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2021年6月11日 (金)

良く死ぬために、ボスが君臨するサル山を下りる(2/7)

 

自己の価値観

 群れたがる人とそうではない人の差は、若い時からの勉強量の差とその継続性の有無である。人生で危機感を持って自ら学んできた人は、自尊心の明確化と価値観の確立がある。だから無意味な集まりに群れることもない。

 群れたがる人はあっちにフラフラ、こっちにフラフラとさ迷っている。それでボスの金の引力で群れ社会に入ることになる。それでは主人公の生き方ではなく、奴隷の人生である。

 群れるとは、サル山の支配者ボスに迎合し、従い、ボスを人生の師とすること。朱に交われば赤くなる。それでは悪縁を招く。

 私も一度、その群れ社会の宴会に参加したことがあったが、同席者と話が合わず苦痛であった。まるでヤクザの襲名披露宴であった。それは会社のОB会で、旧上司が威張り、昔の上下関係が変わらず、その場の話題が、病気や嫁の悪口ばかりであるのとよく似ている。

 

ヤクザの襲名披露宴への招集令状

 1975年頃、やり手のM上司が次長に昇格して、関係部員約100名を招集して泊りがけの大宴会があった。そんな事例は初めてで、私は行きたくはなかったが、立場上で拒否はできない。宮仕えは辛いもの。仲間の多くは「これはヤクザの襲名披露だ」と陰でボヤいていた。たかが宴会で、その場で全員集合の襲名披露記念写真?まで撮った。やり過ぎだ!

 私の同僚は、体質的にそのM上司と合わないと感じた。彼はそのM上司の時代が今後長く続くと予想して、会社を退職して、受験勉強をして大学院の編入試験を受け、進学して別の人生を歩んだ。それも人生の選択であった。

 その上司は、予想通り、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いで出世をして、役員にまで上り詰めた。そんな羽振りによい上司であったが、最後は女に手を出して失脚した。

 

ヤクザのライバル

 当時、そのM上司の出世ライバルであった石田課長と大谷次長を出世競争から蹴とばした。石田課長は石田三成の末裔である。大谷次長は、関ヶ原の合戦の西側大名・大谷吉嗣の末裔である。

 石田課長の名言。「俺は君が仕事をしやすいように環境は全て整えてやった。後、やるかやらないかは、君次第だ」この言葉は忘れられない。

 私の当時の指導主任は石田課長の薫陶を受けた。そんな石田課長とそのM上司が、そりが合うわけがない。そのM上司が更に出世したら、早々に石田課長を社外に飛ばした。

 大谷次長(当時)は、今でも毎年夏、関ヶ原の合戦場に先祖供養に行かれる。私はその親戚が経営するアパート大谷荘で16年間お世話になった。

 

北欧出張で群れを強いられ苦痛

 1985年、仕事の関係で北欧の自動車メーカに4か月間、設計担当として機械納入で出張をした。その時、機械据え付けの担当者達と一緒であった。そこでの苦痛は、夜のホテル生活である。私は、夜、部屋でゆっくりしたいのだが、現場担当者達のボスがそれを許してくれず、一部屋にみんなと群れて過ごさねばならなかった。私は出張責任者として、彼らがつむじを曲げると困るので、嫌々付き合った。今風に言うと、思考の多様性を否定されたのだ。

 仕事が終わってホテルに着いてから、毎晩、一緒に食事に出かけ、10時ごろまでボスの部屋で群れて「拘束」されると、自分の部屋に帰ってからの寝るまでの時間がほとんどない。自分の勉強時間が無くなるのだ。それが一番苦痛であった。

 

うつ病対策?

 現場の人たちは別の価値観の世界で生きている。今にして思うと、海外出張では、現場の人は孤独には弱いようだ。精神的に弱いから、ノイローゼ(うつ病)になるのを防ぐために群れていたようだ。現場のボスは、それを知っていたから、夜は半強制的に一緒に過ごすようにしたようだ。それと比較すると私は精神的にタフであった。鈍感だったかも?

