2017年9月 6日 (水)

インプラント 42(Web情報)

 下記情報は各歯科医院のWebにて収集して、有益と判断した内容を紹介しています。私は医師ではないので、判断は各自でお願いします。詳細は各歯科医院に問い合わせをしてください。

 

インプラント否定派 歯科医

1.ほんだ歯科   http://www.honda.or.jp/A.htm  2012/09/29

  Webにて「インプラントのリスク」で検索して、最も納得できた合理的説明が「ほんだ歯科」の情報であった。以下HPの抜粋です。

 

ほんだ歯科がインプラントを行わない理由

・インプラントは身体への大きな侵襲がある

 老化で免疫力が低下していく中、永久に異物を生体内に埋め込むことの危険性の検証が不十分。

・ブリッジや入れ歯などが安全で、確立された技術で管理がしやすい。

  インプラントの場合、取りはずすことも考慮すると取り返しのつかない事態が起きる恐れがある。

  インプラントをしなければいけない人は、歯周病の管理ができなかった人が多いわけで、インプラント治療後に更に高度な管理が要求されるので、維持管理が難しいと推定される。

 ・本田医師は、自分でもインプラント治療は受けないし、家族にはインプラントは勧めないという。

 

2.越久村歯科医院(京都、大阪、滋賀)http://www.okumara-dental.com/nonimplant.htm

  ここの医院の情報も良心的で納得できる情報であった。

  「ここで問題視しているのは、インプラントの材質(ほとんどがチタン合金)の親和性と歯根膜の介在なしに直接かむ力が骨に伝わることです。

  骨は少し内部に入ると血液の豊富な海面骨です。まさに内臓移植に匹敵する生体親和性が求められことに異論はないと思います。・・ほんとうは歯に詰めたりする材料も同じなのでしょうが・・・頭蓋骨の一部に穴を開けてたとえるなら機能的に100パーセントでも、チタン合金の人工心臓を埋め込むことを体は許容するでしょうか?血液型等いろいろな条件をクリアした他の人の心臓を移植する場合でも、体は異物とみなして排除しようとするため一生免疫抑制剤を飲み続けなければいけないのです。」 2012/09/29

 

 下記はインプラントの全般的知識の修得には有効なHPです。一部抜粋、詳細はHPを参照ください。判断は各自でお願いします。

 

3.インプラント道場   http://implant.affmc.com/05/#TOP     2012/12/1

インプラント 適する人と適さない人

 インプラントの治療が行われるのは基本的に歯が欠損していれば誰でも適応になるとされていますが、場合によってはインプラントが適応にならない人もいます。

 またインプラントを埋め込む部位の顎の骨が痩せ細りインプラントを埋め込むにあたり十分な骨がない人などに対しては、GBRやソケットリフトなどの手法を用いる事でインプラントが可能となることもあります。

 しかしインプラントが適さない人とは、全身にある疾患を持っている方で、インプラントの治療を受ける事が出来ません。自分が現在罹っている病気についてインプラントが可能かどうかを歯科医師にきちんと確認する事が大変重要になってきます。

 インプラントが適さない人

 インプラントが適さないとされる全身的な病気は以下になります。

 もし自分が以下の病気に罹っている場合には医師にインプラントが適応になるかどうかを確認しましょう。

・糖尿病を患い症状が重い方。

・心筋梗塞や脳梗塞をインプラント治療をする半年以内に経験された方。

・血液疾患がある方。

・高血圧でも治療を受けずに血圧の管理が出来ていない方。

・他の病気や様々な理由でインプラント手術に不適と診断された方。

 インプラントと糖尿病

 以上のようにとされていますが、血糖値は運動やストレスなどの要因で変動するものですから、インプラントの治療を行う時には「ヘモグロビンA1C(最近1ヶ月から2ヶ月の状態を反映したもの)」を7.0以下にコントロールすることが、糖尿病の方がインプラントの治療を受けるためには重要となります。

 以下、項目のみ掲載します。

 インプラントと骨粗しょう症

 インプラントと金属アレルギー

 インプラントと心臓病・腎臓病・肝臓病

 インプラントと口腔内乾燥症

 インプラントと歯科治療恐怖症

 インプラントと嘔吐反射が強い人

 インプラントと年齢制限

 高齢の方に対するインプラント

 インプラントと喫煙

 インプラントと噛み合せの補正

 インプラントと奥歯が無い人

 インプラントと神経のない歯

 インプラントと歯根破折

 

