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2021年7月 1日 (木)

頭脳という宝の器

 

人生の知識の貸借対照表(バランスシート)として、自分の頭の中をコンピュータのCPUと比較して整理すると、

 自己資産とは、持って生まれた才能である。

  ROM(BIOS)に相当。食べる能力、歩く能力

 流動負債とは、師から教えてもらった知識である。

  RAM(キャッシュメモリ)に相当

 流動資産とは、覚えて自分が使える知識である。

  RAMに相当し一時記憶。経験、技能、失敗経験、人脈

 固定資産とは、身についた基礎能力である。

  EPROMに相当し簡単には消えない知識。

  読み書きそろばん、対人関係能力、学んだ知識、学歴、資格、

 

石川理紀之助曰く「知りたることを人に教えざるは、借りた金を返さざるがごとし」。

 師より教えて頂いたことは人生の借金である。師に借金の返済は不要だが、後進や世の中に利子を付けて伝授することが、義務づけられる。その利子が自分の付加価値である。それが人間としての勤めである。それができない人間は人でなしである。

 だから、この知識は投資をしてでも借金を増やすべきである。投資とは、師に会うための交通費や手間である。師は3年かけて捜すべし。それをケチると師には会えない。借金を足した(自己資産+借金)の合計が自分の知識の財産価値である。

 流動負債を増やさなかった人が、認知症となる。借金も財産のうちであるが、知識という借金は、返さなくても不義理にならない価値ある財産である。

 親から頂いた頭は、投資(学習)をして鍛えないと、朽ちていく。

 

認知症の発病リスク

 認知症の予防として18歳未満の認知症リスクとして、教育履歴が挙げられる。15歳未満で教育歴が途絶えてしまうと、認知機能の予備能力が低下して、65歳以上での認知症は発病リスクが上昇するようだ。つまり若い時に勉強をしていないと、将来の認知症になりやすいのだ。(2017年、世界四大医学誌のひとつ「ランセット」に発表された認知症の発症リスクより)

 若い時、必死に勉強しなくても、そこそこできてしまう才能のある人も多い。天の差配は恐ろしい。天網恢恢疎にして漏らさずである。若い時、勉強をしなかったツケは、65歳以上で認知症というツケを払う羽目になることもある。最近、そういう事例によくであう。認知症とは脳死である。生き永らえて、痴態を晒す生きざまはしたくない。今からでも遅くないので、学び続けよう。

 

自分有限会社のバランスシート

 流動資産と流動負債を増やす経営をしよう。要は、勉強に投資をすべし。酒を飲みグダをまく時間や、魚釣りに行く時間や、安い店を探し回る時間や、痴呆的テレビを見る時間があれば、その時間を勉強しよう。

Photo   自分有限会社のバランスシート

Dsc045961s 馬場恵峰書

Img_43851s 馬場恵峰書

   『命の器で創る夢の道』

2021-07-01   久志能幾研究所通信 2076  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月26日 (土)

新型コロナワクチン、命の選択と決断

 

 新型コロナワクチン、打つか打たないか、人生の選択である。

 それが今までの人生の岐路での選択を象徴している。

 

結論

 私は新型コロナワクチンを打たないと決断した。人と接触する機会の多い職業なら、ワクチン接種が正解である場合もあるだろう。どちらが正しいかどうかは、問題ではない。その決断プロセスが問題である。人によって選択肢の正解が違う。自分が正しいと思ったら、非難されてもその選択を進める勇気が必要だ。

  

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人生の決断と過去の惨劇

 人生は選択の連続である。多くの選択肢の中からその一つを選んだら、決断して実行しないと、何も始まらない。決断しないと他人の選択に流されて、自分の時間と命を失う。

 選択には、多くのデータと自分の経験知から自分の結論をだすことだ。

 自分の頭で考えないから、ヒトラーの宣伝に乗せられドイツ国民はユダヤ人を迫害した。

 戦前の朝日新聞社等の戦争賛美の記事に乗せられて日本国民は戦争に追いやられた。 

 オイルショックの時、マスコミの過剰報道に踊らされてトイレットペーパーの買い出しに走ったのだ。

 狂った社会党を選ぶから、阪神淡路大震災で危機対応ができない政府に煮え湯を飲まされることになるのだ。狂った民主党を選択するから、福島原発事故で右往左往するのだ。

 狂った朝日新聞を購読するという選択をするから、慰安婦報道に騙されるのだ。

 正しい議員に投票せず、選挙投票で棄権をするから、日本の道を誤まらせる国賊議員が跋扈するのだ。その議員を選んだのは国民である。だから日本は基礎研究に金を出さない政治体制が続き、失われた時間30年間が生まれ、衰退した日本を生んだのだ。それが今の国産ワクチン開発での敗戦になった。

 今回が新型コロナワクチン接種問題である。

 その選択が、誰かの利益のために躍らせれていないか確認すべきだ。

 自分で考えて結論を出さないと、痛い目に会う。それは歴史が証明している。

 