 

一人になる幸せ

 1か月後、機械の据え付けが予定通り終わり、彼らが帰国した。私は現地で一人になってホッとした。彼らは私が一人になることを気の毒がっていたが、全く逆であった。それから夜は、快適なホテルの部屋で、仕事をしたり、読書をしたり、漢文の勉強や、英語、スウェーデン語の勉強をしたりと充実した時間を過ごせた。

 私はスウェーデン滞在中に、テレビも酒も嗜むことはなかった。

 ホテルのテレビも興味ある番組は全くない。スウェーデンのテレビでは暴力場面禁止、セックス場面禁止で、討論会の番組ばかりで極めて真面目でつまらない。スウェーデンのテレビは、日本の扇情的な番組と大違いである。おかげでテレビを見なくても済んだ。

 私は酒に弱く、そんなに酒が好きでないので、酒に溺れることもなかった。またスウェーデンはアル中が多いので、酒の販売規制が厳しい。外人はパスポートがないと酒が買えない。スウェーデン人でも17時からしか酒は買えない。酒屋は17時から長蛇の列である。

 

「群」の語源

 左編は「口」+「尹」。尹は神事をつかさどる族長の意味。のりとの意味を表す口を付し、きみの意味を表す。「羊」はさまよう家畜の意味である。

 音符の「君」はむらがるの意味。むらがるひつじの意味から、群れ(むれ)の意味。

 要は、「群れる」とは、ボスに支配された世界を表す漢字である。

 インテリなら、サルに支配されるのは恥である。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊

 

2021-06-10   久志能幾研究所通信 2056  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月10日 (木)

良く死ぬために、主人公になれ(1/7)

 

主人公

 人間として生まれたのなら、人生の主人公を目指すべきだ。年長者になれば、群れて金魚の糞のように振舞うのは恥である。それは年長者の証ではなく、単に長く生き永らえただけのこと。船が出港しても、嵐に翻弄されて、湾の周りを漂っていただけでは、長く航海したとは言えまい。

 寂しいから群れるのでは、自主性がない。群れていれば、考えなくてもよいから楽なのだ。群れる仲間は同類だから刺激がなく、人間としての成長がない。それでは認知症への道である。餌(宴席、酒、女)に釣られて群れるようでは、人間として卑しい。群れる人間は卑屈である。何のために今まで人生修行をしてきたのだ。人間なら、人生の「主人公」として、毅然として生きていきたい。

 

孤独力

 群れる人間には、孤独力がない。上に立つ人間には、孤独に耐える力が必要である。一国の将は、万人が反対でも、自分を信じて一人先頭に立って行かねばならぬ。

 自分は37兆個の細胞の集合体である人間の将なのだ。群れたいという煩悩を抑制せねばならない。自分は108人の煩悩という部下の指導者なのだ。自分は連綿と続くご先祖様達の現代の代表なのだ。だから一人でいても寂しくない力を付けねばならぬ。

 何時かは一人になる。死ぬ時は、必ず一人である。一緒にあの世に行ってくれる人は、心中相手以外にはいない。

 人生で主人公になるとは、佛になることだ。その師は天であるべきだ。人生の最終目的は成佛である。佛は、人に頼らず、迎合せず、忖度せず、他と比較せず、悟りを目指し、自分の菩薩道を一人歩む。

1

 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊

 

2021-06-10   久志能幾研究所通信 2055 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月 5日 (土)

良く死ぬために、やらないこと(6/6)買い物

 

買わない

 モノが世間に氾濫している。それが洪水のように自宅に押し寄せている。まず、モノを買わないこと。金持ちに家には、モノがなくすっきりしている。それと比較すると我家はごみ屋敷である。反省。 

 そのものを買って、それが自分の一部として人生を助けてくれるか。それを考えて、もう一度考えてからお店に行こう。考え直して引き返しても、正しい判断なら、その交通費などすぐ回収できる。

 

買いだめ

 昔の人はモノが無い時代を過ごしたためか、買いだめをしすぎる。私の母もそうだった。子供がその後始末で苦労をする。モノを処分するにもお金がかかる。買いだめ品はエイリアンのように家の中に侵入し、生活空間を占有して、屋敷と土地を殺してしまう。不動産代が高くつくのだ。

 トヨタ生産方式のカンバン方式で、必要な時に必要なだけ、必要なものを買えばよい。不動産代、在庫コスト、在庫管理コストが削減できる。生活快適度が上がる。どうせあの世には何も持って行けない。

 

安物を買わない

 買う以上は、自分のレベル以上のものを買うべし。安物を買うべからず。モノを買うとは、自分を買うのだ。それで自分の未来が決まる。

 私はいつも買う時は、最高のモノを買ってきた。迷うくらいなら、一番上のクラスを買えば後悔しない。選択に迷う時間にも1分100円のお金がかかっている。一時間迷えば、1万円の浪費である。高いものは長く使える。トータルでお得。

 安いモノにはワケがある。そんな激安価格で出来るはずのないものが売られている。それを買うとは、奴隷制の支援をしている羽目になる。その分、日本の雇用が失われ、日本人の賃金が下がっていく。

