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2018年4月 7日 (土)

「子と音cotone」の有難さ

院内ふれあいコンサート

 2018年4月5日14時から大垣市民病院ロビーで、患者さん達を慰問する「子と音cotone」と「子と音mama」の恒例「院内ふれあいコンサート」が開催された。総勢200名ほどの観客で、いつもより多い観客で盛況であった。

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「子と音cotone」

 「子と音cotone」は、ピアニスト河村義子先生が子供達の芸術性や思いやりの心を育成するために立ち上げた会である。cotoneの「co」はフランス語で「共に」の意味、「tone」は音色である。音楽の力を次世代に託すとの願いがある。

 「子と音cotone」は、主に10代の小学生・中学生の音楽大好きな子どもたち8名ほどが集まって歌、鍵盤ハーモニカ、ダンスのレッスンを月に2回受講している。協業でハーモニーを作る喜び、楽器のアンサンブルを楽しんでいる。イベントやコンサートなどの発表の場に参加して、全員でステージを作り上げる感動を体験している。子どもたちは、歌って、踊って、鍵盤ハーモニカや打楽器、ピアノを始め、多くの演奏に挑戦して、ライブやコンサートも積極的に体験している。ちょっぴり恥ずかしがり屋さんでも、すぐみんなと仲良くなれて楽しんでいる。

 「子と音cotoneKiDS」は定期的に、各地でコンサートを開催している。子供たちは、全員がキラキラと輝いて、一流音楽家のように生き生きと音楽を奏でる。純粋な子供たちの音楽は、聴いて見ていても楽しい。プロの演奏家が奏でる音楽とは、別の響きがある

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喜びを与える嬉しさ

 院内コンサートのように、目の前で患者の皆さんが喜んでくれるのを、小さい頃から体感すると、人に喜びを与える嬉しさが体験できるのは素晴らしい。良き情操教育の場だと思う。「子と音cotoneKiDS」のお母さんたち「cotone mama」も参加して、子供達と一緒に合唱、演奏をした。お母さんが、子供に優しい眼差し向けながら演奏する微笑ましい風景である。別のお母さんも「子と音cotoneKiDS」の演奏風景のビデオ撮影に忙しいのも微笑ましい。

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メンバー募集

  今回、事情があってやめる子もいて、その記念撮影の意味を含めて撮影に赴いた。現在、メンバー募集中です。是非、皆さんのお子さんを参加させてください。連絡は下記HPからどうぞ。

https://cotone-oogaki.jimdo.com/kids/

https://www.facebook.com/%E5%AD%90%E3%81%A8%E9%9F%B3cotone-179631062229766/

mail:info@co-to-ne.ne.jp   tel:0584-78-1126

 

演奏できる有難さ

 演奏が始まる10分ほど前、小さい子供を連れた夫婦がこの演奏会の観客席にやってきた。その連れてきた子供が号泣をして暴れて泣き止まず、病院の椅子に腰かけさせるのに一騒動であった。それをなだめる両親の姿を見て気の毒になった。一時はどうなることやらと心配になった。周りをみても、病院だから様々が病の姿を見せつけられる。

 それを鏡として、自分の幸せを感じた。「子と音」の子供たちも、演奏者として皆さんに音楽を聴いてもらう立場としてその幸せを感じて欲しいと思った。今の年齢で、そうは感じないかもしれないが、相応の歳になれば、五体満足で、音楽活動、奉仕活動に参加出来る幸せが分かる時が来るだろう。演奏したくとも、演奏を聴くことさえもできない人がいる。演奏会を通して、その痛みを分かる人間になって欲しいと思う。

 「有難い」とは、あって当たり前ではないのだ。「有る」こと自体が、「難しい」稀有の状態なのだ。その有難いご縁に感謝である。

 

無事これ名馬

 健康であることの有難さ、何もないことの有難さは、病気や事故があると思い知らされる。高能力の人材や高性能の機材は、とかく故障が多いもの。サラブレッドはその足をガラスの脚とも称される。競走馬としてのサラブレットは誰よりも速く走れるが、少しの障害で簡単に骨折してしまう。その場合は、骨折部が化膿して馬を苦しめるので、可哀そうだが毒殺である。美人薄命である。

 今回撮影に使用したSONYα9は、ミラーレスの一眼レフで超精密電子部品の塊のような高性能機である。それが今回の撮影中にピント機構がおかしくなり、かなりのピンボケ写真を量産してしまった。この撮影後、即、買ったお店に持ち込み、修理入院が決まった。「無事これ名馬」を実感した。

 占い上で、波乱万丈の人生は、悪い運勢とされる。何もないのが一番良い運勢である。病院に行くと、なにもなく健康で過ごせるのが、何よりであることを教えられる。

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 馬場恵峰書「今日無事」

 無事である有難さに感謝しよう。今日無事でも、明日は分からない。

 

2018-04-07

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2018年3月19日 (月)

高松国際ピアノコンクール「ピアノは簡単」5/5

ピアノを弾くのは簡単?

 一次予選参加者の41人のピアノ演奏を会場の最前列席で3日間、17時間も連続で聞いて、ピアノを弾くのは簡単だと悟った(?)。だって若い人たちの41人全員がやすやすと難しい曲を暗譜で弾いているのだ。ピアノを弾くのは一人の特殊な天才だけではなかったのだ。

そのためには、毎日3時間、10年間、1万時間をかければ、世界一にはなれないかもしれないが、コンサートレベルには誰でも弾けるようになる。だから私はそんなには練習をしてこなかったので、弾けないのだ(笑)。それだけである。

 

一万時間の法則

 マルコム・グラッドウェルが著書の中で「一万時間の法則」を紹介している。どんな分野でも、約一万時間を継続してその分野に取り組んだ人は、その分野のエキスパートになるという経験則である。

 ある音楽学校で、コンサートを開けるプロレベルと、レッスンを与えるレベルの人などを比較して、過去の累積練習時間での有意差を調べたら、コンサートのプロレベルでは1万時間だった。

 一万時間は、一日3時間を10年間継続する練習量である。人が通常「才能」と片付けている差異は、実際には継続の練習時間に起因する。

 