決断を下した根拠

事実1

 日本のコロナ感染者、死者数は欧米の100分の一程度。

 欧米の生活習慣(ファクターX)が、日本の生活習慣と違うので、欧米で感染者が激増していると考えられる。(西村秀一氏説・国立病院機構仙台医療センター ウイルスセンター長)

 日本のコロナ死亡者は4千人、例年インフルエンザで1万人が死んでいる。 私はマスコミが騒ぎ過ぎると断定した。なぜ? 扇情的に報道すれば、視聴率が上がり、儲かるから。

 

事実2

 新型コロナウイルスでの死亡者数と他が原因の死亡者数を冷静に比較観察しよう。(下記概算値)

 なぜ、マスコミが酒やタバコでの害を追求せず、新型コロナばかり報道で攻めるのか。酒やタバコや清涼飲料水の後ろには、宣伝の大スポンサーがいる。口が裂けてもそのスポンサーを非難はできない。私はそんな記事を見たことがない。

 

 新型コロナの年間死亡者数   5千人

 交通事故死亡者数       3千人

  交通戦争時代は死者が1万人を超えていた。

 例年のインフルエンザ死亡者数 1万人

 糖尿病の死亡者数      1.4万人

 お風呂での死亡者       2万人

 自殺者数           3万人

 酒での死亡者数        3.5万人

   (全世界で300万人が酒の原因で死亡 WHО発表)

 誤嚥の死亡者数        4万人 

 タバコでの死亡者数     12万人

 癌での死亡者数       30万人

 日本の死亡者数、生誕者数  100万人

 

事実3

 大村智博士が開発したイベルメクチンは、インドでは劇的な効果があった。WHОは欧米のワクチンを強制して効果のなかったため、インド政府はWHОを訴訟で訴えている。

 イベルメクチンの値段は600円だが、欧米のワクチンは数万円である。製薬会社は実績があっても儲からないイベルメクチンを売りたくない。新ワクチン開発にかけた金を回収せねばならぬからだ。製薬会社は慈善事業ではなく、拝金事業なのだ。

 政府の役人も既に欧米のワクチンを手配すみなので、今更変更はできない。自分の保身に影響するからだ。減点主義の役所では、変えたくても変えられない。どうせ無知な国民は気が付かないと高級官僚は思っている。

 

事実4

 新型コロナ用のワクチンで、9,759,770人の内、5月30日時点で139人が死亡。(2021年6月26日現在) 

   新型コロナ用のワクチンで7万人に一人が死亡する確率である。

  15万人の中堅都市の全員が接種で、1~2名が死亡と同じ。

 インフルエンザ用のワクチンの死亡率は1千万人に一人。

  (52,511,510人が接種して3名死亡。平成30年度)

  1千万人の人口の東京都で全員接種で、一人が死亡と同じ。

 

 新型コロナ用のワクチンは、まだ安全性が確認されていないようだ。自動車部品開発に携わった技術者として言えることは、新開発部品の安全性が従来品よりも100倍も悪化すれば、人の命に影響する車には搭載できない、ということだ。

 

事実5

 マスコミが発表するグラフは接種数の変化で、接種率と感染状況の変化と連動したグラフは決して出さない。コロナ感染の恐怖を煽り、接種数の増加を過度に報道して、摂取させようとしているとしか思えない

 

事実6

 ワクチン接種の目的は、ワクチンの販売であって、新型コロナウイルスの収束ではない。ワクチン接種拡大に成功すれば(製薬会社にとって)、来年以降も変種ウイルス対策として、継続してワクチンが売れる。

 独ビオンテック、今年のワクチン売上高1.6兆円の見通しである。ファイザー製薬は3.8兆円である。 (日本経済新聞2021年5月11日)

 

事実7

 新型コロナをエボラ熱相当の疫病と指定した厚生省が間違い。だから大騒ぎとなった。前提が間違っている。

 新型コロナの死亡率は2%。エボラ熱の死亡率は50%。それなのに同じ扱いにするから、異常事態となる。病床がひっ迫する。その指定を変えて問題が出れば、役人の出世に影響がでるから、保身主義のエゴ役人は、指定を決して変えようとはしない。ここに現代日本の閉塞状態の真因がある。

 

事実8

 ワクチン接種をしても新型コロナ感染のリスクが下がり、重症化するリスクが下がるだけである。ワクチン接種で、コロナ感染が無くなるわけはない。ワクチン接種をしても再度、感染した人も多い。それは単に、ワクチン接種をしたからと、油断して感染予防を怠っただけのことである。

 

事実9

 私は自営業で、日頃、多くの人と会うわけではない。ほとんど自宅で仕事をして過ごしている。外出も控えている。外出時はマスクをして、3密を避けるようにしている。人に迷惑をかける頻度は少ないのでワクチン接種は、そのメリットデメリットを考えるべきだと判断した。

 

