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b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2018年11月29日 (木)

磨墨知410-1.  時間を観る目を養え

 時間は観ることができる。時間とは命である。命を持った人間の行動を観察すれば、時間の使い方の真贋が分かる。時間の使い方の真贋を見極めるよき目を持っていても、自分の行動がそのようにできるかどうかは別である。しかし、意識して真贋を見る訓練をしていれば、人様よりも良き時間の使い方はできるはず。

 骨董屋の小僧は、ご主人から常に本物の骨董品だけを見せられて、真贋の見分けの修行をするという。時間の使い方の本物を探して修行をしよう。いつかは時間の使い方の名人になれるはず。

 

作品を観る目を養え

 松本明慶大仏師は、師である野崎宗慶老師から「作品を観る目を養え。」と教えられたという。自分の技術よりもほんの少し観る目を進めること、目が少し腕より良いくらいが丁度よいということである。

 自分達は、自分の人生という命(作品)を彫っている仏師である。素材から多くの部分を削り取らないと作品が仕上らない。削り取る過程で痛みも歓びもあり、人生の創作を体験する。削り残しが多い人生とは、未完の人生である。自分の人生レベルより少し進んだ目で、自他を観察して、よりよき時間を駆使して人生を完成させるのが、人間に生まれた責務である。自分の後ろにはご先祖様の期待がある。

 

削りくずの時間

 仏像彫刻の工程では、切りくずは、粗削りから中削り、仕上げ削りと段々と小さくなっていく。松本明慶さんが留守をして帰ってきて、弟子の削りくずを見れば、弟子の仕事の時間を見ることができるという。仕事が正しい行程でないと、仕事が前工程に戻ったりして、その削りくずが一定でないという。だから、それは削りくずを見れば一目瞭然だという。明慶さんは削りくずで時間を見ている。

 

言葉の時間

 ある会社の土壌汚染問題で、その後処理工事の報告会への参加依頼の連絡がきた。その案内書の題名が「リスクコミュニケーションの案内」であった。報告会の会議名を美化して「リスクコミュニケーション」では、その案内受けた方は、訳が分からない。文書内容をジックリ確認して分かったことは、言い換えれば「出席依頼 弊社の土壌汚染対策工事の報告会」という会議案内なのだ。

 そんな小手先の「美しい」会議名にするから、本質からずれた報告会、対策になるのだ。それでは時間が無為に過ぎていく。その会社が作る会議の題名だけを見れば、その会社の時間の流れを見ることができる。

 2018年11月23日、依頼を受けて、その報告会に参加した。その報告会の説明では、結論の表明が曖昧で、ぐだぐだと詳細の説明がされた。それでは、企業の時間、聞くほうの時間の無駄となる。要は、「役所との書類の対応で計画が遅れ、当初の日程が遅れました。しかし、問題なく工事が進んでおります」だけなのだ。

 言葉は言霊といって、命が籠る。時間はシーケンシャルに進んでいく。それを言葉遊びで胡麻化しても、時間は戻ってこない。人生のやるべき時に、やるべきことをやらないと、取り返しがつかない。会社の役員も、依怙贔屓で若くして偉くなっても、やるべき苦労をしていないから、不祥事を起こしやい。そんな事例が日本に絶えない。若くして流さなかった涙は、年老いて後悔の涙となる。

 

2018-11-29 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月17日 (土)

浜松国際ピアノコンクール(7) 中村紘子の睨めっこ

磨墨知49-2 達磨さんと睨めっこ 

 目の前の人は自分の心を写す鏡である。自分が見るものは、自分の心が映し出している。自分は何を見ているのか、何を見たいのか、何を聴きたいのか、自分が思ったままに、目の前の情景として目に映り、自分が聴きたいままに聞こえてきて、人生舞台は、自分の描いたストーリーに沿って、バックグラウンド演奏に合わせて演劇が進行する。

 

達磨さんと睨めっこ

 2013年10月、大仏師松本明慶仏像彫刻展(池袋東武店)の会場で、松本明慶先生が「達磨大師像と睨めっこしなさい」と言うので、数分間の睨めっこをした。怖い顔の達磨さんの目が自分を見つめていた。次に「ちょっと横を見て」と言われ、隣の美しい彩色の吉祥天像に一瞬、目を向けて(浮気をして)、直ぐに達磨大師像の目に戻すと、達磨大師像はもう私を見ていなかった。仏像であるから描かれた目が動くわけはないが、直前まで確かに私を睨んでいた達磨大師像の目は、別の方を見ていた。達磨大師像が私を見ているのではない。自分の心が、観念でそのように映しだしていた。

