ma_極楽運転道 Feed

2018年8月23日 (木)

タイヤの窒素ガスは佛様の霊気

 20年ほど前より、自車のタイヤに窒素ガスを入れている。レーシングカーのタイヤには窒素ガスが入れられている。それを入れる目的は、安全性向上、時間節約、性能向上である。

 

微差力

 この効果はわずかであるが、そのわずかの積み重ねが、人生の仕事量の蓄積の差となる。人より2倍の力の差は不要である。僅差の積み重ねが、人生を豊かにする。それには頭を使い、良い道具を選べばよい。意思を持って時間を生み出せば、佛様が援助してくれる。佛様だって、援助する相手に時間を創るがなければ、如何ともしがたい。まず佛様が己を援助しやすい体制を作ろう。

 

気とは

 時間を創る「気」になろう。「気」は、旧字では「氣」と書く。「米」は米粒のような小さいものの意味で、音符の「气」は湧き上がる蒸気の意味である。つまり霊気、水蒸気の意味である。その気にならないと、何事も成就しない。窒素ガスにはご先祖の霊気がこもっている。

 

安全性向上・性能向上

 窒素は酸素に比べて天然ゴムを透過しにくいため、空気圧が減りにくい。窒素の天然ゴムのガス透過率は0.3、酸素のそれは0.8で、2倍以上の差がある。このため、低圧のまま走行する危険性を減らし、適正な空気圧を長く保持できる。これにより、バーストを防ぎ、タイヤ内圧を一定にして、走行性能低下を防止する。

 窒素ガスは、酸素よりも酸化を抑えて、タイヤ内部のゴムやライナー、バルブ部の酸化、腐食を防ぐことができる。また、タイヤの消耗を安定化して、偏摩耗を防止できてタイヤを長寿命化する。

 

時間節約

 以上により、月に一度のタイヤ空気圧の測定・管理が不要で、その分の時間節約ができる。私の運転状況で、窒素ガスの点検と補充は法定点検の1年間ぐらいは、不要である。私は、法定点検の時に、タイヤの空気圧の点検・補充をお店に依頼している。

 効果は、5 分×12回×100円=6,000 円/年で、1年一回の2000円の窒素ガス補充費用としても、年間で4,000 円の節約である。一分100円の時間コストとして。

 残り少ない人生時間の40年(?)のうちで、年に1時間も節約できるメリットは何物にも代えがたく大きい。時間は命なのだ。死んでもいいから(?)時間を稼ぎたい。

 

費用 

 一度の窒素ガス充てんで、費用は約2,000円である。それは時間節約の為の投資金額である。

 

 車検を受けるなら、窒素ガスの補充設備があるお店を選択すべきである。以前、お店の選択を間違えて、窒素ガスの補充設備のないトヨペット店に車検を依頼して、痛い目にあった。それ以来、そのお店とは縁を切った。

 

2018-08-23  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月14日 (火)

狭き薄氷の道を走る

人生道を走るとは、左の地獄谷、右の炎の地獄、陰に鬼が潜む魑魅魍魎の狭き道を、白氷を踏むが如く我慢して慎重に走る修行である。

 

堤防上道路の死亡事故

 2018年8月10日、運転者講習センターで自動車免許更新を受けた。その安全運転講話の中で、堤防上道路の走行を避けよとの注意があった。

 岐阜県全体では死亡事故が減っているのに、岐阜三大河川の堤防上の道路での死亡事故が増えている。それは正面衝突事故での死亡事故だ。堤防上の道路のため、左側は堤防下の断崖、右側はセンタラインだけの区切り。対向車線の車も左側は堤防下の断崖で同じ状況である。ハンドル操作を少し間違えれば、センタラインを超えて、対向車線の車と正面衝突か崖下に転落である。それは即死亡事故につながる。だから警察は、堤防上道路のスピード違反取締、白バイの巡回等で、取り締まりを強化している。知人に聞いても、白バイが頻繁に目に付くとか。

 

人生道での暴走

 それは人生道でも同じ。金儲けや欲望に身を任せて暴走すると、地獄が口を開けて待っている。少し誘惑に負けて道を誤ると、地獄に真っ逆さま。中央の白氷の道を滑らず、焦らず、人の矩を守り慎重に進め、である。

 

認知症患者と遭遇

 私が白いカッターシャツ姿で運転者更新センターに行ったため、待合室で待っていた初老の人から事務職員と間違えられて質問を受けた。曰く「私には免許証が二枚あるが、どうしたらよいか?」。

 それをよくよく見たら、5年前に失効して2つの穴が開けられた旧の免許証であった。その人はその認識ができなかった。なおかつ、その人は70歳以上で9時半からの受付である。それが8時に待合室に来て待っていた。どう見ても、認知症の疑いがある。そんな危ない人が運転している時代である。

 認知症患者が、高速道路での逆走、堤防上道路のハンドル操作ミスで、正面衝突してくる時代である。そういう危ない危険性のある道は、避けるのが安全運転での基本である。

 

老いの落胆

 私は講習を聞いて泣けた。70歳以上の免許更新者は、運転免許更新センターに来る前に、自動車学校で3時間の講習・実車講習、認知症試験が必要と法律が改正された。今回、私は優良運転手で、30分間の講習だけで、運転免許が更新できた。しかし私も5年後の免許更新では、いくら無事故無違反でも、自動車学校で講習と認知症試験を受けねばならぬ。

 現在92歳の馬場恵峰先生は、95歳まで運転免許が保証されたとかで、呆れるばかりの元気さである。それにあやかって、私も頑張ろうと思う。励みになる師を持つことは良いことだ。

 

危険性の検証走行

 私もほんの20年ほど前までは、三河から大垣の実家に帰る時、桑名と大垣間を通行するのに、この堤防上の道路を頻繁に走っていた。内緒の話だが、当然スピード超過での走行である。30キロほどの区間であるが、その間、信号機が5基くらいしかなく、見通しもよく、快適に飛ばせるのである。

