b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2019年3月27日 (水)

曼荼羅を俯瞰する

 己を客観的に見つめることは難しい。どうしても「私が」が出てしまう。冷静に第三者の眼で、過去の自分、今の自分を凝視し、己の課題と未来のあるべき姿を見つめたい。

 

四天王になって

 曼荼羅には過去の自分、今の自分、あるべき姿の佛としての自分が描かれている。悩みがあれば、自分が四天王の立場に眺めたらと仮定して、己を睨みつけ一喝して考えることである。第三者の眼で、上から己を観ると己の弱さが見える。

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広目天 松本明慶師作 高野山 中門

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増長天 松本明慶師作 高野山 中門

外国人と我との発想の差

 外国に住んで外から見ると、日本がよく分かる。そんな発想があったのかと驚くことが多々ある。いかに狭い視野でモノ見ていたのかと反省させられる。己が広目天・増長天になった思いである。日本語も外国語を学び、外国語の観点で日本語を見直すと、英語がよく理解できる。私もテクニカルライティングの勉強のため、検定試験の受験勉強をし、ミシガン大学の夏季セミナーでも英語を学んだが、そこで学んだのは、日本語には無い論理構成であり欧米の考え方であった。英語で日本語を考えると、日本語が良く見える。

 

英語の体得

 天界の四天王なら俯瞰するだけですべてを見通せる。しかし人間界の我々は、見るだけでは、頭で理解できても納得できない。手を動かし足を動かし体で覚える必要がある。私は科学工業英語検定1級(TEP)取得のため、裏紙に模範解答をひたすら模写した。写経と同じである。これで英語のパターンを体で覚え、3度目の挑戦で47歳にして1級に合格できた。体を通して体得する。これが「格物致知」だと思う。

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私がTEP受験の為に模範解答を手で写した裏紙の山、約1,500枚余 (1997年)

 

宗教とは

 宗教もキリスト教、イスラム教、仏教を比較し、さらに仏教でも真言宗、法華教、禅宗等を網羅的に学び俯瞰的に見ると本質が見えてくる。宗教の本質は同じであると思う。茶筒を宗教に例えると、縦に切ると長方形でキリスト教、横に切れば円形で仏教、斜めだと楕円形でイスラム教となると思うと合点がいく。その宗教が生まれた環境により、教祖様の見方が違うだけである。人間が勝手に切り口と見方を変えている。

 

地球の存在

 地球を宇宙から見た宇宙飛行士の多くが神を信ずるようになるという。真っ黒な宇宙にポッカリと浮かぶ青い地球を見て、地球の美しさと尊厳さを感じ、その存在の神秘さに感じいるという。それは宗教に近い心境である。地球の外から眺めて、初めて出てくる発想である。

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画像引用は、www.jaxa.jp- より

 

自分という小宇宙

 自分も小宇宙という存在である。37兆個の細胞を持ち、魂が支配する己はその魂も変幻無限である。その細胞一つの存在が奇跡である。それが37兆個も存在して、人であること事態が神秘である。その神秘の塊が、己の回りを取り囲み人間界を形成している。それを思うと頂いた命の有難さを感じ、その命を全うすべきとの念を強くする。

 そう思うと、くだらないことに関わっている場合ではない。無為に死んでいる場合ではない。自分の使命を全うしなければという思いが沸く。

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    馬場恵峰書

     『吾が人生の師天王』 p134

 2019-03-27   久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月20日 (水)

一刀三礼して祈念する

 松本明慶先生が、東日本大震災(2011年3月11日)の復興祈願のみほとけの謹刻を2011年5月より開始した開始した。直径1mの楠の丸太をV字形に二分割し、一方に子安観音菩薩像を、もう一方に健やかに合掌する童子百人の群像を目指した仏像の謹刻である。松本明慶仏像彫刻美術館にて、来館者の方々に一刀ずつの造佛協力をお願いして、鎮魂と日本復興の祈りを発信する活動を開始された。

 

