2017年9月21日 (木)

法界定印と佛の心

 この世の所業を色づけして見るのは、自分の欲である。「欲」とは「谷」に落ちても「欠」けないものと書いて「欲」である。「慾」は、死ぬまで消えない人間の業である。慾は大事である。生きる慾まで無くしたら、生きる屍である。生きる為、魂の浄化を忘れて、刹那的に欲望のまま60年も娑婆で生きてこれば、人間は、餓鬼にも幽霊にもゾンビにも認知症にも落ちぶれる。

 

法界定印

 法界定印とは、座禅を組むとき、右手を下にして左手を上にして組む印相である。印を組むとは、心の状態を印のごとくにして、魂の姿を象徴する形である。法とはサンズイの水が去ると書く。何時でもどこでも誰にでも通用する世界で、心の平安、悟りを得たことを示す印相である。

 法界定印とは、右手(right、正しい、浄、陽)で、我儘な左手(left、誤、不浄、陰)を支え包み込んで現す座禅の印である。仏教発祥の地インドでは、左手は不浄の手であるが、左右の手に善も悪もない。己の持つ善悪の心がそれを勝手に決める。それを全て包含した形が法界定印である。なぜ右手が下か、それは開祖様がそう決めたに過ぎない。

 

真面目に殺し合いを防ぐ

 いくら佛に帰依しても、矛盾に満ちた世の中は正しいことばかりでは、生きて行けない。世には強欲に他国を侵略しようと企んでいる国がある。平和の時は友好でよいが、戦争の時は真面目に敵と殺し合いをしないと銃後の肉親が皆殺しになる。時代と状況と価値観の差で善悪の評価が180度変わる。平和時に1人を殺せば極悪非道の殺人者だが、戦争時に原爆で10万人を殺せば英雄である。1945年3月10日の米軍による東京大空襲で、10万人の女、子供の非戦闘員が米軍に焼き殺された。アウシュビッツのホロコースト以上の犯罪である。この無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイに対し勲一等旭日章の叙勲がされた。スミソニアン博物館でエノラ・ゲイ展を企画した館長は、在米軍人会から袋叩きの目に遇って博物館を去った(1997年)。火事場泥棒のロシアは、シベリア抑留で日本人を10万人殺した。私の父が極寒の地に抑留された。私の叔父が殺された。これが矛盾に満ちた人間社会である。

 やるべきことは、そうならない状況に陥らないように対処すること。非道の国に、聖人の論理は通用しない。ウィーン国際条約を破ったり、不可侵条約さえ破棄して攻めてくる国が近隣周辺に存在する。それをご先祖やチベットの僧侶が命を犠牲にして教えてくれた。チベットに平和憲法がなかったから侵略されたのではない。自国を守る軍隊がなかったのだ。プロレスラーに喧嘩を売るバカはいない。守るべき武力を持っていれば、強盗もおいそれとは侵略してこない。非武装中立とは、自宅の戸締りをせず、就寝したり外出するのと同じである。鍵を掛けないのはバカである。サヨクが外出時に施錠しないとは聞いたことがない。狩猟民族の欧米がアジア諸国を植民地にしたのは、江戸時代から昭和の時代である。アジア諸国に列強欧米の侵略を防ぐ戦力がなかったためである。アジアで日本とタイ以外は、欧米の植民地にされた。その歴史を学ばない民族は亡ぶ。

 

佛の教え

 禅では人間が持つこだわりを捨てよと諭す。捨てたらそのこだわりを捨てたことも忘れろという。こだわるとは、己の心に壁を作ること。心を閉ざし、色眼鏡でモノを見ることである。

 佛像を真摯に見つめていると、自分が悲しいときは、佛像も一緒に悲しんでくれ、嬉しいときは共に喜んでくれるのを感じる。落ち込んでいると叱ってくれる。佛像に語りかけると、応えてくれる。佛像は自分の心を写す鏡である。佛像は自分の心に相応して表情を変える。自分の心の格が上がれば、佛像の心の声が聴こえる。

 釈迦如来の佛像が示す法界定印の形は、左手が下で右手が上であり、人間が座禅でする法界定印とは、鏡で写すが如く左右逆である。佛像は人間の心を鏡として表す姿の象徴として作られた。そのため、鏡に映るがごとくに左右逆に彫られたようだ。法界定印を調べたがよく分からず、本稿は私の解釈です。

 

運転における法界定印

 座禅と佛像の法界定印を調べていて、車の運転姿勢に考えが及び、ハンドルの握る形が車界定印であると思い至った。自動車メーカのテストドライバー資格の訓練では、ハンドルの操作方法が厳しく指導される。娑婆の自動車学校で指導する方法とは違うことを、この運転資格を取得するため訓練を受けたとき教えられた。

 この訓練では、ハンドルは2時と10時の位置に手を置き、ハンドルを軽く押さえつけるだけで、握り締めてはダメと教えられる。握り締めると、それに拘束されてスムースなハンドルさばきがしづらくなり、試験車評価試験で必要なスピーディなハンドル操作が出来ないからである。曲がる時は、ハンドルを送る感覚で、ハンドルに手を添えて曲がる操作をする。真っ直ぐな道では、ハンドルをそっと押さえて振れないようにするだけである。実に理にかなった説明である。

 

人生運転の操舵

 人生で、緊急事態の遭遇したとき、あるべきものを握り締めて放さないと、適切な行動が取れない。くだらないしがらみに囚われて、多大な損失を蒙ることもある。人生の曲がり角で、前の履歴を握り締めて、滑らかな方向転換に失敗した人は多い。人生の曲がり角を曲がり、新しい世界に方向展開する場合は、前の世界は捨てなければならない。それをきつく握り締めているから禍となる。ものに執着して手に入れても手放すことをしない人生とは、餓鬼道の人生。食べても食べても満足感がない。それでは人生を快走できない。

