2023年7月14日 (金)

70年前のタイムカプセル(3)色香の青春

 

 下記は押入れのタイムカプセルから出てきた芸術関係のお宝である。

 

カレンダー「ミロのビーナス」1971年、三菱銀行発行

 

 当時、このカレンダーが週刊誌上でも話題になり、その素晴らしさを絶賛していた。私はこれが欲しくて、名古屋まで出かけて、三菱銀行に口座を開設した。三菱銀行の支店が大垣には無かったからだ。口座を開くのが、このポスターを手に入れる条件であった。こだわりがある私は、ご丁寧に2つ入手した。

 今見ると、当時の印刷技術のレベルの低さが分かる。それは仕方ない。50年前の印刷技術だ。当時はそれでも三菱銀行が力を入れて作ったポスターであった。写真撮影は女性写真で超有名な秋山正太郎氏、印刷は当時の最高レベルの技術をもった凸版印刷株式会社が担当した。このカレンダーのデザインと担当したグラフィックデザイナーの記事も出てきた。それで三菱銀行の力の入れ方が分かる。

 当時、私はこのカレンダーに大満足であった。しかし50年も経つと、流石にあちこち紙が劣化して欠落している。ポスターだって生老病死である。

 50年前の私が何故こだわったかを今、考えている。この作品は2000年前のギリシャ時代に作られた。しかしその美しさは現代でも風化していない。つまり本物の美であるからだ。それを分った昔の自分の感性が嬉しい。

 実際にルーブル美術館でミロのビーナスに出会えたのは、それから20年後であった。見たいと長く思っているといつかは実現する。それも自分の力で実現できたのは、良き想い出である。会社創立60周年の記念論文募集で最優秀賞を勝ち取り、そのご褒美でフランスに行けたのだ。

 

 その三菱銀行も東海銀行、東京銀行を吸収合併して、三菱東京UFJ銀行となり、その後、三菱UFJ銀行に名前を変えた。名前の変遷から、銀行内部の権力闘争が垣間見えて、当事者の苦労が偲ばれる。私の勤めた会社も合併となり、その軋轢で苦労したからだ。

 

Dsc01191s

 オフセット12色刷 凸版印刷株式会社

1

00010010s1

 ルーブル美術館にて  1991年6月6日

.

ポスター「巨匠ピカソ88歳の青春」 昭和46年(1971年)ごろ

 このポスターは大学の製図実習で書いた図面束に挟まっていた。この展示会で見たピカソの作品は250点余もあり、多すぎてあまり記憶にない。ピカソの線画での卑猥な女性裸体像の乱舞であった。88歳の老体でも性をモチーフにするピカソのバイタリティーは素晴らしいと思う。

 しかし、その50年後の今にして「88歳の青春」というキャッチコピーに痺れた。今にして50年前のキャッチコピーに痺れるとは、私もまだ若い? 私は、その「青春」という詩に痺れている。

 この展示会の会場の丸善ビルは数年前に取り壊されて、今はない。本の売れなくなった時代の象徴である。いくら「88歳の青春」でも、全てのものは生老病死である。ピカソは1973年に91歳で世を去った。私の大学卒業年である。ピカソは88歳の1970年、アヴィニョン教皇庁で140点の新作油絵展を開催している。ピカソは生涯青春と言ってもよいほど精力的に作品を生み出した。見習いたい生き方だ。

 

Scan0216_s

 ポスター(部分)

.

青春                    サムエル・ウルマン

 

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

 

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

 

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

              宇野収・作山宗久著 『青春』より

                   (産業能率大学出版部刊)

                  94.05.23一部修正追記 小田

Youth  『青春』             Samuel Ullman

 

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

 

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

 

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

 

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

 

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

 

 

2023-07-13  久志能幾研究所通信 2718号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年7月12日 (水)

70年前のタイムカプセル(2)モノつくりの兆し

 

B707着陸写真のパネル

 私が高校生の時、クラブ活動として写真部に在籍し、小牧飛行場によく写真を撮りにいっていた。一眼レフに200mmレンズにつけて、着陸時の飛行機を撮っていた。当時はズームレンズはなく、固定焦点である。

 私は高校では写真部の所属なので、その写真を写真部の暗室で、自分で引き延ばし、現像して、パネルに貼って、学校の文化祭に出品した。そのパネルも手作りである。50年も経っているので、パネルに貼り付けた当時のガムテープが剝がれそうで、時代を感じる。フィルムの現像も学校の暗室で出来たが、手間がかかり過ぎるので、フィルムの現像だけは業者に出していた。しかし印画は自分達でやっていた。

 その写真パネルが70年前のタイムカプセルから出てきた。私のお宝である。懐かしさが一杯である。当時、そんな贅沢な遊びをさせてくれた両親に感謝である。

 飛行機を撮る趣味は、もう56年も続いている。

 

Dsc012011s

  B1サイズに引き延ばし   小牧空港で 1967年頃

       Canon PELLIX   FL200mmF3.5

.

ポスター「国際航空宇宙ショー1971年」

 私が大学生で、その会期中の1週間を、大学の授業を全て欠席して小牧飛行場に通った。その時、米海軍のブルー・エンジェルスが来日した。思い出深いの航空祭である。そのポスターもタイムカプセルから出てきた。お宝である。

 

Dsc011901s

.

