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2018年2月 9日 (金)

去り際の美学

 人生の舞台は、舞台に上がって、演技をして、舞台の階段を下りるまでが、人生である。演技が終わったからと気を抜いて舞台を後にしてはならない。

 2018年2月1日、先生からお誘いがあり、ある大学の音楽科の卒業演奏会に出かけた。卒業生の皆さんは素晴らしい演奏をされたが、演奏が終った後に舞台を去る時の姿が、ぎこちなかった人が多かった。やっと緊張の演奏舞台が終わったと、安心してバタバタと舞台の袖に引っ込むので、その姿が美しくないのだ。舞台の袖から消える最後の一歩まで、演奏の一部として演技をして欲しかった。

 

会社人生の生老病死

 どんな舞台でも生老病死である。会社に入れば、会社人生の「生」で、定年退職で、会社人生の「死」を迎える。定年後の嘱託扱いで、延命工作をしても、せいぜい5年である。それが人によっては地獄の場合もある。嘱託扱いでの上司が元部下で、人格的、能力的にも格下の人間に卑屈になることは、私の自尊心が許さない。会社を去る際に、パタパタ、へいこらするようでは、会社という舞台を去る直前まで、美しくありたいと思っていたのに、違和感があった。定年後は、往々に扱いは派遣社員と同じある。給与は、正規社員よりも大幅に下がって三分の一程度である。私は定年延長せず、辞めるというので、引き留められたが、それを振り切って辞めた。今でも良き決断であったと思う。

 

界の任期

 定年後の嘱託の仕事で、年下の能力の低い部下にへいこらするのが、気にならない人は幸せである。自然界の法則で、組織の新陳代謝として時期が来れば去るのが、一番理にかなった行動である。会社も若い人に、リーダーとしてチャレンジの機会を与えないと、衰退する。それに老人が出しゃばると、迷惑である。

 任期という時期が来たら会社という「界」からに身を引く。次の新しい「界」で自分の場を探す。それが自然である。定年という「死」が、入社した時に分かっていたはず。嘱託で働くとは、それに向けて準備をしてこなかったのだ。

 常識として、市長や知事の任期は2期8年で、それを5期20年も居座ると、様々な弊害が出てくる。それが癒着と腐敗の原因となるのは世の常識である。それが大垣市の衰退の原因の一つと思う。

 

去り際の美しくない人の末路

 2018年2月初旬、スーパーで買い物をしていたら総菜売り場の横で,初老の女性二人が話し込んでいた声が耳に入ってきた。聞くともなく、その会話が聞こえてきた「うちも(亭主が)一日中おるの....」の声で、2人の家庭の状況と奥さんの嘆きが全て分かってしまった。そんな亭主は、きっと会社の去り際が美しくなかったのだと確信をした。会社を辞めた後、やることもなく一日中、家のテレビの前に鎮座して、奥さんに三度の飯を作らせ、やれお茶だ、新聞だと言っていれば、奥さんにとっては地獄である。去り際の醜い亭主には、その奥さんの苦しみを分るまい。奥さんにも、亭主が38年間、会社に行っている間の培った仲間同士の世界がある。それを一日中家にいる亭主が邪魔をする。奥さんが少し外出するだけで、やれ、「何処さ、行くべえか? 何時、帰ってくるべえか?」では奥さんも幻滅である。これでは熟年離婚も多くなるはず。

 

美しく去って、新しい「界」で全力投球

 私は60歳でスパッと会社を辞めて、自分の道に進んで正解であった。会社の上司の縛られず、自分で毎日新しい取り組みにチャレンジしている。何かする度に上にお伺いを立てなくてもよいのが快感である。その快感は38年間の宮仕えでは味わえなかったことだ。会社を離れたことで、それに起因するお陰で多くのご縁に出会った。昨年、よもや67歳で出版業とプロの写真家を始めるとは想定外であった。それも、多くのご縁の巡り逢いと、体力のあるうちの60歳で新しい道に進んだからだ。これが定年延長後の65歳からの再出発では、辛いものがある。

 人生は、日々好日なのだ。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」という人生を送ってはなるまい。

1p10004021  馬場恵峰書

2018-02-09

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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