玉田裕人氏ピアノリサイタル

 2018年3月18日、名古屋「しらかわホール」にて玉田裕人さんのピアノリサイタルを聴いた。3月3日にヤマハサロンで玉田裕人さんのピアノリサイタルを拝聴と写真撮影をしたので、演奏会後のロビーで彼に挨拶をしようとしたら、彼の前には若い女性達の長蛇の列である。私は挨拶を諦めて帰宅した。ハンサムで若いピアニストはモテるのです。若い女性達にモテたかったら、一万時間のピアノ修行をすればよいのだ。ただし、それはその道の門をくぐっただけで、本物になるには更なる修行が生涯必要だ。多くの人は、その狭き門さえ通れずに、広き門に引き返す。

 玉田裕人さんは、舞台上の終わりの挨拶で「ピアニストの生活は、アスリートのようです」と言った。その言葉が印象に残った。そう、ピアニストに限らず、その道を極める人は、アスリートのように己の生活を律しないと、道は開けない。単にテクニックだけを磨けばよいだけではない。ピアノに限らず、自分の歩く道には、1万時間の練習・修行に取り組み、それを天命として生涯で取り組みたい。

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 若い女性ファンが多い!

 2018318日、名古屋「しらかわホール」にて

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2018-03-19

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高松国際ピアノコンクール「ピアノ三昧」4/5

 当初、このコンクールに行くことを勧められた理由が、同じ課題曲を違ったピアノで入れ代わり立ち代わりに参加者が弾くので、ピアノの違いが良くわかるとの説明であった。ところが、同じ課題曲でも、巻数、番数が違うと曲の傾向は同じだが、全く同じではないので、素人の私には判別が難しかった。それは想定外であった。3日間、世界レベルの演奏を聴いて、別の意味で大きな学びを得た。

 

課題曲のバラエティさ

 高松国際ピアノコンクールの第一次予選の課題曲は、下記の3つである。

 (A)バッハ平均律Ⅰ、Ⅱ巻より1曲

 (B)ショパン練習曲作品10または作品25より1曲

 (C)1900年以降に作曲された作品

 同じ曲を演奏して、ピアノの音質の比較ができるかと思ったら、バッハ平均律Ⅰ巻だけでも24番もあり、予選参加者が色んな選択をして、同じ曲の演奏でのピアノ音色比較は無理であった。「同じ曲の演奏なら、学芸会になってしまう」と言われて、納得した。

 

各ピアノの音色の違い

 どれが絶対的に正しいピアノの音とは誰にも言えないので、コンクールで一番多く使われているスタンウェイの音を基準に、他のピアノが私の耳にどう響いたかを判定した。

 スタンウェイのピアノは、一次予選で41名中23人(56%)が選択した高い選定率であった。二次予選で50%、三次予選で60%である。圧倒的にコンクールでは、スタンウェイが基準となるようだ。

  カワイの音色は、派手というか、明るい音と感じた。コンクール用の戦闘的な音作りと感じた。そのためか、一次予選で41名中10人(25%)の第二位の選定率であった。二次予選で30%、三次予選で20%である。

  ヤマハCFXの音色は、重厚で深みがあると感じた。おとなしい感じで、押しが強くない感じである。そのせいか、一次予選で41名中3人(7%)の選定率でしかなく驚いた。二次予選で15%、三次予選で20%である。三次予選でカワイと並んだ。

  ベーゼンドルファー280VCの音色は、優しい音である。コンクールでの争いごとには似合わないようだ。満を期して新しい音作りの製品で挑戦したが、一次予選で5%(2人)にしか選定されず、二次予選で一人になり、三次予選で消えた。

 この種のコンクールに出ると、メーカには膨大な費用負担がかかる。ベーゼンドルファーは零細企業(?)(ヤマハの100分の1の企業規模)では、ショパンコンクールのような国際コンクールに出場は無理と聞いていたので、今回の高松国際ピアノコンクールにベーゼンドルファーが出てきたので、内心驚いた。

 

ベーゼンドルファーimperial

 2018年3月18日、名古屋「しらかわホール」にて玉田裕人さんのピアノリサイタルを聴いた。その機種はベーゼンドルファーimperialである。280VCは箱全体が鳴るベーゼンドルファー独特の構造に、より早い立ち上がりの構造を付加にした新型である。Imperialはベーゼンドルファー本来の音で、優雅な調べで、乱打強打激打が連続のコンクール用課題曲の音には、似合わない趣きである。他社のピアノと比較すると、まるでF1レースのフォーミュラカーと比較勝負をするような趣で、比較すること自体が間違っていると感じた。もともとベーゼンドルファーはサロンで静かに聴くピアノである。

 その昔、仕事でホンダの総アルミ製のスポーツカーNSXをモニターとして試乗したことを思い出した。NSXは、性能は確かに素晴らしいが、街中で乗るには、背は低いため、乗り込みにくいし視線も低いため回りの状況が見にくい。ギアチェンジも難しいし、乗りこなしが難しい。カッコよく高性能なのだが、欲しいとは思わなかった。この車はサーキットや高速道路でなら、映える車である。それと同じことが、コンサート用のピアノにも言えそうだ。コンサート用ピアノにも、演奏する曲にあった最適の機種や演奏会場がありそうである。

8p1100154 2018年3月18日、名古屋「しらかわホール」で

 

音楽は何のため?

 今回のコンクールで一番驚いたのは、ロシアのタチアナ・ドロホヴァが弾いた「戦争ソナタ」の曲で、爆弾が連続的に爆発するような激しい曲で、その弾き方に神業を感じたて、ピアノ技法を誇るには最適かもしれないが、音を楽しむには道を外れていると感じた。しかし、こんな激しいレベルの曲を連続して何人もの競技者達に弾かれたら、ピアノの弦も切れてしまう。私なら間違っても「戦争ソナタ」のCDを買う気にはなれないし、自宅で聞きたいとも思わない。趣味で癒しのために聞く音楽は、闘いのために聞く音ではないのだ。

 

2018-03-19

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2018年3月18日 (日)

