはやらない」と宣言したのだ。皆ができないと思っていることを実現するのが大政治家だ。

 

本物の政治家

 1960年代に活躍した松野幸泰知事は、伊勢湾台風で被害の出た岐阜県の治水事業で、国を動かし、堤防整備をして、治水を完備させた。それでこそ政治家である。

 

 松野幸泰氏は、穂積村議会議員、岐阜県議会議員、岐阜県議会議長を経て、1958年10月、岐阜県知事選に出馬し初当選。1966年まで2期8年務め、伊勢湾台風を教訓とした治山・治水等の安全な県土づくりに尽力した。

そのほか、“道路知事”とも呼ばれるほど道路整備等の産業・生活基盤の整備に重点を置いた県政発展の基盤づくりを進めて「町も村も豊かな岐阜県」を目指した長期ビジョンを策定した。その他、岐阜県庁舎の移転等を実現した。

 この項、Wikipediaより

 

大垣ルネッサンスの時代

 あと5か月で、小川敏の任期が終わり、新しい市長が選出される。それに期待したい。来年は大垣ルネッサンスの時代が到来する。

 出来ないと思われていることを実現することこそ、時間創造である。

 生活基盤の安全、治水は時間創造の基本である。

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 中日新聞 2017年11月9日

 

2020-12-04 久志能幾研究所通信 1850  小田泰仙

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小川敏に説明責任を問う 排水機場の再整備

 

 2017年10月22日から23日にかけて台風21号の接近で、大垣市内に浸水被害が出た。水門川の排水機場では、老朽化したポンプが故障で動かなくなる不具合が発生し、大垣市の東西の基幹道路である室本町アンダーパスが水没した。市内は大渋滞である。

久志能幾研究所通信: 大垣の恐怖 非常用排水ポンプ作動せず (enjoy.jp)

 その原因は排水機場の保守が正しく行われていなかったためだ。それを大垣市自治会連絡協議会が、その対策を大垣市長の小川敏に申し入れたが、3年経ってもその後の報告が全くない。小川敏は説明責任を放棄している。

 小川敏は「県にも要望するなど、できるだけ浸水が起きないように対処したい。」と応じた。しかし小川敏と岐阜県知事の古田知事とは犬猿の仲と噂されている。状況証拠もそれを示している。だから小川敏が県に要望したとは思えない。そんなレベルの市長が大垣市を20年近く君臨している。

 中日新聞も、連合自治会が排水機場の再整備を市長に申し入れの報道をしたのだから、そのフォローをする義務がある。中日新聞はそれを放棄している。

 

 バス会社と協定を結んで火災予防の啓発をするレベルの活動を宣伝する暇があったら、この「排水機場の再整備」の件の説明責任を先に果たすべきだ。そうでなければ新聞社は、腰巾着の御用新聞である。

 排水機場の再整備は、大垣市民の命に係わる問題である。小川敏の選挙向け売名行為とはレベルが違うのだ。

2017111091 中日新聞 2017年11月9日

下記のような自己宣伝をする時間があれば、上記の説明責任をはたすべきだ。小川敏は自己宣伝には大忙しだが、市民の命を守ることはしない。

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 岐阜新聞西濃欄 2020年11月11日

2020-12-04  久志能幾研究所通信 1849  小田泰仙

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2020年12月 2日 (水)

選択に迷ったら簡単に決めよう。美しさで決めよう。  磨墨知108

   

 迷うような事項は、どちらを選んでもそんなに差はない。簡単に決めよう。迷うだけ時間の無駄である。選んだ方で、全智全力を傾けて取り組めばよい。

 お見合いでもAさんがいいかBさんがいいかなど、神様でも分からない。就職先の選択でも、C社がいいかB社がいいかなど、全くわからない。第一感で決めればよい。第一感には、己の経験から培った智慧が籠っている。それが間違っていれば、己の過去の智慧の蓄積が足りなかったと諦めればよい。それを糧に今後頑張ればよい。