 

音楽の見えないものを観る

 中村紘子さんは庄司薫さんと結婚して、庄司さんの文壇を通して日本の知識人の評論家林達夫、政治学者丸山眞男らと出会う。当時、中村さんはピアニストとして今後、どう生きていくか悩んでいた時期である。テクニックを磨くならば日本を出るべきだったが、それを思い留まらせたのが、庄司さんを通して得た知識人達との交流だった。それは中村さんにとって衝撃的な世界だった。

 「私は受験勉強もしていないし、ものごとを一番吸収できる十代はピアノだけ。それが先生たちを知り、こんな世界があるのかと」。彼らは日本にいながら世界をしっかり見ていた。いや、日本に根を下ろし、自分の支えとしていたからこそ、世界を語り得た。ピアノも同じだった。「大事なことは自分自身を見極め、精神を育てていくこと。何を表現したいのか、はっきりとした意志を持つこと」。

 以来、日本を拠点に世界で活躍するようになった中村さんである。その成果が浜松国際ピアノコンクールで音楽を通しての世界への発信である。「結婚で精神が安定し、よりピアノに集中できるようになった」とも言う。中村紘子さんは今まで見ていても、見えていない世界を見ることができるようになった。だから音楽に深みがでたのだ。中村紘子さんは、音楽の達摩大師と睨めっこをして悟ったのだ。

 コメントは「読売新聞2000年6月10日 村田記「人に本あり」」を参考にした。 

 

己の観念が映し出す人生

 目の前の仕事、目の前の人(恋人、顧客、上司、演奏家、舞台の役者)は達磨大師像の目と同じである。自分がどれだけ真剣に向き合っているか、全ては自分の心が映し出している。心の持ち方次第で、仕事の意味、相手の対応が違ってくる。全て自分の心が映し出している。他人のせいではない、自分が作り出した世界である。自分がその対象物に心身を捧げないと、見えるものも見えない。聴きたいことも聞こえない。自分の心の格を上げないと、仕事の質も相手の人間との関係も向上しない。それを松本明慶仏像彫刻展(2013年10月11日)で松本明慶先生より示唆された。それで自分が描く人生のストーリーに気がついた。2018年11月の浜松国際ピアノコンクールを聴いて、それの思いを新たにした。

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4k8a0319 大仏師松本明慶作

 この達磨大師像の写真は松本明慶仏像彫刻美術館の許可を得て掲載しています。

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 浜松国際ピアノコンクール会場にて

 

2018-11-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月20日 (土)

刃物の握り方

 仏像彫刻の場合、刃物を持つ手の指の関節部の骨の硬い部分で支えると、刃物に力が入らない。指にタコができやすい。その人が握る刃物を引っ張れば、簡単に引き抜くことができる。

 それを人差し指の関節部と関節部の間の柔らかい腹の部分と親指の柔らかい腹の部分で抱える様に支え、握ると簡単には指から抜けない。いくら刃物を使って仕事をしてもタコもできない。

 これは2018年10月12日に松本明慶先生から教わったこと。明慶さんが握ったノミを、明慶さんは「引いてみろ」と言われたが、私がいくら力をいれてもビクともしなかった。

 

筆の持ち方

 書道における筆の持ち方は、明慶先生の刀の持ち方と相通じるものがある。恵峰先生にとって、筆は刀である。筆を左手で筆の上部を持ち、自然にぶら下がるようにして、力を入れずにそっと右手の3つの指先で抱え、添える様に持つ。そうすると、自由自在に筆を動かせる。筆を握りしめると、動きが制限されて、字がうまく書けない。

 これは2006年、明徳塾で馬場恵峰先生から教えてもらったこと。

 