模型づくりの遺品

 当時の未組立てのプラモデルも出てきた。当時のプラモデルの箱を見て懐かしさ一杯である。おこずかいでそれを買うこと黙認していた両親に感謝である。

Dsc01202s

Dsc01203s



 当時、私は機械系の模型作りの遊びが中心で、将来は飛行機の設計者を夢見ていた。しかし、能力的に航空機の分野に進むのは無理があった。名古屋大学の航空学科は、東大に入る学力がないと無理とのこと。また当時の経済界の状況で、卒業後に航空機関係の仕事に就くのが難しいとのこと。それで航空学科を諦め、工学部機械科に進学して、機械系の会社に入った。そこで人並み以上の努力をした。それで今の日本の産業界の発展に少しは貢献できたと自負している。当時は、まさに高度成長期の最中であった。

 

今の若者の夢

 今の若い子の将来の成りたい職業の調査では、ユーチューバーやゲームクリエイターになることが上位になっている。若者がスマホ、ネットで形ないものやゲームの世界の幻想に没頭しているからだろう。電車内でも若者がスマホをいじっているが、半分以上がスマホゲームに没頭している。

 しかし、今の若者の夢がユーチューバーやゲームクリエイターになることには、私は危惧している。それで今後の日本の発展にどういう貢献をするのか。ゲームに没頭し過ぎて、平気で人殺しまでする社会になっている。最近は岐阜陸自で乱射事件が起きたばかりである。ゲームばかりでは情操教育はうまくいかないだろう。私も学生時代、ゲームばかりしていれば、モノつくりの会社に入社しようとは思わないだろう。そういう点で、若いころの趣味は大事だと思う。

 人は一番多く見たものや多く考えたことから影響を受ける。その一番多く見るものを何にするかが、人生を創る要点である。私は若いころ、「人殺し」ゲームには手を出さなかった。それがよかった。

 

 

2023-07-12  久志能幾研究所通信 2717号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年7月 9日 (日)

70年前のタイムカプセル(1)教育の遺品

 

 押入れの中を整理していたら、70年前の資料や物品が出てきた。まるで70年前のタイムカプセルを開いた感じである。おもちゃ箱をひっくり返した様なワクワク感が出た。その中の物品を見て、当時の状況を思い出して、当時の両親の自分に対する想いに改めて感謝の念を抱いた。

 

 自分にとって大切な人が自分にしてくれた思いや魂が、資料や物品に籠っていた。その思いが染み込んでいたとも言える。世間では断捨離が大流行だが、私は断捨離に反対だ。私の方針は整理整頓清潔清掃である。断捨離をするとすっきりするかもしれないが、大事な想い出や魂まで捨てることだ。それは自分の歴史を捨てる事。思い出こそ、人生である。その思い出を共有するから家族である。頭の中の記憶だけでは、その思い出は風化していく。しかし形あるモノは何時までも残り、嘘をつかない。思い出は、かってに美化しすぎてしまうこともある。

 

下記はカプセルから出てきた思い出の品

 

珠算能力検定合格證書 7級~9級(昭和35年) 当時10歳

 当時、私は、大衆浴場の二階の大部屋のそろばん教室「大石高等速算学校」(大垣市林町)に通っていた。天井の低く広い教室であったのが記憶にある。自分で希望して通ったのではなく、両親が通わせたのだ。周りの仲間がそろばん教室に通っているので、大事な息子も世間に遅れてはならずと、通わせたのだろう。本人は周りの雰囲気に巻き込まれてソロバンを習っていた。

 

絵画コンテストの入選賞状

 当時、小学生の私は、水彩画で各コンテストに先生から言われるまま応募をして、入選作は数え知れずである。せいぜい入選までだが、それでも実績はあった。両親はなぜか絵画教室に通わせてくれた。自分達にはなかった情操教育をさせたかったのだろう。賞状は多く残っているが、肝心の作品は1枚も残っていない。それが心残りである。当時はカメラがなかったのだ。

 今思うと両親は私の教育に人一倍熱心であった。父は尋常小学校を出ると、すぐ丁稚奉公に出されて、苦労をしてきた。父も絵を描くことは好きであった。その思いを息子にはさせたくないとの思いであったと思う。当時はまだまだ貧しかったのだ。

 

 その賞状の束の中に挟まった「寄生虫卵検査検査証明書」(社団法人 岐阜日日新聞社会事業団)も出てきた。たぶん私が小学校低学年の時だろう。宛先は「保護者殿」である。裏面に「明るい家庭に郷土の新聞 岐阜日日新聞」とある。この裏面を見ると、当時の社会情勢が垣間見える資料である。

 当時は私の家族は紡績工場の社宅住まいで、トイレも汲み取り式で、トイレットペーパーなどはなく、古新聞で拭いていた。お風呂も社宅住宅地内にある共同の大風呂である。まだまだ貧しい日本社会であった。

 そんな環境で、息子の教育には力を入れてくれた両親であった。その後、中学に入ると英語塾、学習塾に通うことになった。それがあるから今の自分がある。感謝である。

 

T定規

 中学の図工の学科と大学の製図で使ったT定規が2本出てきた。中学用のT定規は、父が作った布製の袋に入っていた。大学でつかったT定規はビニール袋に入っていたが、50年も経っているので、ぼろぼろになっていて捨てた。しかし父の作った布製の袋はまだしっかりしていた。今にして父の愛情を感じた。

 後日、ドラフターを買って貰ったので、T定規は使わなくなった。それでも捨てずに保管していた自分を褒めてあげたい。そのドラフターは処分してしまったが、昨年、中古で再度入手をした。やはり私には技術者の血が流れている。

 

Dsc01192s

 下のT型の布袋が父の製作(父は内職で洋裁をやっていた)

.

大学時の製図実習の図面 22枚

 当時、ドラフターを使って、鉛筆手書きの図面をケント紙に実習として描いていた。その出来を見ると、「いい仕事してますね」という思いである。今からではとても捨てられない。正式のファイルボックスに保管予定である。

 

1s

Dsc011971s

 

2023-07-06  久志能幾研究所通信 2716号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年7月 7日 (金)

古希を過ぎたら毎年、死亡企画書を書こう

 

年度人生企画書

 私は毎年、その年の人生企画書を書いてきた。年初に、前年の反省をして、その年のやるべき人生計画を立て、目標値を決めていた。

 会社でも部門長を任されると、会社の年度方針に合わせて、自分の部署の企画書を書かねばならぬ。それと同じで、定年退職して、自分人生有限会社の社長になったなら、その年の人生企画書を書かねば、目標の無いないだらけた生活となってしまう。だから還暦以降も、年度企画書に沿って頑張ってきた。