一刀三礼

 一刀三礼とは、「佛師は一刀彫るごとに三度合掌し念じ入るような心構えで、造佛に打ち込め」という教えである。これは明慶先生の恩師故平岡定海先生が入院されていた折、心臓にペースメーカをつけた状態にも関わらず穏やかな眼差しで諭された口伝である。どんな仕事にでも、この気持ちで一挙一動を捧げれば、良き仕事ができる。

 

一刀三礼を体験

 私も松本明慶仏像彫刻美術館を訪れた折(2011年12月18日)、若い佛師に指導をされて、子安観音菩薩像の右肩に一刀三礼をさせて頂いた。よきご縁であった。これからの仕事を一刀三礼の気持ちで取り組む第一歩としたい。

 今までに約7千人の方が刀を入れられた。それが8年がかりで仕上げ彫りが進んでいる。このご縁で、今回の大震災には合計で50万円の義援金を出させていただいた。

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松本明慶仏像彫刻美術館の子安観音菩薩像前にて。左は小久保館長。

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修学旅行で来館した中学生も、緊張して一刀三礼のノミ入れに参加

(長野県木島村木島平中学校) 

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一刀三礼のノミ入れに最年少来場者も挑戦

 

佛木との出逢い

                                                          大仏師 松本明慶

 このたびは当方の美術館にて行いました、一刀三礼運動に多くの心ある方々が協力下さり、誠にありごとうございました。遠方より、そして多忙な日々の暮らしの合間を縫って、宗派を超えた方がた像佛に参加して下さり、心より福深く御礼を申し上げます。

 復興祈願のみほとけは造佛は、今回で二度目になります。一度目は平成16年に大地を揺るがした、中越大地震でした。謹刻させて頂きました復興地蔵九体は、樹齢180年の地震による杉の倒木を材としました。それは山古志の男衆が命がけで、雪崩の危険もある立ち入り禁止地区に分け入り、降り積もった3メートルの豪雪をかき分けながら、ワイヤーをかけ引きずり出した木材を、夜を徹して新潟より、京都の松本工房に運びこまれたものでした。完成するとすぐ仮設住宅で被災者の方々と共に暮らし、現在も山古志の地域復興センターで、大切にお祀りされています。

 今春の東日本大震災は大変広範囲にわたり、被害の様相も地震・津波・原発事故に伴う目に見えぬ放射線への恐怖という、未曽有の惨事であり、いかなるみほとけを刻めば良いのかと、私も私案に暮れていましたが、名古屋の山富木材より連絡が入り、材木市場で入手した極上の銘木が浮んだのです。

 それは末口1メートル長さ4メートルの、木味の良い見事な楠の丸太でした。木材は一本として同じ木はありませんが、材木市場で出逢った瞬間になんと素性の良いきなのかと、この楠と出逢たことに感謝しました。

 その後、製材所に運び、芯割り(年輪の中心から縦半分に割ること)した断面を見つめ、私は鳥肌が立ち身がすくみました。この木こそ、佛様がすまわれるている。年輪は一分(3ミリ)間隔ですべてほぼ均一に揃い、上部に一つ節があるだけでした。この楠より、悲しみを静かに受けとめて未来へと光を放つ観音様をお迎えしよと、決めました。

 まず芯割りした丸太をV字形に二分割し、凸形の木塊には子安観音菩薩が両手を広げたお姿を、もう一方には木塊には、百人の童子たちが合掌するお姿を彫り起こそうと、構想を練りました。これは犠牲となった方がたを大切に供養し、被災地をふるさととする子供たちが沢山生まれ育ち、将来を担う。それが復興であると思うからです。

 そして、今回の一刀三礼運動に参加して下さった皆様のお心に、震災の記憶を留めて頂き、犠牲になられた方々の分も、力強く歩み続けて下さいますことを、祈念したしております。また完成には最低5年の年月を要し、完成後は当方の美術館に安置する予定でおります。

 まだ荒彫りの段階ですので、一般の方々にもノミ入れを頂く余地がございます。この運動を美術館において、来年も継続させて頂くことにしました。入刀されておられない片は、是非ご参加頂ければと存じます。

                             合掌

  松本明慶友の会会報『苦楽吉祥』 2011年12月 第49号より

 

 『命の器で創る夢の道』p44より

 