高松国際ピアノコンクール「天国と地獄」3/5

演奏者の天国と地獄

 至近距離から演奏者41人のピアノ演奏の姿勢を観察して、興味深かった。悲壮感丸出しで演奏する人、楽しそうに体を揺らして演奏する人、苦難と格闘するが如くピアノを弾き続ける人、様々である。人生の晴れ舞台で、今までの練習を自分で褒めてやりながら演奏する人には、天国であり、練習不足で不安に満ちて弾く人には地獄であったろう。それでも私のような素人から見て、破綻のある演奏をした参加者はいなかった。

 この日のために何千時間もかけて己を成長させてきた強者たちである。世界の中から選ばれた人たちである。この演奏会を天国と思うか、地獄と思うかが、その人の人生観だ。携帯電話の11桁が覚えられない私から見て驚嘆すべきは、一次予選では25分間の暗譜、二次予選では45分間の暗譜でピアノ演奏をやすやすとこなす能力を身に付けた強者たちなのだ。

 

智慧を得るための経験として

 今までの多大な練習を自分に課してきたこと思えば、どんな状況でも自分で試練を切り開いていく自信ができたはずだ。これからの人生で直面する事態はもっとすごい事態があるはず。もっと肩の力を抜いて楽しくニコニコ顔の死に物狂いで頑張って欲しい。

 私も今までの人生を振り返り、コンクールの様な試練や試験でも、もっと力を抜いて、良き経験を積める機会だと思って取り組めばよかったと反省している。競走馬にように、横が見えない遮蔽物を目に付けてピアノ専門バカとして生きるのではなく、回りの人生の風景を楽しみながら、人生を送って欲しい。

 

好々爺の天国と地獄

 初日と2日目に、私の後ろの席に人の好さそうな老人が座っていた。その御仁がこともあろうに、2日目の途中から、演奏中に居眠りを始め、いびきをかき出したのだ。気持ちよい音楽を安い入場料で聞けて、もて余す時間をつぶしには天国の会場であったのだろう。私は筆記具で、膝をつっついたが目を覚まさない。演奏が終わってから幕間に、私と私の隣人が、怒り心頭で、私とその好々爺に噛みついた。その御仁はハトが豆鉄砲を食らったように、茫然としていた。3人の演奏が終わった後の休息時間中に、バツが悪く感じたのか、別の席に消えた。その人は、天国から地獄に落ちたのだ。

 一次審査は3曲を20~25分間で弾くので、聴くほうはそんなに飽きない。しかし、二次審査になると45分間の連続演奏なので、睡魔に襲われ、回りで寝ている人が多かったとは、次の日に参加した知人からのお話しであった。

 聞くほうは天国でも、演奏者は自分の人生がかかった大事なコンクールである。相手の身になって演奏を聴いてあげたいもの。

 

スィーツ天国から地獄に堕ちる

 会場は飲食物持ち込み禁止である。初日は、休息時間にロビーで販売していたコーヒーとスィーツを食したが、そのスィーツの全種類が、私が食べてはいけない禁止食材が入った種類ばかりであった。マーガリン、バター、ショートニング、植物油、砂糖の入ったお菓子や菓子パンばかりである。またそのお菓子の一つが300カロリー以上の栄養価があり、肥満への地獄便スィーツである。美味しいものには毒がある。食べれば天国の心地であるが、後年に病気という地獄の縁を頂く。主催者も、そういう面での気配りをして欲しいもの。せめてスィーツには和菓子を用意して欲しい。私は苦しい選択をして200カロリーの焼き菓子を選択して、何とかしのいだ。2日目以降は、戒めを思い出して絶飲食にした。

 2017年4月にウィーン市街を散策したが、音楽の都にはカフェが多くあり、コーヒーとスィーツが溢れていた。ピアノ演奏とスィーツはよく合う。これを見逃すほど聖人でない私は、我慢できず、手を出した。これが美味しいんです。ウィーンに10日間滞在して、帰国後、真島消化器クリニック(久留米市)で血管内部のプラークの厚み検査を受けたら、てきめんに検査結果が悪くなっていた。現地で油分と糖分の取り過ぎが原因であった。

 西洋人は若い時はスマートで美しいが、音楽に酔い痴れて、甘いものを取り過ぎ、肥満の地獄に堕ちる。地獄の最終地は心臓病、心筋梗塞、脳梗塞、ガン、認知症である。ご用心ご用心。

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 ウィーンのカフェにて 2017‎年‎4‎月‎18‎日

 

糖質と甘味は中毒になる

 人間や動物は「快感」を求めることが行動の重要な動機になる。このような快感が生じる仕組みは脳内にあり「脳内報酬系」と呼ばれている。脳内報酬系は、人や動物の脳において欲求が満たされたときや満たされる予想がされたときに活性化する。A10神経系(中脳皮質ドーパミン作動性神経系)と呼ばれる神経系が脳の快楽を誘導する「脳内報酬系」の経路として知られている。

 動物実験などで糖質も甘味も薬物依存と同じ作用があることが判明している。快感を求めて甘味や糖質の摂取を求め、次第に摂取量が増え、摂取しないと禁断症状が出てくる。ラットの実験では、コカインよりも甘味の方がより脳内報酬系を刺激する結果となる。つまり甘味はコカインよりも中毒(依存性)になりやすい。砂糖の多い食品や飲料の過剰摂取は甘味による快感によって引き起こされ、薬物依存との共通性がある。

 ラットやヒトを含めて多くの動物では、甘味に対する味覚受容体は砂糖の少ない太古の時代の環境で進化したため、高濃度の甘味物質に対しては適応できていない。現代社会の砂糖が過剰なスィーツ類で味覚受容体が過剰に刺激されると、脳において過剰な報酬シグナルとなるので、自制のメカニズムを超えてしまい中毒になる。

 銀座東京クリニック 院長の福田 一典氏のHPより編集

 http://www.daiwa-pharm.com/info/fukuda/7388/

2018-03-18

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高松国際ピアノコンクール「天国と地獄」2/5

ピアノの天国と地獄

 課題曲の「火の鳥」、「戦争ソナタ」、ショパンの練習曲などは、ハンマーの乱打激打の様で、ピアノを壊すための曲ではないかと思うくらいの激しい曲だ。あるピアニストは拳で鍵盤を叩いていた。私のピアノの練習での負荷量の千倍も1万倍もピアノをいじめている。ピアノにとっては、地獄の試練である。その為だと思うが、一次審査2日目のお昼前にカワイのピアノの弦が切れたみたいで、お昼の休息中に弦を張り直すのに、小宮山調律師が汗を流していた。流れるような静かで美しい曲をピアノの達人が弾いてくれて、聴衆を魅了する時は天国だが、コンクール用の激しい曲で技を競う時は、天国と地獄の両方をピアノは味わう。