 しかし古希を目前に、がんを患ってその人生企画書を書く元気をなくした。それでも何とか、人生企画書を書いて生き延びてきた。

 

年度死亡企画書

  毎年の人生企画書とは、毎年、成長する目標値を決めて精進することだ。しかし成長が、無限に続くわけではない。人生でもいつかは終りが来る。会社でも無限に成長するわけではない。無限に成長する細胞とは、がん細胞である。

 古希を過ぎ、死期に目覚めて、今まで書いてきた人生企画書を死亡企画書に変えることにした。要は死ぬまでの生き方の計画である。まあ死亡企画書の別名は、体力維持企画書である。

 良く死ぬとは、良く生きることだ。人生で最大で最後のプロジェクトが自分の死である。その準備にやり過ぎることはない。人生二度なしであるからだ。生涯現役を全うするには、相応の準備が必要だ。その計画が死亡企画書である。

 ヒトも細胞も生老病死である。ヒトも成長のピークを迎えると、人間の筋肉量は年に1%ずつ減少していく。40歳以降、脳の容積は年に0.5%ずつ減る。古希を迎えると、筋肉量も体力も若い頃の半分になっている。それは頭脳細胞でも同じである。ただし、語彙力等の思考能力は成長を続ける。そのピークは、60~70歳という。それは学び続けた人だけである。そうしないと認知症になる。65歳の認知症患者は、その年代の15%に及ぶ。

 生物が永遠に成長するはずがない。だからその宇宙根源の理を受け入れ、いかに静かに穏やかに下山をするかである。ヒトは生を受け、人生飛行に飛び立つ。しかしいつかは着陸せねばならぬ。その着陸(死)を遅く、穏やかにする取り組みをする。それを美しくしたい。それが人生飛行の着陸の美学である。

 

体力低下防止の取り組み

 できることは、その年々減少していく筋力、体力の減少速度をいくつに抑えるかを企画することだ。何も企画しなければ、無為に筋力が年1%ずつ減少して、フレイル、サルコペニアになって、寝たきりになってしまう。フレイルとは虚弱の意味である。サルコペニアとは、高齢になるに伴い、筋肉の量が減少していく現象である。

 私も還暦のころは楽に歩けたウォーキング距離(8㎞)が、今は歩けない。それが加齢現象である。使わない器官は退化するが生物の原則だ。だからなるべく筋力を使う生活をするよう意識する。その運動の企画をする。意識しないと、それが出来ない。生涯現役を目指すためには、必須の取り組みである。

.

 脳の掃除

 衰えゆく各機能の中で、精神のみが向上できる。人間としてそれをどこまで高めるか企画をして精進したい。

 スマホばかりに没頭すると、脳のフレイルになってしまう。それは脳の糖尿病である。ネット情報の99%はゴミ情報である。そんなゴミにまみれれば、認知症にまっしぐらである。自分で考えて、アウトプットを出し続ける。それが認知症防止、老化防止、脳フレイル防止である。

生前葬

 自分が死んでから、親しい人に弔ってもらっても、本人は嬉しくない。それより、生前に酒を酌み交わして、今まで親交の数々を思い出す方がよい。相手も何時死ぬかも知れぬ。人の明日は分からない。だから親しい人とは、個別に生前葬として宴席を設けたい。年初にその計画を企画しよう。

 自家の墓は、築60年で痛んできたので、私が65歳の時、改建した。よく考えれば、自分も入る墓である。だから手配済である。

戒名

 私は、ガンを患って退院後すぐ戒名を授けてもらい、墓誌に彫った。私は葬儀費用、50年分の法事費用も払ってしまった。準備万端である。

 死後に戒名を授かるのは、応急処理である。生前に住職様と相談して決めておくべきである。

弔辞

 50歳ごろ、研修で臨死体験をさせられた時、自分あての弔辞を書かされた。それを見直している。それこそが、これからの生き様の企画である。

献体

 養老孟司先生の話しでは、若い死体は稀有だが、老人の死体は有り余っているようだ。解剖医は若い死体を探している。だから私の死後は、病理解剖などせず、そっとして欲しいと思う。

 私は、臓器移植が自然界の理に反していると思うので、それもやらない。

 

着陸

 着陸は美しく決めたい。ガソリン(財産)を余分に持っていると、重すぎて地面に激突する。還暦までは、蓄財に励むべきだが、古希をすぎれば、減財を考えるべきだ。財産を持って彼岸には行けない。老人がお金をあと5%余分に使えば、日本の景気は回復する。お金を使うには体力と気力が要る。気が付いた時は、体力と気力が無くなっている。

 だから身軽に美しく、静かに着地したいもの。着地姿勢の美しさが、生き様の全てを表している。ガソリンを遺しすぎて、遺族が醜い相続争いをするのは、醜態である。身近な親族で、その様を見て呆れた。

 

Img_64311s

  着陸は美しく決めたい。   セントレアで撮影(著者)

.

 2023-07-06  久志能幾研究所通信 2715号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年7月 4日 (火)

電話は人生プレゼン、死を目前に「かけ放題」の宴? irumoに乗り換え

 

 5分間の電話をするとは、相手の人生時間から5分間を一方的に強奪している。自分の人生時間からも無駄に浪費している。時は金なり、でなく、時は命なり。命とはこの世で使える時間の総量である。

 人の命でも明日は分からない。そんな危うい人生劇場で、「かけ放題」の電話料金プランで、とりとめもない話で電話をかけ続けるのは、死を目前に狂乱の宴を続けるようなものだ。人生では、もっと大事なことがある。そのため悪魔の饗宴から身を遠ざけた。

 

時間単価

 人生最期の日に、あと一日間、命を伸ばせるなら、いくら払うか、その金額を24時間で割れば、自分の時間当たりの単価が分かる。もっと具体的に時間単価は、余命から計算できる。もし、自分ががんになり、医師から、余命1年と宣告されたら、

