おだ仏教 人生後片付け 7S
天が行う究極の片づけは死である。天網恢恢疎にして漏らさず、で生老病の後の死こそ、最高の後片付けである。生あるものは必ず死を迎える。それが、天が行う片づけである。何時までも徳川家康が生きていては、世間が困るのだ。
トヨタは片付けで5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾)を徹底することで、世界一の自動車メーカになった。トヨタの5Sは綺麗にするのが目的ではない。5Sの目的は生産の仕組みづくりと生産性向上である。それで社員の争いがなくなり、儲かり、幸せになれた。
「おだ仏教の人生後片付け」は、7S(整理、整頓、清潔、清掃、躾、施行、死)である。生あるものは必ず死である。その前に、7Sで無駄を省いて贅沢をして、天命を全うし、世に貢献して、心置きなくこの世を去っていく。贅沢な人生は素敵なのを実感することだ。奪うより、与えた方が幸せなのだ。時間は命である。7Sは時間を輝かせるための修行である。
人は無くて七癖、あるべきは七S。7Sは「キレイにする」ことが目的ではない。最終目的は、人生を豊かにして魂を浄化することである。魂の浄化する仕組み作りの訓練は、時間と智慧を生む訓練である。結果として人生が豊かになる。
ご縁も7Sで片づけたい。それが人生を豊かにする。人生屋敷をごみのような縁でゴミ屋敷にしてはならない。よきご縁こそが、よき人生を作る。それを誤嚥するから、人生を誤演する。
整理・整頓しないと時間の無駄が出る。
整理とは不要なものを捨てる事。何時か使うだろうからと品物を残しても、結果は使わないことが常である。保管にもお金がかかる。捨てるにもお金がかかる。
モノは分類しなくてもよい。整理をすれば、自ずとゴミが削除され分類される。
勿体ないからと捨てないのは、在庫が増え、探し時間が増える。在庫するにもお金がかかる。その時間とお金が勿体ない。探すのにも時間(命)が消費される。
不要なご縁にいつまでも縛られているから、豊になれない。不要な縁は整理すべき。縁切りは、人生で必要な禊ぎである。
縁を切ったことを後悔するのを止めよう。それはその人と「ご縁が無い」というご縁だったのだ。私は菩提寺の住職からそう言われて、目が覚めた。
不要なご縁を捨てられないのは、ケチ(計値)なのだ。そのご縁の価値を正しく評価する能力がないのだ。だから悪縁にまとわりつかれて、不幸になる。
人生のご縁は加減乗除なのだ。不要なご縁なら、何時かは消える。
整頓とは、美の感性を鍛える訓練である。
美意識こそ、経営の基礎である。整頓すれば、不要なものが見えてくる。
人生の美学を追求しよう。ご縁を整頓しよう。真のご縁が見えてくる。
清潔、清掃
モノにも生老病死がある。時間が経つと「老いて」醜態になり、老いて腐ってくる。所有するものを見直して新陳代謝すべき。
法律上で、家電製品は壊れても直せない時が来る。製造メーカが7年経ったら保守部品を捨てるので、修理不能になる。だから壊れた家電を持っているだけ、無駄である。
ご縁にも経年変化がある。経年変化で汚れてくる場合もある。全ての縁は移り変わる。無常である。
そのご縁にカネにまつわる汚さを付けてはならない。金の貸し借りはご縁を汚す。だから金を貸すくらいなら、金をあげて縁を切ったほうが清潔だ。
皇女の結婚のご縁も、結局は金が問題であった。
どんなご縁でも、生まれた縁は、何時か死が訪れる。
躾とは身のこなしの「美」である。
美意識から優れた経営が生まれる。無駄な動きを無くせば儲かる。
ご縁の育ちが悪いと、醜い動きになり、害が身に及ぶ。
皇女の結婚のご縁も、躾が悪い。
施行
施して手放すから入ってくる。貯めこむばかりでは、腐ってくる。
施行とは仏さまに、お宝を自分から貰って頂いたのだ。施行できたことを喜ぼう。自分が心身ともに貧しければ、布施はできない。
自分では使わないお宝を人に布施しよう。それは単に布施ではなく、自分の煩悩を捨てる練習なのだ。モノにも精霊が籠っている。そのものが使われないと、精霊が悲しむ。施行しないと精霊から仕返しされる。
死
死があるから新しい生が生まれる。死なくして成長はない。自分も昨日の自分が死んで、今朝、新しい自分が生まれた。今日から新しい人生が始まる。
馬場恵峰先生の死も必然である。師は多くのことを弟子たちに与えて旅立たれた。私は師から多くを学び、それで新しい自分が生まれた。そのご縁に感謝をして合掌である。
何時までも悪い縁と腐れ縁が続くから幸せになれない。問題があれば、その縁は殺さねばならぬ。悪縁が死ぬから、新しいご縁が始まる。
2021-05-26 久志能幾研究所通信 2035 小田泰仙
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