 2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月19日 (火)

免振装置とのご縁

 人生の災難(トラブル、激震)に遭遇しても、自分の心が激動しないように、うまく滑らせてやり過ごすかが、人生のトライボロジー工学である。力んで踏ん張るから、逆に被害が大きくなる。災難に出会ったら、力を抜いてやり過ごそう。

 

仏像の耐震対策

 ご縁で松本明慶先生の聖観音菩薩像が自宅に納佛され(2011年1月)、その直後、東日本大震災が発生した(2011年3月)。それで仏像の転倒対策を心配して免振台(約80万円)を検討して、行き付けの文房具店で発注した。ところがその翌日の朝、いつものように散歩のコースの途中で南園堂に寄ったら、お寺の会報『興福』が置いてあり、その最終頁に興福寺の国宝の仏像の下に滑り方式の新免震台を設置したとの記事が載っていた。早々に興味を持って調べたら、金額が25万円と安価で、理論的にもベアリング式の免震台よりも優れていることが判明した。ベアリング式では端まで振動で台が振れると、衝撃で逆に転倒の危険がある。この開発元のベンチャー会社の社長は積水ハウスの元研究所所長であった。それで直ぐに前日に発注した免寝台をキャンセルして、新免震台を再検討した。この件を知るのが1日遅れていたら、80万円が必要で性能が劣る製品になるところであった。お陰で予算が50万円ほど浮い(ご利益)た。仏様のご配慮としか思えない。

 そのためお礼として、興福寺に寄進3万円と南園堂の講堂用に、型は古いがまだ新品同様のエアコン(家庭用では最大の容量品)を寄付させて頂いた。お盆の祭事時は、お堂にエアコンが無く、皆さん暑い思いをされていたが、それが解消されて桐ケ崎町の皆さんに喜ばれた。

Photo     産経ニュースより

免振装置

 購入した免振装置はアイディールブレーン社の製品である。東京の展示会で実物を見に購入を決めた。展示会でこの会社の社長(元積水ハウスの中央研究所の所長)に会い、技術的な議論をして納得した。私の前職は工作機械の開発設計者で、振動やトライボロジーの知識が人並み以上であったのが幸いした。これもご縁である。

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3 メーカカタログより

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設置した免震装置(自宅)

 

2019-03-19 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月17日 (日)

毘沙門天になろう

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も「法」を聞くことから名付けられている。

 「法」とは「三水」の「水」「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。その行為がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、時間節約の答えは自ずと見える。法に反した行いは時間ロスの最たるの。人生の「法」程式を覚えよう。人生の受験勉強には、法程式を記憶するに限る。

 

阿恵と吽形

 毘沙門天の足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。決して毘沙門天に踏みつけられているのではない。

 江戸時代の毘沙門天像の多くの像は、阿恵と吽形が悪の象徴として踏みつけられている形で造形されている。松本明慶先生は、それを新しい解釈で、毘沙門天に足場を提供しているとした。こういう考えも「創造」である。

 

六界

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界である。群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。目の前に現れる事象には、いい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。人生の経営者にはそれを見極める能力が求められる。そのためには、法を学ばねばならない。

 

この世が地獄

 六界は、あの世の話しではない。この世でも修羅界も畜生界も餓鬼界も、時には地獄界さえ経験する。この世は、時としてあの世以上に鮮烈である。

 年間3万人弱の自殺者、子供のいじめ虐待被害が13万件、ガン患者が年間99万5千人、認知症患者は65歳以上で15%。此の世が地獄である。地獄を逃れるためにも、それが起きた原因を「法」に基づいて学ぼう。自殺に追い込まれる原因、いじめが発生する精神構造の変化、ガンが発生する環境、認知症の発生原因、それの「法」を学んで、自己防衛しよう。

 三好輝行先生とのご縁があり、次の毘沙門天像を拝ませていただいた。

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松本明慶先生作 毘沙門天  三好輝行先生蔵

    『命の器で創る夢の道』P104より

 

2019-03-17 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年3月 6日 (水)

