人の料理の仕方、食い方
久志能幾研究所で、人の食い方、人の料理の方法を研究している。それは自分が善く生きる術を研究すること。人を観れば、自分の生き方の反面教師となる。久志能幾研究所の仕事は、人間ウォッチングである。
食えん人
しかし最近は食えん人が多すぎて、料理しようがなく閉口している。それも煮ても焼いても食えん人が多い。食えん人は、死んでも食えない。食えん人は、認知症に罹っており、成仏しても極楽に行って、認知症のため、話が通じない。せめて来世では迷惑をかけないようにしたいもの。
体の滋養物に相当する、人生の慈養縁を沢山摂取することが、人生を豊かに満心させる。
人生で甘いものばかり摂取する人では、糖尿病になる。人生での甘いものとは賄賂である。子供の甘えかしである。悪徳お役人は心臓が賄賂で、太い儲毛が生えている。その弊害で羞恥心を無くす。ワサビだらけの人では、付き合えない。ワサビはほんの少しあればよい。アル中では、正気を失う。脂ぎった人では、生きざまが油脂で汚れている。ピリッとする調味料なら、人生の味付けで美味し人生を送れる。
聖人の生き様
聖人のような方では、うまみ成分がなく、完全無欠な神様食を食べているようだ。それでは、無味乾燥の食生活にかる。なにか少し不純物が混じったほうが、人生の旨味が出てくる。その旨味を付けることが、人間の欠点で、人間味のあることだ。自分の長所を伸ばせば、その欠点が人間味となる。神様のように完全無欠の味では、飽きが来る。やはり人間として生きたい。
明徳を明らかに
人に喜んで食べてもらう人間になるには、徳を積むことだ。陰徳を積むことだ。素直な人間になることだ。明徳を明らかにすることだ。自分は誰に食べてもらうために、生まれてきたか。自分がこの世で、世に尽くして、食べ尽くされることが、最大の喜びである。それを天命という。
2018-10-16 久志能幾研究所 小田泰仙
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