2017-09-06

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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エイリアンとの戦いに負けると痴呆症

 TVのバラエティ番組、グルメ探索番組、お笑いバラエティ等を集中して見続けることは、痴呆症の洗脳教育と同じである。テレビの痴呆的番組と距離をおき、自分と家族を理知的、理性的な世界に置きたかったら、テレビ番組は見ないことだ。痴呆的番組で国民を洗脳し、CMで嗜好品の中毒状態にして、視聴者を食い物にしている。私はテレビの契約を解約した。必要な映像は、ビデオカタログで見て、ビデオディスクを購入するか、知人に頼んで録画してもらって、ディスクで見ている。

 

馬鹿馬鹿しい怪物

 下記のマニュアルは、玉木正之氏が『時事英語研究』1994年1月号で紹介したコラム「テレビという馬鹿馬鹿しい怪物」の抜粋である。これは氏が出演したテレビトーク番組の台本である。これを見ると、テレビ局はテレビを習慣的に見ているしている人間を考えさせないように仕組んでいるのだと断言できる。この手に視聴者が乗れば、無意識にCMの製品に手が出て、その結果益々テレビ局の売上が増大する。 

 自然界には「使わない器官は退化する」という大原則がある。現在のテレビ番組は我々の思考能力を使わせなくする習慣を作る傾向がある。テレビのばかばかしい番組を見ることはとは、ばかになる練習をしていることである。

 

 

 某トーク番組の台本 

  『○△(番組名)をより面白くするために』

 ・正論   より 本音

 ・抽象的  より 具体的    ←抽象的に考えるのが成長なのに

 ・理論的  より 体験的    ←論理が人生を正しく導く

  ・考える  より 遊び感覚   ←これではバカになる

 ・重い   より 軽い

 ・泣き   より 笑い

 ・悲観的  より 楽観的

 ・隠す   より 顕す(露顕)

 ・流れ   より 飛躍      ←論理の破綻である

 ・じっくり より ざっくり    ←緻密さの放棄

 *意見、反論は指名がなくてもドシドシご発言ください

 

酒を飲んで放送

 1970頃の私がまだ大学生のころ、東海テレビの「ナイトショー」で風刺コントの特集番組があり、「かたえくぼ」の常連として出演依頼が来た。そこでリハーサル後に、本番前の小1時間ほどの間に、スタジオ内のバーカウンターで、酒を飲まされた。ディレクター曰く「皆さんにリラックスして喋ってもらうためです。多少顔が赤くなっても、ライティグで目立ちません」。今にして思うと、何といいかげんなことかと感じた。上記の台本を見てテレビの本質を悟った。

 

日本中にエイリアンが跋扈中

 誰一人いない長崎空港の出発ロビーで、大型テレビがワイドショーの映像を流していた。なにか現代社会の象徴のような風景である。そうまでして日本人をバカする洗脳したいのかと。その昔、シガニー・ウィーパ主演の映画「エイリアン」を思い出した。エイリアンが、人間を捕まえて毒で動けないようして繭の中に閉じ込め、その人間の体内に我が子を生みつけ、我が子の餌として人間を生かしておく情景である。テレビ人は現代人の生血を吸って繁栄している。頭の中に住み付き、テレビを見ないでは過ごせなくさせる。そして二度と戻ってこない大事な時間がテレビに吸い取られていく。食べてはいけない食料品のCMに洗脳されていく。正にエイリアンに頭が占領されている。あとは痴呆化の進展があるばかり。なんで、「みのもんた」ごとき司会者が、数億円の年収を得るのか、それを許容する視聴者にも責任がある。テレビのワイデショーで「○○が健康に良い」と特集を放映すると、売れすぎて途端にスーパーの売り場から○○が消滅する。1973年のオイルショック時のトイレットペーパ騒動を思い出される。余りに刹那的な流行を作る出す現代のテレビである。日々日本の知性が劣化していく。テレビが過剰に扇動し、付加価値の生まない時間を増大させている。時間と知性と健康を貪り尽くすエイリアンの繁殖である。

 