私はこれ(小指)で、※※をやめました

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神仏の啓示

神仏は己のためにメッセージを発信している。心を澄ませてその声を聴こう。大事な人生を無駄にしないために。

 

チャーミングな招き猫との出会い

・伝説

 私の生まれ故郷の彦根は、招き猫の産地(?)として有名である。彦根藩二代目藩主井伊直孝が豪徳寺(東京都世田谷区)の近くを通りかかったとき、猫が手招きをしたため、お寺に入ったところ、丁度激しい雷雨が降りだし落雷の難を危うく逃れたという逸話がある。そのため和尚の法話を聞くことができ、後に豪徳寺を井伊家の御菩提所としたといわれる。一説には招き猫発祥の地ともされている。

 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置いている。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。

Photo_2    豪徳寺

 その経緯で、この近辺と彦根城の近くには、招き猫を中心とした猫グッズ専門店が多くある。ちなみに招き猫は右手で招くものと左手で招くものがあり、右手がお金を、左手が人(お客)を招くそうだ。この招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。緩キャラの雄、ひこにゃんもこの伝説から派生しているようだ。

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ひこにゃん   彦根城の天守閣の石垣の前でポーズ

(2011/01/08)  ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/

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伊藤石材店(彦根市)の店頭で

・出会い

 父の三回忌(2004年)を終えて、彦根の城下町を歩いているとき、偶然、招き猫専門店「招福本舗」を見つけ、そこで「もりわじん」の招き猫(全高20cm)を一目見て気に入り、連れて帰った。36,000円もした高価な猫である。これも出会いである。部屋に飾って眺めているが、会社で嫌なことがあっても、上品で柔和なこの三毛猫の顔を見るとなぜか心が安らぐ。会社に行くときもこの顔をみると元気になって出発できる。私の守り神(招猫観音)様である。今は仏壇のある座敷のテーブルの上に鎮座して、訪問されるお客様を見守っている。

 これは芸術作品である。一点一点焼いて製作した陶器ですから、同じものはない。また毛並みの描きこみも絶品ものである。数ヵ月後、親戚の叔母に贈ろうと買いに行ったら、値段がかなり上がっており、一回り小さいサイズの猫しか手に入りません。「もりわじん」の猫は人気商品になったようである。その後、この種の猫を探しましたが、これ以上の魅力ある猫ちゃんにはお会いしていません。いい時期に出合えたと思う。芸術作品の出会いは一期一会。これもご縁である。井伊直弼の言葉は、「一期一会 余情残心」。

 

出世ぶり

 201117日、彦根の街に出向いて、7年ぶりに「招福本舗」を訪れて、「もりわじん」の猫と再会した。なんと同じサイズの猫の値段が、当時より7倍にも跳ね上がっており、20万円では手に入らない。お店の人に聞いたら、人気が出て高騰しているとか。当時のことを話すと、「ずいぶんお値打ちに入手されましたね」と感心された。いつの間にか、お宝探偵団に出せるお宝になっていた。氏の作品は東京で専門のギャラリーを作られてそこでも展示がされているとか。

 あまりの「出世?」ぶりに敬意を表して、特注ガラスケースにいれて「箱入り猫」として、大事に飾ることにした。また出入りの畳屋さんが、専用の敷き畳も作ってくれるご縁を頂いた。座布団に座った猫ちゃんには畳の上が似合うようです。


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  自宅の招き猫「箱入り猫」

「もりわじん」のプロフィール

 1957年、日本生まれ。カルカッタ、ソウル、ニューヨークなど、世界の各都市で個展を開催。生命形態作家として、独自の活動を展開中。生命(生き物)をテーマに、平面、立体を問わず、あらゆる手法で生命の大切さや生きることの心地よさを表現しています。(以上、第二回来る福招き猫まつり解説より転載) 特に猫や招き猫をモチーフにした作品は、その独特な雰囲気やユーモア感で、高い人気があります。(2010/12/21)

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・招き猫の恩返し

 ある日、某経営研究会の元会長が自宅を訪問して、彼が帰った後、片付け中にこの招き猫のいる座敷の真ん中で滑って転び、右小指を骨折してしまった。60年間も生きてきて自宅内での骨折事故である。

