b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2018年5月28日 (月)

削り屑に佛が宿る

 松本明慶先生は弟子たちの仕事場に不在していても、帰って来て弟子の削り屑を観れば弟子の仕事の調子が分かるという。佛像彫刻は荒彫り、中仕上げ彫り、仕上げ彫りを経て完成される。削り屑は段々と細かくなっていく。その日の削り屑の大きさは一定である。ところがその削りくずが一定していないと、中仕上げ中や最終仕上げ中に、荒彫りに戻る修正工程が発生していることになる。きちんと手順が踏まれず、手戻りのロスが発生していることだ。能力不足なのか、先を見極める力が不足していたのかは別として、仕事の手順が悪いことを削りくずが示している。

 

仕事の手順

 どんな仕事でも、例えば私の昔の仕事であった機械設計の場面でも、開発設計の作業で、最初はラフ構想をして、基本構想の設計の足場を固めて、回りの干渉関係をチェックして、その次のステップの詳細設計に進む。その足場がきちんとしていないと、また逆戻りの工程をやり直すこととなる。その隠しようもない仕事ぶりの履歴を上司は見ている。そこに己の仕事のレベルが顕われる。それを見抜けないようでは上司失格である。だから全ての仕事が修行である。見るほうの上司も試されている。

 

文書という私の佛様を創り出す

 私は文章にも佛が宿ると考える。その文章で何を読み手に伝えるか。そこに己の魂が宿る。文書に顔があり、目があり、人を招く手がある。人を救う言霊がある。それこそが佛様としての本性である。

 それを構築するにも、概略構想があり、大筋の文書構成を考え、細部の文章を作り上げる。できた文書に校正・推敲を繰り返して、一字一句を磨き上げる。出来上がった文書が集まって、本となる。その本は生まれた我が子の様で愛おしい。

 

自分という佛様を作り上げる工程

 人生でも若い頃の正しい人格構築の基礎工事が出来ていないと、中年、老年になってから人生の大事なところで躓く例が多い。人生の基礎作りである下積みの仕事での修行をスルーしたエリートたちが、晩年を汚す事件が頻発している。人生に無駄な修行はない。

 人生の三大不幸の一つに、「若くして高台に登る(若くして偉い地位に就く)」がある。

 今の世は成果主義として、やり手の若い経営者を抜擢することが流行している。往々にリーダとして不適な人がトップに任じられ、地位ゆえにその成果を出すため傲慢になり、年功者の助言を聞かず暴走しがちである。それを誰も止められず、そこでその人の成長も止まってしまう。功を焦るため法を無視して金儲けに走り、その結果として企業の不祥事が多発している。

 

年功序列

 企業が金儲け最優先で経営すると、技術の伝承がされず、製造業も衰退してしまう。それが今の米国である。成果主義の弊害でモノづくりの力が落ちた米国を日本は他山の石とせねばならぬ。いくら天才のヤリ手でも、年功で汗と涙で勝ち得た年功者の智慧には、長期戦では負ける。年功序列には、功を焦り、法を犯してまで金儲けしようという考えは生まれにくい。

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  2014年10月8日 松本工房にて

 

2018-05-28

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年5月 8日 (火)

松本明慶佛像彫刻美術館 ~ 訪問記

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 本美術館には、昭和から平成にかけて松本明慶大佛師によって謹刻された佛像が168体(20184月現在)も展示されている。松本明慶師が40年の歳月を賭して完成させた大日如来をはじめとして、様々なお姿・表情の木彫刻の佛様が出迎えて頂ける。日本屈指の佛像彫刻美術館である。

 201855日に訪問して、写真を撮らせて頂いた。重い三脚とカメラを担いでの訪問となった。春の連休中で大混雑の京都の中で、ここは別世界の静寂な空間である。

 なお、文中の「大広間」(第一展示室)等の表現は私の勝手な命名で、正式名称ではありません。現在、名称を募集中とか。

 

迎賓の間(玄関)

 松本明慶仏像彫刻美術館の玄関の戸を開けると、蓮の葉に乗った高さ55cmのブロンズ製のかわいい童観音座像が笑顔で出迎えてくれる。その雛型の白檀の一本彫り童観音座像のサイズは12cmである。5倍に拡大しても、その形状に破綻がない。松本明慶師が言われるように緻密に作られているから、どれだけ拡大しても、その形に破綻がない。

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玄関広間(一階ロビー)

 1階の玄関広間では、学芸員の松本華明さんが優しく出迎えてくれる。来訪名簿に記帳をして1階を一回りしてから2階に進もう。

 一階の壁には、松本明慶師が全国にお納めした大佛19体の写真が年代ごとに展示されている。松本明慶師が36歳で初めて挑んだ大佛・不動明王を起点として、現在に至るまでの大佛造佛の軌跡をご紹介している。2015年に高野山金剛峰寺中門に納佛した広目天立像・増長天立像の納佛風景の写真も興味深い。

 1階に置かれたテレビモニタでは、松本明慶師の仏像彫刻のドキュメンタリーが放映されている。お土産コーナで、関連図書や絵葉書、干支の木彫刻、白檀のお線香、Tシャツ等のグッズが売られている。

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大広間(第一展示室)

  2階の大広間には、なじみ深い仏様が並んでいる。沈香・白檀・桧・欅・楠などを材とした、一木づくりの味わい深い佛像である。広々とした空間で落ち着いて仏様を鑑賞できる。

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本丸お前立ちの間(第二展示室)

 「本丸お前立ちの間」には、懐に入れてお守りとして持ち運べる白檀の緻密な「香合佛」が中央に展示されている。寄木作りの佛像製作を説明したパネルも興味深い。奥に風神、雷神の仏様が睨んでおられ、お前立ちのお役目である。