 演奏中にピアノの弦が切れるのは名誉なことだと思う。それくらい激しい弾き方が続く。その激しい弾き方をする人が、一人ではないのだ。多くの演奏者に選ばれて、また演奏者が全体力を使って弾かれないと、弦は切れない。出番の少ないピアノでは、弦は切れないのだ。弦が切れてしまっては地獄であるが、一つの名誉ではある。疲労破壊であり、ある意味、過労死である。弦の戦死、殉職である。

 

ピアノメーカの天国と地獄

 ピアノメーカとしてフラグシップのピアノを持ち込んでコンクールに臨んでも、演奏者に選定してもらえないと、舞台上で、蓋をして鎮座しているだけになる。窓際族に落ちぶれる。世界一のピアノメーカの自負があっても、出番が少ないと、惨めである。コンクールでのピアノの出番数が、評価で天国と地獄を分ける。ピアノメーカにとっては、針の筵に座らされている趣である。ちなみにヤマハさんのピアノの生産量はスタンウェイの10倍である。ベーゼンドルファーはスタンウェイの10分の1である。ベーゼンドルファーが満を期して持ち込んだ280VCは、一次審査で2人にしか選定してもらえなかった。二次審査では1人になってしまった。ショパンコンクールでは、実質的にスタンウェイを凌駕したヤマハであるが、今回の高松でのコンクールでは、スタンウェイとカワイさんに惨敗である。

 

 一次予選41人中でのピアノの選定数は、スタンウェイ23、カワイ12、ヤマハ3、ベーゼンドルファー2である。 

 二次予選20人中でのピアノの選定数は、スタンウェイ10、カワイ6、ヤマハ3、ベーゼンドルファー1である。 

 

調律師の天国と地獄

 激しい課題曲の連続で、ピアノの調律が狂い、その対応で調律師は大変である。各メーカが控えているので、調律の時間も制限がある。昼間はその時間内で調律を終えねばならぬ。2日目にカワイのピアノの弦が切れたようで、小宮山さんが弦を張り直すのに汗だくになっていた。お陰で(?)私もそれを見ていて昼飯を食いそこなった。それは良きご縁との出会いでした。しかし調律師には地獄である。それでも自分が調律したピアノを多くの演奏者に弾いてもらえるのは天国に昇る気分であろう。仕事の報酬は仕事である。選定されないと地獄に落ちる思いであろう。

 3日目のお昼の調律時間にスタンウェイの調律師が、制限時間25分を15秒だけ超過して調律を終えた。素晴らしい時間管理体制である。その後、すぐスタンウェイのピアノが移動され、今度はカワイのピアノが舞台中央に出されて、小宮山調律師が調律に取っかった。お昼のコンクールが終わって観客がいなくなってから、また各メーカの調律師の仕事が深夜まで続くので大変である。海外のコンクールでは、調律師にさらに多くの負荷がかかる。

 

調律師の美学

 調律が終わった後、各メーカの調律師たちは2人、3人かかりで何度も何度もピアノを布で愛おしむように磨いていた。それはカワイもスタンウェイのピアノ調律師も同じである。本番の晴れ舞台で頑張れと励ましているようであった。

 弦を張り直し、調律を終えてから、小宮山調律師は、ピアノの下にもぐり総重量500キロのピアノを背中で支え、少し持ち上げてピアノキャスタの向きを角度で3度ほど修正した。ピアノの前脚のキャスタは45度方向の「ハの字」型に向けるのが正規のようだ。それを角度にしてたった3°ほど変えたのだ。されど3度の角度修正である。それで音が変るのだろうか。調律師のこだわりと美学である。良きものを見させて頂いた。

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 2018‎年‎3‎月‎15‎日、‏‎13:58 お昼の休憩時間中の調律

 

2018-03-18

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2018年3月17日 (土)

高松国際ピアノコンクール「天国と地獄」1/5

「第4回高松国際ピアノコンクール」とのご縁

 201833日、名古屋ヤマハのサロンでの玉田裕人さんのピアノコンサートに出かけたら、自宅のピアノの調律をしてもらっている調律師から、「第4回高松国際ピアノコンクール」を紹介された。この種のコンクールでは、同じ課題曲で、演奏者によってピアノを取り換え引っかえ演奏するので、各メーカのピアノの音色や音質を実際に比較確認するには、絶好の機会だという。この種のコンクールは、浜松と仙台でも国際コンクールがあるが、たまたま10日後に、香川県高松市で開催の「第4回高松国際ピアノコンクール」のパンフレットがヤマハの会場に置いてあった。高松市は4年ごとの開催、浜松市と仙台市のコンクールは3年毎である。これを逃すと4年後なので、これもご縁だと思って即、行くことを決めた。大垣から高松は、日帰りでは無理なので、313日に前泊して、14日から16日までの3日間の一次予選を全て鑑賞する計画とした。

1p1100125  サンポートホール高松。  のっぽのビルの右横がホール棟

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当日の地獄と極楽

 会場は、高松駅の目の前にあるサンポートホール高松である。高松は新幹線岡山駅で乗り換えてから、予讃線の快速電車で瀬戸大橋を渡って1時間である。サンポートホール高松は、収容人員1500名の立派で快適なホールである。コンクールの予選は46名がノミネート、当日5名が辞退である。一人2025分間、3曲の課題曲を演奏して、連続で3人が演奏して、20分の休憩のパターンである。それが朝10時開場、1030からコンクールが開始され、それが夜7時まで続く。

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 出場者達のパネル(ホール内で)

 

 第一日目は、20分間の休憩中にコーヒーとスィーツを取ってのんびりと構えていた。しかしコーヒーには利尿作用があり、どうしても1時間30分間の連続競技演奏中の我慢が辛くなったので、2日目以降は、絶飲食にした。競技演奏中は途中退室厳禁である。