事実10

 ワクチン接種にはコロナに負けない体力がないとダメである。疾患持ちで、血栓ができやすい人が接種して196人が死亡している。7万人に一人の割合である。

 私は高齢で、体力も弱っていて、癌の後遺症に苦しんでいるので、私にはワクチン接種の耐力がないと判断した。利害を総合的に考えて、私はワクチン接種をしない決断をした。

Dsc09255s 馬場恵峰書

 私は書斎で、このコップを筆立てとして使用して、毎日眺めている。

 馬場恵峰先生に感謝である。

 命に係わる事項の決断は、智慧を出し、賢く判断したい。そう思って私は、いつも文殊菩薩と普賢菩薩に手を合わせ祈っている。そうすると不思議と冷静になれる。

 命はこの世に役だつものを遺すため、何時も輝いている。輝かせねば、ご先祖に申しわけない。己の愚かな判断でそれを無に帰せてはなるまい。

Dsc06572s 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

Dsc065661s  松本明慶大仏師作 普賢菩薩

2021-06-26   久志能幾研究所通信 2071  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月24日 (木)

死刑囚として生きる  大きな未完成を求めて

 

 「芸術に完成はあり得ない。

  要は、どこまで大きく、未完成で終わるかである。

  1日を大切に精進したい。」      奥村土牛画伯

 

 土牛画伯は、富士山をテーマに多くの絵を残した。画伯の死の1年前、100 歳の時に描いた「100歳の 富士」は有名だ。とても、100 歳の時の作品とは思えない。その画風は単なる美しい富士山ではなく、白い雪化粧の中に、宗教的雰囲気と精神的葛藤を漂わせている。画伯が100 歳を超える長寿で、かつ現役であり続けえたのは、「大きな未完成」を求めるため、前向きの意思と芸術へのこだわりがあったためであろう。画伯の上記言葉は、芸術に限らず人の全ての分野に当てはまる。人は意思と目標がなければ、長生きはおろか、人生の全うもできまい。

  人は必ず死ぬ。人は生まれた時に、神様から死刑宣告をされている。それゆえ、死刑囚としての人の生きざまは、死をどの様に認識するかで、100 年間の少ない(?) 日々を送る時、そのアウトプットが大きく異なる。特に、後世にその作品を託す芸術家は、限られた時間をいかに作品に昇華すべきかに心血を注いでいる。

 

生きる価値

  美術品や骨董品が、何故価値があるかは、それの壊れていない姿にある。だからこそ、人は有り難がり、大事な物として床の間や美術館に飾るのである。これが少しでも欠損していると、全く価値がなくなる(それは歴史博物館向き)。人を骨董品に例えると失礼だが、人が100 歳まで生きて、なおかつ現役であることに、その偉さがある。壊れた骨董品に価値が無いように、いくら長生きしても「創作」活動を停止したのでは、人としての存在価値が半減する。長くその地位にあること、長くその仕事を継続していることは、それだけで価値がある。長く続けるだけでも、それ相応の情熱と努力がなければできない。人並み以上の時間の継続は、現状維持で良い、との安易な姿勢では達成できない。人生での現状維持は、即後退を意味する。それは残存時間をカウントする時限タイマーを早送りモードにすること。その気持ちになったら、後進に道を譲るべきである。

 

死を見つめる

  作家で精神科医の加賀乙彦氏が、興味ある報告をしている。彼は刑務所で多くの受刑者と面接して、終身刑の囚人と死刑囚との間で、その生き方に明白な差を見いだした。終身刑の囚人が、なんとなく元気がないのに対して、死刑囚は元気でキビキビしている。両者の差で明白なのは、前者の眼は死んでいるが、死刑囚は眼が輝き、澄んでキラキラと輝いていることだという。終身刑の死が不確定なのに対して、死刑囚は明日にも死刑執行があるかもしれない。その緊張感の有無が、この差を生むらしい。それは死刑囚が死を避けて通るより、避けえない事実として、1日1日を有意義に過ごそうとする意識が働くためのようだ。

  「死を見つめる意義」大阪大学人間科学部教授 柏木哲夫

                       『日本経済新聞 夕刊1996.10.12』

 

百歳の富士への執念

  100 歳を越えた画伯が、有限の時間を意識しないはずがない。その日々の心情は、ある意味で死刑囚と同じかもしれない。だからこそ、限られた時間内で、緊張感を持って生きる大事さを認識していたのだろ。それが冒頭の言葉に顕れている。だらだらとした日々を送る終身刑の囚人より、緊張感のある死刑囚として生きたほうが、有意義で前向きの人生が送れるようだ。生きているのと、生き永らえるとの差は限りなく大きい。

 百歳の富士を書きたいという執念が、この絵を生んだ。土牛画伯は、実際の富士の見える旅館に泊まり、実際の富士を凝視して、この絵を描いた。しかし直ぐには、心の内面のイメージを具現化できず、筆を取るまでに長い時間を要した。

 百歳の画伯の筆使いが、雪化粧の富士山を美しくそびえさせつつ、成長するかのように描かせている。しかし、その美しさは、絵葉書等に登場する「単に」美しい富士山のそれではない。富士山の頂上の美しさは、それの歴史を示す中腹部の崩れゆく暗い岩肌の対照として、輝きとして存在する。まるで人の古傷や生きざまを表した縮図であるかのように。これは長年(?) 、人間家業をしてきた画伯の醍醐味かもしれない。この芸当は、80歳の鼻垂れ小僧にはできまい。死刑囚としての私の死刑執行は37年後と覚悟している?

