極楽運転道 1.車の安全対策(4/8)
(7) 悟りの運転
時間が多少かかっても、事故を起こさずに走るのが最大の節約となる。日本では、追い越し等の無理な運転が、事故の大きな要因を占めている。アオリ運転の被害も、追い越し車線を走って、異常者を刺激することで受ける場合が多いもの。
だから私は2車線の場合でも、原則として走行車線しか走らない。多少、前の車が遅くても追越しはしない主義である。基本的には流れにそって走り、必要なら積極的に追い越させる。だから私は追い抜かれても、「どうぞ~! 勝手にさらせ~! 早くお巡りさんに捕まれ~!」と呪いをかけながら、平静心(?)で済ませているほどの解脱(?)の心境に達している。
私もその昔は、飛ばし屋でした。お巡りさんに捕まり、反則金に眼を剥き、何度も痛い目にあい、加齢を重ね、やっと悟りの境地になった。追越しは、安全上、ガソリン浪費上、精神衛生上で良くない。日本の道路事情では追い越しても、その労力に見合う経済効果が得られない。昔の車の少ない時代なら、車は速く移動できる足として利用価値が高かった。しかし、車が氾濫する今の時代は、車で移動にはかえって時間がかかる。急ぐなら電車なのだ。だから車の運転では悟り、平常心が必要です。
環境は変えられない
己に与えられた環境を変える事は出来ない。その環境・状況の中で、自分に出来る最大限の仕事をすること。それで昔の車での通勤時間には、私は英語教材の録音、講演会の録音を聞いていた。最近は、車の運転に集中するため、車のオーディオは使わずに走っている。運転環境を変えようと、危ない近道の選択や、スピードをオーバーの運転には、天罰が下る。
暴走しても一生、ゆとり走行でも一生
人生95年で、何を焦って飛ばすのか。どうせ、行き先は全員、あの世である。焦って飛ばせば、地獄行き。わずかの距離を焦って追い越しをかけて走っても、ゆっくり走っても、目的地に着く時間の差はわずかである。それよりも周りの景色を見ながら、楽しみながら、自分の運転ぶりで、悟り具合を見定めながら走った方がよい。運転中にわが身に起こる事象への反応は、自分の人生観そのものなのだ。そういう運転道が、良き人生道に導いてくれる。
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長い坂
「---なにごともにも人にぬきんでようとすることはいい、けれどもな阿部、人の一生はながいものだ、一足跳びに山の頂点にあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や和泉や、いろんな風物を見ることができるし、それよりも一歩、一歩を慥かめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ、わかるかな」
『長い坂』の主人公の師の言葉 山本周五郎著『長い坂*』p21
馬場恵峰書 「悟って一日」に惚れて入手
2018-06-18
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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