余命の時間コストは、所有する金融財産÷(10時間×365日)である。

財産はあの世に持って行けない。不動産もすぐにはカネに変えられない。使えるのは、持てる可処分な金融財産が全てである。

 1日に24時間もあっても、睡眠を除けば、使える時間は16時間で、そこから食事、風呂、身だしなみ等の時間を引けば、実質一日10時間もない。余命宣告された病身なら、体がまともに動かせない。病院通いであれば、時間が更に取られる。

 健康でないと、そのお金も使いきれない。お金を使うにも体力がいるのだ。

 1000万円の金融資産があるとすると、一時間当たり、2,740円である。一分当たり46円である。

 もし自分に金が無尽蔵にあれば、もっとカネを出すだろう。アップルのジョブズは、自身のがん治療に40億円を使ったと言われる。彼は世界一のお金持ちであったが、それでも56歳で人生を終えた。世界一の財産家でも、命はお金で買えない。時間とは命なのだ。命とは、この世で使える時間の総量である。そのうちの電話の5分の価値は大きい。

 10,000,000÷(365×10時間)=2,740円/時間

 70歳の日本人男性の死亡率は、1000人当たり18人(平成21年)である。つまり1年後、100人に2人は死ぬ。昔の中学校の50人クラスで言えば、毎年、そのうち1名が死ぬ。加齢により、その死亡率は急上昇する。宝くじに当たるより高確率である。その1年の利用可能時間中、5分の時間は貴重である。その5分で何を相手にプレゼンテーションをするのか、が問われる。

 

1 男性の死亡率

年齢別の死亡率 | 保険相談・保険の見直しは保険マンモス【公式】 (hoken-mammoth.com)

年齢
死亡率 平均余命 死亡率 平均余命
(年) (年)
55歳 5.11 27.09 2.33 33.04
60歳 8.25 22.87 3.43 28.46
65歳 12.28 18.88 4.86 23.97
70歳 18.36 15.1 7.8 19.61
75歳 31.49 11.63 13.79 15.46
80歳 55.25 8.66 26.1 11.68
85歳 93.41 6.27 51.34 8.41
90歳 151.78 4.48 98.68 5.86
95歳 225.23 3.24 168.41 4.13
100歳 313 2.36 246.18 3.01
105歳 1000 1.73 1000 2.25
     

      <厚生労働省「平成21年簡易生命表」>

.

irumo

 今まで、時間など無限にあると思って、電話でもかけ放題で、無意識にだらだらと電話で話しをしていた。その時間分は、命の無駄遣いであった。それは自分にも相手にも大迷惑である。

 電話相手が団塊の世代なら、余命は10年程である。1年後には100人中の3名は死ぬのだ。自分も団塊の世代である。1年後にその3人の一人になるやも知れぬ。

 今回、ドコモの新料金プランのirumoに変えて、従来の「かけ放題」プラン(月2430円)から「5分のかけ放題」プラン(料金月880円)に変更した。それで時間意識が明確になってよかった。

 またスマホでネット情報検索をほとんど使わない前提なので、新プランのirumoにして、時間節約をした。スマホの小さな画面で、ネット検索をしていれば、時間の無駄遣いである。ネット検索はPCの大きな画面でやると決めれば解決である。

 その結果、従来は月に6000円程であった携帯料金が、月1430円に激減した。

.

5分で人生をプレゼンテーション

 その時間を明確にするため、新たに5分の専用ボタンのあるキッチンタイマーを購入した(7月3日)。価格1331円である。人に電話する時は、5分で自分の人生をプレゼンテーションすると意識して、話すべきである。3分の講演は400字詰め原稿用紙2枚で表される。5分なら1330語、約3枚である。それで自分の言いたいことを話せないとは、人生劇場でのプレゼンテーション能力が無いと言える。それでは自分人生有限会社の社長として、失格である。だからこそ、5分以内で話しを終わらせるべきと認識しよう。

 

 

P1110313s

   「 5分」専用ボタンのあるキッチンタイマー

.

時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

                 セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳)

 

 

Img_64041s

2023-07-03  久志能幾研究所通信 2714号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年7月 1日 (土)

格安スマホに変更 10年間で55万円を節約

 

  スマホを格安スマホに変えた。この数か月、スマホの解約をしようと何度も逡巡した。知人から、「スマホから固定電話に変えると、かける方の通話料が爆上げとなるので、相手に迷惑をかける。通話料金が高いので誰も電話をしてこなくなる」と「脅された」。現代人は、スマホを使った人質作戦で支配されているようだ。確かに、皆さんに固定電話への高い通話料を負担して頂くのは、気が引ける。それでまた悩んでしまい、スマホ解約が延びてしまった。

 悩んでいろいろと検討して、格安スマホに変えることにした。ドコモのahamoに変えようとドコモショップに出かけた。そこで7月1日から開始した新しい格安スマホirumoを紹介され、私の使用条件とあっていたので契約をした。

 

 irumoの仕様は下記である。(ドコモ光とセット)

  5分のかけ放題(今まではかけ放題で契約)880円

              かけ放題なら1980円

  データ容量0.5G        550円

  ドコモメールは使用不可

  5G契約(今まで4G契約) 3300円の切り替え料金発生

 

 それでデータ容量0.5Gで550円、5分の無料かけ放題で880円、合計で1430円である。今まで月に6千円程を払っていたスマホ代が、4,600円ほど安くなり、年間55,000円の節約となる。10年間で約55万円の節約である。

 今までが高すぎたのだ。今までガラケーでかけ放題で月2,000円程であったのが、スマホに変えたら、月6,000円に爆上げであった。

 

 現在、ネットは主にPCで行っているので、スマホの通信容量0.5Gのデータ容量で何の問題もない。過去2か月間の平均通信容量は0.5G未満であった。出先で少しネットを使うだけであった。スマホの小さな画面で頻繁にネットをやろうとは思わない。当然、ゲームなどしない。YouTubeもスマホでは見ない。