 一日目は、昼食もとって余裕をもって臨んでいたが、2日目の昼食休憩中に、河合楽器の調律師小宮山淳氏の姿を発見し、彼が調律を始めたので、思わず見入ってしまい、昼食を食べ損なった。小宮山淳氏の姿は、NHKビデオ『ショパンコンクール もう一つの闘い』で何度も見ていて、私にとっては超有名人で、他人とは思えなかったからだ。ちょっとの合間を見つけて名刺交換をさせて頂いた。

 それに味をしめて(?)、3日目も昼食休憩時間中の調律を観察したので、残り2日間は、会場では9時間の絶飲食の状態であった。これは、地獄である。

 私が会場で陣取った席は、最前列席のピアノから45度右後ろ方向約5mの位置である。最前列席に陣取ったのは私を含めて2名のみ。この場所からは、演奏者の顔の表情と演奏中の手の動きが良く見え、ピアノの音もダイレクトに観客席に伝わってくる。この状態で、一次予選出場者41名の演奏の全て、計17時間(25分×41人)+調律の2時間(30分×2回×2日)を3日間連続で聴いた。各予選出場者は、この日のために何千時間も練習を積んできた猛者ばかりである。演奏が素晴らしくないはずがない。その素晴らしいピアノ演奏を目の前からシャワーのように浴びるのは極楽である。それも3日間通しチケットで、2,000円の安さである。交通費と宿泊費が別に必要でそれがお高い。また体力と忍耐力が必要だ。

5p1100098 席から見上げると5m先にピアノが鎮座

 

2018-03-17

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2018年3月 3日 (土)

痴鈴痴憐に日本人の劣化を見る

 最近の風潮で、猫も杓子も携帯や財布やカバンに鈴を付けてチリンチリン(痴鈴痴隣)と傍若無人に音を響き渡らせ、それに無頓着な老若男女が氾濫している。老人は耳が遠くなっているか痴呆化なのか、回りの迷惑には不感症で、その音が聞こえないようだ。「自分だけが幸せになりますように」と鈴を鳴らしまくって徘徊している。若者は耳にイヤホンで音楽を聴いているので、自分が出す迷惑音に気がつかない。中年ビジネスマンは、電車の中や禁止区域でも携帯電話で成果主義に追いまくられ話しまくっている。経営者は金儲けに目が眩み、己の愚行が他人の迷惑になっていることに気がつかない。これでは、日本経済が停滞し、日本人が劣化するのも故あること。

 

「道徳の会」の不道徳行為

 毎週の休日、ホテルで朝会をしている経営者団体がある。なんでも「道徳の会」のような名前であるが、この人たちが不道徳行為に走っているのは、大いなる皮肉である。2018年3月3日朝、その団体の朝食会場から拍手と歓声が流れ、静かなホテルの少し離れた朝食会場に、その騒音が響き渡ってきた。どうも、その団体への新入会員の紹介の場面と推察された。その経営者達が集団でホテル宿泊客に迷惑をかけている。やっている経営者と自称する者たちは、その自覚が全くないようだ。それで「道徳の会」の名前が呆れる。以前、その団体はホテル客と同じ会場で朝食をとっていたが、その団体の行動が目に余り宿泊客の迷惑とあるので、ホテル側は、その団体の朝食会場を別にした。しかし、その変更理由にその経営者の幹部は誰も気がつかない。経営者は、些細な変化を捉えて経営判断が求められる。それが出来ない経営者達である。それが「道徳の会」の朝会に出ているという自己満足で、過ごしている。

 私も以前に入会を誘われたが、その会員の実態を見ていたので、入会を辞退した。街の中小企業の経営者がその「道徳の会」へ入会する動機は、商売上で金儲けのツテを求めているだけのようだ。それ故、「その会員の新陳代謝は激しい」と毎回、その団体を観察してるホテルマンは言う。私は朝食会場で彼らの雑談を横で聞いていて、その内容の下劣さに呆れて、入会を辞退した。多くの部下を持ち、人を導く立場の中小企業経営者達が、このレベルでは、日本人の劣化も故あること。

 静かなホテルの会場で、団体が大きな拍手と歓声を上げるのは、痴鈴痴憐と鈴を鳴らす痴人と同じである。静かなホテルのロビーで、大声で話しまわる近隣諸国の団体客と同じレベルである。

 

 

玉田裕人さんのピアノコンサート

 その朝食を済ませた後、11時から名古屋のヤマハグランドピアノサロンで、玉田裕人さんのピアノコンサートに出かけた。玉田裕人さんはベーゼンドルファ弾きの達人である。今回の私のお目当ての一つが、ベーゼンドルファ214VCの音色確認である。

玉田裕人さんの演奏の写真撮影の許可もいただいた。会場がサロン形式なので、皆さんに邪魔にならないように撮影は最後列のその後ろから撮ったので人影が邪魔になり、またこのサロンは一般のホールよりも暗いのでピントが合いにくかった。20枚ほど撮ってから、よい写真を撮るのをあきらめて、玉田裕人さんの演奏を聴くことに集中した。私はその演奏を堪能した。

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    会場風景。手違いでフラッシュが光ってしまった。ごめんなさい。

 

異人闖入

 その演奏が始まってしばらくして、異様な姿の若者が入ってきた。クラッシクの演奏会なのに、大きなリュックサックを背負い、決して清潔とは言えない風体で入場してきて、ピアノの演奏が始まっているのに、声も落とさず受付に質問をしている。背負ったリュックサックにぶら下げた多くの鍵の相互に当たる金属音が、演奏中の会場に響いた。本人は無頓着である。私は我慢できなくて、敢えて注意をした。それでも本人はきょとんとしていた。その御仁は、その後、演奏中なのに、後ろの席でスマホをいじり出した。何しに来たの?