人の心の握り方

 組織を動かすのは人である。組織長は、組織で動いてくれる人の心の握りしめ方を学ばねばならぬ。組織を自分の動かしたい方向ではなく、動かさねばならない方向に向けるには、部下を硬い規則や強い命令でガチガチに縛ると、人はその方向には動かない。それよりも、部下を自由に任せて、優しく柔らかく温かくシッカリと包み込むように抱え、行き先を明確にして、心に火をつければ、部下はその持てる力を全て発揮して動いてくれる。明慶さんが仏像彫刻で、刃物・ノミを扱うのと同じである。良きノウハウを教えていただいた。

 

心臓を一突き

 馬鹿と鋏は使いよう。要点と持つべき部位で優しく掴んで、組織を動かさねば、己に課せられたお役目が務められぬ。力を抜いて、優しく一太刀でズバっと心臓を一突き。それが物事を成し遂げる宇宙根源の法則である。無駄な力を無くせば、短刀直入で、時間が節約できる。人生が儲かる。

 

魂の握りかた

 物事がうまくいかないのは、対象を切る「刃物」の握り方、扱い方が間違っているのだ。物事には精霊が籠っている。その精霊の心臓(魂)を一突きでグサッと刺さないとうまくいかない。失敗とは、「そのやり方では、うまくない」との仏様からのメッセージである。それが、天地が唱える声なき経である。

 もっと素直に天地宇宙の声を聴こう。己の魂を天地宇宙の御手にゆだねて、天の使者として天命の仕事をしよう。

 

2018-10-20 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

 

2018年10月17日 (水)

3つの干支猪を比較対照

 2018年10月12日、馬場恵峰先生宅からの帰路、大原野の松本工房を訪問した。そこで松本明慶先生から、特注の3つの干支の猪を見せてもらった。ある人からの依頼品という。なんでも現行の干支の猪の一刀彫の木彫りではなく、もっと手の込んだ木彫り猪を希望されたとか。

 新しいモノを創造するには、3つの試作品が必要だと、明慶先生はいう。2つ作ると、どちらかで優劣が決まる。もう1つ作ると、その2つの猪と新しい作品との比較ができて、さらに良い作り方の技法が創造できるという。それの良い方を取り入れて一つ目の作品を修正して作品を作ると、3つの作品を凌駕する今までにない作品を生み出せる、という。

 

母の供養

 以前から、今度、松本工房から猪の干支の作品が出たら購入しようと思っていた。それは母の生まれ歳の干支だから、母の供養として飾りたいと思っていた。父の干支である辰の一刀彫は入手済みである。

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 特製の干支の一刀彫(一刀彫ではないが)は、通常のものより数倍のお金を出せば、よい作品が手に入ることを教えてもらった。数倍の値段だが、手間はそれ以上にかかっている。一般には、採算が合わないので、売らないという。

 新しいものを創るのに三つの作品を作る。二つでは少ない。この手法は、より良き作品を作る手法として、いろんな開発にも応用できそうである。参考にさせていただくことにした。テクニカルライティングでの事例紹介では、3つは多い。一つでは少ない。2つの事例を出すのが定石である。創造の場合には別の価値観がある。

 

京都のもてなし

 その後、明慶先生自ら運転して、駅まで送っていただいた。松本明慶先生曰く、京都では出迎え3割、見送り7割で客人を歓迎するという。板長でも、お客が帰るときは、出向いて挨拶をするという。大原野の松本工房でも、客人が帰るときは、誰かが必ず、駅まで送るという。京都の風習のいい勉強になった。

 ただし、馬場恵峰先生や松本明慶先生の天才肌の芸術家は、運転が常人とは違い、少し粗いのが玉に傷である。私がトヨタの試験車運転資格を持っているから、余計に運転の粗が見えた。馬場恵峰先生は、今回92歳でスパッと車の運転をやめられた。安堵しました。

 

2018-10-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月16日 (火)

大きな木は、中央部から腐る

 2018年10月12日、大原野の松本工房を訪ねたとき、松本明慶先生が仕事場の奥の応接室の机の年輪を示されながら、教えてもらったこと。

 大きな木は、年輪が緻密に刻まれている。そのため、大木の中央部の年輪部は、木に含まれる水分が外に出ずに留まるので、腐りやすい。明慶先生が長年、作品を作るために貯めていた大木の材料が、最近腐ってきて、大量に処分をせざるをえなかったという。だから大仏や、大きな仏像を作る場合は、本体の中央部はくりぬくのが定石である。大木のままでは、像彫刻はしないという。