 座禅で印を崩すと痛い警策が肩に飛んでくる。車の運転で横着をすると痛い目の交通事故に遇う。人生道の王道は、法界定印を行じて走れ。平常心で人生道を歩め。法界定印を行じると、人生という自分の乗り物のコンプライアンス値が高まる。

 

図1 座禅の法界定印

図2 仏像の法界定印

図3 正しいハンドルの抑え方

図4 ハンドルを握り締めてはダメ

図5 間違ったハンドルの握り方

図5 恵峰先生の揮毫

 恵峰先生が岐阜で講演をされた時200名の聴衆の前で揮毫をされた。正に平常心での揮毫である。この書を翌日、贈って頂いた。感謝。岐阜にて。2013年3月27日

図6 恵峰先生書

 

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久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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2017年9月20日 (水)

「桜田門外ノ変」の検証 (24)長松院

 恵峰先生を案内して彦根の各所の碑文を見て回ったため、すっかり遅くなって2015年11月29日16時過ぎに、長松院に辿りついた。当初の予定の彦根城博物館と彦根城は見学の時間がなくなってしまったのが心残りである。清涼寺での参拝の時間が想定外であった。しかしよきご縁出合ったのが救いである。長松院では、最初に恵峰先生を改建したお墓に案内をした。やっと今回のお役目が半分かたづいたようだ。

 

日下部鳴鶴書の軸

 長松院の奥座敷にある直政公の騎馬武者姿「井伊直政公出陣之繪圖」に日下部鳴鶴の署名が記されている。その軸のところに先生を案内したら、恵峰先生が数分間じっと眺めておられた事態に驚きである。日下部鳴鶴は恵峰師の宗師にあたる。日下部東作と署名があり、それは日下部鳴鶴の若い時の雅号である。私も2年前(2013年)のお盆のとき、東京の書家からそれを教えてもらって知った。実にこの書を法事の度に見ていたが、日下部鳴鶴の書であることを知ったのは、その時である。お宝は足元に埋まっていた。

 

「井伊直政公出陣之繪圖」

 この軸は井伊直政公没後300回忌(明治34年、1901年)に合わせて描かれた。井伊直政の赤備えの凛々しい騎馬姿を描いた縦2.7×横1.65mの大きな掛け軸である。赤備えは武田家の由来で、恵峰先生のご先祖の馬場春信公にご縁がある。長松院は、井伊直政公の幼名、虎松の一文字を取って長松院となった。井伊直政公没後、300回忌には火葬した場所に供養塔が有志の手で修繕整備された。そのおり、この絵が長松院に寄贈されたという。左下に彦根藩士で明治時代の書家日下部東作(日下部鳴鶴)が記した漢詩が揮毫されている。絵は日本画家の青柳琴僊(1867~1962)の作である。

 

奥山に紅葉踏みわけ

 その後、住職さんとしばし歓談をした後、私の運転で大垣のホテルに向った。 その夜のホテルの食事会で、お膳下敷の美しさの目を引かれ、早々に万葉和歌を揮毫された。私がいつも写経をしている筆ペンで、色紙の絵柄に沿った和歌をさっさと揮毫された。弘法筆を選ばず、である。

 

「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」

           猿丸太夫(5番) 『古今集』秋上・215

(現代語訳:人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。)

 

図1 改建したお墓の前で

図2 日下部鳴鶴書の軸の前で恵峰先生

図3 「井伊直政公出陣之繪圖」長松院

図4 長松院の喫茶室で恵峰先生の歓談 2015年11月28日17:00

    頭上の「和敬静寂」は恵峰先生書(寄進)

図5 井伊直政公の供養塔 長松院

図6 お膳下敷の美しさの目を引かれ、早々に万葉和歌を揮毫される恵峰先生

   11月28日19:00 ロワジールホテル大垣 「あじさい」にて

図7 揮毫された色紙

 

2017-09-20

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大垣駅前フェリー 61%沈没(改定)

現状把握

 大垣駅前商店街のシャッターを下ろした店舗の現状把握をした。2017年9月2日(金)のお昼過ぎ(13時)に、大垣駅前商店街を一回りして店舗の廃業状況を写真に収めた。

 

結果:廃業店舗比率

 139店舗中、シャッターが下りたお店は68軒で、46%に及ぶ。大規模小売店が閉店して、跡地がマンションになったタマコシやヤナゲンB館を含めて、50のテナントがあったと推定して計算すると、192店舗中、117店舗が店を閉めた。それは60.9%になる。それも現在、増加中である。あくまで駅前通りの話で、駅前通りの横道に多くあった小売店の数は計算に入れていない。

 計算では、夜しか開店せず昼間はシャッターを下ろしたお店は、シャッターを下りたお店とした。それでもそれは6軒ほどである。また予備校は、以前商店であったので、シャッターを下ろしたお店としてカウントした。空地も以前は商店であったので、カウントに入れた。

 

大垣市の産業解析(産業人口推移)

 大垣市の産業人口は、この5年間で1%減である。日本全体がデフレ経済下であるので、まあ妥当な数値である。大垣市の第三次産業に従事する人口占有率は69%である。5年前に比べて人員数が2%増である。第2次産業に占める割合は、31%で、5年前に比べて人員数が6%減である。つまり大垣は工業都市ではなく、商業都市として繁栄している。

 第2次産業の内、一番比率の多い卸売業、小売業は全体に占める割合が20%で、5年前に比べて人員数で4%減である。伸びているのは、医療・福祉関係で、40%増である。各分類で第3番目である。それでもその占有比率は10%ほど。

 