 あとで、受付の女性から、私が注意してくれたことに感謝をされたが、「下手に注意をすると最近は異常な人が多く、危害が及ぶ場合があるので黙認です」と言われて、現代の世相に危機感をいだいた。これも日本人の劣化の証しだろうか。

 

静寂文化に暴力音が殴り込み

 日本の家屋は木と紙でできている。それ故、隣りの部屋の音は丸聞こえであった。最近は多少改善されたが、純日本家屋では、昔と防音関係は変わらない。そのため、日本人の生活や話し方、音の出し方には、他人を慮り、周りに気を使う文化が生まれた。その文化をテレビと携帯と携帯音楽が破壊している。テレビを付けっぱなしにしないと寂しいという病気みたいな人間も多い。耳にイヤフォンで音楽が流れていないと勉強できないという学生も氾濫している。最近の日本人がチリンチリン(痴鈴痴隣)の音に不感症になるのも故あること。このままで日本の静寂、他人を慮る文化は劣化しないのか、危惧している。

 

ビエナトーン(ウィーンの音)の熟成

 それに対して、欧州、特にウィーンは石の文化である。道路も石畳、教会も建物も住居も石造りである。ウィーン市街を一人夜道を歩いていると、後ろからヒタヒタと後を付けてくる音が響いてくる。後ろを振り返っても誰もいない。恐ろしくなって慌てて自宅に逃げ帰ったとは、ウィーン在住歴20年余のベーゼンドルファ専属調律師井上雅士さんのお話である。後ろから聞こえた音は、石畳、石の建屋に跳ね返った自分の足音が聞こえてきたのだ。教会や美術館、宮廷の建屋に入ると、自分の話し声が反響として響いてくる。それ故、壁にかかった絵を見てその感想を述べるにも、小声で話すという上品な文化が生まれ、ウィーンの独特の音文化を作った。オーストリアはドイツ語圏であるが、正式のドイツ語で「ざじずぜぞ」の音階も、ウィーンのドイツ語では「さしすせそ」の音になって濁音が消えた言葉になっているという。「ベーゼンドルファ214VC」のVCの、Vはビエナ(ウィーン)、Cはコンサート、直訳すると「ウィーンのコンサートの音」、ビエナのトーン」である。それを意識して作られたベーゼンドルファの音色には、歴史と文化の香りがある。

 

現代の世相に危機感 -- 思考文化の破壊

 その両方の文化が、下劣なテレビ、スマホ、携帯音楽、身に付けた鈴で汚染されようとしている。ウォークマンを創造したソニーは素晴らしいが、無差別な音の氾濫させたアップルは、その運用では世界の文化の破壊者となったようだ。騒音よりも静寂に価値があると私は信じる。どんな超一流の音楽家が演奏した音でも、聴く人が興味を持たなければそれは騒音である。44年前の1974年8月28日朝、神奈川県平塚市でピアノの騒音を理由として、母子3人が殺害された「ピアノ騒音殺人事件」が起きた。その教訓を現代人は忘れている。音楽を耳に強制的に流しぱなしにすることは、音に不感症になり、思考を停止させる。最近の大学生の半数が、本を全く読まないという。これもその影響だろう。静寂の文化をもっと大切にしたい。日本の未来が心配だ。

2018-03-03

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年2月11日 (日)

人生の譜面をめくる佛様

 2018年2月1日、ご縁があり誘われてある大学の卒業演奏発表会に行ってきた。譜面をめくる人を「譜めくり」という。この演奏発表会で「譜面めくり人養成科」の学生が、同じ仲間のピアノ演奏者の譜面をめくる人の姿を見て、人生を感じた。この卒業演奏会で、多様な「譜めくり」の姿勢を見て考えてしまった。なお「譜面めくり人養成科」などは存在しない。勝手な命名で、ジョークです。

 

譜めくりの服装

 譜めくりは、黒子である。多くの譜めくりは、黒い服装をしている。しかし今回の譜めくりでは、白の服装の人が多く、それでいて主役のピアニストが黒の服装であったので、黒子のはずの譜めくりが目だってしまって、違和感を覚えた。音楽は視覚でもメロディーが流れている。それまで気を使って、ピアニストと協議して服装を整えて欲しかった。

 

譜面のめくり方

 この最近、演奏家の写真撮影をしてきて、譜面めくりのやり方に人さまざまであることに気が付いた。一番美しい姿は、そのぺージの演奏が終わる少し前に構えて、少し次のページをめくり、そのページの演奏が終わったら一気にめくる、である。それが今回は、そうではない事例が目に付いた。ピアニストにとって、基本は暗譜である。

 人によっては、ピアニストと目で合図をしあって、お互いに、うなずいて譜面をめくっていた例もあった。そんな暇があったら、演奏に集中せよ、と言いたかった。急遽、譜めくりを仲間にお願いしたために、致し方ないのかもしれない。

 大垣での音楽堂でのチェリストTIMMと河村先生の協奏、クインテッサホテルでのドレスデントリオと河村先生の協奏では、小林朱音さんが譜めくりを担当した。二人には師弟関係で、深い信頼関係があるために、そんなお互いの合図もなく、小林さんは、しかるべき時に、スーッと横に立って構え、次のページを少しめくり、そのページの演奏が終わったら一気に音もたてずめくる。河村先生は、譜面を小林さんに任せっきりで演奏に集中である。

 今回の卒業演奏会の譜めくりでは、直前に急ぎ譜面に近づき手を伸ばし、観客席にまで頁をめくる音が聞こえるようなめくり方をする人もいた。頁をめくる甲高い紙音が、美しいピアノの演奏を興ざめにした。

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24k8a3363   2017年9月29日 TIMMと河村義子コンサート リハーサルで

 譜めくりは小林朱音さん

3p1020351  2017年9月29日 TIMMと河村義子コンサート

4dsc04336  2018年1月13日 ドレスデントリオと河村義子

譜めくりが舞台から去る時

 演奏が終わると、ほとんどの譜めくりは、演奏者が観客に礼をしている間に舞台から、黒子のように静かに去っていく。これが正式のマナーのようではあるが、私は違和感を覚えた。譜めくりも演奏者と共に、演奏というプロジェクトを一緒に成し遂げたのだ。去るときは、観客に少し礼をして去って欲しいと思った。西洋の考えと日本の考えの差のように思う。

 小林さんは、二人が観客の拍手に礼をしている時、小さく拍手をして、譜面を片付けて静かに舞台を去っていった。まるで黒子の佛様のような姿であった。

 