 

組織の腐敗

 それは組織でも同じである。中央部の奥の院に、トップとして長年居座ると、外の声が奥の院まで届かない。組織は中央部から腐る。東芝、東電、タカタ、三菱自動車、電通、の不祥事を見ればよくわかる。大垣行政は大丈夫なのか。

 

心の腐敗

 自分の心の内部の秘め事を大事にしすぎて、保身でそのガードを何重にもするとると、それが意固地やこだわりとなって、悪い固定観念となる。それでは、素直になれず、人生を誤らせ、人生を腐らせる。己の心の内部を人に晒して、風通しを良くして人生を歩むのがよい。たかが己の小さな人生で、何を隠すのか。心を開けば、人は己の間違いを教えてくれる。人が援助してくれる。自分の世界に閉じこもっては、道は開けない。

 松下幸之助翁の信念は「素直」である。それで、松下幸之助翁は町工場を世界の松下電器にした。

 

2018-10-16 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

法話 「苦」とは

 2018年9月6日、広島の福屋で開催された「松本明慶仏像彫刻展」で、同時に開催された「広島新四国八十カ所の霊場お砂踏み巡り」の催しで、曹洞宗の住職様の法話を聞いて感銘した。今まで「苦」について、勘違いをしていたことが判明して、刮目した。我68にして67の非を知るである。世の中は知らないことばかり。

 

苦とは

 仏教での「苦」とは、一般的な苦しみの意味ではない。苦とは、生老病死のように、いくら努力をしても自分では何ともならないこの世の定めをいう。

 「苦」のある人生をどう生きるかが仏教の教えである。いくら努力をしても老いは避けられない。死なない人もない。その状況で、己はどう生きるのか。それが仏教の教え。

 死という苦は、何をしても避けられない。その頂いた命をどう使うか。生あるものは、必ず老を迎える。昔できたことができなくなる。その老いをどう見つめるか。それが仏教の教えである。答えはないが、それを見つめて生きるのが、修行である。

 

2018-10-16 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年10月 2日 (火)

名入り和歌の色紙を贈呈

 自宅に届いた『苦楽吉祥』の最新号を見て、廣部さんと清水さんが明の名前を襲名されたことを知った。『苦楽吉祥』は松本明慶友の会の会誌である。

 

襲名

 松本工房では、襲名では、松本明慶先生の弟子だから「明」の一字を充てる。廣部圭一郎さんの襲名である「明峰」は、私の先生である馬場恵峰先生の一字「峰」ではないかと。なにかとんでもない因縁を感じた。これはお祝いをせねばと思いついた。廣部さんが大仏を彫る姿は、NHKプレミアム「仏心大器」のビデオで何度も見ているので、人ごととは思えないご縁を感じた。

 清水一郎さんは「明道」である。清水さんには、いま仏像製作をお願いしている最中である。

 岩田明彩さんとは、仏画「飛天」で仙台の松本明慶仏像彫刻展で、ご縁のできた絵仏師である。「明」の襲名は今回ではないが、ご縁があったので、先の二人に合わせてお祝いの歌の色紙を贈ることにした。

 

西奔東走

 2018年9月6日、広島で開催された松本明慶仏像彫刻展の会場を訪れた。その場で、皆さんにお祝いを口上した。その後、その足で、長崎県大村市の馬場恵峰先生宅にJR経由で向かった。翌日の写真撮影の合間に、馬場恵峰先生に3名の和歌入りのお祝いの色紙を揮毫して頂いた。翌日は再度広島の明慶展で、その後、京都でサラ・ディビスさんのコンサートである。

 

色紙の揮毫

 馬場恵峰先生が、お祝いの色紙を作る際は、相手に合わせた意味のあるお祝いの和歌にする。その和歌に氏名の字を全て入れる。その歌は、和歌の書式になっていなければならぬ、という原則がある。だから、恵峰先生をして、3人分の和歌を作るのに大きな辞書をひっくり返しながら、丸と1日かかった。

 

贈呈

 その色紙を受け取り、一晩、大村市で泊って、翌日の9月8日、朝一番の電車に乗り、単線の長崎線を「特急つばめ」で博多まで行き、博多から広島まで新幹線を飛ばした。松本明慶仏像彫刻展の会場を再度訪れて、揮毫して頂いた色紙を3名に贈呈した。大変喜ばれた。