 

美しき選択

 全ての問題の選択として、美しい方、シンプルな方を選べばよい。その後、その世界で、誰にも負けない努力すればよい。

 経営者は、上がってくる案件の 49.9 対 50.1 の差を判断して、決断せねばならぬ。経営者は何方を選んでも、それを成功させる責任がある。真の結論は、何方を選んでもたいして差は無い。簡単に言うなら、その選択基準は美しさで選べばよい。それよりも、その後の経営の如何に、選択の結果が左右される。

 

選択の本質を間違える

 30年前の選択であるビデオデッキ規格戦争で、ベータかVHSかの選択があった。実際の選択基準は、どれだけ参加メーカを多く囲い込みできるかの問題であった。技術の問題ではなかった。それをソニーは技術面だけで攻めたから負けた。ソニーは本質を間違えたのだ。当時のソニーは経営が美しくなかったのだ。今は拝金主義で暴走して創業に精神を失っているから、ますます醜くなくなってきた。だからアップルに負けている。

 ベータ方式は、性能は良いが機構が複雑すぎて、ある意味で美しくなかった。複雑であれば、部品点数も多く、故障も多いはず。そのためソニー以外の作り手が嫌がった。だから経営の神様の松下幸之助は、VHSを選択した。

 当時のソニーは技術に溺れ傲慢になっており、囲い込み戦略を軽視した。それでソニーはベータ・VHS戦争に敗けた。技術のソニーはこの失敗に懲りて、新しい規格を作る時は、囲い込みを重視するようになった。

 

製品の命は性能だけではない

 性能が良いだけでは世の中は通らない。日本製の家電や携帯電話が世界から負けているのはその証である。不要な機能が多すぎるのだ。そのために複雑すぎれば、美しくない。美しく、シンプルに、安く、安心できる、故障しない製品が成功する。

 

リーダの美しさ

 人の世は、頭が良くて、学校の成績が良いだけでは、実社会で通用しない。リーダが超有名大学を卒業しても、唯我独尊の性格では、リーダ失格である。そういうリーダが君臨する会社は問題を起こして市場から消えていっている。そのリーダが単に記憶力が高かっただけでしかない。記憶力が良くても、自惚れれば、自滅である。シンプルで誠実で、安心して経営・政治を任せられる人が、組織を成長させる。

 その逆の政治家が支配すると、大垣市のように没落する。小川敏の市長の座への執着心は醜態である。利己心の塊は醜悪である。

 自分が客観的に美しいかを考えよう。美しさとは、人格の高潔さをいう。その行動が利他の精神に富めば美しい。

 

2020-12-02 久志能幾研究所通信 1847  小田泰仙

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2020年12月 1日 (火)

人生は、自分が夢見た通りになる

 

 「叶う」とは、「口」と「十」からなり、10人の意見(口)を一致させる意を表す。(漢和辞典)

 「叶う」は「口」と「十」からなる。自分の言うことが(口)を、「十」を実現させる。十の横棒は現世の世界を表す。縦棒は過去から現代、未来への歴史を表す。つまりこの世の過去から現在未来を表す象形文字である。「叶う」とは、この世で、自分が思ったことが実現するということだ。(オダブツ教辞典)

 自分が思ったことは、プラスのこともマイナスもことも含まれる。

 

マイナスの言葉

 自分が駄目な人間だと思えば、潜在意識がそういう行動を取らせることになって、全ての行動でダメな人間になる方法を選択して、結果としてダメな人間になる。だから決して後ろ向きの言葉を発してはなるまい。

 夢夢、最期は沖縄の海にドボンなどと思ってはなるまい。

 