人生の譜面をめくる佛様

 人の人生では、時が来ると人生の頁が自ずとめくれていき、その頁の内容に合わせて、両親や祖父祖母がランドセルの準備や学校への入学の手続きをしてくれた。当時は、それに対して感謝の念もお礼もあったものではない。それでも時が流れて、学校卒業までは、両親や恩師が人生の頁を黙ってめくってくれた。まるで佛様が我が人生の本の頁を捲ってくれたようだ。その佛様も、いつの間にか私の前から去っていった。「私の亡きあと、一人で人生を頑張れ」と拍手をしながら逝ってしまったのだ。合掌。

 会社生活では、必死に人生の頁を自分でめくってきたと思うが、振り返るとその歩みの頁は、佛様が事前に書いた曲を、なぞって弾いてきたように思う。自分の力ではない。周りの仲間が己の曲を演奏させてくれた。感謝。

 会社生活38年間終えて、これからは自分の意思で、新しい第二の人生の頁をめくる時なのだ。そのぺージを自分でめくれずに、一日中、テレビの前に座っているのでは、白紙の譜面を眺めて、ピアノの前で座っているが如きである。

 

人生は暗譜演奏

 人生の人生という曲を演奏する原則は、暗譜演奏である。自分で、自分の人生の曲を描いて自分で弾く。その曲は自分が作曲した楽譜に書いてある。誰に頼るのでもなく、自分で作曲して、曲を弾かねば良き人生は創れまい。そして今は、自分が黒子として、後進の譜面をめくってあげる番なのだ。

 生きている以上は、自分独自の人生の音色を出さねばならぬ。観音菩薩様がその音を観ている。そうでないと、見守ってくれている観音菩薩様やご先祖様に申訳がない。

 

最期の譜面をめくる

 一日中、テレビの前に座っているのでは、バックグランドに無伴奏葬礼行進曲が流れなか、白紙の譜面を眺めて、無為に過ごしているようなものだ。その葬礼行進曲を演奏しているのは、一日中、何もやることのない己なのだ。「おくり人」とは、自分自身である。

 日暮れて道遠し、フィナーレは近い。演奏会と違い、人生にアンコールはない。人生二度なし。全ては一期一会だ。うかうかしていると、指の下にある次のページには、葬礼の曲が書かれているやも。人生の道を急げ。

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6039a34461  馬場恵峰書

2018-02-11

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2018年2月 9日 (金)

去り際の美学

 人生の舞台は、舞台に上がって、演技をして、舞台の階段を下りるまでが、人生である。演技が終わったからと気を抜いて舞台を後にしてはならない。

 2018年2月1日、先生からお誘いがあり、ある大学の音楽科の卒業演奏会に出かけた。卒業生の皆さんは素晴らしい演奏をされたが、演奏が終った後に舞台を去る時の姿が、ぎこちなかった人が多かった。やっと緊張の演奏舞台が終わったと、安心してバタバタと舞台の袖に引っ込むので、その姿が美しくないのだ。舞台の袖から消える最後の一歩まで、演奏の一部として演技をして欲しかった。

 

会社人生の生老病死

 どんな舞台でも生老病死である。会社に入れば、会社人生の「生」で、定年退職で、会社人生の「死」を迎える。定年後の嘱託扱いで、延命工作をしても、せいぜい5年である。それが人によっては地獄の場合もある。嘱託扱いでの上司が元部下で、人格的、能力的にも格下の人間に卑屈になることは、私の自尊心が許さない。会社を去る際に、パタパタ、へいこらするようでは、会社という舞台を去る直前まで、美しくありたいと思っていたのに、違和感があった。定年後は、往々に扱いは派遣社員と同じある。給与は、正規社員よりも大幅に下がって三分の一程度である。私は定年延長せず、辞めるというので、引き留められたが、それを振り切って辞めた。今でも良き決断であったと思う。

 

界の任期

 定年後の嘱託の仕事で、年下の能力の低い部下にへいこらするのが、気にならない人は幸せである。自然界の法則で、組織の新陳代謝として時期が来れば去るのが、一番理にかなった行動である。会社も若い人に、リーダーとしてチャレンジの機会を与えないと、衰退する。それに老人が出しゃばると、迷惑である。

 任期という時期が来たら会社という「界」からに身を引く。次の新しい「界」で自分の場を探す。それが自然である。定年という「死」が、入社した時に分かっていたはず。嘱託で働くとは、それに向けて準備をしてこなかったのだ。

 常識として、市長や知事の任期は2期8年で、それを5期20年も居座ると、様々な弊害が出てくる。それが癒着と腐敗の原因となるのは世の常識である。それが大垣市の衰退の原因の一つと思う。

 

去り際の美しくない人の末路

 2018年2月初旬、スーパーで買い物をしていたら総菜売り場の横で,初老の女性二人が話し込んでいた声が耳に入ってきた。聞くともなく、その会話が聞こえてきた「うちも(亭主が)一日中おるの....」の声で、2人の家庭の状況と奥さんの嘆きが全て分かってしまった。そんな亭主は、きっと会社の去り際が美しくなかったのだと確信をした。会社を辞めた後、やることもなく一日中、家のテレビの前に鎮座して、奥さんに三度の飯を作らせ、やれお茶だ、新聞だと言っていれば、奥さんにとっては地獄である。去り際の醜い亭主には、その奥さんの苦しみを分るまい。奥さんにも、亭主が38年間、会社に行っている間の培った仲間同士の世界がある。それを一日中家にいる亭主が邪魔をする。奥さんが少し外出するだけで、やれ、「何処さ、行くべえか? 何時、帰ってくるべえか?」では奥さんも幻滅である。これでは熟年離婚も多くなるはず。

 

美しく去って、新しい「界」で全力投球

 私は60歳でスパッと会社を辞めて、自分の道に進んで正解であった。会社の上司の縛られず、自分で毎日新しい取り組みにチャレンジしている。何かする度に上にお伺いを立てなくてもよいのが快感である。その快感は38年間の宮仕えでは味わえなかったことだ。会社を離れたことで、それに起因するお陰で多くのご縁に出会った。昨年、よもや67歳で出版業とプロの写真家を始めるとは想定外であった。それも、多くのご縁の巡り逢いと、体力のあるうちの60歳で新しい道に進んだからだ。これが定年延長後の65歳からの再出発では、辛いものがある。

 人生は、日々好日なのだ。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」という人生を送ってはなるまい。

