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2018年2月11日 (日)

人生の譜面をめくる佛様

 2018年2月1日、ご縁があり誘われてある大学の卒業演奏発表会に行ってきた。譜面をめくる人を「譜めくり」という。この演奏発表会で「譜面めくり人養成科」の学生が、同じ仲間のピアノ演奏者の譜面をめくる人の姿を見て、人生を感じた。この卒業演奏会で、多様な「譜めくり」の姿勢を見て考えてしまった。なお「譜面めくり人養成科」などは存在しない。勝手な命名で、ジョークです。

 

譜めくりの服装

 譜めくりは、黒子である。多くの譜めくりは、黒い服装をしている。しかし今回の譜めくりでは、白の服装の人が多く、それでいて主役のピアニストが黒の服装であったので、黒子のはずの譜めくりが目だってしまって、違和感を覚えた。音楽は視覚でもメロディーが流れている。それまで気を使って、ピアニストと協議して服装を整えて欲しかった。

 

譜面のめくり方

 この最近、演奏家の写真撮影をしてきて、譜面めくりのやり方に人さまざまであることに気が付いた。一番美しい姿は、そのぺージの演奏が終わる少し前に構えて、少し次のページをめくり、そのページの演奏が終わったら一気にめくる、である。それが今回は、そうではない事例が目に付いた。ピアニストにとって、基本は暗譜である。

 人によっては、ピアニストと目で合図をしあって、お互いに、うなずいて譜面をめくっていた例もあった。そんな暇があったら、演奏に集中せよ、と言いたかった。急遽、譜めくりを仲間にお願いしたために、致し方ないのかもしれない。

 大垣での音楽堂でのチェリストTIMMと河村先生の協奏、クインテッサホテルでのドレスデントリオと河村先生の協奏では、小林朱音さんが譜めくりを担当した。二人には師弟関係で、深い信頼関係があるために、そんなお互いの合図もなく、小林さんは、しかるべき時に、スーッと横に立って構え、次のページを少しめくり、そのページの演奏が終わったら一気に音もたてずめくる。河村先生は、譜面を小林さんに任せっきりで演奏に集中である。

 今回の卒業演奏会の譜めくりでは、直前に急ぎ譜面に近づき手を伸ばし、観客席にまで頁をめくる音が聞こえるようなめくり方をする人もいた。頁をめくる甲高い紙音が、美しいピアノの演奏を興ざめにした。

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24k8a3363   2017年9月29日 TIMMと河村義子コンサート リハーサルで

 譜めくりは小林朱音さん

3p1020351  2017年9月29日 TIMMと河村義子コンサート

4dsc04336  2018年1月13日 ドレスデントリオと河村義子

譜めくりが舞台から去る時

 演奏が終わると、ほとんどの譜めくりは、演奏者が観客に礼をしている間に舞台から、黒子のように静かに去っていく。これが正式のマナーのようではあるが、私は違和感を覚えた。譜めくりも演奏者と共に、演奏というプロジェクトを一緒に成し遂げたのだ。去るときは、観客に少し礼をして去って欲しいと思った。西洋の考えと日本の考えの差のように思う。

 小林さんは、二人が観客の拍手に礼をしている時、小さく拍手をして、譜面を片付けて静かに舞台を去っていった。まるで黒子の佛様のような姿であった。

 

人生の譜面をめくる佛様

 人の人生では、時が来ると人生の頁が自ずとめくれていき、その頁の内容に合わせて、両親や祖父祖母がランドセルの準備や学校への入学の手続きをしてくれた。当時は、それに対して感謝の念もお礼もあったものではない。それでも時が流れて、学校卒業までは、両親や恩師が人生の頁を黙ってめくってくれた。まるで佛様が我が人生の本の頁を捲ってくれたようだ。その佛様も、いつの間にか私の前から去っていった。「私の亡きあと、一人で人生を頑張れ」と拍手をしながら逝ってしまったのだ。合掌。

 会社生活では、必死に人生の頁を自分でめくってきたと思うが、振り返るとその歩みの頁は、佛様が事前に書いた曲を、なぞって弾いてきたように思う。自分の力ではない。周りの仲間が己の曲を演奏させてくれた。感謝。

 会社生活38年間終えて、これからは自分の意思で、新しい第二の人生の頁をめくる時なのだ。そのぺージを自分でめくれずに、一日中、テレビの前に座っているのでは、白紙の譜面を眺めて、ピアノの前で座っているが如きである。

 

人生は暗譜演奏

 人生の人生という曲を演奏する原則は、暗譜演奏である。自分で、自分の人生の曲を描いて自分で弾く。その曲は自分が作曲した楽譜に書いてある。誰に頼るのでもなく、自分で作曲して、曲を弾かねば良き人生は創れまい。そして今は、自分が黒子として、後進の譜面をめくってあげる番なのだ。

 生きている以上は、自分独自の人生の音色を出さねばならぬ。観音菩薩様がその音を観ている。そうでないと、見守ってくれている観音菩薩様やご先祖様に申訳がない。

 

最期の譜面をめくる

 一日中、テレビの前に座っているのでは、バックグランドに無伴奏葬礼行進曲が流れなか、白紙の譜面を眺めて、無為に過ごしているようなものだ。その葬礼行進曲を演奏しているのは、一日中、何もやることのない己なのだ。「おくり人」とは、自分自身である。

 日暮れて道遠し、フィナーレは近い。演奏会と違い、人生にアンコールはない。人生二度なし。全ては一期一会だ。うかうかしていると、指の下にある次のページには、葬礼の曲が書かれているやも。人生の道を急げ。

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6039a34461  馬場恵峰書

2018-02-11

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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