敵前逃亡、見殺し

 2016年の大垣市長選挙の半年前くらいの時、大垣駅前商店街を訪れた小川市長に商店街の役員が商店街活性化の件を立ち話でお願いしたら、「〇〇さん、空き店舗は、パーキングにすればよろしいがな」といったという。

 その大垣市長選の前に、大垣駅前商店街が意見交換会を提案したら、小川市長から断りの回答があり、「今はその時期ではない」という。それは敵前逃亡、見殺しの言葉である。それなら、その時期は何時か、である。それが17年間も無為無策に過ごして、117店の店主が、店をたたんだ。商店主が店をたたむとは、倒産である。それは商人として人生の死を意味する。117店の店主の後ろに多くの従業員と家族がいた。

 小川市長が、駅前商店街の活性化をこの17年間、全く考えていないし、やる気がないので、市長の顔色しか見ていない取り巻きのヒラメ役人は、絶対に手を打たない。下手に手を打つと市長の意向と違うことになり、左遷させられてしまう。事なかれ主義、保身主義が身に付いた役人が何もしないのは、当然の理である。現在の商店街の哀れな姿は、大垣市長が全てを作り出している。この世では最高のことしか起こらない。

 

死屍累々

 近い将来、大垣駅前商店街が駐車場に整備されても、その時は、車を駐車しても周りに買い物をするお店は消滅している。なんのために駐車しに来たのか、お笑いである。ブラックユーモアである。丸暗記で受験戦争を戦って勝ち残ったエリートの老戦士は、創造性が求められるビジネス社会の現代戦では無力であるどころか、害毒を流す老害の存在である。家族、従業員を含め1,000人を超える生活を支えていた大垣駅前商店街の169店舗中、117店舗が「戦死」、「討ち死に」をして、残りも店も、泥舟から逃れるように脱兎のごとく店をたたんでいる。既に撤去されたヤナゲンB館、タマコシの大型店舗のテナント数を含めると、店をたたんだ数は、60.6%に及ぶ。これは人災、政災である。

 

市長の使命

 政治家として、行政の長の最大の役目は、市民の命と財産と生活を守ること。過去には、日頃、口で偉そうなことを言って、大事件の時、右往左往したリーダが日本の政界には多くいた。

 社会党の村山富市首相(当時)は、1995年の阪神・淡路大震災の時、初期出動を妨害して、結果として助かるべき命を多く殺すことになった。社会党の狭義な主義で、米軍がすぐ援助をするというのに、それを拒否した。当初は、自衛隊の出動さえ、躊躇して、自衛隊が動けなかった。首相の指示がないと自衛隊は動けないのだ。

 民主党の菅直人首相(当時)は、2011年の東日本大震災の時、トンチンカンな対応で、救援の初期出動に躓いて、なおかつ己の我儘で福島原発を危機状態に陥れた。人の命より、己のプライドが大事だったのだ。民主党の某高官は、自衛隊を人殺し暴力集団と呼んでいて、自衛隊を侮辱して士気を落とした。左翼の政治家には、そんなレベルの政治家しかいない。それが日本国民の命を守るべき政治家が演じた戯劇である。

 韓国の朴大統領は、2014年韓国フェリー転覆事故では、セウォル号が沈没するというのに、8時間も姿を現さなかった。陣頭指揮をすれば、多くの高校生の命が助かったのに。

 大垣市長は「大垣駅前フリー」が沈没中なのに、17年間も無為無策である。大垣の産業の第一は第三次産業であるが、比率が少ない第二次産業の恩恵に目をむけて、本筋の現在の第三次産業を無視している。それは市長として背任行為である。大垣駅前商店街の117名(実際はもっと数が多い)の店主の生活を守れなかった政治家に、大垣に大災害が起きたとき、市民を守れるとはとても思えない。今できないことが、次の事件で、できるわけがない。今の対応の姿が、未来のリトマス試験紙である。それは過去の歴史を見ればよい。大垣市長も取り巻きヒラメ役員も、市民の命は眼中にないであろう。今の姿勢を見れば、自明である。今の大垣の姿に、大垣市長の考えの全てが投影されている。

 

大垣の元気ハツラツ市

 活性化といって月1で実施している大垣の元気ハツラツ市でも、飲食店は2割の売上増であるが、一般商店は売上半減であり、全体として大垣商店街は売り上げが落ちている。潤っているのは他市や他県から出店で来ている商人だけである。元気ハツラツ市の当日は、商売にならないので、大垣商店街の多くが当日は店を閉めている。それで、大垣活性化をしていますと豪語しているのはピエロである。他県から来た客も、駅前遊歩道では多くの出店は賑わっているが、地元の多くの店がシャッターを下ろしているのを見て、他の日に来ようとは思うまい。大垣の衰退を晒しているのが、元気ハツラツ市である。名前が皮肉である。他県の業者がハツラツとする政策である。

 

図1 大垣駅前通り シャッターを下ろしたお店の地図(赤で表示)

図2 産業大分類別事業所数及び従業員の推移(大垣市HPより編集)

図3~8 大垣駅前商店街の姿(2017年9月8日金曜日 13時)

 

2017-09-20

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2017年9月19日 (火)

予告 「100m巻物」の出版

 来る10月11日に100m巻物の馬場恵峰書『百尺巻頭書作選集』を出版します。本日、ユタカコピー㈱との印刷の詳細打ち合わせが終り、明日から印刷の工程に入ります。10月中旬より販売いたします。

 A4横サイズ、全144頁、価格7,000円です。

 