 

エピローグ 

 ある本で土牛画伯の言葉に触れた数カ月後の1996年10月11日、懇意の画廊から、この『百歳の富士』のリトグラフが、激安で目の前に提示された。激安なのは、今まで多額の金をその画廊につぎ込んできたからだ。安いのは、そのおまけである。私は即決購入し、この絵を土牛画伯の命の具現化として、自宅に飾った。この絵は試刷りのリトグラフで、土牛画伯のサインはないが、本物のリトグラフである。

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2021-06-24  久志能幾研究所通信 2069  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月22日 (火)

EV化の一極に賭ける危険性

 

 日産は今後だす新車は全てEV車にすると発表した。ホンダも同じ戦略のようだ。まるで素人の経営者の判断である。貧すれば鈍す、という状況ではないか。全てEV車にすることが経営的に正しい判断なのか。逆に害をなすのではないか。

 

経営

 「経営」とは、持てる資源を最大限に使って、世の中を幸せにする営みである。「経」とは縦と横の糸を折る織機のことだ。縦糸とは綿々と続く人類の歴史の営みを表す。横糸とは世の中の動向を表す。「営」とは、沢山の部屋がある屋敷でかがり火が盛んに燃えている様を表す。

 

電気自動車の電気はどこから?

 現在、電気自動車を作るには、電池の製造が不可欠で、その電池の製造は、レアメタルの確保が生命線である。

 その製造には膨大な電気が必要である。ガソリン車が全て電気自動車に置き換わったら、現在の消費されるガソリンが生み出すエネルギー分の膨大な電気が必要となる。その電気はどうやって調達するのか。再生エネルギーだけでは間に合わない。石油も燃やさないと間に合わない。原子力発電も必要だ。全て電気自動車になれば、電気代は5倍になるとの試算がある。

 

中国のお家の事情

 中国がEV化を宣伝しているのは、EV化で世界市場を支配する意図があるからだ。中国はレアメタルの生産で世界の80%を支配している。レアメタルは石油と同じように戦略物質である。石油は余っているのだ。

 中国国内が公害対策なし無法地帯なので、自動車の排ガスや工場排煙による都市の空気汚染が酷い。中国共産党が電気自動車を推進するのは、排ガスをださない電気自動車にするという、マッチポンプのような宣伝をしたいためである。

 新型コロナ騒動でも、中国国内でコロナ菌を生物兵器として開発し、そのワクチンも真っ先に開発したと言うマッチポンプのような事態となった。そうアメリカ政府は断言している。

 

EV化の目的

 EV化の目的は排出ガスの削減である。地球温暖化の防止である。しかし現実はEV化では、見かけは排出ガスの削減であるが、実質的に排出ガスは減らない。地球温暖化の防止にもならない。それは高血圧症に降圧剤を投与する対処療法と同じになる。だから逆に排ガスが増える場合もある。今のままでは本末転倒の事態になるようだ。

 

2021-06-22   久志能幾研究所通信 2067  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月20日 (日)

一攫千金の錬金術に嵌り、千攫一泡の不覚

 

 「不覚」とは、仏教用語で仏様の智慧がない状態を表す。それに対して「本覚」とは「本来覚っている」を表す。人には、本来仏の心が具わっている。しかし私たちの現状は、煩悩に覆われ、妄念に囚われている。不覚とは無明である。何もわかっていない状態、真理が見えない状態である。その状態で自分の気に入ったモノだけに執着して、都合の悪いことを排除しようとする。それが「業」を作り、その「業」に縛られて、自らが苦しむことになる。それが「不覚」である。

 

 

「202X年総予想」誌は八卦見占い以下

 私は愚かにも一攫千金を夢見て、その類の雑誌を長年買ってきたが、儲かったのは売る方の雑誌社で、雑誌を買う方は儲かったためしがない。やっと目が覚めた。

 書いてあることは、今まで新聞や雑誌で発表した内容をかき集めただけで、どうでも解釈できる表現に終始している。それで一攫千金が叶うわけがない。

 雑誌社にその道の情報の達人が集結しているが、烏合の衆の有様で、綜合的な賢さがない。だから予想が当たらない。自分より能力のない記者達がまとめた結果である。その記事を信じる方がバカなのだ。

 コロナ、大震災、大洪水、米大統領の選挙予想の逆転、また逆転、首相の突然辞任である。ひと昔、やれ石油が枯渇するので大変だと予想があれば、いつのまにか脱石油で電気自動車が爆走するとのご神託の大狂乱報道である。全く予想外の展開ばかりで、「202X年総予想誌」の予想が当たったためしがない。