 格安スマホでは、ドコモメールが使えなくなるが、今まで一度もドコモメールを使ったことが無い。それより、ドコモメールが勝手に宣伝メールが舞い込むのでヘキヘキして迷惑していたところである。私はショートメールが使えれば、充分である。

 irumoに契約すると自動的に5G契約になるが、端末が4Gで、0.5Gのデータ容量なので、実質的には4Gのままである。それを口実に3,300円の切り替え手数料を「盗ら」れた。まさに詐欺みたいな手口である。それでもメリットが大きいので黙って受け入れた。

 唯一の新しい手間は、電話をする時はストップウォッチを使って、通話が5分を超えないようにする必要があることだ。そうしないと超過分は30秒で22円の通話料がかかる。後日、必要なら追加の1100円を払って、かけ放題の設定にすればよいと割り切っている。

 またかけ放題で時間を意識せず通話をするより、5分間という時間を意識して通話をする方が、人生ではよいことだろうと気が付いた。時間は命なのだ。

 

2023-07-01  久志能幾研究所通信 2713号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年6月30日 (金)

大垣有事、小原鉄心の敵、利権憂事、大垣の敵

 

 2023年6月28日、講師・横幕孜氏の「大垣市ゆかりの偉人 小原鉄心を学ぶ」講演会が開催された。多くの示唆を受けた。

 

 小原鉄心は大垣を救った大恩人である。その遺徳を偲んで小原鉄心の胸像が大垣市図書館、(松尾芭蕉奥の細道)結びの地記念館、大垣市興文小学校に展示されている。

 

 江戸幕末時、大垣藩に小原鉄心がいなければ、大垣は会津藩の代りに薩長の勤皇派からの生贄・見せしめとして、徹底的に破壊され焼け野原にされたであろう。明治政府の薩摩藩長州藩は、幕末の争乱で幕府側の大垣藩に痛めつけられていたので、その恨みを晴らすべく、虎視眈々と大垣藩を生贄にしようと狙っていた。大垣藩が幕末に勤皇派に鞍替えしたので、薩摩藩長州藩は忠誠を試すために、戊辰戦争では、大垣藩は最前線で戦わされた。そのため多くの大垣の若い藩士が戦死した。

 長州藩は、蛤御門の変で、大垣藩から甚大な被害を受けていた。だからその恨みは半端ではない。その恨みの深さは、戊辰戦争時の会津藩の惨劇を見ればよく分かる。そうなれば今の大垣は存在しない。小原鉄心は大垣の恩人である。

  

 

 

ペリーが浦賀に来航

 嘉永6年(1853年)6月にペリーが浦賀に来航すると、浦賀奉行戸田氏栄は本家である大垣藩戸田家に支援を要請した。鉄心は藩兵とともに浦賀警備のために派遣され、氏栄を助けた。大垣藩の小原鉄心は、500人の藩士を連れて、浦賀に出兵した。それだけの軍事力を大垣藩は持っていた。小原鉄心は大垣藩を軍事改革、財務改革をして最新鋭の軍備を備えていた。それだけ大垣藩は江戸幕府内でも重鎮であった。

 もし大垣藩が尊王派に鞍替えしなければ、幕末の激動の時代に徳川幕府が中心で明治維新が成り立ったかもしれない。そんなキャスティングボードを握っていた大垣藩である。

 

幕末の急旋回

 当時の尊王派、佐幕派の戦いは、現在風に言えば、米国派と媚中派の戦いのようなものだ。

 当時、佐幕派の重鎮であった大垣藩を勤皇派に急旋回するための説得活動をした。小原鉄心は大垣藩を勤皇派にする藩内の説得工作に成功して、やっと意見の統一が出来た。

 慶応4年(1868年)1月3日、小原鉄心は参与(三職参照)に任じられて新政府に出仕。しかし、この日に始まった鳥羽・伏見の戦いでは、大垣藩は幕府軍に従って出陣しており、養子の小原兵部(忠迪)率いる藩兵が淀への先鋒を務めていた。

 慌てた鉄心は新政府の許可を得て10日に大垣に帰り、再度、佐幕派と論争を行った。隠居していた元藩主・戸田氏正の支持を受けた鉄心は、藩主・戸田氏共を説得して藩論を尊王派で統一、恭順を誓う氏共の請書を京都に持ち帰った。新政府に恭順した大垣藩は、以後の戊辰戦争で新政府軍に加わり、鉄心は兵部を東山道先鋒として従軍させている。

 

 

小原鉄心の見識

 小原鉄心は当時の日本の著名人の多くと親交があり、それが世界の情勢を正しく把握できた。そのため幕府派から尊王派に鞍替えの決断を行えた。

 時代の混迷期は、知識と情報は最大の武器である。情報が錯綜する中、正しい決断には、丹力ある見識が必要だ。

 剣術でも、地方の剣の名人は、江戸の小さな道場主と闘えば、負けると言う。江戸では、多くの道場破りが剣道道場を訪れて、他流試合をしていたからだ。多くの剣士と交わるから腕が上がる。同じように、多くの人と交わると見識が深まる。小原鉄心は幕末の偉人の多くと交際があった。

 ペリーが浦賀に来航した時、小原鉄心は国の防衛の最前線で外国の脅威を目の前で「現地現物」で確認しており、それが後年の尊王派へ舵を切った一因であろう。鉄心は国がまとまらないと、国が亡ぶ危険性を認識していたのだろう。

 Scan0216

   小原鉄心の交遊関係図    横幕孜氏作

.