 本ブログは、下記のブログ内容と一部ダブりますが、総まとめとしてご参照ください。

 下記はブログは、詳細情報として、ご参照ください。

   「100mの巻物」という人生(1/2) 2017年8月20日掲載分

 「100mの巻物」という人生(2/2) 2017年8月21日掲載分

           カテゴリ「詞天王が詠う老計・死計 」

『百尺巻頭書作選集』の内容

 本書は、書を学ぶ人のため、書芸の流派を超えて、書は心の鏡、文章は心の声なるものを紙面に分かりやすく多用化して揮毫された。後世に残すために書のお手本として、全種類の書体を揮毫されたのが、本書である。詩仙李白から始め「十首」、「六首」、「60」二字、「50」三字、「40」四字、「52」五字、「35」文、六字「八句」七字「七」、八字「十句」計262課題、唐詩16種、恵峰随筆、絆他9課題、知己塾講話26講(この分だけで15m)、恵峰詩文44、歌詞加古川旅情他恵峰作歌詞24、扇額「30」、扇面かな「21」、古典5、子供のしつけ方10条他名文「10」、一休いろは歌「48」、各種型状かな文42、訓言「10」等々550課題大文字、中字、細字、かな古典、現代かな調和体等の集大成である。

 師の気力自己挑戦の巻を手に取って見て頂きたい。実物を見るのは4人がかりで大変だが、本の形で皆さんに見て頂けるようにしたのが本書である。師は上手でなくとも、真似していただけるような書を残したいとして揮毫された。素人の私からみて3カ所のミスがあるが、きちんと修正はされている。100mの巻物でたった3カ所のミスしかないことに驚嘆である。それも明治の三大名筆、近代書道の父と呼ばれた日下部鳴鶴の書を上回る名筆である(私の感想)。まさに神業で、それでミスがなければバケモノである。師が生身の人間であることの証明ともなる。

 

撮影の経緯

 本書は、日本人も中国人も書いたことの無い100mの巻物に馬場恵峰師が挑戦され、2年がかりで2014年初春に完成された。この話を先生から聞き、こういう御縁は生涯でも滅多にないと感じ、また弟子としても記録に残さねばと思い、2014年4月10日、写真を撮らせて頂くために長崎に飛んだ。写真撮影で百mの巻物を扱うのに、一人では無理なので助っ人として福田琢磨様に応援を頼んで出かけた。

 なにせ百mの巻物なので、まだ誰もこの作品を全部鑑賞した人はいない。たまたま写真撮影の前日に、知己塾の日程を一日間違えてお弟子さんが先生宅を訪れるという御縁があり、私の写真撮影の話を聞いて、それなら、私もお手伝いをさせてもらうと三名の書友の方が写真撮影の応援を頂いた。撮影を開始するととても2人では無理で、応援の書友の方に感謝と、日程を間違えてこの写真撮影の御縁に巡り逢うありがたさを感じた。

 当日200枚ほどの撮影をしたが、帰宅後詳細に確認するとピントがあまく、不出来な写真があったので、再度、取り直す決断をして、一週間後に再度、長崎の飛ぶという御縁ができた。当日は4時半起床、6時32分発の電車に乗り7時50分発の飛行機でセントレアから長崎に飛び、3時間ほどかけて400枚前後の写真撮影(各2回撮影)をして19時50分発の飛行機でトンボ帰りをして22時30分に帰宅した。さすがに疲れが二、三日残ってしまったが、心地よい疲労感のある経験であった。

 その後2年余が経過して、恵峰先生の書の写真集を作成していく過程で、カメラが世代交代し、今の目で見ると当時の撮影の拙さが目についてきたため、カメラを最新型に更新して、2016年11月28日に再度撮影する決断をして、完成したのが今回の書である。

 前回からカメラ、三脚、照明装置、水準器が変わり、撮影技術、編集技術が回数を重ねることで向上して、現時点ではほぼ満足で来る仕上がりとなった。やはり経験を積まないと何事も向上しない。また良い機材は良い結果をもたらしてくれることを再確認した。高いものにはわけがある。

 2017年5月に、初めて馬場恵峰書『報恩道書写行集』を出版して、その過程で多くの学びがあり、その反省を2冊目のこの「百尺巻頭書作選集」に反映できた。何事もやってみなければ分からないことばかりである。初めてこの100mの巻物を撮影して3年目してこの出版が完成する。感慨無量である。感謝。

 

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2017年9月18日 (月)

恵峰師の長生きの秘訣

 下記は、2017年9月14日、恵峰先生宅で書の撮影の合間のお茶席での雑談で仕入れたお話です。

 恵峰師は、月に一度、国立病院で検査を受けるが、現在、師は高血圧でもなく、極めて健康である。耳は昔の事故のため補聴器が必要であるが、頭脳も明晰、目もいい。歯は入れ歯であるが、超健康体である。うらやましい限りである。それにはワケがある。

 

恵峰師の話

 人生で大事なことは、頭とお腹に詰めるものをコントロールすること。それをしないから早く死ぬ。頭に詰めるものを詰めないから、つまらない人間になる。腹に多く詰めるから、腐って病気になる。そのバランスが大事である。

 固定するものは滅す。開は仁なり(開は人の道なり)。(老子)

 

 頭に入れたら、人に教えて頭を空っぽにすること。そうすると、また頭に詰めることができる。出さないから、入れることができない。出さないからノイローゼになる。

 金を沢山、懐に詰めるから病気になる。金を持ったまま死んでいく。金を流さないから病気になる。大体、金が出来ると、みんな国立病院に入院するようだ。私は金を持っていないので、身軽に動くことができ、手で軽々と書を書ける。