 

値切らない

 私は決して「負けろ」とは言わない。競合店に行って価格を調べて交渉することもない。相手の立場を考えて買おう。それで相手が勝手に値引いてくれる。

 私は行く店を決めていて、店員も指定している。

 私が上得意様なので、店員が勝手に最大限の値引をしてくれる。

 値切り交渉とは、両者が決して勝者になれないゲームである。

 

捨てない

 そのモノを買って、一生捨てないで暮らせるか、考えて買おう。

 今は捨てるにもお金がかかる。

 

ポイントを貯めない

 自分のアワーレートは一分100円である。

 ポイント処理の時間にも時間がかかる。それがもったいない。計算すると時間価値でペイしない。またポイントのため不要なものを買ってしまいがち。

 ポイント制とは、客をお店に縛り付ける手段である。それより、無駄な買い物をしないのが最大の利益。

 

行列に並ばない

 行列に並べば、一分100円のコストがかかる。

 まずレジが混む時間帯に買い物に行かないのが大前提。

 

タクシーを使うことを躊躇しない

 一分100円で計算して、採算が合えばタクシーを利用。時間は命。

 

安い航空券を使わない

 一生に数度の海外ツアーだ、その時くらい贅沢をしよう。

 過去に、シシリア島スケッチツアーでエコノミークラスの利用で不愉快な目にあった。

 安ければよいわけではない。

 

安ホテルに泊まらない

 ホテルとは、仕事をする場所。魂のやすらぎの場である。

 安いホテルでは仕事ができない。

 

ローンは組まない

 私はいつもニコニコ現金払い。

 売る相手は金利で稼いでいる。なるべくローンを組ませたいのだ。

 私は土地も家もレクサスも現金払いをした。

 本当はローンにしたかったが、現実は、いつ死ぬか分からない年寄りには、銀行はローンを組ませてくれない。😿 銀行は現金である。

 

骨董品を買わない、美術品を売らない

 もし買ったら、死ぬまで所有して、楽しむべし。

 どんな美術品でも売る時は購入価格の2割ていど。

 そうしないと、デパートも美術商もやっていけない。

 デパートの土地代、人件費、建屋の減価償却費、宣伝費が美術品の値段に入っている。買うならマスターピースと呼ばれる美術品を選定する。だだし最低1億円以上である。飾る屋敷・部屋も1億円以上はかけたい。だから一般人が美術品を投資目的で買ってはいけないことが自明である。1億円以下の美術品は財産とはならない。所詮、ポスター、お土産品扱いである。

 良き美術品が手に入ったのは稀有なご縁である。探す時間と出会う機会がないと手に入らない。ましてや、その時に金がないと手に入らない。全て偶然の産物ある。ご縁である。だからこそ入手したら大事にしたい。

 

生命保険に入らない

 なぜ保険会社はあんな立派な本社ビルを建てられるのか、よく考えよう。

 

車両保険に入らない

 事故率を考えれば、その分を貯金で貯めた方がよい。

 

車の強制保険以外は入らない

中古車は買わない

 

電話勧誘は、聞き流さない。

 「どこで俺の電話番号を調べたのだ!」と怒鳴ってから切る。

 今時、電話勧誘する奴はまともな相手ではない。

 

2021-06-05   久志能幾研究所通信 2050 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

良く死ぬために、やらないこと(5/6)精神管理

利己主義で生きない

 それは畜生の人生。人間なら、利他の精神で生きよう。

 人生は与えたモノが返ってくる。

 

誰でも出来る努力をしない

 誰にも負けない努力があってこそ、成仏できる。

 人の最終目的は、佛になること。

 最近は動物で生まれ、餓鬼になって死んでいく人が多い。

 

悩まない

 世間と比べるから、競争するから、自己否定するから悩む。

 

他と比べない

 自分を認めよう。

 自分のやるべきことの達成度だけを現状と比較しよう。

 

鬱(うつ)になったら無理しない

 鬱とは木が鬱蒼と生い茂った状態を表した漢字である。つまり過剰に葉が茂った状態である。

 鬱とは自分の能力以上に負荷がかかり、両手に花どころか、重い植木鉢を持たされた状態である。体の自己防衛機能で、悲鳴を上げて鬱状態になっただけである。

 真面目に仕事に向かえば、みんな鬱になる。大坂なおみさんだって鬱になった。松下幸之助経営塾で講師を勤められたエーワン精密の梅原勝彦社長も鬱になった。私はそれの事実を日経ビジネス誌で読んで安心した。いい加減な人は鬱にはならないのだ。人生を必死に生きている人が鬱になる。風邪みたいなものだ。だって温室内でノー天気で過ごせば、風邪はひかない。