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本丸の間(第三展示室)

 この本丸には、松本明慶大佛師の代表作が展示されている。この重厚なテーブルと椅子に座って周りの佛像を鑑賞しながら小久保館長から佛像の説明を聴こう。静かに思索にふけるには最高の場である。

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身閑の間

 私はここを「身閑の間」と呼んでいる。ここに座ってこの「本丸の間」と向うに見える「奥の院の間」の佛様に囲まれて過ごしていると、寺院で佛様を拝んでいるのとは少し違う心境で、自分を見つめることができる。寺院では、畏れ多くてご本尊の前で恐縮してしまい、自分も構えてしまいがちだが、ここではのどかで安らかな気持ちで、己を飾らずに佛様と接するすることができる。

 己の身が閑(のどか)でなければ、自分が何者か、どこからきて、何を求めて生きているかを考えられまい。家の門の中に、木を置いて世間と距離を置くのが「閑」である。いわばそれは結界である。その反対に鳥居を門の中に置くのが「開」である。心を失うと書いて「忙しい」である。

 神様の世界は八百万の神様がおられると言われるが、思索にふけると佛の世界も同じく八百万の佛様がおられると思わざるを得ない。そう考えさせてもらえる空間である。ここで思索にふけると心が安らぐ。静かな時が過ぎてゆくのが心地よい。

 ここの佛様は寺院のようには御精魂が入れられていない。言い方が悪いが、お寺のご本尊になられる前の修行中の佛様である。何時でも要請があれば、お寺の御本尊として出世(?)して祀られる資格のある佛様ばかりである。それ故、気楽に肩を張らずに手を合わせることができる。その多くの様の中に、己を発見する。

奥の院の間(第四展示室)

 「奥の院の間」は、昨年に完成した新しい展示室である。この建屋の2階の部屋を全て統合して大空間を作り、展示室に改装した。かなり前に完成していたが、松本明慶師が細部にこだわりを持って進めたため、なかなか公開してくれず、やきもきしていた。また施設管理上の問題で、役所との交渉で時間がかかってしまった。私は松本明観さんにも、「途中でもいいから早く公開して」とセッついて、完成前に見せてもらった。やっと今年初頭に正式に公開された。

 ここには、今まで展示したくても大きさと数量の多さのため展示できなかった佛様が展示されている。その多くが大佛の雛形として彫られた佛像である。

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アクセス

 京都御所の蛤御門より徒歩2分の場所である。地下鉄丸太町駅より、京都御所沿いに北に500m歩いて、護王神社の角の交差点を西に曲がって200mの場所にある。(地下鉄丸太町駅より徒歩12分)

住所 〒602-8004 京都府京都市上京区下長者町通室町西入ル西鷹司町16

 

開館日

原則として毎月第1週・第3週の土曜日と日曜日

1日が日曜日の月は、7日・8日・21日・22日に開館

午前10時から午後5時まで開館している。入館無料です。全国の展示会のため、閉館の時もあるので事前に電話で確認ください。

(075-332-7974・松本工房)

正式の情報は、松本明慶仏像彫刻美術館のホームページを参照ください。

http://m-myoukei.com/

 

2018-05-08

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2018年5月 2日 (水)

眼の命を慈しむ(9/9) エピローグ

佛様からのメッセージ

 三好眼科での眼の検査が終わり、診察報告も吉田副院長から受け、待合室で会計を待っていた時、千手千眼観音菩薩像を慣れ親しんだLUMIX TZ30( CCDが1/2.3サイズ)でスナップ撮影した。このカメラは2010年に定年記念イタリア旅行のために購入した。今回の訪問では、正式にCCDフルサイズ機のCANON 5D-Ⅳで撮影を行った。

 正式の撮影も終わり、診察も終わり、そのTZ30で軽い気持ちで2枚を連続して撮影したが、その出来栄えに驚いた。最初の撮影画像は普通の黄色の木目で自然色であったが、同じ位置で連続の撮影で、カメラの調整機能にはなにも触っていないのに、2枚目の写真は青みがかった色調に変わっていた。カメラ内のカラーのホワイトバランスが変ったようだ。僅かの光線の変化の具合で、カメラの自動調整機能が過剰反応をして、ホワイトバランスを変えてしまったようだ。

 この変化を、私は仏様からのメッセージと受け止めた。今までは目が黄色(要注意)であったが、今は青色(安全)になったとの啓示と受け止めた。感謝。安心して、三好眼科を後にした。

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健康の秘訣

 これは内緒の話(?)であるが、三好輝行先生の奥様が、三好先生が松本明慶先生の仏像彫刻を集めることに喜んでおられるとか。それ以前は、三好先生は、夜な夜な飲みに出歩き、体もメタボ気味になり不健康であり、先生の健康を心配していたという。それが松本明慶大仏師の仏像彫刻に出会い、その収集を行うようになってから、生活が健全になり、夜に飲みにいくことも減り、体も健康体になったという。仏様のお陰である。

 

病気を治す

 病気になれば医師が治療をしてくれる。しかし医師は治療をするが、病気を治すのは己である。自分の病気を治そうという「気」がなければ、病気は直せない。病気を真剣に直したいなら、病院を選び、医師を選び、病気を研究して病気の真因を見つけ、薬を選び、生活習慣を変え、食生活を変え、命を見直し、生を感謝して、病気を直そうという「本気」を持たねば、病気は直せない。病気とは、ご先祖が己に課す試練である。どこまで病気を治す取り組みに真剣になれるか、それが試されている。