病院の痴呆風景

 通っている眼科医院でも、診察の順番取りために朝一番に行くと、誰もいない待合室で、朝のモーニング番組が付けっ放しである。愚劣な番組ばかりを見せられては、眼も更に悪くなるでしょうに。それが眼科医のたくらみなら知能犯である。人が来て、美味くもない食品のCMをさも美味そうに繰り返し流せば、見せる洗脳教育でその製品は売れる。そして段々日本人が劣化していく。愚劣な事件が起きるのも故あること。グルメ番組の視聴率を見て、テレビ局はますます下劣な番組を流す。悪魔のサイクルである。

 図1 長崎空港の出発ロビー 2013年10月11日 11:19

 

2017-09-06

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病院待合室のテレビ放映は暴力

 大垣市民病院や公立の病院の待合室からテレビは撤去すべきと思う。静かに順番を待つべき待合室から、テレビ騒音を避ける手段をとるべきだ。

 大垣市民病院の各科の待合室では、テレビがガナリ立てている。どこに座っても、順番待ち番号の画面を見ると、すぐ横にテレビ画面が飛び込んでくる。順番待ち番号の画面を見なければならないので、逃げようがない。

 

病院のあるべき姿

 静かであるべき病院で、テレビの音声の暴力が氾濫している。病院に来て、己が病気になった原因を静かに反省すべきなのに、それを考えさせない体制である。痴呆症にするたくらみと思えてしまう。テレビ設備が各フロアに設置され、数多くあるテレビ設備費が、病院運営に上乗せされる。血税の市民税である。無駄遣いの最たるもの。私立の病院ならともかく、公立の病院ならテレビは撤去すべきだと思う。無条件にテレビの音声・映像を見させるのは洗脳教育である。それも愚劣な番組ばかりの放映である。国民に考えさえない環境を強いている。

 今まで多くの病院に通ったが、テレビの無い待合室は、岐阜駅前の眼科医院だけであった。日本の病院は異常である。眼科医院では、本来目を労わらねばならないのでテレビ視聴は控えるべきなのに、多くの眼科医院は待合室で、テレビが喚いている。目を悪くさせて医療費を稼ぐための陰謀としか思えない。

 

2017-09-06

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2017年9月 5日 (火)

老いてからの心構え

・子供にこうして欲しいと思うな

 息子には他人の女が付いている。息子には息子の人生がある。

   息子は昔の己の姿。子は己と同じ過ちを経験して成長していく。

 温かく見守ろう。

・今日は、今日のことを仕上げよ

 過去は胸にしまえ。今日が最期の日と思え。

 明日があると思うな。今のうち。一日、一生。一瞬、一生。

 人のことを構っている時間はない。

・人の長所だけを見よ

 意識して探さないと、欠点だけが目につく。

 成長がないと視野が狭くなり、長所が見えない。

 見えてくる人の短所は、昔の己の姿。 

 一段上からの視線で、佛様の視線で物事を観よう。

・心を健康に保て

 体が健康でも、心が病めば、生きた屍である。

 健康でなければ幸福はない。

 「健」とは体の状態、「康」は心の状態。

 体と心が共に健康でなければならない

・老いを受け入れよ

 自然に逆らうとは神佛に逆らうこと。自然体が一番よい。

 生あるものは生老病死。今更つっぱっても大人げない。

 死ぬときは、死ぬのが良い。己が死ななければ、若手が育たない。

 老いなければ見えてこないない世界がある。65歳で64歳の非を知る。

 その非が見えるようになることは、素晴らしいことだと認識しよう。

 長く、組織に長の座にいると周りが見えなくなる。周りが本当のことを言えなくなる。周りの陰の悪口を仏の声として受け入れよう。それが受け入れなければ、耳が聴こえないという老害である。どんな優秀な人でも、老いは避けられない。まだは、もうなり。

・消費をして日本経済を活性化せよ

 あの世にお金を持っては逝けない。老人にできることはお金を使うこと。消費は世の為人の為。消費は人の為ならず。お金を使えば、経験というお宝が自分に帰ってくる。お金を使わないから、知恵がつかない、人が去っていく。自分に投資しないと、老いてからの人生が惨めである。ガソリンが満タンもまま、人生飛行の着陸では、ハードランディングになってしまう。時には遺族が大炎上である。美しく優雅に着陸すべし。老いは、人生飛行の着陸態勢である。