 治すのは簡単だ。負荷を減らして、健康的に過ごせばよい。休めばよいのだ。競争心を捨て、無理せず、いい加減にやればよい。私はそうやってうつ症状を改善した。なんなら職場を変わればよいだけの話である。それを苦にして命を捨てるなんて、この世に生を授けて頂いたご先祖に申し訳ない。

 

やりっぱなしにしない

 PDCAを回そう。反省をしよう

 

生きていることが当たり前と思わない

 回りの人たちから、自分は生かされているのだ。東日本大震災でなす術もなく津波に押し流された人たちの無念に思いを馳せ、自分の生を最大限に全うしよう。

 

殺生をしない

 まず自分を殺さない。自殺は最大の殺人。

 人生目標達成のため、自分の意思を殺さねばならないなら、その組織がおかしい。そこから出るべきだ。 

 虫でも殺せば、私にはストレスとなる。虫も全体の生態系の中で、お役目がある。虫だって必死に生きている。魂がある。

 だから趣味で魚釣りなど言語道断である。その昔、白人が人間狩りをして興じていた。私には、魚釣りは同類と思う。生態系のなかで小生物があってこそ、人間がこの地球で生息できている。

 漁師や料亭は、定期的に魚の供養をしている。

 

群れない

 群れるとは、自分を殺して集団に埋没する行動だ。群れれば、その集団の牢家主の奴隷となることだ。自分が人生の主なのだ。主体性を持とう。

 

2021-06-05   久志能幾研究所通信 2049 小田泰仙

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2021年6月 3日 (木)

良く死ぬために、やらないこと(4/6)情報管理

 

LINE、フェイスブックをやらない。

 LINEよりも毛筆の手紙を、せめて直筆の手紙を書く。

 フェイスブックより、フェイス・ツウ・フェイスを

 ネットの情報はゴミ。もっと本を読め。

 情報を取集するより、情報を発信せよ。

 

You Tubeを見ない

 短時間で見せるため断片的に扇情的に編集してある。

 大事な情報が抜けている。

 そればかり見ていると洗脳される。

 

雑誌・週刊誌の全てを読まない

 わずか500円の雑誌なのだ、読むべきは数ページしかない。

 自分のアワーレートは一分100円である。

 無駄なページを読むにも一分100円のコストがかかる。

 時間(命)は有限。

 

テレビは無駄

 1時間の番組内容は、10分間の読書量でかたが付く。

 食い物の宣伝で洗脳されてはならない。

 せめてテレビの音を消して、映像だけを見よう。それで7割の情報は得られる。

 

休まない

 仕事の疲れは仕事で取る。脳は新しいことに興味を抱く。

 

情報は分類しない。

 整理すれば、自動的に分類される。

 情報の5S(整理整頓清潔清掃躾)を

 

読みにくい本は読まない

 その著者に分かりやすく書く能力がない。

 そんなレベルの著者の本は読むだけ無駄。

 本は1冊1時間で読む。それで読めない本は、著者の出来が悪い。

 (小説、哲学書は除く)

英会話教室に行かない

 英会話などすぐできる。愛があれば言葉は不要。

 英会話教室は時間の無駄である。

 それより論理的に書く勉強が大事。

 コミュニケーションとは何かを考える。

 

人を説得しない

 人は説得するのは大好きだが、人から説得されるのは死ぬほど嫌い。

 だから説得よりも納得させる手段を考える。

 理が合っていても、信が無ければ説得できない。

 信があれば説得は不要。

 「あんたの言う事はさっぱり分からん。でも貴方が好きだから、命を預けよう」で多くの義士が西郷隆盛に命を捧げた。

 

図書館で本を借りない

 身銭を切って本を買うべし

 

新情報なき人と会わない

 縁ある人が情報を運んでくれる。

 情報を持ってくる人に倍返しのお礼をしよう。

 織田信長は桶狭間の戦いで、今川義元の居場所を知らせた間者に、最大の褒美を与えた。最大の武勲を挙げた者からは不平が出たが、信長は意に介していなかった。

 

イヤホンで音楽を聴かない

 イヤホンはどうしても大音量となる。それが難聴の原因となり、最終的に認知症になる。

 そんな時間があれば、静かに考える時間を作ること。

 

朝日、毎日、東京、中日新聞、岐阜新聞を読まない

 読めば洗脳される

 

 

