« リンゴ🍎を見て我がふり直せ | メイン | 大村智博士講演「私の半生記」(1/6) »

2018年8月14日 (火)

狭き薄氷の道を走る

人生道を走るとは、左の地獄谷、右の炎の地獄、陰に鬼が潜む魑魅魍魎の狭き道を、白氷を踏むが如く我慢して慎重に走る修行である。

 

堤防上道路の死亡事故

 2018年8月10日、運転者講習センターで自動車免許更新を受けた。その安全運転講話の中で、堤防上道路の走行を避けよとの注意があった。

 岐阜県全体では死亡事故が減っているのに、岐阜三大河川の堤防上の道路での死亡事故が増えている。それは正面衝突事故での死亡事故だ。堤防上の道路のため、左側は堤防下の断崖、右側はセンタラインだけの区切り。対向車線の車も左側は堤防下の断崖で同じ状況である。ハンドル操作を少し間違えれば、センタラインを超えて、対向車線の車と正面衝突か崖下に転落である。それは即死亡事故につながる。だから警察は、堤防上道路のスピード違反取締、白バイの巡回等で、取り締まりを強化している。知人に聞いても、白バイが頻繁に目に付くとか。

 

人生道での暴走

 それは人生道でも同じ。金儲けや欲望に身を任せて暴走すると、地獄が口を開けて待っている。少し誘惑に負けて道を誤ると、地獄に真っ逆さま。中央の白氷の道を滑らず、焦らず、人の矩を守り慎重に進め、である。

 

認知症患者と遭遇

 私が白いカッターシャツ姿で運転者更新センターに行ったため、待合室で待っていた初老の人から事務職員と間違えられて質問を受けた。曰く「私には免許証が二枚あるが、どうしたらよいか?」。

 それをよくよく見たら、5年前に失効して2つの穴が開けられた旧の免許証であった。その人はその認識ができなかった。なおかつ、その人は70歳以上で9時半からの受付である。それが8時に待合室に来て待っていた。どう見ても、認知症の疑いがある。そんな危ない人が運転している時代である。

 認知症患者が、高速道路での逆走、堤防上道路のハンドル操作ミスで、正面衝突してくる時代である。そういう危ない危険性のある道は、避けるのが安全運転での基本である。

 

老いの落胆

 私は講習を聞いて泣けた。70歳以上の免許更新者は、運転免許更新センターに来る前に、自動車学校で3時間の講習・実車講習、認知症試験が必要と法律が改正された。今回、私は優良運転手で、30分間の講習だけで、運転免許が更新できた。しかし私も5年後の免許更新では、いくら無事故無違反でも、自動車学校で講習と認知症試験を受けねばならぬ。

 現在92歳の馬場恵峰先生は、95歳まで運転免許が保証されたとかで、呆れるばかりの元気さである。それにあやかって、私も頑張ろうと思う。励みになる師を持つことは良いことだ。

 

危険性の検証走行

 私もほんの20年ほど前までは、三河から大垣の実家に帰る時、桑名と大垣間を通行するのに、この堤防上の道路を頻繁に走っていた。内緒の話だが、当然スピード超過での走行である。30キロほどの区間であるが、その間、信号機が5基くらいしかなく、見通しもよく、快適に飛ばせるのである。

 免許更新の2日後、2018年8月12日、20年ぶりにその危険性の検証のためこの堤防上道路を走って、その恐ろしさを再確認した。堤防上の道路は狭く、左右に逃げ道がなく、それでも皆さんがそろって飛ばしている。一部の区間は、センタラインもない。大型のトラックとの高速でのすれ違い時はヒヤッとする。

 自分の命を守るためには、危険な道は走らない、これが鉄則である。今は幽霊のような認知症患者が、道路上をさ迷っている。それは人生道上でも同じ。目を見開いて、より安全な道を選択して走るべし。

1

2

 揖斐川堤防上の道路

 

地獄へのお誘い

 その昔の27年前、母が倒れてから、週に2,3度の頻度で母を見舞うため、この堤防上の道路を深夜、高速で走行して大垣市民病院に通った。その途上で、少しハンドルを横に切れば楽に死ねるのにと思ったことが度々ある。地獄はあの世にはない、この世が地獄なのだ。その思いを踏み止まらせてくれるのは、親への感謝であった。自分の命を全うするのが、最大の親孝行である。

Photo

  馬場恵峰書

 

2018-08-14  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

コメント

コメントを投稿