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2023年7月 7日 (金)

古希を過ぎたら毎年、死亡企画書を書こう

 

年度人生企画書

 私は毎年、その年の人生企画書を書いてきた。年初に、前年の反省をして、その年のやるべき人生計画を立て、目標値を決めていた。

 会社でも部門長を任されると、会社の年度方針に合わせて、自分の部署の企画書を書かねばならぬ。それと同じで、定年退職して、自分人生有限会社の社長になったなら、その年の人生企画書を書かねば、目標の無いないだらけた生活となってしまう。だから還暦以降も、年度企画書に沿って頑張ってきた。

 しかし古希を目前に、がんを患ってその人生企画書を書く元気をなくした。それでも何とか、人生企画書を書いて生き延びてきた。

 

年度死亡企画書

  毎年の人生企画書とは、毎年、成長する目標値を決めて精進することだ。しかし成長が、無限に続くわけではない。人生でもいつかは終りが来る。会社でも無限に成長するわけではない。無限に成長する細胞とは、がん細胞である。

 古希を過ぎ、死期に目覚めて、今まで書いてきた人生企画書を死亡企画書に変えることにした。要は死ぬまでの生き方の計画である。まあ死亡企画書の別名は、体力維持企画書である。

 良く死ぬとは、良く生きることだ。人生で最大で最後のプロジェクトが自分の死である。その準備にやり過ぎることはない。人生二度なしであるからだ。生涯現役を全うするには、相応の準備が必要だ。その計画が死亡企画書である。

 ヒトも細胞も生老病死である。ヒトも成長のピークを迎えると、人間の筋肉量は年に1%ずつ減少していく。40歳以降、脳の容積は年に0.5%ずつ減る。古希を迎えると、筋肉量も体力も若い頃の半分になっている。それは頭脳細胞でも同じである。ただし、語彙力等の思考能力は成長を続ける。そのピークは、60~70歳という。それは学び続けた人だけである。そうしないと認知症になる。65歳の認知症患者は、その年代の15%に及ぶ。

 生物が永遠に成長するはずがない。だからその宇宙根源の理を受け入れ、いかに静かに穏やかに下山をするかである。ヒトは生を受け、人生飛行に飛び立つ。しかしいつかは着陸せねばならぬ。その着陸(死)を遅く、穏やかにする取り組みをする。それを美しくしたい。それが人生飛行の着陸の美学である。

 

体力低下防止の取り組み

 できることは、その年々減少していく筋力、体力の減少速度をいくつに抑えるかを企画することだ。何も企画しなければ、無為に筋力が年1%ずつ減少して、フレイル、サルコペニアになって、寝たきりになってしまう。フレイルとは虚弱の意味である。サルコペニアとは、高齢になるに伴い、筋肉の量が減少していく現象である。

 私も還暦のころは楽に歩けたウォーキング距離(8㎞)が、今は歩けない。それが加齢現象である。使わない器官は退化するが生物の原則だ。だからなるべく筋力を使う生活をするよう意識する。その運動の企画をする。意識しないと、それが出来ない。生涯現役を目指すためには、必須の取り組みである。

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 脳の掃除

 衰えゆく各機能の中で、精神のみが向上できる。人間としてそれをどこまで高めるか企画をして精進したい。

 スマホばかりに没頭すると、脳のフレイルになってしまう。それは脳の糖尿病である。ネット情報の99%はゴミ情報である。そんなゴミにまみれれば、認知症にまっしぐらである。自分で考えて、アウトプットを出し続ける。それが認知症防止、老化防止、脳フレイル防止である。

生前葬

 自分が死んでから、親しい人に弔ってもらっても、本人は嬉しくない。それより、生前に酒を酌み交わして、今まで親交の数々を思い出す方がよい。相手も何時死ぬかも知れぬ。人の明日は分からない。だから親しい人とは、個別に生前葬として宴席を設けたい。年初にその計画を企画しよう。

 自家の墓は、築60年で痛んできたので、私が65歳の時、改建した。よく考えれば、自分も入る墓である。だから手配済である。

戒名

 私は、ガンを患って退院後すぐ戒名を授けてもらい、墓誌に彫った。私は葬儀費用、50年分の法事費用も払ってしまった。準備万端である。

 死後に戒名を授かるのは、応急処理である。生前に住職様と相談して決めておくべきである。

弔辞

 50歳ごろ、研修で臨死体験をさせられた時、自分あての弔辞を書かされた。それを見直している。それこそが、これからの生き様の企画である。

献体

 養老孟司先生の話しでは、若い死体は稀有だが、老人の死体は有り余っているようだ。解剖医は若い死体を探している。だから私の死後は、病理解剖などせず、そっとして欲しいと思う。

 私は、臓器移植が自然界の理に反していると思うので、それもやらない。

 

着陸

 着陸は美しく決めたい。ガソリン(財産)を余分に持っていると、重すぎて地面に激突する。還暦までは、蓄財に励むべきだが、古希をすぎれば、減財を考えるべきだ。財産を持って彼岸には行けない。老人がお金をあと5%余分に使えば、日本の景気は回復する。お金を使うには体力と気力が要る。気が付いた時は、体力と気力が無くなっている。

 だから身軽に美しく、静かに着地したいもの。着地姿勢の美しさが、生き様の全てを表している。ガソリンを遺しすぎて、遺族が醜い相続争いをするのは、醜態である。身近な親族で、その様を見て呆れた。

 

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  着陸は美しく決めたい。   セントレアで撮影(著者)

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 2023-07-06  久志能幾研究所通信 2715号  小田泰仙

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