小原鉄心の油断

 小原鉄心は56歳で亡くなっている。早すぎる死である。鉄心がもっと長生きしていれば、明治政府に中枢に上り詰めたと推定されるが、惜しいことである。

 彼の死因は調べたが不明である。しかし、小原鉄心は雅号を、「酔逸」とするくらい無類の酒好きのようで、それが遠因で亡くなったと推定される。

 鉄心は多くの有力者と交遊があったが、三輪次郎助(沢田屋、後の三輪酒造)の豪商との付き合いが問題であったようだ。多くの人も鉄心は酒が原因で肝硬変にでもなったと噂をしている。当時はまだ酒の弊害が知られていなかったのだろう。それだけが、危機管理上の唯一の失敗である。酒は百薬の長ではなく、酒は少量でも毒物である。

 小原鉄心は大垣藩の存亡の折、正しい決断をしたが、自分の城(体)を守ることには疎かになった。自分の城の中に、尊酒派と禁酒派がいて、その争いの拮抗があったはずだが、鉄心は酒好きで、自制心が負け、尊酒派に組み過ぎたのだ。

 「我を亡ぼす者は我なり。人、自ら亡ぼさずんば、誰か能く之を亡ぼさん。」(呻吟語)

 健康こそ、最大の国を守る防衛である。国民が健康に留意をしないから、現在、日本の医療費が、年間43兆円超えに膨れ上がっている。税収が60兆円しかない状態で、国として狂った状態である。それを有事と考えない政府は、ノー天気である。その考えが国を亡ぼす。

.

大垣の敵

 この22年間、大垣は衰退の一途である。都市の価値を決める公示地価は、この22年間、下落の一途である。公示地価は22年前の半値以下に暴落した。人口減少率も、想定の2倍の速度で減り続けている。

 その現実に目をつぶり、利権政治に走っている石田仁大垣市政権は、市民の敵である。大垣を滅ぼすのは、大垣市の政治家である。政治家は、やったことはもちろん、やるべきことをやらなかったことにも責任を持たねばならぬ。

  前市長も現市長も無為無策、無能である。政治は結果が全てである。そうでないと言うなら、結果を早く出して、汚名を晴らして欲しい。大垣市民は嘘で固めた増税に苦しんでいる。実際はゴミが減っているのに、増えたと大嘘をいって、石田政権はごみ袋有料化をごり押しした。利権政治の最たるものだ。

.

 2023-06-29  久志能幾研究所通信 2712号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2023年6月29日 (木)

自作カミオカンデで女神の閃き、神尾噛出

 

 私の書庫には、5トンの図書が蔵書として保管されている。スーパーカミオカンデには5万トンの水を蓄えた円筒形水タンクが設置されている。そのスーパーカミオカンデの水重量の1万分の一の5トンの図書で埋まった書庫に、50年分の800Kgの情報スクラップ(雑誌・新聞の切り抜き、講演資料、チラシ等のスポット資料)を80個のファイルボックスを蓄えた。1個のボックスファイルは約10Kgである。それが私の極小カミオカンデ実験室である。それを私は「神尾噛出」と名づけた。

.

神尾噛出

 雑誌はドイツ語でZeitschrift (die Zeitschrift{女性名詞})である。女神は後髪が無く、やってきた幸運の女神は前髪を掴まねばならないとされる。しかし旬の過ぎた雑誌は、昔の女の様に過去の女神であり、その女神には、前髪も後髪もなく、あるのは尻尾だけである。その尻尾を掴んで噛めば、良き閃きを得ることが出来る。それはハレー彗星の尻尾をつかむような行為である。ハレー彗星の尻尾は、その軌道により、太陽光の風が変わり、それにより光って見えている。過去の雑誌記事は、現代の風に当って、過去の光とは別の光を出している。それを掴めば創造的な発想が出来る。(おだ仏教の新説?)

.

情報のシャワー

 スーパーカミオカンデでは、ニュートリノがたたき出した荷電粒子が、水中の光の速度よりも速く水中を走ると、チェレンコフ光が放出される。スーパーカミオカンデは、それを観測している。

 私はそれと同じように、50年分の情報のシャワーを浴びることで、脳細胞に刺激を与えて、新しい閃き得ようと試行錯誤している。この2か月間で、2回、それに目を通した。その資料に目を通すことで、50年分の情報、経験知が頭をよぎっていき、当時のことが目に浮かぶ。

 スーパーカミオカンデには光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーが設置されている。それに対して、ヒトの大脳には約160億個、小脳で約690億個、脳全体では約860億個の細胞が有る。情報に接することで、脳細胞がセンサとなって反応しているはずだ。センサの数では「紙緒感出」はスーパーカミオカンデより巨大である。

 それは私の創造活動である。過去の情報や経験やモノの記憶が頭の脳みそを掠めている。その情報を分解して、再結合して、新しいモノを生み出す。それこそが創造の定義そのものである。

 

知見

 またその50年分の資料をふりかえることで、下記の知見を得た。

  あの努力があったから、今の自分がある。

  あの取り組みはやり過ぎだった。

  あの努力は不要だった。

  もう少し別の取り組みが出来たはず。

  その失敗は、自分がまだ成長していなかったからだ。

  あの失敗があったから成長できた。

  当時の苦い経験は、よき成長の為の栄養剤であった。

  10年、20年のスパンで見ると、因果応報の法則が当てはまる。

  一歩前に出た勇気は、20年後に実を結ぶ。

  全てのものは生老病死である。

 

 この作業で過去の人生を0.2度ほどやり直した気がする。「人生二度なし」であり、人生のやり直しはできないが、見直し、出直しは何度でもできる。死ぬ日でも、新たな出直しはできる。どんなことでも出直しに遅すぎることはない。

 

Dsc02459s

 これで56個のボックスファイル。2023年5月当時で、合計80個のファイル数だった。  

Dsc01174s

  ボックスファイル

Dsc01173s

Dsc01175s

 以前80個あったボックスファイルを70個に整理   2023年6月28日

Dsc01176s

 50年分の資料からまとめた個別テーマファイル

Dsc01177s

 100年分の我が家の写真記録


039a12113s

 .