 死んでもよいから健康管理である。死にたくてもおいそれとは死ねない。しかし生活如何で簡単に病気にはなる。生死は神仏の管理であり、健康は自分の管理責任である。

93dsc005581  馬場恵峰書  この板は東日本大震災で倒壊した神社を再建した時に出た桧の端材で作られている。

手を合わせる先がある幸せ

 私も自宅の松本明慶先生作の佛様に、毎日手を合わせるようになって、昔の不健康な生活とは、少し縁遠くなった。目の前に美しい芸術作品としても価値がある具体的な佛像があると、手を合わせるにしても、拝み甲斐がある。空中に手を合わせるよりも有難いと感じる。手を合わせていると、ご先祖より頂いた命を大事にせねばと思うようになる。松本明慶先生作の佛像とのご縁に巡り逢ったのは佛縁である。見えること、生かされていること、ご先祖に見守られていると意識できる「今」の一日は幸せである。感謝。

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2018-05-02

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2018年5月 1日 (火)

眼の命を慈しむ(8/9) 福山分室

 下図は、三好先生より接遇して頂いた三好先生の自宅応接室である(2012年当時)。三好眼科病院の6階の自宅内にある応接室兼美術館である。後で松本明慶大仏師の図録を見ていたら、「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」蔵という佛像が多くあった。三好先生の名刺をよくよく見たら、「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室 館長」とあり、この応接間の存在に納得した。

 2018年現在、福山市内に正式の「松本明慶仏像彫刻 福山分室美術館」を建てることが決まり、計画が進行中とのこと。

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展示されている仏様の紹介

千手千眼観音菩薩像

 この仏様は2012年に訪問した時はなかったが、2回目の2013年に訪問した時に鎮座されており、そのお顔の美しさに驚嘆した覚えがある。当時、三好先生の自宅応接間に置かれていた千手千眼観音菩薩像は、あまりに出来が良いので、松本明慶師も手放すのが辛いらしく、完成してもなかなか福山に納佛してくれなかったと三好先生がぼやいていた。この千手千眼観音菩薩像は、現在は新しい待合室で患者さん達を慈愛に満ちた眼で見守っている。

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子安観音菩薩

 「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」で見どころの仏様の一人が、子安観音菩薩である。この5人の赤子と観音菩薩像は一木から彫られている。明慶師の技が最高に発揮された仏様である。優しいお顔と眼差しが魅力的である。

 赤子とは、その仏に一番近い存在である。邪心を持たずひたすら母の愛を信じて生きている。今は邪心に満ちた己も、生まれた時は佛に近い存在であった。それが今は汚れた存在になってしまった。それを拭う修行が必要と諭してくれる仏像である。

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ひな人形

 「松本明慶仏像彫刻美術館 福山分室」で、さりげなく飾られたひな人形も隠れた名品である。ひな人形の黒髪は、端渓の硯で磨った墨を和紙で濾し、胡粉仕上げの下地に墨で髪の一本、一本が繊細に描かれている。胡粉地とは胡粉(貝殻の粉)と膠で混ぜ合わせて作る。男びな女びなの後ろには鳥居と三宝に乗った宝が描かれている。その宝とは女性のために働くことである。家を建てる甲斐性である。服に描かれた松は、冬でも枯れない常緑樹で、女性への変わらぬ愛を象徴している。鳥居の下に紐が描かれているが、それは人を束ねる人となれという願いが込められている。

 女びなの後ろには「※」印が描かれているが、それはお米を表し、家の食を守るとの意味である。そこに描かれた升は、家計を取り仕切る意味である。

 さりげなく作られたひな人形にも、松本明慶大仏師の魂が宿る。岩田明彩師の彩色の技が光る。 本体は楠、台座は桧である。

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 応接間に鎮座した不動明王坐像には、腰を抜かし、圧倒された。

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2018-05-01

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2018年4月30日 (月)

眼の命を慈しむ(7/9) 逆縁の菩薩

 今回の件で、三好先生から、「一目で人を見ぬく眼力、縁を見ぬく眼力、選択をする決断力、ご縁の力」の大切さを教えて頂いた。まだまだ自分には人徳の力、人を見抜く力、縁を掴む力の不足を痛感した。仏様のご配慮で、今回その不足を諭され三好先生に助けていただき、失明の危機を脱したようだ。仏様からもっと頑張れよと激励された気持ちである。

 

人の道

 本来なら、2012年の手術は三好先生にお願いすればよかったのだが、既に手術日が2週間後と間近であり、手術をお願いしてある地元の先生の手前もあり、あの時点で予約済み手術のキャンセルは、人の道に反する。三好先生も口にはできない。そうなったのも自分の運命である。そのお陰で網膜はく離という「逆縁の菩薩」との出会いがあって、目の大事さ、当たり前に見えることの有難さ、「今が大切」が、身にしみて理解できた。それが、佛さまからの人生の教えであった。そのお陰で三好先生とのご縁ができた。

 

逆縁でもご縁

 逆縁でもご縁である。そこから何を学ぶかで、今後の生き方が変わる。そのご縁は、仏様からの何のメッセージなのかを考えたい。ご先祖も仏様もあの世から直接には手を出せない。間接的に、病気、事故とか逆境で我々にメッセージを伝えているのだ。それをどう受け止めるかである。逆縁という縁を頂いたから、師の門を叩くのだ。そうでなければ出会えない師縁である。

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眼の命の寿命を思い知る

 白内障の手術を簡単に考えていたのが甘い考えであった。1週間ほど受験勉強に空白ができるが、直前に猛勉強で巻き返せばいいと安易に考えていた。左目の手術は無事に終わったが、手術1ヶ月後に網膜はく離を患い、ほぼ失明の状態が2週間ほど続き、受験勉強ができない時期が、受験直前の3週間にも及んだ。命は有限である。ところが体だけでなく、その部品である各器官にも寿命があることを思い知らされた。それを認識できただけでも、よい勉強となった。

