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2021年6月18日 (金)

良く死ぬために、生前葬を(6/7)

 

 自分が死んでから、いくら多くの人に来てもらっても自分は対応できない。それなら元気なうちに生前葬をすればよい。生前葬と言っても、気心の知れた仲間と食事会をすればよい。単に元気なうちに、気軽にやればよい。それさえ出来なくなる日が、必ずやって来る。

 相手だっていつ死ぬか分からない。しばらく連絡がないと思っていたら、新型コロナで死亡なんて、最近よく聞く話である。

 相手が師であるなら、通常は年長者である。年功序列の原則で必ず、先に逝かれる。毎回、会う時を生前葬として、心して会い、会話を噛みしめるべきだ。

 同世代の友であっても、自分の健康管理に自信を持ち、相手が先に逝くと考えて(私は固くそれを信じて生きている?)、今回会う機会を最後として対処すべきだ。何事も一期一会なのだ。死んでからでは、会話もできない。

 そんな会話の場で相手を無視してスマホをいじるなんて、狂気の沙汰である。自分に残された時間の流れは、命の刻みなのだ。

 だからこそ、恥も外聞も打ち捨てて人生の大事を急ぐべし。

 

生前葬の回数

 あと何回、その相手と会えるのか。計算してから面会しよう。今70歳とし平均寿命80歳と仮定すれば、月に1回、生前葬として会食するとして、12回/年×10年=120回しか会えないのだ。年に一回の面会なら10回もない。ましてやその相手が病気持ちなら、その数は激減する。遠方の人なら数回しかない。

 

恵峰先生の生前葬

 馬場恵峰先生は、90歳の2016年12月8日、生前葬として生まれ故郷の波佐見町で「卒寿記念写経書展」を開催された。多くに人が来展され、多くの人と歓談をして、有意義な生前葬をされた。私もこの写経書展の写真をまとめて『馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集「報恩道書写行集」(2016年12月9日)』を出版することができて、先生の恩返しができて良かったと回顧している。ただし大赤字である。

 

恵峰先生の決意

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、生老病死を経て、浄土に旅立つ。人は生きている間に、多くのお世話とご縁を頂く。恵峰先生は、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰先生は、それができるのも「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべきとして卒寿記念として写経書展開催の決意をされた。

 恵峰先生は、「生まれ故郷で写経書展を開催できる佛縁とそれに足を運んでくれる人との佛縁は、天の計らいである。これから生涯の旅をする皆様が、写経書展で佛法の花の一端に触れて頂き、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら本望だ」と言われる。

 「天之機緘不測」(菜根譚)、天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰先生は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚構上に舞う華やかな虚像に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰先生は訴える。

 恵峰先生は、この写経書展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経書展を回顧して漢詩を揮毫された。

4k8a8735s  写経書展で「生きて」挨拶をされる馬場恵峰先生

4k8a8688s  写経書展開催の挨拶 馬場清治若先生

4k8a8740s   写経書展開催のテープカット

 

4k8a8724s お祝いに中国から駆けつけた書家・朱さんの祝書

4k8a9017s 漢詩で弔辞?

最後の中国旅行

 2018年10月、恵峰先生はこれが最後の中国旅行だとして、北京、武漢、浙江省の縁地に中国の友人たちにお別れの旅に行かれた。死を覚悟されていたようだ。後から推察すると、武漢では新型コロナ菌が拡散しつつあった時のようで、仏様のご加護で、恵峰先生は感染せず、滑り込みセーフで無事帰国された。

 そして馬場恵峰先生は、写経書展から4年後、最後の中国旅行から2年後の2021年1月1日に逝去された。理想的な死への段取りであった。

 

辞世の句

 今日死ぬつもりで、相手と最後のつもりで面会しよう。一期一会。永遠に生きるつもりで、お互いの想い出を作ろう。そして後世に残る仕事を残そう。明日の命は誰にも分からない。

 

親思う心にまさる親心 今日のおとずれ 何と聞くらん

 吉田松陰の辞世の句

 

2021-06-18   久志能幾研究所通信 2063  小田泰仙

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