2021-06-03   久志能幾研究所通信 2047 小田泰仙

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2021年6月 2日 (水)

良く死ぬために、やらないこと(3/6)金儲け

残り時間は少なく、やるべきことは山積み。

無駄を省いて贅沢を

 

定年延長で働かない

 自分の人生を大事にしたい。定年まで働けば世間へのお勤めは果たした。

 後は自分の時間である。人生を謳歌しよう。

 さらに会社で働かなければならないなら、人生設計が間違っていた。

 今からでも遅くない。その再設計をすべき。

 もう残った時間は少ない。

 

資格をとらない 

 一つだけは取る。後は時間の無駄。

 資格では飯は食えない。儲かるのは資格の学校と関連役所だけ。

 

節税はしない

 税金は多く納めよう。税金を多く納めるとは、収入が多いのだ。

 税金が多いことを喜ぼう。子孫に美田を残さず。

 

異業種交流会には出ない

 そこから得るべき縁は殆どない。

 経験的に、私もそこから発生した縁はない。

 

ギャンブルをしない

 胴元が必ず勝つ、儲かる。

 最大のギャンブラーとは宗教団体教祖である。

 賭けるモノは自分の人生(命)である。だからやるなら教祖になれ。

 私はオダ仏教の教祖。信徒は自分だけでよい。

 そもそも「宗教」とは、「自分の家の教え」が語源である。

 親の教えを守ろう。

 

役人と銀行マンは信用しない

 役人は、利権に狂い、銀行マンは雨の日に傘を押し付ける。

 

価格競争に巻き込まれない

 自分の付加価値を上げよう。自分を安売りしない。

 

レッドオーシャンで戦わない

 勝てる世界で勝負をしよう。過当競争は愚である。

 

爪に火を点さない

 それは貧者の思想。灯すなら心に火を付けよう。

 智慧を使って、無駄を省き、贅沢をしよう。

 

2021-06-02   久志能幾研究所通信 2045 小田泰仙

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2021年6月 1日 (火)

レンタカーを洗車し、ワックスをかけよう

運の悪き人 悪しき波動で 翻弄される

 

 自分の体は、ご先祖様からの大事な預かり品なのだ。何時かは返さねばならぬ。自分はその車で人生道を疾走している。その体はレンタカーと同じである。大事に使わねば、人生道で事故を起こす。病気とは自損事故である。揉め事は交通事故である。人生で、ご縁とは国道である。狭い私道でなく、大志を抱いて広い国道を走ろう。

 

 だから運の悪き人たちと3密になるべからず。運の悪い気でウイルスに感染する。霧の中を歩めば、いつの間にか衣が濡れる。それと同じである。相手の行動から、運の良し悪しを見分け、人生道での事故を避けよ。

 

「運」というレンタカーを大事にしよう

 自分が乗るレンタカーを洗車してワックスをかけよう。自分が乗る人生の「運」という車はレンタカーである。そのボデイは自分の体である。家である。それを大事にするかどうかで運が決まる。

 どうせ私なんかという人、志や夢を継続のできない人、自分の夢を載せるレンタカーを頻繁に乗り換える人、車(自分の体)のメンテを大事にしない人、そういう人が、レンタカーを大事にしない。自分の体は、此の世での一時的な借りものである。80年経ったら天に返さねばならぬ。自分の夢を運ぶ体を大事にしないと、幸運にはなれない。 

 

レンタカーをタバコやアルコールで汚さない

 運を大事にしない人である。そんな人とは3密を避けよ。

 レンタカーとは自分の体である。

 

体に悪いことが分かっていたら、それを止めよう

 禁煙できない人とは付き合うべからず。その人は妻殺し、親殺しである。

 

言ったことは守ろう

 私が病気で、「今度見舞いに行く」と言いながら来ない輩がいた。だからその子供の躾も悪い。私はその子息の演奏会の撮影依頼受けて撮影したが、礼の一つない。そんな輩と付き合っていると、地獄に引きずり込まれる。早々に付き合いを疎遠にした。心が汚れた人である。

 

肥満体にならない

 そういう輩は、金がないと言いながら、ベンツを乗り回しドタキャンの金を踏み倒す。そんな根性だから、専務として君臨した会社が潰れて当然である。私はその輩から某行事の幹事として誘われたが、途中で身を引いた。その後、その輩がホテルの宴会をキャンセル忘れで、ドタキャンとなり大騒ぎである。その輩は金が無いといってドタキャンの違約金20万円を1万円に値切り倒した。ベンツを乗り回しているのに、である。担当者が泣いていた。私はその行事から身を引いていたので、悪縁を避けられた。やはり君子危うきに近寄らず、である。