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自分の予想を信じる

 ド素人の経済評論家のいう事を信じず、自分の経済予想を信じるべきなのだ。真剣に経済を見れば、真実が見えてくる。宇宙根源の理に照らせば、真実が予想できる。如何にマスコミが嘘を報道しているかが見えてくる。

 

マスコミは錬金魔術使、電気自動車は「不覚」

 例えば、電気自動車の成長予想が大氾濫であるが、世の中の車の全てが電気自動車になれば、電気が枯渇して、電気料金が5倍になるという試算がある。生産から廃車までの総合エネルギー消費は、ガソリン車も電気自動車も変わらない。却って電気自動車の方が、エネルギー消費量が多い。質量の大きな自動車(1トン)を動かす仕事量(エネルギー量)は、ガソリン車も電気自動車も同じである。どうやって電気を作るのだ。中学の物理の授業を思い出すべきだ。今のマスコミは錬金術の魔術を信じているようだ。

 仕事量=力×移動距離(F×L)

 一トンの車を動かすエネルギーは、石油か火力発電か原子力発電を使って生み出すしかない。それはガソリン車も電気自動車も同じ条件である。

 だからそのうち、宇宙根源の理に目覚めて、揺り戻しが来るはずだ。中学校の物理学を思い出せば、マスコミの嘘が分かる。それが先を見る賢さである。だから私は電気自動車を買うつもりは全くない。

 その電気自動車ブームが沸く間、誰が儲けようとしているか、よく観察しよう。少なくとも、中国は電気自動車に不可欠な希少金属で世界を支配しようとしている。テスラの時価総額が1年で7倍になり、トヨタより大きくなるなど常識的に異常である。それはバブルで、バブルは何時か破裂する。

 欧州や米国は日本のすり合わせ技術に勝てないので、組み立てが簡単な電気自動車を法律の盾にして、欧米車を守り、日本車を追い落とそうとしている。このままでは、日本は技術で勝って、戦略で負ける。今までの経済戦争で敗戦してきた反省がまったくない。まさに千攫一泡の不覚である。

 その仕掛けに嵌った日産やホンダは潰れるだろう。

 

真の対策

 地球保護のために必要なことは、ガソリン車廃止ではなく、人間社会の贅沢な暮らしの見直しである。電気自動車化は対処療法で、効果のない対策である。まるで降圧剤の処方と同じである。少しも地球環境の保護にならない。必要なのは、地球環境との共生である。

 やるなら無駄で痴呆的なテレビ番組の削減である。マスゴミの排除である。飽食を止めて、西洋化の食事を制限し、医療費43兆円の削減である。付加価値を産まない利権官僚・政治屋の削減である。

 

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)

2021-06-20   久志能幾研究所通信 2065  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月19日 (土)

エイリアン(異世人)との遭遇

 

「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」

 In space no one can hear your scream.         

        映画「エイリアン」のキャッチコピーより

 現代社会という宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。周りは価値観の違う異星人ばかり。あなたの魂の悲鳴を、誰も聞いてはくれない。

 私が周りの人間を異星人・異世人だと思うのは、私だけだろうか。私が異星人なのだろうか。違う世界に住んでいる価値観の違う異世人が、回りには多くいる。そのエイリアンが私の人生を脅かし、襲ってくる。

 

金満界に住む異世人

 2017年12月、河村義子先生が主催する演奏会チケットを売るため、義子先生と仕事で関係の深い人を訪問した。その人の回答が、「その演奏会は日曜日で、私の住む街から、休日にわざわざ電車に乗って行くほど価値があるのですか?」であった。チケットは買ってもらえなかった。

 それを河村義子先生に話すと、義子先生は、「あの人は住む世界が違うのよ」と達観して言われた。義子先生は、良く人を見ているなと、感心した。今までその人と一緒に仕事をしていたが、その人は、単なる仕事として付き合っていただけのようだ。その演奏会が、義子先生の最後の演奏会となった。

 私もその人とかなり懇意にしていたが、その後、その人から煮え湯を飲まされる事件もあり、付き合いを疎遠にした。確かに住む世界が違うのだ。

 

葬儀で本性が露見

 その人は、河村義子先生の通夜の時、焼香には来たが、着席もせず、焼香が終わったら逃げるようにすぐ帰っていった。義理で来たとしか思えない雰囲気であった。私はその人と顔を合わせたくなかったので、葬儀会場の2階に「避難」して、そこからその人の行動をずっと観察していた。

 

私がエイリアンを識別する観点

その人はどういう価値観の世界に生きているのだ?

価値観の違うエイリアンが、自分の人生を食い殺す。

人格

 本箱を見れば、その人柄がみえる。本箱がないのは、絶句。

 その人の友を見れば、その人の人格がわかる。

 親をみれば、本人の根性が分かる。

 師を見れば、その人の人格がわかる。

学び

 その人は勉強が好きか?