 その後、サラ・ディビスさんの京都アルティでの公演を聴くために、新幹線で京都に向かった。なんとまあ忙しいことです。この公演の記録は、「カテゴリー 音楽道」内のブログ記事を参照ください。

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2018-10-02 久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年9月16日 (日)

お金の作り方、私の金銭哲学

 2018年9月15日、京都府民ホールのアルティでのサラ・ディビスさんのコンサートのため京都に出かけた。アルティは、松本明慶仏像彫刻美術館より徒歩5分の場所にあるので、先に美術館を訪れた。昨日は、演奏会後に知人と食事をして帰宅が遅くなり、更に町内で不愉快な事件があり、ブログがアップできず恐縮です。

 

明慶さんのお話し

 美術館では、珍しく松本明慶さんが居られて有益なお話が聞けた。

 「今まで創ってきた仏像の新しいアイデアは、ものになるのに、10年はかかった。いくら私に力があっても、一人ではできない。皆の力があってできたこと。エジソンンも弟子が5000人いて、それを実用化するのに大きな力となった。エジソンのアイデアも、いうなればチャチなアイデアであるが、それを実用化するには膨大に人工がかかる。エジソン一人で、それができたわけではない。松本工房も40人の弟子がいて、その皆の力で今のアイデアが込められた仏像ができている。」と。

 

お金つくりの蘊蓄

 昼時、明慶さんから、美術館前の喫茶店でカレーをご馳走になった。明慶さんに出会って、8年目で初めてのこと。ご縁のカレーを食べるにも、10年くらいはかかるのを実感した?(笑) 食事をしながら明慶さんは「小田さんは、どこからお金を作っているの?」と聞かれたので、思わず私の金銭哲学と、その蘊蓄を述べて感心してもらった。

 「お金を使わないから、お金が残らない、豊かになれない。お金を使わねば、お金はたまらない」と私の金銭哲学を披露した。

 

お金は人生劇場の入場券

 貧しい身なりの独居老人が亡くなって、後から床下に、数千万円の札束が発見されたという話をよく聞く。お金はお足である。お足を足止めするから、お金に恨まれて嫌われるのだ。水とお金は、流さねば腐ってくる。恨まれる。お金を足止めすれば、お金エコノミー症候群になってしまう。それでは豊かになれない。

 一万円札は日本銀行券で、お金ではない。本当のお金とは「金塊」である。一万円札の日本銀行券は、人生劇場の入場券でご縁の交換チケットも兼ねている。それも有効期限があり、生きている間しか使えない。

 

退職金が紙くずに変身

 たまに預金封鎖、銀行券更新があり、紙くずになることがある。母方の祖父が退職金を銀行に預けていたが、昭和22年に新円切り替えの憂き目にあい、紙くずとなった。その話をよく母から聞いた。お金を銀行に預けていたためである。お金は「天」に預けねばダメである。

 

お金の魂

 お金は使ってこそ価値がある。お金を正しく使うと、お金がお友達を連れて帰ってきてくれる。正しく使わないから、大切に扱わないから、お金が己を見限って逃亡するのだ。

 モノには精霊が籠っているが、お金には魂が籠っている。お金の「魂」は、己の心に住む鬼が云うと書いて「魂」である。お金の使い方に、己の本心が現れる。その本心を見透かして、お金は逃げもし、寄ってもくる。全て己の心が決めること。

 

ご縁兌換券

 お金はご縁の出会い用の交換券である。お金を使って、出かけ、良いものを買い、良い出会いを見つけ、新しいご縁を捕まえるのだ。そのご縁が自分の未来を創る。そのお金を銀行や床下に閉じ込めて、預金通帳を見て自宅で一人、ニタニタしていては、幸運の女神とは出会えないし、誰も寄り付かない。

 

馬場恵峰先生の無価珍

 馬場恵峰先生は、自費で中国に240回以上も行かれた。一回30万円の旅費として7千万円ほど使った。形には何も残っていないが、しかし頭の中には智慧とご縁がお宝として貯まった。それを無価珍という。無価珍とは、計り知れない価値あるお宝という意味である。それで今の馬場恵峰先生がある。現在92歳、現役で、頭脳明晰である。60歳の時、社会貢献として1億円の借金をして350坪の土地に日中文化資料館を建設した。24年をかけて、借金を完済した。84歳の時である。