 

 運の悪い輩は、見ればわかる。嗅げばわかる。行動を観察すればわかる。異臭がするのだ。その輩は肥満体であった。論語の講師として活動していたというが、言う事とやることがチグハグであある。自己管理ができないのが明白である。

 

2021-06-01   久志能幾研究所通信 2043 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

良く死ぬために、やらないこと(2/6)生き方

 時間は命。時間を盗られないようにしよう

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価値観の違う人と行動を共にしない

 時間・命に対する価値観が違うと、ストレスとなる。

 命(時間)が無駄になる。

 

去る者を追わず、来るものは拒まず

 去っていく縁は「縁がないという縁」だから諦める。

 諦めるとは、明らかにすること。

 何時かは訪れる己の死を明らかにしよう。

 良く死ぬために、死を明らめ、後悔なき人生を送ろう。

 

奪う人生よりも、与える人生であれ

 人生では集めたモノより、与えたもので評価される。

 あの世には、何も持って行けいない。

 立って半畳、寝て一畳、食べて1合、飲んで一升である。

 多くの人は食べ過ぎ、飲み過ぎで命を落とす。

 金の持ち過ぎで、女に奇襲(紀州)されたドンファンあり。

 

自分ファーストを止める

 利己主義、拝金主義のグローバル経済主義が貧富の差を拡大させて、世界を分断している。新型コロナウイルス騒動は天からの鉄槌だ。日本には利他の精神が息づいている。その精神を絶やしてはならない。

 人生では与えたものが返ってくる(五右衛門風呂の定理)。

 

運命に逆らわない

 神さまが一番いいようにしてくれる。塞翁が馬。

 不運時は川底まで沈め。沈めば、後は浮かび上がるだけ。

 死ぬときは死ぬのが一番良い。

 

課題から逃げない

 それは貴方ならできると、天が与えた試練である。

 なにも天は貴方に総理大臣を務めろとは言わない。

 

天敵と戦わない。逃げろ

 自分がウサギで、相手がライオンなら、戦うのはバカである。

 脱兎のごとく逃げるのが正解。

 逃げるなら、時限爆弾を仕掛けてから逃げよう。

 

 

怒らない

 怒ると、毒素が出て自分の体を傷め疲れる。

 それが正義の怒りなら、静かに復讐の炎を燃やそう。

 復讐の炎は時間をかけて省エネで燃やし、相手が忘れたころに実行する。

 冷静な復讐は効果が高い。相手に因果応報を悟らせるのが、世の為だ。

 復讐は天も代行してくる。その天を援助しよう。

 天網恢恢疎にして漏らさず。

 

言い訳をしない

 その時間の無駄。なぜそうなったかを考える。

 失敗は神様からの啓示である。

 

人を待たせない

 遅刻とは、相手に対して最大の拒否反応

 約束時間の2本前の電車に乗る。

 

願掛けはしない

 願掛けは他力本願。風まかせ。そんなことでいいのか。

 人生の主は己である。それより黙ってやるべきことを続ける。

 それが真の願掛けである。

 

断捨離はしない

 思い出こそ人生である。

 それを捨てるのは、人生を捨てる事。

 断捨離よりも買いまくって世の中の景気を良くしよう。

 今は金を持った年寄りが消費しないから、景気が回復しない。

 

メジャーなことはしない

 自分の付加価値を大事にしよう。

 大衆の流行に流されては、自分を失う。

 

「出来ない」と言わない。

 出来る方法を考えよう。それがボケ防止。

 

同窓会、OB会に行かない

 時間の無駄。会場は病気と孫と妻の悪口ばかり。

 そんな話題では自分の未来が暗くなる。

 50年前の価値観と同じで話が合うならば、自分が劣化した証しである。

 攻めての話題は、凡才(盆栽)の話しにする。

 

初詣にいかない

 時間がもったいない。神様は24時間、365日営業です。

 何も混雑時に行かなくてもよい。

年初から神頼みでは、お先真っ暗。

 

2021-06-01   久志能幾研究所通信 2042 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月26日 (水)

おだ仏教 人生後片付け 7S

 

 天が行う究極の片づけは死である。天網恢恢疎にして漏らさず、で生老病の後の死こそ、最高の後片付けである。生あるものは必ず死を迎える。それが、天が行う片づけである。何時までも徳川家康が生きていては、世間が困るのだ。

 