 その人は自己投資をしているか?

 その人は10年前から進歩しているか。

 行動を見ていれば、利己か利他の人かはすぐわかる。

 頼みごとに対する反応で、本性が露見する。

  期待して行ったのに拒否されると、期待に対して裏切り者である。

 こちらの好意に対して、その礼を見れば根性が露見する。

人間性

 人が病気の時、どう振舞ったのか。人間性が露見する。

 見舞いに行く、行くと言ってこないのは、人間性が疑われる。

 人が死にそうな病状なのに、無視されると、その本性が露見する。

 死に対する考え方を見れば、その人の人生観が分かる。

 法事やお墓や菩提寺に対する考えをみれば、人間性が見える。

ITへの見識 

 スマホの扱いを見れば、人間性が見える。

 運転の仕方を見れば、その人の人生観が分かる。

 ITツールの使い方を見れば、人間性が見える。

 電話代を妻に管理されていて、相手からは決して電話をかけてこない人とは、付き合うのに嫌気がさす。

生活スタイル

 食事を見れば、人間性が見える。

 買うものを見れば、金銭感覚が分かる。

 仁を説法しながら、違約金を踏み倒す論語教師、人間性が分かる。

 

2021-06-19   久志能幾研究所通信 2064  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年6月18日 (金)

良く死ぬために、生前葬を(6/7)

 

 自分が死んでから、いくら多くの人に来てもらっても自分は対応できない。それなら元気なうちに生前葬をすればよい。生前葬と言っても、気心の知れた仲間と食事会をすればよい。単に元気なうちに、気軽にやればよい。それさえ出来なくなる日が、必ずやって来る。

 相手だっていつ死ぬか分からない。しばらく連絡がないと思っていたら、新型コロナで死亡なんて、最近よく聞く話である。

 相手が師であるなら、通常は年長者である。年功序列の原則で必ず、先に逝かれる。毎回、会う時を生前葬として、心して会い、会話を噛みしめるべきだ。

 同世代の友であっても、自分の健康管理に自信を持ち、相手が先に逝くと考えて(私は固くそれを信じて生きている?)、今回会う機会を最後として対処すべきだ。何事も一期一会なのだ。死んでからでは、会話もできない。

 そんな会話の場で相手を無視してスマホをいじるなんて、狂気の沙汰である。自分に残された時間の流れは、命の刻みなのだ。

 だからこそ、恥も外聞も打ち捨てて人生の大事を急ぐべし。

 

生前葬の回数

 あと何回、その相手と会えるのか。計算してから面会しよう。今70歳とし平均寿命80歳と仮定すれば、月に1回、生前葬として会食するとして、12回/年×10年=120回しか会えないのだ。年に一回の面会なら10回もない。ましてやその相手が病気持ちなら、その数は激減する。遠方の人なら数回しかない。

 

恵峰先生の生前葬

 馬場恵峰先生は、90歳の2016年12月8日、生前葬として生まれ故郷の波佐見町で「卒寿記念写経書展」を開催された。多くに人が来展され、多くの人と歓談をして、有意義な生前葬をされた。私もこの写経書展の写真をまとめて『馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(2016年12月9日)』を出版することができて、先生の恩返しができて良かったと回顧している。ただし大赤字である。

 

恵峰先生の決意

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、多くのお世話とご縁を頂く。恵峰先生は、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰先生は、それができるのも「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべきとして卒寿記念として写経書展開催の決意をされた。

 恵峰先生は、「生まれ故郷で写経書展を開催できる佛縁とそれに足を運んでくれる人との佛縁は、天の計らいである。これから生涯の旅をする皆様が、写経書展で佛法の花の一端に触れて頂き、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら本望だ」と言われる。

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰先生は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰先生は訴える。

 恵峰先生は、この写経書展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経書展を回顧して漢詩を揮毫された。

4k8a8735s  写経書展で「生きて」挨拶をされる馬場恵峰先生

4k8a8688s  写経書展開催の挨拶 馬場清治若先生

4k8a8740s   写経書展開催のテープカット

 

4k8a8724s お祝いに中国から駆けつけた書家・朱さんの祝書

4k8a9017s 漢詩で弔辞?