 今まで中国に私費で240回行って、一回20万円の旅費としても約5千万円を使った。今、お金は残っていないが、中国に行って民間で大事にしているものを買ってきた。国宝級のモノではなく、庶民が大事にしている文化財を買ってきた。それで家にお金は残っていないが、中国のモノが日中文化資料館に沢山残った。今、そのような作品を買いたくても中国にはモノがない。全て世界に散逸してしまった。中国人が見ても、喉から手を出しても欲しいものが日中文化資料館に沢山あり、中国人が驚嘆している。あくまで中国と国際交流として手に入ったものばかりである。中国人が、「恵峰先生に是非買って欲しい」と言って持ってきたものばかりである。中には、当時数十万のものが、現在は数百万円出しても買えないものも多い。全て人と人とのご縁の賜物である。恵峰師が人と人との間の人様のご縁を大事にしてきた成果である。

 60歳の時、家屋敷を担保にして生命保険をかけて、銀行から1億円を借りて、社会奉仕活動として日中文化資料館を建てた。その借金を24年かけて完済した。84歳の時である。その時はさすがに嬉しく、長男と手を取り合って喜んだ。

 

恵峰師の日常生活

 恵峰師は91歳の現在も、毎日夜遅くまで仕事として書を揮毫しまくっている。中国に行くと、購入した書の材料(軸、冊子、色紙)等を、同行した仲間に一人30キロ分を持たせて、帰国する。それに何を書くかを考えるのが楽しいという。それも後世に残すための書を書くことが多い。儲けるために書くわけではない。100mの巻物軸は、売るために書いたのではない。あくまで後世のお手本として残すために2年を掛けて揮毫された。「源氏物語」千首の色紙を書いた時も、源氏物語発刊千年遠忌があり、思いついて書いただけで、誰からも頼まれたわけではない。「奥の細道全集」も、松尾芭蕉300年遠忌が1995年に巡ってきて、思いついて書いたまでである。それも書いた色紙が、全て違うデザインの色紙である。これはバカにしかできない。おりこうさんなら、絶対にやらないことである。東大を出て合理的な人間には、絶対にできないこと。人間は損得勘定で、理性的にやる限り、人生で出来ることは知れたものと思う。私は、それが仏さまにして師を長生きさせている理由だと思う。

 毎日の仕事の合間に、350坪の敷地の庭を毎日、朝晩30分間づつ、掃除、草取りをされる。だから日中文化資料館の敷地には雑草一本生えていない。定期的に体を動かすのが健康に良いはずである。庭の松や榎の手入れも自分でされる。「私は庭師だ」と自称されるほど。

 食事は小食でゆっくりと咀嚼し、感謝して食べる。いつも私が同席して食べると私が早く食べてしまうので、いつも早すぎると叱られる。お酒は紹興酒を盃一杯に3倍のお湯で薄めて飲まれる。中国に行くと、何も言わなくても相手がそうやってお酒を出してくるとか。

 恵峰師は生きているのではない、ご先祖から生かされているのだ、が口癖である。先生の長生きの秘訣は、書写行であるようだ。書写行が最大のご先祖供養である。今までに1万五千字以上の写経をされた。師でも般若心経を写経するのに、2時間はかかる。師は表装された軸に直接揮毫される。揮毫してから表装するのではない。神業である。

 

2017-09-18

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「桜田門外ノ変」の検証 (23)龍譚寺、天寧寺

龍譚寺の鳴鶴石碑

 清涼寺に隣接した龍譚寺は、井伊家の菩提寺で、奈良時代行基によって遠江国(現静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院である。石田三成公の供養塔がある。寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っている。そこに日下部鳴鶴の学問の師である田中芹坡先生を顕彰した碑が建っているので、馬場恵峰先生ご夫妻をご案内した。碑の書は日下部鳴鶴である。この石碑は東北の仙台石である。

 日下部鳴鶴は、中林梧竹、巌谷一六と共に明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人である。馬場恵峰師は、原田観峰師の第一弟子である。原田観峰師は日下部鳴鶴の書をお手本として日本習字を創立した。だから、恵峰師の書は、日下部鳴鶴の書体とそっくりである。私は恵峰師の方が名筆だと思う。私は弟子として恵峰師の書を世に問いたいと写真を撮り、出版の準備をしている。

 

天寧寺の鳴鶴石碑

 その後、天寧寺に行き、馬場恵峰師を日下部鳴鶴の書の墓、碑文に案内した。石黒太郎氏の墓石の彫られた日下部鳴鶴の書体の彫り方を見て、恵峰師はその彫り方の解説をされた。石の彫り方にも高度な技法がある。石黒太郎の墓は無縁の墓として墓地の奥のほうに置かれており、誰も訪ねるものもない。石黒太郎の墓の裏面には勝海舟の弔辞を日下部鳴鶴が書にして彫ってある。この墓石は文化財としても貴重であるが、今は捨てられたように置かれている。恵峰先生が石黒太郎の墓石の裏に彫られた鳴鶴の字体をなでるように慈しまれたのには驚きであった。(碑の詳細はNo12「明治の墓標」を参照)

 

図1 田中芹坡先生顕彰の碑

図2 田中芹坡先生顕彰の碑 部分

図3 大東義徹氏の顕彰の碑  日下部鳴鶴書

図4 大東義徹氏の顕彰の碑  部分

図5 大東義徹氏の顕彰の碑  部分

図6 石黒太郎氏の墓 

      日下部鳴鶴書を愛でるように触れられる恵峰師

図7 石黒太郎氏の墓  日下部鳴鶴書

 

2017-09-18

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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食の至福という罠

 清涼飲料水を筆頭に、ファーストフード店で販売される飲料物には大量の砂糖が入っている。それは習慣化して毒として体を蝕む。食品メーカはどんどん消費して儲かるように仕向けている。それにペアとなるスナック菓子は、助長作用で、食べ出したら「止まらない、止められない」である。困ったことのその毒は、大層美味なのである。美味しいものには毒がある、という定理が通用する。

 