 トヨタは片付けで5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾)を徹底することで、世界一の自動車メーカになった。トヨタの5Sは綺麗にするのが目的ではない。5Sの目的は生産の仕組みづくりと生産性向上である。それで社員の争いがなくなり、儲かり、幸せになれた。

 

 「おだ仏教の人生後片付け」は、7S(整理、整頓、清潔、清掃、躾、施行、死)である。生あるものは必ず死である。その前に、7Sで無駄を省いて贅沢をして、天命を全うし、世に貢献して、心置きなくこの世を去っていく。贅沢な人生は素敵なのを実感することだ。奪うより、与えた方が幸せなのだ。時間は命である。7Sは時間を輝かせるための修行である。

 

 人は無くて七癖、あるべきは七S。7Sは「キレイにする」ことが目的ではない。最終目的は、人生を豊かにして魂を浄化することである。魂の浄化する仕組み作りの訓練は、時間と智慧を生む訓練である。結果として人生が豊かになる。

 

 ご縁も7Sで片づけたい。それが人生を豊かにする。人生屋敷をごみのような縁でゴミ屋敷にしてはならない。よきご縁こそが、よき人生を作る。それを誤嚥するから、人生を誤演する。

 

整理・整頓しないと時間の無駄が出る。

 整理とは不要なものを捨てる事。何時か使うだろうからと品物を残しても、結果は使わないことが常である。保管にもお金がかかる。捨てるにもお金がかかる。

 モノは分類しなくてもよい。整理をすれば、自ずとゴミが削除され分類される。

 勿体ないからと捨てないのは、在庫が増え、探し時間が増える。在庫するにもお金がかかる。その時間とお金が勿体ない。探すのにも時間(命)が消費される。

 不要なご縁にいつまでも縛られているから、豊になれない。不要な縁は整理すべき。縁切りは、人生で必要な禊ぎである。

 縁を切ったことを後悔するのを止めよう。それはその人と「ご縁が無い」というご縁だったのだ。私は菩提寺の住職からそう言われて、目が覚めた。

 不要なご縁を捨てられないのは、ケチ(計値)なのだ。そのご縁の価値を正しく評価する能力がないのだ。だから悪縁にまとわりつかれて、不幸になる。

 人生のご縁は加減乗除なのだ。不要なご縁なら、何時かは消える。

 

整頓とは、美の感性を鍛える訓練である。

 美意識こそ、経営の基礎である。整頓すれば、不要なものが見えてくる。

 人生の美学を追求しよう。ご縁を整頓しよう。真のご縁が見えてくる。

 

清潔、清掃

 モノにも生老病死がある。時間が経つと「老いて」醜態になり、老いて腐ってくる。所有するものを見直して新陳代謝すべき。

 法律上で、家電製品は壊れても直せない時が来る。製造メーカが7年経ったら保守部品を捨てるので、修理不能になる。だから壊れた家電を持っているだけ、無駄である。

 

 ご縁にも経年変化がある。経年変化で汚れてくる場合もある。全ての縁は移り変わる。無常である。

 そのご縁にカネにまつわる汚さを付けてはならない。金の貸し借りはご縁を汚す。だから金を貸すくらいなら、金をあげて縁を切ったほうが清潔だ。

 皇女の結婚のご縁も、結局は金が問題であった。

 どんなご縁でも、生まれた縁は、何時か死が訪れる。

 

躾とは身のこなしの「美」である。

 美意識から優れた経営が生まれる。無駄な動きを無くせば儲かる。

 ご縁の育ちが悪いと、醜い動きになり、害が身に及ぶ。

 皇女の結婚のご縁も、躾が悪い。

 

施行

 施して手放すから入ってくる。貯めこむばかりでは、腐ってくる。

 施行とは仏さまに、お宝を自分から貰って頂いたのだ。施行できたことを喜ぼう。自分が心身ともに貧しければ、布施はできない。

 自分では使わないお宝を人に布施しよう。それは単に布施ではなく、自分の煩悩を捨てる練習なのだ。モノにも精霊が籠っている。そのものが使われないと、精霊が悲しむ。施行しないと精霊から仕返しされる。

 

 死があるから新しい生が生まれる。死なくして成長はない。自分も昨日の自分が死んで、今朝、新しい自分が生まれた。今日から新しい人生が始まる。

 馬場恵峰先生の死も必然である。師は多くのことを弟子たちに与えて旅立たれた。私は師から多くを学び、それで新しい自分が生まれた。そのご縁に感謝をして合掌である。

 何時までも悪い縁と腐れ縁が続くから幸せになれない。問題があれば、その縁は殺さねばならぬ。悪縁が死ぬから、新しいご縁が始まる。

 