スーパーカミオカンデ

 スーパーカミオカンデは、世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置です。1991年に建設が始まり、5年間にわたる建設期間を経たのち、1996年4月より観測を開始しました。スーパーカミオカンデ実験は、東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設を中心に、日本、アメリカ、ポーランド、韓国、中国、スペイン、カナダ、イギリス、イタリア、フランス、ベトナムの約50の大学や研究機関から約230名の研究者が参加する国際共同研究として行われています。

スーパーカミオカンデ検出器は、5万トンの水を蓄えた、直径39.3m、高さ41.4mの円筒形水タンクと、その壁に設置された光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーなどから構成されています。岐阜県飛騨市神岡鉱山内の地下1000mに位置しています。

スーパーカミオカンデ 公式ホームページ  より

https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/sk/

 

2023-06-29  久志能幾研究所通信 2711号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年6月26日 (月)

巡礼 顔は人生の風景画 平野峰生鉛筆画展

 

会期 6月3日~6月27日 11時~17時(最終日は16時まで)

場所 岐阜市 川原町 Gallery Sagan

 

 平野峰生の鉛筆画で表現の極致を目指した肖像画の作品が展示されている。平野画伯は、鉛筆での表現の極致を目指している。その息遣いと人の温もりが感じられる肖像画が、Gallery Saganで展示されている。

 

 鉛筆で人の顔をこれだけ生々しく表現できるとは、私には「しょうじょうが」(想像?が)つかなかった。肖像画とはその人の人生を俯瞰して、作り上げる創造物である。肖像画を描くには、人物の心の内面まで見通せないと描けない。ある意味で観相師でもある。

 画伯は依頼受けて肖像画を描く場合、多くの時間をかけて面談し、対談中に写真も多く撮り、その人の一瞬に浮かぶ一番良い笑顔を見つけ出し、その顔を創造して、描くという。だからその製作には時間がかかる。だからその出来栄えは多くの人から称賛されている。

 

故人の遺影

 そんな良き評判から、故人の肖像画の依頼も多くあるようだ。私もいま母の肖像画の作成を検討している。母は写真嫌いで、良い写真が残っていないのである。今は小さな写真を引き伸ばして遺影としているが、写真が少々ピンぼけで何とかしたい思っていた。今回は良きご縁のようだ。

 

西洋文化と日本文化

 私は、いままで多くの肖像画を日本と欧米の美術館で鑑賞してきたが、二つは次元の違う作品群であると結論付ける。その差は、欧州の宮殿と京都の御所や桂離宮の造りの差に似ている。欧州の宮殿は、見た目は豪華絢爛たるつくりだが、細部の目を凝らすと雑な造りが目につく。ウィーンのハフスブルグ家の宮殿の内部装飾は、見た目は豪華絢爛だが、細部はがさつなつくりであった。それと比較すると日本の職人芸は神技である。西洋の宮殿の造りは、日本の御所等の清楚で緻密な造作とは別次元である。

 西洋の油彩絵画は、全てを油絵具で表したいと絵の具で画面を埋め尽くす技法である。西洋の思想では、何事も「人間が自然を征服した」と表現するように、すべて人間の支配下に置きたい欲望の象徴なのだろう。だから想像の余地のない描き方のようだ。ドエライモンのように「これでいいのだ。文句言うな」である。その肖像画も貴族や金持ちが金に任せて画家に書かせた美術品である。応接間や迎賓の間で見せびらすための作品が多い。

 それに対して、平野画伯の鉛筆肖像画は空白と色使いの余韻を感じさせるような文学作品である。肖像画の余白の空間がその人の人生を物語を語っている。

 その西洋の油彩の肖像画と比較すると、平野画伯の鉛筆肖像画は何故かほっとする。5つ星の高級レストランで調味料ゴテゴテのフランス料理を食べるより、日本の高級料亭で素材の味を活かした和食を食するほうが気持ちがよい、それと同じような感覚である。

 

肖像画はその人の人生風景画

 その土地の風景は、その土地の歴史とその土地の住民の生きざまが創り出される。同じように建屋もそこに住む人の心が表れる。

 顔も同じで、その人の今までの喜怒哀楽の歴史が刻まれている。笑顔で過ごした人の顔は、法令の筋肉が鍛えられて深い溝が顔に刻まれる。感動をせず、無表情に過ごした人の顔は、のっぺらぼうになりがちだ。終始、しかめっ面をしてきた人の顔はそれが顕著にあらわれる。眉間にも厳しい皺が刻まれる。だから顔には、その人の歴史が刻まれる。顔とはその人の歴史の風景画なのだ。心がその人の顔を造ってきたといってもよい。

 笑顔こそ、回りの人に幸せをもたらす宝物である。平野画伯の肖像画は、その笑顔が命の象徴なのだ。正に和顔賛歌こそが、平野画伯の肖像画のテーマである。

 

Dsc02664s

Dsc02654s

Dsc02667s

Dsc02658s

 

Dsc026491s

 

Img_64181s

  馬場恵峰書

.

2023-06-26  久志能幾研究所通信 2710号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2023年6月25日 (日)

台湾有事、怠慢有事、一燈を掲げて暗夜を行く(1/2)

台湾有事

 平和の時代は人殺しの話はご法度である。しかし戦争の時、非武装中立論の講釈を垂れていれば、自分が殺される。銃後の家族も殺される。戦争の時は、襲ってくる敵と真剣に戦い、人殺しをせねば国が滅ぼされる。

 

 ウイグル族が中共に虐殺され、多くの人が強制収容所に収監されていることは、国連の調査で明らかになっている。

 新疆ウイグル自治区は人口が約2,500万人で、ウイグル族が45%、漢民族が41%を占める[1]ランドール・シュライバー米国防次官補によると、2018年5月現在「ウイグル人の少なくとも100万人(ウイグル人の約8.9%)、しかし、おそらくは300万人(ウイグル人の約27%)の「市民」が強制収容所である新疆ウイグル再教育収容所に勾留されている。[2][3]。 

       この項wikipediaより

 

  1. ^ Stewart, Phil (2019年5月4日). “China putting minority Muslims in 'concentration camps,' U.S. says”Reuters 2019年9月17日閲覧。
  2. ^ Rappeport, Alan; Wong, Edward (2018年5月4日). “In Push for Trade Deal, Trump Administration Shelves Sanctions Over China's Crackdown on Uighurs”The New York Times 2019年9月17日閲覧。

 

 ウイグル族がこのように虐殺されているのは、ウイグルに平和憲法が無かったからではなく、中共軍に対抗できる軍隊組織が無かったからだ。ウイグル族は約1割の100万人の人民が虐殺された。日本に当てはめれば、1千万人が虐殺されることになる。

 そして強制収容所でドナーとして臓器が摘出されているとして、国連で問題提起されている。

 今、欧米なら臓器移植のドナーを探すのに1年はかかるところ、C国に行くと1週間でドナーが見つかると言う。

.