馬場恵峰師の講演をもとに、記述しました。

2017-09-05

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インプラント 39(爪の垢)

3.39 千手観音菩薩の爪の垢を

 インプラントの可否の調査方法がわからず、走り回って猫の手も借りたい状況であった。しかしまだ努力が足りない。千手菩薩観音でさえも2つの手だけではなく、千本もの手を使って我々を救おうと尽力をされている。我々、人間界の存在の分際で、打つ手や手段がないとは恐れ多い話である。観音様が千本の手を使われるなら、我々凡人は万策を尽くせば、その決断のための方策や道は見つかるはず。少なくともヒントくらいは見つかるはずである。人間界で発生した事象は人間界で解決する手段が存在する。

 発明の天才、エジソンが長時間の使用に耐える電球のフィラメントを発見したのは9,999本目の材料の試験をした後であった。

 千手観音菩薩の千本もの手の爪の垢を飲むのは大変である。それだけの労力を使うと思えば、然るべき光は見えてくる。万策尽きても、私心のない祈りが道を開く。

 今回の調査結果として、北は北海道から、南は九州宮崎まで、全国の経営者仲間60人余に電話をかけまくって生の声を集約して、図書を調べ、購入してネットで情報を探し、インプラント可否の結論を出した。

 

2017-09-05

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「桜田門外ノ変」の検証 (19/28)大垣本陣

大垣でご懐妊 ---- 井伊直弼公と大垣

  弘化3年(1846年)1月、世子井伊直元公が逝去され、直弼公の身の回りが激変する。重臣の衆議の結果、井伊直亮公の世子として井伊直弼公が内定したので、即刻、江戸に上るようにとの藩主の直筆が早飛脚で彦根に伝達された。「仰山な行列は避け、なるべく軽装で、供廻りも少人数で」との指示である。

 

ご懐妊

 同年2月、井伊直弼公は藩主の指示で彦根を出発して江戸に向った。彦根から江戸の上る最初の宿が大垣宿本陣である。ここには明治天皇も宿泊されたことがある由緒ある本陣である。埋木舎で井伊直弼公の身の回りを世話していた里和が、彦根から大垣に派遣された。ここで直弼公に初めて夜の伽を勤めることになり、お世継ぎを宿すこととなる。後日、江戸屋敷に行き直弼公のお世話をする予定であったが、懐妊が分かったので彦根に留まることになった。生まれた子は愛麿と名付けられた。後年、直弼公の跡目を嗣いで、37代井伊直憲となる。里和は側室としての地位を得ることになる。

 

文化人たちの交流施設

 大垣本陣は、大垣の文化人たちの交流施設としても利用された。「桜田門外の変」の5年前の安政2年(1855年)には、大垣本陣に160名を超える俳人が集い、美濃派道統14世引継ぎ式が行われた。また、本陣役飯沼長矩の子の長侃は、京都で狂言を野村万造に師事して、大垣に帰ってから竹島狂連を結成して、大垣本陣で稽古や公演を行った。長矩の子の長温は、彫刻職人を屋敷内に住まわせ、植物学の開拓者の飯沼慾斎の『草木図説』の出版準備もここで行った。『草木図説』は日本で最初の近代的な植物図鑑である。大垣本陣は、従来の大名や公家、幕府の役人だけの施設ではなく、文化人が交流する施設の役割も担っていた。

 

明治天皇行在所跡

 明治11年(1878年)10月22日、明治天皇は東海・北陸御巡幸のため、竹島町の飯沼武右衛門邸(大垣本陣)に泊まられた。当時の飯沼邸は嘉永3年(1850年)に改築されていた。右大臣大倉具視、参議大隈重信、工部卿井上馨らを共にしての行幸である。付き添う役人は700名余とある。

 

復元された大垣本陣

 大垣本陣は、昭和20年の大垣空襲で燃えなかったので、修復され、現在の姿がある。当時のままの造りと姿が見学できる。何処で調べたのか、遠くの地からの見学者が絶えない。恥ずかしながら、私は本所を知らなくて9月3日に初めて見学して感激した。土日のみ開館で、無料です。町内の方が交代で説明をされている。

 

図1 大垣本陣

図2 大垣本陣模型

図3 昭和初期の大垣宿本陣の姿(大垣本陣の展示パネルより)