 コカ・コーラ 650mℓ           砂糖 65グラム

 リプトン・アイス・ティー590mℓ      砂糖 52グラム

 スターバックス・アイス・フレーバー・テラ 砂糖 28グラム

           低脂肪乳を使って好みのシロップで味付け

     28グラムとは、ドーナツの2.5個分の砂糖である。

「人気ドリンクとお菓子の砂糖含有量を調べてみたら」CNN.co.jp 2014/07/08より

 

 同じように俗世間には美味しいものが満ちている。その周りには蟻のように群がってくる害虫がいる。美味しいものを食べる椅子にしがみ付いて、離れない。その椅子が高いところにあるほど、美味しく悪魔的である。食い散らされて、まき散らされる害毒が多くに人に降りかかる。餓鬼道に堕ちた下達の人には、何を言っても無駄である。

 

飽食の罠

 日本でも食生活やライフスタイルの欧米化に伴い,肥満人口は増加の一途をたどり,今や推計2300万人に達している(男性1300万人,女性1000万人)。特に男性の場合、どの世代でも10年前、20年前より大幅に肥満者割合が増加である。とくに40代から60代の肥満者は30%を超えている。このうちの約半数は病気を持たない“健康な肥満者”である。残りの半分にあたる1100万人は糖尿病や高脂血症、高血圧症、膝関節症などの生活習慣病を合併しており、これが医師の治療を必要とする「肥満症」である。

 工場で生産される加工食品は、塩、脂肪、砂糖が飽食の罠の鍵となる成分である。単に味覚を刺激するだけでなく、食品の魅力を上げて再購買を狙う目的で味付けが研究開発される。多くの研究開発費をかけ、脳に抵抗しがたい魅力を封じ込める味付けがされる。それが健康にいいかどうかは二の次で、売れるかどうかが評価の対象である。製造した食品がどれだけ売れるかが成果主義の評価である。多大な研究開発費を投じた商品は、大量生産をしないと、業界の自転車操業的な体質が保てない。低脂肪、低糖、無糖、という表示にマーケティング、心理作戦に金をかけ、消費者のサイフを狙う。それが別の「毒」を盛ることになる恐れもある。その昔、人工甘味料に発ガン性成分が含まれていたが露見した歴史がある。

 

肥満の害

 肥満は万病の元で、糖尿病、高血圧、ガン等の遠因となっている。病気になると大量の薬の投与となり、医療機関と薬剤関係が儲かり、ますます病気を作ることになる。悪魔のサイクルである。

 薬とは、炎上(患部)場所に消防車が消火のための放水と同じである。火事には確かに効くが、患部以外にも大量に水が浸透して、火事でない部位(健康な部位)も被害を受ける。薬には患部と健康部位の区別が付かない。つまり薬は基本的に毒なのだ。抗がん剤でガンは治りました、患者は死にました、が現実である。薬は、健康な部位も攻撃する。

 

隣家の火事

 それについて昔の火事を思い出した。2005年10月27日、自家の隣のアパートが火事になり、消防署が延焼を防ぐために私の家に大量の放水をした。お陰で延焼は防げたが、大量の水は火事になっていない自家の壁や屋根を破壊した。薬を飲むとは、火事と同じことが、自分の体に中で起こっているのだ。

 

図1 右が火事の火元のアパート、左が自家 

図2 火元の部屋  2005年10月28日撮影

図3 放水で被害にあった自宅の部屋 

図4 放水で被害にあった自家の天井・壁

 

2017-09-18

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大垣の生き血を吸う「元気ハツラツ市」

やり方を変えれば、商店街が活性化する。

今のままでは活性化は無理。

 毎月第一日曜日に駅前の大通りを閉鎖して歩行者天国にして元気ハツラツ市が開催される。今の大垣「元気ハツラツ市」は大垣の活性化を妨げ、大垣駅前商店街を殺している。今は一部の商店主と役人が己の利益誘導でやっている。元気ハツラツ市に来た客は、閉店したお店の多さと街の小汚さを見て、別の日に来ようとは絶対に思わない。元気ハツラツ市を開催すると、一部の店だけ は潤うが、他の多くの大垣商店街のお店は売上半減で、全体の売上高は落ちる。ますます大垣駅前商店街が寂れていく。他の市から出稼ぎにくる露店業者やタレント事務所にお金が落ちる。元気ハツラツ市に呼ぶ昔の売れないタレントに多額の金(市民の税金)を投じて、誰が喜ぶのか分からないのに、多額の税金を無駄使いしている。業者との癒着が疑われる。

 

問題点

地元業者は売上半減

 「元気ハツラツ市」を開催すると、飲食店は2割の売上増だが、一般小売店は売り上げ半減である。元気ハツラツ市に物見遊山で来る他市の人は、飲み食いはするが、一般小売店では買い物などはしない。商店街全体では売り上げ減である。だから元気ハツラツ市のある日は、一般小売店は商売にならないので、多くの店はシャッターを閉めてお休みである。ますます大垣商店街が衰退する。

 

他県の業者が儲かる行事

 遊歩道で出店をするお店は、他市や他県から出稼ぎにくる業者である。利益は大垣市以外に行ってしまう。地元のお店は潤わない。その分、大垣が衰退する。

 売れないタレントを呼ぶのに多額の金(税金)を使って、己の店の売り上げ増の為、画策をしている。税金泥棒である。その陰で、市民や子供たちのための活動で、市からの援助金を1銭ももらえず、企業に基金のお願いをするために走り回っているボランティア活動の文化芸術活動「世界一流の音楽を楽しむ会」の「あしながチケット」活動がある。その基金に、私も5万円を寄付をした。それを思うとトンチンカンな行事に多額の金を使う行政に腹が立つ。他市からくる物見遊山の散歩者のために、昔の名前で出ている歌謡曲の芸人に、大金を投じるなら、未来を背負う子供たちのためにお金を出して欲しいと願う。市のお金の使い方が、退廃的、痴呆的である街頭で繰り広げられるイベントの出し物が、TVバラエティ番組もどきで、痴呆的で幼稚化した内容である。他市の暇な老人達や物見遊山の買い物客のほうが、日本の未来を背負う大垣の子供たちより大事だとの意思表示の行政である。大垣行政の恥さらしである。

