70年前のタイムカプセル(2)モノつくりの兆し
B707着陸写真のパネル
私が高校生の時、クラブ活動として写真部に在籍し、小牧飛行場によく写真を撮りにいっていた。一眼レフに200mmレンズにつけて、着陸時の飛行機を撮っていた。当時はズームレンズはなく、固定焦点である。
私は高校では写真部の所属なので、その写真を写真部の暗室で、自分で引き延ばし、現像して、パネルに貼って、学校の文化祭に出品した。そのパネルも手作りである。50年も経っているので、パネルに貼り付けた当時のガムテープが剝がれそうで、時代を感じる。フィルムの現像も学校の暗室で出来たが、手間がかかり過ぎるので、フィルムの現像だけは業者に出していた。しかし印画は自分達でやっていた。
その写真パネルが70年前のタイムカプセルから出てきた。私のお宝である。懐かしさが一杯である。当時、そんな贅沢な遊びをさせてくれた両親に感謝である。
飛行機を撮る趣味は、もう56年も続いている。
B1サイズに引き延ばし 小牧空港で 1967年頃
Canon PELLIX FL200mmF3.5
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ポスター「国際航空宇宙ショー1971年」
私が大学生で、その会期中の1週間を、大学の授業を全て欠席して小牧飛行場に通った。その時、米海軍のブルー・エンジェルスが来日した。思い出深いの航空祭である。そのポスターもタイムカプセルから出てきた。お宝である。
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模型づくりの遺品
当時の未組立てのプラモデルも出てきた。当時のプラモデルの箱を見て懐かしさ一杯である。おこずかいでそれを買うこと黙認していた両親に感謝である。
当時、私は機械系の模型作りの遊びが中心で、将来は飛行機の設計者を夢見ていた。しかし、能力的に航空機の分野に進むのは無理があった。名古屋大学の航空学科は、東大に入る学力がないと無理とのこと。また当時の経済界の状況で、卒業後に航空機関係の仕事に就くのが難しいとのこと。それで航空学科を諦め、工学部機械科に進学して、機械系の会社に入った。そこで人並み以上の努力をした。それで今の日本の産業界の発展に少しは貢献できたと自負している。当時は、まさに高度成長期の最中であった。
今の若者の夢
今の若い子の将来の成りたい職業の調査では、ユーチューバーやゲームクリエイターになることが上位になっている。若者がスマホ、ネットで形ないものやゲームの世界の幻想に没頭しているからだろう。電車内でも若者がスマホをいじっているが、半分以上がスマホゲームに没頭している。
しかし、今の若者の夢がユーチューバーやゲームクリエイターになることには、私は危惧している。それで今後の日本の発展にどういう貢献をするのか。ゲームに没頭し過ぎて、平気で人殺しまでする社会になっている。最近は岐阜陸自で乱射事件が起きたばかりである。ゲームばかりでは情操教育はうまくいかないだろう。私も学生時代、ゲームばかりしていれば、モノつくりの会社に入社しようとは思わないだろう。そういう点で、若いころの趣味は大事だと思う。
人は一番多く見たものや多く考えたことから影響を受ける。その一番多く見るものを何にするかが、人生を創る要点である。私は若いころ、「人殺し」ゲームには手を出さなかった。それがよかった。
2023-07-12 久志能幾研究所通信 2717号 小田泰仙
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