図4 明治天皇の玉座

図5 その隣の部屋 当時のままで再現。天井が高い

 

2017-09-05

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2017年9月 4日 (月)

磨墨智 435-7.待っている間も勉強しよう

何所でもドア、どこでも学習室

 下の写真は図書館の学習室で勉強するため、9時の開館前に、寸時を惜しんで玄関前の広場で参考書を広げて勉強をしながら開館を待つ高校生の姿である。

 勉強に励む姿勢が、世の中の道にあるドアを開ける鍵となる。そのドアを開ける鍵は、本人の意思と精進の真摯さである。どんなドアでも、真摯さないと神様の鍵穴と合致せず開かない。

 この子達が日本の将来を担ってくれる。日本の未来の時間を創ってくれる。我々もこの高校生をお手本に、若い時の情熱を思い出して精進しよう。そこに忘れていた昔の自分の姿がある。認知症や徘徊老人にならないように精進すれば、日本の未来は明るくなる。

 

図1 大垣市立図書館前で開館を待つ高校生  2012年9月30日08:52

 

『時間創出1001の磨墨智』より

2017-09-04

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「桜田門外ノ変」の検証 (18/28)

井伊直弼公の寵愛を受けた「志津」

 2015年6月15日、井伊直弼公が大垣宿を経由して江戸に上ったことを、井伊直弼公の伝記や小説で調べ始めた時に、舟橋聖一著『花の生涯』で志津の名に目が留まった。志津は、井伊直弼公が15年間の部屋住み生活を埋木舎で過ごしたとき、お世話をした女中で、直弼公の寵愛を最初に受けた女性である。早世ではあったが女児も生んでいる。

 その「志津」の名と、私の祖母の名が「志ヅ」と同じなのに気がつき、愕然とした。この小説『花の生涯』を20年前に読み、その名を目にしていて気がつかなかったご縁である。情けないが、あれども見えずとはこのことである。

 松居石材商店の松居店主の話では、彦根では名字に「井」を使うのが畏れ多いので、「松井」ではなく、「松居」としているとか。志津も「津」を使うのに気を使ったのかもしれない。

 

志津

 器量よしの志津は藩の足軽秋山勘七の娘で、16歳のとき埋木舎へ上がって家婢となり、その後、直弼の寵愛を受ける身となった。井伊家の慣わしで、足軽の娘では、妻どころか妾にもなれないので、誰か名のある藩士の養女にしてもらって、せめて側室の地位を望みたいと父は焦慮したという。

その後、志津は直弼を取り巻く女性、村上たか女との葛藤の中でノイローゼのようになり身を引く。その後を理和が直弼の身の回りの世話をすることになる。

 

祖母、志ヅ

 祖母はとても美人であった。街を歩くとき、男が寄ってこないように頭巾で顔を隠してあるいたとか言われている。祖父小田成健と結婚して、祖父が43歳の若さで傷害事件のために亡くなったので、6人の子供を抱えて、その後が苦労の連続であったようだ。努力家で能力が卓越していた小田成健は、42歳で大津警察署長に昇格したのを妬まれ二人の小官吏に襲われてそれが原因で、43歳の若さで亡くなった。その履歴が、44歳で桜田門外に散った井伊直弼公と重なる。夫の早すぎる死の後、不幸な人生を歩んだ祖母志ヅと志津とが重って見えた。

 志ヅは道仙の孫で、志ヅの父は道仙の子の文三であるから、文三は井伊直弼公の寵愛を受けた志津の存在は知っていて、あえて名づけたと思われる。そうでないと、この珍しい名前は付けまい。同じ名では差しさわりがあるので、「津」を「ヅ」に変えたようだ。文三は志津の1世代後の人だから、狭い彦根では志津とも面識があったのだろう。重次郎は芸の関係で埋木舎に出入りをしていて志津を良く知っていたのかもしれない。

 祖母もそれを知ってか知らずか、戸籍上での名は「志ヅ」であるが、通常は「志づ」で通していたようだ。当然、両親から名前の由来は聞いていたであろう。だからか手紙や文書では「志ヅ」が出てこない。その理由がやっと分かった。興味深いのは、昭和24年の行政からの領収書の名前に「小田志津」の宛名が見つかったこと。

 