 免許更新の2日後、2018年8月12日、20年ぶりにその危険性の検証のためこの堤防上道路を走って、その恐ろしさを再確認した。堤防上の道路は狭く、左右に逃げ道がなく、それでも皆さんがそろって飛ばしている。一部の区間は、センタラインもない。大型のトラックとの高速でのすれ違い時はヒヤッとする。

 自分の命を守るためには、危険な道は走らない、これが鉄則である。今は幽霊のような認知症患者が、道路上をさ迷っている。それは人生道上でも同じ。目を見開いて、より安全な道を選択して走るべし。

1

2

 揖斐川堤防上の道路

 

地獄へのお誘い

 その昔の27年前、母が倒れてから、週に2,3度の頻度で母を見舞うため、この堤防上の道路を深夜、高速で走行して大垣市民病院に通った。その途上で、少しハンドルを横に切れば楽に死ねるのにと思ったことが度々ある。地獄はあの世にはない、この世が地獄なのだ。その思いを踏み止まらせてくれるのは、親への感謝であった。自分の命を全うするのが、最大の親孝行である。

Photo

  馬場恵峰書

 

2018-08-14  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月27日 (水)

極楽運転道 1.車の安全対策(8/8)

(13) 最適な車間距離 

 最悪の車間距離とは、相手に迷いの起こさせる中途半端な車間距離である。車間距離をつめるなら最適の距離に。つかず離れずが原則である。。もしくは、思い切り車間距離を空けること。だだしその場合は、お巡りさんにはご注意を。

 中途半端な車間距離は、相手をその気にさせる。それが事故のもと。中途半端な車間距離を空けると、右折時や割り込み時等に、相手にその運転の行動決断とその決断時期を誤らせて事故の原因となる。相手にその気を起こさせない、流れにそった運転が事故を減らす。

 

 最適な車間距離は走行速度の半分。

  一般路で40km/hなら約20m (3秒間で走れる距離) 

  下図は、秒数えでの目安

 

 ①  1000・11    ,  1000・12 ,   1000・13

    せん じゅういち  せん じゅうに  せん じゅうさん

 

 ② 白のセンターラインのピッチ=10m (一般路)

     白のセンターラインの長さは5m、ピッチが10m

 正しい車間距離とは、前方で何事か起きた時、状況をはっきり見ることが出来、余裕を持って、落ちついて、正しい行動を取れる距離です。 (中嶋悟氏*2

 

(14) 等間隔の法則    

 交差点通過では、なるべく前の車の列と同じ車間距離をとって通過すべきである。

 これに反すると、交差点通過で、時々自分の直前を強引に右折する車を誘発させることになる。これは、車間距離の絶対値が適正でも、前の車と一寸長いだけの相対的な差があると、イライラして待っている右折車は、相対的な車間距離を勘違いしてしまいやすい。その結果、強引な割り込みをかける「出来心」を起こさせる。

 犯罪の防止でも、相手にスキ、出来心を起こさせないガードが必要とされる。事故防止でも同じである。

 

犯罪社会の米国では、駐車中の車内に荷物を置かないのが常識

 置く場合でも、目につく室内ではなく、目につかないトランクルームに入れること。日本はまだ、ここまで気をつかわなくてもいいが、私はこれを実行している。最近の日本も、外人労働者の増加で危なくなってきている。

 

(15) 交差点での右折時の注意 

 交差点の中央で右折を待つ場合は、進行方向に対して真っ直ぐな方向にして待つこと。そうしないで、斜めに止めると、自分の危険を含めて対向車線の車に対して迷惑である。斜めに止めて待てば、後ろから追突された場合、対向車線へ飛びだして2重の事故になる危険が多い。事実、最近社内の人が国道1号線での右折時の待機中に、これに起因する事故にあった。その車は追突され対向車線に飛びだし、運転者が重傷を負った。

 斜めだと、車の投影長が長くなり、対向車線の車の走行にご迷惑となる。それがしいては事故の原因です。このマナー違反はおばちゃん運転手に多い・・?

 

(16) 右大回り、左小回りで 

 交差点で右折する場合は、直進車を避けるために大回りで曲がること。左折する場合は小回りで曲がること。

 もし直進車が突っ込んできても、そうしない場合より衝突までの時間が稼げて、自分の身を守ることになる。なにせその時は運転席側に突っ込まれるので、なるべくその危険性を少なくする手段である。その手段が「右大回り」。

 

2018-06-27

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月26日 (火)

極楽運転道 1.車の安全対策(7/8) 制動

(9)ブレーキを踏まない運転を 

 現状からの変更はとかく、エネルギーがいることは前項で述べたが、同じ理由で、できるだけブレーキを踏まなように予想運転をすれば、事故とタイヤの磨耗を防げる。

 自車の前とその前を走るの車の状態、回りの状況を考えて運転すること。ブレーキを踏むこと自体は、考えて運転していない証拠である。事前に相手の状況、次の信号を予想できれば、エンジンブレーキで車の速度は制御できる。急ブレーキは、起こるべき状況を予想できなかったために発生する。己が考える運転を放棄した結果である。

 以上の述べた手法の集大成の結果として、私が1990年代に乗ったクレスタのタイヤは、通常の2倍の70,000kmの走行実績を記録した。この走行距離でも、まだ、然るべき規定タイヤ溝深さを保持した状態であった。けっしてツルツルの状態まで乗ったわけではない。

 

相手にブレーキを踏ませない運転を

 自分がブレーキを踏まないように、相手にもブレーキを踏ませないような安全・気配り運転が事故を無くしてくれる。ところが、僅かな時間を惜しんで強引な割り込み、我がまま運転で、相手にブレーキを踏ませる運転が横行している。ハンドルを握ると人格が変わる人がいる。ハンドルは、人格を測るリトマス紙なのだ。

 

急ブレーキ、一鳴き500円

 急ブレーキを踏むと、タイヤが摩耗する。その量をタイヤの価格と規定タイヤ溝深さから計算すると、一回の急ブレーキ価格は500円である。タイヤ一鳴きでワンコインが煙となる。無謀運転は、己の命とタイヤの命を削る。