プラスの言葉は天女の羽

 大きな夢を持てば、日々の行動で少しでもそれを実現しようとする行動を取る。それが小さな行動でも、1年5年20年と積み重なれば、潜在意識、行動の全てで大きな蓄積となる。棒ほど願って針ほど叶うことかもしれないが、確実にそれは実現に近づき、何らかの形になる。具体的に動けば、何らかの具体的回答が仏様から授かる。

 毎日、前向きの言葉で自分を元気づけ、小さくても継続的な改善の行動を取れば、1年で1.4倍となる。3年間で3倍の成長となる。

 365日のべき乗  1.001^365       =  1.44 (複利計算)

 3年間のべき乗   1.001^(365*3)    =  2.99

 10年間のべき乗  1.001^(365*10) =  38

  毎日、自分の行動や考え方を見直して、無駄な行動や考えを0.1%だけでよいので改善して、その改善を3年間継続すると、能力は3倍になり、何もやらない場合より10倍の差となる。

 その当時、ド田舎の会社と馬鹿にされたトヨタには、優秀な学生は入社しなかった。それが小さなカイゼンを積み重ね、トヨタは世界一のカーメーカーになった。

 トヨタより優秀な人間が多く入社していた日産は、労使紛争に明け暮れ、ゴーンに骨までしゃぶられた。

 東大出で俺が一番だと思って大垣市を支配した小川敏は、大垣市を没落させた。一番だと思うから、改善などしないのだ。

 私も夢を持って生きていた。グランドピアノの所有は40年後に実現した。第二のサテライト事務所の別宅は45年後に実現した。本の出版も50年後に実現した。

 

後ろ向きの言葉は刃

 後ろ向きの言葉には毒がある。それを聞かされる友は、陰気な気分にさせられる。それは相手の心を傷付ける暴力である。もっとも不愉快になる人は、自分の内なるもう一人の主である。その後ろ向きの言葉が潜在意識を傷つける。結果として、己は内なる主から復讐を受けるのだ。 

 

言霊

 自分はご先祖から霊を受けて、此の世に生を受けた以上、最低一人の人間を幸せにする責任が発生する。その最初の一人が己である。人とは「霊が止る」と書いて「人」である。

 人間としてこの世に生を受けたのなら、日々の朝は、希望をもって起き、努力をして昼間を働き、夜は感謝して眠りにつきたい。それをサポートするのがプラスの言霊である。それは自分教の経文である。

 

宗教とは

 宗教の「宗」とは、「ウ冠」に「示」である。ウ冠は自分の家、「示」は神様の事である。つまり自分の家の神様の「教え」が宗教なのだ。伊藤家には伊藤教があり、井上家には井上教がある。小田家にはオダ仏教がある。百の家があれば、百の教えがある。みんな違ってみんな良い。自信をもって自家の教祖になろう。教祖になろうという元気がなくては、魑魅魍魎が住む此の世では生きていけない。

 宗教の自由は、憲法で保障されている。それを規制したから、戦争が起きた。人類の不幸である。その不幸は今でも続いている。その点で日本は相対的に幸せである。

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2020-12-01  久志能幾研究所通信 1846  小田泰仙

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2020年11月29日 (日)

小川敏バスは「火遊び」行き。火の用心!

火の用心? 非の用心!

 岐阜新聞にカラーで大垣市長の小川敏が自慢げにバスの「火の用心」の掲示とツーショットで掲載されていた。アホかいな! 「火の用心」は江戸時代からやっている掛け声で、今更、市長がしゃしゃり出て、バス会社と協定を結んだと、わざわざ新聞紙上で宣伝する話しでない。やっても課長レベルが出てくる話である。新聞を見て知人も呆れていた。

 中日新聞もほぼ同じ紙面なので、小川敏が両紙を呼んで、記事にさせたのが明白である。こんなレベルの記事が、大きなスペースを占めるなんて呆れる。もっと大事なニュースがあるはずだ。それがカットされている。

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 岐阜新聞西濃欄 2020年11月11日

 

