良く死ぬために、反・断捨離(3/7)
良く死ぬとは、良く生きること。つまらない断捨離など止めて、人生を謳歌して、全力で生きよう。いくら頑張っても生物学的に120歳までしか人間は生きられない。我々にできることは、後世に良き遺伝子を残すことだけである。
愚かな人間は、やってはいけないことは、やってダメだと体験しないと分からない。それが智慧である。やらないで後悔するより、やって失敗して生きた方が良き人生だ。失敗しない、動かないとは、死の世界である。死ぬ前に、死んだ人生を送ってどうすのだ。
人生じまい
子孫に美田を残さず。子孫に金を残せば、不幸の種を植えることになる。自分の思い出こそ人生である。断捨離なんて、自分の人生を捨てることだ。人生じまいである。断捨離なんて、死後、ほんの少しの金で業者がやってくれる。
30年後の因果応報
両親よりも良い暮らしをしてこそ、亡き両親も喜んでくれる。元気に働いて稼ぐ。それが最大の供養である。良い暮らしをしてこそ、ご先祖の法要もすることが出来る。貧乏では法要もままならぬ。
両親より貧しい生活では、自分がこの30年間、人並み以上の努力・精進をしなかった証である。親が贅沢を我慢して己を上の学校に行かせてくれたのだ。その感謝の念があれば、勉学に励むことが出来たはず。それを遊び惚けるから、貧乏になるのだ。30年後の因果応報である。佛様は良く観ておられる。
日本の高度経済成長期
私は両親が必死に働いていた後姿から、多くを学んだ。その両親が遺した記録を捨てるのは忍びない。私が小さい頃、父は正月三が日に家にいなかった。大晦日、正月三が日を出勤して、休日割り増しを稼いでいた。皆は正月に出勤することを嫌がったので、父は皆から感謝された。それで贅沢な生活などしていない。全て子供の私の為であった。そんな親の姿を見れば、遊んでいなんかいられない。勉強をした。そういう姿が、日本を高度経済成長させたようだ。
仕事じまい
仕事こそ人生である。生涯現役で働くつもりなら、惚けることのない。そのお手本を馬場恵峰先生は示してくれた。
墓じまい
ご先祖の墓まで、墓じまいをしてどうするのだ。一日でも長く生きて、稼いで(世の中に貢献して)、ご先祖を供養する。それが子孫にできる最大の供養である。
どうせ墓じまいをしなくても、お寺に護持会費を納めなくなれば、お寺がお墓をたたむ。墓地はお寺からの借地で買ったものではない。また逆に、護持会費を滞納すれば、お寺はお墓を撤去することができる。お墓の土地とは、そういう契約である。これもお墓を改建して体得した知識である。お墓を改建しなければ、知らないまま死ぬところであった。
反・断捨離
死ぬまでにモノを買いまくり、金を使いまくって行動し、日本の景気に刺激を与えよう。それが年長者に出来る社会貢献である。今、日本経済が停滞しているのは、金を持っている老人が金を使わないからだ。
使わず残った金は、国が強奪して役人がまた無駄遣いをする。ますます日本が衰退する。
2015年1月12日 馬場恵峰先生の教室にて
2021-06-12 久志能幾研究所通信 2057 小田泰仙
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