 

追い越し車線

 本来、追い越し車線は急ぐ人や貧乏人のために空けておくべきで、安全運転と生活VAを心掛ける人は走るべきでない。そのかわり、急ぐ時には必死に飛ばして走るべきである。追い越し車線を不真面目に?とろとろと走っていると、気の短い輩に煽られるし、「気違い」に、走行車線からの変則の追い越しをかけられ、逆に事故に巻き込まれる可能性が増す。

 だから私がたまに追い越し車線を走るときは、目的意識を持ち「真面目に」飛ばしています。勿論、周りにお巡りさんがいないことを確認してからです。前の車が遅いと「グズ! そこを退け!」と、ペルソナを付け替えて臨機応変に性格を変えます。(笑)

 

ペルソナ

 ペルソナとはラテン語で仮面のことである。人は己に顔に仮面をつけて、その仮面の役に応じた演技をこの世でする。警察官は警察官の振舞いをして、役人は役人のように演じる。このペルソナから個性の意味である「パーソナリティ personality」という言葉が生まれた。自分はどんな仮面を被ってこの世で演技をしているか、第三者の眼で見なおして欲しい。人によっては仮面が顔にへばりつき、仮面を取れなくなった人もいる。それは悲劇であり、喜劇である。仮面の奴隷になったのだ。そういう人が、お役人には多い。

 

銀行強盗の勧め?

 某大学の教授室で、車の話題に花が咲いていていた。親会社から天下ってきたお偉い御方が曰く、「とことこ走りたい人はそれでよろしいが、世には親の死に目に間に合わせるため、命がけの法規無視で駆け抜けたい人もいる。その人のためにこそ、追い越し車線を空けて欲しい・・・」と。

 それを受けて、私の敬愛する茶目っ気のある先生が、「さすれば金のない人のために、いつでも銀行強盗ができるように、金庫を開けておけと言うか・・・」とスマートに言ったら、気まずい雰囲気になったとか。

 さる御方はユーモアのセンスが無い。一人の人間ができる銀行強盗の額は高が知れている?

 

(10) 3秒後に 

 車の運転ではこの「3秒」がキータイムとなっている。

  ・車間距離は、3秒間で走れる距離を保持

  ・ウインカーを出して、3秒後に車線変更

  ・3秒に一度、バックミラーを見る

 ブレーキを踏んでからウインカーを出し、車線変更を始めてからウインカーを出す運転は非常識。カップラーメンの3分を待てる人が、何故、命に係わる3秒を待てない?

 

(11) 予防ブレーキ 

 安全運転の指導で予防ブレーキの活用を指導している例もあるが、テストドライバー資格検定では、この件は勧めてはいない。なぜなら予防ブレーキは、パニックブレーキ等の場合に、後続の相手に、もう一度正規のブレーキが踏まれると誤解される恐れがあるから。私はこの運転訓練で、この指導を受けて、予防ブレーキの習慣を止めた。

 

(12) 加速して次の走行ラインへ 

 車線変更は、車を加速してから次の走行ラインに変更すること。後続の車に追突されない気配りを。そうしない祟り(?)を被る。事故にあうのは自分である。とかく「現状からの変化」には、多くのエネルギーが必要とされる。それを惜しむと、酷いしっぺ返しを受けるのは、車の運転だけに限らない。

 相手にブレーキを踏ませない運転が、事故の確率を減らしてくれる。直前で割り込しながら、ノタノタする車にイライラさせられることが、多いのは、人生の試練である。相手にブレーキを踏ませる無神経さは、無礼気者。

 

虫けらの行為、人間の智慧

 夏の日、窓ガラスに向かって、必死に何度も突き当たって、外へ出ようとする虫をよく見る。すぐ横に隙間があり、そこから外に出られるにもかかわらず、ひたすら窓ガラスに突撃する性は哀しい。

 それと同じ現象を、車の運転中によく見る。なんでもう少し、余裕を持って運転できないの? あと5秒待てば、後ろ側は車列ががら空きとなり、安全に通過できるのに、だ。強引に突き進むのは、前述の夏の虫に似ている。回りを見れば、安全な道、安全な時は数多くある。

 どうせ、みんな、あの世に行く身、何を焦って飛ばすやら。この余裕こそが安全運転の極意、人生での生きる知恵である。便利なようで便利でない車で、その人生の不便さを感じることが智慧である。その心を頭と体で分かったことが智慧である。人間なんだから、虫けらの行動ではなく、人間として智慧ある行動をとりたい。人間とは、人と人の間で生きていく存在である。

714k8a0237

           馬場恵峰書 2017年

2018-06-26

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月25日 (月)

極楽運転道 1. 車の安全対策(6/8)大垣行政の操舵

(8) 曲がったことは嫌い? 

 世の中の不合理を感じて、改革しようとしても、抵抗勢力で頓挫することが多い。とかく現状からの変更には、大きなエネルギーがいる。同じことが車にも言える。世の中、組織内の業務改革は勧めなければならないが、車においては、現状維持が最大の省エネである。だから「曲がったことの嫌いな?」私は、目的地に行く場合でも、距離の最短で選定した経路でなく、曲がる回数の最少の経路を選んで走っている。「曲がったこと」には、それ相応のエネルギーが必要で、これが事故の確率を増やすことになる。近道でも、曲がりくねっての走行は避けたいもの。曲がる行為は、交差点で発生する。

交通事故死の44%は、交差点で起きた事故である。(1993年) 

 物理の運動法則に F=m・α で表される運動方程式がある。これを車の運転にも適応できる。車線変更等の現状からの変化には、余分にガソリンのエネルギーが必要である。車の方向変化には、事故の要因が入り込む。

  

運動力学的見地から

 タイヤにかかる摩擦円の力学を解析すると、曲がるときには駆動力以外にサイドフォース(約駆動力の30%)がかかり、エネルギー的にロスが生じる。当然曲がるためには、ブレーキを踏まねばならない。ブレーキはエネルギーロスの最たるもの。無駄なエネルギー(お金)を失わないためにも、曲がらずに走ろう!?

