なぜ写経をするのか
五種法師の修行
馬場恵峰師の『報恩道書写行集』を知人の住職さんに進呈したら、「本の写経は全て読ませて頂いた。それで馬場恵峰師は、どんな目的で写経をされたのでしょうか?」と言われて答えに窮した。それで2017年9月13日、馬場恵峰先生宅を訪問した時、その疑問を師に問うた。師曰く「写経は、『法華経』の法師功徳品第十九で説かれる読、誦、理、説、書写の「五種法師の修行」の一つである。そのうち書写が一番大事な修行で、それが一番ご先祖供養になる。今の僧侶は、この書写行をしない。」
五種法師の修行とは、『法華経』の法師功徳品第十九で説かれる、次の5種の修行である。
読とは経文を見ながら読むこと。
誦とは経文を暗誦すること。
理とは経文を理解すること。
説とは仏法を他の人に説き伝えること。
書写とは経文を書き写すこと。
五種法師の修行の現代訳では、次の5種の修行をいう。
受持とは教えや戒律を受けてそれを守ること。
読とは経典を見て唱えること
誦とは経典をそらで唱えること
解説とは仏法を他の人に説き伝えること。
書写とは経文を書き写すこと。
仕事とは祈り
恵峰師の説明を聞いて、「仕事とは祈り」との言葉を思い出した。仕事を覚えるは、まず仕事の教科書を読み、内容を暗記し、理解して、他人に説明できるまで修得する。それを自分の天命として世のために問う。仕事は生活の糧を稼ぐためと、世の中に奉仕する意味がある。仕事とは「事」に仕える尊い行である。実際に体を動かして行う修行である。
西洋では労働とは苦役と解釈される。キリスト教では、労働は神がアダムとイブに課した罰としての業である。しかし労働と仕事とを別に考えないと、奴隷の人生となってしまう。西洋人は金ができたらさっさと引退してしまい、浜辺でのんびりと過ごすのが夢という人が多い。それに対して、日本人の価値観は、仕事は死ぬまで現役という人が多い。価値観の相違である。
仕事は世の中に新しい付加価値を生みだす行である。その仕事は祈りと同じで、書写行と相通じるものがある。ご先祖供養をする前に、現世の衆生に奉仕する。それが仕事である。写経を繰り返すとは、実際に手と体を動かしてご先祖に感謝を捧げる。仕事も同じで体を動かし、その仕事を何度も繰り返し、己の仕事の腕の練度をあげて魂を昇華させる。その仕事も生涯を貫く仕事であって、生涯現役なら最高である。
2017-09-17
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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