非の用心

 それよりも小川敏の「非」の不始末で、大火事同然になった事件の説明責任はどうなったのだ。その説明責任を果たさず、売名行為の顔売りの出しゃばりをする時間があれば、大垣が危機状態にならない対策に時間をかけるべきだ。こんなレベルの市長がのさばるから大垣は没落したのだ。すべて小川敏の「非」である。小川敏バスに乗った大垣市民は不幸である。

 下記の小川敏市政が犯した過去の非の不始末の説明責任はどうなったのだ。

 

大垣市主催の駅前餅つき大会が殺人事件も同然の件、大垣市役所の責任は。

ドローン墜落人身事故の顛末の件、大垣市役所の責任はどうなった。

大垣連合自治会要請の排水機場の再整備の回答の件、

「大垣中心市街地活性化計画」の大失敗の報告の件、

児童生徒一人当たりの教育費が県下最低、何が「大垣は子育て日本一」か。

大垣市教職員の給与が岐阜市より200万円も低い件、法律違反である。

小中学校のエアコン設備率、県下最低で、国に泣きついて整備した件、

 

大垣市主催の駅前餅つき大会は殺人事件も同然

 2020年2月1日、大垣市が大宣伝をした大垣市商連の「新春餅つき大会」で、老人が餅を喉に詰まらせ死亡した。それなのに、主催者の大垣市商連の理事長の小倉俊之は、弔問にも行かず、知らんふりである。人間として許せない。そんな男を市民功労賞に選定した市長の小川敏の選定責任、統括責任問題である。「駅前新春餅つき大会」は市の行事同然であるから、小川敏にその実行に対しての責任と説明責任がある。

 嚥下力の低下した老人に餅を食べさせるとは、殺人も同然である。過失致死罪になる。日本では年間、4万人が誤嚥で死亡している。特に老人に餅など振舞うのは、殺人事件相当である。当然、死亡事故が十分に予見できる。有料の餅を食べたらなら自己責任だが、無料の餅を振舞われれば、それも大垣市の主催なら、なおさらのことだ。大垣市長として、その説明責任が発生する。

 バスの行き先看板ごときで「火の用心」と顔出しの売名行為などふざけている場合ではない。おそらく6選に目指しての売名行為に盲目になり、他人の生死など眼中にないのだろう。

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 大垣市のHP

ドローン墜落人身事故の顛末

 2017年11月4日、大垣公園に、大垣市主催の菓子撒きイベントで、ドローンが墜落して、下にいた市民が怪我をした。下手をすれば死亡事故である。幸いにも死者が出なかったのが不幸中の幸いであった。

 その行事は大垣市の職員も立ち会って事前飛行確認までしているから、大垣市の責任は逃れられない。しかし、大垣市は全てドローン会社の社長に責任を押し付けて、当事者はドローンしてしまった。大垣市主催の行事の一環で起きた事故だから、大垣市長にその説明責任が発生する。しかし、大垣市はそれから逃走である。すべて市長の小川敏の責任である。小川敏は完黙である。

 

2020-11-29 久志能幾研究所通信 1843  小田泰仙

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2020年11月26日 (木)

私の貧乏神信仰  私はこれで貧乏になった

 

 私の貧乏神とは、馬場恵峰先生の書の出版物(出版佛)である。今まで恵峰先生の書の写真集を5冊ほど出版しているが、全て大赤字である。

 製本して出版しても発行部数は精々200冊である。通常は50冊から100冊である。200冊売れても、仮に利益一冊500円としても10万円にしかならない。それも大半が贈呈品で、あとは売れ残りである。そのために、大垣から長崎までの交通費、宿泊費、撮影人工、助手へのお礼、編集工数、撮影機材の購入費、機材の減価償却費を正規に入れると大赤字である。

 オフセット印刷にすれば、大幅に売価が安くなるが、印刷の製版を作るのに、数百万円もかかる。10万部でも作ればよいが、部数200冊では採算が合うはずがない。だからオンデマンド印刷で製本するが、そのかわり単価が高い。