 この月1の元気ハツラツ市のために百万円程(推定)を使うようだが、それを計算すると年間1千万円も使っている。年間1千万円もあれば、もっと活性化する方策があるはずだ。それを何の見直しもせず、7年間も税金を垂れ流している。総額7千万円を駅前商店街の活性化のため投資をして、その結果として駅前商店街のお店の閉鎖がどんどん増えて60%に達したブラックユーモアである。もっと賢い使い方があるだろうと、巷の声は叫ぶが、自己満足に酔った市商連の幹部や市の役人は聞く耳を持たない。幹部は7年間も椅子にしがみ付いて、その座を離さない。よほど美味しいものがあるとしか思えない。

 

密室の「元気ハツラツ市」運営会議

 元気ハツラツ市の運営会議には、利害関係者しか参加しない。それも形式だけで形骸化している。会議に出ても改善案の反対意見はつぶされるので、アホらしくて、他地区の商店街の関係者は誰も出ない。大垣駅前には5つの商店街があるが、連携を取らずに、自己満足の幹部だけの運営となっている。

 市の役人も行事をすることが自分の手柄になるので熱心だが、熱心になるだけ、大垣市が衰退していく。名目は、活性化であるが、他市から来た出稼ぎの業者の活性化にはなるが、大垣の生き血を吸って、商店街を殺している。それでもヒラメお役人は親方日の丸で安泰である。商店街は首を吊るしかない。

 

買い物難民

 私は別に元気ハツラツ市の出店には興味がないが、大垣駅前の大通りを閉鎖するので、車で買いものに行けないので、困っている。他の市民も同じである。大垣のメインの大通りを閉鎖してまでやる行事ではない。智慧を出せば、別の方法がある。(下記)

 

元気ハツラツ市のマイナス効果

 元気ハツラツ市に来た他市の人は、大垣駅前商店街の6割の店がシャッターを下ろした有様と小汚い街の姿に呆れて、元気ハツラツ市の日以外は、大垣に来ようとは絶対に思わない。大垣市の失政の宣伝効果にはなる。他山の石である。

 

改善案

 開催場所の変更

  現在は、駅前大通りだけ閉鎖して歩行者天国での運営

   ↓

   ぶらつき街と本町商店街を歩行者天国にする。

  大垣公園で元気ハツラツ市を開催する。

     すぐ側に大垣城と大垣市郷土館があるので観光の誘致になる。

  駅前大通りは、歩道に露店や屋台を出させる。

      大通りの通行はそのままで通行止めにしない。

  現在5つの商店街を協業して運営。(今は独断利己運営)

   

 呼ぶタレントの費用を審議

  税金を使っているのに、密室で役員の個人の趣味で選んでいるので、第三者の審査機関で選定する体制とする。現在は、費用が適正かどうかは、誰にもわからない。業者と癒着の疑惑さえ思い浮かぶ。誰が見ても腐臭が匂う。

 

 元気ハツラツ市の会計の監査が必要

  会計監査が身内だけの自己監査だけだと、東芝の不正のように、他者には分からない。第三者の機関による監査が必要である。

 

以下は2017年9月3日の元気ハツラツ市の風景

図1 他県からの出稼ぎ露店

図2~6 元気ハツラツ市当日でお休みの店が多数

図7 他県からの出稼ぎのタレント

図8 他県からの出稼ぎのタレント

 

2017-09-18

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2017年9月17日 (日)

なぜ写経をするのか

五種法師の修行

 馬場恵峰師の『報恩道書写行集』を知人の住職さんに進呈したら、「本の写経は全て読ませて頂いた。それで馬場恵峰師は、どんな目的で写経をされたのでしょうか?」と言われて答えに窮した。それで2017年9月13日、馬場恵峰先生宅を訪問した時、その疑問を師に問うた。師曰く「写経は、『法華経』の法師功徳品第十九で説かれる読、誦、理、説、書写の「五種法師の修行」の一つである。そのうち書写が一番大事な修行で、それが一番ご先祖供養になる。今の僧侶は、この書写行をしない。」

 

五種法師の修行とは、『法華経』の法師功徳品第十九で説かれる、次の5種の修行である。

 読とは経文を見ながら読むこと。

 誦とは経文を暗誦すること。

 理とは経文を理解すること。

 説とは仏法を他の人に説き伝えること。

 書写とは経文を書き写すこと。

 

五種法師の修行の現代訳では、次の5種の修行をいう。

 受持とは教えや戒律を受けてそれを守ること。

 読とは経典を見て唱えること

 誦とは経典をそらで唱えること

 解説とは仏法を他の人に説き伝えること。

 書写とは経文を書き写すこと。

 

仕事とは祈り

 恵峰師の説明を聞いて、「仕事とは祈り」との言葉を思い出した。仕事を覚えるは、まず仕事の教科書を読み、内容を暗記し、理解して、他人に説明できるまで修得する。それを自分の天命として世のために問う。仕事は生活の糧を稼ぐためと、世の中に奉仕する意味がある。仕事とは「事」に仕える尊い行である。実際に体を動かして行う修行である。