 愚かな人間は、見えて当たり前、聞こえて当たり前の世界がいかに「有難い」状態であるか、失なわないと分からない。勉強できるのも、生きているうち、働けるうち、眼の見えるうち、日の暮れぬうちを痛感した。

 

実績の凄さ

 また、三好先生の手術の見学をさせていただき、人生の開眼ができ。先生の手術例52,000例と普通の眼科医の生涯手術件数2,000例の差を間近に見て、いかに自分の取り組みが甘かったかを痛感した。その道を極めるには、2倍3倍ではダメで、一桁違う精進が必要であると眼が覚めた。当時、国家試験の資格に挑戦中であったが、自分の受験勉強の取り組みの甘さを教えていただいた。

 手術後に手術を終えた患者さんに言われた先生のお言葉「後は神様が直してくれる」は感動です。天の計らいには人智を超えた縁がある。

 

世界歴代2位達成

 三好先生は2014年10月3日に、世界歴代2位の自院内での白内障手術件数50,000例(他院出張手術件数を含めると55,000例)を達成された。三好眼科では1988年4月に開院以来、2018年3月31日現在で、自院で60,738例、出張手術5,748例、合計66,486例 の白内障手術を行った。

 2013年当時40人の病院のスタッフも、2018年現在は60名を超える。

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 世界歴代2位の白内障手術件数50,000達成のお祝い会で(三好先生より提供)

73img_47461 馬場恵峰先生書    2011年入手

 

 今回、眼を患って、馬場恵峰先生の書の中でもこれが一番、心にしみた言葉である。自分の命は勿論のことであるが、どんなモノ、プロジェクト、品物にも命がある。それを忘れてはならない。(2013年記)

 この言葉が三好先生の座右の銘だと、この2018年4月号『BJビジネス情報』誌で初めて知った。(2018年4月記)

 

2018-04-29

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2018年4月29日 (日)

眼の命を慈しむ(6/9) 白内障手術を見学

白内障手術見学のお誘い

 三好先生宅訪問の前日(2013年10月24日)、三好先生から電話があり、「明日、早めにお越しになれば手術の見学をしていただいてもよいですよ」とのお話があった。一瞬、えー! と思ったが、折角のお話なので見学させていただくことにした。私の人生方針として「来るものは拒まず」である。でも手術の見学など気持ちが悪い、恐ろしいとの思いがあり複雑な心境で福山市に向った。

 

手術室へ

 三好眼科に到着すると、お迎えの看護婦さんが待っておられた。看護婦さんに手術着に着替えるため別室に案内されて、着替えて手術室に向った。手術室は2台の手術台が設置されおり、三好先生が手術の真っ最中であった。目礼をしてテレビ画面に映る手術の状況をしばし見学した。しばらくして三好先生から「こちらに来て顕微鏡で見なさい」と言うことで、手術中の先生の真横に座り、モニタの顕微鏡で直接、手術の経過を見させていただいた。2人の方の手術の全過程を見させていただいた。先生はもっと見て欲しかったようだが(ある意図があって)、手術を受けられている方に対して少し気が引けたので、直接見学したのは2人の手術だけで、後は手術室内の3mほどの至近距離の横に座って、モニタで三好先生の手術を真横に見ながら、計10名ほどの方の手術を見学させていただき人生を学ばせていただいた。

 その後、香川大学の女医の先生が同じように手術を見学されていた。この状態を後進に見せるのは後進を育てるためのシステムとして素晴らしい。

 

白内障手術状況

 患者は片目を眼帯に覆われて、看護婦さんに両手を引かれて静々と手術室に入ってきて、手術台に横たわる。その後、術前処置を受けて10分ほど横たわって待機している。もう一つの手術台で前の患者の手術が終ると、三好先生は、待機している患者側に来て次の手術を開始する。手術は10分ほどで終わり、素人が見ると極めて簡単に見え、流れ作業のような感じであった。先生の足元にはペダルを含めて27個の足スイッチが並んでいる。それを駆使しながら微細な目の手術をされる。最初に眼球を覆う膜を切開して、前嚢の膜を壁紙のはがしのように、そぉーとめくる。

 この手術の鍵は足の微妙な使い方にある。先生はその昔、エレクトーンを習われたとか。これが役立っている。レーザーのノズルを水晶体の横から差し込み、レーザーで水晶体を砕きながらその破片をノズルから吸い込む。その微妙な加減を、足のペダル操作で調整する。砕かれた水晶体の破片がそのノズルから吸い込まれていく。水晶体が、宇宙空間に浮く隕石の破片のように、ノズルに吸い込まれていく。まるでSF映画の不思議な映像を見るようであった。「この操作が簡単にみえて難しいのですよ。これが手術の要なのです」と先生の解説である。目の膜が3μmしかなく操作を誤ると破ってしまうとか。

 水晶体を取り除いた後、折りたたんだ眼内レンズを挿入する。レンズのアームは徐々に開いて目の中に納まる。それで手術は完了である。簡単に見えるが、入れるのも、後からの微調整も高度の技術を必要とされる。

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 大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂より

 

 以前、松本明慶先生も三好先生の手術を見学されて、その時、「この手術の鍵は足の操作ですね」とずばりと指摘をされた。さすが職人同士で通じるものがあったとか。それ以降、松本明慶先生に三好先生が信用してもらえるようになったという。

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 手術風景 三好眼科のHPより

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 足元に27ケのスイッチ。大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂より

 三好先生は約90分間で、10名の患者の手術を工場のライン作業のようにこなされた。横で支援している医師と看護婦の連携も素晴らしい。今日は18名の手術をされる予定とか。このペースでは過去52,000件の手術実績も納得である。

 