 それでも馬場恵峰師の書の出版を止めないのは、金儲けが目的ではないからだ。私は馬場恵峰師の書の偉業を後世に残すために出版している。書を出版物にすれば、国会図書館に保管され、記録として後世に残る。これは文化活動である。文化活動には金がかかるのだ。

 私は書の本を出版することで貧乏になったが、心は豊かになった。

 

日本の文化活動の悲惨さ

 日本政府の文化活動への資金投入は先進国中で最低である。大垣市はさらに酷い状況だ。小川敏はバカ騒ぎの行事には金を出すが、文化芸術活動にはビタ一文も出す気はない。小川敏はバカ騒ぎの市制100周年記念行事に3億5千万円も散財したが、経済的にも文化的にも金をドブに捨てることになった。結果、翌年の大垣市の公示地価は更に下落である。小川敏が市長に就任して19年間、連続の下落である。

 それに対して、大垣の未来を背負う子供たちを120人も招待した「世界で一流の音楽を楽しむ会」の催しに、小川敏はビタ一文も支援しない。本来、この音楽会は市制100周年記念行事の一つにすべきだったが、それも小川敏に無視された。私も寄付集めの協力をしようと大垣財界に寄付のお願いに回ったが、門前払いである。なんでサルの共食いのような「ギネス水饅頭共食い」行事が市制100周年記念行事なのだ。それが文化都市のやることか! 「ギネス水饅頭共食い」行事は、全国の笑いものになったのだ。

 それに対して子供たちを120人も招待した「世界で一流の音楽を楽しむ会」が100周年記念行事でないのだ。大垣市は狂っている。だから大垣は文化芸術の面でも没落した。大垣を没落させた犯人は小川敏である。

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「ギネス水饅頭共食い」の狂宴  2018年6月3日

 たった一つの水饅頭を食べさせあって、ギネス記録にするために、炎天下で約3時間も拘束された約3000人の市民たち。この記録は、サルにもとれる記録である。それが文化都市のやることか!

 

ルネッサンスの花

 昔から芸術家は極貧の中で暮らしていた。シューベルトもモーツアルトも極貧の内に死んだ。モーツアルトの遺体は、棺さえ用意されず、遺体は使い回しの遺体袋に入れられ、直接墓穴に放り込まれた。

 ルネッサンスで芸術の花が開いたのは、メジチ家というパトロンが芸術家を支援したために、芸術家が思う存分に活動できた。アメリカで芸術が盛んなのは、富豪が芸術に寄付をしているためだ。経済大国と言われながら、日本の金持ちや高学歴の政治家は、金儲けには如才ないが、文化芸術には目も向けない。それが日本の芸術の発展を阻害している。だから日本はエコノミックアニマルと軽蔑されたのだ。

 

貧乏神信仰

 貧しい染物屋の夫婦が、いくら努力をしても貧乏から抜け出せないので、ふと思いついて、ほかの人たちが嫌がっている貧乏神を大切に祭ったところ、貧乏神がひどく感激して、「おまえたちの貧乏の原因になっているものを、贅沢にふけっている金持ちの二代目に渡してきてやる」と夢で約束して、そのあと貧乏な染物屋夫婦は大金持ちになった。

 以上、井原西鶴の代表作『日本永代蔵』のストーリ

 このストーリのすばらしいところは、貧乏に苦しむ夫婦が貧乏神を大切に祭ったことである。新しいビジネスを立ち上げたのはよいが、不運の連続に見舞われたとき、不運を嫌ったり、呪うのではなく、自分を鍛えてくれる不運に感謝する心構えを持つことが大切であると、西鶴は私たちに語りかけているのではないだろうか。

 松下信武著 PRESIDETN 2002.5.13号より

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  馬場恵峰書

 