日本自治区はドナー供給源に

 日本が中共に占領されて、日本自治区にされれば、日本自治区は、格好の臓器移植のドナー供給源とされよう。日本人は栄養状態もよく、健康体で、人口がウイグル族の10倍も多いため、即日にドナーが見つかるようになるだろ。そうなれば共産党幹部は驚喜するだろう。

 国連でも中共のウイグル族の臓器摘出が問題にされているのに、中共寄りの日本のマスコミはそのニュースを黙殺である。それこそ売国奴である。そういう状況になっているのは、日本人の危機意識の低さである。媚中派の国会議員、公明党、共産党、マスコミが野放しにした責任である。

 中共はこの20年間で、軍事費を10倍にして軍備を4倍にした。中共は国防費を去年と比べて7.2%も多い、約30兆5400億円余(日本円換算)となり、予算伸び率は、去年の7.1%より増加した。それに対して日本の防衛予算案は約6兆8000億円である。日中は実質的な経済規模(GDP)はほぼ同レベルであるが、軍事費は中共が日本の5倍である。習近平は明確に台湾進攻を宣言している。世界はならずもの国家の横暴で危機状態にある。ウクライナ侵攻を見れば、危機状態は日本でも同じである。北朝鮮はミサイルを撃ち放題である。日本はならずものの3国家に囲まれている。日本人はもっと危機意識を持たねば、国が亡ぶ。

 

藁人形に五寸釘

 中共は、尖閣諸島や沖縄に毎日領海侵犯、領空侵犯を繰り返している。まるで家の回りに刃物をもった反社勢力がうろついていると同じである。非武装中立論は、夜は玄関に鍵をかけずに寝ていろと言うようなものだ。

 中共はこの40年間、若人を反日教育で洗脳している。まるで日本の藁人形を作って五寸釘を打ち込んでいるようなものだ。

 洗脳教育の恐ろしさは、元安倍首相の暗殺事件、統一教会の洗脳、オウム真理教での洗脳事件でその恐ろしさを思い知らされた。相手は匕首を左手にもって、右手で握手を求めているような滑稽な姿である。中共が欲しいのは、日本の先端技術と日本人の臓器とだけだと分からないのが愚かなのだ。

 中共の毛沢東は「大躍進政策」が実は大後退政策である現実に目を向けようとせず、結果的に2000万~3000万人が死亡する大飢饉を起こした。また文化大革命では、各地で大量の殺戮や内乱が行われ、その推定死者数は数百万人から2000万人以上ともいわれている。

 その中共は尖閣諸島、沖縄、台湾を虎視眈々と狙っている。その願いを実現するため、現実に領海侵犯、領空侵犯をそれらの地域に毎日実施をしている。

 

 そんな状況では、台湾有事に備えるのが、常識と言うものだ。それを妨害する野党や左翼論者は、敵の回し者・スパイとして見ないと、日本国が滅んでしまう。スパイ法の成立に反対する輩は敵の回し者である。誰が、どの党が反対しているか、凝視しよう。

 

近直のスパイ事件

 国立研究開発法人「産業技術総合研究所」で自身の研究内容をC国企業に漏えいしたとして、警視庁公安部は2023年6月15日、C国籍で産総研主任研究員の権恒道チュエンホンダオ 容疑者(59)を不正競争防止法違反容疑で逮捕した。権容疑者は2018年4月13日、自身が研究している「フッ素化合物」に関する情報をC国企業にメールで送り、産総研の営業秘密を漏洩した。

 大きな問題は、そんなスパイ行為が明白な人物が国の研究機関の要職に就いていたこと。それをさせる闇の勢力が、日本国の支配階級に存在するという事実である。裏の勢力は中共から弱みを握られ、カネ縛りにあっている。

 

当たり前の対策

 正しい国際認識を持ち、暗夜に一燈を掲げ、他国の侵略を防ぐ行動をしよう。国民一人ひとりが危機意識に目覚めて、売国奴の議員、政党、マスコミを排除しないと国が亡ぶ。売国奴のオタカさん社会党が北朝鮮の日本人拉致を黙認したから、拉致問題が今でも解決しない。オタカさんは拉致の事実を知っていたという証言がある。あれだけの事件で、北朝鮮と親密な社会党の党首が知らないはずがない。当時、国民は非武装中立論に騙されて、社会党に投票した。国民が国際情勢に疎かったからだ。勉強不足の国民の責任である。

 良識ある国民が一燈を掲げるとは、敵の回し者・スパイ同等の媚中派の議員に投票しないことだ。媚中派のテレビを見ない、媚中派の新聞雑誌を買わないことだ。

 なんでハニートラップにかかった媚中の外務大臣が、現内閣でのさばっているのだ。なぜ自民は、媚中派の公明党と共闘するのだ。スパイ法成立に反対する議員・党に投票しない。媚中派の内閣を支持しない。世論調査で、国民の意思を明らかにする。国民として投票の義務を果たす。そうすれば支持率1%の日本共産党が4%もの議員を当選させることができるはずがない。

 投票率30%では、国は暗夜である。それでは国を護れない。国民全員が投票に行き、正しい投票をする。それが最大の国防である。それこそが、一燈を掲げて暗夜を行く、である。

 

4k8a18652s     馬場恵峰書

.

2023-06-24  久志能幾研究所通信 2709号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します