法話 「苦」とは
2018年9月6日、広島の福屋で開催された「松本明慶仏像彫刻展」で、同時に開催された「広島新四国八十カ所の霊場お砂踏み巡り」の催しで、曹洞宗の住職様の法話を聞いて感銘した。今まで「苦」について、勘違いをしていたことが判明して、刮目した。我68にして67の非を知るである。世の中は知らないことばかり。
苦とは
仏教での「苦」とは、一般的な苦しみの意味ではない。苦とは、生老病死のように、いくら努力をしても自分では何ともならないこの世の定めをいう。
「苦」のある人生をどう生きるかが仏教の教えである。いくら努力をしても老いは避けられない。死なない人もない。その状況で、己はどう生きるのか。それが仏教の教え。
死という苦は、何をしても避けられない。その頂いた命をどう使うか。生あるものは、必ず老を迎える。昔できたことができなくなる。その老いをどう見つめるか。それが仏教の教えである。答えはないが、それを見つめて生きるのが、修行である。
2018-10-16 久志能幾研究所 小田泰仙
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