佛の掛け声

 手術が終ると、三好先生は「手術は大成功ですよ。もう大丈夫」と患者に声をかけていた「後は神様が直してくれます」。この言葉には感銘した。あくまで謙虚な先生である。手術などは見たくても見られないもの。それも世界一の神の手を持った先生の手術である。そのご縁に感謝です。

 

みほとけの見守り

 手術室の壁上部には松本明慶先生作の仏像写真が、先生の手術を見守るように10枚ほど掲示されていた。手術室の奥のガラス越しの部屋に、松本明慶先生作聖観音菩薩像(全高1.65m)(次図)が「手術が安全に行われることを祈願して」安置されて、手術室内を見守っていた。聖観音菩薩は人々の苦悩の叫び(音)を観じると、慈悲の心をもって、直ちに救済に駆けつける御佛である。この佛像は2002年度京都仏像彫刻展で第一位の京都府知事賞に輝いた作品である。

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戒めの言葉

 手術室入口横の壁にはスターウォーズのヨーダの写真があり、ヨーダの発する言葉が医師への戒めの言葉として10枚ほど掲示されていた。

 曰く「医師は謙虚であれ」「自然の真理を悟れ」(言葉はうろ覚えですが、自己を戒める言葉が列挙されていた)。自分の戒めの言葉として使いたい表現が多かった。

 

「手術十戒」(三好眼科手術室に貼ってある)

  (下記はネットで掲載されていた情報。私はうろ覚え。)

  1. 「どのような手術でもベストを尽くす」
  2. 「己の力を過信しない」
  3. 「1stepを三度確認して、次のstepに移る」
  4. 「術前、術中、術後の軽口はこれを厳に慎む」
  5. 「患者が手術室を出るまで、決して気を抜かない」
  6. 「Nurseを叱らない」
  7. 「11時の皮質を一部残すことは恥ではない」
  8. 「決してイライラせず、急ぐことなく落ち着いて手術する」
  9. 「常に一歩退いてよく考えること」
  10. 「神への祈りを忘れない」

これらはどんな仕事にも通用する言葉である。私も仕事で使いたい。

クリーンルーム

  この手術室はクリーンルームと同じ基準で建築されているとのこと。クラス1,000のクリーン度である。私がNEDO(通産省の外部団体の超先端加工システム組合)の関係でエキシマレーザ用の超精密加工機の開発とそのためのクリーンンルーム建築に関与した(1991~1992年)。それでその費用が半端でないことを知っていた。そのクリーンルームは、クリーン度10,000であった。一般的な事務所のクリーン度は1,000,000である。一般的な手術室がクリーン度50,000であるので、いかに三好先生が手術室室に金がかけているかが分かる。人の眼に関する部屋のクリーンルームの建設にはお金がかかるだ。 

クリーン度の定義

 クリーンルームの清浄度は「一定の体積中の基準の大きさ以上の塵埃の数量」で示される。これは1フィート立方中(28.8リットル)に0.5ミクロン以上の微粒子が何個あるかで表す。クラス1,000とは1フィート立方中に0.5ミクロン以上の微粒子が1,000個以下であることを示す。数字が小さい程ゴミの無い空間になる。

 0.5ミクロンとは、光学顕微鏡で見える最低限の大きさである。バクテリアの一番小さいサイズである。一般的に「雲の上」の空気の状態である。要は天国に近い状態(?)である。

後日談

 今回の眼の手術のご縁で、もっと自分の体を勉強しようと思い、大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂(30,000円)を購入した。医学書が高いのは閉口だが、白内障手術の理解にはよい教材であった。自分の体を医師に預けるにしても、その手術に関する基本的知識は持っていたほうが良いと思う。

 後で一冊20,000円の同シリーズの医学書を2冊も追加購入することになり、結局7万円の出費となった。この医学書で貴重な情報が得られたので、惜しい気はしなかった。こういう情報を自分の体験で得ようと思ったら、7万円では得られない。図書には、著者の経験知が詰まっている。それからすると、安いと私は思う。

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 大鹿哲郎教授監修『眼手術学』文光堂

 

2018-04-29

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2018年4月28日 (土)

眼の命を慈しむ(5/9) 白内障手術ビデオ

 2012年、三好眼科に来院して一番驚いたのは、待合室に設置してあるモニタテレビで白内障手術の様子が繰り返し放映されていたことである。なおかつ希望者には、手術の過程を撮影してそれを提供してもらえるとのこと。

 自分が白内障の手術をできることならやりたくないと躊躇していたのは、眼の手術への恐怖心からである。他の手術なら麻酔で知らない間に済んでしまう。ところが、眼の手術は麻酔なしで、意識がある中での手術である。それ故、手術を先延ばししていた。受験勉強と車の運転に支障が出てきたので、手術せざるを得なくなったというのが本音であった。

 放映されていた手術の様子を見て、あまりに簡単に済んでいるので、拍子抜けの感があり、安心して手術を受ける心境になった。患者の身になって考えている、すばらしい配慮である。

 

危機管理

 またこのビデオ撮影は、己の手術技術に自信がないとできない。このビデオは、医療訴訟への対応ともなる。三好先生は、自己の手術のビデオを全て資料室に保管されている。その分量は圧巻であった。素晴らしい危機管理である。

 

診断結果の写真のカラーコピー

 2018年の今回も、最新の診療機械で眼の網膜の断層写真を撮り、診断を受けたが、その写真のカラーコピーが診察後に提供された。他の病院では、診察の写真は請求しないと、渡してもらえない。それもモノクロのコピーである。患者の身になって考えていると感心した。

 

三好先生の手術件数

 三好先生の白内障手術件数は51,533(2013年7月31日現在)例である。先生の御歳は59歳(2013年現在)。普通の眼科医の生涯手術件数が多くて2,000例であることを考えると、その凄さが分かる。先生の手はgod handである。