当時、全国組織である某経営研究会(会員数約4,200名 20139月現在)に入会したばかりである。そこで知り合った元会長からある宗教団体を勧められて承諾をして、入会の秘密の儀式の出向く段取りが進んでいた。相手が信用できると思われた元会長である。その紹介者も大きな会計事務所の会長で、事務所4階の大きな会長室で教団の素晴らしさを説法されてしまった。試しに入会して駄目ならすぐ退会すればいいと安易に考えての入会承諾であった。

この骨折でなにか胸騒ぎを感じ、その宗教団体を調べたら、危ない新興宗教であることが判明した。入会金は38万円だが、その後のお布施の額が半端ではないし(概算計算で数百万円を超える)、退団はとても難しい(信者が自宅に説得に大勢押しかけてきて、「退会すると地獄に堕ちるぞ」と脅迫する)ことが判明し、訴訟も数多く起こされていることが判明した。急遽、入会を断った次第。骨折は、招き猫からのメッセージとして受け止めた。この招き猫は、招猫観音である。

 この2年後、私は白内障手術の後、網膜はく離を患った。目の耐力が人よりも弱いようである。この教団の修行として太陽を直視する行があるようだ。もし入信していたら、その修行で失明していた恐れがある。私を勧誘した元会長は、以前に眼底出血で失明寸前になったという。元会長は何も言わないが、この修行が原因であると私は推測している。恐ろしい事態になるところであった。

私は小指の骨折の啓示で、事態の不審さに気づき、某宗教団体への入団を取りやめることができた。合掌。

 

後日談

後日、松本明慶仏像彫刻美術館の館長さんから次の話を伺った。「以前にその教団から仏像製作の依頼があり、10体の仏像(一体5百万円)を納仏した。それがわずか1カ月で、教団内で全て完売した。それも売値は3倍である。その仏像を教団の専門販売店に展示して、そこに教祖が来て「この仏像は素晴らしい」と囁いたら、信徒達が争うように買い求め、10体の仏像が瞬く間に売れてしまった。1ヶ月間で売上1億5千万円、純益1億円。また他の仏具も同じ手口で「囁く」とのこと。趣旨が違うので、以後の注文は全てお断りした。」

 

 心を澄ませて、耳をそばだてよう。無心になれば神仏の無言のメッセージが聞こえる。ご先祖様は自分を守ってくれるため、メッセージを発している。この世では全て最高のことしか起こらない。病気も怪我も自分を守るための最高の事象である。それに気がつくと大事な自分の命(時間)を永らえることができる。

 

2019-03-06  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月10日 (木)

己は何者か

 己の実態とは何か? 己は、体と脳と魂からなる存在である。体とは脳と魂を収める単なる筐体である。病気になるとは、その筐体が故障しただけだ。その体は、脳と魂に支配される。その体は、大事に使わないと、脳と魂が十分に働けない。筐体という体には寿命がある。本能で生きると、欲望に身を任せて、その体を大事にしない。

 脳は生存本能に支配されて、利己的に働く。本能で生きると利己的、刹那的な欲望に身を任せがちである。また生物としてすべての生物には遺伝子DNAに、「生きろ」、「命をかけて同胞を守れ」という命令が刻まれている。コンピューターのPROMに焼き付けられた命令言語と同じである。

 それに対して魂は世の為、人のために利他的に働く。脳が利己的、快楽的に働くのとは対照的である。それが動物と人間を分ける境界である。その両方の使い方で、人間性が問われる。その魂は教育と自己研鑽でしか育たない。その魂は、体は亡くなっても、後進に受け継がれる。

 その魂の高低差は、大震災や暴動時での民衆の行動で、顕著な差を見せる。それが東日本大震災の時の整然とした日本民族の行動であったし、ロスアンゼルス市の大暴動で商店の商品強奪や、隣国が見せた日本の災害被害を喜ぶ姿との差であった。

 最近の経済界の不祥事を見ていると、脳に支配された動物的な輩が跋扈している。戦後、日本が米国からのGHQ洗脳教育に侵されたための弊害が顕在化してきた。日産の旧支配者ゴーン被告の顔は、どう見ても利己的で強欲丸出しで、受け入れがたい顔である。