 林洋著『自動車事故の科学』で、氏は交通事故を下記で定義している。

〔交通事故件数〕=〔遭遇数〕×〔遭遇が事故になる確率〕 

 この遭遇数とは変化の数である。この式からも「変化ある」運転が事故の確率を増やすことが分かる。

61

確認の基本動作

 人生は「変化はチャンス」だが、車の運転では「変化はピンチ」である。ピンチとチャンスは表裏一体である。「曲がる」、「ブレーキをかける」、「アクセルを踏む」の「現状からの変化」動作には、危険が付いて回る。だからこの3つの変化をする時は、無条件反射で、下記の回りの状況を確認する習性を身につけること。これが事故を防いでくれる。これを守らないと、テストドライバー検定試験では減点される。

 

曲がる時の基本動作

 ・バックミラーを見る

 ・ドアミラーを見る

 ・首を振って横を見る

 

人生の岐路での方針決定では

 ・人生の岐路では、自分の過去を振り返る。 

 ・自分を取り巻く環境を振り返る。 

 ・直近の状況を自分の目で直視する。

 

コンプライアンス値

 コンプライアンス値とは 1÷〔剛性値〕 で表される。この剛性値とは、ばね乗数と呼ばれる数値で、ばね乗数とは1キロの加重を与えたら、ばねがどれだけ撓むかを示すばねの強さである。

 

車の操舵装置の設計

 自動車のパワーステアリング(PS)の設計で、最重要課題は、真っ直ぐに走る能力である。曲がるのは簡単で、真っ直ぐに走るようにする設計が難しい。道路の凹凸や小石にタイヤが取られても、それに影響されずに真っ直ぐにタイヤを保持する能力がPSに求められる。その能力とは、剛性とあそび、それをコンプライアンスという。

 

造船でのコンプライアンス

 船の設計で一番大事なのは、障害や荒波に対して船が傾いても、復元する力である。それもコンプライアンスという。いかに安定して航海するか。何があっても安定して航行できるか、それが船の設計で問われる。

 1625年に建造された世界最大の戦艦WASA号は、処女航海で湾を出るまでに、突風に会い沈没した。頭でっかちの設計の船で、コンプライアンス値が低かったのが原因である。その設計の恥さらしは、2000年代の現在もWASA号博物館内でその恥を晒している。

 2014年4月16日に起きたセウォル号沈没事故の原因も、船の復元力(コンプライアンス値)が、不適切な改造で異様に小さくなっていたことだ。そのため急旋回で傾いても、復元できなかった

 

大垣行政のコンプライアンス値とは

 大垣市行政でも、小川市政17年で不安定さと強引な施政が目につく。市政100周年記念行事に、異常で過剰な資金3億円余をつぎ込み、その芳醇な金の匂いに、役人や業者が蟻のように群がり、愚劣な行事に金をバラ撒き、お祭り騒ぎに熱を上げている。それが血税の無駄遣いであることに意識が無い。これは、行政人のコンプライアンス値が不足しているからだ。行政として正しいことは何か、市民サービスとは何かを、大垣市長以下の役人は忘れている。

 2018年1月に露見した彦根市役所の耐震工事汚職では、彦根副市長と岐建の人としてのコンプライアンス値不足が原因である。「大垣・水まんじゅうギネス挑戦」行事も大垣市政としてのコンプライアンス値不足が原因である。今でさえ、その認識がないのが情けない。何が行政サービスとして正しい金の使い方なのか。市政100周年という行政の曲がり角で、大垣市長は、大垣行政のかじ取りを間違えている。こんな頭でっかちの船長で、大垣の未来への道に進めるのか。

 

人生道の操舵

 人生道でも、誘惑や落とし穴等の雑音に曲げられずに、真っ直ぐに人生道を走行するのが、難しい。色仕掛けや、金の誘惑に心が揺れるのを抑えて真っ直ぐに走るのだ。

 人生という乗り物のコンプライアンス値とは、悪の誘惑に対してどれだけ耐えられるかの強さの値である。

 自分の役職に対して贈賄側が餌をぶら下げてきた場合、自分がいくらで堕ちるのか。100万円の賄賂で堕ちれば、自分の心のコンプライアンス値は100万円である。心のコンプライアンス値を高めないと、人生航海で沈没する。

 人生でも、誘惑に負けて、人生が曲げるのは簡単である。世には多くの誘惑が満ち溢れている。コンプライアンス(遵法精神)は、自分の人生で定めた「法」(戒め)を遵守する行いである。その行動如何で、命を輝かせもし、堕落もさせる。頭脳明晰でも、遵法精神に欠ける人もいる。堕落してしまっては、奇跡で生まれ、親が手塩をかけて育てた命を地獄に堕すことになる。

624k8a02451

  馬場恵峰書 2012年 

 

2018-06-25

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年6月20日 (水)

極楽運転道 1.車の安全対策(5/8) 平常心

師への諫言

 2013年2月14日、馬場先生宅に知己塾出席のため訪問した。当日、市内に食事に誘われた時の恵峰先生の運転が、先生の人格らしからざるレベルであった。要するに、運転が荒っぽく、仏様のような馬場先生がハンドルを握ると人が変わったのだ。車は人を虜にする魔物である。そこに車の素晴らしさと恐ろしさがある。見るに見かねて、後日、運転の改善をお願いする手紙に、自著の運転ノウハウ資料『交通安全の科学』を添付して、おそるおそる差し上げた。なにせ私の師である。事故があれば日本の宝の損失である。手紙で諫言を書くのに一大決心が必要であった。

 

礼状

 その後、三根子先生から絵葉書の礼状が届き、「心暖まる運転のご忠告ありがたくお受け致します。私も実はハラハラドキドキで乗せていただく時もあり、言うとオコルので、言えません。でも小田先生からお便りをいただき助かりました。心から感謝です」である。馬場先生は神業の筆力を持ってみえるが、やはりシャイな暖かい人間であった。安心した。

 

