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2021年6月16日 (水)

良く死ぬために、無財の七施と知施・技施(5/7)

 

 死んだ後でその人が評価されるのは、集めたモノではない。世の中に施したもので評価される。

 仏教では、施しによる奉仕が説かれていて、お金のない人にも可能な「無財の七施」が勧められている。

 

「無財の七施」   『雑宝蔵経』巻6

  眼施    目による施し

  和顔悦色  笑顔による施し

  言辞施   言葉による施し

  心施    まごころによる施し

  身施    体=労働による施し

  床座施   席を人に譲ることによる施し

  房舎施   住まいによる施し

 

知施

 私はこの七施以外に、情報化社会に適合した「知施」を追加している。「知施」は、自分の体験したことや考えを文章としての知的生産物として人に施したり、情報の伝達、価値ある情報の掲載された雑誌等を進呈する。これは直接的にはお金がかからず、無財の七施に合う行為であると思う。ただし、この種の体験にお金がかかった場合には、少々の情報料をいただいている。

 このブログも知施である。皆さんに健康の情報、病気・事故・不幸を避けるための情報(危機管理)を提供している。

 この情報で皆さんが成仏できれば、私は嬉しい。人は成仏するために精進をしている。人は死んで、ほとけさまになる。生前に、ほとけさまになれれば極楽である。畜生として、死んでは、ご先祖が悲しむ。

 

技施

 私は恵峰先生の書に惚れた。私が先生に提供したのが、私の写真技術である。芸術家は記録を残さない。私は技術者だから、必ず記録を残すのが習性となっている。私は見るものを出来る限り写真にとって、製本し、先生に提供した。金儲けが目的では決してやれない。やればやるほど赤字になるからだ。

 持てる技の提供、つまり技施である。出来ることをやればよいのだ。私は先生に書道では太刀打ちできないが、私が記録魔ゆえに、写真・文章の技を提供できた。それで先生も喜んでくれた。

 

Img_64011s 馬場恵峰書 2006年

2021-06-16   久志能幾研究所通信 2061  小田泰仙

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