1p10004021  馬場恵峰書

2018-02-09

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2018年2月 4日 (日)

夏原家墓参から音楽活動支援基金の設立へ

 2015年8月11日、松居石材商店さんの案内で、平和堂の創業者夏原平次郎氏のお墓にお参りをした。自家のお墓造りの参考のためである。その夏原家のお墓は、昭和14年建立で平成の直前に改建されている。お墓は、町の自治会管理の墓地内にあり、お墓の周りは広々とした開放的な雰囲気である。そのお墓は華美ではないが、目に見えないところにお金をかけた品格のある立派なお墓であった。

  平和堂の創業者夏原平次郎氏は、昭和19年に生まれた長男に「平和」と名づけた。当時の風潮では勇ましい、「雄一」や「義一」等が一般的である。それを否定して、「平和」と名づけた先見性が光っている。太平洋戦争真っ最中に、その名前を役所に届けたら、当初、拒否され受け付けてもらえなかった(伝聞)。それを敢えて意思を通した平次郎氏の偉さがある。

 その2年半後の2018年1月13日のドレスデントリオの大垣公演で、その資金集めで、平和堂さんとご縁が出来ることになった。

 

彦根商店街の惨状

 現在、彦根市内の商店街の多くがシャッター通りになっている。滋賀県内だけでも平和堂が17箇所の出店をして、そのあおりで閉店を余儀なくされた商店主や小売業者は、平和堂に恨みつらみが多々あるようである。それは逆恨みである。それは自己改革をサボり、現状維持の安逸を貪った罰である。商店として置かれた環境や条件は同じはずである。平和堂が出店しなくても、関西や関東の企業が進出してきたはずである。

 まるで井伊直弼公の断行した開国とよく似ている。開国しなければ、英米が進出してきて日本は欧米の植民地にされたかもしれない。鎖国を続けて、近代国家への脱皮が50年遅れた国が隣国である。その後遺症として、現在の愚かで醜い政争や民度の未成熟さに起因して起きた人災を世界に晒し嗤われている。平和堂を恨むのは、まるで井伊直弼公を呪うようなもの。そういう輩に限って己の自助努力はせず消えていった。ダーウインの言葉「生き残るのは、環境の変化に最も早く適応した種族である。最も強い種族が生き延びるのではない」は、本人の言葉ではないようだが、真理を言い当てている。

 

彦根商店街衰退の原因

 彦根市の駅前も悲惨である。日中は人がほとんど歩いていない。それに対して、南彦根にある大きなショッピングセンターは、大混雑である。市内の道路は右折だまりのない道ばかりで、市内はいつも大渋滞である。彦根行政は、彦根市民の事は考えず、仲間の足の引っ張りあい、利権、既得権利にまとわれて、彦根市の発展を妨げている。つい最近、彦根副市長が庁舎工事契約で法廷違反があり辞職したというニュースが流れた(2018年1月25日)。駅周辺の再開発の陰に黒い噂も聞こえる。行政がやるべきことを放棄した結果である。

 墓建立率が大都会ではドンドン下がっているようだ。まだ滋賀県内や彦根市はましであるという。それだけ、若い人の意識が変わっているようだ。先祖を敬わない心がけだから、経済が停滞するのも致し方あるまい。個人や商店街が利己的に振舞うほど、市の全体が縮小していく。意識改革が必要である。

 利己的に振舞って、結果として貧乏になるのは市ばかりでなく、個人や企業にも当てはまる。お墓を見て廻り、企業の事例を見ると、その例が各所で目にはいる。例えばビデオ規格のベータに意地のような囲い込みをして、結果として没落したソニーの例もある。才能(性能)や頭の良さだけで、世の中で成功するわけではない。それがお墓つくりに現れている。

 

大垣商店街の惨状

 大垣駅前商店街が現在はシャッター通りになりかけている。その原因は半世紀前の駅前の商店主達の先を見ない利己主義的な行動にある。当時、駅前通りと駅の裏側が東海道線で分断されていたのを、南北に連なる道路を作ろうと市が計画した。それでは駅前南側の商店街の集客が北側に流れるから、現在の商店街の売上が減ると当時の商店街店主達が大反対をして取りやめになった。もし南北の貫通道路が出来ていれば、大垣市はもっと発達したはずである。商店主達の想定外に、郊外のショッピングセンターが発達して、駐車場のない駅前商店街は寂れていった。大垣に車社会という「黒船」がやってきたのである。現在の大垣駅前のシャッター通り化は、半世紀前に商店主達が利己的に動いた佛罰である。自分達のことばかりでなく、もっと大きな利他的で将来を展望した視野に立てば、駅前商店街と大垣市はもっと発展したのにと思う。

 

ドレスデントリオ大垣公演の資金集め

 2018年1月13日、ドレスデントリオの大垣公演で、私はその資金集めで走り回ることになった。ヤナゲンさんに協賛金をお願いに行って快諾を頂いたが、その親会社の平和堂が大垣に居を構えているのに思い至った。それで彦根の本社まで協賛金のお願いに行こうと思い立った。その過程で、夏原平次郎氏が、個人資産40億円(伝聞で)を拠出して設立した平和堂基金の存在を知った。企業としての社会貢献活動である。その基金が、音楽活動等のイベントに50万円の協賛金が出ることが分かった。再度、詳細に調べたらその基金交付の対象は、滋賀県内の芸術活動に限定されていた。それも年度の前年に申請して、審査を通す必要があった。

 

大垣文化基金創立を目指して

 それで平和堂基金からの協賛金は諦めたが、その基金のシステムを大垣で作りたいと思いついた。そういう発想を与えて頂いたのが、最大の収穫であった。近い将来、大垣の企業が集ってそういう財団を作りたいと思う。音楽活動には企業の協賛がないと、運営が辛いのだ。

 大垣市は文化都市を謳っているが、現大垣市長は文化・芸術には疎く、その面には金を渋って出さない。今回のドレスデントリオ演奏会も先年9月のチェリストTIMM演奏会でも、大垣市は一銭もださない。我々有志が走り回って、各企業を回って協賛金を集め、この演奏会を実現させた。文化都市として情けない思いである。文化活動の無い都市は、心が荒廃する。

 

2018-02-04

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