私の悩み

 2018年の今にして思う悩みは、馬場恵峰先生がそれだけ荒い運転をしていても、今まで事故もなく、お巡りさんにも捕まっていないこと。恵峰師は、運動神経が特別に優れているか、神仏のご加護があると、思うしかない。それは戦国武将の馬場春信公を彷彿とさせる。その馬場春信公の末裔である馬場恵峰師は凡人の尺度では測れなと悟った。凡人の私がとやかく言うことではないのかもしれない。しかし我々凡人は、交通安全に関しては基本に忠実であるしかない。

 

馬場信春公伝説

 井伊家の赤備えは、もともと武田信玄軍団の赤の装備に由来する。徳川家康が、徳川四天王と称された井伊直政の武功を称えて、赤備えを許したという。

 馬場恵峰先生の先祖は、武田家の武田四天王といわれた馬場信春公である。武田三代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったという。このため「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と評されている。

 長篠の戦いの中、織田・徳川連合軍との決戦で、武田軍は敵の鉄砲隊の防御陣を突破できずに、数で劣る武田軍の攻勢は長続きしなかった。次第に崩れだした武田軍は、有能な人材を次々と失い、戦線は崩壊した。大敗を喫した武田勝頼が退却するのを見届けると、殿軍を務めていた馬場信春は、反転して追撃の織田軍と壮絶な戦いをして戦死した。『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評される最期だった。享年61。人生50年といわれた時代の61歳で、現役の将として桁外れの奮闘には驚嘆する。

 大阪夏の陣(慶長20年・1615年)に参戦した子孫が戦いに破れて、九州の山奥に落ち延び、焼き物の窯元として身を隠したという。

51img_3695

52img_3696

 馬場家の窯元跡  長崎県波佐見町

 

馬場恵峰師近況

 馬場恵峰師は、鬼美濃と呼ばれた馬場信春公の先祖がえりで、剣を筆に持ち替えただけ理解すると、先生の天分の由来が理解できる。その腕で車の運転をするから、事故も違反の検挙も無いのかも。でも同乗させてもらうと、こわ~いですよ。(笑)

 2018年現在、馬場恵峰先生は92歳で、95歳までの運転免許証を交付されている。つい最近、(私が一寸目を離すと?)中国の黄山に登山に行かれ黄山を走り回り、この6月19日に帰国されたばかり。黄山は、中国・安徽省にある景勝地で、伝説の仙境(仙人が住む世界)を彷彿とさせる独特の景観から、古代から「黄山を見ずして、山を見たというなかれ」と言われいる。さすが疲れたと言われるが、どげんかして、そげん元気ばってん?

 

「平常心」の揮毫

 恵峰師へ諫言の手紙を書いた1ヵ月後の2013年3月27日、「岐阜駅じゅうろくプラザ」で恵峰先生の講演会があり、「平常心」の掛け軸を皆さんの前で揮毫された。先生の手にかかると数分間でうん万円の書が完成する。その背景には50年間の修行がある。でも我々凡人は50年かかっても到達できない。

 翌日、馬場恵峰先生は「奥の細道むすびの地記念館」の見学のため大垣を訪問され、私が案内させて頂いた。その昼食会場で、前日の「平常心」の掛け軸を贈っていただいた。さすが人生の達人の先生は、お礼の表現もさりげなく、超一流の芸を駆使される。感謝です。

53p1050809

人生道の走行

 車の運転では平常心が必要である。自分という乗り物で、人生道を平常心で走り、道なき道の走った跡を「道」にするのが理想の人生である。平気で死ねる、平気で生きられる心境に達することが人生修行である。横を走る車と比較し、競争する必要はない。人と比べることは自分を失うこと。

544k8a02471

2018-06-20

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年6月18日 (月)

極楽運転道 1.車の安全対策(4/8)

(7) 悟りの運転 

 時間が多少かかっても、事故を起こさずに走るのが最大の節約となる。日本では、追い越し等の無理な運転が、事故の大きな要因を占めている。アオリ運転の被害も、追い越し車線を走って、異常者を刺激することで受ける場合が多いもの。

 だから私は2車線の場合でも、原則として走行車線しか走らない。多少、前の車が遅くても追越しはしない主義である。基本的には流れにそって走り、必要なら積極的に追い越させる。だから私は追い抜かれても、「どうぞ~! 勝手にさらせ~! 早くお巡りさんに捕まれ~!」と呪いをかけながら、平静心(?)で済ませているほどの解脱(?)の心境に達している。

 私もその昔は、飛ばし屋でした。お巡りさんに捕まり、反則金に眼を剥き、何度も痛い目にあい、加齢を重ね、やっと悟りの境地になった。追越しは、安全上、ガソリン浪費上、精神衛生上で良くない。日本の道路事情では追い越しても、その労力に見合う経済効果が得られない。昔の車の少ない時代なら、車は速く移動できる足として利用価値が高かった。しかし、車が氾濫する今の時代は、車で移動にはかえって時間がかかる。急ぐなら電車なのだ。だから車の運転では悟り、平常心が必要です。

1p10508471

環境は変えられない

 己に与えられた環境を変える事は出来ない。その環境・状況の中で、自分に出来る最大限の仕事をすること。それで昔の車での通勤時間には、私は英語教材の録音、講演会の録音を聞いていた。最近は、車の運転に集中するため、車のオーディオは使わずに走っている。運転環境を変えようと、危ない近道の選択や、スピードをオーバーの運転には、天罰が下る。

 

暴走しても一生、ゆとり走行でも一生

 人生95年で、何を焦って飛ばすのか。どうせ、行き先は全員、あの世である。焦って飛ばせば、地獄行き。わずかの距離を焦って追い越しをかけて走っても、ゆっくり走っても、目的地に着く時間の差はわずかである。それよりも周りの景色を見ながら、楽しみながら、自分の運転ぶりで、悟り具合を見定めながら走った方がよい。運転中にわが身に起こる事象への反応は、自分の人生観そのものなのだ。そういう運転道が、良き人生道に導いてくれる。