 2014年10月3日に、世界歴代2位の自院内での白内障手術件数50,000例(他院出張手術件数を含めると55,000例)を達成された。2018年3月31日現在で66,486例の手術件数である。

 

眼科術後検査のご縁

 私は2012年4月、左目の白内障手術後、網膜はく離をわずらい、2週間ほど半失明状態に追い込まれた。その半年後右目の白内障手術を受け、また網膜はく離の前兆が出て、落ち着くまでに1年程を要した。その間、国家試験の受験勉強の巻き返しに没頭せざるを得ない状態になり、三好先生へのお礼のタイミングを逸してしまった。

 三好先生への遅ればせながらのお礼とミシガン大学で学んだテクニカルライティングのお話を目的に先生への訪問のアポイント(2013年10月25日)をとると、先生から「もはや関係ないかも知れませんが、もしも眼科術後検査もご希望でしたら、15:00に2階受付にお越し賜れば、種々検査後、診察させて頂きます。」とのメールが来て、是非お願いします、ということで診察をして頂いた。

 

検査を受けて

 検査を受けて正解であった。そんなつもりで三好先生宅を訪問したのではないが、仏さまのお導きで、危ない状態を助けていただいた。診察の結果、術後の経過が悪く、そのまま放置すると網膜はく離を再発する恐れがある状態であることを告げられた。それを直すのは普通の腕では難しい手術であった。その場で、YAGUレーザーで手術を受けて、その心配を無くしていただいた。先生の申し出た検査を受けなければ、通り過ぎてしまっていたご縁である。

 

逆接待

 その夜、三好先生から一緒に食事でもと、一見さんお断りの高級料亭に連れて行かれ、目の前で今朝、下関に水揚げされたばかりの河豚をさばいての河豚料理をご馳走になった。本当は私が接待しないといけないのに、逆接待である。そのお店では、専務、副社長レベルは入店禁止で社長しか入れない掟とか。

 そのお店のご主人は頑固オヤジのようで、腕に自信があり、「食わしてやる」という雰囲気である。勿論それに見合った味と内容があった。値段も半端ではない。料理を食べて、オヤジさんに「旨い」と言ってはダメとのこと。旨いのは当たり前だからだ。意見を言ってはダメなのだ。三好先生をして、そのオヤジさんから、数回、出入り禁止を申し渡されたという。そのオヤジさんにとって、世界一の手術の腕を持った三好先生も子ども扱いである。それだけ腕に自信があるのは素晴らしい。トランプ大統領なら、即、出入り禁止にされそうである。松本明慶工房の皆さんも、このお店で御馳走になったという。かようにお礼の言いようもない仏さまからの接待でした。

 

2018-04-28

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眼の命を慈しむ(4/9) 三好眼科を見学

 2018年4月21日、長崎の馬場恵峰先生宅で写真撮影をした後の帰路、三好眼科を訪問して、診察と新たに増改築された新屋(2016年完成)を見学させて頂いた。前回は三好先生が直々に案内をされた。今回は、三好先生が学会参加で不在のため、事務長の寺本様に全館を案内していただき、その後、副院長の吉田先生に診てもらった。

41dsc01344  三好眼科外観(2012年) 

42p1100397  三好眼科外観(2018年)手前の駐車場に増築された。

43p1020326  2階の待合室(2012年、今日は患者が少ないほうとか) 

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 1階の新待合室(2018年4月21日)

診察室は7室

 新病棟では以前の6診から7診に増えていた。名古屋市立大学病院の眼科が4診であるので、単科病院として驚嘆の多さである。7診もある各診療室のカーテンの色にもこだわりがある。7診の各室のカーテン色が異なり、その診察室内部の色彩もカーテンの色と合わせてあるという。これは施行した寺本事務長のこだわりとか。組織の全員が三好先生の意向を汲んで、改築に尽力をされたようだ。

45dsc04196  単科病院で6診まであるのは驚き。(2012年) 

 名古屋市立大学病院の眼科でも4診までである。

46p1100393  現在の診察室 7診に増えた(2018年) 

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 各診察室のカーテン色を変え、内部の色もカーテン色に合わせてデザイン。

 

視力検査機

 ここで単純に感心したのは、一般的な5mを離して検眼マークを見る視力検査ではなく、ボックス内を覗いて視力を測る光学式機械が並んでいたことである。寺本事務長の説明では、従来の視力検査方式では、測定位置と検眼マーク板の間の距離5m×8台数分の敷地が無駄となるため、建屋敷地の稼働率向上目的で、この検眼機器を使っているとのこと。大変合理的で感心した。新幹線が止まる駅に近い一等地で、土地の有効活用は重要である。病院経営で、土地や建屋は固定資産税、減価償却等でお金がかかる。それを効率化して浮いた資金を新しい医療設備に投資が出来る。これは2012年当時も設置してあった設備である。

 

オスカー賞像の展示

 三好眼科で米白内障学賞にもオスカー賞があることを初めて知った。それも4つのオスカー像があるのは、世界でも三好先生の病院だけ。言うなれば世界一の先生である。アカデミー賞の副賞であるオスカー像は、米白内障学会がド高いライセンス料を払って使用権を得ている。出すものを出せば、オスカー像は使えるのだ。

 見学の後、病院の会議室で、米白内障学会でプレゼンしたビデオを見させてもらった。お金と時間がかかっているビデオである。三好先生は「米白内障学会に参加すると1週間病院を閉めないといけないので、1回数千万円の減収になるので大変」とぼやかれた。苦節10年でグランプリを取られた。単発では世界一は獲得できない。

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 アメリカ白内障学会、ドイツ白内障学会、欧州白内障学会のオスカー像とトロフィー

 