最後の中国旅行

 2018年10月、恵峰先生はこれが最後の中国旅行だとして、北京、武漢、浙江省の縁地に中国の友人たちにお別れの旅に行かれた。死を覚悟されていたようだ。後から推察すると、武漢では新型コロナ菌が拡散しつつあった時のようで、仏様のご加護で、恵峰先生は感染せず、滑り込みセーフで無事帰国された。

 そして馬場恵峰先生は、写経書展から4年後、最後の中国旅行から2年後の2021年1月1日に逝去された。理想的な死への段取りであった。

 

辞世の句

 今日死ぬつもりで、相手と最後のつもりで面会しよう。一期一会。永遠に生きるつもりで、お互いの想い出を作ろう。そして後世に残る仕事を残そう。明日の命は誰にも分からない。

 

親思う心にまさる親心 今日のおとずれ 何と聞くらん

 吉田松陰の辞世の句

 

2021-06-18   久志能幾研究所通信 2063  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月16日 (水)

良く死ぬために、無財の七施と知施・技施(5/7)

 

 死んだ後でその人が評価されるのは、集めたモノではない。世の中に施したもので評価される。

 仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。

 

「無財の七施」   『雑宝蔵経』巻6

  眼施    目による施し

  和顔悦色  笑顔による施し

  言辞施   言葉による施し

  心施    まごころによる施し

  身施    体=労働による施し

  床座施   席を人に譲ることによる施し

  房舎施   住まいによる施し

 

知施

 私はこの七施以外に、情報化社会に適合した「知施」を追加している。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物として人に施したり、情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈する。これは直接的にはお金がかからず、無財の七施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている。

 このブログも知施である。皆さんに健康の情報、病気・事故・不幸を避けるための情報(危機管理)を提供している。

 この情報で皆さんが成仏できれば、私は嬉しい。人は成仏するために精進をしている。人は死んで、ほとけさまになる。生前に、ほとけさまになれれば極楽である。畜生として、死んでは、ご先祖が悲しむ。

 

技施

 私は恵峰先生の書に惚れた。私が先生に提供したのが、私の写真技術である。芸術家は記録を残さない。私は技術者だから、必ず記録を残すのが習性となっている。私は見るものを出来る限り写真にとって、製本し、先生に提供した。金儲けが目的では決してやれない。やればやるほど赤字になるからだ。

 持てる技の提供、つまり技施である。出来ることをやればよいのだ。私は先生に書道では太刀打ちできないが、私が記録魔ゆえに、写真・文章の技を提供できた。それで先生も喜んでくれた。

 

Img_64011s 馬場恵峰書 2006年

2021-06-16   久志能幾研究所通信 2061  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月14日 (月)

良く死ぬために、断縁捨利離業(4/7)

 

悪縁が人生を狂わせる

 朱に交われば赤くなる。悪縁を断つべし。

 良き師につけば、薫習でよき習慣が身につく。習慣は第二の性格である。

 

 悪縁の中にあっても、泥沼の蓮のような存在をめざせ。

 高貴な蓮の花は、泥沼で清らかな花を咲かす。

 だからお釈迦様は蓮の花の上に乗っておられる。

 それに対してワサビは清流の中でしか咲かない。

 人間はワサビの人生であってはならない。

 人間は清濁があってこそ、人間である。

 

利己主義は畜生界への道

 利己を捨て、利他で生きよ。死ぬ時は、何も持って逝けない。

 人生では与えたものが、倍返しで返ってくる。時として時間を置いて、子孫に返ってくる。それでよいではないか。

 

死とは人生で最大のプロジェクト

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。人は必ず死ぬ。人は必ず老いる。

 いくら金があっても、体力的に使えない時がくる。

 私もがんの手術をしてから、金があっても沢山食べられないし、旅行したくても動けないし、モノも買えない。モノを買うにも体力がいる。神仏にすがるにも体力がいる。死んでもいいから健康が大事である。死ぬにも体力、気力、知力が必要だ。死とは人生で最大のプロジェクトである。立派に死にたい。認知症で死にたくはない。

 

責任をもって使え

 それを前提に稼いだ金は、責任をもって使いきって死ね(生きよ)。老後のために爪に火を点す生活は愚かである。そんな人に老後はやって来ない。直ぐ病気で死んで、残った金を遺族が散財する。

 お金はお足なのだ。足止めすると、お足に復讐される。

 

人生はバイキング料理店

 バイキング料理店では、食べても食べなくても料金は同じである。人生もまたバイキング料理店と同じで、やっても、やらなくて、時間は同じように過ぎていく。その終着点は死である。

 人生の取り皿に入れた物件で稼ぎ、その稼いだ金を使わないと、何のために時間(命)をかけて稼いだか無意味になる。死後、無駄飯食いの役人が、税金として没収して無駄遣いしてしまう。それでは自分の人生が徒労になる。稼いだカネを使わないなら、人生で無駄な時間を使ったのだ。その時間を使ってもっと楽しめたはず。

 

高級レストラン

 若い時は体力に任せてバイキング料理店でもよいが、熟年ともなれば、高級レストランを目指して、自分の品格を研ぎ澄ますべきだ。オリンピック選手でもないのだから、体力ではなく、人は人格で勝負をするべきだ。その人格以上の人生は作れない。人格を高めれば、お金は自ずと寄ってくる。

 

金を稼ぐのは簡単

 金を稼ぐのは簡単だ。真剣に仕事に精力をかければ、大抵成功する。しかし稼いだ金を有意義に使うのが難しい。下手に金を残すと子孫が不幸になる。

 稼いだ金が少なかったら、真剣さが足りなかったのだ。今にして、今までの真剣さが足りないと自覚するなら、今から真剣になればよい。人生で決断が遅すぎることはない。死ぬ1日前でも、心を変えれば、1日の進歩がある。