/

長い坂

 「---なにごともにも人にぬきんでようとすることはいい、けれどもな阿部、人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点にあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や和泉や、いろんな風物を見ることができるし、それよりも一歩、一歩を慥かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ、わかるかな」

『長い坂』の主人公の師の言葉  山本周五郎著『長い坂*』p21 

2img_48594

   馬場恵峰書 「悟って一日」に惚れて入手

 

2018-06-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月15日 (金)

極楽運転道 1.車の安全対策(3/8)

(4) 夜間の運転自粛 

 夜間の運転は、昼間より3倍も死亡事故率が高い。この原因は視界の低下、運転者の無頓着化、夜の運転形態の多様化である。だから、用もない夜間の出歩きは、交通戦争下の自殺行為でもある。車を使った夜遊びの危険性は、下記データからも証明される。

 「白バイ隊員でも、夜の出勤は嫌がる。危険回避が巧い彼らでも、夜は恐ろしいと言うんです」警察関係者)*5

 「夜間に事故が多いのは、見えないからだ。運転での必要な情報の90%は“見ること”によって得ている。」日本自動車研究所の馬場孝理事)*5

 そもそも昼間と夜間の運転では、その運転形態に差がある。昼間は多目的な運転だが、夜間は速く目的地に行きたいとか、速く走りたいとかの危険な運転をする車の割合が急増する。そのため自分の身を守るには、相手の車への意図を掴むのが必要とされる。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからず。(孫子の兵法)

 良い子は夜に出歩かない。 

 

           表8.4   時間による事故比率*1 

            昼間      夜間    比較倍率

   死亡事故率    1.02    3.18    3倍

   人身事故率   102.7   111.5  1.1倍

 

 夜間は一寸先が闇である。いつでもブレーキを踏む心の準備をして走ることが、身を守ってくれる。ブレーキを踏む心の準備をしていると、ペダルを踏むまでの所要時間は0.5 秒である。そうでないと、先方の障害物を発見してペダルに足を乗せるまでに最低1.5 秒が必要となる*5。時速50キロで走行の場合は、停止までに60メートルも「暴走」する。しかし、ヘッドライトの光では、60メートル先は実際的に闇である。だからこの1秒の差は、17メートルの心の余裕を付けてくれる。だからこそ、明るいうちの定時退社が勧められる? それには、定時内に人の2倍の仕事をこなす能力をつけることが要求されます...出来れば...

 

私の起こした人身事故

 私が40年間に起こした事故の4回中、3回までが夜である。うち2回は側面からぶつけられた。その他2回の内の一回が人身事故で、夜に起こした。日没直後の夕刻11月28日17:40では夜と同じ暗さである。

 2013年に人身事故で打撲傷を与えた相手は、黒い服で黒い背景に溶け込んで、当方はヘッドライトがハイビームであったが、私はぶつかるまで気が付かなかった。この場所は、駐車場の右側に車が常時駐車していて見通しが悪いので、いつも曲がる方向に気を取られ、前方の歩行者の発見が遅れた。相手は、自分がヘッドライト照らされているので、車が止まると思って、安心して歩いてきて、かつイヤフォンで音楽を聴きながら、下を見て歩きてきた。幸い、曲がる時で徐行中のため軽い打撲傷だけで済んだ。救急車を呼んで救急病院に運んだが、大事に至らなかった。誠意をもって事後処理したので、示談になり人身事故扱いにならなかったのが幸いであった。それ以来、私は徹底して夜間の運転を避けるようにした。

1

 上図は、黒い服の歩行者が暗闇に溶け込んで人影を認識できない。事故2秒前。

 背景が茶色の塀と濃緑色の樹木。

2

 上図は、人にぶつかる直前の映像。ヘッドライトに人影が浮かび上がっている。

角の右側に車が常時駐車していて見通しが悪いので、曲がる方向に気を取られ、前方の歩行者の発見が遅れた。

 下図は同じ位置からの昼間の視界で、見え方が一変する。

 角にいつも車が止められていて視界が悪い。

Photo_2

(5) 正しい運転姿勢 

 車の運転は仕事の一部として認識する。正しい運転姿勢・真剣な心構えが、事故防止となる。だらけた姿勢で片手ハンドル操作などしないこと。態度が緩むと心に隙ができ、事故の遠因となる。どんな芸事でも、最初に入るのは形からである。車の運転ではそれが、運転姿勢である。運転姿勢と車内の整理整頓状況を見れば、危ない運転者か、そうでないかは一目瞭然である。

 

(6) ハンドルの握り方 

 ハンドルは握りしめないこと。握りしめると、とっさの場合の動作が遅くなる。安全運転には機微な動作が必要とされる。常に9時15分か、10時10分の位置で、ハンドルを押しつける感じで両手を当てること。

 片手ハンドル、逆手ハンドルなどは論外である。片手ハンドル操作は、事故の衝撃等で体が傾いた時にハンドルが取られて、車があらぬ方向に向いてしまう危険があるため不可である。そのため両手でのささえるのが必要。 

 人生で、緊急事態の遭遇したとき、あるべきものを握り締めて放さないと、適切な行動が取れない。くだらないしがらみに囚われて、多大な損失を蒙ることもある。人生の曲がり角で、前の履歴を握り締めて、スムースな方向転換に失敗した人は多い。人生の曲がり角を曲がり、新しい世界に方向展開する場合は、前の世界は捨てなければならない。それをきつく握り締めているから禍となる。ものに執着して手に入れても手放すことをしない人生とは、ごみ溜めの人生。長く溜まれば腐ってくる。それでは人生を快走できない。

  車は現代人の夢を叶えてくれる魔法の絨毯です。しかし、その手綱を緩めた時、それは凶器に変貌する。

Photo

2018-06-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月13日 (水)

極楽運転道 1.車の安全対策(2/8)

(1) 無用のドライブ禁止 

 無用のドライブはしないこと。出かけるとつい、衝動的な飲食や、買い物が増える。浪費防止上、交通安全上、ダイエット上も良くない。車には、そんな「消費は美徳」という悪魔の囁きを実行させてくれる魔力がある。そんな時間があるなら、家で本でも読むこと。私は、そんな時間があったらエッセイを書いています。