1img_3558   日中文化資料館

2img_3557   付属図書館

人への投資

 私は買うなら一番良いものを、付き合うなら一流の人と、そのためにお金を惜しまない。トータルでは、その方が人生経営が効率的で安く、お得なのだ。だから預金通帳の残高は少ないが、無価珍というお宝は貯まった。

 お陰で超一流の先生達の謦咳を聞くことができた。早稲田大学名誉教授篠田義明先生、ミシガン大学のスチブンソン教授、マセイズ教授、馬場恵峰先生、松本明慶先生、三好輝行先生とご縁ができた。

 

本への投資

 その出会いと同じ価値のある本の出会いのため、私は本代もケチらない。昨年は、書籍代が65万円であった。本の内容を、自分で経験して、それを本にすることを思えば、1000円の本代は、安いのだ。そう思って本を買っていたら、いつの間にか、本の総重量が4トンを超えた。高さ2.4m×長さ20mの本箱分の蔵書の量である。それの本棚(3列のスライド本箱)と収納書庫もリフォームで700万円をかける羽目になった。本は重いので床の補強が大変であった。その投資をして多少は智慧が付いた。

 

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日本企業の守銭奴

 今の日本の景気が良くならないのは、貧乏人が預金通帳を見てニタニタしていると同じである。企業は社員の給与を上げず、内部留保に努め、設備投資も控えている。これでは、企業は成長しない。社員は給与が上がらないので、財布の紐を閉めてお金を使わない。悪循環で、これでは景気が良くなるわけがない。

 

布袋様

 布袋様は弥勒菩薩の化身である。菩薩とは如来を目指して修行の佛道を歩く仏様である。布袋様は、現世で自由奔放に諸国を背中に袋を背負って歩く禅師である。その袋を堪忍袋という。その堪忍袋に無価珍を貯めている。無価珍は、諸国を歩き回ることで、経験を積み、智慧が付き、それが何物にも代えがたいお宝となっている。布袋様は、その堪忍袋の口をギュッと握りしめて、それが外にこぼれないようにしている。でもたまには、堪忍袋の口を緩めて、怒りを見せて、持てる智慧を少し出すのも、仏様の愛嬌である。豊かになるために、布袋様を見習って生きよう。先人が考えた智慧は素晴らしい。

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 馬場恵峰書画

2018-09-16  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年9月 8日 (土)

殿様飛蝗の教え 五次元思考

 バッタの脳の大きさはゴマ粒の大きさ。生き方も跳び方も、誰からも教えられていない。バッタは本能だけで生きている。それでいて、人の体から見れば、数百メートルは一気に跳ぶ。羽も使うが、基本的に跳躍力だけで跳ぶ。

 

 バッタに「殿様飛蝗」という漢字を充てた先人の目は素晴らしい。「飛ぶ」と「虫」偏に「皇帝」と書いて、「飛蝗」である。そのうち一番大きなバッタが「殿様飛蝗」である。

 バッタは自分の体の大きさの数百倍の先の着地点先を見て、跳ぶ能力、先を見る目の神秘さがある。モノを見る場合、じっと静止して見ているとよくわからないが、頭をゆすってみると三次元的に良く見える。バッタは二つの複眼以外にもう一つの目で、三次元的に、跳ぶ先を確認してから跳ぶ。だから正確に跳ぶ先に着地する。

 以上は松本明慶師より、9月6日に教えてもらった。広島市・福屋での「大仏師松本明慶仏像彫刻展」(9月6日~9月11日)が開催中です。

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   松本明慶大仏師作

 バッタは全長4センチ、全て一木削り出し。これは手間がかかりすぎて、明慶先生でも年に2つしか制作できないとか。この作品は、ここまで技術的に作れるという技の極みである。この技術が佛像制作に生かされる。いわば仏像彫刻のフォーミュラカー。

 

霊長類の能力

 霊長類で生物の頂点に立つ人間が、なぜ、地面を這って愚かな歩みを続けているのか。なぜ、三次元的だけでなく、歴史を踏まえて4次元的に先を見て、前進・跳ぶ決断ができないか。バッタでさえ3次元的に先を見るなら、人間は歴史を踏まえて、ものを見るべきだ。自分はそうやって決断をしているだろうか。