 

己の使命

 己は何のために仕事をしているのか? それは脳が支配しているのか、魂が支配しているのか、何方の比重が大きいか自問したい。金のため? 金が十分にあれば仕事をしないのか? 人が死んでから残るものは、人生で集めたものではない。世の中に残したもの、与えたものである。

 

仕事と苦役

 「仕事 work」とは「事」に仕えて、世の為になせる業である。橋を架けるのも、機械をつくるのも、人を育てるのも世のため人のためである。そういう無形有形のものが世の中に残る。

 それに対して生きる糧を得るために動くのは「苦役  job」である。神がアダムに与えた罰である。だから西洋では、金が貯まれば、苦役から逃れて早く引退して優雅な生活に遁走する。日本の労働とは、違う価値観である。日本には働く喜びがあるが、欧米では仕事を逃れて遊ぶ喜びである。

 

仕事の痕跡

 松本明慶先生の50年間仏像を彫り続けた手に、命の軌跡が残る。仕事での書・文・絵・仕事に携われば、手・足・体にその軌跡が残る。そこに己とは何者であったかが現れている。

 河村義子先生の40年間の音楽活動を通しての社会奉仕の痕跡は、「カナデノワコンクール」、「世界で一流の音楽を楽しむ会」、「子と音」、「子と音mama」、毎年のクリスマスコンサート、定期的院内コンサート等の活動にある。それは河村先生が育てた後進に受け継がれて、これからの大垣の音楽文化を支えていく。

 私も10年後、20年後にそんな軌跡を後世の人に見せられるように、恥ずかしくない仕事を残したい。

Photo「佛師のげんこつ」松本明慶師作  松本明慶佛像彫刻美術館にて

 松本明慶美術館の許可を得て掲載しています。

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2018年12月15日 大垣市音楽堂 クリスマスコンサート2018

 演出・振付:林葉子  音楽監督:河村義子先生

 出演:林葉子バレエアカデミー

 ピアノ:小林朱音   電子オルガン:相原里美  語り:伊藤応子

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2018年12月15日 大垣市音楽堂 クリスマスコンサート2018

 子と音

   演出・振付:伊藤応子  音楽監督:河村義子先生

 

2019-01-10 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月 2日 (水)

聖観音菩薩の慈愛

気新光照

 気を新たに、師の教えの光に照らされて、道を歩く。

 いつまでも落ち込んでいては駄目と自戒のブログを書いている。河村義子先生の遺言は「湿っぽいお葬式はイヤ。音楽で明るく送って欲しい」でした。師のように社会を明るくする貢献を全力でしてこそ、それが師への恩返しだと思う。河村義子先生との別れは辛いが、それよりも、そんな尊い義子先生とのご縁に出会い、ピアノレッスン、演奏会の写真撮影、演奏会のお手伝いの関係で、師の最後の5年間を共に過ごせたことを喜びとしたい。

 

院号

 師の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」。観音様のような義子先生に相応しい戒名である。戒名の前に付ける院号とは、導師が故人のために建てる来世でのお寺の名である。そのお寺で佛になるべき精進を続けなさいとの引導である。院号は生前の業績に相応しいお寺名をつける。河村義子先生にピッタリの院号である。院号は金儲け主義のお寺なら、誰でも金で買えるが、厳格なお寺では、お金を積んでも相応の業績がないと院号を付けてもらえない。それから見て「聖観院」とは高貴な院号名である。「聖観音菩薩」の観音様名からとった名前である。

 2011年、当家に納佛された大佛師松本明慶師作の佛像が「聖観音菩薩像」である。私が61歳の時で、その2年後に河村先生との出会いがあった。河村先生の享年は61歳。河村先生は、私の中学の英語の先生である内藤信吾先生の娘さんである。今回の葬儀の場で、内藤信吾先生の奥様に初めてお会いできて、何か因縁を感じた。

Img_32292 聖観音菩薩像  楠 1尺

 大仏師松本明慶師作、絵仏師岩田明彩師の眼入れ

 