 しかし情けないことに、私は最初の車を買った直後(1979年)にこの状態になり、かなりの散財をしてしまった。つくづくと、車は大人のおもちゃであることを認識した。頭でこれを理解しても、一度手に入れると手放せないのが情けない。

 当時は、パワステなし、パワーウィンドウもなし、1600ccのトヨタカリーナで、走り回っていた頃が懐かしい。まるで麻薬のようで、止めたくても、でもやめられない…….. 。お巡りさんに捕まってもやめられない。

 〔事故発生件数〕=〔走行時の事故率〕×〔走行距離〕 

  どんなに注意しても一定の距離を走ると、上記の式の確率で事故は発生する。その対策として、自分の運転技量を上げ、この事故率の数値を小さくするのと、走行距離を少なくして事故の確率を少なくすることが、交通事故防止の最善の手段である。絶対原則は、運転しなければ交通事故は発生しない。 

 

部下の事故例

 昔の課内の部下で、寮とスーパーマーケット間のわずか 300mの距離を、車で買い物に行っていた不精者がいた。後日その部下は、人身事故をおこした。安易な車への認識がこの事故の遠因だと、私は思う。

 その事故は、老人をはねた事故で、上司がその部下に命じて駅まで送らせたために起こった。ここは実に深い教訓を与えてくれた。人に送らせることは、その分だけ人に不幸の確率を増やすことだ。その行為は上司としての傲慢さのあらわれだ。なにせ部下は拒否することができない。

 

時間を稼ぐという発想を

 交通事故は宝くじと良く似ている。当たれば大きい。数千円の経費節約のため、遠距離出張に、電車よりも業務用車での出張を指示する職制がいるが、これは部下に対する配慮の欠如である。この宝くじ購入金額と同等の数千円で、「安全」と「時間」が買えるのであるから、そうしないのは宝くじの1等当選を期待しているのと同じである。また「時間を稼ぐ」という意識が欠如した思想である。電車で行けば、安全で、車中で書類も読めるし、疲れも少ない。送りだすほうの職制も、交通事故に関して安心していられる(まてよサリン事件に巻き込まれたら.....、新幹線内焼身自殺、新幹線内殺傷事件(2018年6月9日) を最近はヤヤッコシイ。僅かの金をケチッて、事故を起こす確率を高めるのは、貧乏人の根性です。こんな根性では小金持ちにはなれても、大金持ちにはなれません。また運転に疲れた頭・体で、ビジネスに赴いても成果は知れたもの。管理職の立場で見る時、この時間で本の数頁でも目を通してくれたら、部下の教育として節約以上の効果があると思う。なにせこの間には、電話はかかってこない。

 

不見識の管理職

 高浜市から(当時の勤務地)、浜松の某自動車メーカに出張する場合で試算すると、業務用車で行った方が2千円くらい安いが、時間が1~2時間くらい余分にかかる。私はこの試算をして電車で出張することにした。疲れ方の激減と、この間に作成できるワープロ作業や読書が魅力である。

 さらに大阪の某自動車メーカへの出張さえも、経費節減目的のため業務用車で行けと言う仲間の管理職がいるので、呆れて説得する気にもならない。

 

(2) 安全な経路の選択 

 時間的な経路より、安全な経路を選択することが事故を減らす。近道で通る生活道路等の道では、自転車、歩行者の飛び出しが多く事故の原因となる。多少時間がかかっても、大通りを通行するべきだ。生活道路の危険性は、人身事故率を比較すると、一般国道に比べてより2倍も高い。

 〔表1 道路別事故率〕は、1990年度の道路交通センサスから道路種別に走行台キロを推計し、道路種別ごとに1億台キロ当たりの平均事故率を算出した表。

 

        表8.2   道路別事故率*1 

                       一般国道  主要地方道 都道府県道 市町村道

  走行台キロ(億)   1,978     1,055        937      1,749

  死亡事故率        1.82       1.84        1.57       1.65

  人身事故率        82.6     100.7        82.2      170.0     

 (一般国道を100 として) (100)   (122)      (100)      (206)     

 

朝寝坊の事故

 国道等での、車対車の事故に比べて、対人身事故はその被害が人に一方的である。1980年頃に、課内の同僚が出勤時に人身事故を起こした。それは朝寝坊のため、焦っていて、近道した生活道路で自転車をはねた事故であった。その時に警察から、 

「朝のせわしない時には、生活道路などを通るものではない。自転車も焦っている」 

と指導されたのを、今も印象深く覚えている。だから多少時間がかかっても、大きな道を選んだ方が、人生トータルとしての節約になる。またこの事故は、当人のいつもぎりぎりまで寝ている、だらしない生活態度が事故の一因でもあった。「早起きは3文の徳(得?)」は車にも当てはまる。

 

交通事故例

 下記は私が散歩をしていたら遭遇した交通事故。老女の自転車を乗用車がぶつけた。この道は生活道路で、私は絶対に車では走らない道である。大通りに出るのに見通しが悪い。大垣市内は自転車が車に注意をせず、走り回っているので運転する身には恐ろしい。それはどこの街でも同じである。

1dsc01824

2dsc01825

2013年11月12日 大垣市桐ケ崎町にて

 

社内安全会議で、つるし上げ懲罰

 車対車の事故に対して、車対人・車対自転車の人身事故の場合は、いくら人側に責任があっても、運転者への非難は免れないし、申し訳が立たない。さらにその勤める会社が自動車関連企業だと、部下が大きな事故を起こせば、管理職は社内的に極悪非道の悪者にされ、各種の対策会議で吊るし上げを食らうはめとなる。だからそこ生活道路の通行は控えるべきだ。金銭的損失よりも、この吊るし上げで、精神的に受けるダメージが計り知れない。車は直っても心の傷は癒されない。

     君子は危うきに近づかず、急がば回れを旨とする 

 

