エイリアンとの戦いに負けると痴呆症
TVのバラエティ番組、グルメ探索番組、お笑いバラエティ等を集中して見続けることは、痴呆症の洗脳教育と同じである。テレビの痴呆的番組と距離をおき、自分と家族を理知的、理性的な世界に置きたかったら、テレビ番組は見ないことだ。痴呆的番組で国民を洗脳し、CMで嗜好品の中毒状態にして、視聴者を食い物にしている。私はテレビの契約を解約した。必要な映像は、ビデオカタログで見て、ビデオディスクを購入するか、知人に頼んで録画してもらって、ディスクで見ている。
馬鹿馬鹿しい怪物
下記のマニュアルは、玉木正之氏が『時事英語研究』1994年1月号で紹介したコラム「テレビという馬鹿馬鹿しい怪物」の抜粋である。これは氏が出演したテレビトーク番組の台本である。これを見ると、テレビ局はテレビを習慣的に見ているしている人間を考えさせないように仕組んでいるのだと断言できる。この手に視聴者が乗れば、無意識にCMの製品に手が出て、その結果益々テレビ局の売上が増大する。
自然界には「使わない器官は退化する」という大原則がある。現在のテレビ番組は我々の思考能力を使わせなくする習慣を作る傾向がある。テレビのばかばかしい番組を見ることはとは、ばかになる練習をしていることである。
某トーク番組の台本
『○△(番組名)をより面白くするために』
・正論 より 本音
・抽象的 より 具体的 ←抽象的に考えるのが成長なのに
・理論的 より 体験的 ←論理が人生を正しく導く
・考える より 遊び感覚 ←これではバカになる
・重い より 軽い
・泣き より 笑い
・悲観的 より 楽観的
・隠す より 顕す(露顕)
・流れ より 飛躍 ←論理の破綻である
・じっくり より ざっくり ←緻密さの放棄
*意見、反論は指名がなくてもドシドシご発言ください
酒を飲んで放送
1970頃の私がまだ大学生のころ、東海テレビの「ナイトショー」で風刺コントの特集番組があり、「かたえくぼ」の常連として出演依頼が来た。そこでリハーサル後に、本番前の小1時間ほどの間に、スタジオ内のバーカウンターで、酒を飲まされた。ディレクター曰く「皆さんにリラックスして喋ってもらうためです。多少顔が赤くなっても、ライティグで目立ちません」。今にして思うと、何といいかげんなことかと感じた。上記の台本を見てテレビの本質を悟った。
日本中にエイリアンが跋扈中
誰一人いない長崎空港の出発ロビーで、大型テレビがワイドショーの映像を流していた。なにか現代社会の象徴のような風景である。そうまでして日本人をバカする洗脳したいのかと。その昔、シガニー・ウィーパ主演の映画「エイリアン」を思い出した。エイリアンが、人間を捕まえて毒で動けないようして繭の中に閉じ込め、その人間の体内に我が子を生みつけ、我が子の餌として人間を生かしておく情景である。テレビ人は現代人の生血を吸って繁栄している。頭の中に住み付き、テレビを見ないでは過ごせなくさせる。そして二度と戻ってこない大事な時間がテレビに吸い取られていく。食べてはいけない食料品のCMに洗脳されていく。正にエイリアンに頭が占領されている。あとは痴呆化の進展があるばかり。なんで、「みのもんた」ごとき司会者が、数億円の年収を得るのか、それを許容する視聴者にも責任がある。テレビのワイデショーで「○○が健康に良い」と特集を放映すると、売れすぎて途端にスーパーの売り場から○○が消滅する。1973年のオイルショック時のトイレットペーパ騒動を思い出される。余りに刹那的な流行を作る出す現代のテレビである。日々日本の知性が劣化していく。テレビが過剰に扇動し、付加価値の生まない時間を増大させている。時間と知性と健康を貪り尽くすエイリアンの繁殖である。
病院の痴呆風景
通っている眼科医院でも、診察の順番取りために朝一番に行くと、誰もいない待合室で、朝のモーニング番組が付けっ放しである。愚劣な番組ばかりを見せられては、眼も更に悪くなるでしょうに。それが眼科医のたくらみなら知能犯である。人が来て、美味くもない食品のCMをさも美味そうに繰り返し流せば、見せる洗脳教育でその製品は売れる。そして段々日本人が劣化していく。愚劣な事件が起きるのも故あること。グルメ番組の視聴率を見て、テレビ局はますます下劣な番組を流す。悪魔のサイクルである。
図1 長崎空港の出発ロビー 2013年10月11日 11:19
2017-09-06
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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