 西洋では労働とは苦役と解釈される。キリスト教では、労働は神がアダムとイブに課した罰としての業である。しかし労働と仕事とを別に考えないと、奴隷の人生となってしまう。西洋人は金ができたらさっさと引退してしまい、浜辺でのんびりと過ごすのが夢という人が多い。それに対して、日本人の価値観は、仕事は死ぬまで現役という人が多い。価値観の相違である。

 仕事は世の中に新しい付加価値を生みだす行である。その仕事は祈りと同じで、書写行と相通じるものがある。ご先祖供養をする前に、現世の衆生に奉仕する。それが仕事である。写経を繰り返すとは、実際に手と体を動かしてご先祖に感謝を捧げる。仕事も同じで体を動かし、その仕事を何度も繰り返し、己の仕事の腕の練度をあげて魂を昇華させる。その仕事も生涯を貫く仕事であって、生涯現役なら最高である。

 

2017-09-17

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地蔵異聞 首刎ね

誰がお地蔵さんの首を刎ねたのか?

 日本は仏教が聖徳太子によって積極的に導入されて以来、宗教戦争のような悲惨な争いが少ない稀有な存在である。聖徳太子は仏教を導入したが現存の日本の神も敬うという姿勢をとってその布教に努めた。それが神仏習合の文化を育てた。それに比べれば、西洋の宗教戦争は排他的で、それゆえ悲惨で残酷であり、長く西洋史に刻み込まれている。その名残が中東の紛争に現れている。西洋の宗教戦争は2,000年間も続く争いである。それに比べれば、日本の宗教戦争は小さな争いではある。

 

全てを受け入れる

 相手の思想を認めず、排他的な考え方を取るから残酷な結果を生む。仏教に思想は、人生の全てを受け入れる、である。それは仏教という範疇にとどまらない素晴らしい考え方である。会社を経営して、己の人生を経営するにおいて、大事にしたい考え方である。西洋人が偉いのではない。たまたま西洋に生まれただけである。その考えで、多くのアジア人が欧州人に虐殺された。エートが偉いのではない。たまたま記憶力が良いという恩恵を神仏から恵まれただけである。それを、俺は偉いのだと、相手を認めないのは、己が一番偉いという思い上がりである。神仏は、その才能を世にために使えというはずである。東大を出た山尾志桜里議員も、豊田真由子議員も、この世で役立つためにその才能を神仏から与えられたはずなのに、何を勘違いしたことやら。頭がいいとは、物事をお利口さんにしか考えられない愚かな頭脳構造である。人生では、バカになって取り組まねば成就しない仕事が数多くある。人間は損得勘定で生きているわけではない。

 

廃仏棄却騒動

 仏教の一番大きな危機は、明治初期に発生した廃仏棄却騒動である。廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈)とは、新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策によって仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃した。「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味し、廃仏棄却で神仏分離を押し進めた。

 神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図しなかったが、結果として廃仏毀釈運動となった。神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。廃仏棄却では、国宝級の仏像が多く破壊されたが、それがなければ現存するものの2倍もの国宝級仏像が残っていたはずといわれるほどの騒動である。

 それでも全国でその程度の差は大きい。美濃国(岐阜県)の東濃は廃仏棄却が激しかったようだが、同じ濃尾地区でも西濃の大垣では廃仏棄却の痕跡はない。美濃国の苗木藩では、明治初期に徹底した廃仏毀釈が行われ、領内の全ての寺院・仏壇・仏像が破壊され、藩主の菩提寺(雲林寺)も廃され、現在でも葬儀を神道形式で行う家庭が殆どである。一向宗が強い三河や越前ではこれらの処置に反発する一向一揆が見られた以外は、全体としては大きな反抗もなく、わずか2、3年後の明治4年(1871年)頃には終息した。

 

首刎ね

 彦根市の長松院の墓地に安置してある百体ほどのお地蔵さんの首が全て刎ねられている。だれがこんなことをしたのか。長松院だけではなく、彦根中のお寺も同じ状況である。お寺は存続しているので、お地蔵さんだけが被害にあっている。大垣や他の区域ではお地蔵さんの首が落とされた事例や寺院の破壊は見られない。彦根では、墓地にあるお地蔵さんの首だけが被害に遇い、堂内の仏像は壊されなかったようだ。彦根天寧寺には有名な五百羅漢像があるが、それが首を落とされた形跡はない。

 

地方の廃仏棄却

 日本の他の地域では五百羅漢像の首を落とされた事例もある。廃仏棄却の形態は地方でその現れ方の差が大きい。彦根ではある宗派のお寺が潰され神社に知行されたが、そういう例も地方によって差が大きい。どれだけ明治政府に従順であったか、権力に密着していたかでその影響の差が大きいようだ。明治政府の重鎮であった殿様がいる藩の殿様の菩提寺は潰せまい。クソ真面目に廃仏棄却に励んだ藩は、外様で政府に媚を売りたかったかもしれない。明治政府成立に貢献した藩は、大らかに構えていたのかもしれない。大垣藩も彦根藩も明治政府成立の立役者ではある。

 彦根でも、廃仏棄却は進んだが、多くのお寺は潰されなかったが、ある宗派のお寺が集中的に潰されて、現在では墓地しか残っていない。その傾向は彦根だけであるようで、廃仏棄却の地方での温度差はかなり大きい。その檀家が存続できたお寺を妬んで、お地蔵さんの首を刎ねる蛮行に及んだのかもしれない。廃仏棄却にも権力闘争の風が吹いていたようだ。だから弱いものはモノに当たった憂さを晴らすようだ。それでも堂内にある仏像までは手が出せない臆病者であったようだ。当時のお寺は権力と密着していたので、力を持っていたのであろう。

 

図1 首を刎ねられた地蔵菩薩像 (彦根の寺院の墓地)

 

2017-09-17

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