図1 埋木舎 正門

図2 埋木舎 玄関

図3 長野主膳と井伊直弼公 埋木舎

図4 志津と里和 埋木舎

図5 埋木舎 庭より屋敷を見る

図6 埋木舎 客間

図7 埋木舎 座禅の間

 

2017-09-04

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インプラント 38(価値観)

3.38 自分の経営価値観を持っているか

 芸術家は我が道、獣道を行く。経営者も同じである。経営は芸術に似ている。私の好きな高塚省吾画伯は、「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー(自我)がないと、成功しない。これは経営でもあてはまる。経営方法は千差万別であり、時代とともに環境が変わる。それに対応した経営が求められる。自分の価値観を明確に持っていないと、時代の流行に流される。流された経営がうまくいくはずがない。特に自分自身への設備投資では、その結果が自分自身に直接、跳ね返る。心して経営判断をすべきである。私の経営の価値観は、健康・安全が最優先である。私の経営の価値観から見て、インプラントはそれに反している。

 下記、高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年2,000円)の読書感想です。ご縁があり「新涼」という名の絵を、高塚省吾画伯に描いてもらった、「汗のにおいのない」清楚な裸婦の絵である。私の「お宝」として大事にしている。

 

学ぶのは舗装道路、創るのは獣道

 所感 高塚省吾著『高塚省吾の絵の話』(芸術新聞社刊1996年 2000円)

 本書は絵の話と言いながら、宗教、西洋東洋の思想・美意識の違い、芸術家の創造性についてその含蓄のある話は興味深い。永い間、売れない画家として苦労をした事は、直接に文脈からは出て来ないが、その深みある文章は、絵心ある人には琴線に響く。言葉と同じように、絵でもすべてを表現しようとする傲慢な西洋文化。其れに対して、あいまい、控えめ、空白、間、含蓄を基本とする日本文化の違い。絵を通して文化、言葉、宗教の世界を画伯が語る。

 私は『トップアート』や画集等での画伯のエッセイを読んで画伯のファンになった。この単行本はその期待を裏切らない内容である。この本は単なるエッセイ集でなく、美術書のコーナに並べて欲しいとの編集者サイドの意思で、美術書の実用面と、文化論の両面を兼ね備えた構成となっている。

 

高塚画伯の持論

 画伯の持論、「よい絵を描くには、批判眼を持たねばならない。『上手い絵』は描いた量に比例し、『良い絵』は考えた量に比例する。」

 私はあるアウトプットを評価するのに、「美しい□□」との表現を好むが、これは「良い(絵)」との表現と同意語である。この表現はいろんなことに当てはまる。文章、作曲、スポーツ等、およそ人間のなす仕事に全てに包括されるようだ。技術者なら、持てる時間を汗に変え、頭で汗をかいて仕事をする。その思考量に依存した「良い仕事、美しい仕事」と評価されたいと思う。

 「学ぶのは舗装道路。創るのは獣道」と画伯は断言する。芸術家と科学者、研究者の置かれた立場は同じだ。累々たる失敗の屍の山の中で、自己の実現は難しい。それをやり遂げるのが芸術家だ。優しく美しい女性群の絵の影に、画伯のそんな孤高な姿と、強固な意思を垣間見る。

 

人の指導

 「人を指導するのは難しい。先生とは指導する役目柄、何かを生徒に言うが、無言の先生もときにはいる。平櫛田中教授は、生徒の作業中を見回るだけで一言も発しない。あるとき、2人の生徒が勇気を持って自作を教授室に持ち込んで批判を乞うたら、先生はじゅっくりと見てから、『もう少し何とかなりませんか』と言った。ある意味では、もっとも誠実な指導者かもしれない」と高塚画伯は回想する。