2020-11-26 久志能幾研究所通信 1838  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年11月25日 (水)

心の換気、大垣の換気をしよう

 

仏様からのメッセージ

 昨日、祖母の47回忌の法要を執り行った。その帰路、電車内の吊り広告で「心の換気をしよう」というキャッチコピーに、目を取られた。この言葉を仏様からの励ましのメッセージとして受け取った。何事も「気」が大事なのだ。自分を良くするため、「心の換気をしよう」。大垣を良くするため、大垣の空気を換気しよう。

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 JRの吊り広告  2020年11月24日

 

市型コロリ菌

 吝嗇な市長が19年間も居座ると、行政の空気は澱み、市は寂れ、市型コロリ菌に侵され、没落する。心を入れ替え、市長を入れ替えないと、市は再起不能となる。長期政権で、いまだかって腐敗しなかった例はない。まず市の職員と出入りの業者が忖度ばかりとなる。

 

気の問題

 日本の景気が悪いというが、政府の役人に本気で景気を良くする気がないのだ。役人は、景気の動向に関係なく、給与がもらえるので、本気にならないのだ。だから財務省は自分達の天下り先への忖度で、やってはならない増税をした。まともな神経なら、この不景気の折、増税などしない。これで完全に景気回復の腰が折られた。新型コロナ禍でとどめを刺された。

 米国のトランプ大統領は減税をして、米国の景気を良くした。日本と大違いである。

 

元気の元

 病気になるのも、本気で元気になる覚悟がないからだ。元気な人は、自分からダイナモを回して、自分でエネルギーを作り、元気を作りだしている。

 私もガンになり、そのままでは落ち込む一方なので、自分で用を作り、走り回って元気になるようにしている。今年中に5冊の本を作る予定である。それが実際には実現でき出来なくてもよい。それに向かって挑戦することが大事なのだ。

 

不元気な姿勢

 現在、大垣市は病気である。市長の小川敏に大垣を本気で良くする気がないのだ。だから新型コロナ禍への市民への援助も、小川敏は、海津市の10分の1しか出さず、非常識に吝嗇なのだ。それでいて自分達だけは給与を日本の市町村の中でも高レベルにしている。しかし、大垣の景気を良くし、大垣市民の所得を上げる政策は取らないのだ。小川敏は、子供達の教育費も、児童生徒一人当たりの教育費を県下最低としてしまった。その資金を自分達の給与に振り向けてしまった。役人達の職場の新市庁舎は県下一豪華だが、商店街で働く市民の職場である大垣駅前商店街は寂れる一方である。それで大垣市民に元気になれと言っても、無理である。

 

不機嫌な顔

 市の顔は市長である。その市長の小川敏が不機嫌な顔で居座っているから、大垣市は不機嫌になり没落した。小川敏が本気で大垣市をよくする気がないのだ。大垣市の公示地価が、小川敏が市長に就任して19年間、連続の下落である。こんな情けない都市はない。市場の評価は、神の如くである(松下幸之助翁の言葉)。公示地価は、市長の通信簿である。小川敏は市長落第である。

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    馬場恵峰書

 

2020-11-25 久志能幾研究所通信 1836  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年11月23日 (月)

「Go To トラブル」でグリーン車がレッドカーに(感染拡大危険)

 

 先日の金曜日、馬場恵峰師のもとに今度出版する書の打ち合わせに行ってきた。新型コロナ禍を避けるため、平日で空いているはずのグリーン車を利用したら、GO TO トラブルになってしまった。

 この原因は、Go To トラベルで大勢の人が動き出し、グリーン車がほぼ満席になる事態となったためだ。

 

グリーン車が満席状態

 米原から新幹線こだまに乗ったら、グリーン車がほぼ満席である。団体さんが乗っていて、その中の子供が騒ぎ、動き、おしゃべりがうるさい。まるで自由席車の混雑である。静かに思索をしたり、仕事をする邪魔になるのだ。高いグリーン料金を払っている意味がない。