戒名

 戒名は、本人の名を一字とり、生前の活動に相応しい名前を付ける。故人は引導する導師の弟子となり、来世で佛道に精進するため授ける名が戒名である。河村先生の戒名は、「音を教え、愛に義を奉じた」という名前である。「大姉」は敬称で、「信女」より格が高い。この戒名は、変にうがったところがなく、そのまま生前の人柄が偲ばれる素晴らしい戒名です。

 

義子先生の遺徳

 平成29年5月26日より始めたブロブで、昨年末(585日間)で累計閲覧総数55,700余回、記事総数987通になりました。師が寂滅されて7日間、ブログを休みましたが、その訃報のブログ1通だけで、過去最高の閲覧数を記録して、改めて故河村義子先生の遺徳の偉大さを感じました。故河村義子先生のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

補足説明

 「気新光照」は、2011年12月10日、馬場恵峰先生に年賀状の雛形を書いてもらう時に教えてもらった言葉です。当時、3月11日に東日本大震災があり、日本中が沈み込んでおり、その翌年の年賀にお祝いの言葉「謹賀新年」では、はばかれたのです。

2019-01-02 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年12月22日 (土)

佛様の危機管理、大餓鬼の無策(大垣)

 佛様の世界でも外敵から危険に脅かされている。仏教界の大本山の廻りには邪悪な魔物が跋扈しているとして、高野山でも大門に仁王像、吽形像が仁王立ちで門を守っている。

 その次の中門では、四天王が四方を守っている。四天王は、仏教の世界観における須弥山の中腹にある四天王天の四方に住んでいて、仏教を守護する四つの(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)佛様である。佛の世界でも、大本山入口の最初を守る危機管理室があり、4方向の世界を各室長の四天王が守っている。危機管理室は建屋の後ろにあるのではない。一番最初に位置する。

Photo   増長天 

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   広目天

大仏師松本明慶先生作  高野山中門(‎2015‎年‎4‎月‎25‎日撮影)

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持国天 

  江戸時代の作。今回の中門再興に当たり大仏師松本明慶先生が修復

 

大垣市の危機管理室

 ところが、今の大垣市は、その本山を守る大事な役目の危機管理室がない。今の大垣市は、危機管理部署が、課ではなく、グループ扱いの下っ端部署扱いで、上から19番目で後ろに隠れているのだ。それも片隅の火葬場の隅に追いやられている。大餓鬼大本山の小川敏管長が、危機管理などどうでもいいと思っている証しである。テクニカルライティングの原則は、重要な項目順に記述する、である。葬式の焼香順でもそれを間違えると、大騒ぎである。

 小川敏市長には、市民の危機管理体制よりも新市庁舎建設担当が最優先で、組織の上から8番目の大事な部署として扱われている。その大垣大本山での組織図の位置づけが、小川市長の思い全て表している。

 

大垣市の危機管理部署の扱い

 佛様の世界でも、危機管理部門の四天王が、仏教の本山を守っている。無力な大垣市民は、市役所の危機管理室が力を出して大垣市民を守らねば、災害の多い日本には、安心して住めない。その管理体制が、大垣市にはないのだ。あるのは火葬場の隣の下に扱われる部署なのだ。岐阜県の各市の危機管理室の扱いでも、大垣市は最低なのだ。大垣市小学校エアコン設備率が2.4%で県下最低なのも、小川敏市長の方針が下劣なためである。

 

岐阜県各市の組織図での危機管理室の扱い

岐阜市市長

 ―副市長

  ―都市防災部 (上から15番目)

   ―都市防災政策課

   ―防災対策課

 

大垣市市長

 ―副市長

  ―生活環境部

   ―生活安全課 (上から19番目)火葬場管理の下

    ―防災安全グル―プ・防災政策グル―プ

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高山市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―危機管理課(上から8つ目)

 

多治見市市長

 ―副市長

  ―企画部

   ―企画防災課(上から3つ目)

 

関市市長

 ―副市長

  ―市長公室

   ―危機管理課 (上から4つ目)

    ―危機管理係

    ―交通係

    ―防災係

 

中津川市市長

 ―副市長

   ―生活環境部

     ―防災安全課(上から18番目)火葬場の下

 