 人の指導とは、傲慢な行為なのかもしれない。人は往々にして人を教えたくなるもの。人を見下す立場に立つとき、どうしても気持ちは傲慢に、心は浮いた状態になる。その時に、謙虚さの影は薄い。その点で確かに、平櫛田中画伯は、最も偉い先生なのでしょう。私はそんな先生に教えを乞いたいのだが、そうなると不安は限りなく膨らむのだろう。なにせ、道しるべの光を自分で灯さねばならないから。芸術の面で人を指導するなどとは、おこがましいのかもしれない。人に指導されれば、決してその教師以上の存在にはなれまい。それができるのは、職人の世界である。人が人を指導できるのは、ほんの初歩の段階まで。その点で、教師は、現在の位置を示すベンチマーク役で十分なのだ。生徒にそのレベルを示してやれば、あとは本人の努力・天分で教師を追い抜いていく。特に、それが舗装道路を走るのでなく、獣道を進むのであれば。その結果、教育への投入労力とそのアウトプットに大きな格差が存在するのは致し方ないのでは。そのアウトプットが投入量の百分の一、千分の一、万分の一でも、その一の価値は限りなく「億」に近い。だからこそ価値がある。労力を投入するのは本人で、教師が人工を投入するのは不要かもしれぬ。教師は模範を見せて、本人がそれをどう吸収するかを見守るのが正道かも。

 

高塚画伯の決意

 芸術家は我が道、獣道を行く。「君の絵には汗の匂いがない」と先輩に批評され、それから心して汗の匂わない女を描くことに心掛けたと言う。芸術家としての確固たるポリシー・自我がないと、そうはいくまい。女性を描くことでの、作者の伝えたいコミュニケーション内容は作者の明確なポリシーがないと、評価されない。その姿勢が現在の高塚画伯の評価を高めた理由だと思う。

 画家は女性を脱がせるのが商売とか。特に裸婦の第一人者である画伯の気配りは素晴らしい。そのための画伯の気配り,段取りは人間性の機微に通じている。画伯は、女性を脱がすのに、「友達のような気張りをしてあげよう」という。室温、冷房、部屋の外の防御、休憩時間、着替えの衝立、ポーズの修正のアンタッチャブル、相手が女優さんの場合には舞台を見にいってあげるとか、気配りは考えてみると当たり前。これのレベルの気配りは我々の仕事・生活でもやりたいもの。

 裸とは異常な状態である。特にうら若き女性が、個室で画家の前で裸になるのはかなりの決断がいるようだ。プロはともかく、素人のモデルでは、約束してあってすっぽかされたことが何度もあるとか。人は人前で自分の心に鎧を着せてその本心をさらけ出さないように、女性にとっての裸は人の心中をさらけ出すに等しい。自分の心中を簡単にさらけ出さないように、簡単に人前でさらけ出せるものではない。今のマスコミでの裸の氾濫とは別世界のようだ。世間に氾濫する裸群は、人の恥じらいを忘れた雌犬軍団か。雌犬より女性に魅力を感じたいもの。                           

 

2017-09-04

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年9月 3日 (日)

大垣市の衰退を防げ

大垣市衰退の兆し

  現在、大垣市は、駅前にマンションの林立しつつある。それは大垣市衰退の兆しの現象である。駅前のマンションの住民の1/3~1/2という多くは(推定)、名古屋市に勤めている。名古屋市に住むよりも、32分で名古屋駅に行ける大垣駅前のマンションを購入したほうが、利便性が良く、安く購入出来て、資産価値が高いからだ。そういう人たちはいわば越境の名古屋市民である。定期があるので、大垣で買い物をしない。学校など生活の負のインフラ経費だけを大垣市が負担することになるが、正の生産財は、名古屋市経済圏に持って行かれる。負の経費は、駅前マンションの恩恵を受けない他の大垣市民が負担する羽目になる。駅前にマンションが建つと、その分の大垣駅前の商業施設の面積が減少して、市の商業の活性化が削がれて、益々、大垣市民の多くが市外や郊外や県外に商品を求めて買い物に行くことになり、ますます大垣駅前商店街の衰退を加速させる。悪魔のサイクルである。

 

なれの果て

 大垣駅前商店街が衰退すると、大垣市の税収が減り、市のサービス品質が低下する。駅前に買い物や食事に来ても、多くのお店がシャッターを閉めている荒れ果てた情けない姿を見る羽目になる。大垣市は、駅前の商店街への見栄えの投資ばかりで、活性化につながる政策はしない。まるでお化粧だけして、勉強をしない頭が空っぽな学生と同じである。学生は学力がなければならない、商店街はお客がたくさん来て稼がなければ、存在意味がない。

 

越境の名古屋市民

 駅前マンションの住民は自治会に入らず、大垣市に属さない体制となっているので、大垣市の住民との意識が希薄になっていく。大垣市がマンション建設を承認した時、業者から大垣市の自治会への入会の約束を取らなかった怠慢の結果なのだ。駅前マンションの住民は、いうなれば越境の名古屋市民である。大垣市や大垣駅前商店街の衰退など知ったことではないのだ。