2021-05-26   久志能幾研究所通信 2035 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月24日 (月)

釈迦如来像の人相学的な考察

                                  

 自分が面談する相手の顔に、全てが書いてある。自分の人生時間を失わないために、面談相手の顔を観察せよ、服を熟視せよ、態度を俯瞰せよ。言動を考えよう。付き合うその人が、自分の人生を左右する。だからこそ、真剣に相手の人相を観察しよう。人相学は、統計学の学問である。怪しい占いではない。だから私は意識して、相手の人相を観察して、人間学を研究している。

 

 半世紀も人間稼業をやってきたなら、体験学習的に人相学が体にしみ込んでいるはずだ。本能的に、その人物像が分かるはずだ。強欲な人間は、強欲な顔をしている。だらしない人間は、だらしない顔をしている。人間関係で失敗するのは、その本能が教えてくれている情報を活用していないからだ。

 半世紀も人間稼業をやってきたなら、己の行動と考えが、己の顔を作ってきたはずだ。リンカーンは「40過ぎたら、己の顔に責任を持て」と言った。

 如来とは、かくの如く来たりしもの、という意味である。仏さまとして、あるべき姿とお顔が如来様である。自分も人格者を目指すなら、人格者としてかくの如く来たりし顔を造るべし。

 

釈迦如来座像

 松本明慶先生作の釈迦如来座像のお顔は端正である。お釈迦様のお顔であるので端正は当たり前である。松本明慶先生作の釈迦如来座像は慈悲に満ちた眼差しで、思わず手を合わせたくなる。

Photo

 松本明慶先生作 釈迦如来座像  総高さ40cm 『佛心』松本明慶工房刊

 写真掲載は松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています。

 

某教団の釈迦如来像

 2013年頃、私がG経営研究会で知り合った社長に勧誘され、入団しそうになった某新興宗教団体がある。その教団の釈迦如来像を人相学的に観察すると興味深い。その唇はぶ厚い形状である。唇は生命力を表す。厚い唇は生命力に溢れ、物欲性欲も強いとされるので、その仏様のお顔は上品ではない。また上唇の厚みが下唇よりも薄く、全体のバランスが悪い。これは我が強いことを表している。私の昔の上司がこの唇のタイプであった(私は苦労をさせられた。言い出したらきかない性格であった)。上に反った唇のカーブも不気味である。

 

 目は少しつり上がっている。その目は、何か信用を置けない雰囲気を与える。垂れ目のタレレントの萩本欣一さんは憎めない親しみを感じる顔相であり、欣ちゃんの垂れ目がそれを表している。この仏像の目とその表情からは、ありがたい眼施をされているとは思えない。

 

 鼻柱はは太い。その鼻柱は強欲さを感じさせる。二重顎(三重顎?)は肥満ぎみの証である。食欲を自制できていないのか。ほうれい(鼻と口の間)が短いので、あまり良い人相とは言えない。ほうれいの長い人は長命といわれ福相である。頬のふくらみもなにか異様である。私は冷たい印象を受けた。耳の形と大きさも意味があるのだが、なにか異様である。

 

 全体的なお顔の印象が、東大寺の大仏や明慶大仏師作の仏像に比べると不気味である。ありがたみがほとんど感じられないのは私だけであろうか。お釈迦様のお顔であるので、端正であるはずである。それが感じられない。

 

 その教団の釈迦如来像は、キンキラキンの金箔仕上げで、分厚いまぶた、分厚い唇等と、日本人の私には違和感を覚える。そのお顔の造りはインド人、中国人系である。浄土では金とか物欲とは無関係の世界であるが、黄金の釈迦如来像ではあまりに俗世間的である。

 危機管理上で、その教団の仏像の写真掲載を控えます。

 

仏像はその国の文化の顕れ

 仏像や宗教はその国の文化なのだ。その国が醸成した思想や文化がそのまま宗教に反映されてその象徴として仏像の姿に現れる。厳しい砂漠の自然が、厳しい掟のあるユダヤ教を生んだ。目には目を歯には歯を、である。そういう戒律で縛らないと生きて行けない自然環境である。温和な自然の中で生まれた仏教とは、環境が異なり、違った雰囲気を伝えている。同じ仏教でもインド、中国の仏教と日本の仏教とは大きな差が出てきている。それが仏像のお顔に表れる。それが文化の差の表れなのだ。

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 日本の宮廷文化 京都・御所 著者撮影

 

2021-05-24   久志能幾研究所通信 2033 小田泰仙

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