 人は集めた金ではなく、使ったもので評価される。天界に行く人と、地獄界、畜生界に行く人の差は、カネの使い方である。人間と生まれたのなら、天界を目指せ。畜生界に堕ちてはならない。

 今の世界の混乱はグローバル経済主義が放つ利己主義・拝金主義が原因で畜生界のような様になっている。グローバル経済主義が進展して、人間の格もその格差が拡大している。

 

身に付いた業を消すには、悪縁を断ち、利他で生きよ

 人生の最終目的は、佛になること。

 人間は神を目指してはならない。神とは完全無欠な存在。

 神は人ではないので、「ひと で なし」である。

 だから人は神を目指してはならない。

 佛とは、人間味溢れた「ほとけさま」のこと。

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煩悩を消す必要はないが、少なくせよ

 生物として、生きたいという欲まで消せば、殺されてしまう。

 欲があってこそ、人間である。レベルの高い欲を持て。

 色欲まで消せば、人という種が滅んでしまう。色も必要だ。

 程よい色欲で、こんがりと人生を焦がせ。

 

積善の家には必ず余慶あり

 積善は、子孫のためにすること。自分がその恩恵を受けようと思っては罰が当たる。ご先祖の積善があって、今の自分がある。徳の循環である。

 自分が孤児であったら、今の(昔の人の生活に比べれば)贅沢な生活はできていないはず。両親、ご先祖に感謝である。

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  馬場恵峰書

2021-06-14   久志能幾研究所通信 2059  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月12日 (土)

良く死ぬために、反・断捨離(3/7)

 

 良く死ぬとは、良く生きること。つまらない断捨離など止めて、人生を謳歌して、全力で生きよう。いくら頑張っても生物学的に120歳までしか人間は生きられない。我々にできることは、後世に良き遺伝子を残すことだけである。

 愚かな人間は、やってはいけないことは、やってダメだと体験しないと分からない。それが智慧である。やらないで後悔するより、やって失敗して生きた方が良き人生だ。失敗しない、動かないとは、死の世界である。死ぬ前に、死んだ人生を送ってどうすのだ。

 

人生じまい

 子孫に美田を残さず。子孫に金を残せば、不幸の種を植えることになる。自分の思い出こそ人生である。断捨離なんて、自分の人生を捨てることだ。人生じまいである。断捨離なんて、死後、ほんの少しの金で業者がやってくれる。

 

30年後の因果応報

 両親よりも良い暮らしをしてこそ、亡き両親も喜んでくれる。元気に働いて稼ぐ。それが最大の供養である。良い暮らしをしてこそ、ご先祖の法要もすることが出来る。貧乏では法要もままならぬ。

 両親より貧しい生活では、自分がこの30年間、人並み以上の努力・精進をしなかった証である。親が贅沢を我慢して己を上の学校に行かせてくれたのだ。その感謝の念があれば、勉学に励むことが出来たはず。それを遊び惚けるから、貧乏になるのだ。30年後の因果応報である。佛様は良く観ておられる。

 

日本の高度経済成長期

 私は両親が必死に働いていた後姿から、多くを学んだ。その両親が遺した記録を捨てるのは忍びない。私が小さい頃、父は正月三が日に家にいなかった。大晦日、正月三が日を出勤して、休日割り増しを稼いでいた。皆は正月に出勤することを嫌がったので、父は皆から感謝された。それで贅沢な生活などしていない。全て子供の私の為であった。そんな親の姿を見れば、遊んでいなんかいられない。勉強をした。そういう姿が、日本を高度経済成長させたようだ。

 

仕事じまい

 仕事こそ人生である。生涯現役で働くつもりなら、惚けることのない。そのお手本を馬場恵峰先生は示してくれた。

 

墓じまい

 ご先祖の墓まで、墓じまいをしてどうするのだ。一日でも長く生きて、稼いで(世の中に貢献して)、ご先祖を供養する。それが子孫にできる最大の供養である。

 どうせ墓じまいをしなくても、お寺に護持会費を納めなくなれば、お寺がお墓をたたむ。墓地はお寺からの借地で買ったものではない。また逆に、護持会費を滞納すれば、お寺はお墓を撤去することができる。お墓の土地とは、そういう契約である。これもお墓を改建して体得した知識である。お墓を改建しなければ、知らないまま死ぬところであった。

 

反・断捨離

 死ぬまでにモノを買いまくり、金を使いまくって行動し、日本の景気に刺激を与えよう。それが年長者に出来る社会貢献である。今、日本経済が停滞しているのは、金を持っている老人が金を使わないからだ。

 使わず残った金は、国が強奪して役人がまた無駄遣いをする。ますます日本が衰退する。

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2015‎年‎1‎月‎12‎日 馬場恵峰先生の教室にて

 

2021-06-12   久志能幾研究所通信 2057  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。