患者の地域別分布図

 下図は三好眼科の患者の地域別分布図。赤のピンが手術患者、白の針頭が医師の見学者の印。遠く北海道には赤の針頭がある。中部地区が少ないのは、名古屋に杉田眼科があるため。設備では、杉田眼科が日本で一番最新という(2012年当時)。

 今回見学したら地域別の地図に世界地図が追加されていた。その分布を見て、中国からの患者が多いのに呆れた。中国人も日本の名医をよく知っている。赤いピンが患者、白いピンが手術見学の先生のマークである。遠く欧州、北米、豪州、アフリカ、南米までそのピンが立つ。

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相談コーナ

 2階の診察室の横には、パーティションで囲まれたカウンセリング用の4人用の机まで設けられている。それも3カ所も、である。眼科病院で、こういう相談コーナは初めて見た。当時の私なら、眼の手術の疑問点の相談を親身になってさせて欲しいと思っただろう。眼の手術は恐怖心が先にあり、怖いのだ。相談する相手が欲しいのだ。普通の病院は、その場所さえない。

エスカレーターを設置

 今回の増築で、1階の待合室と2階の診察室の間に、市内の病院では初のエスカレーターが新設されている。三好先生は、このエスカレーターは、建築費が高かったとぼやかれていた。普通の目が見える人間では、あまり感じないが、目を悪くすると、階段を降りる時は恐怖心を感じることがある。私も目が悪いので、その配慮はありがたい。

 エスカレーターを病院に設置しても一銭も儲からないが、三好先生が患者の身になって設置したエスカレーターである。患者目線の配慮である。横の1階と2階を結ぶ階段には、足元を照らす照明までつけられている。視力の弱い方のための配慮である。もちろんエレベーターも設置されている。

 

メガネ店まで併設

 同じ建屋内にメガネ店まで併設されている。私も多くのメガネ店を訪れたが、眼科医との関係で、医師の処方箋のままメガネを作ればよいので、あまり上等の設備がないお店が多かった。同じ経営で、メガネ店を作るのは合理的である。

 

トイレのこだわり

 またトイレの美しさもレクサス店や高級ホテル並みのレベルである。患者さんが来院する前に、寺本事務長が女性用トイレも見せて頂けた。トイレを見れば、その経営姿勢が分かる。

 

目の保養

 病院の壁やコーナに多くの美術品が展示され、眼の保養になっている。マリー・ローラサンの絵や京薩摩焼の陶芸品等が展示されている。全て本物である。

 

ウォーターパール

 医療機器ではないが、患者が待ち時間中の癒しのための設備として、「病院では世界で初めての設備」が、水玉噴水設備の「ウォーターパール」である。三好先生のこだわりとか。水に特殊な振動波を与えて球状にした噴水と、専用ライトを当て、眼の残像効果を利用して、球体となった水滴が空中に浮かぶように見える。その水滴の動きは幻想的である。

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2018-04-28

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2018年4月27日 (金)

眼の命を慈しむ(3/9) 千手千眼観音菩薩像

 三好眼科の新しい待合室には、松本明慶大仏師作の千手千眼観音菩薩像(2m)が鎮座され、多くの患者を優しく見守っておられる。

 

314k8a9361_2 松本明慶先生作 千手千眼観音菩薩像 三好眼科にて(2018年4月21日撮影)

千手千眼観音菩薩とは

 千手千眼観音菩薩は、「千手千眼観音」「十一面千手千眼観音」「千手千臂観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つとされることに由来する。

 千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われを述べた仏典には、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた『大悲心陀羅尼』は、現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。

 一般的な千手観音像は十一面四十二臂が多い。四十二臂の意味については、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、「25×40=1,000」である。ここで言う「25の世界」とは、仏教で言う「三界二十五有」のことで、天上界から地獄まで25の世界があるされる(欲界に十四有、色界に七有、無色界に四有があるとされる)。俗に言う「有頂天」とは二十五の有の頂点にある天上界を指す。

 千手観音の尊名は、前述の通り様々な呼び方がある。日本の文化財保護法による国宝、重要文化財の指定名称は「千手観音」に統一されている。(この項、wikipediaより編集)

 

佛は体の営みで人生を教える

 自然の営みが声無き経を唱えるように、佛は己の体の営みで、人生を教えてくれている。上の口から入ったもの(生)は、必ず下の口から出て行く(死)。どんな美味なるものでも、体の中を通って出て行くときは、カスの便として排出される。

 どんな美人も人と生まれて人生を謳歌しても、不美人に生まれて悲嘆に暮れても、死んでしまえば髑髏である。皮一枚の出来不出来が美人、不美人を分けるが、死んでしまえば同じ髑髏である。人生で位人臣を極めてもいつかはその座を去り、この世を去らねばならぬ。それを千手観音菩薩は、髑髏を手に持って教えている。千手観音菩薩の下のほうにある手に持つものは、現実社会での道具を表し、上側にある手に持つものほど、佛に近い世界で使う道具を表している。莫大な財産を集めても死ぬときは裸で旅立つ。

33dsc01355松本明慶先生作千手千眼観音菩薩像(三好輝行先生蔵)20131025日撮影

34dsc01356 どんな美人でも、いくら位人臣を極めても、死んでしまえば髑髏である。

 髑髏を千手に持って、人の人生を教えている。

 

人生パイプライン理論

 人は母親の狭い経道を通ってこの人間界に生まれてきて、人生という長い管の中を通過して死の世界に向う。管から排出されたとき(死)に残るのは骸骨であり灰である。集めた金銀財宝は、単なる所有権であり死ねばチャラである。その人生管を通過する間に出来ることは、集めることではなく、降り注ぐ消化液(師の教え、ご縁)を最大限に活かして、いかに魂のレベルを高めて社会へ還元するかが問われる。良き食べ物が消化吸収されて体の活動エネルギーになり、体作りに作用するのと同じである。