 

畏敬心の喪失

 現代人は頭でっかちになり過ぎていないのか。自然に対する畏敬を失い、持てる能力を使わず、周りの状況を見ず、4次元の時間軸の先祖の恩・歴史の流れを忘れ、利己主義に取り浮かれた鈍重な塊になって跳ぶに飛べない体になった。毎回同じ歴史の過ちを繰り返す。生物の理霊長類の人間だから、持てる本能を駆使して、見るべきものを見て未来に跳びたいもの。

 

五次元の判断

 霊長類の人であるなら、目に見えない第5次元目の「霊」の次元を考えたい。それには眉間の間の第三の目を開かねば見えぬ。目に見えないものを見てこそ、霊長類である。目に見えないものを大事にする人が成功する。成功者は目の付け所が違うのだ。目に見えない複雑な縁が錯綜して生かされている自分である。それに気が付くのが、幸せの近道である。

 

2018-09-08  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年5月29日 (火)

円空佛に教えられ

 2018513日、大垣市文化センターの前を通ったら、「円空佛・木彫り作品展」のポスターが目に飛び込んできた。524日、展示会場に足を運んだ。

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 松本明慶大仏師のプロの仏師が作る仏像は、正装の仏像である。いわば高級料亭の料理である。それに対して、今回の展示会の作者・杉山正明さんが作る円空佛の仏像は、一般家庭の普段着のような身近な家庭料理の趣である。親近感を抱いた。

 その昔、松久朋琳師の「仏像彫刻通信教育講座」に申し込み、仏像彫刻に挑戦したことがある。1枚だけ課題の模様彫りをしたが、哀しいかなサラリーマン時代の忙しさの為、挫折した。本当の夢は、深夜、仏像を彫りながら心を落ち着けて過ごす姿にあこがれたのだ。

 2010年、松本明慶大仏師の仏像に出会って、また考えが変わった。その精緻さと美しさをみて、とても片手間や趣味で作れるものではなく、仏像は買うものと考えるようになった。

 今回、杉山正明さんの彫る円空佛に出会って、さらに考えが変わった。その素朴で、それでいて品のある仏様をみて、感銘を受けた。なにも構えなくとも、自分の思いがこめられた仏像を彫ればいいではないか、と。寺院にある仏様だけが、本物の仏像ではない。身近に手を合わせることのできる仏様も、自分の分身である。

 円空佛は信仰対象の仏師の彫る仏像ではなく、当時の庶民の心のよりどころとして彫られた。その荒い彫りの中に安らぎが見いだせる。私でも彫れそうだという仏像彫刻の敷居の高さを低めてくれる仏様である。

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円空とは

 円空(寛永9年(1632年)-元禄8年(1695年))は、江戸時代前期の修験僧・仏師・歌人である。各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。

円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5,300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。そのうち愛知県内で3,000体以上、岐阜県内で1,000体以上を数える。また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。円空仏以外にも、多くの和歌や大般若経の扉絵なども残されている。

 

円空仏の特徴

  円空仏はデザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来するが、実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。円空としては民衆が気軽に拝める、現代で言えば量産型の仏像として製作し、野に置かれる事を望んでいたのだが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、大寺院で秘仏扱いされる事もあった。

 

木喰仏

 円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、ノミ痕の残った鋭い円空仏に対し、表面を滑らかに加工し、後年には柔和で穏やかな表情を有した「木喰仏(微笑仏)」は円空仏と対比されている。

 この項、wikipedia 2017/05/29 より編集

杉山正明氏

 今回の「円空佛・木彫り作品展」で円空佛を彫られた大垣在住の円空仏師である。自宅に「蒲公英工房 杉山正明庵」を作り円空佛の彫刻に務めておられる。県立高校教師を38年間務め、2002年から故山田勝己師匠から彫刻の手ほどきを受け、円空学会に入って研鑽を務めて、この17年間で1万体ほどの円空佛を彫られた。2年に一回のペースで展覧会を開催されている。

 東北大震災後には、岩手県の興性寺や、各地の寺院に千体仏を奉納されている。合掌

 

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2018-05-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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