(3) 高速道路を使え 

 お金があれば、高速道路の利用が、人生のトータルとしてお得。次表のように、高速道路の人身事故率は一般道路のそれより1/8と低い。なにせ、事故の大きな割合を占める横からの車の飛び出し、人・自転車の飛び出しがなく、真っ直ぐ走る分には事故は起こりにくい。事故は変化点、曲がるときに起きる。

          表8.3   高速道路・一般路の事故率差*1 

          高速道路   国道   一般道路比倍率

 死亡事故率    0.8   1.7   2.1倍

  人身事故率    13    105   8.0倍

  物損事故率    90    430   4.7倍

         1990年度の1億台キロ当たりの平均事故率より

 

2018-06-13

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年6月12日 (火)

極楽運転道 1.車の安全対策(1/8)

 自動車において最大の無駄遣いとは、交通事故への出費である。これを抑えられれば最大の節約になる。車の運転を、人生における仕事の一部として認識して、真剣に取り組めば事故も減る。なにせ下手にミスると、人生を棒に振る。

 

間違いを減らす心がけ

「人間は間違いをする葦である。かつ後から考える(後悔する?)葦でもある。」その人間が運転をする場合、その間違いは交通事故に直結する。だから間違いを一つしても、そのミスをリカバーできる余裕ある運転が、事故になる確率を減らしてくれる。

 下記にその具体策を記述する。これを実行しても事故は0にはならないが、確率的に事故になる要因を各々小さくしていけば、理論的には限りなく事故は0に近づく。13年間に一度と計算される交通事故確率を1/10にすれば、130 年間は事故に遭遇しない。万に一度と計算される(13年に一度)起こす事故の確率を、無事故の人の事故確率に相当する 1/5に減らすとすると、26,000円/年の節約となる。

(430,000 円÷ 13 )-(430,000÷ 13 ÷ 5)=26,000円/年 

 年間26,000円を稼ぐ仕事をするつもりで、下記の安全対策に取り組むのが、人生VAである。ただし、このノウハウは、あくまで基本的な安全運転常識がある前提で、シートベルト未装着や飲酒等をする輩には適用できない。カーメーカのテストドライバー運転資格取得で指導される内容や、私の経験、読んだ書籍等から、安全に関する事項を中心に記述する。

 

運転とは考える労働

 事故が自分の年収や人生設計にマイナスという影響を及ぼす以上は、運転は仕事と見なすべきだ。だから、事故というマイナスのVAを出さないために、運転時の頭脳労働が欠かせない。カーメーカのテストドライバー運転資格の技量や運転技術向上には「頭を使った運転」「習うより慣れろ」の2つが必要であるが、普通のドライバーには、頭を使った安全運転で十分で、それが事故を減らしてくれる。

「運転は考えて行うもの。いつも考えながら運転することが安全につながる。」         徳大寺有恒

 

◆ 事故の確率 

 死亡事故を起こす確率は、宝くじの1等が当たる確率よりやや小さい。全国の平均死亡事故率は、1億キロ当たりで約2件である。一回当たりの平均的走行距離を仮に15kmとすると、死亡事故を起こす確率は下記計算で 1,000万回に3件となる。

  2件 ÷( 1億km ÷ 15km ) = 30件/1億回

 宝くじの1等の本数は、1000万本に4本と言われており、その確率は1,000万回に4回。これに対して人身事故、物損事故を起こす確率は、1万回に一度(万が一)と推定される。一日15 kmの距離を往復で2回乗るとすると、13年に1度の確率となる。つまり、確率・統計上で13年に一度の頻度で43万円の出費を強いられる。だからその起こる確率を減らす対策が、この事故を減らし、人生ロスを減らし、車の経費の節約に通じる。データは古いが、保険会社の統計データから、事故の損害額が下記に示される。

 

         表8.1 事故別保険金支払い額 

 事 故 内 容       保険金支払い概算(1990年度)

 死亡事故(   11,000件) 約3,500 億円( 3,180万円/件)

 人身事故(   890,000件) 約8,500 億円(  96万円/件)

 物損事故(約 2,000,000件) 約8,600 億円(  43万円/件)

 

◆ 事故の「定石」を覚えよ 

 どんな勝負事にも「定石」が存在する。人生の生存競争をかけた自動車競争で、事故になるのは、起こるべくして起こった「定石の事故」が多い。その定石パタンを認識するだけでも、事故は減らせるもの。囲碁は勝つため定石を覚えるのだが、交通戦争は、負の遺産を背負い込まないためと、人生の生存競争に負けないため、事故の定石を覚えたい。そうすれば、車両保険に入らなくてよい。それで私は40年で、155万円を節約した。その定石の事故内容は、林洋著『自動車事故の科学』(大河出版 1994年刊)に詳しい。

 

◆ ヒヤリ事例に注意

 基本的には、ヒャッとした事象が、事故になる「定石」である。ヒャッとしたミスが数百回続くと、そのうち、たまたま間が悪い時に、それが事故に「昇華」する。だから、「ヒャッとした経験」を無くす運転が事故を少なくする。それは産業の事故を分析したハインリッヒの法則そのものである。

 昔の職場では、室員全員の持ち回りで、ヒヤリ事例をノートに記して回覧していた。そのノートには、起こった状況、反省(どうすれば防げたか)、対策と安全コールを記して週末のミーティングで紹介しあい、具体的な方策系の安全コールで唱和していた。自動車産業に従事する人間には、自動車事故を起こすのは犯罪なのです。

 

◆ 事故の責任割合 

 交通事故の原因は、一方に100%の責任があることはない。事故のあった双方に責任がある。そう理解しないと、事故は無くせない。止まっている自分の車に相手が突っ込んでくるのも、相手が信号無視するのも、郵便ポストが赤いのも、それで事故になれば、「それを予想しなかった自分が悪い」、「そんな場所を、そんな時間帯に、自分がその場所を走ったのが悪い」、「そんな悪運を背負い込む自分が悪い」と思うべきだ。その上で、事故防止としての自分の行動を考えるべきである。そうすれば確実に、事故に遇う確率と被害額は減る。

 

2018-06-12

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

1/5)