 マンションを建てるなと主張しているのではない。住居用のマンションは、住宅地の最適の場所に建てればよい。駅前にマンションを建てることは、大垣市の都市計画として最悪の立地である、と説明しているだけである。

 

駅前にマンション林立の原因

 その原因は市の活性化を全く視野にない現大垣市長の怠慢にある。ヤナゲン(平和堂)が耐震強度の関係を含め老朽化したB館を、新たに建て替えようと回りの土地も含めて大きな店舗を計画したが、隣の地主が土地を手放さないので、平和堂のトップが大垣市長に市として大垣駅前商店街の活性化として、その調停をお願いに行ったら、「行政は民間のことには口を出さないので、当事者同士で解決して欲しい」とケンモホロロであったという(伝聞)。それで埒が明かないので、やむなく跡地をマンション業者に売ったという。その結果が、ヤナゲンB館跡地への新マンション建設である。ますます大垣市駅前の衰退が「恥じ」まる。現大垣市長は、市の経済活性化には貢献しない立派な市庁舎の建設に精力を注ぎ、市経済の活性化には目を背けている。「今の大垣市長はなにもしてくれないね」と商店街の店主の怨嗟の声が満ちている。ヒラメの役人もその声に耳を貸さない。企業経営でも、立派な本社ビルが建つと、その企業の衰退が始まるというジンクスが有名である。

 

節約という頑迷妄信

 大垣市長は投資と節約の区別が理解できていないようだ。これは日本政府の安倍首相も同じである。節約を大義名分として国内に投資をしない現政府が、日本の経済成長の足を引っ張っている。国内インフラに投資しないので、他のアジア諸国に経済競争で負け始めている。空港整備、湾岸整備、高速道路、高速鉄道、高速通信の整備の金がかかるが、節約といって投資をしなければ、経済の国際競争で、海外企業に負ける。学生の学業と同じで、勉強(投資)をしなければ、学力(経済競争力)が付かず、上の学校に行けない、受験戦争で負ける。それと同じことが、節約を前面に打ち出して投資をしない大垣市の経済でも起きている。必要なお金を作るのが政治家の仕事である。予算を取るための説得資料作成が大変だと、やるべきことから逃げ回っている。大垣駅前の商店街が衰退して、大垣市民が名古屋市に買い出しに行く羽目になる。大垣市長の怠慢で、名古屋駅前の商店街が勝者となるのだ。

 長たるものは、やったことへの責任は当然であるが、やるべきことをやらなかったことにも責任を取らなければならない。

 「会社でも国家でも、指導者に人を得なければ、混乱し、いずれ衰える」(松下幸之助翁)

 

政治の怠慢の行き着く先

 大垣市の「大垣駅前通りの活性化」を過去多くの政治家が唱えて続けて、はや50年が過ぎた。その間、どんどんとお店のシャッター通り化が進んでいる。市がリーダーシップと取る具体的な活性化の方策をさぼったから、当然の最高の結果として駅前の商店街の衰退となった。目の前の結果が全てである。平成29年度大垣市の予算計画を見ると、「快適で機能的なまちづくり(都市基盤)」で、駅前商店街の活性化の具体的予算はない。活性化に思しき予算は、下記の項目であるが、50年前から活性化と言いながら、何をいまさら、「郭町東西街区事業化推進調査事業」なのか、である。

 

・市街地再開発事業           (単位:千円)

   市街地再開発準備組合等運営補助金    300

   郭町東西街区事業化推進調査事業   53,400

 

図1 駅前に立った新マンション

  駅前の一等地に建てた付属の商業施設が中途半端なので、テナントに学習塾、医院、クリーニング店、夜の飲み屋しか入っていない。空き店舗も多い。これでは、駅前商店街の活性化はできない。最初にボタンをかけ間違っている。

図2~5 「元気ハツラツ市」(大垣市駅前商店街 2017年9月3日 15時)

  元気ハツラツ市で、多くの歩行者がにぎやかに歩く中でシャッターを下ろした商店の多さが目に付く。錆びのあるシャッターが目に付き、大垣市民として、他市の人に恥ずかしい。

 

2017-09-03

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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