 

飛沫感染の危険性

 子供だから、唾の飛沫防止に注意を払う気はないようだ。子供はマスクなどしていない。団体さん旅行の為か、お喋りする人が多い。その団体さんは京都で降りて行った。それから客席が空いたのでほっとした。

 ところが博多から在来線特急「かもめ」に乗ったら、グリーン車がほぼ満席である。いつもは数人しか乗っておらず、ガラすきなのに想定外である。幸い、「かもめ」では、子供もいなくて、お喋りをする大人もいなかったのでほっとした。

 

間違った政策

 GO TO トラベルでは特定の業者だけが潤っている。しかし世間全般は、新型コロナウイルスの影響で景気が落ち込み悲惨な経済状態である。

 その中で実施されているGo To トラベルは、まるで昔の民主党が実施した高速道路無料化のような愚劣な政策である。却って国民に迷惑をかける。それでは景気は回復しない。新型コロナウイルス対策で、ルールを守り、移動を自粛している人が損をして、「旅行しなければ損だ」と新型コロナ菌をばらまくような行動をしている人が恩恵を受けている。Go Toトラベルは、正直者がバカを見る政策である。

 

予約が困難、手続き煩雑、融通性無し

 私もこの恩恵を受けようと申し込んだら、ホテルが満室でGo Toトラベルの予約が取れない。ゴーツーは、ホテルとJRがセットでないと申し込めないのだ。

 後日、ホテルの空きを確認して、申し込んだが、手続きが面倒で、旅行会社への往復を含めて1時間ほど無駄な時間を使わされた。またそのチケットは、変更がきかず、乗り遅れれば、全てパーとなる。「絶対に乗り遅れないでください」と旅行会社に念を押された。何かおかしい。

 また経路も大垣から米原経由にはできず、一度逆方向に戻って、名古屋からの切符しか手配ができない。役人のやる政策は、抜けばかりだ。

 

サービス低下

 またサービスが売りものの超有名な旅館・加賀屋でも、ゴーツーで客が殺到して、仲居の手が回らず、サービスが低下しているという。先日、それを楽しみに北陸の加賀屋に宿泊した知人ががっかりしていた。

 私は手配時間がもったいないし、デメリットが大きすぎるので、今後、Go To トラベルは使わない予定である。これはGO TO トラブルである。

 

正しい景気対策

 政府がやるべき正しい政策は、減税である。政府はリーマンショック級の事件が起きれば、増税をしないと言っていたのに、リーマンショック以上の新型コロナ禍でも、政府は増税を撤回しない。まるで強盗並みの詐欺である(GO TO 詐欺)今必要な政策は、ゴーツーではなく、減税である。減税なら、国民に全てに恩恵が行き渡る。

 アメリカが景気が良くなったのは、トランプ大統領が減税政策を推進したからだ。それに対して日本は増税である。だから日本の景気が回復しない。増税を公約のバイデンが大統領になったら、どうなることやら。

 先の特別給付金10万円でさえも、不景気に関係ない公務員にも、それが支給される。大垣市長でさえ、それを辞退もせず、その金を受け取っている。小川敏の政策で、大垣市民へのコロナ禍の援助は、海津市の10分の1である。

 こんなレベルの役人がのさばるから、景気が少しも回復しない。罪務省の役人が利権を守るために、増税しているようだ。こんな正しい経済政策をやれない財務省だから、日本の失われた30年が過ぎた。我々にできることは、選挙で正しい人に投票するしかない。

 大垣市民は、小川敏に大垣市長として信任投票もしてないのに、無投票当選に持ち込まれてもちこまれてしまい、19年間も市長の座に居座ることになり、結果として大垣市が没落した。

 