美濃市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―総務課

 

瑞浪市市長

 ―副市長

  ―まちづくり推進部

   ―生活安全課

    ―防災安全推進係(危機管理室)(上から17番目)

 

羽島市市長

  ―市長室

   ―危機管理課(上から2つ目)

 

恵那市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―危機管理課(上から3つ目)

 

美濃加茂市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―防災安全課(上から21番目)

 

土岐市市長

―副市長

  ―総務部

   ―総務課

    ―防災係(どこにあるか、不明)

 

各務原市市長

 ―市長公室

  ―防災対策課(上から5つ目)

 

可児市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―防災安全課(上から6つ目)

 

山県市市長

 ―副市長

  ―総務課 (上から3つ目)

   ―防災係

 

瑞穂市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―総務課(上から2つ目)

 

飛騨市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―危機管理課(上から1つ目)

 

本巣市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―総務課

    ―総務係(どこにあるか、不明)

 

郡上市市長

 ―副市長

  ―総務部

   ―総務課(どこにあるか、不明)

 

下呂市市長

 ―市長公室

  ―危機管理課(上から1つ目)

 

海津市市長

 ―副市長

  ―危機管理局

   ―危機管理課・監査室(上から18番目)

 各市の組織図は「〇〇市 組織図」と検索すると、すぐに表示されます。 

2018-12-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2018年12月21日 (金)

磨墨知435-1.  相互研鑽をしよう

 2011年4月6日、第50回京都佛像彫刻展に出かけたら、偶然、大仏師松本明慶さんにお会いできた。師から展示されている佛像の説明をしていただき、興味深いお話をうかがった。

 そこには多くの若い仏師の作品が展示されていた。中には松本工房から独立して、佛像を作っている仏師の作品も展示されていた。素人目から見て、松本工房の仏師の作品に比べて、独立した仏師の出来が落ちるのである。明慶師によると、独立したくらいだから腕はいいのだが、独立当時から、作品のレベルが変わっていないという。つまり、時間が止まっている。

 これは、自分の世界に閉じこもってしまい、松本工房で大勢の仲間との切磋琢磨がなくなったので、成長が出来なくなったとのことであった。自分の世界と比較して、身につまされる事象である。人は、批判、指導により人間として成長し、その作品の出来に影響するのだと。作品とは、その人自身を表す。

 「学」の旧字は「學」で、冠は皆と喧々諤々の議論を戦わせている様を表す象形文字である。一人では学べないのだ。

Photo

2018-12-21 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2018年12月20日 (木)

出版案内2『金子みすゞ 詩の世界 55恵峰選集』

編集後記

 恵峰先生は力を込めて今まで、軸や色紙に金子みすゞの詩を揮毫してきた。当初、私はそれを横目で見ていただけであった。今回、馬場恵峰師は十mの巻物に金子みすゞの詩を揮毫された。私は、それを撮影、編集して、その過程で改めて金子みすゞの詩を読み直した。

 ここには、素直な心で事象を観察している観音様の目があった。それを金子みすゞは、観音菩薩の目になりきって詩にした。「大漁」で、陸で大漁の祭りをする中、海の底では多くの仲間の葬礼があるとは、佛様の目でしか言えない言葉である。「お魚さんは何も世話にならないし、いたずら一つしないのに、殺されて食べれるなんて可哀そう」も優しい心の表れだ。「私と小鳥と」で、「みんな違ってイイ」なんて、画一教育、競争社会に染まった人では、決して言えない言葉である。皆が同じであることがおかしいのだ。

 二宮尊徳翁夜話の冒頭の「香もなく音もなく天地は経を唱えけり」で感じたと同じ感触を金子みすゞの詩から得た。金子みすゞの詩は観音菩薩様の慈しみの声である。観音菩薩様は、だまって衆生の苦しみの声を観て、助けの手を差し伸べる。よき出会いに感謝。

           平成30年12月7日   小田 泰仙

Photo『金子みすゞ 詩の世界55恵峰選集』よりPhoto_2  大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

2018-12-20    久志能幾研究所 小田泰仙

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