 人生という暗い長いトンネルを抜けると、白い光に満ちた「幸国(天上界)」か、暗い地獄界が現れる。どちらに到達するかは、人生での積善の多寡の差で決まる。人生で何をやってきたかは、魂と体に刻み込まれている。

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  人生パイプライン理論図

 

人の犯す罪

 ご先祖から預かった体を大事にしなかった罪は、内臓が我慢の限界を超え反乱を起こすことで顕在化する。飽食で過ごした人生は、肥満、糖尿病、高血圧の結末である。その罪は目にも及ぶ。失明の原因の多くは糖尿病が原因である。全て自然の摂理である。

 笑いの少ない人生は、法令線が薄いという人相に現れる。人との付き合いを疎かにした結果である。出あった人にニコッと笑えば頬の筋肉が鍛えられ、彫りの深い顔つきになる。痴呆番組を見て笑わされて過ごした人は締まらない顔つきの人相になる。

 心身を鍛えてこなかった咎が、うつ病、精神病、認知症である。誰のせいでもない。すべて己の行動の積年の蓄積の結果である。

 拝金主義に侵された心は、金を集めても集めても満足できず、99%の富を1%の餓鬼が独占する修羅道にさ迷い込む。それは現代の名医でも直せない。バカは死ななきゃ治らないように、拝金主義に侵されると、何も言っても馬耳東風である。安易な金儲けに迷わされて、世界中が経済の病気に罹っている。佛が説く、足るを知る、利他の心の教えを思い出したい。

 

三好先生の天職

 千手千眼観音菩薩は、三好先生の生まれ年からみて守り本尊にあたる。三好先生の守り本尊が、千手千眼観音菩薩であるから、眼科医が天職であるのは間違いなかろう。三好先生は、多くの眼病に悩む人々を救う佛様のような立場である。それを使命とする仕事に就かれているのは、佛様の差配と思われる。

 

御心の具現化

 その佛様の御心を松本明慶大佛師は、千手千眼観音菩薩像で表現した。それを今回、私は三好眼科で、それも真近かで拝めることができて幸せであった。千手千眼観音菩薩像は患者の皆さんを優しい慈愛に満ちた眼で見守っておられる。その眼入れをされたのは岩田明彩師である。これは芸術作品である。

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 松本明慶先生作  千手千眼観音菩薩像  三好輝行先生蔵

 眼入れは岩田明彩師。優しい慈愛に満ちた眼である。

364k8a9359  見る角度によって表情が変わる。 2018年4月21日撮影

 

2018-04-27

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眼の命を慈しむ(2/9) 三好輝行先生

 三好眼科は新幹線福山駅から徒歩5分の場所にある。2012年に初めて診察のため訪問した時、大勢の人が二階の待合室で診察を待っていた。まるで総合病院のような雰囲気であった。それでも当日はいつもより患者が少ないという。一代で現在の5階建ての眼科医院を築かれたのは、「院長の目指すもの」の書かれた熱い志があったからだ。診察のあと、医院の最上階の特別応接間で厚遇をいただいた。ご縁に感謝です。

 後で、小久保館長さんから頂いた資料で三好先生のご経歴をよくよく見て驚いた。福山市に行く時には、診察結果が心配で、そこまで頭が回らなかったのが実情である。

 

三好輝行先生略歴

1980年 鳥取大学医学部卒、岡山大学医学部眼科学教室入局。

1985年 日立造船健康保険組合因島総合病院眼科医長、

1985年 岡山大学医学部学位授与、

1988年 三好眼科開業、

2003年 高知大学医学部臨床教授、

2004年 広島大学臨床教授。

2013年 白内障手術51,533例(2013年7月31日現在)

2018年 白内障手術66,486例(2018年3月31日現在)

 

表彰、受賞歴

・2005年 ASCRS(米国白内障屈折矯正会議)グランプリ受賞

・2005年 DOC(ドイツ国際眼科手術会議)にて白内障・緑内障部門一位受賞

・2005年 ESCRS(欧州白内障・屈折手術会議)でVideo Festival Overall Winner受賞

・2006年 日本眼科医会長賞、広島県眼科医会長賞、

・2006 ASCRS(米国白内障・屈折矯正手術会議)にてRunner-Up受賞

・2006 DOC(ドイツ国際眼科手術会議)にて緑内障・白内障部門1位

・2007年 第25回ASCRSフィルムフェスティバルグランプリ(2度目受賞は史上初)

・2007年 ビデオコンペティション冬 グランプリ(欧州白内障屈折矯正手術学会)

2度目の受賞

・2009年 フィルムフェスティバル グランプリ(アジア太平洋白内障屈折矯正手術会議)

・2011年 ビデオコンペティション冬 グランプリ(欧州白内障屈折矯正手術学会)

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 三好先生は米国の米国白内障屈折矯正手術学会(ASCRS)で、史上初の2度目のグランプリを受賞されている。不文律で2度はないことになっていた。2005年のグランプリ受賞に続いて2007年のグランプリ受賞は学会初の快挙である。また欧州白内障屈折矯正手術会議でも、三好輝行院長と吉田博則副院長がビデオコンペティション」で2007年にグランプリを受賞されている。

 それ故、西日本では一番有名な眼科医である。現在、白内障手術の予約患者が一時は3,000人待ちであった(2013年9月30日現在、527人待ち)。市内のメガネ屋の社長にこの件を話したら、「そんな偉い先生にすぐに直接見てもらうことは奇跡だ」と言われて、改めて不思議なご縁に感謝である。おかげで、三好先生からお墨付きを頂いた地元の先生に手術をしていただくことができた。三好先生に診察していただけた不思議なご縁に感謝している。

 

2018-04-27

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