野党の低落

 今の野党に投票したら、もっと酷いことになるので、それが出来ず、悩みである。今日のニュースでも、蓮舫議員が、サクラの会の追及を飽きもせずしていたが、それなら自身の二重国籍問題はどうなったのだ。二重国籍状態で議員になったのは、重罪である。それが曖昧になっている野党である。

 また野党も野合のように分裂・合併を繰り返している。あろうことか共産党と連携する野党など、正気の沙汰ではない。共産党が認められているのは、先進国中で日本だけである。他の国では、共産党の設立が法律で禁止されている。天皇陛下の首を切るのが最終目的の政党に投票する人間がいるので、日本がおかしくなる。

 

2020-11-23 久志能幾研究所通信 1834  小田泰仙

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2020年11月17日 (火)

老いの器

 

 老いとは、仏様ご先祖様から歳を頂くこと。還暦という歳を頂けずに、鬼門に入る人も数多い。老いとは、経験を積むことを意味する。その経験という智慧を己の器に入れるのである。痛い思いをして得た経験を智慧のレベルに昇華しないと、同じ過ちを死ぬまで繰り返す。それは歳の取りがいのない醜態である。

 

 老いとは、練れる道を歩くこと。流行に惑わされない思想を深めること。中国・ローマの歴史を紐解くと、2000年前の先人と現代人の行動に差などはない。人は人間的に少しも進歩していない現実に愕然とする。人は生まれれば、オールリセットされる。それ故、ゼロから学んで自己鍛錬をして成長するしかない。その学びを放棄して、年よりがいのない人が多い。TVや流行に流され、練れない日々を送り、認知症への道に迷い込む人が多い。

 

 老いの智慧とは、敏鈍の使い分けができること。我儘も言え、都合が悪くなったら惚けの振りをすること。息子が「グレてやる」とほざいたら、「それなら俺は惚けてやる」と逆に脅す智慧を身につけること。これは青二才では言えない台詞。

 

 正しい老いとは、考え方が充実していく過程である。自己の人生を振り返り、これでいいのかと自他に刃を向けて問う生き方である。それが「心」「刃」を向ける「忍」という文字である。そこから「認」という文字ができた。己の愚かさをしみじみと認められる歳になるのが老いである。

 現代社会は、人にばかり刃を向けて、己には刃を向けない人があまりに多すぎる。年よりがいがない。それを「年寄り害」という。今の野党がそれに値する。

 

 醜態な老いとは、自分に刃を向けず、非難ばかりの言動をすること。理想論で実際に政治を動かしたら、選挙公約が青二才の言動であったことが露呈したのは民主党政権であった。自民党を非難すると、すぐブラーメンで自分の身に降りかかるばかりである。

 反対ばかりで、日本を貶めることしかしなかった社会党は、行き詰まって、名前を社民党に変えたが、結局先の総会で、議員一人となって消滅した。おたかさんは北朝鮮の拉致問題を知っていても、知らんふりをした。その罰があったたのだ。

自衛隊反対と言っていた富市氏は、首相になったら、方針を豹変させた。

 

 けじめの老いとは、引き際を知ることである。人望もなく、行政手腕もなく、ただ市長の座に居座るだけの大垣市長では、大垣が没落して当然である。今だかって老いなかった人はいない。生老病死を悟り、後進に託して身を引いてこそ、美学である。大垣を没落させた小川敏は醜態である。

 

 老いとは、若き人を叱る人徳の力の獲得である。己が若造で同じ言葉で、若い人を叱っても反感を持たれるだけ。しかしそれ相応の歳を頂くと、若い人を叱っても反感を買われることが少なくなったことを実感する。若き人を叱るのは年長者の務めである。それは己の経験を若い人に伝えること。

 

 人は必ず老いる。老いて人生を振り返ったとき、素晴らしい人生ではなかったが、素晴らしく楽しむ活き方であったと思えるようにしたい。

4k8a02491s  馬場恵峰書

2020-11-17 久志能幾研究所通信 1827  小田泰仙

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